2002年5月4日 パレスチナ人リンチ/パレスチナ人クリスチャンの迫害/ジェニン疑惑


イスラエルからのニュース
2002年5月4日


 多くのパレスティナ人たちが、同胞の手により、イスラエルの協力者であるということで無残に殺されるという事件が、毎日のように起こっています。この実態にも触れながら、いくつかのポイントをまとめてお知らせいたします。

1.冷血銃撃テロ

 四月二十七日、午前9時、安息日の朝、ヘブロンの近くにあるユダヤ人居住地区、アドゥラに数人のテロリストが、イスラエル兵士の制服を着て、フェンスを破り、その居住地区に入って、家から家へと渡り銃撃しました。この銃撃テロにより、四人が殺され、七人が負傷しました。

 しかし、このテロ事件のおぞましさは、彼らは、その被害者となった者を目の前に見ながら銃撃し、それがたとえ、五歳、四歳、といった幼子であっても、引き金を引くことができたということです。四人の死者の中に、ダニエレ・シェフィちゃん五歳が含まれており、また7人の負傷者の中に、二人の幼子が含まれています。これは、彼らが銃を乱射し、その銃弾が当たったというのではなく、それが幼子であるということを目の前に認めながら、引き金を引いているのです。

 テレビのニュースで、ダニエレちゃんの父、ヤコブ・シェフィさんが、病院で横たわり、すすり泣く彼の妻をいたわりつつ、必死に涙を抑えながら、訴えている様子を見ました。「私の子供たちは、まだ、五歳、四歳、一歳ですよ。彼らは何もわからない。彼らはいったい何をしたというのですか…」

2.イスラエルの協力者への惨殺行為

 パレスティナ人たちの残虐行為は、単にユダヤ人に対してのみではなく、同胞の中で、イスラエルに協力したという疑いのある者たちに対しても向けられています。一週間ほど前のテレビのニュースで、パレスティナ人たちが集まって奇声を上げるその中央に、血まみれになって倒れている一人のパレスティナ人青年の姿が映し出されていました。彼は、血まみれになって、死の痙攣をしながら、体を動かしていたのです。(右の写真は、惨殺の一例で、遺体を引きずっているところです。)

 彼は、イスラエルの協力者であるという疑いを受けたがゆえに、そのような残虐な目に遭いました。こうしたイスラエルの協力者に対する殺戮行為は、日常茶飯事に起こっています。パレスティナ自治政府の裁判によって死刑を宣告される場合や、また、裁判を受けることもなく殺されるケース、さらに、留置場に拘束されていた人たちが、そこに乱入して来た者たちによって殺されるなど、様々なケースがあります。彼らを銃殺やリンチによって殺害し、その体をロープで車に結びつけ町中を引きずり回し、町の広場に吊るすなどの行為が繰り返されています。

 また、そのイスラエルへの協力者として殺された者の遺族は、悲惨な状況にあります。ムハマッド・ダハラさんもイスラエルへの協力者であるということで、惨殺されたひとりです。彼の死体の引渡しを家族は求めましたが、それさえ拒否され、埋葬することさえ許されませんでした。彼の母、フダさん52歳は、近所の人から、その死体が近くのゴミ捨て場に放置されていた旨を知らされました。また、彼女は、そのような不名誉のゆえに、五人の娘たちが結婚できないのではないかと恐れています。そして、彼女も、また、彼女の夫も職を追われ、年少の子供たちは、学校でいじめを受けています。彼女は言います、「彼は私の最年長の息子です。彼を殺したものたちは犯罪者です。たとえ、彼が、訴えられているような行為をしたとしても、あのような残虐な死を受けなければならなかったのでしょうか?」

 今回のパレスティナ人暴動によって、何人の人たちが、イスラエルの協力者として殺されたかは、その数字をつかんではいませんが、エルサレム・ポストによると、1987年から1993年の間に起こったパレスティナ人暴動で、800人以上のパレスティナ人たちが、イスラエルの協力者であるとして、同胞の手によって殺されたと言われています。

3.パレスティナ自治政府による、パレスティナ人キリスト者への迫害の一例

 私のイギリス人の友人は、パレスティナ人のクリスチャンとコンタクトを持っています。Sさんはそのうちの一人ですが、ここに、彼がどのようにイエス・キリストを信じるに至り、どのような経験をしたかをご紹介したいと思います。

