反ユダヤ主義

聖書から見る反ユダヤ主義 2002/1/16
いわゆる「ユダヤ人陰謀説」について 2002/1/16
LCJEニュースから 2002/04/14
反ユダヤ主義の高まりに備える 2002/06/04

アシュケナジ・ジュー 2002/01/13

聖書から見る反ユダヤ主義 2002/1/16

 「反ユダヤ主義」とは、「ユダヤ人」という理由で、その人を侮蔑し、敵意を抱くことを言います。使徒の働き16章において、パウロとバルナバが、占いの霊にとりつかれている女からその霊を追い出したとき、その女を雇っていた者が、ふたりを長官たちの前に引き出し、「この者たちは、ユダヤ人でありまして、私たちの町をかき乱し・・・(20節)」と言っています。ユダヤ人であるということで受ける迫害があります。

 けれども、ユダヤ人について否定的なことを話すことがすべて、反ユダヤ主義ではありません。旧約においても、また新約聖書においても、ユダヤ人の預言者や使徒たち、また主イエスご自身が、彼らの問題や欠けたところを指摘しました。特に、クリスチャンにとっては、ユダヤ人の多くが、「律法の行ないによって義を求め、福音に対してかたくなにされている」(ローマ9章)ことを知っています。愛をもって真理を語るのであれば、彼らの過ちや罪を明らかにすることができるし、また、そうしなければいけないときがあるでしょう。けれども、それと、軽蔑や憎しみ、偏見によって彼らを否定的に語るのとは、まったく異なります。

 反ユダヤ主義について神ご自身が言及されている個所があります。神はアブラハムにこう言われました。

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。(創世12:3)

 アブラハムの子孫がユダヤ人ですが、彼らをのろう者はのろわれるという神の約束がありました。神がアブラハム、イサク、ヤコブに約束された、子孫の繁栄、土地の所有、また建国が実行に移されるときに、それを妨げようとする者たちは、自分が加えているのろいを自分が被ることになる、という約束です。

 この反ユダヤ主義が、大規模なかたちで行なわれたのは、イスラエルが民族として誕生するときからでした。出エジプト記1章にて、「イスラエル人は多産だったので、おびただしくふえ、すこぶる強くなり、その地は彼らで満ちた。(7節)」とあります。先祖への契約が働いています。その節のすぐ後に、「さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった。彼は民に行った。『見よ。イスラエルの民は、われわれよりも多く、また強い。さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くといけないから。(8−10節)』」とあります。このパロは、それからエジプト人を苦役に課し、けれども彼らを苦しめれば苦しめるほど、この民はますますふえ広がったので(→神の契約は、妨げられることはない現われです)、今度は、生まれてくる男の子を殺し、ナイル川に投げ入れるように命じました。

 このパロとエジプト軍が、自分たちが行なったことをそのまま受けました。水の中にイスラエルの子を投げ入れたように、彼らは、紅海の水の中でおぼれ死にました。のろう者が、のろわれたのです。神がアブラハムに言われたようになりました。

 この民族誕生時に出てきた異邦人の反応は、その後の歴史においても繰り返されてきました。

 第一に、ユダヤ人迫害は、脅威によって始まります。パロは、「われわれよりも多く、また強い。」と言っています。イスラエルに与えられた神の約束は、子孫がふえ、大いなる国になることですが、このことに異邦の民は脅威をおぼえます。自分たちが脅かされる、と思うのです。第二に、その脅威は、事実ではない妄想の中で正当化されます。パロは、「彼らが多くなり、いざ戦いというときに、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くといけないから。」と言いました。この懸念に、根拠はないのです。

 エジプトのパロが行なった、ユダヤ人に対して抱く脅威と、それに基づくユダヤ人迫害は、その後の歴史においてずっと続きました。例えば、ヨーロッパにおけるユダヤ人は、長いことキリスト教徒に蔑視されていました。そのため、だれもしたくない高利貸し業しか職業として残りました。けれども彼らはその職業の中で生き残りをかけ、ついに財がユダヤ人たち(と言っても一部)に集まるようになりました。そして、これが逆にユダヤ人が我々の資本を乗っ取ろうとしているという妄想を周囲の者たちが抱き、再び迫害の対象になります。また、彼らは、ゲットーに押し込められました。狭い敷地しかない彼らは、その建物を上に高く建てていくようになりました。ところが、その中でやはりユダヤ人たちは建築業を発達させるのです。そこでまたそれが脅威の対象になります。

 差別を受け、迫害を受け、虐殺を受けてきた彼らは、自国を持っていないゆえに、このようなことになっているのだ、と考えました。そこで、国際的に認められるユダヤ人の主権国を立てようと考えました。それがシオニズム、すなわち、シオンを慕い求める思いです。(ちなみに、彼らは政治的動機でシオニズムを提唱しましたが、聖書的には、ユダヤ人がパレスチナの地に帰還する預言の成就であり、イスラエル国が立てられる預言の成就になっています。)けれども、今度は、この動きが脅威の対象となりました。とくにアラブ諸国の中で、次々に移住してくるユダヤ人の存在が恐ろしくなり、彼らが拡張主義による侵略をしているという被害妄想となりました。そして、イスラエル建国前後から始まり今にまで続いている、イスラエル・パレスチナ紛争となっています。そして、アラブだけではなく、国連や国際世論も、シオニズムを糾弾、非難します。日本も例外ではありません。


日本キリスト教界の中にある、反ユダヤ主義

 日本におけるキリスト教界では、上の流れにあるいくつかの種類の反ユダヤ主義が混在したものとなっています。一つは、ヨーロッパなどで脅威として受け止められた、ユダヤ人乗っ取り、謀略説です。ユダヤ人が世界を牛耳るのではないか、という懸念を取り入れて、聖書預言と世界情勢を語るときの材料にします。

