2002年1月27日 再びエルサレムにて自爆テロ
2002年1月22日 武器密輸事件後のテロ激化

2002年1月21日 武器密輸船捕獲


イスラエルからのニュース
1月27日

 今日、1月27日の正午頃、突然、大きな爆音が響いてきました。そして、その爆音に続いて、救急車のサイレンが次々と聞こえてきます。再び、エルサレムの中心街における爆弾テロです。

 数日前、エルサレムのヤッフォ通りでの、あの悲惨な、市民を無差別に狙った銃撃テロは、まだ記憶に新しいですが、その銃撃テロの起こった所と、ほぼ同じ場所で、この自爆テロは起こりました。周囲の商店街の惨状が、その爆発のすさまじさを物語っています。

 この爆発により、テロリストを含み、2人の死者、そして、重軽傷者、精神的ショックを受けた人などを含めて、100人以上の人々が病院に運ばれました。この自爆テロで、テロリストと共に亡くなったのは、ピンカス・トカトリさん81歳です。
 また、この自爆テロの実行者は、パレスティナ自治区のナブルスにある、ナジャハ大学に学ぶ女子学生であることをヒスポラのテレビ局、アル・マナルが伝えました。これは、女性による初めての自爆テロ事件です。

 アラファト議長は、二日前にパレスティナの閣議において、テロ行為は、パレスティナ国民の利益にならないとして、12月16日に出した停戦命令を守るように命じました。この宣言は、ブッシュの強いアラファト議長への非難、また、アメリカの圧力によってなされたものでした。パレスティナ自治政府が、貨物船、カリン-Aによる武器密輸に関っていることが、明白になり、それについて、申し開きをアメリカ側は、アラファト議長に求めていましたが、明確な返事がなく、単に否定するばかりです。明白な証拠の前に、なおも否定し続けるアラファト議長の態度、また、口では停戦、あるいは、テロとの戦いを言うが、具体的な努力がほとんど見えないということから、ブッシュ大統領は、「アラファト議長には、とても失望した。」と強い口調でアラファト議長を非難していました。

 アラファト議長が、そのような圧力により、停戦を呼びかけて、彼のその下の根が乾かないうちに、昨日、ラマラにおいて、デモ行進で彼の下に集まった、およそ、二千人のパレスティナ人の前で、その宣言とは相反することを言っています。 「勝利を得るまで、勝利を得るまで、勝利を得るまで、」「神よ。どうか、私に、聖なるエルサレムのための殉教者の一人になる栄誉を与えてください。」「アラーは偉大である。聖戦。聖戦。聖戦。」

 今日のこの爆弾テロの背景に、そのような、アラファト議長のテロ行動に駆り立てるような言葉があったのです。

この自爆テロのあった近辺では、去年の8月からすでに、6件のテロ事件が起きています。

1.2001年8月、イタリアン・レストラン「サブロ」での自爆テロ事件。
2.2001年12月、ルンツ通りでの自爆テロ事件。
3.  同上   シオン広場での自爆テロ事件。
4.  同上   ハ・ラブ・クック通りでの車に仕掛けられた爆弾によるテロ事件。
5.2002年1月23日、ヤッフォ通りでの銃撃テロ事件。
6.2002年1月27日、ヤッフォ通りでの自爆テロ事件。


三宅弘之

(ハ・アーレツ、エルサレム・ポスト、マアリーブ、イディオート・アハロノート、イスラエル・ツデイ、CNN、BBC)


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イスラエルからのニュース
2002年1月22日

 イスラエルの情勢は再び、混迷状態に陥っています。

 パレスティナ自治政府が関っていると思われる、貨物船による武器密輸が発覚し、さらに、エジプトとの国境線を守る兵士が、テロリストたちの襲撃に遭い、4人の兵士が殺されるという事件が起こりました。それを受けて、イスラエル国防軍が、パレスティナ自治区にある、国境の近くの町、ラファの家屋を破壊し、緊張が高まる中、1月14日、アラファトの直属の武装集団タンジームの一人のリーダー、ラエド・マフマッド・カルミが、爆殺されるという事件が起こりました。彼は多くのテロ事件に関っており、かねてよりイスラエルが、パレスティナ自治政府に逮捕を要請していた人物でした。彼は、あるインタビューで、二人のユダヤ人殺害についてこのように述べていました。(このユダヤ人たちは、テルアビブのレストランで食事を終えた直後、誘拐され、殺されたものです。)「彼ら(殺された二人のユダヤ人)に、食事を終えることを許した。そして、彼らが、レストランを出たときに彼らを拉致した。そして、町の外に車で連れ去り、その後、車から出るように命じ、ポケットを空にさせ、そして祈らせた。彼らがポケットを空にしたときに、我々は、そいつらを撃ち殺した。最初の一発目は俺が撃ったんだ。」
 
