拉致問題について


真の謝罪とは? 2002/09/21

クリスチャンの祈り 2002/10/1
横田早紀江さん、自らの信仰を語る  2002/11/6

(拉致問題について、「韓国・朝鮮人について」のリンク集もどうぞ)


真の謝罪とは?

 日朝首脳会談によって、北朝鮮が日本人拉致を行なったことを認めたことについて、私も妻も、非常に大きな衝撃をもって、ニュースを追っています。工作員による拉致は、だいたい予測できたものですが、その予測がやはりその通りであったことを確認することも、大きなインパクトを私たちに与えています。

 こうした中で、昨日家に届いたリバイバル新聞の記事は、第一面に、横田めぐみさんの母親早紀江さんがクリスチャンであることを報道していました。ここで改めて思わされたのは、「やはり、クリスチャンであるからこそ、赦しというものを知っている。」ということでした。彼女はこう語っておられます。

「私たちが力をあわせて戦ってきたことが、大変なことを明るみに出した。これは日本にとっても、北朝鮮にとっても大事なことです。そのためにめぐみは犠牲になり、使命を果たしたのではないかと感じています。人はいずれ死んでいきます。めぐみは本当に濃厚な足跡を残していったと思います。」

 私も実際に、記者会見をテレビで見ましたが、早紀江さんのこの発言は、その他のやるせない思いを打ち明けた他のご家族の中でも、毅然とした何かを感じました。

 早紀江さんが言われたことの中で思い浮かんだキーワードは、「摂理」です。北朝鮮がひどいことをやった、という見方や、また娘がいなくなったという慟哭などから、一歩離れて、物事を複眼的に眺めることができるのは、「神が、どのような出来事も、ご自分の栄光のために、すべてを用いられて良いものに変えられる。」という信仰から来ています。

 私はヨセフのことを思い出しました。ヨセフに悪を計った兄たちを彼は心から赦すことができましたが、それは、次のような神の摂理への信仰があったからです。

あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのために計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしていくためでした。ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたがたや、あなたがたの子どもたちを養いましょう。(創世50:20)

 長崎旅行記の中で、「原爆」について取り扱いましたが、被爆したカトリック信者たちがなぜ、人間ならば当然沸き起こってくる、嗚咽と怨念の情を抱かずに、ただ平和の内にとどまることができるのは、永井隆博士いわく、「原爆は、神のお摂理。神の恵み。感謝。」という言葉にあるのです。

 赦しとは、ただやみくもに赦すことではなく、神の摂理の中ですべてのことが起こっているという信仰によって支えられていることが分かります。

 そしてもう一つ、リバイバル新聞の「後の雨」に、こう書いてありました。「今後の国交正常化交渉の結果、北朝鮮が国際政治の仲間入りを果たしたとしたら、それは福音伝達の大きなチャンス到来と言える。彼女たちの犠牲を無駄にしないためにも、私たち日本のキリスト者が果たすべき使命は大きい。」

 実は私たちが衝撃を受けている、そのもっとも大きな理由は、これでした。北朝鮮にいる兄弟姉妹たちが信仰の自由が回復されて、また、北朝鮮の人々に自由に福音を語ることができる日がやってくるように、という祈りをしていたからです。

 韓国また朝鮮に対して日本が過去に行なった蛮行に対して、謝罪運動が日本には存在します。キリスト教指導者の中にも、土下座をして謝り、また実際に北朝鮮に資金援助をした人もいると聞いています。けれども、誇るべきことではないですが、僕は一度も、韓国人また朝鮮人に、過去の日本の行ないについて、頭を下げたことがありません。「何か、どこか違う」と心の奥底で、ずっと思っていました。彼らに本当に謝ることは、ただ頭を下げることではない、金を渡すことでもない、と感じていました。

 今はっきりしています。それは、イエス・キリストの福音を知らせることが、最大の謝罪行為であり、愛をもたらすことではないのか、とうことです。

 北朝鮮ではないですが、リバイバル新聞の第二面には、石黒イサク氏による、現在のイスラエル・ユダヤ人の事情報告の記事があります。その中に、最大の反ユダヤ主義とは何か、ということで、彼は、「ユダヤ人に福音を知らせないことだ。」と言っています。ものすごく単純なことですが、実に的を得た指摘です。

