1列王記6−8章 「主の家を建てる」

アウトライン

1A 神殿の中心部 6
   1B 本堂 1−13
   2B 木の板と柱 14−38
2A 神殿の周辺部 7
   1B 宮殿 1−12
   2B 青銅の用具 13−47
   3B 工事の完成 48−51
3A 神殿奉献の祈り 8
   1B 聖なる用具の運び入れ 1−13
   2B ダビデへの約束 14−21
   3B 祈りに御顔を向ける所 22−53
   4B モーセへの約束 54−61
   5B いけにえ 62−66

本文

 列王記第一6章を開いてください。私たちは前回、ソロモンがツロの王ヒラムに神殿のための杉材を調達してくれるように頼み、両国の間に契約を結んだところを学びました。そして実際の神殿の建設に入ります。

1A 神殿の中心部 6
1B 本堂 1−13
6:1 イスラエル人がエジプトの地を出てから四百八十年目、ソロモンがイスラエルの王となってから四年目のジブの月、すなわち第二の月に、ソロモンは主の家の建設に取りかかった。

 列王記の著者は、エジプトからイスラエル人が出たことを起点にして、この神殿建設について語っています。なぜならば、主がモーセを通して、イスラエルの民にご自分が彼らの間に住まわれる約束をしておられたからです。「わたしはあなたがたの間にわたしの住まいを建てよう。わたしはあなたがたを忌みきらわない。(レビ26:11」エジプトから出てきてイスラエルの民は、荒野の旅をしていました。けれども主は、わたしはあなたを必ずカナンの地に連れて行く。そしてそこで敵に脅かされずに安らかに住むようにさせる。そして、そこにいるあなたがたにわたしの臨在を与えようと約束されました。その約束の実現を今、このようにして見ることができるという意図があります。

 そして出エジプトから480年後に神殿が建設された、とあります。ソロモンの治世は、紀元前971年から931年であることは分かっています。神殿建設は紀元前966年でありその480年前が、出エジプトが起こった年ということになります。計算すると紀元前1446年あるいは1445年になります。1447年かもしれません。学者の間の主流は、出エジプトが紀元前十三世紀、1290年であるとなっています。今回イスラエル旅行に行かれた方は、ヨシュアたちがイスラエルの地に入ってきたのが十三世紀だと聞いたと思いますが、それは聖書のこの記述、また士師記1126節にある士師エフタの言葉(「三百年」)、そして使徒パウロが会堂で説教した時に語った言葉(使徒13:19-20 「約四百五十年」)からも、出エジプトが1445年辺りであることは確かです。

 そして次から神殿の構造の中身に入ります。かつて私たちは、モーセに主が命じられた幕屋の見取り図のような神の指示を学びました。けれども、そこまで詳細な説明が列王記にはありません。大まかなので、私も調べましたが、想像図において主の幕屋よりも大きな違いがあります。列王記の著者がここで書きたいのは、建築師に対する見取り図ではないようです。大まかな構造のみに留まっています。ところで仕様書については、父ダビデが主の御霊によって示されたところに書き残しています(1歴代28:11-19)。


(実物大はこちら。資料元:knightsoftemplar.wordpress.com/category/002-temple-of-solomon/

6:2 ソロモン王が主のために建設した神殿は、長さ六十キュビト、幅二十キュビト、高さ三十キュビトであった。6:3 神殿の本堂の前につく玄関は、長さが神殿の幅と同じ二十キュビト、幅が神殿の前方に十キュビトであった。6:4 神殿には格子を取りつけた窓を作った。6:5 さらに、神殿の壁の回り、つまり、本堂と内堂の回りの神殿の壁に脇屋を建て増しし、こうして階段式の脇間を造りめぐらした。6:6 脇屋の一階は幅五キュビト、二階は幅六キュビト、三階は幅七キュビトであった。それは、神殿の外側の回りの壁に段を作り、神殿の壁を梁でささえないようにするためであった。

 神殿は、かつての幕屋と同じ形をしています。寸法はちょうど二倍になっています。そして、幕屋は幕であるので通気はありますが、神殿は窓をつけています。そして、神殿の回りに脇屋があります。礼拝の時に必要な物資を保管するためのものです。興味深いのは、梁を使わなくてよい構造になっていることです。その形がしっかりと組み合わされて建てられるのです。エペソ人への手紙の中で、キリストのからだが「しっかりと組み合わされて、愛のうちに建て上げられる。(4:16参照)」とい言葉を思い出します。

6:7 神殿は、建てるとき、石切り場で完全に仕上げられた石で建てられたので、工事中、槌や、斧、その他、鉄の道具の音は、いっさい神殿の中では聞かれなかった。

 これはすごいことです。建築現場であれば、今なら、鉄棒を切る音が聞こえるわけですが、当時なら石切の音が聞こえてきておかしくありません。けれども、ソロモンは石切り場で完全にその石を仕上げさせました。(この前話したように、ソロモンの石切り場が旧市街のダマスカス門のすぐ近くにあります。)主の家が建てられるのに、人の業の音が聞こえないようにさせたとも言えます。教会も、人の慎ましさ、人のへりくだりの中で建て上げられていくものです。

6:8 二階の脇間に通ずる入口は神殿の右側にあり、らせん階段で、二階に上り、二階から三階に上るようになっていた。6:9 彼は神殿を建て、これを完成するにあたって、神殿の天井を杉材のたるきと厚板でおおった。6:10 神殿の側面に脇屋を建てめぐらし、その各階の高さは五キュビトにして、これを杉材で神殿に固着させた。

