出エジプト記36−40章 「主への奉仕」

アウトライン

1A ベツァルエルとオホリアブ 36−39
   1B 聖所 36
      1C あり余る奉納物 1−7
      2C 幕 8−19
      3C 板と横木 20−34
      4C 垂れ幕 35−38
   2B 聖所の用具 37
      1C 契約の箱と贖罪蓋 1−9
      2C 供えのパンの机 10−16
      3C 燭台 17−24
      4C 香壇と香油 25−29
   3B 外庭 38
      1C 祭壇と洗盤 1−8
      2C 掛け幕 9−20
      3C 幕屋の記録 21−31
   4B 装束とまとめ 39
      1C エポデと肩当て 1−7
      2C 胸当て 8−21
      3C 青服と長服 22−29
      4C 記章の札 30−31
      5C 作業の完了 32−43
2A モーセ 40
   1B 主の命令 1−16
   2B 組み立て 17−33
   3B 満ちる栄光の雲 34−38

本文

 出エジプト記36章を開いてください。今日で私たちは、出エジプト記を完読します。今日のテーマは「主への奉仕」です。エジプトから脱出して、シナイ山にまで来て、そしてそこで完成するのは幕屋です。それでは早速読んでいきましょう。

1A ベツァルエルとオホリアブ 36−39
1B 聖所 36
1C あり余る奉納物 1−7
36:1 ベツァルエルとオホリアブ、および、聖所の奉仕のすべての仕事をすることのできる知恵と英知を主に与えられた、心に知恵のある者はみな、主が命じられたすべてのことを成し遂げなければならない。」36:2 モーセは、ベツァルエルとオホリアブ、および、主が知恵を授けられた、心に知恵のある者すべて、すなわち感動して、進み出てその仕事をしたいと思う者すべてを、呼び寄せた。

 先週、私たちは主が改めてモーセに、幕屋を造ることを命じられたところを読みました。そして、それを遂に実行に移します。主は名指して、幕屋にあるものを造る者を二人選ばれました。ベツァルエルとオホリアブです。そして、オホリアブにはさらに、他の人々に比較的単純に作ることのできるものを教える務めも任されました。それで、ここに「心に知恵のある者はすべて」とあり、彼らはオホリアブの指導の下で仕事をします。

 第一礼拝でお話しましたが、彼らの特徴は第一に「主が知恵を与えられた」ということです。元々、知恵のある人々でしたが、主の働きをするときには、御霊による奉仕の能力、御霊の賜物が与えられなければいけません。そして第二の特徴は、「感動して、進み出てその仕事をしたい」ということです。私たちの心がこのように奮い立って、奉仕に自分自身を捧げていきたいと願うことは、主がとても喜ばれることです。

36:3 彼らは、聖所の奉仕の仕事をするためにイスラエル人が持って来たすべての奉納物をモーセから受け取った。しかしイスラエル人は、なおも朝ごとに、進んでささげるささげ物を彼のところに持って来た。36:4 そこで、聖所のすべての仕事をしていた、知恵のある者はみな、それぞれ自分たちがしていた仕事から離れてやって来て、36:5 モーセに告げて言った。「民は幾たびも、持って来ています。主がせよと命じられた仕事のために、あり余る奉仕です。」36:6 それでモーセは命じて、宿営中にふれさせて言った。「男も女も、もはや聖所の奉納物のための仕事をしないように。」こうして、民は持って来ることをやめた。36:7 手持ちの材料は、すべての仕事をするのに十分であり、あり余るほどであった。

 先週もお話しましたが、幕屋の奉仕のための材料は、イスラエル各人が自ら進んでささげる物によってもたらされます。教会においてもそうですが、誰か他の人が与えるということではなく、私たち一人ひとりが捧げることによって成り立つ、ということです。

 そして今、仕事の配置について、幕屋を作成する奉仕者たちが、その奉納物を受け取りました。ところが、さらに朝ごとにイスラエル人たちはさらに、捧げ物を持ってきました。それで、あり余るほどの材料だったので、彼らは持ち場を離れてモーセに報告しなければいけない程だったのです。しかもここで、「朝ごと」にとあります。彼らの捧げ物に対する積極性を見ることができます。

 私たちは東日本大震災の後に、似たような経験をしました。世界中からの支援が一気に押し寄せてきました。私たちがどのように活用すればよいか分からないたくさんの支援をいただきました。起こっていたのは、それと似ているかもしれません。ただ、ここでは主に礼拝を捧げることのできるという喜びから来たものです。私たちは、目に見える欠乏に対しては喜んで捧げることが比較的できるかもしれませんが、目に見えない欠乏、つまり失われた魂のため、人々の霊的必要のために喜んで捧げたいという気持ちは、まさに御霊によらなければ与えられません。人々は一見、裕福に見え、何の必要も助けも要らないようにさえ見えます。けれども、霊的には貧しく、困窮しているという悟りが与えられてこそ、心から進んで礼拝のゆえに捧げることができるでしょう。