 この後、テロ攻撃がさらに激化していきました。

 一人のイスラエルの市民権を持つパレスティナ人、ダシス・シャハダさんが、車を運転中に銃撃され、殺されました。さらに、ヨエラ・ヘンさん45歳と、彼女の叔父、ラヘル・ヘイニさん70歳が、ガソリン・ステーションで車をとめたところを銃撃され、殺されました。また、アビ・ボアズさん72歳が、残虐なリンチに遭い、銃殺されるという事件も起こりました。さらに、スクールバスが銃撃を受ける、あるいは、兵士が殺されるということが続きます。

 そして、17日夜、テルアビブとハイファとの中間に位置する海岸線の町、ハデラで痛ましいテロ事件が起こりました。バット・ミツバ(12歳の女の子が成人を祝う式)の宴会の席上に、突然、自動小銃を持ったテロリストが乱入し、銃を乱射しました。6人のイスラエル人が殺され、33人の負傷者が出ました。この残虐なテロ行為に対して、イスラエルは、そのテロリストがやって来た町、トゥルカルムをF-16ジェット機や戦車で進入し、テロリストたちの暗躍する建物を破壊し、次々にテロリストたちを逮捕しました。
 
 また、21日の夜から未明にかけて、パレスティナ自治区の町、ナブルスをもイスラエル国防軍は急襲し、銃撃戦となり、その銃撃戦の中で4人のテロリストが殺されました。この作戦により、爆弾の製造工場として使われていた五階建ての建物が押さえられ、多くの爆発物が押収されました。さらに、9人のテロリストたちも逮捕されました。
 
 今日22日の夕方、エルサレムの中心街で一人のテロリストが自動小銃を一般市民に向けて乱射し、少なくとも4人が生命に危険な状況にあり、3人が重症を負い、20人以上の人が負傷しました。事件のあった場所は、歩行者天国のショッピング街、ベン・エフダ通りと主要道路である、ヤッフォ通りとが交差する、人通りの多いところです。テレビのニュースで一人の女の子が恐怖のために泣きじゃくりながら、訴えていました。「こんなこと信じられない…私もアラブよ。狂気の沙汰だわ。」そして、現場を中継するカメラに、「アラブがいなければ、テロの被害もないのだ。」と、何度の叫ぶ群衆の声が聞こえてきました。このテロ事件に対して、ハマスとアラファト直轄の武装グループ、ファタハの「アルアクサの殉教者旅団」が、犯行声明を出しています。

 イスラエル側は、テロリストたちをターゲットにして、戦っていますが、パレスティナ側は、一般市民をターゲットにして、殺戮を繰り返しています。


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イスラエルからのニュース
2002年1月21日


1.武器密輸船の捕獲について

 この新たな年に入ってからも、イスラエルでは、相変わらずショッキングな事件が、次々に起こっています。1月3日にエジプトのシャルム・エ・シェイクの南の紅海の沖、約200キロの地点で、50dにも及ぶ、多量の武器弾薬を積み込んだ、4000d級の貨物船「カリン-A」が捕獲されました。そこには、20qの着弾距離を持つ、カチューシャ・ロケットや120oの迫撃砲、対空ミサイル、地雷、対戦車砲、ライフル銃、それに2dにも及ぶ強力な爆薬なども含まれていました。
 
 もしも、これらの武器が、パレスティナ側に渡っていれば、それらのロケットやミサイルによって、パレスティナ側の領域から、ベングリオン空港をはじめ、イスラエルの主な町々をその射程に入れることが可能でした。

 1月3日の夜明け前に、イスラエル海軍のコマンド部隊が、貨物船カリン-Aに静かに近づき、まだ、13人の乗組員のほとんどが、眠っているうちにその船に乗り込み、無血で、その乗組員たちを取り押さえ、武器を押収しました。13人の乗組員のうち、船長は、パレスティナ海軍警察の上級警官、オマル・アカヴィで、そのほか、二人のパレスティナ海軍警官が乗船しており、その他の乗組員は、エジプト人やヨルダン人で、そのうちの一人は、ヒズポラとの関連を持った人物でした。

 イスラエル側は、この船は、パレスティナに向けて送られたものであり、その船は、パレスティナ自治政府と関連を持つことを強く主張しました。しかし、それに対して、アラファト議長は、その事件との関連を否定し、「個人的にはそうは思わないが、もしも、何らかの関連が明らかになるならば、我々は、その者を裁きの場に引き出すことを躊躇しないであろう。」とコメントを発表しました。 
 当初、このニュースが流れたときに、世界のメディアの反応は、非常に冷めたものでありました。ある国は、この事件は単なるイスラエルのプロパガンダ(宣伝)であると言い、アメリカでさえ、この船がパレスティナ政府との関連を持つことについて、イスラエル側は十分な証拠を持っていないと主張し、むしろ、この船は、レバノンのヒスポラに向かっていた公算が高いとの見方を示していました。

