2003年2月19日 選挙結果



イスラエルからのニュース
2003年2月上旬

2月上旬

選挙結果

 128日に行なわれた総選挙で、シャロン首相率いるリクード党が37議席を獲得して大勝し、右派が70%あまりを占めるという結果になりました。これは、テロによって脅かされている人々が、どれほどその解決を第一に求めているかということが表されています。

 また、リクード党と労働党と共に連合政権確立を謳っていた世俗派のシヌイ党が5議席から15議席と大幅に議席数を伸ばし、一気に第三政党の座に伸し上がりました。シャロン首相は、右派に傾く連合政権を避けたい意向であり、労働党を含んでの連合政権を望んでいますが、19議席のみと、第一党の地位から転落した労働党党首、ミツナ氏は頑なにシャロン首相率いるリクード党との連合を拒否しており、連合政権確立に苦慮しているというのが現状です。

 

地中海の汚染騒ぎ

 イスラエルでは、今は雨期でたくさんの雨が望まれていますが、1月の末にあった大雨のためにヤッフォの地域で下水管が破裂するという事態が起こりました。そのために、生の下水が地中海に流され、一日に20万トンもの下水が地中海に放出されています。下水管の修理がなかなかはかどらず、イスラエル沖での地中海の汚染が広がっています。

 イスラエル沖で取れた魚を食べないようにとの警告も出されるなど、深刻な状況が続いています。

 

ホテルの予約満杯

 古いタイプのガスマスクを新しいタイプのものと交換するようにとの指示が政府から出され、ガスマスク配布センターでは、連日たくさんの人が列を作っています。店先では、部屋を密閉するためのビニールやテープなどが並べられており、人々はそれらを買い求めています。また、飲料水や保存食などを備蓄するようにとの指示も早くから出されています。戦争になった場合、テルアビブを中心とする海岸沿いの町が最も危険となるため、そのような地域に住む人々の多くは、海外あるいは比較的安全なところに退避する備えをしています。そのため、暴動のために通常は閑古鳥が鳴いているエルサレムやエイラートのホテルでは、戦争に備えての予約で一杯であるとのことです。


イスラエル初の宇宙飛行士

 イスラエル空軍きってのエリートで、ホロコーストで生き残った父を持つ、イラン・ラモン氏48才がイスラエル初の宇宙飛行士として選ばれ、スペースシャトル、コロンビアに乗船しました。イスラエルでは、この出来事に沸きかえり、イディオート・アハロノート紙では、次のような言葉が書かれていました。「私たちは、パレスティナ人青年が、私たちを爆弾で爆破することを止めるのに成功していないけれども、嵐の中で天に昇ったエリヤ以来、初のヘブル人の宇宙飛行士が誕生した。」このことはイスラエルにとって、ひとつの大きな喜びであり、誇りでもありました。

 しかし、コロンビアは地上への帰還直前、テキサス上空で無残にも爆破し、粉みじんとなってしまいました。


ベルギー法廷

 2月13日、イスラエルにとってショッキングな裁定がベルギーでなされました。それは、1982年にレバノンのサブラとシャティアで起こった虐殺事件について、当時、国防大臣であったアリエル・シャロン首相とベイルートでの司令官であったアモス・ヤロン氏が、それぞれ、虐殺の責任者としてベルギーの裁判にかけられることになったのです。シャロン氏は、首相として外交特権があり、現時点では裁判にかけることはできないが、首相の座を降りた後に、裁判が開始されるとの裁定です。

 この裁定に対して、外務大臣であるネタヌヤフー氏は、ベルギーのイスラエル大使を呼び戻し、「テロと戦うものが訴えられて、テロリストたちが勝ち誇っている。」「ベルギーはイスラエルを傷つける助けをしているだけではなく、すべての自由世界に対してそれを行なっているのである。イスラエルは最も厳しい姿勢でそれに対抗する。」また、それは血の中傷であると強い反対声明を出しています。

 イスラエル大統領のモーシェ・カツァーブ氏、アシュケナジーのラビの長イスラエル・ラウ氏も同じく強くその裁定を非難しています。

 レバノン戦争は、レバノンに逃れたアラファト議長をはじめとするパレスティナ解放機構(PLO)が、イスラエルに対してテロ行為を繰り返し、さらに海外にいるユダヤ人を狙ってのテロ行為に出た結果、イスラエルが、そうしたテロの脅威を除き、レバノンを乗っ取っているPLOを追い出し、レバノンの自治権を回復するために始まったものです。

 レバノンでPLOによって多くの人々が虐殺され、また多くの女性が強姦の被害に会いました。彼らは、生きた人間の手足をそれぞれ4台の車につなぎ、合図と共に疾走する、あるいは、チェーン・ソウで徐々に切り刻んでいくといったような残虐行為を繰り返していました。また、我が物顔に土地を没収し、それを基地としたり、一般市民の家々を乗っ取り、そこを武器弾薬の貯蔵庫にするなど、目に余る行為を行なっていました。そうしたなかで、彼らの残虐行為に対して、憎しみを積もらせていたレバノン人が、最終的にサブラとシャティアで虐殺事件を起こしたのであって、それは、シャロン氏による命令でもなく、イスラエル国防軍によってなされたことでもありませんでした。

 レバノンに平和をもたらしたものが訴えられ、残虐行為を繰り返してきたものたちが勝ち誇っているというのが、このベルギー裁定です。

三宅弘之

LCJE海外協力レポーター

(ハ・アーレツ、エルサレム・ポスト、ICEJ、マモン・ベネット著「Philistine」、イスラエルテレビ・ラジオ ニュース)


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