 いつくしむ者は、いつくしみを受ける、と主は言われました。この地に、神のいつくしみをもたらす者として、悪には神の摂理に基づく赦しを、謝罪にはキリストの福音があると気づかされたこの頃です。


クリスチャンの祈り 2002/10/1

 続けて、拉致問題についてのエッセイを書きたいと思います。このニュースを追っていくごとに、単に政治レベルでの話だけではなく、霊的意味があることを見出してきました。

 一昨日、NHKニュースで拉致問題特集があり、横田めぐみさんのご両親が出演していました。そこでもっとも印象的だったのは、ニュースキャスターが、「なぜ、20年以上の月日が経ったと思いますか?」という質問に対して、「マスコミに責任があります。参議院でこのことが議論されていたときに、メディアのニュース報道はほとんどありませんでした。」とおっしゃられたことです。NHKというマスコミの場で、はっきりとマスコミ批判をしたご夫妻の姿勢に、私は感動しました。

 お二人を突き動かしているその力は、もちろん子を思う思いです。けれども、子を探すその過程の中で、彼らは、警察に、次に国会議員、外務省に対して声を上げ、マスコミに声を上げ、さらに現在、日本全体の世論に声を上げておられます。「毎日、拉致事件のニュースばかりだ。飽き飽きする。」という意見もちらほら聞こえ始めましたが、むしろ、他の国であれば、こうした湧き上がるような世論の波が政府を動かし、国の政治、また国際政治までも変えてしまうような運動が起こっているのです。いつも「現状維持」を求める日本は、逆に異常だと言わざるを得ません。今後考えられる理想的な動きは、日本の中で拉致家族の人々に共感した日本国民が、どんどん政府に訴えかけ、小泉首相をさらに動かし、そして北に決して妥協せず、交渉の切り口をさらに広げることでしょう。

 政治の話であれば、普通、右派と左派の双方のイデオロギーがぶつかり合い、結局流れるままに動いていくのがこれまででした。例えば、日の丸・君が代は、絶対反対を唱える左派の声があり、けれどもいったん法案が通過すると、だれも声を上げません。「のどを通過したら、もう我慢する。」というのが常です。しかし、今回の事件は違います。拉致問題は、右派を牽制する左派が、その存在自体を疑っていたのですが、一部与党も同じように消極的でした。そして今、右派が強く訴えているだけでなく、左派もこの問題の深刻さに気づき、共通の問題として理解していることです。昨日韓国人の牧師と話したら、「朝鮮総連の、三、四世代の若者たちが、反旗を翻して、これまで拉致はでっち上げとしてきたことを謝罪すべきだ、と要求したが、これは、彼らがこれまで北朝鮮を絶対支持して来たことを考えると、驚くべきことである。」と言っておられました。

 本当は、国が仕事をやらなければいけないことでした。20年以上も経っています。けれども、国が動かないのは、結局、「仕方がない」と諦める日本国民総体の問題です。そこで、横田さんご夫妻が、すべてに頼らず、ただ自分たちがしっかりと立ち、不動のものと考えられているものに、果敢に声を上げて来られました。そこで、その背後にある力が、クリスチャン新聞に報道されています。

北朝鮮拉致事件
なぜ人は平和に生きられない−−横田めぐみさん死亡報道の中で両親語る
http://csd-news.gospeljapan.com/d_base/news/news2002/0209290101.html

 この中で、先に私が書いた、早紀江さんの信仰的発言がさらにはっきりと書かれていました。「北朝鮮への憎しみはありません」「誰でもいつかは死にます。小さな者で、一粒ですが、そこから後世の平和のために役立つ、めぐみはそのような人生だったと受け止めます。そこから(平和について)多くのことを考えなければならない」「運動をするようになって、めぐみちゃんも親も、神様から使命が与えられているのだとの思いがだんだん強くなってきた」これは、神の摂理に基づく、赦しです。

