エレミヤ書40−43章 「最後まで学ばない人たち」

アウトライン

1A 権威への憎しみ 40−41
   1B 立てられた総督 40
      1C エレミヤの愛 1−6
      2C 御心にある平安 7−12
      3C 反対分子 13−16
   2B 自惚れたテロリスト 41
      1C 裏切り 1−3
      2C 偽り 4−10
      3C 救出 11−18
2A 権威への恐れ 42−43
   1B 自分を偽る祈り願い 42
      1C 既に決めた事 1−6
      2C 神の警告 7−22
         1D 二つの道 7−18
         2D 迷い出た心 19−22
   2B 真実への反発 43
      1C 高ぶった者たち 1−7
      2C エジプトにおけるバビロンの王座 8−13

本文

 エレミヤ書40章を開いてください、今日は40章から43章までを学びたいと思います。ここでのテーマは、「最後まで学ばない人たち」です。

 ついに、エルサレムが陥落しました。その後にわずかに残っているユダの人々がどのようになったかを見ていきます。非常に残念なことに、バビロンがエルサレムを滅ぼした後になっても、彼らは教訓を学ぶことはありませんでした。

1A 権威への憎しみ 40−41
1B 立てられた総督 40
1C エレミヤの愛 1−6
40:1 侍従長ネブザルアダンがラマからエレミヤを釈放して後に、主からエレミヤにあったみことば。・・彼がエレミヤを連れ出したとき、エレミヤは、バビロンへ引いて行かれるエルサレムとユダの捕囚の民の中で、鎖につながれていた。・・

 バビロンはエルサレムを倒した後、ユダの人々をまずベニヤミンの地にあるラマという町に集めました。そこからバビロンに捕え移したのですが、エレミヤはそこで釈放されました。

40:2 侍従長はエレミヤを連れ出して、彼に言った。「あなたの神、主は、この所にこのわざわいを下すと語られたが、40:3 主はこれを下し、語られたとおりに行なわれた。あなたがたが主に罪を犯して、その御声に聞き従わなかったので、このことがあなたがたに下ったのだ。40:4 そこで今、見よ、私はきょう、あなたの手にある鎖を解いてあなたを釈放する。もし、私とともにバビロンへ行くのがよいと思うなら、行きなさい。私はあなたに目をかけよう。しかし、もし、私といっしょにバビロンへ行くのが気に入らないならやめなさい。見よ。全地はあなたの前に広がっている。あなたが行くのによいと思う、気に入った所へ行きなさい。」

 非常に興味深い発言です。侍従長はもちろん異教徒であり、イスラエルの神を信じていません。けれども彼は、何度となく、エレミヤの預言が耳に入ってきていたのでしょう。それがその通りになったので、異教徒でさえもが、主がなされたことをこのような形で認めています。

 本当に皮肉なことでありますが、契約の民であるユダヤ人本人たちは認めなかったことを、そうではない人たちの目には明らかだったということです。信者である人たちには盲目になっていることが、未信者の人たちには見えていることがあります。

 そして侍従長は、エレミヤに完全な自由を与えました。バビロンに一緒に行きたいなら行っても良いし、それが嫌なら行かなくてもよい。好きなようにしなさい、と言われました。私たちはこのような時に、自分の愛がどこにあるかが試されます。自分が何をしても良いといわれた時に、私たちはどこに行き、何をするでしょうか?エレミヤの場合を見てみましょう。

40:5 しかし彼がまだ帰ろうとしないので、「では、バビロンの王がユダの町々をゆだねたシャファンの子アヒカムの子ゲダルヤのところへ帰り、彼とともに民の中に住みなさい。でなければ、あなたが行きたいと思う所へ、どこへでも行きなさい。」こうして侍従長は、食糧と贈り物を与えて、彼を去らせた。40:6 そこでエレミヤは、ミツパにいるアヒカムの子ゲダルヤのところに行って、彼とともに、国に残された民の中に住んだ。

