イスラエル旅行記その6 − 土地への愛

 ごく普通の人がイスラエルについて、「神に選ばれた民」とか「約束の土地」と聞くと、「何を言っているのか、もうパレスチナ人が住んでいるところに、割り込んできて・・・」という反応が出るのではなかろうか。私は一部にいらっしゃるイスラエル熱愛人間では決してない。もちろん聖書も神様も信じているので、イスラエルやユダヤ人というと一目置かせてもらっているし、神様を知るときに、避けては通れぬきちんとした理解をしておくべき対象であると考えてきたが、上記のような意見に強い反発心を持つほどの人ではなかった。少なくとも今回の旅行をする前の段階では。

 エジプトから国境越えをしてイスラエルに入ったとき、緑の美しさに感動を覚えた。正に、砂漠に花が咲き、実がなるという言葉が目の前で実現しているからだ。南からテルアビブへ向けて上っていく際にも、確かにここは砂漠だとわかる風景が続くのに、突然青々とした木々が現れる。それが本当に美しいのだ。まさに、「乳と蜜の流れる地」である。

 19世紀終わりや20世紀始めは砂漠と沼地ばかり広がっていたところを、少しずつ帰還してきたユダヤ人たちが文字通り命を削って開墾を続けて、神から与えられた土地を聖書の通りに変え続けている。その努力は現在進行形だ。幾度となく戦火に見舞われ、そのたびごとに再建作業をしてきたことは、神への信仰なくしてはできないことだろう。

 バスに乗りながら、ガイドが左手前方に見えるのはパレスチナ人(アラブ人)地区、そして右手に見えるのはユダヤ人のキブツという声に、眠い目をそちらに向けると、違いが一目瞭然だ。パレスチナ(アラブ人)地区側は畑の周りがごみだらけ。しかも畑の中にもごみがちらほら。かたや道を挟んでユダヤ人のキブツ側には、ごみはほとんど見受けられない。しかも、植生で青々としている。

 ガイドの説明だと、アラブ人が住んでいるところにはオリーブの木が多いとのこと。手入れしなくても何とか生えてくれるらしい。それに放牧民族のベドゥインもアラブ人だとか。しかし、定住するベドゥインがほとんどになっているとか。砂漠の中にぽつんぽつんと掘っ立て小屋があって、そこに衛星放送のパラボラアンテナが取り付けられているのが、何ともミスマッチ。

 更にガイドの説明が続く。ユダヤ人はそこの土地や気候、地質に合わせて作物を植えるそうだ。土壌も客土工事をすることが多いので、パレスチナ地区の土地とは比べ物にならないほど肥沃だ。見ただけですぐ分かる。水がほとんどない砂漠には、ナツメヤシやオリーブの木を植え、南のほうで灌漑ができる場所にはバナナのプランテーションが多い。もう少し北上してくると、マンゴーやアボカド、かんきつ類の木々が増えていく。メギド平野の辺りは、以前湿地だったのを開墾したそうで、見渡す限りの穀倉地帯が続く。ひまわりや綿花もここで多く生産されている。更に北上すると今度は日本で言えばさしずめ長野県のような気候なんだろう。りんごやもも、梨、ぶどうなどの果物畑が増えていく。ゴラン高原は世界有数の良質のオリーブの産地だとか。
 ゴラン高原について、なぜイスラエルが所有するようになったかのいきさつをガイドが説明してくれた。無論イスラエル側の話だから、割引して聞く必要はあるのかもしれないが、すごく納得できた。イスラエルは国のほとんどが砂漠だ。地下水だって限られている。となると、頼みの水源はヨルダン川とガリラヤ湖。ヨルダン川の多くの部分はヨルダンと国を接している。あるときイスラエルの生命線であるヨルダン川の水源をガリラヤ湖に流れないようにシリアが治水工事を始めたというのだ。そこでガイドが言う。「石油がなくても、らくだに乗ればいい。しかし、水がなければ生きてはゆけない。」それでイスラエルは、ゴラン高原を取ったのだと。それまでは、ゴラン高原のふもとに住む人たちはイスラエルがゴラン高原を占領する前は、幾度となく襲撃を受けたという。せっかく開墾しても攻撃を受けて台無しになることを繰り返したとか。我々のバスの運転手はそこの出身者で、若い頃防空壕の中にある学校に通ったそうだ。そのゴラン高原は、平和を取り戻し、春になると花が咲き乱れる美しい土地に変貌しているとのこと。