 もう一つは、アラブ諸国の被害意識、妄想に基づく、ユダヤ人侵略説です。日本が敗戦したときに、その思想は右翼から左翼に転向しました。左翼はもちろんソ連から来ているのですが、旧ソ連またロシアでは、歴史的にポグロムなどの反ユダヤ主義が根強く残っています。それとあわせて、ユダヤ人が反動勢力、パレスチナ人が被抑圧民という構図を作り出しています。戦後左翼は、あの赤軍派のロッド空港乱射事件に象徴されるような、日本の反ユダヤ主義を形成させました。「パレスチナ人がかわいそう、それを攻めるイスラエル軍は酷い!」というのがそれです。そして、キリスト教界が、とくに「人権保護・弱者救済」を好む人々の中でこの考えを受け入れています。

 そして、この二つがどちらも、「イエスを殺した」ということばを乱用して使ってきた、キリスト教会史全般にあった、キリスト教反ユダヤ主義を取り入れています。今は教会の時代であるから、イスラエルは関係ないこととし、そこでイスラエルに対して無関心であり、そこから無知と偏見に基づく論理を展開させます。


ユダヤ人に与えられた特殊な立場

 ユダヤ人は選びの民です。選びの民であるがゆえに、非常に特殊な所を通っています。それは、イエスさまが言われた、「多く与えられた者は、多く任される」という原則です。神から多くのものを任されていたのですが、それに応答しないと、それだけの責任を問われます。その問われ方が、とてつもない大きなものであり、それが彼らへの神のさばきとなって現われます。(申命28:37、1列王9:7、エレミヤ24:9)

 しかし、彼らは神に愛されています。それゆえ、さばきであってもそれは一時的なもので、彼らには輝かしい回復が約束されています。その回復のためには、まず彼らが悔い改めと信仰が与えられなければいけません。その悔い改めのために、神はいろいろなことを通して、彼らに関わられます。彼らの問題は、異邦人も同じように持っている「行ない」であります。神のいのちではなく、独立独歩で生きるというところにあります。尋常ではないほど敵に攻撃され、迫害を受けているのですから、彼らにとっての至上命題は「生き残り」です。いかに生きていくのか、全滅させられずにこの地上に残っているのかというのが、彼らの意識下、無意識下の中にあります。

 しかし、神は、彼らを愛するがゆえに、このかなくなさを砕かれるようにされます。救いは自分自身ではなく神ご自身から来ることを知らせるために、悪魔が受肉化された反キリストが世界の猛威を振ることを許されます。反キリストが彼らを根絶やしにしようとし(黙示録12章)、またそれに乗じて、世界の諸国がイスラエルに敵対します(ゼカリヤ12:3)。そのときに、これまで生き残りを至上命題としていたイスラエルが、その力も尽き果て、切実にメシヤを求めるのです。そこで初めて、イエスがメシヤであることを知り、悔い改めて、御霊が彼らのうえに注がれます(ゼカリヤ12:9−14:2)。


私たちの命題

 私たちに対する命題は、「イスラエルを祝福する」ことです。「あなたをのろうものは、のろわれる」という約束があります。このことを知っていたのは、あの遊女ラハブでした。「イスラエルには神がおられるから、エジプトも滅び、またヨルダン川東岸の民も彼らの手によって倒れた。私はこの神を恐れます。だから、あなたがたを助けたのです。」という立場を、イスラエル人のスパイに見せました。そして、彼女とその一家のみがエリコの中で生き残り、また祝福を受けました。この神が今も生きておられるのです。

 イスラエルは主から「ひとみ」のように守られています。「主は荒野で、獣のほえる荒地で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。(申命32:10)」「主の栄光が、あなたがたを略奪した国々に私を遣わして後、万軍の主はこう仰せられる。『あなたがたに触れる者は、わたしのひとみに触れる者だ。』(ゼカリヤ2:8)」名著「わたしの隠れ場」の著者コーリー・テン・ブームは、父親がナチのために涙を流しているのを見て、なぜ、あんな酷い殺人鬼に対してあわれみをかけることができるのか、と聞きました。父は言いました。「彼らを気の毒に思うよ。神のひとみに触れてしまったからだ。」

 ナチ党員であったクリスチャンが、創世記12章3節によって、「最終解決」を打ち出したナチ党から脱会し、アメリカに亡命したという話もあります。終わりの時になるにつれて、このような立場を取らざるを得ない機会が出てくることでしょう。

 ユダヤ人について、このような健全な神への恐れを抱く必要があります。心のどこかで、あのラハブのように、またテン・ブーム家のように、元ナチ党員のように、彼らは神の民であり、どこかで支えなければならない、助けなければならないという思いを抱いている必要があります。これは、クリスチャンが持つべき一つの倫理観です。

 私たちは、カルバリーチャペル・エルサレムに献金をしています。これは私が言い出して始めたことですが、金銭管理にうるさい私の妻も、そのことに反対しませんでした。後になって聞いてみると、こう答えました。「止めさせたら、呪われるとまでは思わないけれども、祝福が止まるような気がした。」聖書を読んでも、歴史を見ても、この原則は変わらないのです。


いわゆる「ユダヤ人陰謀説」について 2002/1/16

 この問題について、私はイスラエル旅行記の中ですこし言及させていただきました。それは、ユダヤ人のグループが世界支配を目論んでいて、この政治集団が実際の政治・経済を動かしているという論です。このことについての自分の意見ははっきりと持っていましたが、公には表していませんでした。しかし、日本のキリスト教において、この説が意外に一般化されている(あるいは、されそうになっている)様子を見て、それを受け入れることがいかに無益、いや有害であるかを伝えなければいけないと思いました。

