イスラエル旅行 −はじめに

 シャローム!
 これから、1999年10月4日から19日に行ってきた、イスラエル旅行記を記していきたいと思います。旅行に行ったすぐ後に、知り合いの人々にメールにて、この旅行記を配信しておりました。ロゴス・ミニストリーのウェブサイトにも掲載していきたいと思います。

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 これから、録音したガイドの説明やメッセージと、写真を基にして、今回のイスラエル旅行を記録に残したいと思っています。今回の旅行のことを自分が忘れないようにするためが目的ですが、それをみなさんにもお分かちさせていただこうと思います。今回は、「はじめに」ということで、この旅行に行くことになった経緯と概観をお話したいと思います。

 私が、イスラエルという民族と土地、そして国家に興味を持つようになったのは、クリスチャンになってから5、6年前のころからです。聖書についての書籍をとおして、そして何よりも聖書を通して興味を持ち始めました。最初に読んだのは、「聖書預言と世界情勢(?)」高木慶太著です(本書は、伝道のために父親に手渡してしまい、題名さえ忘れてしまいました。)。そこに記されていた一つの表に、衝撃を受けました。聖書の歴史はイスラエルを中心に動いており、教会はむしろ挿入的な位置しかしめていないことを示すものでした。私はそれまで、主イエス・キリストを自分の心の中におられる方として受けとめ、また、信者の集まりである教会のみが、主を証言するものとして存在すると考えていました。けれども、聖書を最初から順序正しく、謙虚に読んでいけば、神は、私たちの主のほかにイスラエルを中心に世界を動かしておられ、私たち教会は脇役的な存在であることを知ります。

 そして、次に手にしたのが、「ユダヤ入門」中川健一著でした。本書は、最初に日本人が抱いている、典型的なユダヤ人へのイメージを取り払うことから始まり、反ユダヤ主義に対抗し、現在の中東情勢にも触れています。私は、それまで今存在するユダヤ人については大きな興味を示していなかったので、新鮮でした。その次に、ユダヤ人入門の続編でもある、「エルサレムの平和のために祈れ」を読みました。これは、私の聖書の受け止め方を大きく変えました。教会が新しいイスラエルになった、という「置換神学」を主に取り扱っていますが、聖書に出てくる「イスラエル」という言葉は、何ら比喩ではなく、物理的に実在するイスラエル民族、またその土地と国家を指し示すことを知りました。また、ユダヤ人に伝道する責務についても取り扱われていました。

 そんな書物に影響を受けながら、私と妻は渡米して、カルバリーチャペル・コスタメサに2年半出席し、私は、その教会の中にあるスクール・オブ・ミニストリーに通い、卒業しました。その牧師、チャック・スミスは、聖書を創世記から黙示録まで順序どおりに、すべてを教えています。そのチャック牧師も、イスラエルを、その物理的な国民として受けとめていました。そして、反ユダヤ主義を非難していました。そして、スクール・オブ・ミニストリーの先生の一人に、当時、コスタメサの教会の副牧師の一人であったデービッド・ホーキングがいました。私が参加したイスラエルのツアーは、デービッド・ホーキングのものです。

 彼はすばらしい聖書教師です。神のみことばの確かさを強く信じており、油注がれたメッセージをします。そして、彼はユダヤ人です。彼のメッセージには、福音がユダヤ的なものであるという内容が数多く出てきます。私は、日本やアメリカという色眼鏡でとおした聖書しか見ていなかったのですが、それが取り払われた思いがしました。その彼の授業の一つに、2冊の本が教科書として紹介されました。 "Footstep of the Messiah(メシヤの足跡)"と"Israelology(イスラエル学)"であり、両方ともアーノルド・フルクンテンバウムというユダヤ人が書いています。(彼のミニストリーについてはこちらへ)前書は、黙示録を骨組みにして、終末について聖書全体から解き明かしています。後書は、組織神学におけるイスラエルの位置について検証した、千ページ以上にも及ぶ膨大な資料です。この2冊は、のめり込むようにして読みました。その間に、メシアニック・ジュー(ユダヤ人クリスチャン)の過越の食事にも参加したりして、聖書の中に生きる体験もしました。

 このようにして、私のイスラエルへの思いは深くなり、'97年に日本に戻ってからも、それは変わりませんでした。ただ、日本において開拓を始めたので、いつ行けるのか分からない状態でした。そんなある時、妻が、「デービッドのイスラエル旅行に、一人で良いから行ってらっしゃいよ。」と言ったのです。私は、自分一人だけは申し訳ないと感じましたが、妻は私のイスラエルへの熱い思いを知っており、そう言ってくれたのです。私は、妻の愛に支えられながら、デービッド・ホーキングが主催する、「99年イスラエル旅行」に参加することになったのです。右の写真は、イスラエルとエジプトの国境にて、シナイ半島を背景にして、デービッド(左から2番目)と奥さんのキャロルといっしょに写真に入ったものです。(かなりぼけています。^_^; 写真を見れば分かるように、彼は大きいです。体だけではなく、声も大きいです。)

