イスラエル・レポート

20051月第4



1.
ホロコースト解放60周年記念

1945127日のソ連軍のポーランド進攻とそれに続く強制収容所からの解放を記念して、アウシュビッツの強制収容所跡で記念式典が催された。この式典は、ポーランド政府主導のもとに計画され、当初は当事国であるロシアのプーチン大統領とイスラエルのカツァーブ大統領を招いて行われる予定であった。しかし、その計画を聞き合わせたフランスのシラク大統領が参加を申し入れ、それが世界各国へと広がっていった。

 当日は40カ国以上の首脳や代表、それにホロコーストの生存者やその家族約2千人、また招待を受けた1万人あまりの人々や1600人余りにも上る報道関係者が集まった。雪の降りしきる厳しい寒さの中で、この式典が進められることになったが、一人のホロコースト生存者は当時を振り返り、「こんな寒さの中で、薄いぼろをまとい、履物のないような状態で戸外に立たされたが、どのようにして生きてられたのか不思議だ。それを思うと、今のこの寒さなんかなんでもない」と語っていた。

 各国首脳や代表によるスピーチが行われる中、プーチン大統領は、60年を経て再現している反ユダヤ主義の高まりを示唆して、世界はそれを恥ずべきであると語り、自国での反ユダヤ主義の現れにも危惧の念をあらわした。

 また、カツァーブ大統領も同じく、反ユダヤ主義の高まりに懸念を示し、次世代への教育の重要性を訴えた。カツァーブ大統領の演説の後、ホロコーストの生存者である一人の女性が演壇に走りより、マイクを取り上げ、腕まくりをして「これが、ナチスが私に与えた名前だ」と腕に焼きいれられた数字を示しつつ、心の激情を発露していた。

 また、このポーランドでの記念式典に先立って、124日の国連総会でホロコーストに関する特別セッションが開かれた。国連総会での国歌演奏や祈りは通常タブーであるが、この日はその禁が破られ、イスラエル国歌「ハ-ティクバ」が流され、死者への弔いの歌である「エル・マレイ・ラハミーム」が先唱者によって歌われた。

 その総会の場でコフィ・アナン総長は、二度とこのような悲劇が繰り返されることがないようにと訴えつつ、世界に蔓延する反ユダヤ主義の動きに警告を示した。

 今まで、繰り返しアラブ側に同調してイスラエルに対する非難決議を出し続けてきた国連であるが、こうしたイスラエルに同調した動きを見せるのは初めてのことである。



2.パレスチナ側の新しい動き

 パレスチナ自治政府は、新しい動きとして、民間人の武器所有の禁止を発令し、パレスチナの警官隊をガザに配置した。沿道には人々がつめかけ、ジープとバスに分乗して通り過ぎる警官隊を眺めていた。一人の青年は「ほら見て。まったく知らなかったが、自分たちにも軍隊があったんだ」と、叫んだ。

 これらの警官隊は、今までに数多くのロケットや臼砲が発射されていたカン・ユニスやラファの警戒に当たる。こうした、パレスチナ側の動きに対して、シャロン首相は「イスラエルとパレスチナとの関係において歴史的な打開への道が開かれるための条件が整いつつある」と語り、和平に向けての交渉再開の可能性を示唆した。また、モファッズ防衛長官は、ユダヤ・サマリヤ地区にあるパレスチナ自治区においても治安管理をパレスチナ側に移行する可能性を考慮している。


3.町村外相のイスラエル・パレスチナ訪問

  11517日にかけて町村外相がイスラエルとパレスチナを訪問した。日本の従来のパレスチナ寄りの姿勢は、このときも明確にあらわされることになった。まず、1516日とパレスチナを訪問し、アッバス議長やクレイ首相などの要人と会談を行い、6千万ドルの追加支援をとともに経済開発のための支援をも約束した。しかし、イスラエル側に対しては、町村外相の来訪の前にあったテロ事件に対して、イスラエル側が穏便にことを進めるべきこと、またアッバス議長に時間を与えることを求めた。そして、アッバス議長側の要請を伝えるとともに、封鎖政策の緩和と防護フェンス建設の中止、さらに入植地拡大中止を要求した。

