ヨシュア記9−12章 「カナンの徹底征服」

アウトライン

1A 計略による盟約 9
   1B 目に見えるもの 1−15
   2B 誓いの遵守 16−27
2A 日と月を動かす戦い 10
   1B 勝利に変えられる主 1−27
      1C ギブオン人の救い 1−15
      2C 五人の王の処刑 16−27
   2B 南方の聖絶 28−43
3A 戦車の粉砕 11
   1B 全陣営の集結 1−15
   2B 北方の聖絶 16−23
4B 征服された王たち 12
   1B モーセ時代 1−6
   2B ヨシュア時代 7−24

本文

 ヨシュア記9章を開いてください。私たちは今日、カナン人の地を徹底征服するイスラエルの証しを読んでいきます。前回は、エリコとアイを攻略して、シェケムまで行き、モーセの律法を朗読したところまでを読みました。その後の他のカナン人やエブス人の王たちの動きを見ます。

1A 計略による盟約 9
1B 目に見えるもの 1−15
9:1 さて、ヨルダン川のこちら側の山地、低地、およびレバノンの前の大海の全沿岸のヘテ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の王たちはみな、これを聞き、9:2 相集まり、一つになってヨシュアおよびイスラエルと戦おうとした。

 ヨシュアらがエリコとアイを攻略したことによって、カナンの全土にいる王たちが相集まって、イスラエルと戦おうとしました。通常であればこれらの町々は、互いに争っているのですが、イスラエルが来たということで一つになることができたのです。これは大変なことになったと思うかもしれませんが、いや、これからの話を読めば、むしろ一気に打ち倒すことのできる良い機会となっています。今日の話は、王たちが相集まってイスラエルに敵対しますが、ことごとく打ち叩かれ、倒れていく記録を読みます。

 興味深いことに、この世というのは互いに敵対していても、一つのことについて一致することができます。それは「神とキリストに反抗する」ということです。詩篇第二篇を開いてください。
 

1 なぜ国々は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやくのか。2 地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、主と、主に油をそそがれた者とに逆らう。3 「さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。」

 地の王たちが、主と油注がれた者、すなわちキリストに一丸となって立ち向かうことを預言しているものです。人は、互いにどんなに利害関係があろうとも、一つのことで一致することができます。それは、神とキリストがその者の真の王であるということです。人は自分自身が王であり、自分の心には自分という王が着座していたいのです。神とキリストがおられれば、その枷と綱を解き捨てることを試みます。

 このことがキリストが十字架につけられる時に起こりました。いつもは敵対していたヘロデとローマ総督ピラトは、仲良くなったとルカは書き記しています(ルカ23:12)。そして初代教会の聖徒たちは、この詩篇二篇の預言を取り上げて、こう祈りました。「事実、ヘロデとポンテオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民といっしょに、あなたが油を注がれた、あなたの聖なるしもべイエスに逆らってこの都に集まり、あなたの御手とみこころによって、あらかじめお定めになったことを行ないました。(使徒4:27-28」けれども、詩篇二篇を続けて読むと、これはキリストが初めに来られたことだけでなく、再び来られる時にも起こることであることを読むことができます。
 

4 天の御座に着いておられる方は笑う。主はその者どもをあざけられる。5 ここに主は、怒りをもって彼らに告げ、燃える怒りで彼らを恐れおののかせる。6 「しかし、わたしは、わたしの王を立てた。わたしの聖なる山、シオンに。」7 「わたしは主の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。8 わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。9 あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。』」

 天の父は、あざ笑っておられます。万物の支配者である方に、武器をもって戦おうとしているからです。事実、黙示録16章を見ますと、世界からの軍隊がハルマゲドンと呼ばれる、イスラエルのイズレエル平野にあるメギドというところに集結することが預言されています。そして天からイエス・キリストが降りて来られて、これら世界の軍隊と戦われて、彼らをことごとく打ち滅ぼされることが19章に記されています。

 ヨシュア記は、キリストによって神が将来行なわれることを予め示す型になっています。エリコの町を攻略する時、六日で一周ずつ回り、七日目に七週回るのが大患難時代において主が天使たちによって行われる地上への裁きを表していることを学びましたが、ヨシュアがこれからカナン人の王たちに行なうことは、神の国を到来せしめるために、地上の王どもと戦い、征服するキリストを表しているのです。

