2004年11月29日 PLO議長候補者/ガザ撤退案折衝
2004年11月23日 エジプト軍兵士を誤射、など
2004年11月14日 アラファトの死
2004年11月8日 最年少の自爆テロなど


イスラエル・レポート

11月第5

 


1.アラファトはエルサレム出身?

 フランスでは、アラファトの死因や治療経過などについて公表することはプライバシーの保護について定めたフランスの法律に反するとして、一切、公表しようとしない。そのこともあって、アラファトの死を巡って、イスラエル毒殺説が特にアラブ諸国の間に広がっている。

 そして、今度はフランスで出された死亡証明書にアラファトの出生地がエルサレムとなっており、事実と反する記載が行われていた。在仏イスラエル大使のニッシム・ツヴィリは、その偽りの記載に対して抗議を申したて、そのような記載を行ったものは法的な手段に訴えられる可能性があると述べ、「私は全く理解できない。アラファトがフランスに着いたときにはカイロで生まれたとされ、フランスを出るときにはエルサレムで生まれたとされている」と語った。


2.不法な水引き

 シャロン首相のガザと一部西岸地区からの撤退案には、いろいろな問題が絡んでいるが、パレスチナ人による不法な井戸掘りをどのように食い止めるかということもひとつの大きな課題である。

 イスラエルとパレスチナ自治政府との間には、井戸掘りに際して、イスラエル・パレスチナ水道管理委員会に許可を得ることが義務付けられているが、撤退の対象となっている西岸地区の北方地域では、300にも及ぶのではないかと言われるほどの不法な井戸掘りがなされている。

 
もしも、その地域で井戸掘りが止められず、無計画に地下水をくみ上げ続けるなら、地下の海水と淡水とのバランスが崩れ、淡水層に塩分が増し、水がもはや農耕に適さなくなってしまい、イズレエルやベテシャンの谷などの農耕地域に大きな被害が及ぶことになってしまう。

 そして、もしもイスラエルが北方の西岸地区から撤退するなら、パレスチナ人は重機を持って、大掛かりな井戸掘りを始めることは必至であり、今後、撤退案を進めていく上で、大きな問題となっている。


3.バルグーティ立候補辞退

 今回の4年に及ぶインティファーダーで5人のイスラエル人の殺害が立証され、5度の生涯分の懲役が言い渡されたPLO(パレスチナ解放機構)主流派のファタハ若手幹部マルワン・バルグーティのパレスチナ自治政府議長への立候補に関する動向が注目されていた。ファタハでは、すでに前首相であり、アラファト後継のPLO議長であるマフムード・アッバスが、PA(パレスチナ自治政府)議長候補として選出されている。だから、バルグーティの選択として、ファタハに留まりアッバスのPA議長選を支持するか、それとも独自にPA議長候補として立候補するかの二者択一を迫られる形となった。

 そして、最終的に立候補を断念することに決意した。その決心の背後には、アッバスがPA議長に擁立されたとしても、アメリカ主導の和平案に反対するハマスやイスラム聖戦などの過激派の支持を得ることができず、結局は短命に終わってしまうとの読みがあったものと思われる。殺人罪で5度の生涯分の懲役に服役する監獄の中で次の機会を待つのであろう。


4.2005年度の予算案を巡って

 シャロン首相の撤退案に対して、労働党やシヌイ党などの左派が支持しているのに対して、宗教政党のみならず自党のリクード党内で反対が起こっている。そうした中で、2005年度の予算案可決に向けての駆け引きが行われている。自党内においても撤退案に絡んで、予算案に賛成票を投じない議員があり、賛成多数を得ることが難しい状況の中で、シャロンとネタヌヤフー蔵相は宗教政党を金で釣る策略に出た。統一トーラー・ユダヤ教政党(UTJ)と国家統一党の賛成票を得るために75千万シェケル(約18億円)もの予算を割こうとしているのである。撤退案を支持する左派は、予算案不可決によって現政権が倒れないように、この苦肉の策を暗黙するとの読みであったが、その読みに反して、第三政党で超世俗派政党のシヌイが、連合離脱を盾に宗教政党におもねる予算案の変更に反対を表明した。