 エレミヤは、残された民のほうを選びました。39章に、ネブザルアダンが「何も持たない貧民の一部をユダの地に残し」たとあります(10節)。その他、他の地域に逃げていた人々などもいますが、このような人々のところにエレミヤはとどまったのです。バビロンに行けば、必ずや良い生活ができたでしょうか、エレミヤは彼らと共にいました。

 ここに、エレミヤのユダの人々に対する愛を見ることができます。イエス様は、「良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。(ヨハネ10:11」と言われました。真の愛は、自分の命を削り取り、他の人に捧げることです。前回の学びでエレミヤがゼデキヤ王に言及していましたね、バビロンのくびきから解放されると預言した者たちは、ゼデキヤからは離れていました。ユダの人々が最も聞きたくなかったメッセージを語っていたエレミヤの方が、真の愛を抱いていたのです。

2C 御心にある平安 7−12
40:7 野にいた将校たちとその部下たちはみな、バビロンの王がアヒカムの子ゲダルヤをその国の総督にし、彼に、バビロンに捕え移されなかった男、女、子どもたち、国の貧民たちをゆだねたことを聞いた。40:8 ネタヌヤの子イシュマエル、カレアハの子らヨハナンとヨナタン、タヌフメテの子セラヤ、ネトファ人エファイの子ら、マアカ人の子エザヌヤと、彼らの部下たちは、ミツパにいるゲダルヤのもとに来た。

 ユダの国はバビロンに倒されたのですが、残った人々がいます。エルサレムが倒された時に、外で戦っていた将校たちがまだいました。どんな戦争でも戦争が終結した後も、戦地に残っている兵士たちがいますね。この残っていた人々が、戦後処理としてバビロンが、ユダの民を取りまとめるようにゲダルヤをユダ州の総督として立てたことを知りました。それでそこに集結しました。

 場所は「ミツパ」です。ミツパという名称の町はいくつかあるのですが、このミツパはベニヤミンの地の、エルサレムの北にある町です。エルサレムはすでに焼き払われていますから、そこを中心の町とすることはできず、ミツパがユダ州の行政中心地となりました。

40:9 そこで、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤは、彼らとその部下たちに誓って言った。「カルデヤ人に仕えることを恐れてはならない。この国に住んで、バビロンの王に仕えなさい。そうすれば、あなたがたはしあわせになる。40:10 私も、このように、ミツパに住んで、私たちのところに来るカルデヤ人の前に立とう。あなたがたも、ぶどう酒、夏のくだもの、油を集めて、自分の器に納め、あなたがたの取った町々に住むがよい。」

 ゲダルヤは、エレミヤの預言をきちんと聞いていた人でした。バビロンに服し、その中で生きれば、あなたがたは幸せになるという言葉をエレミヤは語っていましたね。祖父がヨシヤの書記であったゲダルヤは、エレミヤの預言をもずっと聞いており、神の御心が何であるかをわきまえていた人です。

40:11 モアブや、アモン人のところや、エドムや、あらゆる地方にいたユダヤ人はみな、バビロンの王がユダに人を残したこと、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤを彼らの総督に任命したことを聞いた。40:12 そこで、ユダヤ人はみな、散らされていたすべての所からユダの地に帰って来て、ミツパのゲダルヤのもとに行き、ぶどう酒と夏のくだものを非常に多く集めた。

 残っていた将校だけでなく、ユダの地を離れ逃げ隠れていた人々も、ゲダルヤがミツパで総督になったことを聞きました。それで、納税としてぶどう酒や果物を数多く集めました。

 ここまでは、細々でありますが、彼らは幸せに暮らしていました。主がお語りになったようにバビロンの下で生き、静かに、平穏に暮らしていたのです。

3C 反対分子 13−16
40:13 さて、野にいたカレアハの子ヨハナンと、すべての将校たちは、ミツパのゲダルヤのもとに来て、40:14 彼に言った。「あなたは、アモン人の王バアリスがネタヌヤの子イシュマエルを送って、あなたを打ち殺そうとしているのを、いったい、ご存じですか。」しかし、アヒカムの子ゲダルヤは、彼らの言うことを信じなかった。