2C 幕 8−19
 そしてこれから、幕屋を作っていく奉仕の姿を見ることができます。

36:8 仕事に携わっている者のうち、心に知恵のある者はみな、幕屋を十枚の幕で造った。撚り糸で織った亜麻布、青色、紫色、緋色の撚り糸で作り、巧みな細工でケルビムを織り出した。36:9 幕の長さは、おのおの二十八キュビト、幕の幅は、おのおの四キュビト、幕はみな同じ寸法とした。36:10 五枚の幕を互いにつなぎ合わせ、また、他の五枚の幕も互いにつなぎ合わせた。36:11 そのつなぎ合わせたものの端にある幕の縁に青いひもの輪をつけた。他のつなぎ合わせたものの端にある幕の縁にも、そのようにした。36:12 その一枚の幕に輪五十個をつけ、他のつなぎ合わせた幕の端にも輪五十個をつけ、その輪を互いに向かい合わせにした。36:13 そして、金の留め金五十個を作り、その留め金で、幕を互いにつなぎ合わせて、一つの幕屋にした。

 幕屋と言われる所以でもある「幕」の作成です。

36:14 また、幕屋の上に掛ける天幕のために、やぎの毛の幕を作った。その幕を十一枚作った。36:15 その一枚の幕の長さは三十キュビト。その一枚の幕の幅は四キュビト。その十一枚の幕は同じ寸法とした。36:16 その五枚の幕を一つにつなぎ合わせ、また、ほかの六枚の幕を一つにつなぎ合わせ、36:17 そのつなぎ合わせたものの端にある幕の縁に、輪五十個をつけ、他のつなぎ合わせた幕の縁にも輪五十個をつけた。36:18 また、青銅の留め金五十個を作り、その天幕をつなぎ合わせて、一つにした。

 幕の上にさらにやぎの毛の幕を掛けます。

36:19 また、天幕のために、赤くなめした雄羊の皮のおおいと、じゅごんの皮でその上に掛けるおおいとを作った。

 幕とやぎの毛の幕、そしてさらに上に掛けるのがこの二つです。

 これらはすべて、私たちが学んだものです。主がシナイ山でモーセにはっきりと教えられた事柄であり、ほぼ反復されています。けれども主は、あえて彼らの奉仕をこのように一つ一つ書き記すようにモーセを導かれたのだと考えられます。8節に「心に知恵のある者はみな」とありました。これは英語ですと”every”となっており、ヘブル語でも単数になっています。つまり、「一人ひとりがすべて」という意味であり、主がそれぞれの働きを認めてくださっているということです。

 イエス様が、このような手の働きは父なる神が認めておられることを教えられました。「あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。(マタイ6:3-4」ここで主が話されているのは、隠れて行いなさい、ということではなく、自分の奉仕を人に対してではなく、神に対して行いなさい、という意味です。神が私たちの奉仕一つ一つを見てくださって、その手と足を喜んでくださっているということです。

3C 板と横木 20−34
36:20 さらに、幕屋のためにアカシヤ材で、まっすぐに立てる板を作った。

 幕の次は、聖所の骨格となる板の作成です。

36:21 板一枚の長さは十キュビト、板一枚の幅は一キュビト半であった。36:22 板一枚ごとに、はめ込みのほぞ二つを作った。幕屋の板、全部にこのようにした。36:23 幕屋のために板を作った。南側に板二十枚。36:24 その二十枚の板の下に銀の台座四十個を作った。一枚の板の下に、二つのほぞに二個の台座、ほかの板の下にも、二つのほぞに二個の台座を作った。36:25 幕屋の他の側、すなわち、北側に板二十枚を作った。36:26 銀の台座四十個。すなわち、一枚の板の下に二個の台座。ほかの板の下にも二個の台座。36:27 幕屋のうしろ、すなわち、西側に板六枚を作った。36:28 幕屋のうしろの両隅のために、板二枚を作った。36:29 底部では重なり合い、上部では一つの環で一つに合わさるようにした。二枚とも、そのように作った。それが両隅であった。36:30 板は八枚、その銀の台座は十六個、すなわち一枚の板の下に、二つずつ台座があった。

 形は一対二の長方形です。それぞれの板の下に二つの銀の台座をはめて、それで板を固定させます。

36:31 ついで、アカシヤ材で横木を作った。すなわち、幕屋の一方の側の板のために五本、36:32 幕屋の他の側の板のために横木五本、幕屋のうしろ、すなわち西側の板のために横木五本を作った。36:33 それから、板の中間を、端から端まで通る中央横木を作った。36:34 板には金をかぶせ、横木を通す環を金で作った。横木には金をかぶせた。

