2001年7月19日 停戦同意後のパレスチナ人によるテロ



イスラエル・ニュース
2001年7月19日


 停戦宣言がなされてからのこちらの動向についてお知らせします。
 特に大きな事がない限り、こちらのニュースはあまり取り上げられていないようですが、毎日のように銃撃、迫撃砲、あるいは爆弾テロといったようなテロ活動が続いています。それらのことについて日を追ってお知らせさせていただきたいと思います。
 
  テネットCIA長官の仲介を介してイスラエル、パレスチナ両サイドの停戦同意が6月13日になされました。この停戦同意によって状況が沈静化することが期待されましたが、今回もその期待は裏切られました。
 翌日の6月14日、パレスチナ人のテロリストの車が道をふさぎ、後方から来ていたユダヤ人の車を停止し、発砲し、一人が死亡、もう一人が喉とあごを撃たれ重傷を負いました。これは計画的犯行で、停戦合意がなされてからわずか20時間後の出来事です。
 
6月18日、サマリア在住の38歳のユダヤ人男性、ドロン・チッサーマンがパレスチナ人によって喉を撃たれ死亡しました。そして、他の場所でも銃撃を受け一人が死亡、一人が怪我を負いました。
 




6月20日、以前にも何度か爆弾テロ事件があったハデラで再び、爆弾テロがありました。しかし奇跡的に死傷者はありませんでした。
 また、サマリアで一人のユダヤ人男性、五人の子どもの父親であるイルヤ・クロビッツ(62歳)、が銃撃を受け死亡しました。




6月24日、パレスチナ・テログループ“ファタハ”の重要メンバーの一人で先のサマリアの銃撃殺人の責任者であった、オサマ・ジャマブリ(29歳)がイスラエル側が電話ボックスに仕掛けた爆弾によって殺害されました。
 同日、ガザ地区で二人のイスラエル兵士が自爆テロに遇い死亡しました。両名の年齢と氏名はアヴィブ・イツハク(19歳)そして、オフィル・キット(19歳)です。

6月26日、ユダヤとガザ地区でパレスチナ側からの激しい銃撃があり、イスラエル側もそれに応戦し、数名の負傷者が出ました。

6月28日、またもサマリア地区で車を運転中のユダヤ人女性、エカテリーナ・ワイントラウブ(24歳)がパレスチナの銃撃者の手によって殺されました。彼女の赤ん坊と同乗していたもう一人の女性は無事でした。その銃撃者は停車していた車から突然銃撃し、速やかにパレスチナ自治区に逃走しました。

 7月2日、一人のイスラエル市民が1967年以前のグリーンラインの内において銃撃され殺されるという事件が起こりました。
 7月3日、ユダヤ人の羊飼い、ヤイル・ハル・シナイが羊の群れを伴って野にいる時、背後から近距離で頭を打たれ死亡しているのが発見されました。彼は九人の子どもの父親で背後にその九人の子どもが残されました。
 また、イスラエル人の町、イェフードでパレスチナ人のテロリストにより二台の車に爆弾が仕掛けられ、そのうちの一つは幼稚園の駐車場に置かれ、爆破されました。その爆弾はそれぞれ10キロの爆薬を積んでおり、更にたくさんの釘が仕込まれていました。それによってより多くの被害者を出す効果を狙ったものです。しかし、幸い怪我人はありませんでした。でも、その幼稚園にいた十人あまりの幼児たちはショックのため病院で治療を受けています。
 



 7月9日、ヘブロンでワイヤーコントロールによる爆弾が道に仕掛けられ、その爆弾により、一人のイスラエル兵士、シャイ・シャローム・コーヘン(22歳)が殺され、もう一人が怪我を負いました。
 
 


 7月12日、一歳の赤ん坊を伴った若いカップルがサマリアにあるユダヤ人集落に向かう道で車を運転中に銃撃を受け、その父親は重傷を負い、母子は共に軽傷を負いました。
 イスラエル人の町アフラで自爆テロが事前に食い止められました。イスラエル警察官がバッグをさげた一人の不信な男性を取り押さえ、そのバッグをその男性の手から取り上げ、中を調べたところ、たくさんの釘が詰め込まれている爆弾が見つかりました。
 同日、イスラエル側は戦車砲によって、ナブルスにある二個所のパレスチナ警察の詰め所などを砲撃しました。(それらの攻撃目標はパレスチナ人によって銃撃などのために用いられている場所であるためです。)その砲撃により、一人のパレスチナ警察官が死亡しました。
 7月14日、一人のイスラエル人男性、ダビデ・コーヘン(28歳)がヘブロンの郊外で銃撃に遇い殺されました。
 7月15日、二人のイスラエル人男性が再びヘブロンで銃撃に遇い殺されました。
 7月16日、今、エルサレムではユダヤ人オリンピック(マカビー・オリンピックと呼ばれている。)が開催されており、この会場をめがけて送られた二人の爆弾テロリストがこの会場に着く以前、会場の近くで誤って自爆し、その二人のテロリストは死亡しましたが、イスラエル側は大きな被害を免れました。
 同日、ビンヤミナというイスラエルの海岸地区にある町で爆弾テロがあり、二人が死亡、十人が重軽傷を負いました。
 7月17日、イスラエル空軍はヘリコプターを使って、ミサイル攻撃をし、ベツレヘムでテロリスト・グループ、ハマスのメンバー四人を殺害しました。そして、その4人のほか十数人の怪我人がパレスチナ側に出ました。
 7月18日、エルサレムの南部にあるギロというイスラエル人の町に谷を挟んで向かいにあるベイト・ジャラというパレスチナ人の村から迫撃砲が打ち込まれました。その迫撃砲による負傷者は幸いありませんでした。

 これが昨日までの停戦合意がなされた後の経過です。この経過を見る時にパレスチナ側からの度重なるテロ攻撃と挑発が続き、イスラエル側の制裁処置が取られているのを見ることが出来ると思います。この経過はあくまでも主な出来事について言及したのみで、その外にもパレスチナ側からの銃撃が毎日のように繰り返されています。
 世界は無差別殺人というテロ行為についてあまり大きな非難の声を上げませんが、イスラエル側のテロリストの殺害行為については非難が集中します。殺害行為を肯定する意味ではありませんが、どちらがいったい本当の意味で非難されるべきなのでしょうか。
 上記のようなことが日本国内で起こったとするなら(あくまでも架空のことで、あり得ないことですが)果たしてどのような対応をするでしょうか。一般市民、国民を守るために、もっと厳しい処置を取るのではないでしょうか。
 世界各国のニュースではパレスチナ側のこのようなテロ活動についてはあまり報道されず、イスラエル側の報復活動に対して特に声を上げて報道しているのではないでしょうか。
 しかし、ここに書き記させて頂いた経過が事実を物語っています。

三宅弘之


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