12月第4週

 

1.アッバスPA議長候補の頑なな選挙公約

 アッバスPA議長候補は、選挙選の演説でアラファトの意思を継いで、一切妥協しないとの自らの立場を表明した。それは、1967年以前の国境ラインとエルサレムを首都としたパレスチナ国家の建設、それに適切なパレスチナ難民問題の解決などである。それに対してイスラエルのシャローム外相は「アラファトのレガシーは、平和に導くものではなく、テロにつながる道である」とアッバス候補の言葉を牽制した。

 このアッバスの演説の背後には、マルワン・バルグーティの立候補辞退を迫る際に先のようなパレスチナ側の要求を堅持することを確約したこと、また、武力闘争を訴えるイスラエル原理主義グループなどの支持を取り付けるためでもある。

 イスラエルに対して妥協しないとの態度を示したことは、取りも直さず、自治政府の議長席に就く前から世界が期待している和平に向けての建設的な対話より、自らの要求を通すためにはテロをも辞さない過激派に対して妥協してしまったことになる。ある意味で、それは逆に、和平路線を打ち出していた自らの意見や意思を通すことのできない彼の弱い立場と性格が露呈した格好である。


2.グッドウィル・ゼスチャー

 イスラエルは、パレスチナ自治政府の議長選を前に159人のパレスチナ人の囚人を釈放した。それらの囚人は、ユダヤ人の殺害に関わっていないもの、そして刑期の満期を近く控えているものたちが主である。それは、先にエジプトがスパイ容疑で逮捕されていたアッザム・アッザムを刑務所から8年ぶりに釈放したことに応えたものであり、また、アッバス候補にエールを送るためのゼスチャーでもある。


3.連合足踏み

 前回に引き続いての政治の動きであるが、リクード党と労働党の連合が、ほぼ決まったかに見えたが、労働党党首シモン・ペレスの副首相の席を巡って難航している。イスラエルの組閣に関する基本法で副首相は一人だけと定められており、今回、連合に際し、ペレスを副首相として向かえるために、この基本法の改定が必要となっている。それは、前エルサレム市長のエフード・オルマートがすでに副首相の席にあるためである。その法改正について国会での第1回目の投票では賛成多数で、スムーズに法改正が進むかに見られたが、鍵となる国会の委員会が法改正に対して反対を表明し、座礁する形となってしまった。ペレスの側では、副首相としての立場が明確になるまでは、連合に関する盟約に署名することを拒んでおり、オルマートも他党のものに一時的なりとも単独の副首相としての座を許すことを拒んでいる。解決の糸口を模索中であるが、今のところ八方塞といったところだ。


4.イギリスが動く

 イスラエルとパレスチナの和平に向けての動きに好転が見られることから、イギリスも大きく動き始めた。イギリスは、パレスチナの国家建設に備えるための支援会議を来年ロンドンで開くことを計画しており、そのためにイスラエルに訪れ、イスラエルとパレスチナ双方に理解と参加を求めた。しかし、イスラエルは、そのテーマが主にパレスチナの問題にあるとして、欠席の旨を伝えた。そして、パレスチナ側では、アッバスPLO議長はそのような動きに対して肯定的であるが、クレイ現副首相はそのような会議の必要性を否定している。ここにもパレスチナ内部に分裂のあることが見受けられる。

 イギリスのブレア首相は、自らの存在感を示す絶好の機会として、この歴史的な和平の仲介役を望んでいるが、イスラエル側のイギリスに対する不信感は根強いものがある。

三宅弘之

LCJE海外協力レポーター


イスラエル・レポート

12月第3週

 

1.撤退表明後も砲撃は続く


 インティファーダーが始まってからこの4年間で、ガザ地区の南の地中海海岸沿いにある入植地グシュ・カティーフに5000発にも上る臼砲が打ち込まれている。その攻撃により、今までに4人が死亡、100人以上の負傷者が出ている。平均で日に34発の爆弾が打ち込まれていることになる。こうした現状については、日本ではほとんど伝えられていないと思う。ただ、イスラエル軍がガザ地区に入って、家を占拠し、人を殺し、または家を破壊するというニュースだけが突出して伝えれているようだ。