 世間で語られているユダヤ人問題は、世界の問題であるかのようで、実は日本人独特のものである場合が実に多いです。「ユダヤ人陰謀説 − 日本の中の反ユダヤと親ユダヤ」(デービッド・グッドマン著 講談社)は、ユダヤ人の存在を知るようになってきた明治初期からの、日本人知識人によるユダヤ人論を、かなり徹底的に網羅しています。そのユダヤ人論の歴史的発展を描写して、現代ある「ユダヤ本」が、それら昔から蓄積されたユダヤ論に追随していることを論証しています。そしてこれはトンデモ本であるばかりでなく実に現実を帯びたものであり、オウム真理教が、そうした反ユダヤの本を引用させつつ、ユダヤ人残滅の第一歩として地下鉄サリン事件を起したことも文献を引用して明らかにしています。その中で、なぜユダヤ人がきわめて少ないこの日本で、ユダヤ本が売れるのか、その理由をデービッド・グッドマン氏は、こう説明しています。

 「ユダヤ人に対する日本人の態度は日本の文化に深く根ざしていて、形づくられてきたものである。ユダヤ人の存在を知る以前すでに、日本には外国人との関係のもちかたに一定の形ができあがっていた。それが日本人がやがてユダヤ人について想像するようになったとき、その中身を決定する基盤になっていた。

 歴史をとおして見ると、日本では外国人は畏怖の目で見られるか、あるいは反対に軽蔑の目で見られるか、いつもそのどちらかだった。

 つまりよそ者は、恩恵をほどこす神々と見なされることもあれば、脅威をもたらす悪鬼であることもある。このように相反する感情が共存してきたことには、とても大きな意味があるだろう。」

 つまり、彼らの外国人に対する意識構造、相反する感情が共存していることの現われであり、実在のユダヤ人について取り扱っていない、ということになります。ですから、オウム真理教のように、実際のユダヤ人への危害はありませんでしたが、けれども地下鉄におけるテロという実害はあるのです。昔は国粋主義者がこの陰謀説を信じて、国内外への激しい統制を行なっていました。

 ユダヤ人陰謀説を受け入れている人が頻繁に取り上げるのが、「マルコポーロ事件」です。これは、「(アウシュシュヴィッツ強制収容所の)ガス室はなかった」という記事を出した日本のマルコポーロ誌が、ユダヤ人団体の圧力によって廃刊されたとする事件です。これこそ、何か裏で動いているものがあるという疑惑です。しかし、その裏にはさらに裏があります。それは、ユダヤ人団体はその記事や、またその宣伝を載せた新聞社に対して取り消しの要求はしたが、ただそれだけだった。実は、マルコポーロ社で「お家騒動」があり、これを良い機会に止めてしまった、という、倒れかかっている出版社なら容易に考えられる普通の内部事情です。


失われた10部族?

 ここまでが前置きでしたが、この陰謀論を提示している人たちの大前提となっている、「失われた10部族」について論じたいと思います。これは、「アッシリヤ捕囚で捕え移されたイスラエル人たちは、歴史のどこかに消えてしまった。」という説です。この前提の下に論理を展開していきます。これがなぜユダヤ人陰謀論にまで発展するのかを、一つの例を仮定して紹介します。

 「現代のユダヤ人は、大きな問題がある。しかし、彼らの多くは白人系の「アシュケナジ・ユダヤ人」であり、彼らは、ユダヤ教への国家的改宗をしたカザール帝国の人々である。したがって、彼らは、聖書が語っているアブラハムの子孫、血縁的子孫ではない。また、彼らは聖書的ユダヤ人ではなく、昔、イエスとパウロが対決した、排他的選民思想に基づくユダヤ主義者である。こうしたアイデンティティーは、バビロン捕囚以後に形成された。イエスはそのことをご存知だったので、あのような激しい非難をされた。そうしたユダヤ教は、黙示録で「ユダヤ人だと自称しているが、実はそうではなく、かえってサタンの会衆である人たち」(2:9)と言われている。そして、失われた10部族の中には、日本民族がいる可能性がある。」

 こんな感じですが、これは、現代生きているユダヤ人を聖書歴史から切り離そうとしている試みをしていることがうかがえます。このことについて既に、中川健一著「ユダヤ入門」(ハーベストタイム出版)で取り上げており、そこに書いている要点は以下のとおりです。

1.アッシリヤ捕囚は、上層階級の人たちが捕え移されていたのであり、かなりの人はまだ北イスラエルに残っていた。
2.ヒゼキヤは、これら北イスラエルの人々を、過越しの祭りに呼んでいる。(2歴代30)
3.ヨシヤ王のときにも、その宗教改革にて北イスラエル出身の人が存在する。(2歴代34:9)
4.バビロン捕囚後、北イスラエル部族の人たちもともに帰還している。(エズラ6)
5.預言者ゼカリヤも、神殿再建において、「イスラエルの家」と呼びかけている。(ゼカリヤ8:13)

そして、私は新約聖書において、次の個所を見つけます。
6.新約においても、12部族はそのアイデンティティーが保たれていた。(ヤコブ1:1)
(また、次のサイトが、詳細に論じています。http://asiamessia.hoops.livedoor.com/lecture/losttribes.htm