 神殿の構造を建て終えました。その時に主が彼に現れました。これで二度目です。一度目は、夢の中で主が現れて、知恵を主が与える約束をされました。

6:11 そのとき、ソロモンに次のような主のことばがあった。6:12 「あなたが建てているこの神殿については、もし、あなたがわたしのおきてに歩み、わたしの定めを行ない、わたしのすべての命令を守り、これによって歩むなら、わたしがあなたの父ダビデにあなたについて約束したことを成就しよう。6:13 わたしはイスラエルの子らのただ中に住み、わたしの民イスラエルを捨てることはしない。」

 これは、レビ記26章における先ほど引用した神の約束です。「あなたがたの間にわたしの住まいを建てよう。わたしはあなたがたを忌みきらわない。」です。けれども同じ章に、その約束が条件付きであることが記されています。263節です、「もし、あなたがたがわたしのおきてに従って歩み、わたしの命令を守り、それらを行なうなら・・」であります。これらの神殿の建物が大切なのではなく、モーセを通して与えられた掟そのものに留まることが本質である、ということです。そして、そのことを行なっていれば、ダビデに与えられた約束、すなわち世継ぎの子が耐えることなく、神の国を受け継ぐことになる、つまりキリストが出てくるということです。

 私たちが、主にある働きをしていて、その奉仕に従事しているときに立ち止まることは大切です。その奉仕は進んでも、では自分がはたして御言葉の中に留まっているか、主のうちに自分が留まっているか、自分自身と主との個人的な関係を調べます。

2B 木の板と柱 14−38
6:14 こうして、ソロモンは神殿を建て、これを完成した。

 ソロモンは神殿の骨格を作りました。次に内装です。神殿の床と壁、また天井を木の板を張り付けることで行ないます。

6:15 彼は神殿の内側の壁を杉の板で張り、神殿の床から天井の壁に至るまで、内側を板で張った。なお神殿の床はもみの木の板で張った。6:16 ついで、彼は神殿の奥の部分二十キュビトを、床から天井の壁に至るまで、杉の板で張った。このようにして、彼は神殿に内堂、すなわち、至聖所を造り上げた。6:17 神殿、すなわち、前面の本堂の長さは四十キュビトであった。6:18 神殿内部の杉の板には、ひょうたん模様と花模様が浮き彫りにされており、全部、杉の板で、石は見えなかった。6:19 それから、彼は神殿内部の奥に内堂を設け、そこに主の契約の箱を置くことにした。6:20 内堂の内部は、長さ二十キュビト、幅二十キュビト、高さ二十キュビトで、純金をこれに着せた。さらに杉材の祭壇にも純金を着せた。6:21 ソロモンは神殿の内側を純金でおおい、内堂の前に金の鎖を渡し、これを金でおおった。6:22 神殿全体を、隅々まで金で張り、内堂にある祭壇もすっかり金をかぶせた。

 神殿の中はすべて金で覆うことになります。主の栄光が現れていることを示すためです。

6:23 内堂の中に二つのオリーブ材のケルビムを作った。その高さは十キュビトであった。6:24 そのケルブの一方の翼は五キュビト、もう一方の翼も五キュビト。一方の翼の端からもう一方の翼の端まで十キュビトあった。6:25 他のケルブも十キュビトあり、両方のケルビムは全く同じ寸法、同じ形であった。6:26 一方のケルブは高さ十キュビト、他方のケルブも同じであった。6:27 そのケルビムは奥の神殿の中に置かれた。ケルビムの翼は広がって、一つのケルブの翼は一方の壁に届き、もう一つのケルブの翼はもう一方の壁に届き、また彼らの翼は神殿の真中に届いて翼と翼が触れ合っていた。6:28 彼はこのケルビムに金をかぶせた。

 至聖所には、契約の箱が置かれます。契約の箱には贖いの蓋があり、それはケルビムが彫られています。けれども、それ以外に大きな二人のケルビムが置かれています。

6:29 神殿の周囲の壁には、すべて、奥の間も外の間も、ケルビムの彫刻、なつめやしの木と花模様の彫り物を彫った。6:30 神殿の床には、奥の間も外の間も、金をかぶせた。6:31 彼は内堂の入口を、オリーブ材のとびらと五角形の戸口の柱で作った。6:32 二つのオリーブ材のとびらである。彼はその上に、ケルビムの彫刻となつめやしの木と花模様を彫り、金をかぶせた。ケルビムと、なつめやしの木の上に金を延ばしつけたのである。6:33 同じように、本堂の入口にも四角形のオリーブ材の戸口の柱を作った。6:34 もみの木の二つのとびらである。一方のとびらの二枚の戸は折りたたみ戸、片方のとびらの二枚の戸も折りたたみ戸であった。6:35 彼はケルビムと、なつめやしの木と花模様を彫りつけ、その彫り物の上に、ぴったりと金を張りつけた。6:36 それから、彼は、切り石三段、杉角材一段の仕切りで内庭を造った。

 主の幕屋の時には、幕にケルビムが織られていましたが、壁の板にもケルビム、そしてなつめやしの木が彫られています。そして幕屋の時は、垂れ幕と幕がそれぞれ至聖所、聖所の入口ですが、ここでは柱と扉があります。そして神殿の周りに内庭があります。外庭よりも切り石三段分、高く作っています。

6:37 第四年目のジブの月に、主の神殿の礎を据え、6:38 第十一年目のブルの月、すなわち第八の月に、神殿のすべての部分が、その明細どおりに完成した。これを建てるのに七年かかった。