9:3 しかし、ギブオンの住民たちは、ヨシュアがエリコとアイに対して行なったことを聞いて、9:4 彼らもまた計略をめぐらし、変装を企てた。彼らは古びた袋と古びて破れたのに継ぎを当てたぶどう酒の皮袋とを、ろばに負わせ、9:5 繕った古いはきものを足にはき、古びた着物を身に着けた。彼らの食料のパンは、みなかわいて、ぼろぼろになっていた。

 相集まって立ち向かう敵どもよりも、この住民たちのほうがはるかに強力な武器を用いました。「変装」という計略です。「ギブオン」は、エルサレムから北西10キロにも満たないところにある町です。彼らは着る物も、履いている物も、そして食べ物もみな古びたものを用意しました。

9:6 こうして、彼らはギルガルの陣営のヨシュアのところに来て、彼とイスラエルの人々に言った。「私たちは遠い国からまいりました。ですから、今、私たちと盟約を結んでください。」9:7 イスラエルの人々は、そのヒビ人たちに言った。「たぶんあなたがたは私たちの中に住んでいるのだろう。どうして私たちがあなたがたと盟約を結ぶことができようか。」9:8 すると、彼らはヨシュアに言った。「私たちはあなたのしもべです。」しかしヨシュアは彼らに言った。「あなたがたはだれだ。どこから来たのか。」9:9 彼らは言った。「しもべどもは、あなたの神、主の名を聞いて、非常に遠い国からまいりました。私たちは主のうわさ、および主がエジプトで行なわれたすべての事、9:10 主がヨルダン川の向こう側のエモリ人のふたりの王、ヘシュボンの王シホン、およびアシュタロテにいたバシャンの王オグになさったすべての事を聞いたからです。9:11 それで、私たちの長老たちや、私たちの国の住民はみな、私たちに言いました。『あなたがたは、旅のための食料を手に持って、彼らに会いに出かけよ。そして彼らに、私たちはあなたがたのしもべです。それで、今、私たちと盟約を結んでくださいと言え。』9:12 この私たちのパンは、私たちがあなたがたのところに来ようとして出た日に、それぞれの家から、まだあたたかなのを、食料として準備したのですが、今はもう、ご覧のとおり、かわいて、ぼろぼろになってしまいました。9:13 また、ぶどう酒を満たしたこれらの皮袋も、新しかったのですが、ご覧のとおり、破れてしまいました。私たちのこの着物も、はきものも、非常に長い旅のために、古びてしまいました。」

 ギブオン人の計略は、極めて狡猾です。彼らは、イスラエルにモーセが語ったことを正確に知っていました。申命記2010-18節までに、遠い国における町々を攻略するときの教えがあります。その町が降伏するのであれば、その住民を苦役に服して働かせねばならないと命じられています。もし彼らが降伏しないのであれば、剣の刃で打ちなさいと命じています。

 けれども、主が相続地として与えておられる国々の民の町では違います。彼らはことごとく滅ぼさなければいけません。それは、イスラエルがその住民がその神々に行なっていた忌むべきことを行なうことのないためであります。同じように私たちは、この世で行なわれている悪について、その悪を取り除きなさいとは命じられていませんが、私たちの中にある悪については取り除くべきです。そうでないと、自分たちがその悪に心を傾けてしまいます。

 この律法をギブオン人は熟知していて、彼らは遠くの国からやって来たので盟約を結んでほしいと頼んでいます。さらに彼らは、エジプトで主が行なわれたこと、またヨルダン川の東でイスラエルが戦ったことは話していますが、エリコとアイに対してイスラエルが行なったことについては言及していません。遠い国から来て、これらの噂が耳に入っていないふりをしているのです。そして、その証拠品をここに連ねているのです。古びた着物、古びた履物、そして古びた食料です。ぶどう酒の入れる皮袋が破れてしまう、というのは、古くなった皮袋は固くなって収縮力がなくなるので、新しいぶどう酒を入れるとそこから出る気体によって破れてしまいます。

9:14 そこで人々は、彼らの食料のいくらかを取ったが、主の指示を仰がなかった。9:15 ヨシュアが彼らと和を講じ、彼らを生かしてやるとの盟約を結んだとき、会衆の上に立つ族長たちは、彼らに誓った。