 また、「救う会」の幹事である西岡氏も、クリスチャンであることが書かれています。

 さらに、毎月一度の祈り会が、いのちのことば社で持たれていることも、書かれています。

 この拉致事件に、これまでの政治運動とは少し異なる、霊のいのちを感じさせたのは、この信仰と祈りがあったからということが分かりました。クリスチャンの中にも、「朝鮮学校の生徒たちが嫌がらせを受けている」また、「日本も過去に、強制労働という拉致を行なった。」という人がいますが、もちろんこれらのことは愚かな行為で、恥ずべきことですが、今回の場合は焦点ではありません。私たちは過去に、人を偶像視したカルト国家の中にいたのですが、今は、あの国がそうなっているのです。彼らの解放は、在日朝鮮・韓国人と私たち日本人の共通課題です。


(リバイバル新聞記事 転載許可を得ています。)

「すべてが神の御心の中で」

    横田早紀江さん、自らの信仰を語る
   めぐみさん「キリストって信じられる気がする」


  「お母さん、キリストって信じられる?」。1997年夏の夕暮れ時、取り込んだ洗濯物を畳む早紀江さんのところにヨーヨーをしながら現れためぐみさん(当時中学一年生)は、楽しそうにそう聞いた。「お母さんの実家は仏さまだけど、神さまはいると思うよ」と早紀江さんが答えると、めぐみさんはニコニコしながら「私、なんとなくキリストって信じられる気がする」と答えたという。隣に住んでいた一年先輩の女子中学生が聖書の学びを始めており、イエス・キリストについて聞いていたようだ。

 めぐみさんが北朝鮮の工作員によって拉致されたのは、その年の11月15日、下校途中の出来事だった。当時の警察は、誘拐、暴行、自動車事故、家出など様々な要因を想定して捜索を続けたが、目撃情報も遺留品も何一つ得られなかった。早紀江さんは当時を振り返り、「とにかく何も分からない状況ですから、ああでもない、こうでもないと悩んで、毎日泣いていました。たとえて言えば、自分の背中を中華包丁でスパーッと切り取られたような、寒いような痛いような、なんとも言えない感覚でした」と語る。

 そんな早紀江さんのもとを、めぐみさんと同学年の生徒の母親が訪れた。クリスチャンのその婦人は、早紀江さんに聖書を手渡し、「ヨブ記を読んでみて」と勧めた。さらに、別の母親からは家庭集会に来るように勧められ、98年4月、マク・ダニエル宣教師が開いていた家庭集会に出席するようになった。ヨブ記を読んだ早紀江さんは、人間の視野の小ささと神の摂理の大きさに気づいた。また、どんな状況になっても落ち着きを失わずに生きる道があることを知った。

 84年に洗礼を受けてからは、心の深い部分に平安が訪れ、物事に動じなくなったという。神の絶対的な主権を信じ、「すべてが神の御心の中で進んでいる」と受けとめた。「神さま、私はこう思うのですが、違うんでしょうか。あなたはどうなさろうとしておられるんでしょうか」と問いかけながら日々歩んでいる。

 また、早紀江さんが報道陣に対して「めぐみは絶対に生きていると信じています」と語る言葉は、「私たちの願うことを神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。」(第一ヨハネ五・15)の御言葉に裏付けられている。

 一方、父親の滋さんは「神は人間の頭の中で作ったもの。祈ったから見つかるということはあり得ない。もしめぐみが死んだのなら、神が死ぬことを望んだのではないか、ということになる。今は金正日を憎んでいますので、それが心の支えになっています」と語り、人間の努力を強調する。

 めぐみさんの娘とされる「キム・ヘギョン」(15)に関して、9日現在、DNA鑑定が続けられている。早紀江さんは「ちょうどめぐみが拉致された年頃ですから、ホロッとしちゃうんですね。主人の親戚によく似ているんですよ」と期待と不安の入り交じった表情を見せる。滋さんは「季節にたとえると、めぐみがいなくなったときは冬です。北朝鮮にいることが分かったとき(97年)が春ですね。そして今は、秋になっています。私には男の子の孫が三人いますが、ここに女の子が加えられたとしたら、一つの実りとも言えるわけです。でも、それが偽りでめぐみも死んでいるとなれば、また冬に戻りますが」と語り、期待感をにじませる。

 今後の活動について早紀江さんは「私が生きている間は、めぐみを助けるために最大限の努力を払います。そして結果は、神さまに委ねています。日本も、北朝鮮も、陶器師の手の中にある器のように、神さまの手の中でより良く変わっていかなければならないと思います」と語る。



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