 ガザ地区からの撤退が計画されている現在でも、臼砲(ほうきゅう)がユダヤ人入植地に向けて打ち込まれ続けている。イスラエル側が撤退を表明しているのであるから、砲撃を続ける必要はないはずである。でも、どうしてあえてそのようなことを行うのであろうか。それは、その撤退がイスラエル側の独自の意思で行われたのではなく、あくまでもパレスチナ武装団の攻撃が功を奏したとの虚偽を構築するためである。そして、そのことをひとつの教訓として残すためである。それは、「武力闘争は報われる」ということだ。


2.政情の変化

 パレスチナ自治政府(PA)議長選挙に立候補を表明し、辞退、そして再び心を翻して出馬を申し出ていたマルワン・バルグーティであるが、PAの母体であるパレスチナ解放機構(PLO)で大きな力を持つファタハの説得により、最終的に出馬を断念することになった。これにより、現PLO議長のアフムード・アッバスの当選が濃厚になった。

 片やイスラエルのシャロン政権にも大きな変化が起こった。2005年の予算案が国会で否決されたが、そのときに反対票を投じた第3政党のシヌイ党が野党に転じ、それに代わって第2政党の労働党が与党のリクード党と連合することになった。労働党は、シャロン首相の撤退案の推進のために協力する形で連合に賛成した。八つの大臣の席と福祉、医療、年金に関しての予算の修正、それに副首相は一人とする内閣に関する基本法を改正して、現副首相のエフード・オルマートとともにシモン・ペレスを副首相にするということで合意に達した。労働党としては、これで久々に政治の表舞台に出て、民衆に肯定的な印象を与えて2006年の総選挙に大幅に議席を伸ばしたいところである。アッバスがアラファト後継に選ばれれば和平の進展を期待することができ、そのプロセスの中で大きなインパクトを与えることができる。また、シャロンの撤退案は基本的には労働党の路線であり、最終的には自分たちの主張が正しかったのだと民衆に訴えることができる。だから、今シャロン政権が倒れて総選挙になるよりも、今の時期をうまく利用して、2006年の総選挙につなげる方が得策というわけである。


3.バヌーヌがグラスゴー大学の総長に選ばれる

 イスラエルの核開発に関する機密事項を漏洩したとして、18年間投獄され、解放後も海外に出ることも、また接触も禁じられ、報道関係のインタビューに応じることも禁じらているモルデカイ・バヌーヌが、今回、学生たちの選挙でスコットランドのグラスゴー大学の総長として選ばれた。それは、ウィリアム・グラッドストーン、ベンジャミン・ディスラエリ、それにウィニー・マンデラにつぐものである。バヌーヌはイスラエルを憎んでおり、イスラエルにとって不利になるような発言を続けている。最近もイギリスのスカイ・ニュースで次のような発言を行った。「イスラエルについて取り扱うように世界に圧力をかけるためにイランは核開発を行っている。イランは核兵器なんか必要ではないと思う。また、核兵器を使うつもりもないと思う。でも、世界がイスラエルの現状を無視しているので、イランや他の国がイスラエルと対等の立場になるために仕方なく核開発を行っているんだよ」

 だから、海外では人気のあるバヌーヌであるが、国内では一般的に快く思われていない。

 先頃、1976年のノーベル平和賞受賞者であるメイリード・コリーゲン・マグワイアー(Mairead Corrigan Maguire)が、イスラエルの核兵器工場をナチスのガス室にたとえ、バヌーヌーの海外渡航禁止を解くように訴えた。また、バヌーヌも「私は、クリスチャンだ。だから、家族(アメリカにいる養父母)や世界中の友人とクリスマスを祝わせてい欲しい」と要求している。

 バヌーヌについて、これからも引き続きイスラエルは頭を痛めそうだ。

三宅弘之

LCJE海外協力レポーター


12月第1週

 

1.バルグーティの心変わり

 パレスチナ自治政府の議長選挙が来年の19日に予定されているが、その選挙にイスラエルの刑務所に服役中のマルワン・バルグーティが立候補するか否かが注目されていた。一度は、立候補を断念したバルグーティであるが、一変して出馬を宣言した。