 板を壁のように一つにまとめ、支えるために、横木を使います。

4C 垂れ幕 35−38
36:35 ついで、青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で、垂れ幕を作った。これに巧みな細工でケルビムを織り出した。36:36 そのために、アカシヤ材の四本の柱を作り、それに金をかぶせた。柱の鉤は金であった。そしてこの柱のために銀の四つの台座を鋳造した。36:37 ついで、天幕の入口のために、青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で、刺繍をした幕を作った。36:38 五本の柱と、その鉤を作り、その柱の頭部と帯輪に金をかぶせた。その五つの台座は青銅であった。

 二つの幕を作りました。一つは垂れ幕で、聖所と至聖所を仕切るものです。そしてもう一つは聖所の入口の幕です。それぞれに柱があり、そこに幕を掛けるようにします。

2B 聖所の用具 37
 これで聖所の大枠が作られましたが、聖所の中にある用具が37章には書かれています。これは、ベツァルエルが携わります。

1C 契約の箱と贖罪蓋 1−9
37:1 ベツァルエルはアカシヤ材で一つの箱を作った。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半、高さは一キュビト半。37:2 その内側と外側を純金でかぶせ、その回りに金の飾り縁を作った。37:3 箱のために、金の環四つを鋳造し、その四隅の基部に取りつけた。一方の側に二つの環を、他の側にほかの二つの環を取りつけた。37:4 また、アカシヤ材で棒を作り、これを金でかぶせ、37:5 その棒を、箱をかつぐために箱の両側にある環に通した。

 至聖所の唯一の用具であり、幕屋全体のもっとも中心である契約の箱です。

37:6 ついで彼は、純金で「贖いのふた」を作った。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半。37:7 また、槌で打って作った二つの金のケルビムを「贖いのふた」の両端に作った。37:8 一つのケルブを一方の端に、他のケルブを他方の端に。ケルビムを「贖いのふた」の一部として、その両端に作った。37:9 ケルビムは翼を上のほうに伸べ広げ、その翼で「贖いのふた」をおおい、ケルビムは互いに向かい合い、その顔は「贖いのふた」に向いていた。

 契約の箱の上に置く贖いの蓋です。これは純金であり、かつケルビムを彫らなければいけなかったので、相当、技能を要する作業だったことでしょう。

2C 供えのパンの机 10−16
37:10 彼は、アカシヤ材で、一つの机を作った。長さは二キュビト、幅は一キュビト、高さは一キュビト半。37:11 これを純金でかぶせ、その回りに金の飾り縁を作った。37:12 その回りに、手幅のわくを作り、そのわくの回りに金の飾り縁を作った。37:13 その机のために、金の環四個を鋳造し、その四本の足のところの四隅に、その環を取りつけた。37:14 その環はわくのわきにつけ、机をかつぐ棒を入れる所とした。37:15 アカシヤ材で、机をかつぐ棒を作り、これを金でかぶせた。37:16 さらに、机の上の器、すなわち、注ぎのささげ物を注ぐための皿や、ひしゃく、水差しや、びんを純金で作った。

 契約の箱の次は、供えのパンの机を作りました。聖所の中に置くものです。

3C 燭台 17−24
37:17 また彼は、純金で燭台を作った。その燭台は、槌で打って作り、その台座と、支柱と、がくと、節と、花弁とで一個の燭台とした。

 供えのパンの机とともに聖所に安置される燭台を作りました。これも贖いの蓋と同様、一つの純金で作り上げますから、かなりの技能が要求されます。

37:18 六つの枝をそのわきから、すなわち、燭台の三つの枝を一方のわきから、燭台の他の三つの枝を他のわきから出した。37:19 一方の一つの枝に、ア一モンドの花の形をした節と花弁のある三つのがくを、また、他方の一つの枝にも、アーモンドの花の形をした節と花弁のある三つのがくをつけた。こうして燭台から出る六つの枝をみな、そのようにした。37:20 燭台の支柱には、ア一モンドの花の形をした節と花弁のある四つのがくをつけた。37:21 それから出る一対の枝の下に一つの節、それから出る次の一対の枝の下に一つの節、それから出るその次の一対の枝の下に一つの節。このように六つの枝が燭台から出ていた。37:22 それらの節と枝とは燭台と一体にし、その全体は一つの純金を打って作った。37:23 また、そのともしび皿七つと、その心切りばさみと、心取り皿とを純金で作った。37:24 すなわち、純金一タラントで、燭台とそのすべての用具を作った。

 形はちょうど、アーモンドの木を形にしており、一本の支柱からそれぞれ三本の枝が生え出ている形になっています。そして七本の枝の上に、ともしび皿があります。そして。ここですごいのは純金の重さです。一タラントすなわち34キロです。

