使徒行伝23章 「そばに立たれる主」

1A 混乱する議会のなかで 1−10
   1B 不正な議会 1−5
   2B あかし 6−10
2A ユダヤ人の陰謀のなかで 11−22
   1B パウロの殺害 11−15
   2B 立ち聞き 16−22
3A ローマ総督のなかで 23−35
   1B 護衛 23−30
   2B カイザリヤ 31−35

 使徒行伝23章を開いてください。ここでのテーマは、「そばに立たれる主」です。

 私たちは、パウロがエルサレムにおいて、ユダヤ人の民衆の前で弁明した場面を、前回学びました。彼が話したのは、自分がユダヤ人としてユダヤ人のように生きていたときに、主イエスに出会ったというものでした。けれども、彼が「異邦人」という言葉を使ったときに、そこまで話しを聞いていたユダヤ人たちが発狂しました。何が起こったのか見当がつかないローマの千人隊長は、彼を捕らえて、むち打ちにしようとします。けれども、パウロがローマ市民であることを知り、彼の鎖を解いてやり、兵営の中に入れました。

 そして、22章の最後の節、30節をご覧ください。その翌日、千人隊長は、パウロがなぜユダヤ人に告訴されたのかを確かめたいと思って、パウロの鎖を解いてやり、祭司長たちと全議会の召集を命じ、パウロを連れて行って、彼らの前に立たせた。

 パウロは、ユダヤ人民衆に対し弁明したあと、ユダヤ人指導者の前で弁明します。

1A 混乱する議会のなかで 1−10
1B 不正な議会 1−5
 パウロは議会を見つめて、こう言った。「兄弟たちよ。私は今日まで、全くきよい良心をもって、神の前に生活して来ました。」

 パウロは、「兄弟たちよ。」という言葉で始めています。ふつう、議会において弁明するのであれば、儀礼的なあいさつがあります。けれども、パウロにとってサンヘドリンは自分の庭です。彼はサンヘドリンの一員だったのであり、その中には、パウロのことを知っている人たちもいたはずです。それでパウロは、儀礼的なあいさつをしないで、自分の弁明を始めました。

 彼は、「今日まで、全くきよい良心をもって、神の前に生活してきました」と、かなり大胆な発言をしています。これは、彼が完璧であることを話しているのではないことは確かです。彼は自分の手紙の中で、「私は罪人のかしらです」と告白しています。ここでの全くきよい良心とは、ユダヤ人として、またローマの住民として、法的な事柄に違反するようなことはしてこなかった、ということです。ユダヤ人の律法は、もちろんとても厳しいものですが、パウロは、彼らが解釈していた律法に対しては、非の打ちどころがないことを話しています。またローマの法律に抵触するようなことはしてこなかった、と言っています。

 すると大祭司アナニヤは、パウロのそばに立っている者たちに、彼の口を打てと命じた。

 大祭司アナニヤは怒りました。まず、パウロがなんら自分に対して尊敬を示さず、あいさつがなかったこと。そして、パウロが律法にそむいていることをしているとして、今、この議会に連れて来られたのに、そのまったく反対のことを言っているからです。このアナニヤは、ヨセフスによると、とてつもない悪党であることが知られています。職権を濫用してし、神へのささげものによって私腹を肥やしました。

 その時、パウロはアナニヤに向かってこう言った。「ああ、白く塗った壁。神があなたを打たれる。あなたは、律法に従って私をさばく座に着きながら、律法にそむいて、私を打てと命じるのですか。」

 パウロは、アナニヤの不正行為を指摘しています。律法によると、二人、三人の証言があって、有罪であることが確かめられてから、はじめて罰を加えることができます。アナニヤは、そうした律法をないがしろにして、それで、律法によってさばく座についていると指摘しているのです。イエスさまも、ご自分が大祭司アンナスの前に立っておられたとき、役人によって平手打ちにされました。そのとき、「もしわたしの言ったことが悪いなら、その悪い証拠を示しなさい。しかし、もし正しいなら、なぜ、わたしを打つのか。(ヨハネ10:23」と言われました。

 そこでバウロは、「白く塗った壁」とアナニヤを呼んでいます。これもイエスさまが、パリサイ人と律法学者に対して同じように呼ばれましたね。こう言われました。「あなたがたは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいなように、あなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。(マタイ23:28)」律法の中には、死体にさわると汚れるというものがありますから、墓にさわると汚れるとされていました。祭りのときに、清められていなければならない人が、気づかずに墓に触ることがないように、しるしとして墓を白く塗っていたのです。ですから、イエスさまも、またここでパウロも、彼らが行なっている偽善と不法行為を指摘しているのです。

