2001年12月26日 アラファトの二つの顔
2001年12月13日 連続爆破テロ/アラファトの決断


イスラエルからのニュース
2001年12月26日


 日本では、賑やかなクリスマスの飾り付け、また、クリスマスの音楽を耳にしておられることと思います。イスラエルでは、また、違った意味での賑やかさがありました。それは、アラファト議長が、ベツレヘムに行くことをとどめられ、そのことを通して、世界中の非難が、イスラエルに寄せられたことです。ラマラからベツレヘムに行くには、イスラエルの地域を通過していかなければなりません。そのため、アラファト議長は、その通過の承認をイスラエル政府に求めていました。先頃、ゼエブ観光相が、パレスティナ解放人民戦線のテロリストの手によって、暗殺されるという痛ましい事件が起こりました。その首謀者たちは、なおラマラに暗躍しています。イスラエル側は、彼らの逮捕をアラファト議長に求め続けていますが、一向に動く気配がありません。今回のクリスマスの祝賀にも、ゼエブ観光相を暗殺した首謀者たちを逮捕することを条件に、イスラエル政府は、ベツレヘムに行くことを承認しました。しかし、アラファト議長は、あくまでも、ゼエブ観光相の暗殺の首謀者の逮捕を手がけることをしませんでした。

 そして、彼のスピーチが、ラマラから、予め録画された映像でパレスティナ放送を通して流されました。『悲しみに満ちた心を持って...』、『イスラエルの戦車、バリケード、そして、圧迫者のライフルが、あなた方と共に祝う、この祝福された、神聖なる我らの祝賀を妨げた。』、『イエス・キリストの誕生を祝う祝賀に参加する、私の権利を剥奪するという犯罪は...恒久的平和の道を追い求める、私の決断、また、私の民の決断に、なんら影響を与えることはできない。』 

 彼は、常に世界のメディアに向けて、自分が、平和を追い求めている者であるという、アピールをします。

 12月16日にテレビを通して、アラファト議長は、テロ活動の停止について宣告をしました。それは、相次ぐテロ活動により、多くの死傷者を出し、世界からテロ活動停止への大きな圧力が、かかっていたためです。彼は宣告します。『今日、私は、すべての軍事行為、特に、自爆攻撃をすぐに、また、完全に停止するように呼びかける。』、『我々は、すべての計画者と実行者を罰するであろう。そして、我々は、違反者たちを追跡し、捕らえるであろう。』、『この複雑な衝突の中で...我々は、如何なる者にも、(我々の)リーダー・シップと決断を揺るがさせてはならないのである。』

 この宣言がなされた数日後、彼は、東エルサレムから来た人々の前で、演説をしました。それは、先の宣言とは、まったく反対のことを言っています。

『私は、あなたがたに告げる。我々は、今、歴史的な場面にいるということを。あなたがたは、最も重要な祈り、また、キリストの生まれた第三の聖地を守っているのである。あなたがたの堅固さは、単に、パレスティナのためだけではなく、また、アラブの国々のためだけでもなく、すべての国々のクリスチャン、また、イスラム教徒にとって大切なのである。』

『好むと好まざるに関わらず、(One of our flowers and one of our cubs) 一人のパレスティナの少年、あるいは、少女が(下線部意訳)、アラーの御心である、エルサレムの壁の上で、その中にある教会で、また、モスクで、パレスティナの旗を振るであろう。それを好まない者は、死海の水を飲めばよい。』 

『我々は、子供、花、男性、女性、老人、若者の側に立っている。我々すべては、キリスト教とイスラム教の聖なる場所を救い出すのである。我々は、それらを守り、それらを強めるのである。なぜなら、この前線に、裁きの日まで生きるのは、我々の宿命であるからだ。これらの中の一人の殉教者は、他のところにおける殉教者の70人に匹敵するほどに価値がある。なぜなら、我々はこの聖地にいるからだ。』

『我々は、この祝福された地のために、この祝福された地のために戦う。これが、我々のメッセージである。(第一回シオニズム会議が開かれてから)104年後であることは、偶然ではない。そして、すべての陰謀、また、すべての流された血にもかかわらず、この国(パレスティナ)は、その頭を、その旗を上げ続けるであろう。アラーの御心である。アラーの御心である。(One of our flowers and one of our cubs 我らの一人の少女と、我らの一人の少年が、(下線部意訳)エルサレムの壁の上に、モスクの上に、教会の上に(我々の)旗を振るであろう。』