 しばらくしてからゲダルヤの周囲に不穏な動きが出てきました。将校の一人であるイシュマエルが、ゲダルヤを暗殺しようとしているという知らせです。

 41章1節によると、イシュマエルは王族の一人です。自分は王になるべき人間であり、バビロンに仕えることは到底できないという自負心、そして愛国心があったのでしょう。対して、ゲダルヤは書記の子であります。バビロンに対する敵意、そして自分よりも身分が下であるはずのものが自分を治めているという屈辱心が、彼をゲダルヤ暗殺に向かわせています。

 そしてアモン人の王がイシュマエルを送っているとのことです。なぜアモン人の王なのでしょうか?アモンはユダと同じく、バビロンに従属した国となっていました。エレミヤ書27章で学びましたが、従属した国々の使者がエルサレムに集まって、バビロンに反抗すべく同盟を結びました。その中にアモンがあります。

 紀元前588年、エジプトがバビロンに歯向かうように、アモンとユダとそして、ツロに対して促しました。ネブカデネザルはまずユダを倒し、それからツロを倒しました。ゼデキヤがエリコの平原、ヨルダン川のほうに逃げたのは、おそらくアモンに救援を求めるかもしれないと思ったからでしょう。

 けれどもアモンは、自分たちは免れることができたと思って、ユダが滅んだのを喜んでいました。ところが、ユダの地に平和が戻ってきています。その地が安定したら、バビロンは、今度は自分たちを攻めてくるかもしれないと思い、ユダの地をいつまでも不安定にしておき、バビロンの目が自分たちに向かないようにしたと考えられます。

 というわけで、バビロン、そして総督ゲダルヤに敵意を抱いていたイシュマエルをアモンの王が雇ったのです。この情報を、ヨハナンを始めとする他の将校らが、自分たちの諜報活動の中で知るに至りました。

40:15 カレアハの子ヨハナンは、ミツパでひそかにゲダルヤに話して言った。「では、私が行って、ネタヌヤの子イシュマエルを、だれにもわからないように、打ち殺しましょう。どうして、彼があなたを打ち殺し、あなたのもとに集められた全ユダヤ人が散らされ、ユダの残りの者が滅びてよいでしょうか。」40:16 しかし、アヒカムの子ゲダルヤは、カレアハの子ヨハナンに言った。「そんなことをしてはならない。あなたこそ、イシュマエルについて偽りを語っているからだ。」

 ヨハナンは将校として有能で、実際的な人であったことを伺わせます。ユダの人たちのゆえ、総督ゲダルヤを守らなければいけない。そしてその為に、隠密に先制攻撃をしたほうがよい、という助言ですが、政治的判断力はとても優れています。

 けれどもゲダルヤ本人は、こうした現実的な危機に対して無頓着でした。先に殺すまではしなくても、少なくとも自分の周りに警備兵を置くとか、事前の処置を取るべきです。けれども、ヨハナンの助言を聞くどころか、彼がイシュマエルをねたんで、彼について悪を言いふらしているだけだと思ったのです。

2B 自惚れたテロリスト 41
1C 裏切り 1−3
41:1 ところが第七の月に、王族のひとり、エリシャマの子ネタヌヤの子イシュマエルは、王の高官と十人の部下を連れて、ミツパにいるアヒカムの子ゲダルヤのもとに来て、ミツパで食事を共にした。41:2 そのとき、ネタヌヤの子イシュマエルと、彼とともにいた十人の部下は立ち上がって、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤを剣で打ち殺した。イシュマエルは、バビロンの王がこの国の総督にした者を殺した。41:3 ミツパでゲダルヤとともにいたすべてのユダヤ人と、そこに居合わせたカルデヤ人の戦士たちをも、イシュマエルは打ち殺した。

 聖書時代、食事を共にすることは、互いに一つになるという大きな意味を持っていました。それは平和と交わりの象徴であったのですが、その場を使って裏切り行為をイシュマエルは働きました。