<Sさんの証し>

 私は、子供の頃、私たちの村に聖書を配りに来ていた人たちのことを覚えています。そして、それから30年後の1996年、私の兄弟がまず、サマリヤの教会から来た宣教師によって、聖書と共に信仰書を受け取りました。そして、兄弟は、私にその宣教師の教えを伝えました。それを聞きながら、子供の頃に村にやって来て、聖書を配っていた宣教師のことを思い出し、教会に行ってみようという気になりました。アラブ人教会に行って、まず感じさせられたのは、イスラムの文化との違いでした。そこにいる人たちのうちに、また、彼らの目のうちに、他者に対する理解と愛を感じさせられ、そこには、憎しみの雰囲気はまったくありませんでした。

 私がイスラムのモスクに行っていた時には、人々が言い争いをするのを見ました。また、そこで語られる教えは、ユダヤ人とクリスチャンを憎むということでした。しかし、教会では、人々はイエスへの愛と信仰について語っているだけなのです。彼らは、イスラム教徒やユダヤ人を憎んでいません。むしろ。彼らは言いました、神はクリスチャンもユダヤ人もイスラム教徒も愛しておられるのだと。私が初めて彼らに会ったときから、彼らのうちに愛を感じました。そのとき、私は36歳でしたが、それまで私が聞かされていたことは、憎しみ、殺人、それに報復でした。

 もしも、ユダヤ人を知らなかったならば、どんなことでも彼らにすることができるでしょう。でも、もしも、彼らを知るなら、あるいは共に住むなら、彼らもまた、感情を持った一人の人間であることを知ることができます。アラブ人とユダヤ人は、互いに知り合う必要があると私は思います。もしも、私が、自分の子供とユダヤ人との間に境界を引き、ユダヤ人たちは人間の肉を食べているのだ、だから、彼らを殺さなければならないと教えるならば、彼らはそのために立ち上がるでしょう。でも、もし私の息子が、ユダヤ人と会い、話をし、時を一緒に過ごすならば、彼らを憎むことをしないでしょう。私が願っていることは、子供たちに愛を教えることです。私は、その方向に進んで生きたいのです。愛のうちに歩み、憎しみの悪循環を捨て去ることを。私はそのような愛を教会で感じたのです。

 一人のクリスチャンが私の家に来て、聖書を教えてくれました。そして、4つの法則から教えられ、祈りに導かれ、悔い改めてイエス様を信じ、受け入れました。そのときから、私は聖霊に満たされ、我が家に平和と愛が訪れました。そして、家内も私の変化に驚き、彼女自身も求め始め、教会に行き、聖書を読むようになり、彼女にもまた、信仰が与えられたのです。

 神が、パレスティナの同胞に光を与えてくださることを、また、神が、すべての人に与えておられる幸いを知ることができますように、私は祈ります。ただ、イエス様に対する信仰と聖書によってのみ、すべての国々の間に平和が訪れる可能性があります。なぜなら、それは、神に対する信仰によって与えられるものであり、政治とは関係がないからです。

 しかし、その後、彼はその信仰のゆえに、また、ユダヤ人との間に平和を求める、そのような考え方のゆえに、パレスティナ自治政府の手によって逮捕され、20ヵ月半もの間、投獄され、拷問を受け続けました。彼が捕らわれる前は、とてもがっちりとした人でしたが、最近、奇跡的に解放されたときには、やせ細って、無残な姿になっていました。

 彼は、サマリヤ地区にあるナブルスの刑務所に収容されていました。イスラエル国防軍のテロ撲滅作戦により、イスラエル軍が、ナブルスに進攻したとき、パレスティナ側は、その刑務所にいたものは、すべて避難したから、それを攻撃し、破壊してもよいと伝えてきました。しかし、実際は、そこには政治犯として逮捕された200人を超える人々が残されていたのです。(自分たちにとっての邪魔者を除き、同時に、イスラエに大量虐殺の汚名を着せるという、一挙両得を狙ったものです。)しかし、その獄に閉じ込められている人々は、刑務所の看守たちが逃げ去るのを見て、ベットの鉄棒などを使って、獄を破り、そこから逃げ出すことができました。その中にSさんもいたのです。そのように、信仰のゆえに、また、ユダヤ人との平和を求めるがゆえに、苦しみを受けているのは、彼だけではないのです。

