2002年4月17日 パレスチナのデマ
2002年4月1日 パレスチナ人暴動が始まってから1年半


イスラエルからのニュース
2002年4月17日


 イスラエルの反テロ行動に対して、世界的にイスラエルを非難する動きが非常に強くなっています。ヨーロッパ連合では、イスラエルとヨーロッパ連合の関係についての合意事項を反故にする方針を、四月十日のストラスブルグでの会議で議決されました。また、反イスラエルのデモ行進が、世界の各地で繰り広げられ、さらに、フランスを中心にして、ヨーロッパの各地で、ユダヤ人居住区やシナゴグに対する破壊行為が、増加してきています。そして、その背景には、パレスティナ寄りの報道によって、様々なデマが、まことしやかに語られているということがあげられます。ここでいくつかの真相について、触れてみたいと思います。


1.ベツレヘムでの攻防

 イスラエル国防軍のテロ掃討作戦により、パレスティナ自治区の各地で、戦闘が繰り広げられています。四月二日、ベツレヘムでの戦闘に際して、イスラエル軍の攻撃を避けて、200人以上のパレスティナ人武装グループが、聖誕教会に逃げ込みました。

 その後、様々なデマが、パレスティナ側から流されています。イスラエル軍が、教会に向けて発砲しているとの非難がありますが、しかし、実際は、教会内部に立てこもる武装団が、銃を発砲し、また、手りゅう弾を投げかけてきます。それに対して、応戦をやむなくされているというのが現状です。イスラエル軍は、極力、教会の建物を傷つけること、また、銃を持って教会に侵入することは、避けています。しかし、内部に立てこもっているパレスティナ武装団は、銃撃しやすい所の教会の窓を割り、さらに、イスラエル軍の侵入を防ぐために、教会にある幾つものドアに、爆弾を仕掛けています。

 四月十日に、聖誕教会のアメリカ人修道士が、撃たれるという事件が起こりました。調査の結果、それは、イスラエル軍の射撃手が、その修道士の隣に銃を持って立っていた武装団の一人を狙った銃弾が、誤って修道士に当たってしまったのです。
 しかし、それに先立って、教会内の武装団は、幾人かの修道士に銃を持たせて屋外に出し、イスラエル軍に彼らを撃たせようとしました。それは、世界の非難を集めるためです。しかし、イスラエル軍側は、それが修道士であることに気づき、発砲することをしませんでした。

 さらに、イスラエル国防軍は、パレスティナ・テロリストによって、ベツレヘムにある水源地に、爆弾が仕掛けられたという情報を入手しました。そこで直ちに、調査したところ、爆弾が仕掛けられているのが発見され、大事に至ることなく、処理されることができました。パレスティナ人側は、いろいろな手段を講じて、イスラエルが非難を浴びるように工作してきます。もしも、その爆弾が爆発していたならば、彼らはイスラエルが水源地を破壊し、水の供給を断ってしまったと公表したことでしょう。


2.パレスティナ人の遺体の放置

 パレスティナ難民キャンプ、ジェニンで激しい戦闘が繰り広げられました。そこは、パレスティナ人によるテロ活動のひとつのセンターとなっています。イスラエル国防軍が、ジェニンに進攻し、銃撃を避けるために、家から家へと壁を打ち破りながら、テロリストや武器・弾薬の捜索を続けましたが、あちこちに爆弾が仕掛けられており、非常に困難を極めました。この戦闘により、双方に多くの死傷者が出ています。降伏を呼びかけるイスラエル軍の声に対して、パレスティナ武装集団は、あくまでも戦闘を固持し、発砲を続けました。そして、ある者は、一般市民の民家に立てこもり、そこから発砲しました。イスラエル軍は、そのような市民に対して、その家から出るように呼びかけましたが、その呼びかけには応じず、イスラエル軍とパレスティナ側の銃撃の中で、倒れるということが起こりました。

 この戦闘で、パレスティナ側は、500人にも上る死者が出ていると主張し、それは、イスラエル軍による虐殺行為であると非難しています。また、その遺体を隠すために、ブルドーザーで運んで埋めたとか、イスラエル側は遺体を葬ることを許さないなど、様々なデマを飛ばしています。