 イシュマエルを見ると、今の言葉で言うならばまさにテロリストです。彼らはまず、権威に対する敵愾心があります。「なぜ、私たちがバビロンに仕えなければいけないのか。」私たちが苦しむのは、権威に服することです。「なぜ、こんな人に仕えなければいけないのか。なぜこんな国が世界を支配しなければいけないのか。」と。パウロは、「すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。(1テモテ2:1」と命じています。

 そしてテロリストは、「自国民の解放」「愛国心」など様々な大義を掲げはしますが、その背後にあるのは自惚れです。自分の名声が高められ、自分に富が集まり、自分に権力が集中すればよいという欲望を満たすように動いていきます。始めは違うのかもしれませんが、結局そうなっていくのです。次から読むイシュマエルに、その姿をはっきり見ることができます。

2C 偽り 4−10
41:4 ゲダルヤが殺された次の日、まだだれも知らないとき、41:5 シェケムや、シロや、サマリヤから八十人の者がやって来た。彼らはみな、ひげをそり、衣を裂き、身に傷をつけ、手に穀物のささげ物や乳香を持って、主の宮に持って行こうとしていた。

 これは驚くべき記録です。シェケム、シロ、サマリヤはもちろん、北イスラエルだったところです。彼らがエルサレムの破壊を聞いて、なき悲しみながら、その残骸の中で主を礼拝しようとしていたのです。第七の月ですから、仮庵の祭りに合わせてやってきたのだろうと思われます。

 北イスラエルは、ヤロブアムがダンとベテルに金の子牛を置いてからは、彼らはユダヤ教と偶像礼拝を混合させた宗教を拝んでいました。また紀元前711年にアッシリヤによって滅ぼされ、多くが捕え移され、異邦人が代わりにそこに入ってきました。ユダヤ人と異邦人の混血の民サマリヤ人が出てきて、またサマリヤ人の宗教も始まりました。

 どうして、このように主に礼拝する人々がいたのでしょうか?南ユダで二度、宗教改革が行なわれています。ヒゼキヤは、過越の祭りを祝うために北イスラエルの地域にまで呼びかけました(2歴代29:5)。そして最近では、ヨシヤが宗教改革を行ないました。彼も北イスラエルの地域にまで行って、バアルやアシェラ像を切り倒しています(2列王23:15)。

 ここに、主は必ずご自分の民を残しておられることを知ります。ヒゼキヤがヨシヤが行なったことが、良い影響を残していたように、私たちが行なった奉仕の働き、福音宣教の働きは、私たちが知らない所でも必ずその影響を残していることを知ることができます。

41:6 ネタヌヤの子イシュマエルは、彼らを迎えにミツパを出て、泣きながら歩いて行き、彼らに出会ったとき、言った。「アヒカムの子ゲダルヤのところにおいでなさい。」41:7 彼らが町の中にはいったとき、ネタヌヤの子イシュマエルと、彼とともにいた部下たちは、彼らを殺して穴の中に投げ入れた。

 恐ろしいですね、自分が神の礼拝者であるかのように偽って、仲間のイスラエル人を殺害しています。サマリヤの地域から来た人々は、ユダの国が滅んだ後、新しくミツパでユダ州の行政が始まったことを知りませんでした。それでイシュマエルは彼らをミツパに誘って、そして殺したのです。

41:8 彼らのうちの十人がイシュマエルに、「私たちを殺さないでください。私たちは、小麦、大麦、油、蜜を畑に隠していますから。」と言ったので、彼は、彼らをその仲間とともに殺すのはやめた。

 ここではっきりと分かりますね、イシュマエルがユダを愛する真の愛国者ではなく、ましてや神を愛する者ではなく、欲望のままに生きている人間であることが分かります。

41:9 イシュマエルが打ち殺した、ゲダルヤの指揮下の人たちのすべての死体を投げ入れた穴は、アサ王がイスラエルの王バシャを恐れて作ったものであった。ネタヌヤの子イシュマエルはそれを、殺された者で満たした。