 したがって、ユダヤ人は聖書が言う血縁的ユダヤ人として12部族が引き続きアイデンティティーをもっていたのであり、その後のバビロンからのエルサレム帰還、ローマによる世界離散、離散地における迫害、そしてパレスチナの地への帰還とイスラエル建国、という一連の聖書預言が、歴史的事実の中にその成就を確認できるということになります。もし、失われた10部族説を受け入れるならば、イエスが再臨されるときに、急に自分がユダヤ人であることを発見した人々が、約束のイスラエルの地に世界から集められるというシナリオになります。これは、聖書預言の中には出てこないシナリオです。預言書には数多く、イスラエル人がまず帰還し、その地に住み着き、そして大患難の中に入るというシナリオが書かれています。現代のユダヤ人が聖書的ユダヤ人でないとなれば、現代に起こっていることは、聖書預言とは無関係のものであるということになり、聖書預言の根底を崩すことになるでしょう。

 ユダヤ人陰謀説をはじめとし、陰謀論の誤ちはここにあります。聖書預言は、人に知られないようにして成就するのではなく、一般的歴史文書で確認できるような形で、これまで成就してきました。例えば、ダニエル書で預言された、ギリシヤ、ローマの台頭とその詳細は普通の歴史書の中で、その成就が確認されています。預言者アモスは、「まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。(3:7)」と言いましたが、預言者に示されないで神が画策しておられることはないのです。


クリスチャンが陥る過ち

 そして陰謀説を唱える人々は、何とかして聖書に出てくるアブラハムの子孫と、そうでない人を分けようとします。シオニズムに腹を立て、そして腹を立てているのでそれ以前のユダヤ離散史に疑義を挟みます。そして、なんとヒットラーが行なったことをユダヤ人側に問題を起因させ、ヒトラーを正当化する発言までします。昔、バビロンが同じことを行なっていたのに、その教訓から学んでいないようです。

 彼ら(イスラエルとユダの民)を見つける者はみな彼らを食らい、敵は、「私たちには罪がない。彼らが、正しい牧場である主、彼らの先祖の望みであった主に、罪を犯したためだ。」と言った。(エレミヤ50:7)

 彼らは主の御名を使って、ユダヤ人への迫害を正当化していたのです。確かにそうです、ユダヤ人に下った災いは神の裁きなのです。けれども、ユダヤ人に災いをもたらす行為を正当化することはなく、むしろその反対で、バビロンは神の永遠の裁きを受けることとなったのです。(その反面、イスラエルに対しては懲らしめた後、残りの者を立ち上がらせてくださいます。)

 パウロは、ユダヤ人から激しい迫害を受けてその裁きも宣告しました。「ユダヤ人は、主であられるイエスをも、預言者たちをも殺し、また私たちをも追い出し、神に喜ばれず、すべての人の敵となっています。彼らは、私たちが異邦人の救いのために語るのを妨げ、このようにして、いつも自分の罪を満たしています。しかし、御怒りは彼らの上に臨んで窮みに達しました。(1テサロニケ2:15-16)」しかしこの同胞の民のゆえに、自分が地獄に行っても構わないという呻きに近い愛を言い表しました(ローマ9:3)。そして、ユダヤ人が受けた神の裁きを見て、自分を高い所に置くであろう異邦人の信者に対して、次のように厳しい警告を行なっているのです。

 枝が折られたのは、私がつぎ合わされるためだ、とあなたは言うでしょう。そのとおりです。彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。高ぶらないで、かえって恐れなさい。もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。(ローマ11:19-22)

 「神の賜物と召命とは変わることはありません。(ローマ11:29)」とあります。ユダヤ人がなおも滅びず生き延びて、そして神の約束どおりのことが今起こっていることは、私たち異邦人に対する、キリストにある神の約束も有効であり、真実であることを証明します。創造論などよりも遥かにはっきりとした聖書の信憑性を裏づける証拠です。彼らが生きているのを見て、私たちは神を恐れ、ほめたたえ、自分の救いの確かさを確認すればよいのです。

 聖書信仰を持っているとされる者が、この証拠を壊そうと躍起になっているのを見て本当に驚き、また憂慮します。この説は、とどのつまり御言葉を否定することであり、神ご自身を否定するものです。


LCJEニュースから 2002/04/14

 以下は、JCJE(ローザンヌ・ユダヤ人伝道協議会)日本支部発行の、LCJEニュース2002年4月号に掲載された、日本支部事務局長である石黒イサク氏による記事です。(転載許可を取っています。)

反ユダヤ主義の動きに注意


(前書き省略)

根強い人気の反ユダヤ的文書

 あいかわらず私たちの国においても、反ユダヤ的な本や記事が出まわっています。残念なことに、聖書やイスラエルを知らない一般の人たちのあいだばかりではなく、クリスチャンたちのなかでもよく話題になったり、売れていたりするのです。2000年9月に起こったいわゆる「アル・アクサ・インティファーダ」からマスコミは一斉に、「イスラエルの国家テロ、かわいそうなパレスチナ住民」というような、パレスチナよりのニュース報道を頻繁に行っています。ですからほとんどの人たちが、何の疑問や嫌悪感を持たずに鵜呑みにしてしまっています。これはかなり深刻で、大変憂慮しなければならない事態です。


裏に潜むサタンの策略

 まず私たちが気をつけなければならないのは、「聖書を引用しているから大丈夫」と短絡的に、かつ安易に反ユダヤ的意見を受け入れてはなりません。置換神学(きよきよ注:教会が、イスラエルに置き換わった、とする立場)や反ユダヤ的なことを書いている人たちが、クリスチャン社会でも広く受け入れられてしまう危険がここにあるのです。

