2002年9月16日 アメリカ、イラク攻撃

2002年9月1日 ヘブライ大学のその後/パレスチナの恐怖政治


イスラエルからのニュース
2002年9月16日

 

1.ヨム・キプール(大贖罪日)

 イスラエルでは、今年は9月15日の夕暮れからヨム・キプールが始まり、翌16日の日没まで続きます。この日は、イスラエル国民の多くが断食をして共にシナゴグ(ユダヤ人会堂)に集まり、神に向かって、悔い改めと赦しを求める礼拝のときを持ちます。飛行機やバスを含めて、すべての交通は停止され、車もほとんど走りません。また、イスラエルの国境はすべて閉ざされ、緊急の必要以外には、出入国ができません。ただし、このような状況の中でも休みなく働く人々がいます。それは、テロ攻撃に備えて、防備する兵士や警察官、また、緊急の患者に対応するための医師や看護婦などです。テロ攻撃は、いつもこのような特別な日、あるいは祭りの日を狙ってされることが多いので、かえってこのような日は厳重な警戒を必要とします。

 今年のヨム・キプールは、例年に比べて、気温が上がると予想されています。それは、東方の荒野からの気圧が張り出し、暑い空気が流れ込んでくるためです。ですから、イスラエルでは、一日にして気温が急変するということは珍しくありません。おそらくエルサレムでも30度を超える気温になるかと思います。さらに、南端に位置するエイラートの町では、40度を越えるものと見られます。このような状況の中で多くの人々は、25時間一切の食物、あるいは飲み物を断ちます。ヨム・キプールに入る前に人々は、「断食が軽いものでありますように。」という挨拶の言葉を交わします。

 

2.アメリカの同時多発テロ事件から一年

 2001年9月11日から一年、アメリカでは、あの悪夢のような同時多発テロ事件を覚えて追悼記念式典が世界貿易センター、ツイン・タワーの跡地で挙行されました。イスラエルでは時差の関係で、午後3時から数時間に渡って、テレビで特別番組が組まれ、夜のニュースまで、その話題一色に染まりました。また、イスラエルでも、首相を始め政府の高官、軍部の将校なども出席して、アメリカの甚大なテロ被害に対する追悼記念式が執り行われました。それは、日々、テロに苦しめられているイスラエル国民にとって、アメリカの受けた痛み苦しみをよく理解することができるからです。

 テレビの映像で二機の飛行機がツインタワーに激突し、それによってビルがもろくも崩れ落ちていくあの生々しい場面が再現されました。イスラエル人ももちろんその被害者の中に含まれています。そのテロによって、一人の娘を亡くした母がその場面をビデオで見ながらこのように叫んでいました。「見て。見て。二機目の飛行機が激突する前までは、私の娘はまだ生きていたんですよ。ほら、ほら、この瞬間に娘は死んだんです。」と最後は声にならないような声で泣き叫びながら訴えていました。日本人の間にもこのテロに巻き込まれて亡くなられた方々がいらっしゃいます。世界貿易センターの跡地に残されたビルの残骸を心に刻んで、テロの恐怖、またそのおぞましさを忘れないようにしたいものです。

 

3.イラクの脅威

 9月11日のアメリカの同時多発テロの追悼記念式典がもたれた翌日、9月12日に満を持して、ブッシュ大統領は、イラクの脅威を国連会議の場で訴え、サダム・フセイン大統領をその政権の場から引き下ろすためにもイラクへの武力攻撃の必要性を強調しました。それに対するアナン国連事務総長の応答は、消極的なもので、アメリカの単独武力行使を牽制すると共に、イラク問題に対して、イスラエル・パレスティナ問題を持ち出し、アメリカが訴えるイラク問題の緊急性を弱める発言をしました。

 イラクは過去にもイラン・イラク戦争で化学兵器を使い、さらに少数民族を殲滅するためにも使用しました。そして、1991年のイラクのクウェート侵攻によって湾岸戦争が勃発したことは、まだ、記憶に新しいことです。

 このアメリカのイラク攻撃に対して、イスラエルは支援する立場に立っています。もしも、アメリカがイラクを攻撃するならば、イスラエルがイラクの標的となることは、イスラエル側でも十分理解していますが、そのようなリスクを払ってでもイラクの脅威を取り除くことの必要性をイスラエルは感じています。

 それは、一つに、イラクはテロの支援国であり、アルカイダやパレスティナ人テログループもイラクからの援助を受けており、また、そのようなイラクのテログループとのネットワークは、非常な脅威となっています。イラクが多量破壊兵器の保有に成功するならば、それらの兵器がテロ・グループに渡り、やがては、甚大な破壊行為に用いられる恐れがあるとの警鐘もならされています。アメリカでの同時多発テロ事件を見るときに、そのようなことも十分に考えられることです。また、もちろんイラクが多量破壊兵器をミサイルの弾頭に積んでイスラエルを攻撃することができるようになれば、容赦なくイスラエルに向けて放たれる恐れがあります。

 ですから、イスラエルの閣僚の中でも特にハト派で名高いシモン・ペレス外相でさえ、アメリカの立場を強く支持しています。彼は次のような警鐘を鳴らしています。もしも、サダム・フセイン大統領を野放しにするならば、1939年にヨーロッパが犯した過ち、すなわち、ヒットラーの台頭を許し、全世界に悲惨な戦争をもたらした過ちを再び犯すことになると。

 

三宅弘之

LCJE海外協力レポーター

 