 ヨシュアそしてイスラエルのかしらたちは、何と同じ間違いを繰り返してしまいました。アイを初めに攻略しようとした時に、多くの兵士を連れていく必要はないという斥候の報告を、主に仰ぐことなくそのまま受け入れました。今も、目に見えるその食料を見て盟約を結んでしまったのです。私たちがいかに、目に見えるものに左右されてしまうか、その弱さにいつも気づかなければいけません。すべてのことを、それが些細だと思われることも、また正しく見えることも、主の前に持っていき、祈ることが必要です。

 ギブオン人らの計略は、この世の神と呼ばれるサタンの計略と極めて似ています。つまり、変装することです。本物であるかのように見せることです。「しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。(2コリント11:14」私たちは、あからさまな反対であれば、それに立ち向かうことは容易にできます。けれども、ほとんど正しいように見えること、似たものに見えるものに対しては、私たちは無防備になってしまいます。使徒ヨハネはこのように私たちに警告しました。「愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。(1ヨハネ4:1

 そして私たちキリスト者は、不信者との盟約、言い換えれば、不信者の行ないを共にするような交わりにあずかることはできません。「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。(2コリント6:14-15

 私たちは、なぜか、釣り合わぬ頸木をいっしょに付けてしまおうとします。それは単純に私たちがその罪を行ないたいという肉の欲望があるから、ということもありますが、相手に合せることによって、その人にキリストを知ってもらおうとすることもあるのです。けれども、それは決してうまく行きません。その人にキリストの影響力を与えるのではなく、反対に自分自身がこの世の影響力を受けます。キリストにある立場がなし崩しにされます。神のイスラエルの対する言葉は、カナン人の聖絶でした。それは彼ら自身がその忌まわしいことを行なってしまうからでした。

2B 誓いの遵守 16−27
9:16 彼らと盟約を結んで後三日たったとき、人々は、彼らが近くの者たちで、自分たちの中に住んでいるということを聞いた。9:17 それから、イスラエル人は旅立って、三日目に彼らの町々に着いた。彼らの町々とは、ギブオン、ケフィラ、ベエロテ、およびキルヤテ・エアリムであった。9:18 会衆の上に立つ族長たちがすでにイスラエルの神、主にかけて彼らに誓っていたので、イスラエル人は彼らを打たなかった。しかし、全会衆は族長たちに向かって不平を鳴らした。9:19 そこで族長たちはみな、全会衆に言った。「私たちはイスラエルの神、主にかけて彼らに誓った。だから今、私たちは彼らに触れることはできない。9:20 私たちは彼らにこうしよう。彼らを生かしておこう。そうすれば、私たちが彼らに誓った誓いのために、御怒りが私たちの上に下らないだろう。」9:21 族長たちが全会衆に、「彼らを生かしておこう。」と言ったので、彼らは全会衆のために、たきぎを割る者、水を汲む者となった。族長たちが彼らに言ったとおりである。

 盟約を結ぶのは大きな過ちでした。けれども、モーセの律法には、誓うのであれば、そのことばを破ってはならないことが命じられています(例:民数30:2)。もしここでギブオン人を殺してしまうのなら、加えて罪を犯してしまうことになります。それを避けなければいけないといけません。

 事実、後の時代にこの誓いを破って、主の怒りが下ったことがありました。ダビデの時代に三年間飢饉がありました。彼が主に伺うと、こういう答えでした。「サウルとその一族に、血を流した罪がある。彼がギブオン人たちを殺したからだ。(2サムエル21:1」サウルは、イスラエルとユダへの熱心のあまり、彼らを絶ち滅ぼそうとしていました。それでダビデは、ギブオン人に尋ねて、彼らはただサウルの子七人を処刑してほしいと頼みました。確かに主は、ご自分の名によって彼らが誓ったことを彼らが守ることを御心としておられたのです。