 この流れの中で、シャロン首相の思惑の中に新たな連合がある。現時点では、リクード党内で労働党との連合に反対する声が強い。しかし、シヌイが連合を離脱し、代わりに宗教政党が加われば、労働党との連合に反対する自党内での声も和らぎ、安定多数の連合政権を成立できる可能性があると考えているようだ。そして、シヌイは連合を離脱しても撤退案には反対しないとの読みがある。しかし、シヌイの側でも労働党に対して、シヌイが離脱した場合にリクードとの連合を組まないように働きかけている。

 2005年の予算案を巡って、これからもぎりぎりの折衝が続きそうである。


三宅弘之

LCJE海外協力レポーター


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イスラエル・レポート

11月第4



1.黙示録成就の序曲?

 アメリカのいくつかの州でも条例化されているが、イスラエルでも犬の管理に関して、新しい規則が設けられた。今後、新たに犬を飼う場合、犬の皮膚の下に米粒大のマイクロチップを埋め込むことを義務付けられることになった。マイクロチップによって、保護された迷い犬の飼い主がすぐに判別でき、さらにその犬の医療披瀝なども検出されて、適切な治療に役立てることも可能だ。しかし、同時に犬が人を噛んで傷つけたりするなら、その飼い主は自分のオーナーシップを否定することができなくなる。

 非常に便利なシステムであるが、黙示録ですべての人の右手か額に刻印が押され、その刻印のないものはものを売買することができなくなるとの預言を覚えるときに、人間用のマイクロチップが法令化されるようになるのもさほど遠いことではないように思われる。


2.イナゴの来襲

 北アフリカから飛来してきたイナゴが、シナイ半島でも見られるようになり、憂慮していたとおり19日の金曜日にネゲブ南方にイナゴの第一波が飛来してきた。その後、土曜日にさらに大きなイナゴの群れがエイラートや死海の地域にも及んだ。イナゴの災害は1959年と61年以来で、空中からの殺虫剤の散布などで対応しているものの農作物の被害の拡大が心配されている。イナゴは日に自分の体重分の食物を食べる。100万のイナゴは、5000人分の人間の消費に匹敵すると言われる。

 ネゲブの西のシャローム地方は、イスラエルでも有数のじゃがいも生産地で、国内生産の50%がここで産出されている。すでに、この地方のじゃがいも畑へのイナゴの被害がではじめているが、さらにイナゴがこの地域に飛来してくるならば、甚大な被害に及ぶことになる。

 しかし、イスラエル人でイナゴを好んで食べる人たちやタイからの外国人労働者などは、イナゴを捕り集めて、舌鼓を打っている。エイラートのあるイスラエル人は、一匹のイナゴを捕まえて生のままで食べ、「これはおいしい」と舌なめずりをしていた。


3.大きな誤り

 エジプトとイスラエルの国境ラファの地域を警備中のイスラエルの戦車が、3人の人影をパレスチナ人テロリストであると誤認して砲撃し、その3人を殺害した。しかし、その3人はエジプト人国境警官で、その事件の報告を受けたシャロン首相は、直ちにエジプトのムバラク大統領に電話で謝罪し、防衛長官のシャウール・モファッズも同じくエジプトの防衛長官であるフセイン・タンタウィに謝罪した。しかし、この出来事のためにエジプトの外務大臣アフメッド・アブール・ゲイトは、イスラエルのガザ入植地からの撤退に関して話し合うために、1124日にイスラエル訪問を予定していたが、その訪問は12月上旬に延期されることになった。