 ミツパの町はかつてアサ王が北イスラエルの王バシャに対抗して、その国境の辺りに建てたものです。その穴つまり貯水槽は、防空壕代わりになっていましたが、そこにイシュマエルは殺された者を満たしました。

41:10 イシュマエルは、ミツパに残っていたすべての民、すなわち王の娘たちと、侍従長ネブザルアダンがアヒカムの子ゲダルヤにゆだねた、ミツパに残っていたすべての民とをとりこにした。ネタヌヤの子イシュマエルは彼らをとりこにして、アモン人のところに渡ろうとして出かけて行った。

 ミツパにいて、平穏に暮らしていたユダヤ人たちが、捕え移されそうになっています。

3C 救出 11−18
41:11 カレアハの子ヨハナンと、彼とともにいたすべての将校は、ネタヌヤの子イシュマエルが行なったすべての悪を聞いたので、41:12 部下をみな連れて、ネタヌヤの子イシュマエルと戦うために出て行き、ギブオンにある大池のほとりで彼を見つけた。

 ギブオンは、ミツパの南西にある隣町です。

41:13 イシュマエルとともにいたすべての民は、カレアハの子ヨハナンと、彼とともにいるすべての将校を見て喜んだ。41:14 イシュマエルがミツパからとりこにして来たすべての民は身を翻して、カレアハの子ヨハナンのもとに帰って行った。41:15 ネタヌヤの子イシュマエルは、八人の者とともにヨハナンの前をのがれて、アモン人のところへ行った。

 恐怖と暴力で付いてきていたユダヤ人は、すぐさまヨハナンのほうに逃げてきました。これで無事にイシュマエルの手から離れることができました。

41:16 カレアハの子ヨハナンと、彼とともにいたすべての将校は、ネタヌヤの子イシュマエルがアヒカムの子ゲダルヤを打ち殺して後、ミツパから、ネタヌヤの子イシュマエルから取り返したすべての残りの民、すなわちギブオンから連れ帰った勇士たち、戦士たち、女たち、子どもたち、および宦官たちを連れて、41:17 エジプトに行こうとして、ベツレヘムのかたわらにあるゲルテ・キムハムへ行って、そこにとどまった。41:18 それは、バビロンの王がこの国の総督としたアヒカムの子ゲダルヤをネタヌヤの子イシュマエルが打ち殺したので、カルデヤ人を恐れて、彼らから逃げるためであった。

 これまではイシュマエルが問題でしたが、今度はヨハナン自身が問題になります。彼は有能な将校でした。政治的な判断力は優れていたと考えられます。バビロンが立てた総督をユダヤ人が暗殺したのだから、その怒りは私たちに下ると考えるのも非常に妥当なことです。

 ところが、彼に欠けていたものがありました。信仰です。エレミヤが預言したことは、バビロンの下で普通に生活しなさい、ということでした。そうすれば幸せになる、というものでした。たとえ、それが総督を同胞の民が殺したということであっても、です。

2A 権威への恐れ 42−43
1B 自分を偽る祈り願い 42
1C 既に決めた事 1−6
42:1 すべての将校たち、カレアハの子ヨハナン、ホシャの子イザヌヤ、および身分の低い者も高い者もみな、寄って来て、42:2 預言者エレミヤに言った。「どうぞ、私たちの願いを聞いてください。私たちのため、この残った者みなのために、あなたの神、主に、祈ってください。ご覧のとおり、私たちは多くの者の中からごくわずかだけ残ったのです。42:3 あなたの神、主が、私たちの歩むべき道と、なすべきことを私たちに告げてくださいますように。」42:4 そこで、預言者エレミヤは彼らに言った。「承知しました。今、私は、あなたがたのことばのとおり、あなたがたの神、主に祈り、主があなたがたに答えられることはみな、あなたがたに告げましょう。何事も、あなたがたに隠しません。」42:5 彼らはエレミヤに言った。「主が私たちの間で真実な確かな証人でありますように。私たちは、すべてあなたの神、主が私たちのためにあなたを送って告げられることばのとおりに、必ず行ないます。42:6 私たちは良くても悪くても、あなたを遣わされた私たちの神、主の御声に聞き従います。私たちが私たちの神、主の御声に聞き従ってしあわせを得るためです。」

