社会の弱者として登場する独裁者

安易な解決を求める危険

参院選の選挙結果が出ましたが、かの候補者が説いていた経済政策の主張が、ヒトラーのそれと重なっているという点を、経済に詳しい人たちは多く語っています。シェア元の投稿はその一つです。私は素人ですが、やはりあの巧みな演説に、そして非現実的な経済政策の主張に、危ないと感じた一人でした。

そしてこちらの記事は明確に、ヒトラーと当議員の類似性を語っています。

独裁者は弱者の味方として登場する

その特定の候補者、というだけでなく、自分が社会や政府を見る時の一キリスト者としての基本的姿勢は次のようなものです。 続きを読む 社会の弱者として登場する独裁者

「聖書が教える恋愛講座」の著者の棄教

「聖書が教える恋愛講座」(原題はI Kissed Dating Good-bye「僕はデートにさよならのキスをした」)の著者、米国の元牧師ジョシュア・ハリスさんが、クリスチャンを辞めたっていう話で、心痛めている兄弟たちが次々とフェイスブックやブログなどで、投稿をしています。この本は、キリスト者の若い男女は、デートではなく、結婚までの交際期間(コートシップ)にすべきであるという趣旨の内容です(参照要旨)。

私が読んだそれらの投稿を紹介します。一つ目は、MGFの牧者、菊地一徳さんのものです。

そして次は、カルバリーチャペル国分寺の桜井知主夫さんの文章です。

主体的に取捨選択できるようになるために

この記事を読んで、自分のフェイスブックに以下の投稿をしました。 続きを読む 「聖書が教える恋愛講座」の著者の棄教

「テロリズム容認」神学、日本に紹介される

以下、フェイスブックで投稿した内容を一部編集して、転載いたします。

今、あるフェイスブックページで、共産主義を容認し、日本共産党と共闘までしている福音派の指導者の問題が話題になっています(参照サイト)が、こちらも、恐ろしいと思いました。著名な福音派の神学大学院における連続講義で多くの牧師や神学生が受講していると聞いています。

③【ディスペンセーション主義キリスト教シオニズムの教えと運動の分析・評価 】

本質的には似通っています。つまり、テロリズムや暴力を容認していることです。「平和と正義」という名で人々をだますことによって、暴力を容認しているという事実を隠しながら神学の中で押し付けている問題です。改めて、ブログ記事にしたいと思いますが、少しだけ、何が問題点であるかを書き留めていきます。

反ユダヤ主義で英国聖公会から除名された元司祭

この方が資料としているスティーブ・サイザー(Stephen Sizer)氏による著作を資料源として講義をしていますが、彼は、英国聖公会(アングリカン)から、反ユダヤ主義を提唱したとして司祭職から除名されたに等しい辞職をしました。英国聖公会は、シオニズム支持でも何でもありません。そういった教派が、反ユダヤ主義を根拠に除名措置を迫ったのは、相当のことなのです。

下の記事に、スティーブ・サイザー氏が、イスラム・シーア派の原理主義テロ組織ヒズボラの指導者と会見している写真を掲載しています。この組織は、日本を含め西側諸国でテロ組織として認定されている団体です。伝道や宣教の目的であれば問題ないですが、いいえ、彼らの大義をキリスト教的に(?)支持するために言っているのです。反イスラエルで共闘しているのです。

「悪を善、善を悪とする」時代

Stephen Sizer meets Nabil Kaouk, a top Hezbollah official and militant commander, in Lebanon

キリスト教の砂糖で固めたパレスチナのテロリズム神学

続きを読む 「テロリズム容認」神学、日本に紹介される

復活の証拠は法的なもの

※フェイスブック投稿からの転載です

復活の話をすると、「どうして、信じられるの?」という反応が多いです。けれども、それは自然科学的な証明を求めているからであって、当然、観察や実験はできないわけですから証明は不可能です。

けれども、復活というのは、証人の信憑性など、法廷における証明で考えれば、これほど確固な事実確認はできないほどなのです。古代で起こったことですが、他の古代の歴史文献と、比べ物にならないぐらい、膨大な証拠が残っています。今の人々に「地下鉄サリン事件は起こりましたか?」と尋ねているぐらい、否定するのが滑稽なぐらい、生々しい記録です。

映画「ベン・ハー」の原作者は、初め復活の事実を否定するための論文を書こうとして調べ始めたら、逆に、否定することが到底できないことを知り、信仰を持ち、それで小説を書きました。

