使徒行伝19章 「見えざる迫害」

A 聖霊の著しいみわざ 1−20
   B 原因 − 1−10
      C 聖霊の満たし 1−6
      C 主のことばの宣教 7−10
   B 結果 − 驚くべき奇蹟 11−20
A 閉ざされた道 21−41
   B 結果 − 新たな目的 21−22
   B 原因 23−41
      C 「反対」ではない。 23−28
      C 「騒動」でもない。 29−34
      C 「調停」であった。 35−41

本文

 使徒の働き19章をお開きください。ここでのメッセージのテーマは、「見えざる迫害」です。

A 聖霊の著しいみわざ 1−20
B 原因 − 1−10
C 聖霊の満たし 1−7
 アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、「信じたとき、聖霊を受けましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。「では、どんなバプテスマを受けたのですか。」と言うと、「ヨハネのバプテスマです。」と答えた。そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」と言った。これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。その人々は、みなで十二人ほどであった。

 パウロの、エペソという町における宣教の始まりです。私たちは前回、パウロがエペソの町を訪れた場面を読みました。アクラとプルスキラとともにエペソに来ましたが、パウロだけは、急いでエルサレムへ向かいました。そして彼はシリヤのアンテオケに戻り、再び宣教旅行を始めました。ガラテヤの地域を巡って、すでに建て上げられた教会を励ましました。それから、エペソに来たのです。

 パウロが前回エペソを去ったあとに、アポロという人物がエペソにやって来たのを思い出してください。彼は雄弁であり、聖書に通じていた説教者でしたが、ヨハネのバプテスマしか知りませんでした。彼の説教を聞いていたアクラとプリスキラは、アポロにもっと正確にこの道のことを教えて、その結果、アポロは力づけられました。彼はコリントに行って、パウロが植えたその教会に水を注ぐ働きをしたのです。

 パウロがエペソで出会ったその弟子たちは、アポロの働きによって信仰を持った人々です。そのため、パウロが、「どんなバプテスマを受けたのですか。」と聞いたら、「ヨハネのバプテスマです。」と答えました。ヨハネのバプテスマとは、ここでパウロが言っているように、「悔い改め」に重点が置かれています。悔い改めは、方向転換をすることです。今までの生き方を変えて、異なる方向に向かっていくことを悔い改めと言います。

 ところが、バプテスマのヨハネが説いた悔い改めとは、ただやみくもに今までの生き方を変えることではなく、主イエス・キリストの方向に向かって進むための悔い改めでした。パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」と言いました。ですから、大事なのは悔い改めること自体ではなく、イエス・キリストご自身です。ナザレの町で育ったイエスが、自分にとっていったい誰なのか。この方が、自分にとって神の御子として、キリストとして受け入れられているか、ということが大事なのです。そこで、パウロは、彼らに、「イエスの御名によって」バプテスマを授けました。イエス・キリストに結びつくところのバプテスマを授けたのです。

 そうすると、彼らに聖霊が臨まれました。パウロが始めにエペソの人たちを見たときに、イエスに対する信仰は持っていても、どこかしら救いの喜びや神への愛が欠けていたものと思われます。そこでパウロが「聖霊を受けたのか」と聞いたのです。私たちはすでに、イエス・キリストを信じたら聖霊が私たちの内に住んでくださることを学びました。けれども、主観的な内における確信以上の、外側に見えることのできる、客観的な聖霊の働きがあります。それがイエス様が弟子たちに約束された「聖霊のバプテスマ」です。

 ここでは異言や預言を語っています。このようなしるしが伴う時もありますが、聖霊に満たされていることの最も大きなしるしは「愛」です。コリントにある教会では、異言を語る信者がたくさんいました。ところが、彼らは肉的だったのです。御霊に与えられた賜物を持っていながら、愛に欠けていました。キリスト者の間にある愛が明らかになりつつ、これら賜物が用いられている時に私たちは聖霊に満たされていると言えます。

C 主のことばの宣教 8−10
 そして、もちろんパウロも聖霊に満たされつつ、この宣教を続けています。8節からお読みます。それから、パウロは会堂にはいって、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、彼らを説得しようと努めた。しかし、ある者たちが心をかたくなにして聞き入れず、会衆の前で、この道をののしったので、パウロは彼らから身を引き、弟子たちをも退かせて、毎日ツラノの講堂で論じた。