 するとそばに立っている者たちが、「あなたは神の大祭司をののしるのか。」と言ったので、パウロが言った。「兄弟たち。私は彼が大祭司だとは知らなかった。確かに、『あなたの民の指導者を悪く言ってはいけない。』と書いてあります。」

 パウロは、出エジプト記2228節を引用しています。パウロがここで、皮肉を込めて話しているのか、あるいは本当に知らなかったのか、読む人たちによって意見が分かれます。本当に知らなかった場合は、これは公式の裁判ではないので、大祭司が装束を身につけていなかったかもしれない、とのことです。

2B あかし 6−10
 このように、明らかに不公正な議会において、パウロは一つのことを考えていました。あかしです。このような敵対心と怒りと憎悪が満ちていた雰囲気の中で、彼はあかしをしようと思いました。そこで、次のように発言します。

 しかし、パウロは、彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見て取って、議会の中でこう叫んだ。「兄弟たち。私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。」彼がこう言うと、パリサイ人とサドカイ人との間に意見の衝突が起こり、議会は二つに割れた。サドカイ人は、復活はなく、御使いも霊もないと言い、パリサイ人は、どちらもあると言っていたからである。

 パウロは、死者の復活のことを証ししました。死者が復活するという希望を持っているから、イエスさまが死者の中からよみがえられたのだ、という主張です。パウロは、自分がパリサイ人であると言っていますが、パリサイ人は聖書を文字通り信じる保守的な宗派でした。だから、死者の復活も信じていたのです。サドカイ人は合理主義者であり、リベラル派であり、体制派でした。ですから、使徒の働きを読みますと、使徒たちを迫害しているのはサドカイ人であることを発見します。イエスさまがよみがえられた、と宣べ伝えたからです。

 騒ぎがいよいよ大きくなり、パリサイ派のある律法学者たちが立ち上がって激しく論じて、「私たちは、この人に何の悪い点も見いださない。もしかしたら、霊か御使いかが、彼に語りかけたのかも知れない。」と言った。

 初代教会において、パリサイ人たちは教会に対して寛容的になりました。パリサイ派のガマリエルが、「もし神から来ているのであれば、あなたがたは神を妨げる者となるのです。」と言いましたが、クリスチャンが教えていたことを多くの点で同意できたからです。

 論争がますます激しくなったので、千人隊長は、パウロが彼らに引き裂かれてしまうのではないかと心配し、兵隊に、下に降りて行って、パウロを彼らの中から力ずくで引き出し、兵営に連れて来るように命じた。

 論争が始まったことによって、その真ん中にいるパウロの身に危険が迫りました。そこで、千人隊長は、パウロのいのちを守るために力ずくで彼を引き出しました。

2A ユダヤ人の陰謀のなかで 11−22
 こうして、パウロのユダヤ人へのあかしは論争に終始してしまいました。前日の、ユダヤ人民衆に対するあかしも、騒動の中で終わってしまったのです。パウロは、自分は異邦人に福音を宣べ伝える使徒であることを知りながらも、同胞の民の救いのためなら自分が神に呪われたものとなっても良いとまで、彼らが救われることを願っていたのです。しかし、今、それは完全な失敗に終わってしまったかのようになってしまいました。パウロが心から願っていたことが、見事にかなえられませんでした。そのような中にいたパウロに対して、イエスさまの次のことばがあります。

 その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」と言われた。

 このことばは、パウロの人生の分岐点となります。イエスさまは、まず、「勇気を出しなさい。」と言われました。勇気を出しなさい、と言われているのですから、勇気がなかったのです。パウロはおびえていたかもしれません。落胆のただなかにおり、恐れと不安があり、自分がこれからどうしていけばよいか先行きが見えなくなってしまっていたのでしょう。

 聖書では、他の多くの個所で、「勇気を出しなさい」「元気を出しなさい」という励ましの声を何回も聞きます。それだけ、私たちは、何回もこのことばを聞かなければいけないのです。自分が神さまにお仕えしているなかで、必ずしも上手く行ったとは決して言えないことが起こります。実際に、自分の不手際で、とんでもない失敗をしでかしてしまったのかもしれません。パウロの場合、「あそこで、私が『異邦人』と言わなければ良かった。」などと、思っていたのかもしれません。そのために落ち込んでしまうのです。だから、「勇気を出しなさい」という神の御声を聞く必要があります。