9:22 ヨシュアは彼らを呼び寄せて、彼らに次のように言った。「あなたがたは、私たちの中に住んでいながら、なぜ、『私たちはあなたがたから非常に遠い所にいる。』と言って、私たちを欺いたのか。9:23 今、あなたがたはのろわれ、あなたがたはいつまでも奴隷となり、私の神の家のために、たきぎを割る者、水を汲む者となる。」9:24 すると、彼らはヨシュアに答えて言った。「あなたの神、主がそのしもべモーセに、この全土をあなたがたに与え、その地の住民のすべてをあなたがたの前から滅ぼしてしまうようにと、お命じになったことを、このあなたのしもべどもは、はっきり知らされたのです。ですから、あなたがたの前で私たちのいのちが失われるのを、非常に恐れたので、このようなことをしたのです。9:25 ご覧ください。私たちは今、あなたの手の中にあります。あなたのお気に召すように、お目にかなうように私たちをお扱いください。」9:26 ヨシュアは彼らにそのようにし、彼らをイスラエル人の手から救って、殺さなかった。9:27 こうしてヨシュアは、その日、彼らを会衆のため、また主の祭壇のため、主が選ばれた場所で、たきぎを割る者、水を汲む者とした。今日もそうである。

 ヨシュアは、主の御名によって立てた誓いの中で、できる限りのことを行ないました。それは、彼らを奴隷として使役するだけでなく、神の家でたきぎを割る者、水を汲む者とさせたことです。彼らがもう二度と、偶像礼拝をすることのないように、主の選ばれた場所のそばにいることによって、絶えず監視することができます。

 けれども、ギブオン人には呪いの中にある憐れみがありました。次の10章では、彼らが助けをヨシュアに求めたことによって、ヨシュアたちは他の王たちを一気に倒すことができるきっかけとなりました。そして約500年後、ソロモンが神殿を建てる直前は、ギブオンに主の幕屋が置かれていました(2歴代1:3)。そしてさらに約500年後には、ギブオン人はバビロンから帰還した民とともに、エルサレムの城壁を再建しています(ネヘミヤ3:7)。

 私たちは間違った決断をし、それに責任を負わなければいけないけれども、その制約の中で精一杯のことをするならば、神は憐れみと恵みで満たしてくださいます。例えば、ある人は信仰的に後退している時に未信者の人と結婚しました。再び神に立ち返ったのですが、相手は信仰を持っていません。その制約の中でも必死に主に拠りすがり、相手もずっと後に信仰を持った、というような話はたくさんあります。主は、ご自分を求める者にはどこからでも良きものを生み出してくださいます。

2A 日と月を動かす戦い 10
1B 勝利に変えられる主 1−27
1C ギブオン人の救い 1−15
10:1 さて、エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヨシュアがアイを攻め取って、それを聖絶し、先にエリコとその王にしたようにアイとその王にもしたこと、またギブオンの住民がイスラエルと和を講じて、彼らの中にいることを聞き、10:2 大いに恐れた。それは、ギブオンが大きな町であって、王国の都の一つのようであり、またアイよりも大きくて、そこの人々はみな勇士たちであったからである。10:3 それで、エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヘブロンの王ホハム、ヤルムテの王ピルアム、ラキシュの王ヤフィア、エグロンの王デビルに使いをやって言った。10:4 「私のところに上って来て、私を助けてください。私たちはギブオンを打ちましょう。ギブオンがヨシュア、イスラエル人と和を講じたから。」10:5 それで、エモリ人の五人の王たち、エルサレムの王、ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシュの王、エグロンの王とその全陣営は、相集まり、上って行って、ギブオンに向かって陣を敷き、それを攻めて戦った。 

 これら五人のエモリ人の王は「ユダの山地」に位置する人々です。前回お話しましたように、ヨシュアたちがエリコとアイを攻略したのは、カナンの地の北と南を分断することができるから、と話しました。91節に、すべての王たちが相集まってイスラエルに対抗しようとしていることが書かれていましたが、事の緊急性から南の王五人だけしか集まることができませんでした。

 エルサレムには「アドニ・ツェデク」という王がいました。名前の意味は「正義の子」ですが、皮肉ですね。エリコとアイはエルサレムの周囲にある町であり、そしてギブオンはもっと近いところにあります。当時としては大きな都市国家であったギブオンこそが、イスラエルと戦う時の主力であったはずなのに翻ってしまったので、そこでこの裏切り者を倒さなければいけないとアドニ・ツェデクは考えたのです。以降、皆さんにお渡しした地図をみながら話を追っていってください。 

10:6 ギブオンの人々は、ギルガルの陣営のヨシュアのところに使いをやって言った。「あなたのしもべどもからあなたの手を引かないで、早く、私たちのところに上って来て私たちを救い、助けてください。山地に住むエモリ人の王たちがみな集まって、私たちに向かっているからです。」10:7 そこでヨシュアは、すべての戦う民と、すべての勇士たちとを率いて、ギルガルから上って行った。