 パウロは、いつものようにユダヤ人の会堂に入りました。そこで福音を語りました。けれども、「この道」を罵った、とあります。これが当時、キリスト教に対する人々の呼称です。彼らの教えは「道」でした。つまり、単なる理論体系ではなく生き方そのものだったのです。

 そして「ツラノの講堂」で論じています。エペソの町には、ツラノという哲学者がいました。彼が講義をする建物で福音を語りました。この地域や他の地域でもそうですが、昼間の暑い時間に昼寝をするシエスタという習慣がありました。11時から3時までです。パウロはおそらく、そのシエスタの時間に講堂で論じていたのだろうと思われます。その他の時間は、彼自身も働いていました。天幕作りをしていました。

 これが二年の間続いたので、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞いた。

 パウロは、二年間もここで毎日福音を語りました。そして、アジヤに住む人がみな、主のことばを聞いたという、驚くべき記述になっています。これは大げさな表現ではありません。エペソという町は、この地域の中心地だったのです。コリントと同じように、東からの商品がローマへ輸送されるときの貿易中継都市であり、非常に栄えていました。そのため、アジアにいる人たちは、エペソの町を訪れており、そのときに「パウロという人が、ツラノの講堂で何かを論じている」という噂を聞いて、聞きに行ったのでしょう。

B 結果 − 驚くべき奇蹟 11−20
 マルコの福音書の最後に、このような記述があります。「そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。(16:20」みことばが語られると、しるしが伴ったのですが、まさにパウロの宣教において、とくにエペソの町において、このことが顕著に現われました。みことばが語られたので、神の奇蹟のみわざが行なわれます。

 神はパウロの手によって驚くべき奇蹟を行なわれた。パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。

 手ぬぐいや前掛けとありますが、パウロは天幕作りをしていたので、そのときに身に着けていたものなのでしょう。それを病人に当てただけで病気は去り、悪霊も出ていきました。私たちはここで、パウロ自身にそのような力がある、ということではなく、パウロの手ぬぐいや前掛けを取り上げて、それを病人に当てている人々の信仰に注目しなければいけません。これが福音書におけるパターンでもありました。屋根から中風の人の寝床をつりおろした四人の友人について、イエス様は彼らの信仰を見て、そしてこの人の罪を赦し、そして癒されました。私たちの問題はいつも「信仰」です。聖書知識としては信じているけれども、今、自分に存在する問題や課題に対して、その信仰を働かせることが出来るのかどうか、ということです。

 そしてこのような記事を見ると、自分も同じことができるかなあと考える愚かな人たちが現れます。自分がこの癒しと奇跡を主イエス・キリストの恵みによって受けたいと願うのではなく、このような奇跡を行なうような人になりたいと願うのです。かつてサマリヤのシモンがそうでしたが次をご覧ください。

 ところが、諸国を巡回しているユダヤ人の魔よけ祈祷師の中のある者たちも、ためしに、悪霊につかれている者に向かって主イエスの御名をとなえ、「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる。」と言ってみた。そういうことをしたのは、ユダヤの祭司長スケワという人の七人の息子たちであった。

 なんと、ユダヤ人の祭司長の息子は魔よけ祈祷師になっていました。魔術はもちろん、聖書のなかで禁じられている行ないです。キリスト教の牧師の息子も、このように神から遠く離れている人々がいますが、親がクリスチャンだからといって子が大丈夫と言うことは決してありません。

 すると悪霊が答えて、「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ。」と言った。そして悪霊につかれている人は、彼らに飛びかかり、ふたりの者を押えつけて、みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家を逃げ出した。

 ものすごいですね。悪霊は、「おまえたちは知らない」と言っています。このような驚くべきみわざは、テクニックでも何でもありません。神との正しい関係から出て来るのです。イエス様も、再び戻ってこられる時にご自分の名で預言をしたり、悪霊を追い出した者に対して、「わたしは全然あなたを知らない」と言われます。

 このことがエペソに住むユダヤ人とギリシヤ人の全部に知れ渡ったので、みな恐れを感じて、主イエスの御名をあがめるようになった。

 すばらしいですね。「主イエスの御名をあがめるようになった。」とあります。そしてしるしや奇跡について、パウロは使徒職を疑うコリントの一部の人たちに対して、使徒であることの徴であると主張しました。「使徒としてのしるしは、忍耐を尽くしてあなたがたの間でなされた、あの奇蹟と不思議と力あるわざです。(2コリント12:12