 神殿が七年かかっていますが、次の節をご覧ください。

2A 神殿の周辺部 7
1B 宮殿 1−12
7:1 ソロモンは自分の宮殿を建て、十三年かかって宮殿全部を完成した。

 神殿には七年かけていますが、自分の宮殿には十三年かけています。かつてダビデが、ナタンに言ったことを思い出してください。「ご覧ください。この私が杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕の中にとどまっています。(2サムエル7:2」ダビデは、自分の宮殿が神の箱がある天幕より優れていることに、申し訳なさを感じたのです。それで主に対する荘厳な建物を造りたいと思ったのです。ところがソロモンは確かに荘厳な神殿を建てたのですが、それよりもさらに荘厳な宮殿を造ってしまいました。

 ここにソロモンの内的問題があります。ソロモンは主を愛していました。主のために、本当に多くのことを行いました。けれども同じぐらい、主の与えてくださった富を自分のために用いたのです。そしていつしか、主からきた富を自分のために用いることのほうが、主のために用いることよりも多くなってしまったのです。それで神殿の骨格が完成するときに、主が神のおきてを守り行なうならダビデへの約束がその通りになるという言葉を主が思い起こさせたのではないかと思います。つまり、祝福の約束であると同時に、警告も少し含まれていたのではないかと思います。

 ソロモンの名をイエス様が口にされたときは、野の花と比べられた時でした。「なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。(マタイ6:28-29」だから着る物について思い煩うな、と主は命じられました。主の働きをしながら、それが大きくなってきて、そしていつしか自分のための時間や力が費やされていくという誘惑と危険があります。いつの間にか、世の思い煩いが入ってくるという惑わしです。

 7:2 彼はレバノンの森の宮殿を建てた。その長さは百キュビト、幅は五十キュビト、高さは三十キュビトで、それは四列の杉材の柱の上にあり、その柱の上には杉材の梁があった。7:3 また四十五本の柱・・一列に十五本ずつ・・の上の階段式脇間の屋根は杉材でふかれていた。7:4 戸口は三列、三階になって、向かい合っていた。7:5 戸口のとびらと戸口の柱とはすべて四辺形で、三階になって向かい合っていた。

 「レバノンの森の宮殿」と呼ばれているのは、レバノンから来た杉材によって造ったからです。これは、金の武器庫として用いられます。「また、延べ金で盾三百を作り、その盾一個に三ミナの金を使った。王はそれらを、レバノンの森の宮殿に置いた。(1列王10:17」金による武器など、どのようにして実用に使えるのでしょうか?そして、神殿のすぐそばに武器を置くいうことは、どういうことなのでしょうか?事実、イザヤの生きていた時代、ユダの国はこの武器庫に目を向けました。「こうしてユダのおおいは除かれ、その日、おまえは森の宮殿の武器に目を向けた。(イザヤ22:8

7:6 彼はまた、柱の広間を造った。その長さは五十キュビト、その幅は三十キュビトであった。その前に玄関があり、その前に柱とひさしとがあった。7:7 彼はまた、さばきをするための王座の広間、さばきの広間を造り、床の隅々から天井まで杉材を張りつめた。

 さばきの座は、王の公務を行うところです。

7:8 彼の住む家は、その広間のうしろの庭にあり、同じ造作であった。また、ソロモンは、彼がめとったパロの娘のためにも、この広間と同じような家を建てた。7:9 これらはすべて、内側も外側も、寸法どおりにのこぎりで切りそろえた切り石、高価な石で造られていた。礎から頂上に至るまで、さらに外庭から大庭に至るまでそうであった。7:10 礎は高価な石、大きな石で、十キュビトも八キュビトもあった。7:11 その上には寸法どおりの切り石、高価な石と杉材が使われていた。7:12 大庭の周囲には、三段の切り石と一段の杉角材とが使われ、主の宮の内庭や、神殿の玄関広間と同じであった。

 自分の宮殿とパロの娘の後宮に、高価な石を用いて、そして神殿の内庭と玄関広間と同じ高さに宮殿を置いています。主を愛しているけれども、主を自分よりも高くしていないという高慢が現れています。

2B 青銅の用具 13−47
7:13 ソロモン王は人をやって、ツロからヒラムを呼んで来た。7:14 彼はナフタリ族のやもめの子であった。彼の父はツロの人で、青銅の細工師であった。それでヒラムは青銅の細工物全般に関する知恵と、英知と、知識とに満ちていた。彼はソロモン王のもとにやって来て、そのいっさいの細工を行なった。

 ここから、青銅で作る用具の説明があります。主の幕屋の時も、同じでした。ベツァルエルとオホリアブに主が知恵を与えられて、彼らの手によって契約の箱、供えのパンの机、燭台、香壇が造られました。ここでは青銅の細工師が選ばれれます。父がツロの人で母がイスラエル人の子であるヒラムです。

7:15 彼は青銅で二本の柱を鋳造した。その一本の柱の高さは十八キュビト。周囲は他の柱といっしょに、ひもで測って十二キュビトであった。7:16 彼は青銅で鋳造した二つの柱頭を作り、柱の頂に載せた。一つの柱頭の高さは五キュビト、もう一つの柱頭の高さも五キュビトであった。7:17 柱の頂の柱頭に取りつけて、鎖で編んだ、ふさになった格子細工の網を、一方の柱頭に七つ、他の柱頭に七つ作った。7:18 こうして彼は柱を作り、柱の頂にある柱頭をおおうために、青銅のざくろが格子網の上を二段に取り巻くようにし、他の柱頭にも同じようにした。7:19 この玄関広間にある柱の頂の上の柱頭は、ゆりの花の細工であって、それは四キュビトであった。7:20 二本の柱の上にある柱頭の格子網のあたりで丸い突出部の回りには、二百個のざくろが、両方の柱頭に段をなして並んでいた。7:21 この柱を本堂の玄関広間の前に立てた。彼は右側に立てた柱にヤキンという名をつけ、左側に立てた柱にボアズという名をつけた。7:22 この柱の頂の上には、ゆりの花の細工があり、このようにして、柱の造作を完成した。