 どうでしょうか?これだけ聞けば、ヨハナンやその他の人々がとても誠実で、神を求めているように聞こえます。彼らはエジプトへ逃れようとして、その途上にあります。けれども彼らは、「良くても悪くても、私たちの神、主の御声に聞き従います。」と答えました。たとえそれがバビロンにとどまりなさいということであっても聞き従います、という発言のはずです。ところが、彼らは既にエジプトに行くことを決めてしまっています。

 私たちのところに、時々、相談のメールや電話が来ます。問題があるので、主の御心は何であるか、何をすれば良いかを尋ねに来る相談があります。私たちは、主に与えられている知恵にしたがって、聖書の言葉からなるべく答えようとします。けれどもその多くの場合、結局、自分が始めから考えていたことを行なうのです。主の御心を求めようとする思いが全くないわけでないのです。けれども、一度、御心が示されたら、それを行なう心の準備ができていないのです。次をご覧ください。

2C 神の警告 7−22
1D 二つの道 7−18
42:7 十日の後、主のことばがエレミヤにあった。

 エレミヤが彼らから相談を受けて、すぐに主から答えがあったわけではありませんでした。「十日」経ったとあります。十という数字は聖書の中で「試み」を表す言葉としてしばしば登場します。ダニエルは、十日の間、野菜だけを食べさせて私たちを試してください、と言いました(ダニエル1:12)。スミルナの教会の人々は、牢に入って十日間、苦しみを受けると主は言われました(黙示2:10)。

 この十日の間に彼らがしなければいけなかったのは、心の準備です。自分たちはエジプトに下りたいという強い願いがあります。けれども、そこで辛抱して主を待ち望む祈りをささげているべきでした。けれども、おそらく彼らはそれを待つことなく、エジプトに下っていってバビロンから逃れようという焦りだけがありました。

 ある牧師がこのように言ったそうです。「祈りの95パーセントは、主が示される御心を自分が行なうことができる心の準備である。」私たちは気軽に、「主が言われることは何でも行ないます。」と言います。けれども自分が本当にそれを行なう準備ができているのか?どんなことでも行なえるのか?心を調べる必要があります。

42:8 彼はカレアハの子ヨハナンと、彼とともにいるすべての将校と、身分の低い者や高い者をみな呼び寄せて、42:9 彼らに言った。「あなたがたが私を遣わして、あなたがたの願いを御前に述べさせたイスラエルの神、主は、こう仰せられる。42:10 『もし、あなたがたがこの国にとどまるなら、わたしはあなたがたを建てて、倒さず、あなたがたを植えて、引き抜かない。わたしはあなたがたに下したあのわざわいを思い直したからだ。

 バビロンによってあなたがたを滅ぼすという神の強い意思は、すでにエルサレムが滅んだ後で、思い直しておられます。今は、平和と幸いのみを主は与えようと願っておられます。

42:11 あなたがたが恐れているバビロンの王を恐れるな。彼をこわがるな。・・主の御告げ。・・わたしはあなたがたとともにいて、彼の手からあなたがたを救い、彼の手からあなたがたを救い出すからだ。

 彼らが恐れている、総督とカルデヤ人を殺したことによるバビロンの怒りについては、大丈夫だ。わたしがあなたがたを救う、と約束してくださっています。

42:12 わたしがあなたがたにあわれみを施すので、彼は、あなたがたをあわれみ、あなたがたをあなたがたの土地に帰らせる。』

 70年経てば、元いた土地に帰ることができると以前、エレミヤは預言していました。

42:13 しかしあなたがたが、『私たちはこの国にとどまらない。』と言って、あなたがたの神、主の御声を聞かず、42:14 『いや、エジプトの国に行こう。あそこでは戦いに会わず、角笛の音も聞かず、パンにも飢えることがないから、あそこに、私たちは住もう。』と言っているのなら、42:15 今、ユダの残りの者よ、主のことばを聞け。イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。『もし、あなたがたがエジプトに行こうと堅く決心し、そこに行って寄留するなら、42:16 あなたがたの恐れている剣が、あのエジプトの国であなたがたに追いつき、あなたがたの心配しているききんが、あのエジプトであなたがたに追いすがり、あなたがたはあそこで死のう。42:17 エジプトに行ってそこに寄留しようと決心した者たちはみな、そこで剣とききんと疫病で死に、わたしが彼らに下すわざわいをのがれて生き残る者はいない。』