4C 香壇と香油 25−29
37:25 彼は、アカシヤ材で香の壇を作った。長さは一キュビト、幅は一キュビトの四角形で、高さは二キュビト。これの一部として角をつけた。37:26 そして、上面と回りの側面と角を純金でかぶせ、その回りに金の飾り縁を作った。37:27 その壇のために、その飾り縁の下の両わきに、相対する両側に二つの金環を作った。それは、壇をかつぐ棒を通す所である。37:28 その棒をアカシヤ材で作り、それに金をかぶせた。

 香壇です。ここで大祭司が日ごとに香をたきます。これは聖所と至聖所の仕切りになっている垂れ幕の手前に置くものです。

37:29 彼はまた、調合法にしたがい、聖なるそそぎの油と純粋なかおりの高い香を作った。

 ベツァルエルは、用具の作成のみならず、香油の調合という難しい作業も行いました。これは聖所の用具全体、また祭司たち本人に注ぎかけるものです。また香そのものを作っています。それは、香壇で主の前に香の煙を立たせるためです。

3B 外庭 38
 39章は、外庭にあるものを作っている姿です。

1C 祭壇と洗盤 1−8
38:1 ついで、彼は、アカシヤ材で全焼のいけにえのための祭壇を作った。長さ五キュビト、幅五キュビトの四角形で、高さは三キュビト。38:2 その四隅の上に、角を作った。その角はその一部である。彼は祭壇に青銅をかぶせた。38:3 彼は、祭壇のすべての用具、すなわち、つぼ、十能、鉢、肉刺し、火皿を作った。そのすべての用具を青銅で作った。38:4 祭壇のために、その下のほうに、すなわち、祭壇の出張りの下で、祭壇の高さの半ばに達する青銅の網細工の格子を作った。38:5 彼は四つの環を鋳造して、青銅の格子の四隅で棒を通す所とした。38:6 彼はアカシヤ材で棒を作り、それに青銅をかぶせた。38:7 その棒を祭壇の両側にある環に通して、それをかつぐようにした。祭壇は板で中空に作った。

 外庭にある中心的な用具は祭壇です。ここが、もっとも盛んに活動が行われるところで、火によるいけにえを行うところです。聖所の金と異なり、外庭にあるものの材料の多くが青銅です。

38:8 また彼は、青銅で洗盤を、また青銅でその台を作った。会見の天幕の入口で務めをした女たちの鏡でそれを作った。

 洗盤は、祭壇と聖所の中間に置きます。祭司が聖所に入るときに、また青銅の祭壇で奉仕をするときに、手と足を洗うところです。

 ここの青銅は、会見の天幕の入口で務めをしている女たちの使っていた銅を使っています。古代の鏡は、エジプトでもまた中国や日本においても銅でしたね。会見の天幕の入口にいた女たちは、祭司の手足の洗いのために、自らを美しく飾るのに大切な道具を捧げたのです。

 私たちは、「犠牲」が伴うところに祝福があることを知らなければいけません。と同時に、犠牲というのは極めて自発的なもの、神と本人との間でしか行うことのできない個人的なものです。他の人からのプレッシャーや、他の人たちを意識して行う犠牲は、必ず破綻します。人々には自己生存本能がありますから、犠牲はそれを退けてまでして行うものだからです。

 同時に、犠牲がともなう捧げ物をするときには、一段と主との関係が深まります。これまでも当然ながら主との関係は存在し、その段階で祝福されますが、犠牲を伴うときに、これまでにない深い、成熟した関係へと導かれます。「今までは、何も知らなかった。」と思うような強い交わりを主と持つことができます。

2C 掛け幕 9−20
38:9 彼はまた、庭を造った。南側では、庭の掛け幕は百キュビトの撚り糸で織った亜麻布でできていた。38:10 柱は二十本、その二十個の台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀であった。38:11 北側も百キュビトで、柱は二十本、その二十個の台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀であった。38:12 西側には、五十キュビトの掛け幕があり、柱は十本、その台座は十個。柱の鉤と帯輪は銀であった。38:13 前面の東側も、五十キュビト。38:14 その片側には十五キュビトの掛け幕があり、柱は三本、その台座は三個であった。38:15 庭の門の両側をなすもう一方の片側にも十五キュビトの掛け幕があり、柱は三本、台座は三個であった。38:16 庭の周囲の掛け幕はみな、撚り糸で織った亜麻布であった。38:17 柱のための台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀、その柱の頭のかぶせ物も銀であった。それで、庭の柱はみな銀の帯輪が巻きつけられていた。

 外庭を囲む掛け幕を作りました。東側のみが、掛け幕が真ん中の部分だけ抜けています。次の入口の幕を掛けるためです。

38:18 庭の門の幕は、刺繍されたもので、青色、紫色、緋色の撚り糸と、撚り糸で織った亜麻布とでできていた。長さは二十キュビト。高さ、あるいは幅は五キュビトで、庭の掛け幕に準じていた。38:19 その柱は四本。その台座は四個で青銅であった。その鉤は銀であり、柱の頭のかぶせ物と帯輪とは銀であった。38:20 ただし、幕屋と、その回りの庭の釘は、みな青銅であった。