 そして、信仰にはいった人たちの中から多くの者がやって来て、自分たちのしていることをさらけ出して告白した。また魔術を行なっていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てた。その値段を合計してみると、銀貨五万枚になった。こうして、主のことばは驚くほど広まり、ますます力強くなって行った。

 これも、すばらしい聖霊のみわざです。神の奇蹟は、このように、人々を悔い改めに導き、神に立ち返るようにします。他の超自然現象は、好奇心を掻き立てますが、人々を決して聖くしません。そして奇蹟の目的は、主のみことばが広まることです。私たちの生活に奇蹟は必要ですが、あくまでも中心は神のみことばです。

A 閉ざされた道 21−41
B 結果 − 新たな目的 21−22
 このような目覚しい聖霊のみわざが起こりましたが、パウロは、これから先に行くべき道を示されました。これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」と言った。そこで、自分に仕えている者の中からテモテとエラストのふたりをマケドニヤに送り出したが、パウロ自身は、なおしばらくアジヤにとどまっていた。

 パウロが行ったコリントも、またこのエペソの町も、世界のなかでも大都市であります。しかし、世界の中心はもちろんローマです。パウロは、そこに福音を宣べ伝えることに思いをはせていました。また、霊的には世界の中心地はエルサレムであります。エルサレムは神の都であり、選ばれた民ユダヤ人が数多く住んでいるところです。パウロは、イスラエルが救われることを強く願いました。それゆえ、エルサレムに行ってから、ローマを見なければならないと言ったのです。

 けれども、パウロは、その時期は今ではないことを知っていました。ですから今は、神は、このエペソの町にいることを御心としていると信じていたのです。パウロがエペソにいたのは三年間であることが分かっています。すでに二年三ヶ月はいたので、パウロはさらに九ヶ月ほどそこにとどまったことになります。

B 原因 23−41
 けれども、ついにパウロを去らせる出来事が起こりました。それは騒動です。けれども、騒動そのものがパウロを去らせたのではありません。メッセージの題は、「見えざる迫害」とありましたが、福音が語れなくしてしまう最大の原因を、ここに見出すことができます。

C 「反対」ではない。 23−28
 そのころ、この道のことから、ただならぬ騒動が持ち上がった。それというのは、デメテリオという銀細工人がいて、銀でアルテミス神殿の模型を作り、職人たちにかなりの収入を得させていたが、彼が、その職人たちや、同業の者たちをも集めて、こう言ったからである。

 エペソには、アルテミス神殿という、ギリシヤ神殿の中ではもっとも大きな神殿がありました。縦横が約140メートルと80メートルあったそうです。世界の七不思議の一つになっています。エペソ人の拝むアルテミスは豊穣神です。たくさんの乳房が付いている、卑猥な偶像であります。この像が祭られている神殿の模型を作るビジネスを、このデメテリオが行なっていました。

 「皆さん。ご承知のように、私たちが繁盛しているのは、この仕事のおかげです。ところが、皆さんが見てもいるし聞いてもいるように、あのパウロが、手で作った物など神ではないと言って、エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、大ぜいの人々を説き伏せ、迷わせているのです。これでは、私たちのこの仕事も信用を失う危険があるばかりか、大女神アルテミスの神殿も顧みられなくなり、全アジヤ、全世界の拝むこの大女神のご威光も地に落ちてしまいそうです。」そう聞いて、彼らは大いに怒り、「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ。」と叫び始めた。

 パウロをとおして、生ける神に立ち返った人々は、アルテミスの神殿の模型を買わなくなってしまい、ついに、そのビジネスさえも危うくなってしまうほどになりました。その危機感から、デメテリオが声を上げたのです。そして、大きな反対運動が起こりました。

C 「騒動」でもない。 29−34
 そして、町中が大騒ぎになり、人々はパウロの同行者であるマケドニヤ人ガイオとアリスタルコを捕え、一団となって劇場へなだれ込んだ。

 この劇場は二万人以上を収容できる、エペソで最大の劇場でした。今も遺跡が残っています。ものすごい規模の騒動が起こったことが考えられます。パウロの同行者のガイオとアリスタルコを捕らえた、とありますが、この後すぐに逃げ出すことができたようです。ところが、パウロが物凄い行動に出ます。