 ここで主が言われているように、彼らは既にエジプトに下ることを堅く決心していました。その決心の裏側には「恐れ」があります。「戦いに会わず、角笛の音も聞かず、パンにも飢えることがない」と彼らは言っていますが、エルサレムをバビロンが包囲していた時、嫌になるほど経験していたものでした。朝起きれば、バビロンの角笛の音を聞かなければいけなかったのです。

 これを免れたい、という気持ちはわかります。けれども、エジプトに下れば実はその免れたいと思っているものが、まさに襲いかかるとエレミヤは預言しているのです。紀元前567年にこのことは実現しました。エルサレムでのバビロンによる破壊を彼らは逃れたと思ったのに、今度はエジプトにおける破壊を受けるために、そこに出かけようとしているのです。

42:18 まことに、イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。『わたしの怒りと憤りが、エルサレムの住民の上に注がれたように、あなたがたがエジプトに行くとき、わたしの憤りはあなたがたの上に注がれ、あなたがたは、のろいと、恐怖と、ののしりと、そしりになり、二度とこの所を見ることができない。』

 「二度とこの所」つまり、ユダの地に帰ってくることは決してないということです。

2D 迷い出た心 19−22
 そして次に主は、彼らの迷い出た心を責められます。

42:19 ユダの残りの者よ。主はあなたがたに『エジプトへ行ってはならない。』と仰せられた。きょう、私があなたがたにあかししたことを、確かに知らなければならない。42:20 あなたがたは迷い出てしまっている。あなたがたは私をあなたがたの神、主のもとに遣わして、『私たちのために、私たちの神、主に祈り、すべて私たちの神、主の仰せられるとおりに、私たちに告げてください。私たちはそれを行ないます。』と言ったのだ。42:21 だから、私は、きょう、あなたがたに告げたのに、あなたがたは、あなたがたの神、主の御声を聞かず、すべてそのために主が私をあなたがたに遣わされたことを聞かなかった。42:22 だから今、確かに知れ。あなたがたは、行って寄留したいと思っているその所で、剣とききんと疫病で死ぬことを。」

 主は人々の心の中をすべて知っておられます。だから、彼らが今考えていることを、言い当てておられます。

2B 真実への反発 43
1C 高ぶった者たち 1−7
43:1 エレミヤはすべての民に、彼らの神、主のことばを語り終えた。それは彼らの神、主が、このすべてのことばをもって彼を遣わされたものであった。43:2 すると、ホシャヤの子アザルヤと、カレアハの子ヨハナンと、高ぶった人たちはみな、エレミヤに告げて言った。「あなたは偽りを語っている。私たちの神、主は『エジプトに行って寄留してはならない。』と言わせるために、あなたを遣わされたのではない。

 彼らを「高ぶった人たち」と呼んでいます。主の助言、主のはかりごと、主のご計画に服さないのは、そのまま高ぶりです。ここで、私たちはしばしば誤解します。誠実に物事を考えていればそれが謙遜であると、私たちは思うのです。けれども、聖書では、「神の力強い御手の下にへりくだりなさい。(1ペテロ5:6」とあります。神の主権の中に自分の身をゆだねることこそが謙遜であり、何でも誠実にやっていればそれが謙遜ではないのです。

 そしてエレミヤを偽り者呼ばわりしていますが、自分が正しいことを言うために、言いたいことを何でも言います。

43:3 ネリヤの子バルクが、あなたをそそのかして私たちに逆らわせ、私たちをカルデヤ人の手に渡して、私たちを死なせ、また、私たちをバビロンへ引いて行かせようとしているのだ。」