 興味深いことに、ソロモンの神殿には神殿の入口のところに、二本の青銅の柱が立っています。一方はヤキンという名で、「彼は設立する」という意味です。もう一方はボアズという名で、「力をもって」という意味です。神殿に入る時にいつも、神が力をもって堅く立たせてくださることを思い出すのでしょう。ところで装飾については、絵をご覧ください。


(資料元: 24.media.tumblr.com/tumblr_m96bpkko771r88nyvo1_500.jpg

7:23 それから、鋳物の海を作った。縁から縁まで十キュビト。円形で、その高さは五キュビト。その周囲は測りなわで巻いて三十キュビトであった。7:24 その縁の下に沿って、ひょうたん模様が回りを取り巻いていた。すなわち、一キュビトにつき十ずつの割りでその海の周囲を取り巻いていた。このひょうたん模様は二段になっており、海を鋳たときに鋳込んだものである。7:25 これは十二頭の牛の上に据えられていた。三頭は北を向き、三頭は西を向き、三頭は南を向き、三頭は東を向いていた。この海は、これらの牛の上に載せられており、牛の後部はすべて内側に向いていた。7:26 その海の厚さは一手幅あり、その縁は、杯の縁のようにゆりの花の形をしていた。その容量は二千バテであった。

 かつて、祭司が聖所に入る前に、祭壇と聖所の間にあったのが洗盤でした。けれども、ここでは「海」と呼ばれる巨大な水の洗いがあります。祭司がそこに入り、身を清めました(2歴代4:6)。

7:27 彼は青銅で十個の台を作った。おのおのの台は長さ四キュビト、幅四キュビト、高さ三キュビトであった。7:28 この台の構造は次のとおり。台には鏡板があり、鏡板はわくにはまっていた。7:29 わくにはめられている鏡板の上には、雄獅子と牛とケルビムとがあり、雄獅子と牛の上と下にあるわくの表面には花模様が鋳込んであった。7:30 それぞれ台には青銅の車輪四つと、青銅の軸がついており、台の四隅には洗盤のささえがあり、そのささえは洗盤の下にあって、各表面が花模様に鋳られていた。7:31 洗盤の口はささえの内側にあって、一キュビト上に出ており、その口は丸く、花模様の細工があって、一キュビト半あり、また、その口の上にも彫刻がしてあり、わくの鏡板は四角で、丸くなかった。7:32 鏡板の下には四つの車輪があり、車軸は台に取りつけられ、一つの車輪の高さは一キュビト半であった。7:33 その車輪の作りは戦車の車輪の作りと同じで、車軸も、輪縁も、輻も、こしきもみな、鋳物であった。7:34 それぞれ台の四隅には四本のささえがあり、ささえと台とは一体をなしていた。7:35 台の上部には高さ半キュビトの丸い部分が取り巻いており、その台の上のささえと鏡板とは一体をなしていた。7:36 そのささえの表面と鏡板には、それぞれの場所に、ケルビムと、雄獅子と、なつめやしの木を刻み、その周囲には花模様を刻んだ。7:37 彼は、以上のように、十個の台を作った。それらは全部、同じ鋳方、同じ寸法、同じ形であった。

 絵を見ていただければわかるように、台を十個作っています。そしてその上に洗盤を載せます。

7:38 ついで、彼は青銅で十個の洗盤を作った。洗盤の容量はそれぞれ四十バテ、それぞれ直径四キュビトであった。洗盤は、一つの台の上に一つずつ、十個の台の上にあった。

 この洗盤は、全焼のいけにえを洗い清めるためのものです(2歴代4:6)。

7:39 彼はその台の五個を神殿の右側に、五個を神殿の左側に置き、海を神殿の右側、すなわち、東南の方角に置いた。

 五個の台は北に、もう五個は南に置き、海は手前、東南の方角に置きます。

7:40 さらに、ヒラムは灰つぼと十能と鉢を作った。こうして、ヒラムは主の宮のためにソロモン王が注文したすべての仕事を完成した。7:41 すなわち、二本の柱と、二本の柱の頂にある丸い柱頭、および、柱の頂にある丸い二つの柱頭をおおう二つの格子網、7:42 また、二つの格子網に取りつけた四百のざくろ、すなわち、柱の先端にある丸い二つの柱頭をおおうそれぞれの格子網のための二段のざくろ。7:43 また、十個の台と、その台の上の十個の洗盤、7:44 一つの海と、その海の下の十二頭の牛、7:45 また、灰つぼと十能と鉢であった。ヒラムがソロモン王の注文により主の宮のために作ったすべての用具は、みがきをかけた青銅であった。7:46 王は、ヨルダンの低地、スコテとツァレタンとの間の粘土の地で、これらを鋳造した。7:47 ソロモンは、この用具があまりにも多かったので、みなそれを量らないままにしておいた。青銅の重さは量られなかった。

 青銅の細工は、ヨルダン川の東にあるスコテから、西にあるツァレタンの間で行ないました。青銅の細工に粘土が必要だったのでしょう。そして強調されているのは、青銅の重さは数え切れない、ということです。これだけの栄華だった、ということです。