 このような発言は、明らかに、パレスティナ市民を流血へと駆り立てるものであり、先の宣言とは、明確に相反するものです。

 彼が、クリスマスのミサに出席することにより、キリスト教に対して、何らかの理解があるかのように見えますが、彼は、宗教を政治の道具として用いているに過ぎません。

 ベイト・ジャラは、アラブ・クリスチャンの多く住む村で、ベツレヘムの北方に位置し、エルサレムの南端のユダヤ人の町、ギロと谷を挟んで対峙しているところにあります。PLOは、アラファト直轄のタンジームに命じて、このベイト・ジャラを占拠させ、ここから谷向いのユダヤ人の町、ギロに銃撃を繰り返しました。市民の安全を守るために、イスラエル軍は、それに応戦し、アラブ・クリスチャンの村、ベイト・ジャラは、戦渦に巻き込まれることになりました。これは、イスラエルが、アラブ・クリスチャンに対して、ひどい危害を加えているという印象をキリスト教国、また、キリスト教社会に与えるためでした。アラブ・クリスチャンの村は、このような宣伝効果を狙って、利用されたのです。
 
 また、PLOの支配の下で、イエス・キリストを信じる信仰のゆえに、投獄され、拷問にかけられているアラブ・クリスチャンが、いるということも事実なのです。
 
 また、ナザレでは、以前からイスラム教徒の人たちは、受胎告知教会の前の広場に、モスクを建てることを要求し、それに反対するクリスチャンのグループをよそに、正しい法的な処置を経ないで、彼らは、基礎を掘り始めているということです。

 はたして、アラファト議長のどちらの顔を信じればよいのでしょうか。


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イスラエル・ニュース
2001年12月13日

 九月より三ヶ月あまり、旅行のため、イスラエルを留守にしていました。三ヶ月ぶりに、イスラエルに戻って、早々、エルサレム、また、ハイファで連続自爆テロ事件が起こり、26名の死者と、多数の負傷者を出すという、陰惨な事件が起こりました。その後も、銃撃事件や自爆テロ、また、迫撃砲や手榴弾によるテロ攻撃は後を絶ちません。また、昨日も、凄惨なテロ事件が起こりました。

 サマリヤにある、ユダヤ人居住区に向かうバスが、テロ攻撃に遭い、10人の死者と26人の負傷者を出しました。

 12月12日、午後6時、サマリヤにある、ユダヤ人居住区、インマヌエルに向かうバスが、上り坂の途上で、道路の脇に仕掛けられた、二つの爆弾が炸裂。その爆破により、乗客の証言によると、後部の窓ガラスが、粉々に砕けたということです。その後、少なくとも三人のテロリストが、機関銃でそのバスをめがけて乱射し、さらに、手榴弾をも使って襲いました。防弾装備が施されている救急車が、その犠牲者たちを救い、病院に運ぶために来ましたが、テロリストたちは、その救急車に対しても、銃撃を続けました。

 このテロ攻撃によって、10人が殺され、26人の負傷者が出ましたが、その内、6人は生命が危険な状態にあり、さらに、10人が重傷を負いました。
 
 毎日のように、繰り返えされるテロ攻撃のなかで、アラファト議長の指導力に、疑問が投げかけられています。テロとの対決を約束していながら、テロリストたちの逮捕といっても、名ばかりで、イスラエル側が提示している、テログループの主だった人物については、ほとんど、手がつけられていません。今回のこのバス襲撃事件の首謀者も、イスラエル側から提出されていた、テログループの主だった人物の中の者であることが判明しています。

 アラファト議長の言葉と実際とが、一致していないということは、何を示しているのでしょう。二つの可能性が考えられます。一つは、彼は、メディアを通して言っていることと、彼の本心とは異なり、彼は、あくまでもテロリストの首長であり、今のテロによる無差別殺人を指導、あるいは、黙認しているということになります。また、もうひとつの可能性は、彼の指導力が低下し、テログループを、もはや、抑える力がないということです。それは、彼直属のテログループ、ファタハやタンジームについても、彼の影響力が失われているということになります。なぜなら、イスラエルで起こっているテロ活動は、単に、ハマスやジハッドといったテログループのみによって行われているのではなく、ファタハやタンジームといった、アラファト直属のテログループによっても、多くのテロ活動がなされているからです。

 しかし、このいずれの可能性を取ってみても、アラファト議長は、もはや、和平交渉の相手として、ふさわしくないということを示しています。 

 イスラエルでは、市民生活が極度に脅かされています。想像してみて下さい、道を歩いていて、車が止められていますが、いつ、どの車が、爆破されるかわからない、また、買い物などをしていて、いつ、どこで、爆破事件に巻き込まれるかわからない、さらに、バスに乗っていて、テロリストがユダヤ人に変装して、乗ってきて、いつ、自爆テロを起こすか知れないというのは、本当に恐ろしいことです。また、特に、パレスティナとの境界線辺りを、車やバスで走るときに、いつ、銃撃に遭うかもしれないというのは恐怖です。
 これが、今のイスラエルの現状なのです。ですから、イスラエル政府は、市民の安全を守る責任があり、そのために、できるだけ効果的な方法を用いて、テロを防ぎ、また、そのようなテログループに、対処していかなければならないのです。
 テロは単に、イスラエル、あるいは、アメリカの敵であるだけではなく、世界共通の敵であるはずです。


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