 そして、イエスさまは、「あなたは、エルサレムでわたしのことをあかしした」と言われました。パウロがエルサレムにおいて証ししたことについて、主はパウロを評価しています。ここが、パウロのエルサレムへの旅について理解が与えられることの重要な鍵です。パウロがエルサレムに行ったことは、神の御心であったのか、それとも彼の強い思い込みだったのか、私たちクリスチャンはいろいろ考えあぐねます。けれども、主イエスさまにとって、パウロがエルサレムにいたにしろ、他の場所にいたにしろ、ご自分のことをあかしするという務めを行なっているかどうかにのみ関心があったのです。

 私たちクリスチャンはとかく神さまの特定の御心を知ろうと探って、本来の御心を見失うことがあります。例えば、結婚について、「あの人と結婚するのは神の御心かどうか。」など考えます。しかし神の関心は、その人と結婚すべきなのかどうかということではなく、結婚するなら、その人を一生涯、伴侶として愛し続け、その人に自分自身を捧げていく決心をしているのか、と言うことであります。大事なのは聖書に啓示されている、明らかな神の御心を行なっているかどうかなのです。そうした生き方を貫くときに、主が私たちを導いてくださり、ご自分の目的を私たちのうちで実現することがおできになるのです。

 そしてイエスさまは、「ローマでもあかしをしなければならない。」と言われました。パウロの将来をはっきりと示してくださいました。彼自身、ローマに行きたいという強い願いを持っていました。彼はローマにある教会に対して「いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。(1:10」と言いました。主は、このように願いの中にご自分の御心を置いておられます。

 そして主はこれからの目標を、明らかにしてくださいました。私たちは、過去の失敗によって意気消沈しているとき、もちろん、その過去から多くを学ぶことができますが、将来に向けて、神に与えられている務めを果たすことに集中しなければいけません。自分が今立っているところはどこであるかを知り、その地点からまた走り始めるのです。パウロが、ピリピ人にこう言いました。「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。(ピリピ3:13-14

 パウロのそばに立っているイエスさまが、「ほら、あなたがこんなことをして、あういうことをしたらから、こんなことになったのだよ。」と言われなかったことをうれしく思います。パウロが言ったり行なったりした一つ一つの細かいことを指さすのではなく、ただ一言、「わたしのあかしをした。」と評価されました。イエスさまは、同じようにして私たちのそばにおられると信じています。私たちを励まし、勇気づけ、引き上げて、再びお用いになりたいと願っておられるのです。

 後に主ご自身がパウロに現れてくださるときがあります。嵐の中の舟で、主がパウロに語ってくださいます。そして、パウロが皇帝の前に出廷するときに、なんと彼のことを支持する人が一人もおらず、みな見捨ててしまったようです(2テモテ4:16)。けれども、主は彼とともに立って、力を与えてくださった、とあります(17節)。

1B パウロの殺害 11−15
 したがって、この夜は、パウロにとって大きな分岐点でした。今まではエルサレムに行くことが彼の当面の目標でしたが、今度はローマへの旅が始まることを知ったからです。しかし、このことがすぐに実現したのではありませんでした。いや、この約束をくつがえすかのような出来事が次に起こります。

 夜が明けると、ユダヤ人たちは徒党を組み、パウロを殺してしまうまでは飲み食いしないと誓い合った。この陰謀に加わった者は、四十人以上であった。彼らは、祭司長たち、長老たちのところに行って、こう言った。「私たちは、パウロを殺すまでは何も食べない、と堅く誓い合いました。そこで、今あなたがたは議会と組んで、パウロのことをもっと詳しく調べるふりをして、彼をあなたがたのところに連れて来るように千人隊長に願い出てください。私たちのほうでは、彼がそこに近づく前に殺す手はずにしています。」

 パウロを殺す陰謀が始まりました。殺すまでは飲み食いしないとは、かなりの決断です。そして、この陰謀は、先ほどのサンヘドリンの議員たちと屈託して行なわれます。私たちにも、神さまから約束を与えられ、将来の方向性を示されたあとに、このように全く逆と思われるようなことが起こる時がしばしばあります。そのような逆境を目の当たりにして、神を疑ったり、約束を疑ったりしてはいけないのです。なぜなら、このようなときも、神がすべてを掌握されているからです。