 ギブオン人とイスラエルは盟約を結んでいますから、彼らを救う義務があります。それでギルガルにいるヨシュアは動き始めました。

10:8 主はヨシュアに仰せられた。「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手に渡したからだ。彼らのうち、ひとりとしてあなたの前に立ち向かうことのできる者はいない。」10:9 それで、ヨシュアは夜通しギルガルから上って行って、突然彼らを襲った。

 すばらしい主からの御声です。まず、ギブオン人との盟約そのものが大きな間違いであったにも関わらず、神は御心を何一つ変えたりされていませんでした。確かに、誓いを守ることを神はよしとされていました。前回、アイを初めに攻略しようとして敗北した時にはその戦いに主はおられませんでしたが、今はヨシュアと共におられることを話しておられます。

 次に、ヨシュアは主からの慰めの言葉を頂いたので、果敢に戦いに挑んでいます。夜通し歩くのですが、ギルガルからギブオンはかなりの上り坂で体力的にきついです。ところが、彼はその主の言葉に支えられてその決断をしました。私たちが主から御心を示される経験をすれば、「主が行なってくださるのだから余裕をかましていればよい。」という態度ではなく、むしろ、積極的に行動に出てその御心の中に自分たちを投入させていくのです。

10:10 主が彼らをイスラエルの前でかき乱したので、イスラエルはギブオンで彼らを激しく打ち殺し、ベテ・ホロンの上り坂を通って彼らを追い、アゼカとマケダまで行って彼らを打った。10:11 彼らがイスラエルの前から逃げて、ベテ・ホロンの下り坂にいたとき、主は天から彼らの上に大きな石を降らし、アゼカに至るまでそうしたので、彼らは死んだ。イスラエル人が剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった。

 この戦いにおける、主の強い意志をはっきり読み取れます。主が五人の王の軍隊を錯乱させました。そして逃亡する軍隊に対して、天からの砲撃を加えられました。「」は、エジプトに神が降らせたように、しばしば神が裁きの手段として用いられる災いであります。

 そして「ベテ・ホロン」が上り坂として10節に「下り坂」として11節に出てきますが、それぞれ異なる場所にあります。前者を上ベテ・ホロン、後者を「下ベテ・ホロン」とも呼ばれます。

 10:12 主がエモリ人をイスラエル人の前に渡したその日、ヨシュアは主に語り、イスラエルの見ている前で言った。「日よ。ギブオンの上で動くな。月よ。アヤロンの谷で。」10:13 民がその敵に復讐するまで、日は動かず、月はとどまった。これは、ヤシャルの書にしるされているではないか。こうして、日は天のまなかにとどまって、まる一日ほど出て来ることを急がなかった。10:14 主が人の声を聞き入れたこのような日は、先にもあとにもなかった。主がイスラエルのために戦ったからである。

 主がイスラエルのために戦ってくださるという御心が、ここまではっきりと現れました。天体の動きまでも変えて、主はヨシュアの祈りを聞いてくださったのです。午前礼拝で学びましたが、ここで大事なのは「御心の中に自分を入れている」ということです。自分自身が神の意志に服従していないのに、大きな祈りを捧げても無駄になってしまいます。そして、果敢に自分が行動によって御心の中に関わっている必要があります。主への願いというのは受動的ではなく、行動的、積極的なのです。

 ちなみに「ヤシャルの書」というのは、サムエル記第二118節にも出てきます。イスラエルの王の戦いの記録書であったようです。これは見つかっていません。

10:15 ヨシュアは、全イスラエルを率いてギルガルの陣営に引き揚げた。

 16節以降を読みますと、彼らは追跡をしているこの瞬間にギルガルに戻ったのではないことが分かっています。これは五人の王との集結後、彼らが引き揚げたという10章の最後43節に出てくる言葉と同じであり、まとめのようにして書いています。