 また、エジプトの民衆の多くは、イスラエルの謝罪を受け入れず、翌日600人余りが「豚の謝罪などで我々の怒りを静めることはできない」などと書かれたバーナーを持って抗議のデモを行った。その後も抗議のデモが、あちらこちらの街で行われており、エジプトのメディアもイスラエルを厳しく非難し、民衆の怒りをあおっている。

 この出来事が起こる前に、そのあたりで3人のパレスチナ人がおかしな行動をしているのが確認されており、爆弾を仕掛けているのではないかとの疑念がもたれていた。そして、再び3人(この時は、エジプト人国境警官であった)が現れ、警備に当たっていたイスラエル軍の戦車が砲撃に及んだ。偶然という言葉を使うことが許されるなら、まさに不幸な偶然が重なった事故であった。


三宅弘之

LCJE海外協力レポーター

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イスラエル・レポート

113


1.アラファトの死

 アラファトの死去に関するニュースは、日本でも大きく取り上げられたことと思う。急激に体調が悪化し、専門医による集中治療を受けるためにフランスに運ばれたが、その治療の甲斐もなく他界することになった。パレスチナ側は、いろんな形でアラファトの死をイスラエルのせいにしようとしている。3年以上に及ぶ、ラマッラの議長府での軟禁が、健康の悪化につながったとして非難する一方、イスラエルがアラファトに毒を盛って殺したのだという話しがまことしやかに語られている。フランスの治療に当たった医師たちも毒が盛られた痕跡は全くないと否定しているにもかかわらず、このような嘘が多くのパレスチナ人たちによって信じられているのである。


2.アラファトの経歴

 アラファトという人物の経歴ほど不思議なものはないだろう。1970年代のパレスチナ人による4件の旅客機ハイジャック(内一機は爆破された)、それにヨルダン王国の乗っ取りをもくろみ市民戦争にいたらせたこと、さらにアラファトを支援し、ヨルダンから追い出された彼らを受け入れたレバノンをも乗っ取り、数多(あまた)の血を流し、1982年のイスラエル軍によるレバノン開放まで恐怖と混乱による支配を続けたことなどは、彼の経歴のひとつである。彼の手は多くのユダヤ人の血で血塗られている。そして、最後までテロを放棄することなく、血を流し続けた彼が、ノーベル平和賞を受賞し、英雄として称えられ、自由と平和の戦士と唱えられているのである。このことを通して、改めて歴史というものの信憑性に疑問を抱いているのは私だけだろうか。


3.アラファト後継問題

 アラファトは、後継指名をすることなく、この世を去った。それは、最後まで権力の座に未練を持っていたことを示しているように思われる。後継指名なくして他界したなら、後にどのような混乱をもたらすかを承知していたはずである。アラファトの埋葬から二日後に早速、流血の事態が起こった。服喪の公式テントに向かって、20人ぐらいの武装したパレスチナ人たちが、銃を乱射したのである。そのテントの中には、ムハマッド・アッバス前首相と前保安長官のモハメッド・ダーランの二人がいた。二人は、ともに親米派であるとみなされており、その銃撃の中で彼らに対して、「裏切り者」と叫ぶ声が聞かれた。一人のアッバスのボディーガードとダーランの一人の部下が殺され、数名が負傷した。

 アラファトの遺志を継ぎ、武力闘争を訴える「アブ・アマル旅団」と名乗るグループが犯行声明を出している。しかし、アッバスとダーランは、ともにそれが彼らの暗殺を意図したものであることを否定している。

 前首相のアッバスも現首相のクレイもともに妥協的であるとして民衆の間では余り人気がなく、かといってハマスやアル・アクサ旅団に特出した人物がいるわけでもなく、人気度の高いマルヴァン・バルグーディはイスラエルの刑務所の中である。