2B 立ち聞き 16−22
 次をご覧ください。ところが、パウロの姉妹の子が、この待ち伏せのことを耳にし、兵営にはいってパウロにそれを知らせた。

 なんとパウロの甥が、この話しを立ち聞きしていたのです。ここに唯一、パウロの家族、親戚についての情報があります。

 そこでパウロは、百人隊長のひとりを呼んで、「この青年を千人隊長のところに連れて行ってください。お伝えすることがありますから。」と言った。百人隊長は、彼を連れて千人隊長のもとに行き、「囚人のパウロが私を呼んで、この青年があなたにお話しすることがあるので、あなたのところに連れて行くようにと頼みました。」と言った。千人隊長は彼の手を取り、だれもいない所に連れて行って、「私に伝えたいことというのは何か。」と尋ねた。

 千人隊長は、事の深刻さを感づいたようです。

 すると彼はこう言った。「ユダヤ人たちは、パウロについてもっと詳しく調べようとしているかに見せかけて、あす、議会にパウロを連れて来てくださるように、あなたにお願いすることを申し合わせました。どうか、彼らの願いを聞き入れないでください。40人以上の者が、パウロを殺すまでは飲み食いしない、と誓い合って、彼を待ち伏せしているのです。今、彼らは手はずを整えて、あなたの承諾を待っています。」そこで千人隊長は、「このことを私に知らせたことは、だれにも漏らすな。」と命じて、その青年を帰らせた。

 パウロのおいが、たまたま、ユダヤ人たちが話し合っているところに居合わせたために、パウロの命は助けられることになります。けれども、「たまたま」ではないのです。これは神の摂理です。神が、パウロのおいがそこを通るように導かれておられたというほうが正しいでしょう。私たちが一生懸命祈ってそこで強く感じたことだけが、神の導きではないのです。このように、私たちが全く知らないところで、神はご自分の目的を果たすために、生きて働いておられます。

3A ローマ総督のなかで 23−35
1B 護衛 23−30
 そして、千人隊長であるルシヤは、パウロのいのちを守るために最善の用意をします。そしてふたりの百人隊長を呼び、「今夜九時、カイザリヤに向けて出発できるように、歩兵二百人、騎兵七十人、槍兵二百人を整えよ。」と言いつけた。また、パウロを乗せて無事に総督ペリクスのもとに送り届けるように、馬の用意もさせた。

 かなりの人数の護衛があてがわれます。また、今夜すぐにパウロを出発させます。パウロは、ローマ市民です。ルシヤがここまでパウロの命を守ろうとしているのも、市民を守る義務があるからです。

 そして、次のような文面の手紙を書いた。「クラウデオ・ルシヤ、つつしんで総督ペリクス閣下にごあいさつ申し上げます。この者が、ユダヤ人に捕えられ、まさに殺されようとしていたとき、彼がローマ市民であることを知りましたので、私は兵隊を率いて行って、彼を助け出しました。それから、どんな理由で彼が訴えられたかを知ろうと思い、彼をユダヤ人の議会に出頭させました。その結果、彼が訴えられているのは、ユダヤ人の律法に関する問題のためで、死刑や投獄に当たる罪はないことがわかりました。しかし、この者に対する陰謀があるという情報を得ましたので、私はただちに彼を閣下のもとにお送りし、訴える者たちには、閣下の前で彼のことを訴えるようにと言い渡しておきました。」

 実に簡潔で、明瞭な、そして正確な文面ですね。パウロへの偏見も、またユダヤ人への偏見も見られない、客観的な事実を述べています。こうして、千人隊長は、パウロの命を自分の責任範囲の中で守りました。ローマ法に則って、しなければいけないことをしました。けれども、これもまた、神の導きであります。神はこのルシヤをお用いになって、パウロがローマへ行く最初の道を整えてくださったのです。神は、不信者でさえも用いられて、ご自分の計画を実行されます。

 ところで、新約聖書の中では、百人隊長や千人隊長の高潔な姿を見ることが出来ます。福音書では、イエス様に部下の病の癒しをお願いしました。十字架につけられたイエス様を見て、百人隊長は「この方はまことに神の子であった」と言っています。そして使徒の働きでは、コルネリオが神を敬う百人隊長でした。そして後にパウロをローマに舟で連れて行く百人隊長も、彼に好意を寄せていたことが書いてあります。そして彼がローマで牢に入れられているときに、カエサルの親衛隊が数多くイエス様を信じました。