 つぎにU氏やI氏は「アシュケナジ―・ユダヤ人はハザール人説」などを、ユダヤ人が主張しているからと、力説していろいろな本を出版していますが、これは事実に反します。ユダヤ人でも無いのに、ユダヤ人として迫害されているのだとしたら、「私たちはユダヤ人では無いから迫害をしないでくれ」となぜ言わないのでしょうか?U氏やI氏は自らが反ユダヤ主義者と呼ばれることを嫌い、「自分は反ユダヤではなく、反シオニストだ」などと言っています。イスラエルに住んでいるユダヤ教徒、しかも正統派の中にも“ネツライ・カルタ”のように、反シオニストで現在のイスラエル国を認めないという人たちが存在しています。ユダヤ人の中にもいろいろな意見を持った人たちが存在していますので、いちいち全ての説を受け入れていたならば大変に混乱するだけです。

 反ユダヤ本には、ネタ本があります。U氏やI氏の主張は翻訳モノで、すでに欧米で一時代前に流行ったトンデモ本なのです。「ユダヤ人が世界の金を握って世界制覇を狙っている」、「ナチスのホロコーストは無かった」「シオンの議定書」などのよく用いられてきた反ユダヤ的意見とともに、近年「アシール説」と呼ばれるモノが時々出ています。「現在の中東問題の原因は、イスラエルが本来の土地であるアラビア半島の南西アシールではなく、パレスチナに建国したため」と言ってイスラエルを非難する意見なのです。これはアラブ人学者カマール・サリービーの『聖書アラビア起源説』から、「サウジアラビア南西の紅海岸のアシール地方で、聖書の地名が多く発見されたので、古代イスラエルはそこにあった。バビロン捕囚の後、イスラエルは砂漠化した元の土地を復興できず、現在のパレスチナに移住した。」という仮説を鵜呑みにしています。これは明らかに聖書の記述に反する否定論であり、イスラエルの歴史に対する攻撃です。サタンは神に反逆する霊ですから、何としても聖書の信憑性を攻撃し、イスラエルを抹殺するように活動しますし、人々をそのように誘導しています。


私たちの注意点

 聖書を神のみことばと信じているクリスチャンならば、まずイスラエルの存在と神のご計画を理解して、歴史を正しく認識し、反ユダヤ主義と決別して、教会で、社会で正しい情報を提供する責任があります。クリスチャンとして、低俗なユダヤジョークはもちろん避けるべきです。

 クリスチャンが行なう最悪の反ユダヤ的行為は、「ユダヤ人たちが彼等のメシアであるイエス様を信じないようにしてしまう」ことです。つまり福音を伝えないこと、福音宣教の妨害をすることによって、神様からの真の祝福である“魂の救い”を受けられないようにして、真の意味でアブラハムの子孫でなくしてしまうならば、なんとひどい事なのでしょうか?使徒パウロは繰り返しユダヤ人たち、彼の肉親でり、同胞である者たちから執拗な迫害・攻撃を受けましたが、「救いはイエス様以外にない」(使徒行伝4:10-12)という福音の真理は一歩も譲りませんでした。そして、彼らの救いを心より願い、「自分が彼らの身代わりになって、神様に捨てられても良いぐらいに、ユダヤ人たちを愛している」(ローマ書9:1-3)ことを表明しています。ユダヤ人であったパウロでさえ、それほど困難だったのですから、異邦人である私たちにとってユダヤ人伝道は、もちろん簡単なことではありません。マルチン・ルターは有能な神学者でり、はじめは熱心にユダヤ人に伝道しましたが、やがて彼らの心の硬くなさにサジを投げ、残念なことに後には反ユダヤ主義者になってしまいました。私たちはそうならないように、パウロと同じ心を持って彼らを愛し、彼らの救いのために祈り、執り成しをしようではありませんか。

兄弟よ、わが心の願い、神に対する祈りは、彼らの救われんことなり。』(ローマ書10:1)


反ユダヤ主義の高まりに備え 2002/6/4

 以下は、「つのぶえ」6月号の、中川健一氏による記事です。ドレフェス事件という、重要な歴史的事件について触れられています。(転載は許可済みです)

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 一見平穏になりつつあるかのように見える中東情勢であるが、イスラム過激派のテロ攻撃は、依然として続いている。5月19日にネタニヤの市場で起こった自爆テロは、イスラエルに大きな衝撃を与えた。このテロで、3名が死亡、50名以上が負傷した。犯人は国防軍の制服を着て犯行に及んだという。その後のイスラエル政府の報道では、このテロ活動は、エリコに拘束されているPFLP指導者のサアダドが獄中から指示を出して実行させた可能性が高いという。この事件からは、「和平交渉に移行することは許さない、あくまでも武力闘争を継続する。」というイスラム過激派の強い意思が読み取れる。

 イスラエルが毅然とした態度で自己防衛のための戦いを開始して以来、世界中に反ユダヤ主義の高まりが見られるようになってきた。反ユダヤ主義は、中世の時代で終わったのでも、ナチスドイツとともに死に絶えたのでもない。この悪意に満ちた考え方は、今も生き続けている。それどころか、新しい生命力をもって再生しつつあるのだ。今こそ、反ユダヤ主義の高まりに対する備えをすべき時である。


1.パリでの騒動

 先月号の本紙でも触れたが、ヨーロッパ諸国の中で特に問題なのはフランスである。フランスでは、ユダヤ人尾居住区に対する攻撃やユダヤ教の会堂に対する襲撃事件が頻繁に起こっている。(2000年10月以降、300件以上の件数に上っている。)フランスの反ユダヤ主義的風潮の背景には、イスラム教聖職者たちによる扇動活動がある。彼らは、イラン、サウジアラビア、リビアなどの支援を受けていると言われている。フランスでの反ユダヤ主義は、昨日今日始まったものではなく、その根は深い。ここで筆者は、あのドレフェス事件を思い出した。