 パレスチナ側には多大な理解を示す日本であるが、イスラエルでのテロの現状やその苦しみについてはあまり考慮に入れられていないように見られる。

 あるイスラエル政府要人は次のような趣旨のことを語っていた。「日本がどれだけ多くの支援をパレスチナ側にしているかを知っている。我々もパレスチナ側の生活向上を求めている。しかし、それが許されないことが多い。ガザ地区の生活向上のための支援を申し出たこともあるが、パレスチナ側からは、拒絶され、国連からさえも受け入れられなかった。パレスチナ人の生活が向上すれば、われわれに対する憎しみの緩和にもつながることであり、それは大いに奨励すべきことだ」

 今後、日本がイスラエル・パレスチナ間の和平に本気で取り組むというのであれば、もっとイスラエル側の必要にも目を留める必要があるだろう。

 パレスチナ人が行う大量無差別殺人をテロとして捉えず、寛大に見過ごす姿勢が世界的に見られる。イスラエル人が感じる日本を含めた世界のそうした態度は、まるで彼らの命をないもののように扱っているということだ。ホロコーストで600万にも上るユダヤ人が虐殺されたが、世界は沈黙した。そして、今もユダヤ人が自爆テロや銃撃、ロケット攻撃で老若男女を問わず無差別に殺されてもそれに対して、厳しい非難の声を上げることがなく、かえってイスラエル側が自国民を守るための防御策を講ずることを非難しているのである。

 (ソース:ハ・アーレツ、エルサレム・ポスト、国連公式サイト、外務省公式サイト、Global News Service of the Jewish People,、イスラエルテレビ・ラジオニュース等)

三宅弘之
LCJE海外協力レポーター



イスラエル・レポート

1.   ムハマッド・アッバスPA議長選圧勝

 アラファト後継選挙として注目を集めていた今回のパレスチナ自治政府(
PA)議長選は、予想通りムハマッド・アッバスが投票数775,146票の内483,039票(62.32%)を獲得して圧勝した。5度の終身刑に服役中のマルワン・バルグーティの従兄弟にあたるムスタファ・バルグーティは約20%で続き、大きく引き離されている。

 19日の投票日の時点では、登録者の内70%以上の投票率と伝えられていたが、実際はそれよりもはるかに低く、投票締切り時間を午後7時から9時に延長し、さらにアイデンティティーカードを見せるだけで、投票を許可するという処置がとられた。また、投票者に特別なインクで投票済みのしるしをするが、それも1~2時間で消すことができるということで、一人で多重投票も可能である。

 この低い投票率は、関係者に落胆を与えるものとなったが、PA議長に選出されたアッバス議長の今後の政治運営が周囲の期待を裏切るものとならないことを願う。


2.難産の末、新しい連合政府誕生

 一部西岸地区とガザ地区からの撤退案と2005年度の予算案という二つの大きな問題が微妙に絡み合ってイスラエルの政局は、混迷を極めている。左派は撤退案に賛成しており、右派は反対である。その右派には、宗教関連の党派や与党のリクード内の13人の議員が含まれる。

 2005年の予算案に関しては、予算削減のためにあらゆる方向から反対を受けている。さらには宗教政党の連合参加と予算案への合意を得るために多額の予算が彼らの必要に充当されることになり、左派からの強い反発を呼んでいる。

 そうした背景の下、リクード党(40議席)、労働党(21)、ユダヤ教トーラー統一党(5)の3党による連合政権の是非を問う投票が国会で行われた。

 結果は、まさに薄氷を踏むが如くで、5856であった。13人のリクード党内の撤退案に反対する「反逆分子」と呼ばれる議員たちは、全員反対票を投じ、アラブ政党の議員のうち二人の議員が白票を投じず反対票を投じていたなら、5858でその連合は認められないという結果になっていた。

 3月末までに予算案が可決できなければ、この新しい連合政府は自動消滅することになるが、予算案で過半数を得ることは非常に厳しい情勢である。

 自党内に13人の反逆分子を抱えるリクード党は実質27議席という状況で、連合の議席総数は53にとどまる。そのため、別の宗教政党のシャス党(11議席)を連合に組み入れることを模索中である。


3.命令拒否署名者

 ユダヤ人入植者のガザ地区からの撤退に先駆けて、4人の指揮官を含む34名が、撤退敢行命令が出されたときに拒否する旨の覚書に署名した。イスラエル国防軍(IDF)では、そうした動きが広がることを恐れ、命令拒否者たちを説得し署名の撤回を求めたが、入れられず、最終的に彼らを罷免することになった。