2C 五人の王の処刑 16−27
10:16 これらの五人の王たちは逃げて、マケダのほら穴に隠れた。10:17 その後、マケダのほら穴に隠れている五人の王たちが見つかったという知らせがヨシュアにはいった。10:18 そこでヨシュアは言った。「ほら穴の口に大きな石をころがし、そのそばに人を置いて、彼らを見張りなさい。10:19 しかしあなたがたはそこにとどまってはならない。敵のあとを追い、彼らのしんがりを攻撃しなさい。彼らの町にはいらせてはならない。あなたがたの神、主が彼らをあなたがたの手に渡されたからだ。」10:20 ヨシュアとイスラエル人は、非常に激しく打って、彼らを絶ち滅ぼし、ついに全滅させた。彼らのうちの生き残った者たちは、城壁のある町々に逃げ込んだ。10:21 そこで民はみな無事にマケダの陣営のヨシュアのもとに引き揚げたが、イスラエル人に向かってののしる者はだれもなかった。

 五人の王は洞穴の中に閉じ込めて置き、敗残兵の掃討をヨシュアはイスラエルに命じました。マケダの近くにマレシャという町がありますが、今そこは国定公園になっています。石灰岩に作られた洞穴がありますが、これは「鐘洞窟」と呼ばれています。「鐘」は鐘(かね)のことです。小さな穴が地面にあり、その下には鐘の形をした大きな穴になっています。おそらく、このような穴の中に五人の王が隠れていたのではないかと思われます。

10:22 その後、ヨシュアは言った。「ほら穴の口を開いて、ほら穴からあの五人の王たちを私のもとに引き出して来なさい。」10:23 彼らはそのとおりにして、ほら穴からあの五人の王たち、エルサレムの王、ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシュの王、エグロンの王を彼のもとに引き出して来た。10:24 彼らがその王たちをヨシュアのもとに引き出して来たとき、ヨシュアはイスラエルのすべての人々を呼び寄せ、自分といっしょに行った戦士たちを率いた人たちに言った。「近寄って、この王たちの首に足をかけなさい。」そこで彼らは近寄り、その王たちの首に足をかけた。10:25 ヨシュアは彼らに言った。「恐れてはならない。おののいてはならない。強くあれ。雄々しくあれ。あなたがたの戦うすべての敵は、主がこのようにされる。」

 ヨシュアは非常に象徴的なことを、部下たちに行なわせています。王たちの首に足をかけさせ、そして彼らを打ち殺します。ヨシュアは、自分に主が語られた言葉、「恐れてはならない。おののいてはならない。強くあれ。雄々しくあれ。」と言い、また「主がこのようにされる」と宣言していますが、これは霊的な意味があります。

 先に読んだ詩篇二篇におけるメシヤ預言で、「あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕」く、とありました。イエス様が戻って来られる時に、その力で敵を完全に屈服させることを表しています。これは実は、初めに神がメシヤをこの地上に遣わされることを約束された創世記315節にも書かれています。蛇に対して、「(女の子孫)は、おまえの頭をかみ砕き」とあります。ダビデも詩篇1101節で、「主は、私の主に仰せられる。『わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。』」と預言しています。力ある者たちが、主イエス・キリストの権威の下で完全に屈服している姿を表しているのです。

 このキリストについて約束を使徒パウロは、ローマにいるキリスト者に当てはめました。「平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。(ローマ16:20」これは教会において、分裂を引き起こす人たちがいるので彼らから遠ざかりなさいとパウロが警告している中で話していることです。そうした悪があるけれども、それに対抗するあまり深入りすることなく、むしろ善と呼ばれるものを追い求めなさいと勧めています。それで、それらの悪は、キリストが再臨された時に、私たちがキリストと共に世界を統べ治める時にサタンを私たちの足の下で屈服させるというところで解決するのです。

 これは、私たちに対する圧倒的な霊的勝利の約束です。私は、しばしば教会にある偽りの教えや、悪い行ないについて警鐘を鳴らすことがありますが、それに深入りすることなく、むしろ善と呼ばれるものをさらに追い求めて、平和の君がこれらサタンの仕業を私たちの足の下で打ち砕いてくださると信じることができます。

10:26 このようにして後、ヨシュアは彼らを打って死なせ、彼らを五本の木にかけ、夕方まで木にかけておいた。10:27 日の入るころになって、ヨシュアは彼らを木から降ろすように命じ、彼らが隠れていたほら穴の中に投げ込み、ほら穴の口に大きな石を置かせた。今日もそうである。