 掛け幕が亜麻布の白が基調であるのに対して、門の幕は聖所の幕と同じ作りになっています。イスラエル人に対して、主の栄光をここで垣間見ることができるようにしてあります。

3C 幕屋の記録 21−31
38:21 幕屋、すなわち、あかしの幕屋の記録は、次のとおりである。これは、モーセの命令によって調べたもの、祭司アロンの子イタマルのもとでの、レビ人の奉仕である。38:22 ユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルは、主がモーセに命じられたことを、ことごとく行なった。38:23 彼とともに、ダン部族のアヒサマクの子オホリアブがいた。彼は彫刻をし、設計をする者、また青色、紫色、緋色の撚り糸や亜麻布で刺繍をする者であった。

 一通り、幕屋のものがすべて完成した後で、その記録を残しました。後にレビ人がこれらの幕屋を持ち運ぶ奉仕を行いますが、彼らが記録を行います。そしてアロンの子で祭司のイタマルがそれを指揮しました。そして次に、これら用具に用いられた金属の重さを計算しています。

38:24 仕事すなわち聖所のあらゆる仕事のために用いられたすべての金は、奉献物の金であるが、聖所のシェケルで二十九タラント七百三十シェケルであった。38:25 会衆のうちの登録された者による銀は、聖所のシェケルで百タラント千七百七十五シェケルであった。38:26 これは、ひとり当たり一ベカ、すなわち、聖所のシェケルの半シェケルであって、すべて、二十歳以上で登録された者が六十万三千五百五十人であったからである。

 覚えていますか、イスラエル人の成年男子は、人口調査を受けて、一人ひとりが銀半シェケルを贖い金としなければいけませんでした。すべての重さが3420キロです。

38:27 聖所の台座と垂れ幕の台座とを鋳造するために用いた銀は、百タラントであった。すなわち、一個の台座に一タラント、百の台座に百タラントであった。38:28 また、千七百七十五シェケルで彼は柱の鉤を作り、柱の頭をかぶせ、柱に帯輪を巻きつけた。

 すべての銀は過不足なく用いられました。幕屋そのものが、すべてのイスラエル人の捧げ物でなりたっていることを象徴しています。私たちはこのような健全な所有意識を持つべきです。「ここが自分の教会なのだ」という意識です。もちろん教会の頭はキリストであり、教会の所有者は神ご自身です。けれども、自分がその体に組み込まれているという強い意識が、具体的に自分の時間や労力、財力を捧げるときに芽生えます。

38:29 奉献物の青銅は七十タラント二千四百シェケルであった。38:30 これを用いて、彼は会見の天幕の入口の台座、青銅の祭壇と、それにつく青銅の格子、および、祭壇のすべての用具を作った。38:31 また、庭の回りの台座、庭の門の台座、および、幕屋のすべての釘と、庭の回りのすべての釘を作った。

 青銅は全体で2407キロでした。

 なぜこれだけ多くの金属をイスラエル人が持っていたかといいますと、エジプトを出るときに奴隷の身で何も持っていなかったイスラエル人が、エジプト人から金属類を受け取っていたからです。神はモーセを通して、イスラエル人にそうしなさいと命じておられました。

4B 装束とまとめ 39
 そして残りは、祭司の装束を作ることです。

1C エポデと肩当て 1−7
39:1 彼らは、青色、紫色、緋色の撚り糸で、聖所で仕えるための式服を作った。また、主がモーセに命じられたとおりに、アロンの聖なる装束を作った。39:2 彼はまた、金色、青色、紫色、緋色の撚り糸と、撚り糸で織った亜麻布で、エポデを作った。39:3 彼らは金の板を打ち延ばし、巧みなわざで青色、紫色、緋色の撚り糸に撚り込み、亜麻布に織り込むために、これを切って糸とした。

 祭司の装束の中で中心になっているのが、両面エプロンのようになっているようなエポデです。幕屋の幕と同じ撚り糸が使われていますが、加えて金色の色も織り込まれます。これがすごい作業でした、金の板を打ち延ばして糸にして織り込んでいます。

39:4 彼らは、エポデにつける肩当てを作った。それぞれ、エポデの両端につけられた。39:5 エポデの上で結ぶあや織りの帯は、エポデと同じ材料で、主がモーセに命じられたとおり、金色、青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で、エポデと同様に作った。39:6 彼らは、しまめのうを、金のわくにはめ込み、これに印を彫るようにして、イスラエルの子らの名を彫った。39:7 彼らはそれをエポデの肩当てにつけ、主がモーセに命じられたとおりに、イスラエルの子らの記念の石とした。