 エジプトに返還してしまったシナイ半島はどうだろう。行けども、行けども砂漠が続くだけ。イスラエルに来る途中、つまらなくなって眠ってしまったが、もし、イスラエルが所有し続けていたら、シナイ半島にも花が咲く場所ができていたかもしれないと思うと、ちょっと残念な気がした。

 イスラエル(ユダヤ人のキブツのことだと思う)は徹底した有機農法をしているそうだ。肥料は化学肥料も少しっているらしいが、基本的に有機農法だとか。理由は、土地を汚したくないから。あのアラブ人との差を見た後では、このガイドの言葉は、嘘じゃない、その通りだろうと思えた。日本も安全な食を求めてイスラエルから農産物を輸入したらどうだろう。フロリダからグレープフルーツやオレンジを輸入しているのだから、距離から言えば、そう大差はないだろう。近所の農薬まみれの国から野菜を輸入するよりずっと安心できそうだ。ただ、これを実現するには、両国の努力と理解が不可欠だと思うが。無農薬や有機にこだわりのある人たちから先ず輸入をスタートするのが現実的かもしれない。

 ゴラン高原にある世界有数の良質のオリーブ油を生産するという工場兼ショップに行ったときに聞いた話だが、オリーブ油を絞ると、それと同時に毒物も出てきて、普通は土壌汚染を引き起こしてしまうとのこと。しかし、技術開発して、毒物が出ないばかりか、石鹸や化粧品を作って販売しているそうだ。

 後でガイドから聞いた話では、このオリーブ油工場の社長は、元軍人だとのこと。娘はエルサレムのような都会に出て一儲けしたい気持ちもあったそうだが、ゴラン高原にとどまり続けて、地域のために働くことにしたそうだ。このような努力と土地への愛の積み重ねが、今の美しいイスラエルを作っていることを、どれほどの人が知っているのだろうか。知って欲しいと思う。

 少し話は変わるが、正統派ユダヤ教の人たちは政府から宗教の勉強することでお給料をもらっているそうだ。普通のイスラエル人家庭なら教育費のことを考えると、一人っ子とかせいぜい二人くらいしか子どもを持たないが、この優遇政策のために、10人とか12人とか子どもがいる場合も少なくないとか。ガイドが冗談で、「他にする楽しみもないからねえ。」と乗客を笑わせていた。エルサレムから帰る途中で、マリアとヨセフがイエスのいないのに1日の道のりを気づかなかったという話が聖書にあるが、子どもが全員飛行機に乗っていないのに気づかずに乗ってしまったという本当の話もあるそうだ。「生めよ、ふえよ、地を満たせ。」を地で行く人たちだ。

 こう言うと、お勉強して、子作りに専念して、正統派のユダヤ人ってえらく優遇されてるなあ、と思うかもしれないが、ユダヤ人居住区が作られるときは、こうした正統派ユダヤ人の人たちが中心に先ず入植していくとのこと。アラブ人人口が爆発的に増える中、大切な役割を担っているんだなあと気づかされた。

 エルサレムの町並みについて一言言及しておこう。街路樹にオリーブの木が植わっている。民家の庭の木には、イチジクやざくろの木が植え込まれているし、とにかく実のなる木があちこちに見受けられる。ブーゲンビリアの花やローズマリーの花などが咲き乱れている。ユダヤ人街はごみも少なく、こぎれいな民家が続く。こんな風景を見るにつけ、「エルサレムに平和あれ」と祈らずに入られなくなる。マラナタ。