2002年2月21日 再激化するテロ

2002年2月8日 一日のうちに起こった三事件


イスラエルからのニュース
2002年2月21日

 警察署のまとめによりますと、去年2001年は、前年に比べて、テロ事件が337%増加しており、1749件を数えたということです。ちなみに前年2000年は、410件のテロ事件がありました。2001年のテロによる死亡者は、208人であり、負傷者は1,523人に上りました。そして、エルサレムだけで、90件のテロ事件が発生しており、そのうち35件が爆弾テロで、28件が銃撃テロでした。

 これは信じがたいほどの数字ですが、今年に入って、さらにパレスティナ人によるテロ攻撃は激化の一途をたどっています。2月8日から19日までのテロに関する主な事件を順を追って記したいと思います。

2月8日(金)
女子大学生、殺傷される

 旧市街を南から見晴らす、美しい公園の下にある平和の森で、女子大学生が、テロリストたちの手によって殺傷されました。モラン・アミットさん25歳が男性の友人と共にその森を散歩している時に、突然四人の覆面をした男たちが近づき、二人は、それぞれ別の方向に逃げました。しかし、その4人は、女性のモランさんを追いかけ、彼女をナイフで幾度も切りつけ、死に至らしめました。

 その4人のテロリストたちは、14歳から16歳の少年であり、今までに、同じところで幾度も起こっていたテロ事件の犯行者であったことが判明しました。

テロ遂行前に爆破

 同日の午後7時30分頃、ワディ・アラ高速道路の近くで、一台の車が爆発しました。それは、爆弾テロに向かう途中に誤って、爆発したものと思われます。そこには二、三人のテロリストが乗っていました。

2月9日(土)
老女、銃撃テロに遭い殺害される

 アタリア・リポブスキーさん79歳が、帰宅途上の車の中で、銃撃テロに遭い、殺されました。

2月10日(日)
カサム−2ロケット

 日曜日の朝、パレスティナ人テロリストが、二機のカサム−2ロケットを初めて、イスラエルの領域に向けて発射しました。三機目はイスラエルの戦車によって、事前に破壊されました。それらのロケットは、ネゲブにあるユダヤ人生活共同体のモシャーブやキブツに向けて放たれたものでしたが、幸い被害はありませんでした。このロケットの射程距離は6kmから8kmあり、このようなロケットを使ってのテロ攻撃は、量的なテロの増加に加え、質的な増加をも示しています。

二人の女性兵士殺される

 同日午後、三人のパレスティナ人テロリストの乗った車が、ベエルシェバにあるイスラエル国防軍の南方指令本部に横付けし、銃を乱射し、この銃撃によって二人の女性兵士が殺され、ほか数人が重軽傷を負いました。三人のうち、二人のテロリストは射殺され、そのうちの一人は、爆弾を装着したバンドを巻いていました。

 このテロの犠牲となった女性兵士はそれぞれ、ケレン・ロツテインさん20歳とアヤ・マラキさん18歳です。

イスラエル空軍、ファタハの指令本部を空爆

 イスラエル空軍戦闘機F-16が、パレスティナ武装グループのファタハの指令本部を爆撃しました。 

2月12日(火)
イスラエル国防軍広範囲にわたる作戦を展開

 イスラエル国防軍が、ユダヤ・サマリヤ地区で大規模な作戦を展開しました。15人のパレスティナ人がテロ犯罪の容疑者として逮捕されました。この作戦に伴う銃撃戦で一人のパレスティナ警官(警官もテロ行為に関与しています)が死亡しました。

2月13日(水)
イスラエル国防軍撤退

 イスラエル国防軍は、パレスティナ自治区のガザ地区、ベイト・ハヌンから軍を引き上げました。この地域への進入は、ロケット攻撃や迫撃砲によるテロ攻撃を防ぐためのものでした。しかし、ここで起こった銃撃戦で、五人のパレスティナ警官が死亡しました。

2月14日(木)
地雷により戦車が爆破される

 ガザ地区のあたりを通行中の一般のバスが、道端に仕掛けられていた爆弾により、数人の軽傷者が出ました。その報告を受けて、戦車がその地域に向かいました。しかし、それは罠で、さらにその道には強力な地雷が仕掛けられており、戦車がその上を通った時、爆発し、その中にいた三人の兵士は、死亡しました。

2月15日(金)
チェック・ポイントで銃撃テロ

 午後7時30分頃、二人のパレスティナ人が、数人のイスラエル兵士が、道行く車を調べているチェック・ポイントに近づき、一人が至近距離から一人の兵士を撃ち、もう一人のテロリストは、別の兵士を捕らえて殴り、ライフルを奪って逃走しました。その二人のパレスティナ人は、待ち構えている仲間の車に飛び乗って、逃走し、ひとつの難民キャンプ、エル・ブレイに逃げ込みました。