 19日に選挙を行うことが発表されたが、今後の動きはさらに流動的である。


三宅弘之

LCJE海外協力レポーター


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イスラエル・レポート

118

1.少年による自爆テロ

 
自爆テロによる犠牲者の一人 
111日、いつも人で賑わうテルアビブのカルメル・マーケットで、自爆テロがあり、3人の死者と40人あまりの負傷者が出た。今回の自爆テロは、16歳の少年アマル・アル-ファルによるもので、最年少の自爆テロとなった。彼の両親は、自分の息子がそのような行為に出るなどとは夢にも思わず、その知らせを聞いて母のサミーラ・アブドゥラさんは、自己の責任を取れないような若者を自爆テロに駆り出す行為を怒りをもって非難した。また彼の父は、「アマルをリクルートした者たちを神がのろわれるように。ナブルスで若者たちをリクルートしているという話は聞いたことがあるが、まさかそれが本当のことだとは信じていなかった。確かに占領によって、ここでの生活はとても厳しい。しかし、だからといって若者がこのように利用されるべきではない」と語った。


2.揺れる政界

 今、イスラエルの政界は、揺れに揺れている。シャロン首相の分離案に基づくガザと一部ユダヤ・サマリヤの入植地からの撤退の是非を問う投票が国会で行われ、賛成66、反対44、棄権9で可決された。しかし、この撤退に対して、与党内部で約半数が反対票を投じた。特に、蔵相のベニヤミン・ネタヌヤフー、教育大臣リモール・リブナット、厚生大臣ダン・ネヴェ、農業大臣イスラエル・カツなどは、国民の是非を問う国民投票を行うべきであるとして、14日以内(119日が期限)に行うことを決心しないなら辞職をも辞さないと迫った。ネタヌヤフー蔵相以外は、その後、辞職宣言を取り下げたものの、シャロンとネタヌヤフーとの関係はこれまでで最悪の状態である。

 また、2005年の予算案についても、過半数を得られる見込みがなく投票は延期となった。もしも、予算案が可決されないということにでもなれば、国会の解散、そして可決された撤退案も流れる恐れがあるとして、野党の労働党は、支持する構えを見せていた。しかし、世俗派の党シヌイのアブラハム・ポラズが、宗教党に妥協した形のネタヌヤフー蔵相の予算案に対抗して、独自の予算案を国会に提出すべく労働党に協力を要請している。

 自党内で、分離案に反対した議員たちの予算案に対する票も読むことができず、苦しい展開となっている。


3.アラファト議長の死?

 当初、風邪と思われていたアラファト議長の容態が悪化し、検査の結果白血病の恐れがあるとの診断が下され、パリの病院で治療を受けることになった。しかし、そこで容態が急遽悪化し、さらにパリ郊外の軍の病院に運ばれたが、その後の動向について明確な回答が与えられていないために情報が錯綜している。現在は、暫定的にアッバス全首相が、アラファト議長の代行となり、クレイ首相は、治安、財政の権限の移行を受けて行政を担当する形になっている。ポスト・アラファトに向けてパレスチナ各派による協議が続けられているが、ハマスなどの過激派を完全に抑えることは難しい状況にある。彼らは内部抗争を避けることには合意しているが、イスラエルに対するテロ行為の停止には、従うことを拒んでいる。また、各派合同の統一支配を主張しており、政治面における過激派の勢力拡大をも狙っている。

 また、議長の死後、埋葬地の選択も大きな問題となっている。パレスチナ側は神殿の丘にある埋葬地に葬ることを要求しているが、イスラエル側はそれを拒否し、議長の父と姉が埋葬されているガザでの埋葬地で葬ることを認めている。他にラマッラな度も候補に上げられているが、いずれにしても、各国の代表を迎える整備と警備体制のか確保が、難しい問題である。

 イスラエルは、アラブの敵国の代表も葬儀に参列することができるように、ガザの空港に直接降り立つことを許可している。

 議長の死が一つの和平の進展の大きな機会と見られていることは皮肉なことである。ノーベル平和賞を受賞した議長であるが、実際は平和の妨げであり、平和の敵であったということになる。


三宅弘之


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