 そして、私のイスラエル旅行は、デービッドのものの後に、カルバリーチャペル・エルサレムに一日訪問させていただいたことで終わります。この教会は、コスタメサからの宣教師によって始まったもので、主にロシアから来るユダヤ人移民に生活の援助を与えるミニストリーをしています。ウェブサイトで彼らの存在を知ったのですが、そのミニストリーや、現地の人々の話しを聞きたいという願いを持っていたので、伺わせていただきました。

 このツアーのテーマは、2つにしぼることができるでしょう。

1)神のみことば
 デービッドは、神のみことばに強い確信を持っています。そのメッセージは、決して聖書から離れることなく、一つの講解説教をするのに、何十もの他の聖書個所を引用します。そこで、聖書の舞台となっている場所に行くときには、ツアーガイドによる、その場所の説明のほかに、デービッドによる聖書からの勧めがありました。神のみことばによって、私たち自身が心を一新し、生ける神への供え物となるためです。

2)イスラエルの「土地」
 デービッドは、神がアブラハムに与えてくださった土地の約束を固く信じています。そのため、今ユダヤ人が、約束の土地を愛し、それを守るため戦っている様子を知ることも、ツアーのプログラムの中に含まれていました。また、ツアーの行き先が、東西南北、イスラエル全土を網羅するようなものになっていました。神のアブラハムへの約束を思い出します。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。・・・立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。(創世記13:14-15,17)

 そして、このツアーでは強調されていませんでしたが、私の心の中では、次のことをテーマとして抱いていました。

3)イスラエルの「人々」
 観光では把握するのは難しいのですが、そのためにカルバリーチャペル・エルサレムに行きました。聖書的な要所とイスラエルの土地に加えて、そこに住み、生きている人々に興味がありました。

 旅程は、次のようになりました。これからの旅行記では、この旅程にしたがって書かせていただきます。

4日 ベングリオン国際空港→テルアビブのホテル
5日 ヨッパ→カイザリヤ→テルアビブ大学にあるディアスポラ(離散)博物館→ホテル
6日 ホテル→アリエル→ショムロン(いずれも「西岸(West Bank)」と言われる所で、聖書的にはサマリヤの地域)→カルメル山→ツィッポリ(ナザレの北にある町)→(ナザレ)→テベリヤのホテル
7日 ディベリヤのホテル→ゴラン高原のガリラヤ湖を見下ろす展望台→(ここからゴラン高原)ガムラ→カツリン→ヨム・キプール戦争の舞台になったシリヤとの国境線→バニアス(ピリポ・カイザリヤ)→ホテル
8日 ホテル→Galilee Experience(メシアニック・ジューのお店)にて映画鑑賞→タブガ(ルカ5:1;マタイ14:13;ヨハネ21:1-14などの舞台)→(山上の垂訓の山)→カペナウム→エイン・ゲブから船にのり、テベリヤに向かう→ヨルダン川で洗礼式→ホテル
9日 ホテル→メギド→ベイシェアン(ギデオンの泉の近く)→エリコ→死海に面するホテル
10日 ホテル→エン・ゲディ→マサダ→エイラット(エラテ)のホテル
11日 エジプトとの国境沿いを少し北上→ホテルなどで自由行動
12日 ホテル→ティムナ(ヨシュア24:30)→スデ・ボケル(?)(ベングリオンの住んでいた家)→(ベエル・シェバ)→(ペリシテ人が住んでいた地域)→エラの谷→ベイト・シェメシュ→エルサレムのホテル→(ここからエルサレム)嘆きの壁の脇にあるトンネル
13日 オリーブ山→ゲッセマネ→ベツレヘム
14日 ダビデの墓→聖霊降臨の場所→神殿協会→嘆きの壁→モリヤ山→ヘロディウム
15日 シロ→ベテスダの池→ビア・ドローサ→聖墳墓教会→ホロコースト博物館
16日 ラザロの墓→第二神殿の模型→カヤパの家→カルバリーとイエスの墓の穴
17日 自由行動(私は、城壁の上を歩きました。)
他のグループとお別れ
18日 カルバリーチャペル・エルサレムへ 牧師の家に宿泊
19日 ヤッファ門の近くで買い物→ベングリオン空港

それでは、次回をお楽しみに!