 ヨシュアは、アイの王に対してしたのと同じように行いました。木につるすのは、神に呪われたことを表します。モーセの律法にあるように、約束の地を汚すことのないように、日没までには死体を下します。そして、石をそこに置いていますが、アイの王においても石を積み上げました。不名誉な形で葬らせたのです。

2B 南方の聖絶 28−43
 そして次に、ヨシュアたちが連続的にユダにある町々を攻略していく話を読むことができます。

10:28 その日、ヨシュアはマケダを攻め取り、剣の刃で、この地とその王とを打った。彼は、この地とその中にいたすべての者を聖絶し、ひとりも生き残る者がないようにした。彼はエリコの王にしたように、マケダの王にもした。10:29 ヨシュアは全イスラエルを率いて、マケダからリブナに進み、リブナと戦った。10:30 主が、その地も、その王も、イスラエルの手に渡されたので、彼は、この地とその中のすべての者を、剣の刃で打ち、その中にひとりも生き残る者がないようにした。彼はエリコの王にしたように、その王にもした。10:31 ヨシュアはまた、全イスラエルを率いて、リブナからラキシュに進み、それに向かって陣を敷き、それと戦った。10:32 主がラキシュをイスラエルの手に渡されたので、彼は二日目にそれを取り、それと、その中のすべての者を、剣の刃で打った。すべてリブナにしたとおりであった。10:33 そのとき、ゲゼルの王ホラムが、ラキシュを助けるために上って来たので、ヨシュアは、彼とその民を打ち、ひとりも生き残る者のないまでにした。10:34 ヨシュアはまた、全イスラエルを率いて、ラキシュからエグロンに進み、それに向かって陣を敷き、それと戦った。10:35 彼らはその日それを取り、剣の刃でそれを打ち、その日、その中のすべての者を聖絶した。すべてラキシュにしたとおりであった。10:36 ヨシュアはまた、全イスラエルを率いて、エグロンからヘブロンに上り、彼らはそれと戦った。10:37 彼らは、それを取り、それとその王、およびそのすべての町々とその中のすべての者を、剣の刃で打ち、ひとりも生き残る者がないようにした。すべてエグロンにしたとおりであった。彼は、それとその中のすべての者を聖絶した。

 ヘブロンの王はもう殺されているはずですが、おそらく新しい王を立てていたのでしょう。

10:38 ヨシュアは全イスラエルを率いて、デビルに引き返し、これと戦った。10:39 そして彼は、その地とその王、およびその中のすべての町々を取り、剣の刃でこれらを打ち、その中のすべての者を聖絶し、ひとりも生き残る者がないようにした。彼がデビルとその王にしたことは、ヘブロンにしたとおりであり、またリブナとその王にしたとおりであった。

 エリコで主に命じられたことを、他の町々に対しても行いました。すべてを打ち殺し、さらに全イスラエルで向かいました。主が与えられたこの姿勢をイスラエルは他の町々に対しても貫きました。

 そして、エリコもそうですが、これらの町々には遺跡が残っています。考古学者が、紀元前十五世紀頃に倒された形跡を遺物や灰の中に見出せるということです。

10:40 こうして、ヨシュアはその全土、すなわち山地、ネゲブ、低地、傾斜地、そのすべての王たちを打ち、ひとりも生き残る者がないようにし、息のあるものはみな聖絶した。イスラエルの神、主が命じられたとおりであった。10:41 ヨシュアは、また、カデシュ・バルネアからガザまで、およびゴシェンの全土をギブオンに至るまで打った。10:42 ヨシュアはこれらすべての王たちとその地とをいちどきに攻め取った。イスラエルの神、主が、イスラエルのために戦われたからである。

 40節にある「山地」とは、ユダの山地のことです。エルサレム辺りから南に連なっている山地であります、そして「ネゲブ」は南部のことです。荒野になっています。そして「低地」とは、シェフェラと呼ばれる地方です。ユダの山地から地中海の沿岸地域の間に位置する所です。ラキシュは、その代表的な町です。さらに、「傾斜地」とありますが、これは山地からアラバあるいはヨルダン渓谷に向かう傾斜地のことです。そして、41節にはその全域の境です。「カデシュ・バルネア」は、約束の地の入口でした。そして「ガザ」はもちろん地中海沿岸にある町です。それから「ゴシェン」というのは、エジプトにもイスラエルが住んでいたゴシェンの地域がありましたが、もちろんそれとは違います。ネゲブとユダの山地の間にある地域です。それが「ギブオン」にまで至る地域だということです。したがって、カナンの南方にある地域はすべて制圧したことになります。