 そして、ずっと先の話をしますと、ユダの民がバビロンに捕え移される時に、その捕囚の最後の段階のとき、最後の王ゼデキヤが捕われていくときに、バビロンは青銅の装飾品をすべて持っていきます。これが最後になります。その前の捕囚、エホヤキンが捕虜になるときに、主の宮の財宝と王宮の財宝の金のものが取られていきます(2列王24:1325:13-17)。

3B 工事の完成 48−51
7:48 ついで、ソロモンは主の宮にあるすべての用具を作った。すなわち、金の祭壇と供えのパンを載せる金の机、7:49 純金の燭台・・内堂の右側に五つ、左側に五つ・・、金の花模様、ともしび皿、心切りばさみを作った。7:50 また、純金の皿と、心取りばさみ、鉢、平皿、火皿を純金で作った。また、至聖所に通じる神殿のとびらのちょうつがい、神殿の本堂に通じるとびらのちょうつがいも金で作った。7:51 こうして、ソロモン王が主の宮のためにしたすべての工事が完成した。そこで、ソロモンは父ダビデが聖別した物、すなわち、銀、金、各種の器具類を運び入れ、主の宮の宝物倉に納めた。

 神殿の構造、内装、青銅の装飾を終えた後に、本堂の中の金の祭具を用意しました。燭台も、供えのパンの机もそれぞれ十個、五つずつを右、左に置きました。主の幕屋の時は一つしかありませんでしたね。

 そして神殿が完成したときに、先ほど造った脇屋の一つが宝物倉になったのでしょうか、そこに、ダビデが用意していた金銀の器具類を納めました。ダビデは、自分は神殿を建てませんでしたが、その用意はしていました。歴代誌第一22章に書いてあります。

3A 神殿奉献の祈り 8
1B 聖なる用具の運び入れ 1−13
8:1 そのとき、ソロモンはイスラエルの長老たち、およびイスラエル人の部族のかしらたちと一族の長たちをすべて、エルサレムのソロモン王のもとに召集した。ダビデの町シオンから主の契約の箱を運び上るためであった。8:2 イスラエルのすべての人々は、エタニムの月、すなわち第七の新月の祭りに、ソロモン王のもとに集まった。8:3 こうして、イスラエルの長老全員が到着したところで、祭司たちは箱をにない、8:4 主の箱と、会見の天幕と、天幕にあったすべての聖なる用具とを運び上った。これらの物を祭司たちとレビ人たちが運び上った。8:5 ソロモン王、そして彼のところに集まったイスラエルの全会衆が彼とともに、箱の前に行き、羊や牛をいけにえとしてささげたが、その数があまりに多くて数えることも調べることもできなかった。8:6 それから、祭司たちは主の契約の箱を、定めの場所、すなわち神殿の内堂である至聖所のケルビムの翼の下に運び入れた。8:7 ケルビムは箱の所の上に翼を広げた。ケルビムは箱とそのかつぎ棒とを上からおおった。8:8 そのかつぎ棒は長かったので、棒の先が内堂の前の聖所から見えていたが、外からは見えなかった。それは今日までそこにある。8:9 箱の中には、二枚の石の板のほかには何もはいっていなかった。これは、イスラエル人がエジプトの地から出て来たとき、主が彼らと契約を結ばれたときに、モーセがホレブでそこに納めたものである。

 神の箱をダビデの町から神殿の至聖所に運び入れます。そして、ギブオンにあった、モーセの建てた神の幕屋の中にあったものも、この時に運び上りました。

8:10 祭司たちが聖所から出て来たとき、雲が主の宮に満ちた。8:11 祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。8:12 そのとき、ソロモンは言った。「主は、暗やみの中に住む、と仰せられました。8:13 そこで私はあなたのお治めになる宮を、あなたがとこしえにお住みになる所を確かに建てました。」

 モーセによる幕屋と同じですね。彼がすべてを建てた後に、主の栄光の雲が満ちて、モーセは入ることができませんでした。天の御座にある神の栄光が雲という形で現れたのです。そこには、祭司の奉仕さえ人の業として受け入れられない、重い栄光が宿っています。ソロモンは、「主は、暗やみの中に住む、と仰せられました。」と言っていますが、それはシナイ山に主が降りてこられたときに、暗闇と雲によって来られたからです。そして、確かに主がダビデに約束されたことが、今、ここで実現しています。

2B ダビデへの約束 14−21
8:14 それから王は振り向いて、イスラエルの全集団を祝福した。イスラエルの全集団は起立していた。8:15 彼は言った。「イスラエルの神、主はほむべきかな。主は御口をもって私の父ダビデに語り、御手をもってこれを成し遂げて言われた。8:16 『わたしの民イスラエルを、エジプトから連れ出した日からこのかた、わたしはわたしの名を置く宮を建てるために、イスラエルの全部族のうちのどの町をも選ばなかった。わたしはダビデを選び、わたしの民イスラエルの上に立てた。』8:17 それで私の父ダビデは、イスラエルの神、主の名のために宮を建てることをいつも心がけていた。8:18 ところが、主は、私の父ダビデにこう仰せられた。『あなたは、わたしの名のために宮を建てることを心がけていたために、あなたはよくやった。あなたは確かに、そう心がけていた。8:19 しかし、あなたがその宮を建ててはならない。あなたの腰から出るあなたの子どもが、わたしの名のために宮を建てる。』8:20 主は、お告げになった約束を果たされたので、私は父ダビデに代わって立ち、主の約束どおりイスラエルの王座に着いた。そして、イスラエルの神、主の名のために、この宮を建て、8:21 主の契約が納められている箱のために、そこに一つの場所を設けた。その契約は、主が、私たちの先祖をエジプトの地から連れ出されたときに、彼らと結ばれたものである。」