イスラエル国防軍の応酬

 イスラエル空軍戦闘機F-16が、パレスティナ自治区、ガザの北方にある、パレスティナ治安軍事基地を爆撃し、その爆撃によって一人のパレスティナ警官が死亡し、35人がけがをしたと、パレスティナ側の報告として伝えられています。

 また、イスラエル国防軍は、地雷が埋められてあった近辺の、いくつかのパレスティナの拠点を破壊し、その周辺の低木を除き去りました。

 チェック・ポイントでの銃撃テロを行ったテロリストたちが、逃げ込んだ、エル・ブレイ難民キャンプにおいてもイスラエル国防軍は作戦を展開し、その銃撃戦で、三人のパレスティナ市民が死亡したと伝えられています。

 さらにイスラエル軍は、ガザ地区の南方にあるパレスティナ治安訓練施設を破壊しました。

2月16日(土)
不審な爆発

 テロ・グループ、ハマスの地区リーダー、アブ・サバア30歳が、不審な爆発により、死亡しました。パレスティナ側は、イスラエル軍による暗殺であると非難しています。
 
またも自爆テロ

 パレスティナ自治区のカルキリヤとナブルスの間にあるユダヤ人居住地、カルネイ・ショムロンにある、ショッピングセンターで、自爆テロがあり、二人の十代の若者が殺され、29人が重軽傷を負いました。その若者は、それぞれ、ネヘミア・アマルさんとケレン・サツキさんで共に15歳です。
 ショッピング・センターの建物は大破し、鉄骨はゆがみ、ガラスは割れ、物は散乱し、肉片が飛び散っている光景は、凄惨そのものです。

2月17日(日)
事前に爆弾テロが防がれる

 前と後ろのナンバープレートのナンバーが違う、不審な車をイスラエル警官が見つけ、その車を止めました。一人のテロリストは、すぐに車から出てきて、警官に発砲しました。それに対して警官も応酬し、そのテロリストは、けがを負いましたが、なお、パイプ爆弾を警官めがけて投げつけてきました。幸い、一つ目は不発に終わり、二発目は逸れ、大事に至ることがありませんでした。そして、そのテロリストは、射殺されましたが、彼の腰には、爆弾の装着されたバンドが巻かれていました。

 もう一人のテロリストは,車で逃走し、他の警官は、その後を追跡しました。しかし、逃走中のテロリストは、自爆し、その爆発により、三人のイスラエル警官が、けがを負いました。

2月18日(月)
銃撃テロ

 ガザ地区の南に位置するユダヤ人居住地、グシュ・カティーフの入り口付近で銃撃テロがあり、三人の一般市民のイスラエル人が殺されました。そのほかに三人の負傷者が出ました。

爆弾テロは阻止されたが

 エルサレムに向かう不審な車をイスラエル警官が認め、2kmほど追跡した後、その車は停止しました。しかし、その車に警官が近づき、調べている時に、テロリストは、車を爆破させ、警官は即死しました。もう一人の警官も軽傷を負いました。

2月19日(火)
イスラエル国防軍の更なる応酬

 イスラエル空軍戦闘機F-16が、パレスティナ治安指令センターと過激派のファタハに属するパレスティナ諜報機関の建物を爆撃しました。この爆撃とそれに続く、地上でのパレスティナ、イスラエル双方の衝突で、少なくとも6人のパレスティナ人が死んだもようです。

六人の兵士が殺される

 多くのテロ攻撃がなされる、パレスティナ自治区のラマラからの道にあるバリケードに駐屯している兵士たちが、突然の銃撃に遭い、六人が死亡しました。

 この攻撃は、よく計画されたもので、兵士たちがゆっくりと休んでいる時を狙って、数人のパレスティナ人たちが闇にまぎれて兵士たちのいる所に近づき、銃撃を加え、その背後にある、丘から援護射撃がなされていました。

バス運転手のお手柄

 バス停留所で、暖かい日差しの中で、厚いコートを着た不審な男が、バスに乗り込もうとした時に、バス運転手は、その男を車外に押し出し、すぐにバスを走らせました。そして、その男は、爆発装置を起爆させ、自爆しましたが、けが人が無く済みました。


チェコ共和国首相の発言

 以上が、2月8日から19日までの主なテロ関連の事件です。最後に、もうひとつだけ付け足したいと思いますが、それは、2月17日の日曜日にチェコ共和国の首相、ミロス・ゼマン氏がイスラエルを訪問した際に、発言した言葉です。彼は、パレスティナ自治政府とアドルフ・ヒットラーの第三帝国は共通点があると指摘すると共に、テロリストとの折衝はしないようにとイスラエル政府に警告しました。