 エポデの上に置く肩当てです。

2C 胸当て 8−21
39:8 彼はまた、胸当てを巧みな細工で、エポデの細工と同じように、金色や青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で作った。39:9 四角形で二重にし、その胸当てを作った。長さ一あたり、幅一あたりで、二重であった。39:10 それに、四列の宝石をはめ込んだ。第一列は赤めのう、トパーズ、エメラルド。39:11 第二列はトルコ玉、サファイヤ、ダイヤモンド。39:12 第三列はヒヤシンス石、めのう、紫水晶。39:13 第四列は緑柱石、しまめのう、碧玉。これらを金のわくに入れてはめ込んだ。39:14 これらの宝石は、イスラエルの子らの名によるもので、彼らの名にしたがい、十二個で、十二の部族のために印の彫り物が、一つの名につき一つずつあった。

 胸当てを作りました。それはポケットのようになっていて、中にウリムとトンミムを入れます。そして胸当てには、イスラエル十二部族を代表する宝石をはめ込んでいます。

39:15 ついで、編んで撚った純金の鎖を、胸当ての上に作った。39:16 彼らは金のわく二個と金の環を二個作り、二個の環を胸当ての両端につけた。39:17 そして彼らは、二筋の金のひもを胸当ての両端の二個の環につけた。39:18 その二筋のひもの他の端を、先の二つのわくにつけ、エポデの肩当てに外側に向くようにつけた。39:19 ほかに、二個の金の環を作り、これを胸当ての両端、すなわち、エポデの前に来る胸当ての内側の縁につけた。39:20 ほかに、二個の金の環を作り、エポデの二つの肩当ての下端の外側に、すなわち、エポデのあや織りの帯の上部の継ぎ目に接した面の上につけた。39:21 胸当ては青ひもで、その環のところをエポデの環に結びつけ、エポデのあや織りの帯の上にあるようにし、胸当てがエポデからずり落ちないようにした。主がモーセに命じられたとおりである。

 胸当てがずれ落ちないように、エポデにしっかりと固定するための鎖です。

3C 青服と長服 22−29
39:22 また、エポデの下に着る青服を青色の撚り糸だけで織って作った。39:23 青服の口は、その真中にあって、よろいのえりのようで、その口の周囲には縁をつけて、ほころびないようにした。39:24 青服のすその上に、青色、紫色、緋色の撚り糸で、撚ったざくろを作った。39:25 また彼らは、純金の鈴を作り、その鈴を青服のすそ回りの、ざくろとざくろとの間につけた。39:26 主がモーセに命じられたとおりに、仕えるための青服のすそ回りには、鈴にざくろ、鈴にざくろがあった。

 エポデの下には青服を着ています。すそに鈴と、糸のざくろ状の塊が交互についています。

39:27 彼らは、アロンとその子らのために、織った亜麻布で長服と、39:28 亜麻布でかぶり物と、亜麻布で美しいターバンと、撚り糸で織った亜麻布でももひきを作った。

 青服の下に着る亜麻布の長服です。そしてももひきも身に付けます。さらに、頭にはターバンをかぶりますが、それも亜麻布で作りました。

39:29 撚り糸で織った亜麻布や青色、紫色、緋色の撚り糸で、刺繍してできた飾り帯を作った。主がモーセに命じられたとおりである。

 腰に締める飾り帯です。エポデの上から閉めます。

 そして、大事なのが「主がモーセに命じられたとおりである。」という言葉です。これまで見てきた彼らの奉仕は、すべて主がモーセに命じられたことと同じです。私たちにとっては反復に見えますが、彼らにとっては正確に作った、ということです。私たちが奉仕によって、正確に神の命令を反映しているのかどうか、という問いをしなければなりません。

4C 記章の札 30−31
39:30 ついで、聖別の記章の札を純金で作り、その上に印を彫るように、「主の聖なるもの」という文字を書きつけた。39:31 これに青ひもをつけ、それをかぶり物の回りに上から結びつけた。主がモーセに命じられたとおりである。

 ターバンのところに、記章の札を付けます。「主の聖なるもの」と書きつけます。

5C 作業の完了 32−43
 これですべての作業を完成することができました!

39:32 こうして、会見の天幕である幕屋の、すべての奉仕が終わった。イスラエル人は、すべて、主がモーセに命じられたとおりにした。そのようにした。39:33 彼らは幕屋と天幕、および、そのすべての用具をモーセのところに持って来た。すなわち、それは、その留め金、その板、その横木、その柱、その台座、39:34 赤くなめした雄羊の皮のおおい、じゅごんの皮のおおい、仕切りの垂れ幕、39:35 あかしの箱と、その棒、「贖いのふた」、39:36 机と、すべての器、供えのパン、39:37 純金の燭台と、そのともしび皿、すなわち、一列に並べるともしび皿と、そのすべての用具、および、その燈火用の油、39:38 金の祭壇、そそぎの油、かおりの高い香、天幕の入口の垂れ幕、39:39 青銅の祭壇と、それにつく青銅の格子と、棒と、そのすべての用具、洗盤とその台、39:40 庭の掛け幕とその柱と、その台座、庭の門のための垂れ幕とそのひもと、その釘、また、会見の天幕のための幕屋に用いるすべての用具、39:41 聖所で仕えるための式服、祭司アロンの聖なる装束と、祭司として仕える彼の子らの装束である。39:42 イスラエル人は、すべて、主がモーセに命じられたとおりに、そのすべての奉仕を行なった。39:43 モーセが、すべての仕事を彼らが、まことに主が命じられたとおりに、したのを見たとき、モーセは彼らを祝福した。