4.ジェニンをめぐる問題

 イスラエル国防軍のジェニン進攻に伴い、そこで大量虐殺がなされたかどうかということが、国際的にひとつの大きな問題として取り上げられています。国際連合からは、真相究明調査団が編成され、イスラエルに送られようとしています。当初、イスラエル側は、国連の調査団の受け入れを表明していましたが、後に受け入れを撤回しました。その撤回の背後には、国連の受け入れがたい不公正がありました。

 まず第一に、国連では、その調査団を送る前に、すでにイスラエルに対して、ジェニンでの大量虐殺非難決議を出しており、調査する以前から、すでに結果が出されているのです。調査団は、個々の事実を調べ、そこから結論を導き出すということが、基本的に求められます。しかし、国連の調査団は、すでに彼らが持っている結論に従って、個々の事実を取り上げるという調査がなされようとしており、当然そこには、真実が現されることはなく、単に、彼らの持っている結論に対して裏づけをするということで終わってしまうことでしょう。

 その調査団の人選にも、大きな問題がありました。そこには、軍事やテロに対する専門家が含まれておらず、単に、人道的な見地から物事が判断されるという人選になっています。そこでは、単に、破壊された家々の様子、さらに家を失った人々の姿、また、殺された人々のことなどが取り上げられ、その背後にある、実態、すなわち、ジェニンの難民キャンプが、テロの巣窟として用いられていたということ、テロリストたちが一般市民を盾にして、その背後から銃撃していたこと、さらに、家々に無数の爆弾が仕掛けられており、その爆弾による被害を避けるために、家々を破壊することは避けられなかったことなど、そうした事実が、明らかにされないということになります。
 
 また、その調査団の一員として選ばれた前国際赤十字の代表、コルネリオ・ソマルガ氏は、イスラエルのダビデの星のマークをナチスのまんじ(卍)と比較するなど、反ユダヤ的な言動をした人であり、さらに、イスラエルの赤十字加盟を公に否認した人物です。イスラエルは唯一、赤十字加盟を否認された国です。(パレスティナは国家として、まだ認められていませんが、赤十字に加盟しており、国連においてもイスラエルよりも大きな影響力を持っています。)
 
 国連の調査団を迎えるに当たって、パレスティナ側では、偽りの証拠を作り上げるために奔走しています。大きな墓穴をつくり、そこにジェニンで死亡し、発見された遺体の他、別の場所から遺体を掘り出して、その墓穴に放り投げています。そこに、大量虐殺があったという証拠を作り上げるためです。また、ジェニンの人たちに、どのように偽りの証言をすべきかを教え、訓練しています。以前に国連から特使としてラーセン氏が、ジェニンのキャンプに来たときにも、パレスティナ人たちは、多くの家畜を殺し、死臭を漂わせて、現場を演出していたことが明らかになっています。

 昨晩、五月一日、テレビのニュースで、ジェニンに関して、映像とともに一つのニュースが伝えられました。それは、パレスティナ人たちが、死体を担架で運んでいる映像です。途中、その担架が傾き、上に載せられていた遺体が、転がり落ちました。ところが、死体であるはずの人が、むっくりと起き上がり、急いで担架に飛び乗っているのです。それは、いかにもたくさんの人が、殺されているかのように見せるためです。彼らが、そのようにしなければならないということは、逆に、そのような事実はないということを物語っています。

 また、もうひとつ付け足すならば、アラファト議長直轄の武装グループ、ファタハの西岸地区リーダー、バルゴーティが、最近、イスラエル軍の手によって逮捕されましたが、彼の証言によると、すべてのテロ活動は、アラファト議長の承認なしには、なされえないということです。また、その活動のための資金も、アラファト議長の許しがなければ、使うことはできないということです。
 アラファト議長は、時に、アメリカやヨーロッパからの強い圧力により、テロ行為に対する遺憾の意を表しますが、実は、そのテロ活動は、彼の命令によって行われていたということが明らかになったのです。


三宅弘之


(ハ・アーレツ、エルサレム・ポスト、ICEJ、イスラエル・ツデイ、イスラエルTV・ラジオニュース)


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