 「私は、国際的なテロの危険に直面している、小国同士の団結を表すためにここにきました。」
 「チェコ共和国国民は、テロリズムとの戦いについて歴史的な経験をしています。なぜなら、アドルフ・ヒットラーは世界の中でも主なテロリストであったからです。」

 「宥和は、決してよい政策ではありません。テロリズムとの戦いは、テロリストとの妥協を意味するものではありません。」

 面談者が、彼がヒットラーの第三帝国とパレスティナ自治政府との間に共通点があるということを意味しているのかと問いました。それに答えて、ミロス・ゼマン氏は「もちろん、あります。」と答えました。

 彼はまた、テロリズムについて定義して、このように言いました。
 「テロリズムとは、子供、青年、罪の無い市民などの犠牲者を用いる政治的運動である。」

 さらに、「もしも、カモのように歩き、カモのように見え、カモのように鳴き、カモのような味がするなら、それはカモです。」とパレスティナ自治政府とテロリズムとの関係をカモにたとえて語りました。

 そして、最後に次のように語りました。「私の意見としては、誰でもテロリズムを支援するもの、また、誰でもテロリズムを合法的な政治の道具として認めるものは、テロリストです。」


三宅弘之

(情報源:ハ・アーレツ、エルサレム・ポスト、イスラエル・ツデイ、ICEJ、IBAニュース)


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イスラエルからのニュース
2002年2月8日


1.2月6日に起こった、三つの大きな事件についてまとめてみます。

(1)バスの運転手のお手柄

 エルサレム市外の町、マアレ・アドミームに向かうバスに、一人の不審な男性が乗り込んできました。バスの運転手、チィオン・シュバルさんが、彼を見たときに、その男は、片手をポケットに入れたままにしており、また、前を開いたコートから、何本かのワイヤーが見えました。そこで、運転手は、彼に英語、フランス語、アラビア語で、行き先を訪ねましたが、その不審な男性は返事もせず、サングラスに隠された目を前にじっと向けていました。運転手は、乗客にその男性の手をポケットから出すように言いました。

 そして、ボーダーの検問のところまでバスを走らせ、そこで、その男は、乱闘の末、御用となりました。そして、取り押さえた彼の腰には爆弾が巻かれていたのです。もしも、運転手が事前に気がつき、適切な処置をとっていなかったならば、多くの市民が、また、自爆テロの犠牲者となっていたところです。


(2)ミサイルが取り押さえられる

 パレスティナ人の町、ナブルスからジェニンへと向かうトラックが、イスラエル国防軍によって取り押さえられ、そのトラックから8機のミサイル、カサム−2が発見されました。イスラエル側は、そのような、武器の運搬をあらかじめ察知し、その車の途上にバリケードを設け、そのトラックを止め、運転手を逮捕しました。しかし、周りからパレスティナ人が集まってきて、銃撃をしたり、投石をイスラエル兵士たちに加えたので、兵士たちは、トラックを安全なところまで運び、荷物を調べ、そこから、ミサイルを発見し、押収しました。そのミサイルは4sから6kgまでの爆薬を積み込むことができ、さらに、その射程距離は、10〜12kmで、パレスティナの町、ジェニンから発射すると、イスラエルの北部の町で、人口の多いアフラ、あるいはジェズリールの谷に届き、多くの被害を加えることになりました。

(3)イスラエル兵に変装したテロリストがモシャーブ(ユダヤ人の生活共同体)を襲う。

 ヨルダンとの国境の近くにある、小さなモシャーブ(ユダヤ人の生活共同体)、ハムラがテロの恐怖にさらされました。イスラエル兵に変装したテロリストは、門を守る守衛を撃ち、モシャーブの中に入り込みました。モシャーブは一瞬のうちに恐怖に包まれ、銃撃の音を聞いた住人たちは、机の下やベッドの下に身を隠しました。その後、テロリストは、オハナ・ミリ、ヤエル母子が住む家に入り、彼らを人質に取りました。しかし、彼がオハナ・ミリ、ヤエル母子を銃撃するに及んで、500人のイスラエル兵士が、家になだれ込み、そのテロリストを射殺しました。このテロ攻撃により、ミリ・オハナさん40歳、彼女の娘、ヤエルちゃん11歳、それに、門を守っていたイスラエル兵、モーセ・メジョス・メコナンさん33歳が犠牲となりました。また、ほかに5人の負傷者が出ました。