 すばらしいですね、何度も「すべて主が命じられたとおりにした」とあり、そして最後に「モーセが彼らを祝福した」とあります。この連続です。私たちは主が命令されたとおりに行い、そして主が私たちのその務めを祝福してくださいます。私たちは喜んで、自分の労力を捧げれば捧げるほど、主がその労苦を顧みてくださり、大きな霊的祝福を受けます。もちろん私たちは、何もしなくても、キリストにある霊的祝福にあずかっています。けれども、それを受けた者たちの心は変えられて、自ら進んで主におささげしたいと願うようになるのです。そしてその応答をも主が豊かに祝福してくださり、私たちは霊的に神との交わりを深めることができるのです。

2A モーセ 40
 そして最後の章、40章です。主は最後の幕屋の組み立てをモーセ一人で行うように命じられます。すべては準備されました。後は、それを組み立てるだけです。

1B 主の命令 1−16
40:1 主はモーセに告げて仰せられた。40:2 「第一の月の一日に、あなたは会見の天幕である幕屋を建てなければならない。

 記念すべき日に幕屋が完成します。第一の月の第一日とありますが、17節を見ると第二年目の話です。イスラエルがエジプトを脱出したのは、第一の月の十四日の過越の日ですが、ほぼ一年後です。この間に、どれだけのことが起こったことでしょうか?

40:3 その中にあかしの箱を置き、垂れ幕で箱の前を仕切り、40:4 机を入れ、その備品を並べ、燭台を入れ、そのともしび皿を上げる。40:5 あなたは香のための金の壇をあかしの箱の前に置き、垂れ幕を幕屋の入口に掛ける。40:6 会見の天幕である幕屋の入口の前に、全焼のいけにえの祭壇を据え、40:7 会見の天幕と祭壇との間に洗盤を据えて、これに水を入れる。40:8 回りに庭を設け、庭の門に垂れ幕を掛ける。40:9 あなたは、そそぎの油を取って、幕屋とその中のすべてのものにそそぎ、それと、そのすべての用具とを聖別する。それは聖なるものとなる。40:10 あなたは全焼のいけにえの祭壇と、そのすべての用具に油をそそぎ、その祭壇を聖別する。祭壇は最も聖なるものとなる。40:11 洗盤とその台とに油をそそいで、これを聖別する。40:12 アロンとその子らを会見の天幕の入口に近づかせ、水で彼らを洗い、40:13 アロンに聖なる装束を着けさせ、彼に油をそそぎ彼を聖別する。彼は祭司としてわたしに仕える。40:14 彼の子らを近づかせ、これに長服を着せなければならない。40:15 あなたは、彼らの父に油をそそいだように、彼らにも油をそそぐ。彼らは祭司としてわたしに仕える。彼らが油をそそがれることは、彼らの代々にわたる永遠の祭司職のためである。」40:16 モーセはそのようにした。すべて主が彼に命じられたとおりを行なった。

 モーセのところに集められてきたものを、主が命じられたとおりに適切な場所に置きます、さらに、油を注いで、祭司たちにも装束を着せ、彼らにも油を注ぎます。

 モーセの行動にも、「すべて主が彼に命じられたとおりを行った」と記されています。覚えていますか、この言葉が使われ始めたのは、出エジプト記7章です。モーセがエジプトに戻っても、パロがモーセの言うことを聞かず、状況が逆に悪化したときです。彼は主に訴えて叫んだところ、主は、「わたしがヤハウェである。」と宣言されました。主がすべてを行われるのだ、ということです。それでモーセはようやく神の意図されることに自分の身をゆだね、主が命じられることだけを行っていったのです。すると、そのほかのすべてのことはすべて主が行われました。そこに主の栄光が現れました。エジプトに災いが下り始めたのです。モーセの働きではなく、モーセの従順を通して神の栄光が現れました。

 そして今、幕屋の組み立てに至るまで、モーセは自分の立場を変えることはありませんでした。ただ主が命じられることを行っていったのです。

2B 組み立て 17−33
40:17 第二年目の第一月、その月の第一日に幕屋は建てられた。40:18 モーセは、幕屋を建てるとき、台座を据え、その板を立て、その横木を通し、その柱を立て、40:19 幕屋の上に天幕を広げ、その上に天幕のおおいを掛けた。主がモーセに命じられたとおりである。