 ソロモンは民を祝福しています。この時こそ、モーセの時以来、主が約束してくださったことが実現したのです。主はダビデに、ご自分の家を建てる約束をなさいました。けれども、その実行者は自分の子どもが行なうと告げられていました。それでソロモンによって実現した、ということです。

3B 祈りに御顔を向ける所 22−53
 そしてソロモンは民に対してではなく、今度は主に対して語り始めます。

8:22 ソロモンはイスラエルの全集団の前で、主の祭壇の前に立ち、両手を天に差し伸べて、8:23 言った。「イスラエルの神、主。上は天、下は地にも、あなたのような神はほかにありません。あなたは、心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたちに対し、契約と愛とを守られる方です。8:24 あなたは、約束されたことを、あなたのしもべ、私の父ダビデのために守られました。それゆえ、あなたは御口をもって語られました。また御手をもって、これを今日のように、成し遂げられました。8:25 それで今、イスラエルの神、主よ。あなたのしもべ、私の父ダビデに約束して、『あなたがわたしの前に歩んだように、もしあなたの子孫がその道を守り、わたしの前に歩みさえするなら、あなたには、イスラエルの王座に着く人が、わたしの前から断たれない。』と仰せられたことを、ダビデのために守ってください。8:26 今、イスラエルの神。どうかあなたのしもべ、私の父ダビデに約束されたみことばが堅く立てられますように。

 ソロモンは、ダビデに約束してくださったことを守ってくださるようにお願いしています。今朝学びましたように、主は契約をもって私たちに愛を示される方です。口で約束をして、それを必ず守ってくださる方です。

8:27 それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。8:28 けれども、あなたのしもべの祈りと願いに御顔を向けてください。私の神、主よ。あなたのしもべが、きょう、御前にささげる叫びと祈りを聞いてください。8:29 そして、この宮、すなわち、あなたが『わたしの名をそこに置く。』と仰せられたこの所に、夜も昼も御目を開いていてくださって、あなたのしもべがこの所に向かってささげる祈りを聞いてください。8:30 あなたのしもべとあなたの民イスラエルが、この所に向かってささげる願いを聞いてください。あなたご自身が、あなたのお住まいになる所、天にいまして、これを聞いてください。聞いて、お赦しください。

 ここも今朝学びました。私たちが、「神の臨在」についてはっきりさせる必要があります。神の臨在、イエスが臨在されるということは、物理的な空間に制限されるのではない、ということです。私たちのうちに主がおられて、御霊によって力強く動かれるときに、「この場所だからイエスがおられる」と考えてはならないのです。むしろ御名を置いてくださっている、つまり、どこにでもおられるのだが、この場においてご自身の栄光と力を現しておられる、ということです。霊において、主がどのような方なのかをはっきりと知ることができるのです。

 そしてソロモンは、御名によって祈ることの必要性を知っていました。神の御心を知った者の祈りこそが、聞かれます。ソロモンは、この祈りを捧げているときに最後に、「お赦しください」と加えています。彼は知っていたのです、モーセの律法には祝福よりも呪いのことが多く書かれている。民が背くことは間違いない、と思いました。ゆえに、今、聞かれなければいけない祈りは罪を赦してもらうことだ、と思ったのです。

8:31 ある人が隣人に罪を犯し、のろいの誓いを立てさせられることになって、この宮の中にあるあなたの祭壇の前に来て誓うとき、8:32 あなたご自身が天でこれを聞き、あなたのしもべたちにさばきを行なって、悪者にはその生き方への報いとして、その頭上に悪を下し、正しい者にはその正しさにしたがって義を報いてください。

 イスラエル人たちの係争についてです。だれかが他者に罪を犯して問題になり、お互いに譲らないとき、この宮で祈るのであれば、公正なさばきを下してください、とソロモンは祈っています。私たち人間には、究極的には公正な判断を下すことはできません。けれども、主はすべてを知っておられます。

8:33 また、あなたの民イスラエルが、あなたに罪を犯したために敵に打ち負かされたとき、彼らがあなたのもとに立ち返り、御名をほめたたえ、この宮で、あなたに祈り願ったなら、8:34 あなたご自身が天でこれを聞き、あなたの民イスラエルの罪を赦し、あなたが彼らの先祖たちにお与えになった地に、彼らを帰らせてください。

 敗戦における祈りです。ソロモンは、罪を犯すことと、敵に打ち負かされることを、直接的に関連づけて話しています。モーセの律法に、呪いとしてそのことが書いてあります。そして、列王記を読めば、主に立ち返る者に与えられる敵への勝利が書かれていますが、ここでの祈りが聞かれているのです。

8:35 彼らがあなたに罪を犯したため、天が閉ざされて雨が降らない場合、彼らがこの所に向かって祈り、御名をほめたたえ、あなたの懲らしめによって彼らがその罪から立ち返るなら、8:36 あなたご自身が天でこれを聞き、あなたのしもべたち、あなたの民イスラエルの罪を赦し、彼らの歩むべき良い道を彼らに教え、あなたの民に相続地としてお与えになったあなたの地に雨を降らせてください。

 雨が降らないことです。これも、モーセの律法に書いてあります。単に雨が降らないからどうか降らせてください、と願い求めるのではなく、まず自分たちが主に自分の罪を認め、そして主によってその正しい道を教えられて、それから主が雨を降らせてくださる、という順番になります。私たちに与えられたこのような試練は、主が大きな声をもってお語りになっていることかもしれないのです。