「ベン・ハー」の作者

どのように復活したのかは、分かりません。それこそ、「神の領域」であり、神秘的であり、奇跡です。けれども、起こったのだという事実は、はっきりと証明できます。

関連記事:「受難週 - 聖書考古学から」「イエスは信長、聖徳太子以上の歴史的人物

「イスラエルへの情熱」−ユダヤ人とイスラエルを愛した福音主義教会の軌跡−

昨日、以下の本を完読しました。

『イスラエルへの情熱』
−ユダヤ人とイスラエルを愛した福音主義教会の軌跡−
原題:Passion for Israel
著者:ダニエル・C・ジャスター Daniel C. Juster
訳者:石井 秀和
出版:ゴスペル・ライト出版
販売価格 1,296円(本体1,200円+税)
http://gospel-light.info/?pid=132451548
https://www.amazon.co.jp/dp/4990516621
https://www.facebook.com/passion.for.israel/

私にとっては、あまりにも衝撃的な本でした。自分の信仰の歩み、聖書への取り組み、そして実際のイスラエルとの出会いから生まれてきた情熱を、プロテスタントの教会史から見事に論じていたからです。本書の推薦の言葉を借りるならば、宗教改革開始以後間もない時から、「四百年以上続く福音主義クリスチャン本流の運動」というものを、鮮やかに描き出しています。 続きを読む 「イスラエルへの情熱」−ユダヤ人とイスラエルを愛した福音主義教会の軌跡−

人類起源の「定説」という危うさ

NHKの甚だしい進化論宣伝

NHKは、ずっと前から仮説にしか過ぎない進化論の物語を、普及するのに多くの時間を割いていますが、酷いのが「NHK 人類誕生」というシリーズを三回流し、いかにサルから人間に、そして日本の上陸したのかを、高度なアニメーションを使って説明しています。

けれども、この記事にあるように、「定説」と言われているものは、ころころ変えられています。人類が約20万年前にアフリカ東部で生まれたというのが定説と言っていますが、次の記事ではアフリカ北部のモロッコで30万年前のが見つかったとか、あまりにも変化するものであり、「定まった説」など何一つありません。

根底から覆す遺跡がトルコに

今年4月のトルコ・ギリシア旅行の旅行記を書き始めて、トルコが本当に人類の悠久の歴史を豊富に持っている国であることを知りましたが、一気に上の話のような「猿→原始人→人類」という流れを覆す遺跡が、発掘されています。それが「ギョベクリ・テベ遺跡」です。 続きを読む 人類起源の「定説」という危うさ

イエスは信長、聖徳太子以上の歴史的人物

イエス・キリストが神話上の人物なんていうイメージが、日本人の多くにはありますが、こんなコメントがあります。

「イエス・キリストも本当に実在していた人物なのです。日本では、ちゃんと聞く機会あまりないですよね。・・でも逆に海外では、イエス・キリストは超有名な歴史的人物で知られ、聖徳太子や織田信長のことを知ってる人なんて、ほぼいない。」(「イエス・キリストとは何者か?33年6ヶ月の生涯」)

以下は、「聖書考古学」という学問の分野が発達し、現在進行形で発掘が進んでいることを伝えているものです。

オリーブ山便り」からのビデオ・ニュースレター

関連記事:
①「受難週 - 聖書考古学から

Passion Week Archaeology from SourceFlix.com on Vimeo.

②「考古学が明らかにする聖書の真実

ロゴス・ミニストリーの「イスラエル旅行記」

地獄は不正か、それとも究極の正義か?

もし、だれでも、獣とその像を拝み、自分の額か手かに刻印を受けるなら、そのような者は、神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた神の怒りのぶどう酒を飲む。また、聖なる御使いたちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。」(黙示14章10‐11節)

昨日は、東十条の学びで黙示録14章(原稿音声)を学びました。先日、当ブログでセカンド・チャンスを改めて考える記事を載せましたが、それは「福音を聞いたことがない者が、死後に救われる機会があるのか」という問いかけでした。

けれども、そもそも、これまでじっくりと「地獄」というものが何なのか、何の思いをもって神はそれを造られているのか、またそこに神の正義があるのか、また憐れみもあるのか?という、「地獄」そのものについての教えから、私自身、目を逸らしていたことに気づきました。

毎週、いや毎回の聖書の学びで、私の信仰の中の奥深い部分で、地獄の存在を全く意識しなかったことはあり得ませんでした。非常に大切な教えである一方で、これを言葉にして、表に出すことに対する強い不快感が、どうしても付きまとってしまいます。

しかし、避けて通ってはいけないと思って調べてみました。

「愛の神は、人間を地獄で苦しめたりしないはずだ」は本当か?