 状況を把握するために、少しパレスチナ自治政府(PA)の背景に触れてみたいと思う。パレスチナ自治政府は1993年にイスラエルとパレスチナの間に結ばれたオスロ合意に基づいて設立されたパレスチナの行政機関であり、パレスチナ解放機構(PLO)が母体となっている。糸を手繰っていくならば、PLOは1964年にイスラエルに対する武力闘争を掲げて設立され、その中でアラファトをリーダーとするファタハが中心的なグループとなり、1969年にアラファトが議長に選出された。

 そして、PLOの中でファタハが最も強い影響力を持っており、このファタハによって、アラファトの後継(PA議長)として選出されたのが、現PLO議長であり、元首相であったムハマッド・アッバスである。

 そして、バルグーティは、このインティファーダーのときにファタハから枝分かれした過激派アルアクサ殉教旅団のリーダーである。
(ハマスやイスラム聖戦などのイスラム原理主義組織は、イスラエルの生存権を認めておらず、オスロ合意に反対しており、PAとは一線を画している。)

 ファタハはアッバスPLO議長選出一本化を求めており、強力な対抗馬となりうるバルグーティに対して、立候補の辞退に大きな圧力をかけている。

 

2.8年後の解放

 8年前にドルーズ・アラブのイスラエル人でビジネスマンであったアッザム・アッザムが、エジプトにス
ガリラヤの故郷で大歓声をもって迎えられるアッザムアッザム
パイ容疑で捕らえられ、禁固15年の刑を宣告された。イスラエル側は事実無根であると強く主張し、アッザムの釈放を求め続けてきたが、今年の8月に、テロ容疑で逮捕された6人のエジプト人学生との交換という形それが実現に至った。
獄中のアッザム

 エジプトがアッザムの解放に踏み切った背景には、いくつかの要因が見られる。ひとつは、シャロン首相が、エジプトがイスラエル・パレスチナ間の和平に介入する条件としてアッザムの解放を挙げていたことである。シャロン首相の一部西岸地区とガザからの撤退案やアラファトの死によって、和平への展望が開かれてきたこともあって、今後エジプトがその和平介入に強い意欲を持っていることを示すものである。

 次に、2005年度の予算案を巡って暗礁に乗り上げたシャロン政権を支援する意味も含まれている。宗教政党の予算案への賛成票を得るために500万シェケルを彼らの要求に割り当てたことに超世俗派政党のシヌイが反対し、結局、予算案は否決され、シヌイから選ばれていた大臣たちは解任され、第3政党であったシヌイが連合を離脱して、与党の議席数がわずかに3分の1に落ち込んでしまった。第2政党の労働党との連合を目指しているシャロンであるが、リクード党内で反対する動きもあり、そうしたシャロン政権の危機に、和平ムードに追い風を送って支持することがひとつの目的であった。エジプトのムバラク大統領はシャロン首相に次のように言った、「これは、特にあなたのためにやったんだよ」。

 そして、このアッザムの解放はもうひとつのメッセージを含んでいるものと思われる。それは、アッザムを解放することによって、エジプトはアッバスPLO議長をパレスチナ自治政府の議長候補として支持し、バルグーティの議長立候補を支持しないとの強いメッセージを示している。バルグーティの刑務所からの釈放のためにひとつの交換解放の切り札として、アッザムは考えられていたが、ここで解放されたことによって大切な切り札が失われることになる。

 エジプトにとってそれは、一石二鳥ならず、一石三鳥である。


3.創造か進化か?

 最後にマアリーブ紙に掲載されていた面白い統計記事を紹介したいと思う。イスラエルでは43%の人が、神が人を創造したと信じており、進化の過程で現れたと信じるものは31%にとどまっている。

 そして、世俗派の人々の間では55%の人が進化論を信じており、保守派の人々の間では10%で、ユダヤ教正統派ではわずかに1%である。

 3年前にアメリカでとられたひとつの統計では、45%が神の創造を信じており、今回のこのイスラエルの統計結果と類似している。

 進化論は実証されていない科学であり、それは科学に基づくというよりも信仰に基づくものと言える。はたして、どちらを選ばれるであろうか。

 

三宅弘之

LCJE海外協力レポーター



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