 そしてパウロについてですが、彼はとにかくユダヤ人による迫害と陰謀の難には遭っていましたが、ローマはパウロやキリスト者について、その法律によってキリスト者が悪いことをしていることを裁いたことは一度もありませんでした。ユダヤ人の律法に関する事柄であるこという範疇で理解していました。当時、ローマに対する反乱がかなり敏感な問題だったにも関わらず、です。そして主ご自身が、ローマ総督ピラトが見るにもあれだけ大きな影響力を及ぼしていたにも関わらず、彼には罪に当たることはない、と言いました。

 その反面、ユダヤ人は紀元66年にローマに反乱を開始し、ローマはユダヤ人を徹底弾圧し、ついに彼らは離散の民となりました。その一方、キリスト者はエルサレムがローマに包囲されたとき、その包囲が一時解除されたときにそこから逃げて、一人も殺された人はいません。第二次ユダヤ人反乱の時にも、その先導者バル・コクバをユダヤ人がメシヤとしたために、イエスを信じるユダヤ人は身を引きました。

 キリスト者は後にローマによって大きな迫害を受けます。カエサルが主であることを告白することを強要されて、それでも主であると告白したからであって政治的な反対運動をしたからではありません。ここに、パウロが教えたキリスト者の権威に対する姿勢があります。ローマ131節に、「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって建てられたものです。」とあります。

 これだけ大きな霊的覚醒が起こっても、当局との小競り合いがなかったのは、それだけキリスト者が良心的な市民であったからだということが分かります。法律や規則をきちんと守る人々、権威ある人々に尊敬を示す人々だからです。もちろん度を越して、杓子定規にすべての規則を守らなければいけない、ということではありません。そうではなく、例えば使った部屋でゴミを拾わないで帰る、とか、制限時間を守らないとか、必要以上に音を立てるとか、そういうことをしないことです。社会的な規範から外れて入るときは、キリスト者としての良心が危ういです。

2B カイザリヤ 31−35
 そこで兵士たちは、命じられたとおりにパウロを引き取り、夜中にアンテパトリスまで連れて行き、翌日、騎兵たちにパウロの護送を任せて、兵営に帰った。

 アンテパリスは、サマリヤの山々のふもとにある町であり、カイザリヤから30キロほど離れています。危険はある程度去ったので、歩兵は戻ります。

 騎兵たちは、カイザリヤに着き、総督に手紙を手渡して、パウロを引き合わせた。

 パウロはとうとうカイザリヤに到着しました。カイザリヤという町は、当時ローマ帝国の中の大都市の一つであります。もちろん最大の都市はローマでありますが、その他にエジプトのアレキサンドリヤや、シリヤのアンティオケがありました。貿易が盛んでありました。防波堤を建設するために、海中にコンクリートを流し込む技術を使ったヘロデ大王の才知がここにはあります。ここにヘロデの官邸や、円形劇場、その他の公的機関などが備わっており、ローマ総督がそこに駐在していました。ユダヤ人のエルサレムから離れて、異邦人のローマが舞台となっていきます。

 総督は手紙を読んでから、パウロに、どの州の者かと尋ね、キリキヤの出であることを知って、「あなたを訴える者が来てから、よく聞くことにしよう。」と言った。そして、ヘロデの官邸に彼を守っておくように命じた。

 総督ペリクスは、他の囚人の入っている牢屋ではなく、ヘロデ官邸の地下にある部屋で守りました。カイザリヤには、ヘロデ官邸の遺跡が残っています。

 キリキヤは、総督の管轄下にあったので裁判を行なうことを承諾しました。そして、これからパウロは、総督の前であかしをしていきます。イエスさまは、パウロが回心したとき、「あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。(9:15」と言われましたが、王たちに証しをするようになっていきます。けれども、総督は、正義を求めるよりも、政治につきものの、ご機嫌取りをしていました。ユダヤ人に気に入られようと思い、パウロが監禁されているままにしていったのです。

 これが二年以上続きました。ですからパウロにとって、「ローマでもあかししなければならない。」というイエスさまの御言葉は、先に実現を待ったのです。私たちが主から語られたからといって、その実現をすぐに見るということではありません。このように、妨げられることが多くあるのですが、それでも実現されるのです。

ロゴス・クリスチャン・フェローシップ内の学び
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