 このテロ事件に対して、ハマスとアラファト直轄の武装グループのファタハの「アルアクサの殉教者旅団」が、それぞれ、犯行声明を出しています。

 このテロに対して、イスラエルは、西岸地区の町、ナブルスにあるパレスティナ立法府の建物をヘリコプターによって、ミサイル攻撃を加えました。

2.次の事件は、パレスティナ人内部で起こった事件ですが、それは、かれらの血の報復の原理をよく表しています。

 三人のパレスティナ青年が、殺人の容疑で裁判を受け、有罪と判決され、未成年ということもあって死刑は免れ、それぞれ15年の刑が言い渡されました。

 しかし、この判決に不服を持つ男たちが銃を持って、この裁判所に乱入し、この三人の青年をリンチ殺害しました。

 パレスティナ側の情報によると、この三人の青年が、殺したのは、パレスティナ防犯係官のオサマ・クメイル氏で、その殺害の動機は、オサマ・クメイル氏が、かつて、イスラエルと手を結んでいたと疑われていたものたちを殺害し、この三人の青年の家族のメンバーもその被害にあっていました。それゆえに、その報復として、この青年たちはオサマ・クメイル氏を殺害しました。

 そして、今、その報復として、再びこの三人の青年は殺害されるということになりました。

 目撃者の証言によると、銃を持った男たちが裁判所に乱入し、警官によってトイレに隠されていた、あの三人の青年を打ち叩き、そして、銃殺しました。そして、その死骸を外に引きずり出し、勝利の歓呼を持って、空に向かって銃を放っていたということです。

 しかし、その銃を持って乱入した男たちのほとんどは、パレスティナ保安係のメンバー、また、ファタハのメンバーであったと目撃者は証言しています。
 

3.イギリスのBBCニュースから

 BBCニュースのインターネット版に、イスラエルのシャロン首相が、アメリカのブッシュ大統領と会見し、アラファト議長との関係断絶を求めることについての記事が、掲載されていました。そして、その記事に添付されているのは右にあるように、アラファト議長が、パレスティナの人々に歓呼を持って迎えられている姿です。それだけで、BBCの立場が、はっきりと打ち出されています。すなわち、アラファト議長は、パレスティナ人民によって、選ばれ、愛されているのであって、決して、失脚させられるべきではないということです。

 今日のニュースで報道されていましたが、アラファト議長は、パレスティナ人民に向かって、戦いを続けるように鼓舞していました。しかし、その前日は、精一杯の努力を持ってテロと戦うと宣言していたのです。また、停戦を宣言しながら、その背後で、多量の武器を秘密裏に購入し、持ち込もうとしていました。さらに、強い圧力があって、初めて、テロリストたちの逮捕に動き出しますが、しかし、その後、しばらくすれば、そのテロリストたちを開放してしまいます。また、強い圧力がなければ、決して、テロに対して反する動きをしようとはしません。ここに、彼の本心が見えてくるように思われます。

 また、BBCの記事に戻りますが、その一部を翻訳したいと思います。「中東、最近の西岸地区における暴動の激化の中で、シャロン氏の(アメリカ)訪問があります。−イスラエル航空機による二度にわたる攻撃により、ナブルスの町にあるパレスティナ自治政府の建物が狙われました。それは、一人のパレスティナ人がユダヤ植民地を襲い、三人のイスラエル人をを殺した後のことです。」

 ここで、あえて、日本語的ではないですが、英語の文章の並びのまま訳してみました。(それでも、十分に英語のニュアンスが出ませんが)それは、この記事から受ける印象は、暴動の激化は、イスラエルに主に責任があるということです。(暴動の激化とイスラエルのヘリコプターによるミサイル攻撃が意識的に結び付けられています。そして、パレスティナ人による、テロ攻撃は目立たないような感じで添えられています。)そして、イスラエル人三人が殺されたことは、それほど大きなことではないという感じを与える記事の書き方をしています。

 しかし、それはまったく正しくないことです。一般市民を狙ってのテロ攻撃、無残に母子を殺し、人々を恐怖に陥れる行為は決して、軽んじられるものではありません。また、そのようなことを黙認していることは、一国家として、どこの国であってもできることではありません。当然、それに対して、何らかの処置がとられるのです。建物であれば、また、立て直すことができるでしょう。しかし、一度、奪い取られた、あの母子の命は戻らないのです。

 また、上記に記しましたように、一日のうちにこんなにも大きな事件が起こっています。これをみても、暴動の激化を引き起こしているのは、どちらであるかは、明確であると思います。

 三宅弘之

(情報源:ハ・アーレツ、エルサレム・ポスト、イスラエル・ツデェイ、ICEJ、BBCなど)


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