 ドレフェス事件とは、19世紀末から20世紀はじめにかけ、フランス世論を二分したスパイ事件のことである。(この事件は、もちろん冤罪事件である。)

 この事件の発端は、1894年12月、軍法会議がアルフレッド・ドレフェス大尉(1859〜1935)を軍法機密漏洩罪で告発したことから始まる。パリ駐在ドイツ武官シュワルツコッペンが所持していた売り渡し機密の明細書の文字が、筆跡鑑定でドレフェスのものと判定されたのが、有罪の根拠であった。ドレフェス大尉はユダヤ人であるということが、フランス社会に衝撃を与えた。即座に、反ユダヤ主義の新聞は一大キャンペーンを展開し、事件は世に広く知られるところとなった。

 ドレフェス大尉の無罪を主張する人々も何人かは現われた。大尉の兄マチューは、ユダヤ人ジャーナリスト、ベルナール・ラザールの助力を得て救援活動を開始した。しかし、この活動は大した効果を上げることができなかった。また、軍の情報部長ピカール中佐も、真犯人は別にいると主張したが、逆に左遷されてしまった。

 当時のフランスには、相次ぐ疑獄事件で、現存する共和体制に不満を持つ人々が多くいた。国内の政治に不満を抱いていた人々(反ユダヤ主義者、愛国主義的右翼、軍部による対独復讐を主張する軍国主義者など)が、反ユダヤ主義を合言葉に「反ドレフェス」というはとのもとに結集し始めた。これは、あらゆる時代に見られる反ユダヤ主義運動の典型である。何か問題が起こると、それをユダヤ人の責任(スケープゴート)にするという傾向は、今も死に絶えてはいない。

 1899年1月、文豪ゾラは『われ糾弾す』と題した大統領あて公開書簡を『オロール』紙上に発表し、それがきっかけとなって、ドレフェス大尉の無罪が証明されていった。有罪の根拠となった文書を偽造したのは、アンリ大佐であった。彼はそのことを自白し、その直後に獄死をとげた。それでも、権威の失墜を恐れた軍上層部は、1899年8月末からレンヌで開かれた再審軍法会議で、再び有罪を宣告した。

 事態の進展を憂慮した大統領ルーベは、ドレフェス大尉に恩赦を与えることで、問題の解決を図った。大尉は一貫して無実を主張したが、それが認められ、彼が完全に復権するのは1906年になってからであった。

 この事件から学べる教訓とは、以下のようなものであろう。

(1)啓蒙運動の国、自由民権運動の先進国であるフランスで、このような事件が起きたこと自体、驚きである。ドレフェス事件は、フランス人(ヨーロッパ人)の心の中にいかに深く反ユダヤ主義の根がはびこっているかを証明した事件である。

(2)反ユダヤ主義は、反体制派の極右運動と容易に結びつくことが明らかになった。極右運動や民族主義運動の根底にあるのは、優越感であると同時に、恐れの感情である。ちょうど出エジプト記で、エジプトのパロがイスラエル人の存在を恐れたように、体制が不安定になるとユダヤ人を恐れる者が起きてくるようだ。これは、理性の問題というよりは、霊的な問題であろう。闇の力を支配する者(サタン)が、社会不安に乗じて、反ユダヤ主義の感情を煽るのである。

(3)ドレフェス事件は、オーストリアに住むユダヤ人青年テオドール・ヘルツェルに衝撃を与えた。それまでの彼は、ユダヤ人が異邦人社会に同化すれば反ユダヤ主義がなくなるだろうと考えていたが、この事件によって世界観の大転換を余儀なくされた。彼は、『ユダヤ人の国』という本を著し、ユダヤ民族の国を建設する必要性があるという論を展開した。彼こそが、近代シオニズム運動の父となるのである。

 現在起きている反ユダヤ主義的な動きは、決して歓迎すべきものではない。しかし、困難な状況の中で、また、絶望的な環境の中で、私たちはなおも希望を抱くことができる。神の敵が画策する一つ一つの反ユダヤ主義的行動が、結果として神の約束の成就につながるのである。


2.サンフランシスコでの騒動

 パリで起こったのと同じような騒動が、サンフランシスコでも起こっている。自由の国米国で、このような事件が起こったのは驚きであるが、これは反ユダヤ主義が世界的に蔓延しつつある証左でもある。

 事件は、5月7日にサンフランシスコ州立大学で起こった。この日、学内で企画された「中東和平のためのラリー」に、親イスラエル派の教授や学生たちが数百名集まった。その集会が終わり、約50名の学生たちが残って掃除をし、祈り会を開いているところに、多数の親パレスチナ派の人々が襲ってきた。彼らは口々に、「ロシアへ帰れ。さもなくば殺すぞ。ヒットラーは、仕事の最後まで達成しなかった。」などと叫びながら、ユダヤ人学生たちを罵倒した。余りの混乱ぶりに、学校当局は警察の助けを求めた。警官が駆けつけ、親イスラエル派の学生たちを保護したので、彼らはやっと安全にそこを立ち退くことができたという

 この事件の兆候は、すでにあった。もともとサンフランシスコのベイエリアと呼ばれる地域の大学は、反ユダヤ主義的傾向でよく知られている。(1月以降、全米の大学で起こった反ユダヤ主義的出来事は、100以上に上ると反名誉毀損同盟が報告している。)特に、サンフランシスコ州立大学では、かなり前からその傾向があった。学内には、反ユダヤ主義のポスターが貼られるようになっていた。そこには、「シオニズム運動は人種主義差別である」、「ユダヤ人はナチと同じである」という標語が書かれていた。また、スープの缶詰のイラストの下に、「アメリカの許可を得て、ユダヤ式儀式に基づいて料理された、パレスチナ人の子どもの肉」という説明がついたものもあった。これは、言論の自由ではなく、自由の濫用である。

