2002年11月17日 神殿の丘の南壁
2002年11月1日 IDFの動向


イスラエルからのニュース
2002年11月上旬


1.神殿の丘の南の壁の危機的状態

 イスラエル、パレスティナ紛争は単に政治的あるいは武力的闘争にとどまらず、ここ数年、神殿の丘の南の壁の危機的状態を巡っても熱い論争が続いています。ワクフ(神殿の丘におけるイスラムの権威)の賛同の下、神殿の丘の南東部に位置する部分で、大掛かりなモスクの建築が1996年以来、不法に続けられています。そして、神殿の丘の南の壁が、ここ数年来、岩の突出が部分的に目立つようになり、壁の崩壊の危機が、イスラエル考古学の権威筋の間から叫ばれています。(編集注:三宅さんから送られてきたワードのファイルでは、右の図の手前にある、柿色になっている壁の一点を線で指し、その突出部分を表していますが、こちら技術不足でそれを取り入れることができませんでした。)

イスラエルの学者や知識人などによって構成されている、「神殿の丘の古代遺産の破壊防止委員会」(The Committee for the Prevention of Destruction of Antiquities on the Temple Mount)の報告によると、そのような現象は、パレスティナ人側が、神殿の丘南東に位置する、ソロモンの厩(うまや)、あるいはフルダ門の通路を取り壊し、約10,000人を収容できるような新しいモスクの建築を不法に始めたためであると言われています。 彼らの建築現場は、南の壁の突出部分がある上に位置しており、彼らの主張と一致しています。また、ケデロンの谷では、何千トンにも及ぶ、そうした現場から掘り出されたものが投げ出されています。考古学者たちは、そこから多くの重要な遺物を発見しており、中には第一神殿時代にさかのぼるものもあります。


しかし、ワクフ側では、そのような南の壁の危険性について否定しており、彼らはここ30年間、南の壁にはなんの変化もないと主張し、そのような危険性を主張するのは、イスラエルが神殿の丘における主権を得ようとする策略であると言っています。しかし、南の壁の現状もさることながら、世界の遺産でもある神殿の丘の古代遺跡が無残にも破壊され続けており、モスク(イスラム教の礼拝堂)に作り変えられているということに大きな心の痛みを感じずにいられません。

2.イエス・キリストの兄弟ヤコブの骨箱?

 最近、世界にセンセーショナルなニュースが流れました。それは、フランスにあるプラクティカル・スクール・オブ・ハイヤー・スタディーズの教授アンドレ・ラメール氏の記事が、聖書考古学リビューに発表されたことに始まります。それは、イエス・キリストの兄弟、ヤコブの骨箱と見られるものが、発見されたというものです。その骨箱には、アラム語で「イエスの兄弟で、ヨセフの子、ヤコブ(ヤアコーブ バル ヨセフ アヒーブ イシュア)」と書かれてありました。

 一世紀のユダヤ人歴史化、ヨセフスの記述によると、エルサレム教会の長老であったイエスの兄弟ヤコブは、63年ごろに石打の刑によって殺されました。そして、その骨箱は、ヤコブが死刑にあったところからそれほど遠くない、シロアムの地域で見つかったとされています。

 
専門家の手によって調査されましたが、そこには、贋作(がんさく)の形跡は見受けられないとの結果が下され、また、カトリック大学聖書教授のヨセフ・フィツミヤー氏は、その字体が、他の一世紀ごろに書かれたものと同じものであると認めました。さらに、そのような骨箱が使われていたのは、紀元前20世紀から紀元70年までの間であったということで、益々、信憑性が高まってきます。

 ところが、一世紀ごろには、同じような名前を持つものが多くおり、しかもヤコブ、ヨセフ、イエスという名は、とても一般的な名前でしたから、そのような名前の組み合わせは、他の家族の場合でもありえます。しかし、普通では、そうした骨箱に名前が書かれるということはあまりなく、ましてや、父の名前と共に兄弟の名前まで書かれるということは、ほとんど例がないということです(過去に一例あるのみ)。その事実は、その兄弟がよほど重要な人物であったということを表しています。

 新約聖書以外には、イエス・キリストに関する外的資料が、あまり見られません。そうした意味で、この発見は非常に大きな意味を持つものであり、また、イエス・キリストに関する最古の外的証明となります。しかし、イスラエルの学者たちの間では、その信憑性をめぐる論議において慎重論が体制を占めています。

