「東北 希望の祭典」(3月2-4日)の報告 その2

その1からの続き)

3日目は、チャックさんがサマリタンズ・パースの仕事で忙しくなって、三人を教会の日曜礼拝(宮城聖書教会)に連れて行く時間がなくなったとのこと。彼の自宅で短く礼拝の時を持ったそうです。そして同じように午後下がりにいっしょに送迎バスに乗り込み、三日目のイベントの後にそのまま仙台駅に直行し、東京へ向かいました。

ビリーグラハム伝道協会のYoutubeから

すでに、ビリーグラハム伝道協会のサイトで詳細な報告がなされています。

Tohoku Celebration Draws Record Crowd
A Rolling Witness to Love
New Life Rises in Sendai

英文ですが左側にあるビデオをクリックすれば雰囲気が伝わってくるのではないかと思います。私が感動したのは、二つ目の” A Rolling Witness to Love”(巡回する愛の証人)です。

二人の被災者が、東北希望の祭典のために多大な貢献をしてくださいました。この祭典の宣伝バスですがLEDバスになっています(窓に映像が出てくる)。このためにご自分の資金と時間を投入してくださった方なのですが、金曜の夜にイエス様を受け入れたとのことです!

これからも続けて、被災者の方々のためにお祈りください。地域復興のために共に協力しながら、かつクリスチャンの動機になっているキリストの愛が伝わりますように。

「東北 希望の祭典」(3月2-4日)の報告 その1

みなさん、お祈りありがとうございました。うちの教会から妻と、瀬谷さん、久喜さんが東北に行きましたが、無事に帰宅しました。報告を聞きましたが、かなり手ごたえがあったようで主をほめたたえます。

東北・希望の祭典

三人は高速バスで仙台駅前まで行き、チャック・ロブさんが車で迎えにきてくださり、それで月浜仮設住宅に向かいました。前回の呼びかけで、無料送迎バスへの乗車を申し込んだ人はみな乗車し、その他も数名の人が乗り込んだ、とのことです。牛網の元避難所にも立ち寄り、そして石巻に接している赤井まで行って、そこで他の被災者と支援者の方々を乗せてバスは、仙台近郊にある利府の「グランディ21」に向かいました。ここは元、津波で亡くなった方々の遺体安置所だったそうですが、そこに「復活の命があるのだ」という希望を語ったわけです。

かなりの雪が降りましたが、その割には多くの人が来られたようです。

次の日、3月3日には午前中、月浜仮設住宅にてお茶会を開きました。これまでの炊き出し後のお茶会より一番多くの人が来られたようです。そして以前にも来られた男性の方もいらっしゃり、三人にご自分で獲った蟹をくださったそうです。それから、後で改めて紹介しますが、月浜の海苔の産業復興のために立ち上がった自助グループの「月光プロジェクト」の方々にも会うことができました。

肯定的な反応としては、「震災後のクリスチャンの支援を通して、クリスチャンに対するイメージが変わった」「今回の祭典で受け取った聖書は、以前配布した聖書より分かりやすい(つまり、聖書を読んでいる)」など、この地区の方々との関係がいっそう深まっただけでなく、信仰についての関心も高くなったことを感じたようです。

2日目晩のイベントには、被災者の方で信仰をもった人の体験談ビデオが上映されたとのこと。アル中で自分でも死んでしまうのかと思うぐらい飲んでいたが、それで震災に遭い、その後クリスチャンに出会いながら、なんとある時に酒の味が変わったとのこと。苦くて飲めなくなったそうなのですが、クリスチャンたちが祈っていたことを知り、それでイエス様を信じたということです。(仙台にいる私の両親も参加していましたが、「信仰ってこんなに単純でいいんだよな。」と確認できたそうです。)

福音を語るフランクリン・グラハム

イエス様を受け入れる招きをして、祈りに導くフランクリン・グラハム

その2に続く)

東松島救援旅行 2月22-23日 その2

その1からの続き)