8:37 もし、この地に、ききんが起こり、疫病や立ち枯れや、黒穂病、いなごや油虫が発生した場合、また、敵がこの地の町々を攻め囲んだ場合、どんなわざわい、どんな病気の場合にも、8:38 だれでも、あなたの民イスラエルがおのおの自分の心の悩みを知り、この宮に向かって両手を差し伸べて祈るとき、どのような祈り、願いも、8:39 あなたご自身が、あなたの御住いの所である天で聞いて、赦し、またかなえてください。ひとりひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心を知っておられます。あなただけがすべての人の子の心を知っておられるからです。8:40 それは、あなたが私たちの先祖に賜わった地の上で彼らが生きながらえる間、いつも彼らがあなたを恐れるためです。

 飢饉や害虫による災いも、モーセによって神が警告したことです。そして、主がひとりひとりの心にしたがって報いてください、と祈っています。主が私たちの心の全てを知っておられます。それで、心にあることを目で見える形で現されます。頭で理解したこと、思いの中に単に留めていることであっても、心が異なればそれがそのまま出てきます。隠れたことを明らかにされるのが私たちの神です。

8:41 また、あなたの民イスラエルの者でない外国人についても、彼があなたの御名のゆえに、遠方の地から来て、8:42 ・・彼らは、あなたの大いなる御名と、力強い御手と、伸べられた腕について聞きますから。・・この宮に来て祈るとき、8:43 あなたご自身が、あなたの御住まいの所である天でこれを聞き、その外国人があなたに向かって願うことをすべてかなえてください。そうすれば、この地のすべての民が御名を知り、あなたの民イスラエルと同じように、あなたを恐れるようになり、私の建てたこの宮では、御名が呼び求められなくてはならないことを知るようになるでしょう。

 旧約聖書を注意深く読みますと、神の祝福と契約にあずかっているのは、イスラエル人だけでなく、異邦人も同じであることに気づきます。主がアブラハムに約束されたのは、彼の子孫が大いなる国民になることだけでなく、彼によってすべての民族が祝福を受けることでした(創世記12:3参照)。そしてソロモンは、「彼らは、あなたの大いなる御名と、力強い御手と、伸べられた腕について聞きますから」と言っていますが、これはイスラエルのエジプト脱出の出来事です。この出来事のゆえに、ヨシュアの時代、エリコの住民がイスラエルを非常に恐れました。この出来事のゆえに、数百年後に、ペリシテ人が神の箱を持ってきたイスラエル人たちを恐れました。主は、出エジプトを全世界への証しにすることを考えられていたのです。

 そしてソロモンは、「この地のすべての民が御名を知る」ことを望んでいます。これがイスラエルの使命です。イザヤ書には、「わたしの家はすべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。(56:7」とあります。

8:44 あなたの民が、敵に立ち向かい、あなたが遣わされる道に出て戦いに臨むとき、あなたの選ばれた町、私が御名のために建てた宮の方向に向かって、主に祈るなら、8:45 天で、彼らの祈りと願いを聞いて、彼らの言い分を聞き入れてやってください。

 戦争をしているときに、イスラエルの軍隊がいのる祈りを聞いてください、というものです。外国人のような人、また遠く離れたところにいて神殿の祝福に預かれない人、このような人にも主が哀れみをかけてください、とソロモンは願っています。

8:46 彼らがあなたに対して罪を犯したため・・罪を犯さない人間はひとりもいないのですから・・あなたが彼らに対して怒られ、彼らを敵に渡し、彼らが、遠い、あるいは近い敵国に捕虜として捕われていった場合、8:47 彼らが捕われていった地で、みずから反省して悔い改め、捕われていった地で、あなたに願い、『私たちは罪を犯しました。悪を行なって、咎ある者となりました。』と言って、8:48 捕われていった敵国で、心を尽くし、精神を尽くして、あなたに立ち返り、あなたが彼らの先祖に与えられた彼らの地、あなたが選ばれたこの町、私が御名のために建てたこの宮のほうに向いて、あなたに祈るなら、8:49 あなたの御住まいの所である天で、彼らの祈りと願いを聞き、彼らの言い分を聞き入れ、8:50 あなたに対して罪を犯したあなたの民を赦し、あなたにそむいて犯したすべてのそむきの罪を赦し、彼らを捕えていった者たちが、あわれみの心を起こし、彼らをあわれむようにしてください。8:51 彼らは、あなたの民であり、あなたがエジプトから、すなわち鉄の炉の中から連れ出されたあなたご自身のものであるからです。

 これは最も起こってほしくない場合です。ソロモンははっきりと、「罪を犯さない人間はひとりもいないのですから」と言っています。実に父ダビデ自身が、この神殿の敷地をエブス人から購入するとき、それは自分が人口調査を命じたという罪を犯して、その罪の贖いをするためであったことを知っています。モーセの宣言した呪いの中に、敵によって約束の地から引き抜かれ、そこで物笑いの種になるという最悪の事態があります。そのことが起こった時も、主が憐れんでくださるように、という祈りです。

 「すべての人が罪を犯し、神の栄誉を受けることができない(ローマ3:23参照)」と言ったパウロの言葉もソロモンのそれと同じです。私たちは、自分が何でこんなに罪深いものだろうか、なんでこんなに自分で憎むようなことを行なってしまったのか、と悔いるときがあります。けれども主は初めから、そのことをご存知で、それでこのような汚れた者に近づいてくださり、あわれみと回復のみわざを行なってくださいます。