 その骨箱の持ち主は、テルアビブのハイテク会社の社長、オデッド・ゴランさんで、最近、ラメール氏と会って、その骨箱を彼に見せて鑑定してもらうまでは、それがどれほど価値のあるものかを知らなかったといいます。彼は、その骨箱をカナダに送りましたが、飛行機での輸送中に、もともとあった小さな傷が広がって亀裂が入ってしまいました。彼は30年前にそれを買ったと主張しています。1978年に法の改正がなされ、イスラエル国内で見つかった考古学的な遺物はすべて国に属するものとなりました。ですから、もしも彼が、1978年以降に取得していたとすれば、値踏みのできないほどのものが彼の手を離れ、国のものとなります。

3.母子が無残なテロの犠牲となる

 今までの話とは、まったく趣きを異にしますが、このニュースに触れることなく、このイスラエル・ニュースを閉じるとはできません。

 
西岸地区のパレスティナ人の町トゥル・カレムからさほど遠くない、キブツ「メッツァー」にパレスティナ人テロリストが侵入し、母と二人の子どもを含む5人のキブツ住民を撃ち殺しました。

 子どもを寝かしつけるために本を読み聞かせていた母、レヴィアタル・オハブムさんと二人の子どもナオムちゃん4歳、マタンちゃん5歳のところに、テロリストは侵入し、無残にも彼らを目前で撃ち殺しました。その後、このテロリストは、屋外に出て、更に二人のキブツ住民を殺害しました。

 その二人の子の父は、葬儀の中で終始泣き崩れて、その悲惨さは目をうほどでした。

 このキブツは、1967年以前からイスラエル領内であったところに位置しており(グリーン・ラインの内側)、近隣のアラブ人とは、とてもよい関係を持っていました。彼らは、パレスティナ人国家の建設に賛成しており、彼らをサポートする働きをしていました。それだけに彼らの受けたショックは、大きなものでした。

 

4.混乱の中での選挙戦


 イスラエルの選挙戦についても、一言だけ触れておきたいと思います。辺境地に不法に建てられたユダヤ人の建物を破壊することについての是非、あるいは、予算案の可決をめぐっての意見の対立などから、多くの議席数を持つ労働党が連合政権から離脱したために、シャロン首相は、解散総選挙に追い込まれました。それにより、労働党内部、また、シャロン首相率いるリクード党内部で、まずはリーダー争いが、それぞれに火花を散らしています。


 リクードでは、シャロン首相と前首相のネタヌヤフー氏との間で激しい争いとなっています。リクードの党内選挙は、11月の28日に行われる予定ですが、今のところシャロン首相が優勢と報じられています。


 また、労働党(シモン・ペレス前外相、バラク前首相の属する党)では、三つ巴の戦いとなっており、同党のリーダーであり、前国防大臣、ベン・エリエゼル氏とハイファの市長、ミツナ氏、そして、ラモン国会議員の間でリーダー争いがなされています。ハイファの市長、ミツナ氏はパレスティナ人側から援助の申し出を受けるほど極端な左翼の人で、オスロ合意に準拠する立場の人であり、アラファト議長との交渉も視野に入れている人物です。ラモン氏に支持を表明していた数人の労働党の主だった人たちの中にも、ミツナ氏に鞍替えをする人々が出てきています。

 
ベン・エリエゼル氏としては、ラモン氏とミツナ氏が、表を分かち合い、それによって、自分の手に勝利が転がり込むことを狙っています。それに対して、ミツナ氏に反対票を集めるために、ラモン氏にリーダー争いから退くようにとの圧力が、同党内のエリエゼル氏の反対派からかかっています。そのような圧力に対して、ラモン氏がどのように動くかによって、労働党のリーダー争いは大きく左右されることになるでしょう。

 リクード党は、シャロン首相の一般の支持率の高さによって、次期総選挙では、以前よりも多数の議席を占めるものと予想され、それに反して、労働党では、テロの多発による左翼の不人気により、多くの議席を失うものと予想されています。ちなみに、総選挙は1月の28日に行われる予定です。

三宅弘之

LCJE海外協力レポーター

(ハ・アーレツ、エルサレム・ポスト、マアリーブ、ニューヨークタイムス、USAツデイ、ワシントン・ポスト、神殿の丘の古代遺産の破壊防止委員会の資料、イスラエル・ツデェイ、ICEJ、イスラエル・ラジオ、テレビニュース)


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イスラエルからのニュース
2002年10月下旬

 

1.IDFの動きについて

 106日、ガザから撤退するイスラエル軍に対して、一つのパレスティナ人グループが、銃あるいは手榴弾などで攻撃を仕掛け、双方の間で交戦状態となりました。ガザの地域では、公然とテロ攻撃の強化を叫ぶテロ組織、ハマスが支配力を強めており、彼らの力を弱めるためにイスラエル軍は、ガザ地区に進攻していました。 パレスティナ側の攻撃に対してイスラエル軍は、後方支援のヘリコプターから、そのグループにめがけてミサイルを発射し、それにより10人の死者と100人以上にも上る負傷者を出しました。

