2001年5月27日 エルサレム市街におけるテロ



イスラエル・ニュース
"ファクト"

2001年5月27日


 昨晩、夜中の12時頃、突然大きな爆音が響きました。その後、救急車などがサイレンを鳴らしながら急いで現場に急行する音が続きました。急いでニュースを聞こうと、ラジオまたテレビをつけました。およそ10分後、そのニュースが報道されましたが、それによると、その爆音は車に仕掛けられていた爆弾によるテロで、幸い怪我人がなくすみました。その現場は私たちが住んでいるところから歩いて10分ぐらいのところです。

 また、今朝ヘブル語の聖書を開いて読んでいる時に、再び爆音の大音響が響きました。それは昨晩の爆弾によるテロ攻撃があったすぐ近くで再び起こった爆弾テロでした。今回も幸い、人命に関わる大事にいたらずに済みました。

 しかし、それは本当に奇跡でした。その爆弾テロのあったところはエルサレムの中心街で、近くには中央郵便局や市役所、また、ショッピングセンター、レストランなどがあり、人通りの多いところです。そこには、大人も子どもも、また老人も歩いています。それにユダヤ人だけではなく、旅行者が少なくなったとはいえ、もちろん多くの外国人(旅行者、学生、ビジネスマンなど)もそこを行き来しています。もちろん私たちもしばしばそのあたりを歩きます。

 驚くべき事実は、このような無差別殺人という人道を逸した行為を容認している、あるいは扇動しているアラファトが世界からほとんど非難を受けることがないということです。

 5月22日にイスラエル側はミッチェル・レポートを受け入れ停戦宣言をしました。しかし、それに対するPLOの反応は否定的で、それは言葉だけではなく行動としても表されています。イスラエル側の停戦宣言があった同日、ベッジャラ(アラファト直轄のテログループ、タンジームが占拠している村)から激しい銃撃がギロ(エルサレムの南に位置する住宅街)に向けてなされました。この銃撃で64歳の老人が片目を失い、また、その地域に住んでいる一人の外国人労働者も胸に銃弾の破片を受け病院に運ばれました。それから3日後の5月25日にイスラエル北部のハデラという町で爆弾テロがありました。大量の爆弾を積んだ車でテロリストは一般のバスに近づき、自爆しました。このテロ攻撃によって、10歳の子ども、また7ヶ月の赤ん坊を含む27名の市民が怪我を負いました。そして、先に記しましたように、昨晩(26日)、そして今朝(27日)と相次いで爆弾テロがありました。この事ははっきりとパレスチニアン側にはイスラエルとの平和を求める意志がないことを示しています。彼らはさまざまな理由をつけて自分たちの暴力を正当化しようとしていますが、自分たちの要求を押し通すために暴力に訴えるという行為は世界のどこにおいても許されるべきことではありません。

 ここ数日のアラファトのアラブの世界に対する言葉です。

「イスラエルはチョコレートやキャンディーに毒を混ぜてパレスティニアンの子供たちに撒いている。」
「イスラエルは放射性物質を使っている。」
「エルサレムにパレスティニアンの旗を掲げるまではインティファーダーを続ける。しかし、私は平和を求めている。」


 彼はこのような嘘やちぐはぐな宣言を平気で口にしているのです。どうして、このような人物が世界で受け入れられているのか、本当に驚くべきことだと思います。

−比較−
 ラマラでのパレスティニアンによるリンチ殺害事件はまだまだ記憶に生々しく残っていますが、5月9日の朝にも恐るべきリンチ殺人がありました。2人の14歳の少年が複数のパレスティニア人によって惨殺されました。彼らの頭は形を成さないほどに石で潰され、彼らの体も石で打ちたたかれるとともに、鋭利な石の部分あるいはナイフで全身が切り刻まれていました。また先日も消息不明となっていたユダヤ人男性が惨殺死体として発見されました。

 パレスティニアン側では多くの死傷者が出ています。しかし、一度として、このようなリンチ殺害というようなことはありません。それは、攻撃を仕掛けてくる相手に対する防備のための反応です。その中でときに、子供たちが巻き添えになるということもありました。

 パレスティニアン側は、死傷者数を前面に押し出して、イスラエル側を否とし、世界に同情を求めています。しかし、そこには私たちが見つめなければならない隠された事実があるのです。それは、パレスティニアン側が繰り返し行っている銃撃事件は一般市民に向かって無差別になされていることであり、爆弾テロもそうです。また、リンチ殺害にしてもすべて彼らは故意に行っていることです。しかし、イスラエル側はあくまでもあいての攻撃に対する応答としてなされているものであり、一般市民を殺傷することを目的としていません。

 エルサレムの市内を私が歩く時によくパレスティニアンの人たちが徒歩であるいは車ですれ違います。また、スーパーマーケットでもよくベールをかぶったパレスティニアンの女性や家族連れを見かけます。彼らは何の身の危険も感じることなくイスラエル側の市内を往来することが出来るのです。しかし、ユダヤ人がもし、パレスティニアン側の領域に入るならば、たちまち身の危険にさらされます。というより、ユダヤ人がパレスティニアンの領域に入ることは安全のためにイスラエル政府によって禁止されているのですが。

 この事実ははっきりとどちらの側に悪意と憎悪があるのかが現れていると思います。うわべだけの数や、状況によってだまされるのではなく、うちに秘められている意図や動機といったものにも目を留める必要があるのではないでしょうか。

 時にイスラエルでもいくつかの記念日で、花火を打ち上げます。つい最近もエルサレム記念日で花火が打ち上げられましたが、その花火の音を聞いた時にまず、私たちが思ったことは、爆弾テロではないかということがまず頭に来ました。そして、救急車などのサイレンの音がないかどうか耳を澄ませます。そして、“パンパーン”という音が数度続きますので、もしかすると花火ではないかと窓から外を覗きました。そして、きれいな花火が夜空に広がっているのを見てほっとしました。

三宅弘之

(情報源:エルサレム・ポスト、ICEJ、イスラエル・テレビ、IBAニュース、雑誌イスラエル・ツデイ)


最新号に戻る

きよきよの部屋に戻る
HOME