それから朝食を、チャック&由美宅でいただき、そして午前10時から、この新居の献堂式を行ないました。同僚のサマリタン・パースで働く姉妹が三名、そして東松島市にある唯一のキリスト教会、宮城聖書教会の牧師、田中先生もいらしてくださいました。たくさん賛美した後に、トラビスさん、山東さん、そして私が主の御言葉を分かち合い、そしてバッドさんが、オリーブ油をお二人とこの家に塗り、みなで手を置いて彼らをここでの働きのために聖別する祈りを捧げました。聖霊のご臨在を強く感じる、すばらしい集会になりました。

それから交わりの時に、田中牧師のいろいろな率直な気持ちや意見を拝聴することができました。外部の者たちが被災地に入ってくることに対する感想、被災している教会と免れた教会との違い、被災者の援助物資への対応など、マスコミに出てくる話とは異なる視点での話をたくさん聞くことができ、とても感謝でした。その中で最も印象に残っているのは、「被災して初めに来てくれたグループは、自衛隊とクリスチャンたちであった。」です。以前も、ここのブログ記事「東松島とイスラエル」で少し紹介させていただきましたが、ご自身が被災された体験を持っておられます(クリスチャン新聞 ・ リバイバル新聞 ・ ツラノ出版

そして私たちは牛網に行きました。同じくハヤシシチューがメニューです。足りなくなった材料を由美さんが買い出しに行き、チャックさん、アレックスさん、私は周囲の在宅の被災者に案内チラシを配りに行ったりしました。けれども、基本は避難所の責任者だった千葉さんと、もう一人の女性の方が周囲の人々に案内してくださっていたので、訪れた人々はずいぶん沢山になりました。

驚いたのは、元、この避難所におられた方々の顔よりも新しい人々が大勢おられたことです。在宅被災者の方もたくさんおられて、日頃は支援物資の恩恵から取り残されている人々なので、とても嬉しかったです。

そして全てが終わってから、私たちは健康ランドに行きました。大きな露天風呂を持っているのになんと400円!疲れが一気に取れました。

そして早朝に出発、トラビスさんの猛スピードの運転(?)のおかげで、なんと午後1時前に所沢に到着しました。

ぜひ、「東北・希望の祭典」のためにお祈りください。震災によって受けた傷は、神がキリストにある愛を知るという報いが伴っていることを被災者の方々が知ることができるよう祈ってください。うちの教会から私の妻と、姉妹二人が当日、無料送迎バスに同乗し、案内役を務めにいきますので、そのこともお祈りください。そして、クリスチャンのミュージシャンとフランクリン師に聖霊の油注ぎが降り注がれるよう、お祈りください。

後記】ときと君が、同じ旅の模様を自分のブログに書き記しています!

Tohoku Trip

東松島救援旅行 2月22-23日 その1

祈ってくださった方々、ありがとうございます。無事に昨日、今年初めの救援旅行に行くことができました。冬の東北に行くのには、雪道走行が一番の課題で、それで月一の頻度で行っていた旅行も約二ヶ月ぶりになりました。

けれども、今年から主が不思議なことを行なわれています。私たちが四月から主によって通っていた東松島に、今年初めに、沖縄CCBCで奉仕されていたチャックさん・由美さんご夫婦が引っ越されました。去年の秋、不動産を巡っても何一つ空いている物件はなく、それというのも被災者の方々が借りているためですが、月浜地区には津波を免れた家が数軒あり、すべて岩の上に建てられています。(思いっきり、イエス様の言われた、「御言葉を聞き、それを守る人」の喩えの通りです!)その一軒を借りることができるようになりました。

そして主がお二人に、貴重なお仕事を与えてくださいました。国際的キリスト教救援団体である、サマリタン・パースにおける仕事です。石巻・東松島地域の担当ということで、その地域を知り、かつ生活の糧が与えられるという、すばらしい備えです。

今回の旅行は、サマリタン・パース共催の「東北・希望の祭典」に、私たちがこれまで奉仕させていただいた、宮戸島の月浜地区の方々と鳴瀬の牛網地区の方々にお誘いするためです。「東北・希望の祭典」では、数々のクリスチャン・ミュージシャンが来ると共に、伝道者フランクリン・グラハム氏が、福音にある希望の言葉を語ってくださいます。これが、彼らにキリストの愛を伝える貴重な機会となるようお祈りしていますし、みなさんにも祈っていただきたいと願います。