 この事件から、私たちはどのような教訓を学べばいいのか。反ユダヤ主義は、最初は小さな動きから始まる。それが起こった時、沈黙していると、反ユダヤ主義は拡大していく。初期の段階で反対の声を上げることが非常に大切である。そういう意味では、サンフランシスコ州立大学の学長が、事件の1週間後にこの事件を糾弾する公式声明を同大学のホームページに掲載したのは、非常にすばらしいことである。

 反ユダヤ主義に抗議の声を上げた例としては、カリフォルニア大学バークレー校がある。この大学では、先月、学内の建物を占拠した親パレスチナ派の学生79人が逮捕されている。多くの大学が、このUCバークレー校の先例にならうように祈ろう。

 反ユダヤ主義の高まりの中で、絶えず意識しておくべきことは、反ユダヤ主義が最終的には神の否定につながるということである(下線はきよきよによる)。当事者が意識しているかどうかにかかわらず、これは事実である。ユダヤ人を抹殺しようとすることは、ユダヤ人を用いて人類救済計画を完成させようとする神の計画を否定することである。反ユダヤ主義の作者は、サタンそのものである。

(5月23日記)


アシュケナジー・ジュー 2003/01/14

 これまで主に聖書的見地から、ユダヤ人陰謀説に対する反論を掲載させていただいた。これは、聖書預言のシステムへの混乱をもたらすところにおいて、問題がある。また、霊的問題でもある。イスラエルに対する物理的な祝福は神が約束されたのであり、それを否定することは、「のろいものをのろう」という神の言葉があるからである。

 白人系ユダヤ人が、聖書的セム系ユダヤ人の末裔ではなく、カザール人というユダヤ教改宗者であるという説は、日本だけでなく、欧米にも存在する説である。(というか、日本では、欧米にあるそうした説が翻案されている、という状況だ。)Braen Call MinistryのDave Huntが、そのnewsletterの中で、この問題について取り扱っているので、英語の分かる方は、ご一読を勧める。

http://www.thebereancall.org/newsletters/jan03/qa.htm
(二番目のQuestionまで下がってください)

 もしこの説を認めるのであれば、ユダヤ人が受けてきた数々の迫害と虐殺、シオンの地への帰還と建国事業は、神の約束の成就ということではなくなる、ということになる。また、ユダヤ人が果たした、学問、教育、文化、政治経済における世界的貢献も、その多くが彼らが勝手に行なったものとなり、選ばれた民ゆえの神の祝福、という聖書的意味も失われる。セファラディ系ユダヤ人も、迫害を受け、イスラエルに移住したという反論があるだろうが、私たちが一般的に見る、ユダヤ人を通しての神の言葉の確かさは、その説を受け入れることによって半減するだろう。これはちょうど、進化論を受け入れることによって、聖書記述の神学的、科学的、歴史的根拠が大幅に失われるのと同じである。

 ユダヤ教改宗者も、聖書的ユダヤ人の中に入る、という意見も聞いたことがある。しかしこれも間違いだ。聖書を見ると、「ユダヤ人」の定義はあくまでも、「アブラハム・イサク・ヤコブの物理的子孫」であり、異邦人改宗者や、キリスト者はそれに含まれない。旧約聖書においては、ルツがイスラエル共同体の中にはいった女性として知られるが、彼女はイスラエルの神を信じ、イスラエル人の中に住む者となっても、「モアブの女(ルツ4:10)」と呼ばれており、ユダヤ人とは呼ばれていない。また、新約聖書では、ユダヤ教を信じる異邦人は「改宗者」と呼ばれており、ユダヤ人と区別されている(使徒2:11、13:43)。そして異邦人キリスト者は、一度も、「ユダヤ人」「イスラエル人」と呼ばれたことはない。

 そして、ユダヤ人たち自身が、上の聖書的ユダヤ人の定義を採用していないという反論があろう。確かにイスラエルの帰還法においては、現在のユダヤ人とは「ユダヤ人の母親から生まれた人、またはユダヤ教に改宗を認められた人」というものである。ユダヤ教改宗者は上の説明のとおり聖書的ユダヤ人ではないし、また聖書では、母親からではなく、父親がユダヤ人のときにユダヤ人とされる。異邦人ラハブとルツを先祖に持つダビデは、むろんユダヤ人であるし、そしてダビデの子イエス・キリストご自身が、人としてはユダヤ人である(ローマ9:5)。母がユダヤ人、父がギリシヤ人であったテモテは、パウロの宣教旅行に同伴するまで割礼を受けていなかった(使徒16:3)。したがって、父親がユダヤ人であれば子はユダヤ人であり、母親からではないことが分かる。しかし「血」の濃さについての論議は、聖書自体の中で厳に戒められている(1テモテ1:4)。

 ところで、そもそも、「アシュケナジー系ユダヤ人」とは何か?イスラエルやユダヤ人について、ユダヤ人陰謀説絡みで紹介されることが多く、実に残念なことだが、もともとこうした論議から離れて、普通に、平素にイスラエル、ユダヤのことを知れば良いと私は思う。日本の中で定評があるのは、「ミルトス」である。そこに、アシュケナジー・ユダヤ人とセファルディー・ユダヤ人についての説明が記載されているので、引用したい。

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アシュケナジーとスファラディー

 イスラエルに行きますと、よくアシュケナジーかスファラディーとかの区別があることを聞きます。これは、ユダヤ人が祖国から離散して世界中に住むようになって以来、その祖先の出身地別に分類したときの区別です。