 このイスラエルの過剰攻撃に対して、アメリカも含み多くの国々から非難を浴びました。その行為を正当化するという意味ではありませんが、イスラエル側の置かれている難しい状況も考慮に入れる必要があるかと思います。それは、ハマスなどのテロ組織が、そうした一般市民の密集した地域を本拠地として、テロ活動を繰り返しているということです。言わば一般市民を盾にして、その背後で活動しているというわけです。ですから、彼らは自分たちが安全なところにいるとたかをくくっていたわけですが、イスラエル側は、過熱するハマスのテロ活動に業を煮やし、ガザに対するテロ掃討作戦を敢行しました。

 109日にも、イスラエル軍による大規模なテロ掃討作戦がパレスティナ人の町々で展開され、70人にも及ぶパレスティナ人が逮捕され、その内55人は、指名手配中のテロリストたちでした。

 ガザ南部、エジプトとの国境に近いラファ難民キャンプでは、パレスティナ人がたくさんのトンネルを掘って、そのトンネルを通してエジプトから武器などを不法に持ち込んでいます。そうした動きを阻止するためにイスラエル軍は、時にその地域に入って、トンネルやそのトンネルとつながる家々を破壊しています。1013日にも、イスラエル軍はラファに入り、パレスティナ武装グループとの間で銃撃戦となりましたが、その銃撃戦の中で三歳の男の子が巻き込まれ、死亡するという痛ましい事件が起こりました。

 また、そのラファのはずれの地域で、イスラエル軍が新しい監視塔を作ろうとしているところに、パレスティナ側から激しい銃撃が加えられ、対戦車砲なども打ち込まれ、イスラエル軍はその銃撃がなされている方向に応戦し、戦車からも3発の砲撃を加えました。しかし、その砲撃により、パレスティナ側に二人の子どもと二人の女性を含む六人の死者が出ました。

 さらに、1021日に起こったバス自爆テロ事件(15人の死者と多数の負傷者を出す)を受けて、イスラエル軍は、25日にパレスティナ人の町、ジェニンでも大規模なテロ掃討作戦に出ました。イスラエルが国際的な圧力受けてパレスティナ人地区の監視を緩めるときに、テロ組織が再構築され、その隙を伺って、彼らは新たなテロ行為に出ます。また、イスラエル軍が撤退したベツレヘムなどでも、テロリストたちが安全な場として逃げ込み、テロの巣窟となりつつあることが懸念されています。


2.双方の死者数の統計

 雑誌イスラエル・ツデイの11月号の始めのページに、イスラエルとパレスティナ双方の死者数に関する統計が取り上げられています。その統計は、International Policy Institute for Counter-Terrorismから出されているものに基づいています。それによりますとイスラエル側の死者数は624人で、パレスティナ側では1,650人にも上っています。しかし、その内、パレスティナ側の市民の死者数は617人で、イスラエル側は471人です。確率でいうと、イスラエル側の一般市民の死者は80%にも上り、それに対して、パレスティナ側では39%です。さらに女性の死者数における確率は、イスラエル側では40%(187人)であるのに対し、パレスティナ側では8%(57人)です。これらの数字は、いかにイスラエル側が一般市民を巻き込まないようにしているかを示しているのに対し、パレスティナ側は、市民を標的にしているように見られます。

 また、パレスティナ側の被害者の内、200人以上の人々は、計画遂行前に爆弾の取り扱いを誤り爆死した人々、あるいは自爆テロリストたちも含みます。

 子どもたちの死者数は、パレスティナ側では247人にも上り、イスラエル側では72人です。しかし、パレスティナ側の死んだ子どもたちの多くは、あえて紛争の前線に送り込まれ、殉死するように強要された子供たちです。そのことは10代の多くのパレスティナ人青年が、自爆テロ行為のために送られているということからも認められます。しかし、イスラエル側の子どもたちは無差別に、または子どもであると承知されながら、あえて殺害されたものです(14歳の二人の子どもが、あるパレスティナ人たちにより無残なリンチを受け殺害される、あるいは、無防備に眠っている子どもを侵入してきたパレスティナ人テロリストが、至近距離から銃を放ち殺害するなど)。

 ここでも、うわべだけで物事を判断することが、いかに危険であるかを見ることができます。

三宅弘之

LCJE海外協力レポーター

(ハ・アーレツ、エルサレム・ポスト、ワシントン・ポスト、ICEJ、イスラエル・ツデイ、イスラエル テレビ・ラジオ ニュース)


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