東京からのチームには、第一回の救援旅行で一緒だった、ホノルル・カルバリーチャペルの牧師ビル・ストーンブレーカーさんの息子で、バッドさん(ご本人も教会の牧師)がおられます。はるばるハワイから来てくださいました。そしていつものメンバー、トラビス(CC所沢)、山東さん(CC西東京)がいて、新しくできたバイブル・カレッジ東京のトキトさんとアレックスさんもいて、そして私たち明石二人が便乗しました。そして仙台におられる、カルバリー所沢に通っておられた姉妹も奉仕してくださいました。

22日は、月浜で炊き出しとコンサートをしました。炊き出しのメニューはハヤシシチューで、元プロのシェフ山東さんの味付けが最高でした。そして小さな公民館でコンサートをしました。バッドさんは賛美も導き、また福音を語ってくださいました。その後で、チャックさん、由美さんから、無料送迎バスの案内がありました。

夜は、三人がチャック&由美宅にて、四人が仮設住宅内の木村宅にて就寝です。翌朝、後者の四人は、最終的にバスに乗りたい人を一軒一軒周り尋ねていきました。

その2に続く)

jesusnetjapan

先ほど、すばらしい福音宣教サイトを見つけました。

KnowingGod.jp

非常にシンプルかつ、はっきりと福音を伝えています。イエス様だけを伝えているのが良いですね。そして同じ運営者が作成した震災に関連する希望のメッセージのサイトも充実しています。

HopeForLiving.net

そのどちらのサイトにも登場する、資生堂キャンペーンモデルだったヨハンナさんの証しが心に沁みました。一度お会いしたことがあるのですが、彼女自身についてはあまり知らなかったのですが、「こういう証しを持っていたのだ」と関心しました。

Ioanna Sillavan – A Story of Hope (modeling) from Gottkennen.ch on Vimeo.

モデルというのは自分の身体そのものが「商品」であり、自分を取り囲む有名で影響力のある人々にある空しさを感じたという内容の部分を聞いて、次の黙示録18章の箇所を思い出しました。

商品とは、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、香木、さまざまの象牙細工、高価な木や銅や鉄や大理石で造ったあらゆる種類の器具、また、肉桂、香料、香、香油、乳香、ぶどう酒、オリーブ油、麦粉、麦、牛、羊、それに馬、車、奴隷、また人のいのち(直訳=肉体)です。(12-13節)」
ともしびの光は、もうおまえのうちに輝かなくなる。花婿、花嫁の声も、もうおまえのうちに聞かれなくなる。なぜなら、おまえの商人たちは地上の力ある者どもで、すべての国々の民がおまえの魔術にだまされていたからだ。(23節)」

人の身体でさえ商品とさせる世界、そしてそれはビジネスの中で作られた世界であり、そうした商業主義は実体がないものに実体があるように見せかける「魔術」であると思ったのです。

この二つのサイトを運営している人のブログがこちらです。

jesusnetjapan

WhyJesus.netというサイトの準備もしているそうで、求道者に歴史上のイエスを質問に答える形で説明していくようにしていくものだそうです。楽しみです。

未来へのキオク


私たちはインターネットで、被災地で同じ場所の震災前と震災後を並べた写真というのを見たことがあると思います。Googleが、「ストリートビュー」の機能を使って、すぐに震災前後の写真を見ることができるようにしたそうです。

未来へのキオク ストリートビュー

このグーグルのブログ記事に説明が書いてあります。

ちなみにメインページには、写真保存プロジェクトを行っています。これはヤフーでも行っているプロジェクトですが、こちらも紹介します。

東日本大震災 写真保存プロジェクト

東松島救援旅行12月12-14日 その④

その③の続き)