(ハ・アーレツ、エルサレム・ポスト、イスラエル・ツデイ、ICEJ、イスラエル・テレビ・ラジオニュース)

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イスラエルからのニュース
2002年9月1日

1.ヘブル大学での爆破事件のその後

 ヘブル大学での爆破事件が起こって、約一ヶ月余りになります。私と家内は、韓国人の友人と共に、この爆破事件の被害に遭った三人の韓国人の方を見舞いに行ってきました。三人のうち二人は、いまだに集中治療室で治療を受けており、薬によって人工的な昏睡状態にあります。それは、その火傷などの傷による激痛を本人に感じさせないためです。それぞれに40%、50%の火傷を負っており、そのうちの一人は、テーブルの足が腹に突き刺さるなどして、瀕死の重傷を負っていました。一人は、30%の火傷を負っているものの、今では、ゆっくりと歩くことができるまでに回復しています。しかし、まだまだ、火傷の治療のために皮膚の移植手術を何度も受けなければならないというのが現状です。

 そうした中、このヘブル大学での爆破事件に直接関与した犯人が逮捕されました。パレスティナ人テログループ、ハマスに属する

 15人からなる一つのグループが逮捕され、ヘブル大学での爆破テロを含み、彼らは少なくとも4件の大きなテロ事件に関与しているものと見られ、そのテロによって35人が殺され、200人以上のけが人が出ています。更には、その15人のメンバーの中で中心的な役割を果たした四人は、東エルサレム在住のものであり、それぞれに定職を持っており、そのうちの一人は、ヘブル大学でペンキを塗る仕事をしていました。彼は、そのテロ事件の起こる前夜、爆発物の入ったバッグを外からフェンス越しに校内の草むらの中に隠し、翌日、そのバッグを取って、学生たちが一番よく集まっている時間帯を選んで大学の食堂に入り、バッグをテーブルの上に置き、その上に新聞をかぶせて外に出ました。そして、安全なところに出た後、携帯電話でその爆発物を起爆させたのです。

 その翌日には、仕事の以来を請けて、何食わぬ顔で大学に来て仕事をしていました。逮捕された後も、悔恨の念がまったく見られず、白々とした様子で連行されていく姿は印象的でした。

 その後も、7人のイスラエルの市民権を持つパレスティナ人が、逮捕されるなど、イスラエル領内に住む、パレスティナ人たちが、テロに関与していることが次々と明らかになってきています。

2.法によらず恐怖による支配

 824日、35歳で7人の母であるパレスティナ人女性が、イスラエルに協力したとして、胸や頭に多数の銃弾を受け殺害されました。アラファト直轄の武装集団ファタハに属するアルアクサ殉教者旅団が、その殺害を実行したことを公表しています。イスラエルの協力者として女性が殺害されたのは、これが始めてのケースです。それに先立って、彼女の17歳の息子が、そのテログループによって連行され拷問を受けており、その拷問の中で彼は、その苦しみから解放されるために彼の母がイスラエルに協力して情報を漏らしたという作り事の話を告白しました。その直後、彼の母は殺害されたのです。これは、見せしめの意味を持つものであり、恐怖政治によって人々を支配するパレスティナ自治政府の体質が明確に表されています。

 その同じ週に、さらに2件の同様な事件があり、24歳のパレスティナ人青年が、イスラエルの協力者として、同グループ、アルアクサ殉教者旅団によって殺害され、さらに、18歳のパレスティナ人少女ラジャ・イブラヒムさんが、頭に銃弾を打ち込まれ殺害されました。いずれも残虐な拷問によって無理に自白させられたものです。このような非道が果たして許されるべきことなのでしょうか。

3.パレスティナ自治政府による報道規制

 パレスティナ自治政府は、過去に置いても何度も報道規制を強いています。ラマラで起こった二人のユダヤ人に対する残虐なリンチ殺害事件が起こったときにも、その様子を撮影した映像を流すことを禁止し、また、アメリカでの同時多発テロが起こったときに、パレスティナ人たちが盛大に喜び歓声を上げている様子が映像に映し出されましたが、自治政府は直ちにそのような映像を流すことに対して停止命令を出しました。

 そして、今回もパレスティナ自治政府は、報道の規制を強制しています。それは、何人もの子供たちが、自爆テロリストの姿で、あるいは、ライフルなどを持って行進に参加しており、そのような子供たちの姿を撮影することを禁じているものです。そのようなことは、既にこの二年近くに渡る暴動の中で常に見られる状況でした。

 パレスティナ報道機関連盟副議長のタウフィック・アブ・クーサ氏は次のように述べています。「我々は、武装した子供の写真を撮ることを禁止することに決定した。なぜなら、それは明白な児童の人権の侵害であり、又、そのような写真はパレスティナ人民に対して、否定的な影響を及ぼすからである。」

 この宣言文を読まれておかしいと思われるところはありませんか。ここでは、児童の人権ということが謳われていますが、果たして、そのような写真を撮ることが、児童の人権の侵害になるのでしょうか。それとも、子供に武装したテロリストの格好をさせることが、児童の人権の侵害となるのでしょうか。また、報道を禁止することが正しいのでしょうか。それとも、子供を用いて人々を暴動へと駆り立てる行為を禁止することが正しいのでしょうか。

 そのような行為は断固として糾弾されるべきものであり、報道を通して世界に明らかにされるべきものです。

三宅弘之

(ハ・アーレツ;エルサレム・ポスト;イスラエル・ツデェイ;ICEJ;イスラエル・テレビ、ラジオニュース)


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