イスラエル旅行記その9 − 旅の終わりに

 旅が終わって考えていることを徒然なるままに書いてみる。

 まず、聖書の中に書かれていることが、実際に起こったことだという証拠を次々に突きつけられる旅であった。無論、既に聖書に書かれていることはみな神の言葉であり、間違いがあるとは思っていないが、より聖書に書かれていることが、どこか遠い国の昔々に起こったことではなく、現実のものとして迫ってくる感じがする。私の知り合いの中に、イスラエル旅行の最中にクリスチャンになったという人がいるが、十分ありうる話だと思う。よく求道者の人で、信じたいんですけど信じられないんです、というような人がいるが、このような人が行ったら、もやもやが吹っ切れる旅になるのではなかろうか。

 次に、ユダヤ人(イスラエル)と宣教について。今回のツアーメンバーの中に、イスラエルに住むユダヤ人の友人がいる女性がいて(大学のときの友人だとか)、その友人ご夫婦がある夜遊びに来ていた、そのときたまたま教会について質問された。バイブルスタディの話をすると、「学校みたいなところなのか。」という質問が帰ってきた。「いや、そうじゃない。多くの教会が水曜日の夜には祈祷会や聖書を学ぶ集会をしている。別に水曜日でなくても他の日にしてもいいし。それに日曜日には礼拝をするし。」すると、「それって何のこと?」と私の言うことが全く分からないようなのだ。「別に特別なものではなくて、普通教会でやっているようなやつですよ。」と言うと、「さあ、ぜんぜん知らないものだから、質問しているのだが。」と言われてしまった。どうやらキリスト教についての情報は皆無に近いと考えてよろしいようだ。」つまり、このような人たちに宣教をと考えるなら、ゼロからのスタートを覚悟しなければなさそうだ。しかも、聖書の中に書いてあるように、どうも頑固でかたくなそうだ。

 また、イスラエルに旅行すること自体が、イスラエルの国やユダヤ人を支援することになる。イスラエルの物価はとても高い。付加価値税(消費税のようなもの)が15.5%もするからだ。日本の3倍以上。イスラエルは、遺跡を掘ったり、砂漠を畑や果樹園にしたり、はたまた紅海の水を淡水化したりとお金のかかることばかり。正統派ユダヤ人にも生活費を提供しなければならないし・・・。国民はかなりの負担を強いられている。観光してお金を落とせば国も民も潤うだろう。

 更に、イスラエルで宣教活動をしている団体がたくさんある。例えば、「園の墓」は、福音派の宣教師が自由献金制で場所の管理運営をしている。いくら自由献金だからと言って、無料で説明を聞いて、トイレに入って、水やトイレットペーパーを使い放題にするのは、いかがなものかと思う。使った分くらいはお金を捧げて、もし導かれるなら、そのような宣教活動を継続できるように支援することも必要だ。この他にも南のほうのティムナには幕屋の模型を見せて、それぞれの意味を説明してくれるところがある。そこも確か、自由献金制だったと思う。そのような場所はかなりあるので、導かれるなら、事前にある程度の準備をして行かれたらよろしいのではないか。

 理想を言えば、旅行に出発する前に、旅程のブリーフィングがあればいいと思う。なぜそこを見に行くのか、見所は何なのか、どういう意義があるのか、聖書との関連は何なのかなど。運営団体が分かれば、その団体について簡単に下調べをしておくのもよいだろう。このよい例は、神殿再建財団(Temple Institute)だ。神殿が再建された際に使う器具を準備している団体だが、完全に資金集めの団体だ。そこの所長はさすが資金集めのプロ。聞く人が財布の紐を緩めたくなるような演説をしてくれるが、それは聖書的にどうなのか、クリスチャンとしてお金を出してもよいものなのかどうなのか、等々、ある程度事前に下調べをしておかなければ、何のためにお金を出すのか、捧げるのかわけが分からなくなってしまう。とにかく、行く先々で、献金を求められたり、支援を求められたりするのだから。無論、入場料という形をとっていれば、そんなに考えなくてもよいが。とにかく、「どこで、何を、どのように。」捧げてゆくのか、お金のよき管理者であることが求められてくる。