 彼らはバルクまで持ち出しました。エレミヤの預言の筆記をしている人ですね。彼に影響されて、あなたはそんなことを語っているのだと言っています。

43:4 カレアハの子ヨハナンと、すべての将校と、すべての民は、「ユダの国にとどまれ。」という主の御声に聞き従わなかった。43:5 そして、カレアハの子ヨハナンと、すべての将校は、散らされていた国々からユダの国に住むために帰っていたユダの残りの者すべてを、43:6 男も女も子どもも、王の娘も、それに、侍従長ネブザルアダンが、シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤに託したすべての者、預言者エレミヤと、ネリヤの子バルクをも連れて、43:7 エジプトの国に行った。彼らは主の御声に聞き従わなかったのである。こうして、彼らはタフパヌヘスまで来た。

 彼らは軍人ですから、強制的に連れて行くことができます。「王の娘も」とありますが、ゼデキヤ王の息子たちは殺されています。そして、エレミヤもバルクも無理やり連れて行きました。

 「タフパヌヘス」はエジプトの国境にある要塞の町です。彼らがエジプトに下ってきた、というのは、大きな、長い神の歴史において悲劇になります。なぜなら、彼らはエジプトから出てきて、主の民となったからです。今、彼らはエジプトにまた戻ってきてしまったのです。

2C エジプトにおけるバビロンの王座 8−13
43:8 タフパヌヘスで、エレミヤに次のような主のことばがあった。43:9 「あなたは手に大きな石を取り、それらを、ユダヤ人たちの目の前で、タフパヌヘスにあるパロの宮殿の入口にある敷石のしっくいの中に隠して、43:10 彼らに言え。イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。見よ。わたしは人を送り、わたしのしもべバビロンの王ネブカデレザルを連れて来て、彼の王座を、わたしが隠したこれらの石の上に据える。彼はその石の上に本営を張ろう。

 再び主は、エレミヤに実演の預言を行なわせました。パロの宮殿はエジプト中にあるのですが、タフパヌヘスにもあります。宮殿の入口の敷石の下に、大きな石を隠しなさいと主は命じられました。ちょうどここに、ネブカデネザルが座を据える、本営を張ると預言したのです。

 そして事実、先ほど話したようにネブカデネザルは紀元前567年に起こりました。近年、フリンダーズ・ペトリックという考古学者が、この町を発掘し、宮殿の入口の敷石とその下にある大きな石を見つけました。エレミヤが隠した石を発見しました。エレミヤの言葉が実現したことを裏付けるものです。

43:11 彼は来てエジプトの国を打ち、死に定められた者を死に渡し、とりこに定められた者をとりこにし、剣に定められた者を剣に渡す。43:12 彼はエジプトの神々の宮に火をつけて、それらを焼き、彼らをとりこにする。彼は牧者が自分の着物のしらみをつぶすようにエジプトの国をつぶして、ここから無事に去って行こう。43:13 彼はエジプトの国にある太陽の宮の柱を砕き、エジプトの神々の宮を火で焼こう。」

 次の44章に、ユダの人々が完全にヤハウェなる主を忘れ、エジプトの神々を拝んでいる姿を読むことができます。本当に悲しいことですが、主はかつてエジプトの神々を、災いをもって裁かれたように、再び裁かれます。

 エジプトでは、太陽の神は主要な神の一つです。エジプトに行けば、古代エジプトの絵の中に数多く、太陽神ラーが出てくるのを見ます。ヘリオポリスという信仰の中心地があり、そこに神殿もたくさんあるのですが、おそらくここは、その町が火で焼かれたことを言及しているものと思われます。

 最後の最後まで主は語られました。そして最後の最後までユダは拒みました。民を愛している神と、拒むユダとの悲しい話です。私たちはどこで立ち止まり、神に立ち返ることができるでしょうか?神は私たちを愛しておられます。そして私たちが神に立ち返ることを神は願っておられます。