 しかし、実際は、イスラエル軍は、それらの遺体を丁重に葬るようにパレスティナ人側に勧めても、彼らはそれを拒否しました。さらに、イスラエル側と赤十字との間に合意が結ばれ、七台の赤十字の車がジェニンに入り、遺体を運んで埋葬することを取り決めました。そして、パレスティナ側は、赤十字の車さえも、入ることを許しませんでした。彼らは、それらの遺体を放置することによって、世界の非難をイスラエルに集めるためです。彼らは、むしろ、それらの遺体を大きな穴に無造作に投げ込み、ホロコーストの場面を再現することを計画しました。

 その遺体のほとんどは、武装して戦ったものたちであり、巻き添えに遭った市民の数は少数です。そして、死者を500人とパレスティナ側は主張していますが、実際は、45人ぐらいです(少ないという意味ではなく、パレスティナ側が、大幅に誇張しているという意味です)。それに対して、イスラエル側の死者は、23人です。また、戦闘の現場には、残虐行為がなされた痕跡はなく、一体の遺体が、屋外に横たわっていただけで、ほかの遺体は、屋内にそのまま残されていました。
 また、破壊された建物は、パレスティナ側によって仕掛けられた爆弾による被害を避けるためでした。


3.救急車に対するチェック

 イスラエルが、パレスティナの救急車(パレスチナ赤新月社)を止め、その活動を妨げているという非難が、パレスティナ側から出されています。アラファト議長も、そのことをラマラの議長府でのインタビューで口にしていました。

 しかし、それには、理由があります。救急車は、検問所でも調べられないで通過できるということで、彼らは、救急車を使って、武器弾薬、また、テロリストたちを運んでいるのです。今までにも、パレスティナの救急車が、検問所で検査を受け、担架の下に武器が隠されていたり、あるいは、爆弾のついた自爆テロ用の装着ベルトなどが、発見され、押収されているのです。このような状況のゆえに、救急車であっても、検問せざるを得ないというのが現実です。


4.アラファト議長のテロに対する非難

 パウエル米国務長官の強い働きかけと圧力によって、アラファト議長は、テロに対し、特に、先日ユダヤ人マーケットで起こった女性自爆テロについて非難する声明を出しました。

 しかし、イスラエルが、パレスティナ自治区に入り、武器弾薬とともに書類等も押収したところ、その中で、アラファト議長が、今までのテロ活動に係わっていることを示す書類が、発見されてきました。四月二日に、ラマラのアラファト議長府をイスラエル国防軍が捜索したところ、パレスティナ自治政府が、直接テロ活動に関係していたことを示す手紙が発見されました。それは、アメリカがテログループであると宣言した、アル・アクサ殉教者旅団からのテロ活動の資金を請求する手紙でした。

 手紙は2001年9月17日の日付で、爆弾を作るための費用、ライフルを買うための費用、テロ活動によって死んだ同胞を記念する式典の費用、さらに、それに係わるポスターの印刷費、招待状、そして、テントのための費用などが、パレスティナ自治政府宛てに請求されています。

 また、2001年9月30日、パレスティナ人による暴動が起こって一年目を記念する日付で、もうひとつの手紙が発見されています。それは、イスラエルの市民権を持つ、イスラエル・アラブ人のリーダーたちに宛てられたもので、更なる暴動を呼びかける内容の手紙です。

「我々は、あなた方と共に、あなた方を通して、暴動が勃発して一年目のこの時を指し示す...アクサ暴動に祝福あれ、...」

「まことに、(パレスティナ)国民は、いと聖なる歩道、路地、道路、また、首都なるパレスティナ国家を清い純粋な血によって舗装するために暴動を起こした。石と人間、鳥と木が、1948年から占拠されているエルサレムの路地とその聖なる地、西岸地区の丘や谷、沿岸地方のガザ、そこにある難民キャンプ、そして、平野と丘とパレスティナの峰、さらにパレスティナの町々、村々において暴動(インティファーダー)を起こした... そうだ、我々は未だに血によって一つの故郷と一つのパレスティナ国家の地図を描いている。」