木村さんは、私たちの救援活動でイエス様を信じた初めての人です。

息子の一美さんとお母さんのこなみさんと、4月10日、綾瀬東部教会で初めて会いました。お二人は、地震の時、仙台市内の病院にいました。自宅は津波に流されているだろうとのことで、他の家族や親戚のいる東京へ向かって避難を開始しました。途中で原発事故の知らせを聞いて、南下がさらに切実なものとなりました。そして、足立区の武道館に他の福島の被災者の人々と避難生活を始められました。

東京都はボランティアの武道館内での活動を許しませんでした。路頭に迷ったボランティアの人々は、近所の教会の人が活動場所を提供するという申し出を喜んで受け入れ、それでそこで活動を開始するようになりました。

私は、4月10日にそこの韓国系教会で説教の奉仕を頼まれていました。牧師さんとは1997年以来の知り合いですが、普通は同じ韓国人の牧師に不在の時は説教を頼むものです。けれども原発事故で牧師も含めて本国に帰ってしまって、見つからなかったのこと。自分自身も教会を始めているのに・・・という不満を持っていましたが、妻が「困った時にはお互い様でしょ!」と喝破し、合同礼拝にして自分の教会の人々にはその教会に来るようにお願いしました。

その礼拝が終わって交わりを持っている時に、木村さん母子に会ったのです。

その時に私たちは既に、4月4-7日の第一回救援旅行を終えています。導かれたのは東松島の牛網避難所でした。そして12-15日に第二回を計画していたのですが、出身を聞くとなんと東松島の月浜だとのこと!「月浜」は、仙台出身の私にとって思い出深い海岸であり、それも驚きでしたが、相手も私が仙台出身だとのことで非常に驚いていました。そして私は、「今、どうなっているかお宅の写真を撮ってきますよ。」と申し出ました。

その後の話は、本ブログの記事をご覧ください。(検索に「月浜」と入力すれば一連の記事を読むことができます。)

東北の被災者であられながら、東京に被災しているということで、私たちはいっしょに救援旅行に行ったのを含めて、ものすごいたくさんの時間を共に過ごしました。その中でたくさん福音を語り、お二人は私たちがただ親切にしているというだけでなく、その背後にキリストがおられることを認めるようになってきました。

そして仮設住宅が八月に月浜に与えられて以来、私たちは木村さんのお宅に宿泊させていただいて活動をしてきた次第です。

そして十月に、綾瀬東部教会で魯牧師や、同じく木村さんをお世話している同教会の石原さん親子といっしょに何時間もキリストについてのお話をし、ついに聖書の学び会を始めることに同意してくださいました!それから基本的に週に一回、学びを始めることができたのです。

そして、お母さんがイエス様を心に受け入れて、はっきりと信仰告白をなさいました!息子の一美さんも、「まだ信じられない」と言いながら、かなり自分自身がイエス様の世界に入っていることを告白しておられます。そして一美さんの妹さんもおられますが、月浜の人々に挨拶をするために、14日の午前二時頃、仮設住宅に到着しました。

14日の朝に挨拶をしました。睡眠時間が少ないはずなのに、かなりお元気です。そして、いっしょにご飯を食べて、朴牧師と姪さんとも一緒に、聖書の学びの時間を持ちました。箇所はヨハネ3章、有名なニコデモの話です。

上の写真はとてもまじめな顔をされていますが、三人は冗談がいつまでもとまらない面白いご家族です。今回は一美さんの妹さんも初めて福音を聞くことが出来、いろいろな質問をしてくださいました。ご三人はクリスマス前には帰ってくる予定です。それまで、月浜の人々に対して、特にこなみさんを通してキリストのことが伝えられていけば、と祈っています。

そして、私たち四人は松島に立ち寄り、そして帰途に着きました。朴牧師と姪さんとは、充実した主にある交わりを持つことができました。彼は韓国人でありながら、在日中国人に対して牧会をしておられます。世界宣教への想いがとても強い方です。大きな励ましを受けました。

どうか、続けて牛網地区、そして月浜地区の働きのためにお祈りください。チャックさんと由美さんが東松島に引っ越すことになると思いますが、その手続きがすべて守られるようにお祈りください。月浜に、東松島の被災の平地となった地にキリストの香りを放つ花が咲き乱れるよう、お祈りください。