 聖所の中のものを置く前に、聖所そのものを作らなければいけません。それで幕屋の板を立て、それから幕の覆いをかけました。

40:20 また、彼はさとしを取って箱に納め、棒を箱につけ、「贖いのふた」を箱の上に置き、40:21 箱を幕屋の中に入れ、仕切りのために垂れ幕を掛け、あかしの箱の前を仕切った。主がモーセに命じられたとおりである。40:22 また、彼は会見の天幕の中に、すなわち、幕屋の北のほうの側で垂れ幕の外側に、机を置いた。40:23 その上にパンを一列に並べて、主の前に供えた。主がモーセに命じられたとおりである。40:24 彼は会見の天幕の中、机の反対側の幕屋の南側に、燭台を置いた。40:25 そうして彼は主の前にともしび皿を上げた。主がモーセに命じられたとおりである。40:26 それから彼は、会見の天幕の中の垂れ幕の前に、金の壇を置き、40:27 その上でかおりの高い香をたいた。主がモーセに命じられたとおりである。40:28 彼は、幕屋の入口に垂れ幕を掛け、40:29 全焼のいけにえの祭壇を、会見の天幕である幕屋の入口に置き、その上に全焼のいけにえと穀物のささげ物とをささげた。主がモーセに命じられたとおりである。40:30 また彼は、会見の天幕と祭壇との間に洗盤を置き、洗いのために、それに水を入れた。40:31 モーセとアロンとその子らは、それで手と足を洗った。40:32 会見の天幕にはいるとき、または、祭壇に近づくとき、彼らはいつも洗った。主がモーセに命じられたとおりである。40:33 また、幕屋と祭壇の回りに庭を設け、庭の門に垂れ幕を掛けた。こうして、モーセはその仕事を終えた。

 いかがですか、何度も何度も出てきたのが、「主がモーセに命じられたとおりである」という言葉です。すると次の出来事が起こりました。

3B 満ちる栄光の雲 34−38
40:34 そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。40:35 モーセは会見の天幕にはいることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。

 これが出エジプト記のクライマックスです。栄光の雲が幕屋に満ちた、というのがクライマックスです。出エジプト記において、主はご自分の栄光を初めにエジプトに災いを下されることによって、現されました。そして、主はシナイ山において、十戒を与えられるときにご自分の栄光をその山でお見せになりました。そして今、完成した幕屋においてご自分の栄光を見せられました。

 すべてはモーセが主の命令に従った時に起こったことです。私たちが主の命令に従うときに、その後で見えてくるのは主の栄光なのです。

 「栄光」というのは、もともとの意味は「重さ」を表します。ちょうど天体の光を考えてください。引力の法則によって、そこに光が集められています。これから派生して、称賛や尊厳、富や力、これらのものが集まってくることが栄光です。つまり、神の栄光の雲が満ちているというのは、神ご自身に注目が集まる、ということです。

 私たちは、神中心の世界に入らなければいけません。今日、あまりにも人間中心の世界が広がっています。すべてが人間の権利、人間の主張、人間の論理を優先させて、本当の意味での人間性、つまり神にある人間、神の御心の中に住む人間を捨て去っています。神の栄光を見上げるからこそ、私たち人間は本来の姿に立ち戻ることができるのです。

 ところで、モーセ自身でさえ、幕屋の中に入ることができないほど栄光の雲が満ちました。後にソロモンの時代にも、神殿が建てられた後に祭司たちがそこに入ろうとしても、栄光の雲で入ることができませんでした(1列王8:10-11参照)。神の栄光が輝くところには、どんな人間の営みも立ち入ることができません。私たちが天に入れば、人が何を行ったのか、どんなに優れているのかという賛辞は聞かれることはないでしょう。ただただ、神とキリストのすばらしさを賛美し、栄光をお返ししている姿しか見ることができません。

 次回、レビ記に入りますが、そこは主が命じられている言葉のみがほとんどを占めています。主の栄光がはっきりと現れている書物です。予習としてまず読んできてください。

40:36 イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。40:37 雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。40:38 イスラエル全家の者は旅路にある間、昼は主の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があるのを、いつも見ていたからである。

 この姿はレビ記の次、民数記で詳しく見ることができます。レビ記においては、続けて主がモーセと会見の天幕で話しておられる言葉が書き記されています。そして、シナイ山の麓から旅立つのは民数記に入ってからです。

 旅をするのは、雲の柱の動きをみて行います。そして夜は火の柱になります。主の栄光がいつも彼らの真ん中にあります。そして主のご臨在が彼らの真ん中にあります。金の子牛の時は、いっしょに行くことはないといわれた主が、やはり思い直して、いっしょに行ってくださいます。主の真実と憐れみを思わざるを得ません。

「ロゴス・クリスチャン・フェローシップ内のメッセージ」に戻る
HOME