 このソロモンの祈りをそのまま実行していた人がいます。ダニエルです。イスラエルの民は、事実、バビロンによって捕囚の民となりました。その中の一人がダニエルですが、彼は一日に三度、窓を開けて、エルサレムのほうを向いて、祈っていたという記録がダニエル書にあります(6:10)。そして、ダニエル書9章には、ダニエルが祈っていたことが記録されていますが、そこには、「私たちが罪を犯しました。あなたは正しい方で、正しいことを行なったのです。」という言葉が繰り返されています。ソロモンが祈ったとおりです。さらに、ダニエルは、あなたの御名が置かれている聖所に、再び光を輝かせてください、と祈っています。そこで御使いガブリエルが来て、イスラエルの民と聖所について、七十週の預言をダニエルに伝えたのです。それで、確かにユダヤ人は、ペルシヤ王クロスの発令によってエルサレムに帰還できたのです。ソロモンの祈り、またそれに呼応したダニエルの祈りがあったからこそ、神がご自分の計画を実行に移されました。

8:52 どうか、あなたのしもべの願いと、あなたの民イスラエルの願いとに、御目を開き、彼らがあなたに叫び求めるとき、いつも彼らの願いを聞き入れてください。8:53 あなたが彼らを地上のすべての国々の民から区別してご自身のものとされたのです。神、主よ。あなたが私たちの先祖をエジプトから連れ出されたとき、あなたのしもべモーセを通して告げられたとおりです。」

 神殿についての祈りを捧げました。その祈りの土台は、モーセに主が語られたことに基づくものであり、この神殿において、主が彼らの間に住まわれることが実現するのです。

4B モーセへの約束 54−61
8:54 こうして、ソロモンは、この祈りと願いをことごとく主にささげ終わった。彼はそれまで、ひざまずいて、両手を天に差し伸ばしていた主の祭壇の前から立ち上がり、8:55 まっすぐ立って、イスラエルの全集団を大声で祝福して言った。

 先ほど民を祝福して、そしてひざまずいて祈って、そして再び民を祝福しています。

8:56 「約束どおり、ご自分の民イスラエルに安住の地をお与えになった主はほむべきかな。しもべモーセを通して告げられた良い約束はみな、一つもたがわなかった。8:57 私たちの神、主は、私たちの先祖とともにおられたように、私たちとともにいて、私たちを見放さず、私たちを見捨てられませんように。8:58 私たちの心を主に傾けさせ、私たちが主のすべての道に歩み、私たちの先祖にお命じになった命令と、おきてと、定めとを守るようにさせてください。8:59 私が主の御前で願ったことばが、昼も夜も、私たちの神、主のみそば近くにあって、日常のことにおいても、しもべの言い分や、御民イスラエルの言い分を正しく聞き入れてくださいますように。8:60 地上のすべての国々の民が、主こそ神であり、ほかに神はないことを知るようになるためです。

 出エジプト以来のイスラエルの課題が、今、克服できました。それはエジプトによって虐げられていたように、敵によって脅かされる生活を送っていたが、今やそれはなくなったということです。

 そして、ソロモンは三つのお願いをしていますが、一つ目は主がともにおられること、二つ目は、彼らが主に心を傾けること、そして三つ目に、主が祈りと願いを聞いてくださることです。私たちはとかく、自分の願いがかなえられることを優先しますが、祈りが聞かれるよりももっと大事なことは、主が近くにおられて、そして私たちも主に心を合わせていることです。

8:61 あなたがたは、私たちの神、主と心を全く一つにし、主のおきてに歩み、今日のように、主の命令を守らなければならない。」

 これが、主が祝福してくださることの条件ですから、しっかりと守らなければなりません。けれども、ソロモン自身が心が主から晩年離れていきます。そして歴代の王も離れていく人が多いです。

5B いけにえ 62−66
8:62 それから、王と王のそばにいたイスラエル人はみな、主の前にいけにえをささげた。8:63 ソロモンは主へのいけにえとして和解のいけにえをささげた。すなわち牛二万二千頭と羊十二万頭。こうして、王とすべてのイスラエル人は主の宮を奉献した。8:64 その日、王は主の神殿の前の庭の中央部を聖別し、そこで、全焼のいけにえと、穀物のささげ物と、和解のいけにえの脂肪とをささげた。主の前にあった青銅の祭壇は、全焼のいけにえと、穀物のささげ物と、和解のいけにえの脂肪とを受け入れるには小さすぎたからである。8:65 ソロモンは、このとき、彼とともにいた全イスラエル、すなわち、レボ・ハマテからエジプト川に至るまでの大集団といっしょに、七日と七日、すなわち十四日間、私たちの神、主の前で祭りを行なった。8:66 八日目に、彼は民を去らせた。民は王に祝福のことばを述べ、主がそのしもべダビデと、その民イスラエルとに下さったすべての恵みを喜び、心楽しく彼らの天幕へ帰って行った。

 神殿奉献の後は大祝会になりました。和解のいけにえは、バーベキューをして主の前で肉を食べているわけです。そして、なんとレボ・ハマテというユーフラテスに近いところから、エジプトの川に至るまでという、アブラハムに約束された土地に住んでいたイスラエル人みなが来て、この神殿の奉献を喜んだのです。こんなすばらしいことはありません。イスラエルの民が神の名によって一つにされました。

 そして次の章からは、このような盛大な祝いの後に静寂で主が個人的にソロモンに語られる場面が出てきます。それは次回学びたいと思います。私たちが主の働きをしていると、このように目に見えるすばらしい恵みがあります。けれども、自分の心の動きがどうなっているのか、静かに見つける時が必要です。

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