一つ目は、以前当ブログで紹介した、「それでも神は実在するのか?」(リー・ストロベル著 いのちのことば社)です。本書は、キリスト者ではない方、求道者の方には特にお勧めです。キリスト教は良いかもしれないが、これこれの要素があるから、受け入れられないというような疑問に、真正面から取り組んでいる本です。そこに、上の副題の、地獄に対する疑問に返答している神学者の言葉が載っています。J.P.モーランドという方です。 続きを読む 地獄は不正か、それとも究極の正義か?

改めて「セカンド・チャンス」について

有るところで、「福音を生前に聞いたことのない人が、死後に救われる機会はないのか?」という内容の議論があり、私もその中に加わっていました。以前、以下の書籍紹介を当ブログでしていました。

「セカンドチャンス」は本当にあるのか

下に、私の立場を書かせていただきます。

①神は正しい方、そして慈悲深い方

私は、神の救済についておそらく、保守的な聖書理解に立っていると思います。つまり、全ての人が罪を犯したゆえに、神の前で有罪だということを信じ、受け入れています。聖書全体の中にも、旧約から新約まで、人は罪深く、不義を行ない、それゆえ神の憐れみなしには生きることはできない存在だ、ということが徹底しているからです。人は罪人であり、神こそが聖なる方、義なる方です。

そして、神を知らない異教徒についてはどうなのか?ということになりますと、その与えられた知識に基づいて裁かれます。ローマ1章後半では、神を知らないと言っても、実は被造物にある神の栄光があって、その知識を抑え込んでいる。死後に裁きがあることを知っているのに、あらゆる悪や貪りに心から同意している、ということが書いてあります。そして2章においては、自分を正しいとしている人たちについて、実は自分が正しいと思っていることさえ行なえていない、良心にある律法に背いていると論じています。そして聖書の知識のある人は、「知っているのに、行なっていない」という問題があるとして、3章において「全ての人が神の前に有罪だ」となるのです。ですから神は、裁かれる方です。

しかし、神は憐れみに富む方です。ご自分の義にしたがえば、裁かなければいけないのですが、しかし憐れみと富む方で、怒るに遅い方です。ですから、ご自分の御子をさえ惜しまずに、ローマの十字架によって死刑人とされて、それを私たちの罪の供え物としてくださいました。罪を赦していただくために、この方の御名を呼び求め、主と告白し、また死者の中から甦らせてくださったことを信じるなら、その人は、罪、死、神の怒りから救われると信じています。

そして主は、地上に生きているものを裁かれるし、また死後にも裁かれます。終わりの日には、死者を甦らせ、各々をその行ないに応じて裁かれます。

②死後は、神の主権、領域内にある

ソロモンが言いました。「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。」(伝道者12:7) 続きを読む 改めて「セカンド・チャンス」について

音声や原稿だけでは味合わえない醍醐味

また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。(ヘブル10:24-25)」

ウェブサイトに、毎回、教会での聖書メッセージを掲載させていただいています。当然と言えば当然ですが、各メッセージの後に、教会では交わりの中で分かち合いをしています。そこで語られるオフレコの会話こそが、語られている内容をどう実際に当てはめるのか、核心的なところに入っています。それは、互いに主にあって仕えている仲だからこそ、その苦楽を共に生きたからこそ、その時に与えられる励ましの言葉であり、かけがえのないものです。

今晩、黙示録13章の後で交わされた内容は、「ここまで権威が否定されて、超個人主義になっている社会で、一気に反キリスト的な全体主義社会に変質することは、いとも簡単になり得る。日本では家の制度が壊れつつある今、キリスト教会にある共同体はとても貴重、光っている。教会は賜物の用いられる場である以上に、互いがキリストに結ばれている神の家族だ。私たちの教会、私たちの群れだけではなく、各地域教会が、反キリスト的な空気が蔓延している今現代、異彩を放っている。」

参考メッセージ:黙示録13章1‐10節」(原稿

それぞれの教会が、豊かにされ、守られ、神の平安の中で前進していきますよう、お祈りします。そして、何らかの理由で教会に行けていない人は、主がふさわしい交わりの場を与えてくださるよう、お祈りいたします。

参考記事:「教会に通っていない方へ