4.フランス国連監視員戦渦に巻き込まれる

シャロン・エルマカイス

 装甲ジープで国境の見回りに出ていたイスラエル兵士シャロン・エルマカイスが、ヒズボラの仕掛けた爆弾で爆死した。そのことがきっかけとなり、イスラエル軍とレバノンの武装団との間で戦いとなり、その戦渦に巻き込まれる形でフランス人国連監視軍の一人が死亡した。イスラエル国防軍が放った戦車砲によって、殺害されたものとみなされている。しかし、今回国連側では珍しく実情に即したコントを出している。南レバノンの国連特別代表であるスタッファン・ミストゥラは、ヒズボラがまず国境を越えて爆弾攻撃をしたことに重きを置き、非難した。そして、その攻撃がレバノン領土であったハル・ドヴ地域をイスラエルが占拠しているためになされたのだと正当化するレバノン大統領に対してもミストゥラは、イスラエル側の主張を支持している。それは、ゴラン高原に属する部分で、六日戦争の際にシリアから占拠したものであるということだ。



三宅弘之

LCJE海外協力レポーター


イスラエル・レポート

1月第1

1.つぎはぎの連合

 与党のリクード党と野党筆頭の労働党との連合がペレスの副首相就任を巡って暗礁に乗り上げていたが、今回ひとつの妥協案に落ち着くことになった。組閣に関する基本法では、副首相は一人と定められている。そして、エフード・オルマートが現在副首相であるが、その名称は「メマレー・マコーム」で日本語に訳すと代行という意味での副首相である。だから、もしもシャロン首相に何かが起こったときに首相の役目を果たすことになる。しかし、ペレスを「ミシュネー」という名称で、シャロンに次ぐ権威者として実際の政治運営に関わるという意味での副首相とするというものだ。もちろん、法的にはオルマートが正式な副首相であり、ペレスの役職は法規外ということになる。

 しかし、労働党と連合を組んでかろうじて過半数を超えたとしても、リクード党内では、ガザと一部西岸地区からの撤退に反対する反抗分子があり、ユダヤ教トーラー統一党(UTJ)やシャスなどのユダヤ教政党の連合参加が不可欠という情勢である。そして、シャロン首相もユダヤ教政党の連合参加がない場合、早期選挙にもつれ込むことになるとのコメントを出している。


2.和平の希望に差す影

 ガザ地区での
PLO議長選演説でイスラエルとは一切妥協しないという立場を表明し、テロを繰り返す武力集団の保護を約束するとともにエルサレムを首都としたパレスチナ国家樹立を明言した。そして、さらにパレスチナ難民問題に関しても、分離後、難民のイスラエル領土内への帰還を固持することを公約しており、真っ向からイスラエルと対立する姿勢を示した。西岸地区やガザ地区にいるすべてのユダヤ人の排除を要求する一方で、400万以上と言われる海外に散っているパレスチナ難民のイスラエル領土内への帰還という全く理不尽な要求をしているのである。イスラエルにとって、それは、さらに多くのテロリストたちを自国に迎え入れることになり、人工的な比率も2国家分離後、イスラエル領土内においてユダヤ人優勢のバランスが崩れ、イスラエル国家の破滅につながる問題である。

 彼が選挙戦で公約したことは、いずれもアラファトが固持していたもので、和平交渉において妥協の道を模索しようとしていたイスラエルに大きな落胆をもたらすものとなっている。


3.インドネシア・スマトラ島沖地震

 インドネシア・スマトラ島沖地震と津波による被害は、前代未聞の規模となったが、多くのユダヤ人もこの地域を訪れていた。当初は、この地域を旅行中で連絡のつかない人が1500人にも上った。連日、イスラエルのニュースでもこの津波災害がトップニュースとして伝えられ、行方不明者の安否が気遣われていた。日を追うごとにその災害地域にいたユダヤ人たちの状況が確認されていったが、現時点で4人の死者がイスラエルに運ばれ、埋葬された。そして、33人のけが人と3人の行方不明者、それに30人がまだ連絡がつかない状況である。

 この災害に際して、イスラエルが一番最初に援助を申し出た国であり、薬や水、毛布、テントといった人道的物資をこの地域に送った。そして、医療スタッフや、救助スタッフ、なども送られた。また、民間レベルでの支援活動も活発に行われている。

三宅弘之

LCJE海外協力レポーター


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