 
 しかし、1月7日、カリン-Aの船長、オマル・アカヴィの証言により、パレスティナ自治政府がこの事件に関与していることが明らかになりました。彼の証言はイスラエル・テレビ、チャンネル1,チャンネル2、さらにフォックステレビ、ロイター通信により、報道されました。彼は、次のように証言しました。「それらの武器は、パレスティナ人民のために送られたイスラム世界からの寄贈物である…イラン、ヒスポラから」

 彼は、彼自身が1976年より、アラファト直属の武装グループ、ファタハのメンバーであることを語り、この作戦の全体は、パレスティナ自治政府の役人、アデル・アバダラという人物によって監督されていたことを証言しました。また、彼の証言によると、アデル・アバダラは40万ドルで、その貨物船を購入し、彼に支持を与えたということです。

 さらに、彼は、それらの武器が、クシュというイラン領の島で荷揚げされ、その荷揚げを手伝った者の中に一人のテロリスト・グループ、ヒズポラのメンバーが混じっていたことを証言すると共に、乗組員の一人はヒズポラによって、どのように荷物を船から降ろすかを訓練されていたと語りました。

 そして、その船は、予定では、エジプトのアレクサンドリアの向かいでアンカーを下ろし、そこで、荷は解かれ二つの入れ物に分けられ、三つの小さなボートに移され、その後、それらの武器は、水面下に浮く特別な容器に入れられて、パレスティナの自治区、ガザに運ばれることになっていたということです。

 また、驚くべきことは、この武器密輸の工作は2000年の10月から始まっており、それは、パレスティナ人の蜂起が起こって、まだ日の浅い頃で、しかも、エジプトのシャルム・エ・シェイクで世界のリーダーたちが集まって緊急の会議を開き、アラファト議長が前イスラエル首相、バラクと休戦協定を結んだ後のことでありました。そして、この船に武器が積み込まれ、出航したのは、去年の9月11日、ニューヨークで、あの同時多発テロが起こった日でありました。

 アラファト議長は、カリン-Aの船長、オマル・アカヴィの証言にもかかわらず、なお、強く、その関係を否定しています。「イスラエルは、毎日のように新しい発明を持ってくる、あるときは船の話で、あるときは他のことである。まるで、私たちが占領者のようにである。」また、彼は言います。「すべて、彼らが船に関して言うことは嘘、嘘、嘘である。」「もしも、我々が、武器がほしいなら、我々は、イスラエルから得ることができる。そのほうが簡単であり、安い。」

 アメリカは、当初、パレスティナ自治政府の関与を認めようとしていませんでしたが、次々にその証拠が明るみになるにしたがって、そのことを認める方向に変わってきました。

 アメリカ国務長官、コーリン・パウエルは国務省での記者会見で、記者団に次のように述べました。「我々が受け取る情報、あるいは、我々の調査によって、パレスティナ自治政府が、この事件に関与していることは明白である。アラファト議長自身が、関与している、との明白な証拠はまだ見てはいないのだが。」
 
 また、1月9日、イスラエル国防軍、諜報機関の代表者が、パレスティナ自治政府の関与を示す証拠を持って、トップの行政官等と話し合った後、次のようなコメントが、一人の上級行政官によって与えられました。「パレスティナ自治政府が、この事件に関与しているということについて、イスラエルは、非常に注目に値する申し立てをした。」さらに、「アラファト議長が、この事件について知っていると言うことは非常にありうることである。」

 エルサレムに訪問中の五人のアメリカ連邦議会議員の代表の一人、グレイ・アッカーマンは、強い語調で次のように述べています。「どれほどにレベルが上がったかを、私はあなたがたに告げよう。100パーセント完全にアラファトは、この武器と船の購入に個人的に関与していることは確かである。そして、100パーセント完全に、それらの武器は、パレスティナ自治政府のためであったことは確かである。」

2.イスラエル国防軍によるラファの家屋破壊について

 1月9日、エジプトとの国境を守る4人のイスラエル兵が銃撃され、殺されるという痛ましい事件を受けて、イスラエル国防軍は、その国境の近くにある、ラファという、パレスティナ自治区にある村の20数件の家を破壊しました。このことを通して、イスラエルは、世界から強い非難を浴びています。しかし、その破壊行為は、単なる報復行為ではなく、そこには、彼らが、そのような行為に出た、いくつかの理由がありました。

 それは、それらの建物が、テロリストたちによって占拠されていて、その辺りをパトロールするイスラエル兵に対して、毎日のように銃撃が繰り返されていたということ。そして、それらの建物は武器の密輸のために用いられていた、ということです。エジプト側からトンネルが掘られ、その地域にトンネルが通じており、武器が、秘密裏にエジプトから運び込まれているのです。ですから、テロリストたちの攻撃の基地をたたくということと、また、テロリストたちへの武器の供給源を絶つということが、この作戦の目的でした。


(ハ・アーレツ;エルサレム・ポスト;ICEJニュース;イスラエル・テレビニュース;イスラエル・ツデイ等)


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