 パウロは、その集団の中にはいって行こうとしたが、弟子たちがそうさせなかった。アジヤ州の高官で、パウロの友人である人たちも、彼に使いを送って、劇場に入らないように頼んだ。

 パウロは、自分のために引き起こった騒動の真ん中に入ろうとしたのです。これでは当然、パウロが殺されてしまうと思った弟子たちや友人の高官たちが、彼を引きとめました。けれども、パウロは、このときこそ福音を語る絶好の機会だと思ったのです。コリント人へ第一の手紙で、次のように言っています。「しかし、五旬節まではエペソに滞在するつもりです。というのは、働きのための広い門が私のために開かれており、反対者も大ぜいいるからです。(16:8-9」反対が起こるということは、反応があるからです。多くの人々がイエスさまを信じているから反対が起こるのであるし、また反対している人々もイエスを信じる可能性は十分にあります。反対するのは、自分の身を主に明け渡す人々が起こる前触れと言っても過言ではありません。

 初めて福音を日本にもたらした宣教師フランシスコ・ザビエルは、街角で人々が集まってきそうなところで福音を語っていました。人々は聞いていますが、何の反応もなく、見下げるようにして、あるいは物珍しそうにザビエルとその仲間を眺めているだけでした。しかし、あるとき、聞いていた人のひとりがザビエルにつばを吐きました。そのときに、彼らは、そのつばを顔からふき取って、怒ることもなく、続けて平然として福音を語り続けたのです。そのときに、人々は、彼らが語っていることは本当だと言うことに気づき、信じる人がどんどん起こされた、という話を聞きます。ですから、パウロは、これが福音を伝える機会だと思いました。けれども弟子たちが引きとめてしまいました。

 そのため、次のような状態が起こりました。ところで、集会は混乱状態に陥り、大多数の者は、なぜ集まったのかさえ知らなかったので、ある者はこのことを叫び、ほかの者は別のことを叫んでいた。

 彼らの大多数は、自分たちがなぜ集まっているのか分からないような状態になっていたのです。パウロが出てきていたら、もしかしたらイエスという人物についてパウロが語るのを聞き入ったかもしれません。けれども、パウロが出て来ないので、集まってきた目的を見失ってしまったのです。

 ユダヤ人たちがアレキサンデルという者を前に押し出したので、群衆の中のある人たちが彼を促すと、彼は手を振って、会衆に弁明しようとした。しかし、彼がユダヤ人だとわかると、みなの者がいっせいに声をあげ、「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ。」と二時間ばかりも叫び続けた。

 彼らが反対する中心がずれてしまいました。標的が「この道」と呼ばれているクリスチャンたちではなく、ユダヤ人になってしまったのです。もちろん、ユダヤ人が、彼らのビジネスを奪ったのではありません。けれども、使徒時代からヨーロッパには反ユダヤ主義の萌芽を見ます。何か問題が起こると、それをユダヤ人のせいにする土壌を作っていたのです。

C 「調停」であった。 35−41
 そして、最後に、町の書記役がこの騒動を静めることに成功します。町の書記役は、群衆を押し静めてこう言った。「エペソの皆さん。エペソの町が、大女神アルテミスと天から下ったそのご神体との守護者であることを知らない者が、いったいいるでしょうか。これは否定できない事実ですから、皆さんは静かにして、軽はずみなことをしないようにしなければいけません。皆さんがここに引き連れて来たこの人たちは、宮を汚した者でもなく、私たちの女神をそしった者でもないのです。

 この町の書記役は、人々を説得させるのが上手です。彼はまず、彼らが信じている宗教的な事柄の中身にまで触れました。まず、アルテミスはもちろん守護者なのだから、それは当たり前の事実なのだから、偉大なのはアルテミスであると叫ぶ必要もないではないか、と言っています。そして次に、パウロたちが、アルテミスを攻撃しているのでもないのだ、とも言っています。確かにパウロたちは、アルテミスを具体的に攻撃したのではありませんでした。ただ、生けるまことの神がいる、そして救い主イエス・キリストがおられることを話しただけです。