 アラファト議長自身が、一連のテロ活動の主要人物であることが、はっきりと浮かび上がってきました。彼の口先だけの言葉を、どれだけ信用することができるでしょうか。

 アメリカのジニー特使、チェニー副大統領が、イスラエルを訪問した際に、アラファト議長は、テロ行為の停止を訴える条件として、イスラエル軍のパレスティナ自治区からの全面撤退を前提条件として要求しました。それに対して、イスラエル側は、その要求に応じて、パレスティナ自治区から軍隊を全面的に撤退させました。しかし、その結果は、毎日、2件3件と流血のテロが繰り返されました。しかし、それにもかかわらず、イスラエル側は、停戦、さらに平和交渉進展のために、二週間、沈黙を守りました。しかし、残虐な自爆テロによる被害が続出するに及んで、軍事作戦によるテロ組織の撲滅を実行するに至りました。

 そして、今回も同じように、テロに対する対策を講じる条件として、イスラエル軍の完全撤退を要求しています。果たして、彼には、テロを停止する意志があるのでしょうか?

 彼自身が、テロリストでありますから、テロと戦うという言葉を使うことは適切ではないでしょう。テロと戦うのではなく、テロ行為を彼自ら放棄する必要があります。


三宅弘之

(ハ・アーレツ、エルサレム・ポスト、ICEJ、イスラエル・ツデェイ、イスラエル・テレビ・ニュース)

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イスラエルからのニュース
2002年4月1日


 イスラエルでのパレスティナ人によるテロは、ますます激化の一途をたどっています。パレスティナ人による暴動が始まって、約一年半の間に、パレスティナ人のテロによって殺された人の数は、3月31日現在、415人にも上っています。そして、この3月には、110人を越える死者を出しています。すべてではありませんが、次に大まかに、三月に発生したテロ事件を箇条書きにしてみます。

3月2日、−エルサレムの市内における自爆テロ、9人の死者と57人の負傷者。
3月3日、−オフラでの銃撃テロ、10人の死者と5人の負傷者。
−ガザとイスラエルを結ぶ道路で、銃撃テロ、1人の死者と4人の負傷者。
−ギロの町に向けての銃撃、迫撃砲二発が打ち込まれる。
3月5日、−アフーラでバス自爆テロ、1人の死者と5人の負傷者。
−二機のカサムロケットが、発射され、一歳半の赤ちゃんが怪我を負う。
−テル・アビブでの銃撃テロ、3人の死者と1人の負傷者。
−ベツレヘム・バイパス道路での銃撃テロ、1人死亡。
3月7日、−ガザのユダヤ人居住区で襲撃テロ、5人の死者と23人の負傷者。
−アリエルのホテルで自爆テロ、11人の負傷者。
3月8日、−レストランのウェイトレスが、未然にテロリストを取り押さえる。
3月9日、−ネタヌヤで銃撃テロ、2人の死者と50人の負傷者。
−エルサレム市内の喫茶店で自爆テロ、11人の死者と54人の負傷者。

 イスラエル国防軍は、一連のテロ事件に対して、市民の生命と生活を守るために、テロ組織に対する軍事作戦を展開。

3月13日、−ハイファで、道路を通行中の車に対する銃撃テロ、6人死亡。

 イスラエル軍は、3月14日、アメリカの停戦勧告を受けて、ベツレヘムにある危険地域を除いて、すべてのパレスティナ自治区から撤退。しかし、アラファト議長は、イスラエル軍が完全に自治区から撤退するまで、停戦に関して何の行動も取らないと発言。

3月17日、クファル・サバで銃撃テロ、1人の死者と13人の負傷者。
 
 止まることのない、パレスティナ人によるテロ攻撃の中で、イスラエル軍は、アメリカの仲介によるイスラエルとパレスティナ間の安全会議の話し合いに基づいて、パレスティナ自治区から完全に撤退する。イスラエルのシャロン首相は、停戦に向けて強い意欲を見せる。しかし、アラファト議長は、停戦に関してなんら反応を示すことがない。