 アシュケナジーとは「ドイツ」という意味の古いヘブライ語で、ドイツや東欧に住むユダヤ人の子孫を指します。彼らの祖先は、紀元一世紀にまでも遡ります。当時ローマ帝国の拡大と共にヨーロッパ辺境のライン川沿いまで移住していったことが知られています。ドイツやフランスにも居住区をつくりました。経済的には富み栄えたようです。

 アシュケナジーが歴史に登場してくるのは、中世以後です。キリスト教徒の迫害を受け、居住地を東欧・ロシアへと追放されたり各地に移動を余儀なくされましたが、逆にユダヤ人の独自性が保たれて、世界のユダヤ人の中でも優れた文化を発展させ、やがて近代に指導的地位を得ていきました。アメリカに渡ったユダヤ人の多くがアシュケナジーでした。また、イスラエル建国につながるシオニズム運動も、アシュケナジーが大きく担い推進させました。

 アシュケナジー・ユダヤ人は、イーディッシュ語という独特の言語を話しました。イーディッシュ語は中世ドイツ語とヘブライ語の混じり合ってできた言葉です。

 スファラディーとは「スペイン」を指す言葉です。イスラム文化が栄えた時代に、その支配地のユダヤ人も豊かな文化や経済の花を咲かせました。もちろん、イスラム教文明の中で世俗的にも大いに活躍しました。当時、地球上の最も進んだ文明がイスラム圏にあったのは、事実ですね。やがて、キリスト教徒にスペインが占領され、一四九二年、キリスト教への改宗を拒否したユダヤ人は追放されました。地中海沿岸に散らされ、そして衰退していくイスラム文化圏の中で一緒に歴史の陰に隠れてしまったのが、スペインのユダヤ人の子孫、スファラディーでした。彼らはイスラム教徒とは、比較的平和共存して暮らしていました。スファラディー・ユダヤ人は、スペイン語とヘブライ語の混成語であるラディーノ語をつかっていました。今はすたれています。

http://www.myrtos.co.jp/topics/juda/juda01.html#Q4から引用)
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 ちなみに、「アシュケナジー」という言葉は、日本語訳聖書では、「アシュケナズ」という名で登場する(創世10:3、1歴代1:6、エレミヤ51:27)。

 そして、アシュケナジーユダヤ人が、カザール人のユダヤ教改宗者ではないという根拠は、いくつもある。その一つは、上にリンク先を引用したしたデイブ・ハント(Dave Hunt)氏の回答にもあるが、遺伝学的にアシュケナジー・ユダヤ人は、イスラエル12部族の直系であることが証明されている。かつてユダヤ人の学者がカザール説を提唱したが、これはDNA鑑定が行なわれる以前のことであり、科学的根拠に限界があった。
参照ページ:http://www.forward.com/issues/2001/01.08.17/genetic2.html
(後記: 英語のウィキベディアにも説明があります。)

 そして歴史的根拠がある。上のミルトスのホームページからの引用でも触れられているが、ローマ帝国拡大時に、すでに紀元前1世紀に、ユダヤ人がドイツや東欧に住んでいたという歴史的事実がある。紀元8世紀以降のカザール帝国のはるか前に、アシュケナジー・ユダヤ人は存在していたのである。
参照ページ:http://www.myrtos.co.jp/topics/juda/juda01.html#Q5

 そして、文化的根拠からの反証もある。アシュケナジー・ユダヤ人の共同体の中には、カザール人から受け継がれた習慣がほとんどないことがある。離散の地における文化や習慣を、ディアスポラのユダヤ人は身に付けているが、例えば、中国系ユダヤ人であれば中国の習慣を、ブラジル系ユダヤ人であればブラジルやポルトガルの習慣を持っており、世界中から移住したユダヤ人の集まりであるイスラエル国は、さまざまな国際文化や習慣も垣間見ることができる。しかし、カザール系の名残がアシュケナジー・ユダヤ人の中に、ほとんど見ることができない。
参照ページ:http://www.faqs.org/faqs/judaism/FAQ/07-Jews-As-Nation/section-5.html

 参照ページにも書かれていることだが、歴史的事実はこうである。「西、中央ヨーロッパにてすでに、アシュケナジー・ユダヤ人共同体は存在しており、カザール帝国のユダヤ教改宗があったことは事実だが、その共同体に影響を与えることは少なかった。カザール帝国自体が、王や役人におけるユダヤ教改宗はあったが、一般民は主にイスラム教徒やキリスト教徒であった。東欧に移住したカザール人は、すでに移住していたアシュケナジー・ユダヤ人と結婚したことはあろうが、後者が前者を吸収し、その逆ではなかった。したがって、今日のアシュケナジー・ユダヤ人と呼ばれている人々は、聖書のイスラエル人子孫であると言うことができる。

 本当なら翻訳したいところだが、以下のサイトに、クリスチャンによるカザール説の説明が分かりやすく書かれている。これをもって、まとめとしたいと思う。

"Are the Jews really Israelites? Editor's Commentary"
http://www.discerningtoday.org/members/Digest/2001digest/mar/are_the_jews_really_israelites.htm

 最後に蛇足だが、カザール人とかアシュケナジーとかの論議は、聖書預言的には、ユダヤ人であるかどうかの議論と切り離して、「ゴメル」「ロシ」などの欧州系民族の動きとして見ていくと面白い。聖書教師チャック・ミスラーのサイト"Koinonia House"には、"Roots of War"という3回シリーズで、聖書に出てくる各民族の動きを辿っているエッセイを読むことができる。カザール人はパート3で登場する。



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