 そして次に、宗教な事柄から法律的な事柄に話しを移します。それで、もしデメテリオとその仲間の職人たちが、だれかに文句があるのなら、裁判の日があるし、地方総督たちもいることですから、互いに訴え出たらよいのです。もしあなたがたに、これ以上何か要求することがあるなら、正式の議会で決めてもらわなければいけません。この宗教的な事柄を、裁判の中で協議したら良かろうと言っています。きょうの事件については、正当な理由がないのですから、騒擾罪に問われる恐れがあります。その点に関しては、私たちはこの騒動の弁護はできません。」こう言って、その集まりを解散させた。

 書記役の結論は、騒動を起こした者が罪に問われる、というものでした。エペソの町はローマによって自由都市の特権を与えられていました。けれどもそれを剥奪する根拠があります。それは騒擾です。反乱です。これを行なえばその特権は終わりです。こうして彼は政治的な力でその場を静めることが出来ました。

 結果的に、パウロたちを法的に保護したことになります。けれども、20章の1節ですが、パウロは宣教を続けないで、「騒ぎが治まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げて、マケドニヤへ向かって出発した」のです。ここで、エペソにおける福音宣教は終わってしまいました。ですから、実は、騒動を起こしたデメテリオではなく、騒ぎを静めさせたこの町の書記官が、真の迫害者だったのです。騒動は、パウロたちに物理的な危害を与えようとしましたが、主のことばはますます前進しようとしました。しかし、書記官は、目に見えないところで、福音を宣べ伝える土台を崩してしまったのです。

 書記官が話したことは、基本的に、「あなたがた宗教家が行なっている事を、私たち政府が守ってあげましょう。」と言うものです。このことが事実、キリスト教会史の中で起こりました。初代クリスチャンは、想像を絶するほどの迫害を、ローマ帝国から受けました。けれども、クリスチャンの数はかえってふえてしまい、迫害が終わった紀元313年ころには、全人口の半数以上がクリスチャンになったのです。そして、ローマ皇帝コンスタンティヌスがクリスチャンとなり、キリスト教を公認しました。そして、テオドシウス帝がキリスト教を国教にしました。全員がクリスチャンになることを命じ、他の宗教を禁止してしまったのです。ここからキリスト教は、純粋な信仰から離れて、あらゆるこの世的な教えが入り込んでしまいました。ハーレーという人の言葉を借りれば、「教会はローマ帝国を征服した。しかし事実は、教会をローマ帝国の姿に変えることによって、ローマ帝国が教会を征服したのである。(聖書ハンドブック 732)」ということになるのです。

 この町の書記官は、「この人たちは、宮を汚した者でもなく、私たちの女神をそしった者でもないのです。」と言うことによって、かえって逆に、パウロたちに何も言えなくさせてしまいました。賛成している人に、どのように論じることができるでしょうか。けれども、その一方で、アルテミスがエペソの神であることは否定できない事実であると言っています。こうして、事実上、キリスト教の根幹である、「主のみが神であって、他に神々はいない。」という教えを骨抜きにしました。それから、彼は、裁判で決着することを呼びかけることによって、本当は霊的な事柄が地上のものを支配しなければならないのに、逆に地上のおきてが霊的な事柄を支配させるようにしてしまったのです。けれども、このようななしくずし、あるいは骨抜きは、サタンの常套手段であります。

 この狡猾な悪魔の仕業から守られる方法は、あるのでしょうか。あります。それは、根本的に、自分の信仰を、神とキリストのみに置くことです。「主に身を避けることは、人に信頼するよりもよい。 主に身を避けることは、君主たちに信頼するよりもよい。(詩篇1189-10」と詩篇118篇に書かれています。もちろん私たちは、他人や社会や政府を信用する必要があります。信用がなければ、私たちは疑心暗鬼になり、何も行動できなくなります。けれども、信頼は主のみに置かなければいけません。国や社会や家族が、私たちを迫害しているときは、何に信頼すればよいのか容易に分別することができますが、それらが自分たちを一見、認めているように振舞うとき、私たちは自分の信仰が、キリストではなくて、それら国や社会や家族や友人になってしまっていることが多々あるのです。ですから、キリストに踏みとどまり、この方のみを信頼していく生活を送らなければいけません。パウロが、劇場の中に入り込もうとしたのも、キリストに踏みとどまるためでした。私たちも、劇場の中に入らなければいけません。そして、見えない迫害、私たちをなしくずしにする悪の力に立ち向かわなければいけません。

ロゴス・クリスチャン・フェローシップ内の学び
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