3月18日、−カサムロケット二機が、ユダヤ人居住区に向け発射される。
 −ガザの地域で銃撃テロ。幸い負傷者無し。
3月20日、−ハイファで、バス自爆テロ、7人の死者と30人近くの負傷者。
3月21日、−エルサレムの中心街で自爆テロ、3人の死者と87人の負傷者。
3月24日、−ラマラの近くで銃撃テロ、1人の女性死亡。
3月26日、−ヘブロンの国際監視員がパレスティナ人に銃撃され2人死亡、1人が軽傷を負う。死者はそれぞれ、スイス人とトルコ人の監視員。

3月27日、−ネタヌヤのホテルで過ぎこし祭りを祝う会場で自爆テロ、22人の死者と130人以上の負傷者。

3月28日、−サマリヤのユダヤ人居住区で銃撃テロ、4人死亡。

 3月29日、イスラエル政府は、度重なるテロ事件の中で、停戦合意に向けて努力するが、ネタヌヤのホテルでの惨事をうけて、再び、軍事行動を展開し、ラマラにあるアラファト議長の議長府を包囲する。

3月29日、−エルサレムにあるスーパー・マーケットに女性の自爆テロ、2人の死者と28人の負傷者。

3月30日、−テルアビブの喫茶店で自爆テロ、30人の負傷者。

3月31日、−ハイファのアラブ人経営者のレルトラン(ユダヤ人向け)で自爆テロ、14人の死者と30人以上の負傷者。
 −エフラットで自爆テロ、4人の負傷者。

 イスラエル国防軍は、さらに軍事作戦を拡大し、テロ組織の撲滅を目指す。

 以上が、三月におけるイスラエルでの主な動きです。この流れを見ても分かるように、イスラエルが、いかに停戦に向けて努力し、忍耐を持って、パレスティナ人によるテロを耐え忍んでいたかが明らかです。しかし、それに反して、アラファト議長を始め、パレスティナ自治政府が、いかに停戦に対して消極的であったか、むしろ、テロ行為に対して積極的であったかが示されています。

 このような状況下で、ヨーロッパ連合や国際連合の動きを見るときに、非常な理不尽さを覚えます。繰り返されるパレスティナ人によるテロの行為においては、沈黙を守っており、ひと度、イスラエルが、そのテロ行為に対して行動を起こすと、非難の声を上げます。このようなテロの続く中で、ヨーロッパ連合は、パレスティナ自治政府の支持を打ち出し、パレスティナ国家建設に対して、賛同の意を表しました。さらに、3月16日にイスラエルに対して、パレスティナ自治区からのイスラエル軍の完全撤退を要求しています。このような発言は、テロ行為を是認するものであり、そのような支援によって、さらにパレスティナ側は、テロを激化させていきました。また、国際連合の動きを見ると、3月13日にコーフィー・アナン国連事務総長が、イスラエルの領土に対する不法占拠を強い語調で非難する発言をし、暗にパレスティナ支援を示しました(双方の領土に関する取り決めは、まだなされておらず、パレスティナは、まだ、国家として認められてもいないにも関らず、不法占拠という言葉を使うこと自体が、過ちではないでしょうか。領土決定は、イスラエル、パレスティナ間の話し合いによって決定されるべきもので、それは進行中でした。)。3月30日の国連安全保障理事会は、パレスティナ国家建設に対する支援を決議し、さらに、パレスティナのテロ行為の停止を求めつつも、強い調子で、イスラエルの軍事行動を非難し、即刻、パレスチナ自治区から撤退することを勧告しました。

 このような、ヨーロッパ連合や国際連合の今までの態度が、このイスラエル・パレスティナ間の紛争を長期化させてきた一つの要因であり、今のテロの激化を招いた原因ともなっています。なぜなら、そのような後方支援は、テロ行為を悪として位置づけることをせず、かえって助長するものとなるからです。

三宅弘之

(ハ・アーレツ、エルサレム・ポスト、ICEJニュース、イスラエル・ツデイ、BBC, CNN、IBAイスラエルTVニュース)


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