東松島救援旅行12月12-14日 その③

その②の続き)

そしてすぐに炊き出しの時間になりました。談話室に動いたら、ほぼ準備が整えられていました。メニューは「醤油チキン」です。これはハワイの料理で、カルバリー所沢の牧師トラビスさんが牛網などの避難所でずっと作り続けていたものですが、いつも人気がありました。ジョエルさんのもとってもおいしく、みなさん大変おいしかったと喜んでおられました。また、私たちが近所で知り合った、信者ではないですがボランティアの人が送ってくださった古着の箱も置きました。そしてもちろん、伝道文書も並べています。

食べ物を出した後に私たちも食べ始めたら、しばらくしてコーヒーを飲みにおばさん、おばあさんたちが来てくださいました。これまでに増して、心を大きく開き、たくさんのことを話してくださり、私は時間をかけて接しつづけていったことがどれだけ大切かを実感しました。

私自身気になっていたことは、どうして月浜や宮戸島の住民がほとんど死者を出すことがなかったのか、ということです。率直に質問してみたところ、まず一年に一回訓練を受けていた、ということがあります。そして次に、これだけ大きな地震であれば、「津波は必ず来る」という危機意識です。

ある奥さんは、神社が避難所になっていたけれども、大きな機械が作動しているようなものすごい音が聞こえ、津波が接近してくると知るとその裏手にある、先ほど私たちが上った小山へと逃げたそうです。またたくまに山は水で取り囲まれましたが、水が引いた後に他の人々が避難した宮戸小学校へ動いたそうですが、大浜にあるペンションが道を塞ぎ、数十センチしかない隙間を、恐る恐る歩いたそうです。他のYoutubeの動画には三月末には、そのペンションが道を塞いでいたことを教えてくれます。


(ペンションは30秒ぐらいのところに出てきます。)

そして、もちろん警報が鳴り響きました。それにそのまま聞き従った、ということもあります。そして、お年寄りの方々は、マイクロバスがその時駐車してあったので、それに乗って宮戸小学校に逃げたそうです。その時に、いくつもの要因が良い方向で連結して流れた結果、月浜地区からは誰一人死者が出なかった、とのことです。

宮戸島は唯一の陸路をつなぐ橋が壊れたため分断された孤島となったことで有名ですが、自衛隊が橋を復旧する数日間は、ヘリコプターが救援物資等を宮戸小学校に運んだそうです。そして患者など治療の必要な人は、船が往復したそうですが、その船も海に浮かぶ瓦礫の中を恐る恐る運行したそうです。(参照記事

そしてチャックさん&由美さん、また宜野湾チームとお別れしました。彼らは、仙台市若林区にあるロイ&ナンシーさんの家に泊まっています。私たちは、仮設住宅の木村さんの家に泊まりました。

そして次の早朝、私は朴牧師といっしょに散歩にでかけました。前から気になっていた月浜海岸の右手にある小山に登ってみたいと思っていました。階段から上がると昨日見た景色よりもずっと見渡せる全景を楽しむことができました。

その④に続く)

東松島救援旅行12月12-14日 その②

その①の続き)

月浜での活動は、クリスマス・コンサートに加えて炊き出しもあります。今回、宜野湾カルバリーのチームには、沖縄バイブル・カレッジで学生の毎食の食事を用意するジョエルさんがいらっしゃいました。彼は、到着すると仮設住宅の談話室にある小さな台所を使って、夕食の準備を始めました。1時過ぎから4時半頃に出すまで、延々とそこで働き続けました。

仮設住宅には、談話室の他に隣接する小さな公民館があります。どこかのボランティアの方々が建ててくださったと聞きました。談話室は炊き出しの準備があるので、公民館を借りることにしました。

準備が終わり、まだ開始まで時間があるので、トミー牧師はザック、オーストラリア人のトムを連れて散歩しようと持ちかけました。私が案内を申し出ました。月浜海岸の説明をし、そこで8月にバプテスマ式を行ったことも話しました。月浜集落が、ニ・三軒を除いて全壊していますが、当時は瓦礫の山であったことも説明しました。そのまだ立っている家屋は、興味深いことにすべて岩の上に建っています。イエス様による、岩の上と砂の上の家の例えを思い出しました。

そしてトミーさんが、集落の奥にある神社の裏手に小道を見つけたので、行ってみました。その小山からは、月浜の裏手(西)にある海岸も見ることができました。そして、下の写真はその小山から撮った月浜集落です。

ちなみに私は改めて、津波直後の集落の姿と比べてみたいと思ってYoutubeで調べたら、上の写真の左手にある「かみの家」と呼ばれる民宿(避難所にも使われた)から三月末に撮影された動画があったので、比べてみてください。

そして私たちは、直前に家々を一軒ずつ挨拶していって、コンサートの案内をしました。

小さな公民館にたくさんの方々が来られました。小野駅前と同じように、チャックさんの日本語の挨拶、ザックのクリスマスの歌、それからクリスマス・メッセージです。

小野駅前仮設の方々よりも、熱心に、耳を澄まして聞いてくださった感じがします。前者の多くが初めて会う人々であるのに対して、こちらは何度もお会いして、掃除のお手伝いや炊き出しを続けてきました。その中で信頼関係が作られていったような気がします。

チャックさんと由美さんが、ついに東松島に引っ越すことができそうになったことを発表しました!そうしたら、みなさんがとても喜んでくださいました。もし、津波もなく普通の時にこのような引越しを話したら、決して簡単には受け入れられなかったでしょう。津波によって、むしろ結ばれている絆というものがあります。そして私たちの願いは、福音によってキリストとの絆が結ばれることです。

その③に続く)

東松島救援旅行12月12-14日 その①

みなさん、お祈りありがとうございます。今年最後になる救援旅行から昨日無事に帰ってきました。

いつもの通り、運転手のいない私たちの旅行は運転手探しから始まるのですが、今回は主催が既に仙台に引越ししたチャック&由美・ロブさんで、そしてお二人を送り出している沖縄のカルバリーチャペル宜野湾のチームによる、クリスマス慰問コンサートが主体です。私はただそこに独りで付いていこうと思って始めは同乗をお願いしていましたが、最近、妻が知り合った韓国人の牧師さん夫婦の旦那さま(朴牧師)が同行したいと申し出てくださいました。そして今、日本に旅行に来ている姪の方もいっしょに四人で足立区を出発しました。

12日午後4時頃に到着しましたが、特にその人はすることがありません。月浜を少し見た後に松島に戻って、以前、宿泊に使った湯の原温泉の隣にある500円温泉に入りました。食事もそこで取りましたが、私と妻は松島では名産のカキフライを食べましたが、かなりおいしかったです。

そして13日は午前9時に、牛網の隣にある「小野駅前仮設住宅」に到着しました。ここが牛網の避難所の人たちが数家族住んでいるところで、そのつてで、談話室でクリスマスコンサートをすることになりました。

初めに、チャックさんが全部日本語で、挨拶の言葉と自己紹介の言葉を話してくださいました!それから、ザック・ルイスさんがクリスマスの歌をうたい、そしてチャックさんによるクリスマスの話が始まりました。単純に、しっかりとキリストの受肉、そして十字架と復活の福音を語りました。そしてザック・ルイスさんのお父さんで、カルバリー宜野湾の牧師のトミーさんが、何曲か日本語で讃美を導き、それからお茶の時間になりました。

私たちにとっては、牛網の今泉さんの他はほとんどが顔の知らない方々でした。野蒜地区や浜市の人々もこの仮設には住んでいるからです。けれども、やはり津波の時のお話を分かち合ってくださりました。辛かったのは、近所で寝たきりのおじいさんかおばあさんを助けようとした方は、「私は構わないから、あなたは逃げなさい。」と言われて、逃げて助かったという話でした。仕方がなかったとは言えども、助けられなかったという心の傷は大変深いものがあります。

そして、私たちはそこでお弁当を食べてすぐに月浜の仮設住宅へ動きました。

その②へ続く)