10:43 それで、ヨシュアは全イスラエルを率いて、ギルガルの陣営に引き揚げた。

 ここでようやくイスラエルの民は、ギルガルに引き返すことができました。けれども時間がそれほど経たないうちに、次の戦いが始まります。

3A 戦車の粉砕 11
1B 全陣営の集結 1−15
11:1 ハツォルの王ヤビンは、このことを聞いて、マドンの王ヨバブ、シムロンの王、アクシャフの王、11:2 また北方の山地、キネレテの南のアラバ、低地、西方のドルの高地にいる王たち、11:3 すなわち、東西のカナン人、エモリ人、ヘテ人、ペリジ人、山地のエブス人、ミツパの地にあるヘルモンのふもとのヒビ人に使いをやった。11:4 それで彼らは、その全陣営を率いて出て来た。その人数は海辺の砂のように多く、馬や戦車も非常に多かった。11:5 これらの王たちはみな、相集まり、進んで来て、イスラエルと戦うために、メロムの水のあたりに一つになって陣を敷いた。

 11章は、北面作戦の記録です。ハツォルの王を中心にして、北方にいる王たちが相集まり、イスラエルを攻めてきました。ハツォルは、ガリラヤ湖の北西にある町で、今のイスラエルではメギドと並ぶ考古学発見の宝庫です。そして、「キネレテ」というのはヘブル語読みのガリラヤのことです。元々の意味は「ハープ」であり、湖の形がハープに似ているところから来ています。メロムというガリラヤ湖の西にあるところに彼らが集結しました。先に話したように、ハルマゲドンの時に似ています。「こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。(黙示16:16

 そしてここでの要点は、彼らが海辺の砂のように多い民であること、そして馬と戦車が非常に多かったことです。昔の戦車はもちろん今の戦車のようなものではなく、馬につなげて走るものでしたが、それでもイスラエルは歩兵だけなので、物理的には立ち向かうことはできません。

11:6 主はヨシュアに仰せられた。「彼らを恐れてはならない。あすの今ごろ、わたしは彼らをことごとくイスラエルの前で、刺し殺された者とするからだ。あなたは、彼らの馬の足の筋を切り、彼らの戦車を火で焼かなければならない。」11:7 そこで、ヨシュアは戦う民をみな率いて、メロムの水のあたりで、彼らを急襲し、彼らに襲いかかった。11:8 主が彼らをイスラエルの手に渡されたので、イスラエルは、彼らを打ち、大シドン、およびミスレフォテ・マイムまで追い、さらに東のほうでは、ミツパの谷まで彼らを追い、ひとりも生き残る者がないまでに彼らを打った。11:9 ヨシュアは、主が命じたとおりに彼らにして、彼らの馬の足の筋を切り、彼らの戦車を火で焼いた。

 主が語られたのは、「馬の足の筋を切り、彼らの戦車を火で焼かなければいけない」というものでした。そしてヨシュアはそれをやり遂げました。北方の王たちは、レバノンのはるか北まで逃げていきましたが、イスラエルは追跡し、打ち滅ぼしました。

 聖書の中には、数多く戦車や馬が、人間の拠り頼む力として登場します。ダビデはすぐれた王であり戦士でしたが、彼はしばしば、主の御名によって強くなることを話しました。「ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。(詩篇20:7」ダビデは、少年の時に武装した巨人ゴリヤテに対して、主の御名によって立ち向かい、ゴリヤテを倒しています。そして終わりの日のハルマゲドンも、そこには主ご自身の口による剣が、世界の軍隊をことごとく打ち滅ぼす、つまり主の御名がそれらの人の力をことごとくへし折るのだ、ということです。使徒パウロは、コリントにいる教会の人たちにこう話しました。「私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ・・・(2コリント10:4-5

11:10 そのとき、ヨシュアは引き返して、ハツォルを攻め取り、その王を剣で打ち殺した。ハツォルは以前、これらすべての王国の首都だったからである。11:11 彼らは、その中のすべての者を剣の刃で打ち、彼らを聖絶した。息のあるものは、何も残さなかった。彼はハツォルを火で焼いた。11:12 ヨシュアは、それらの王たちのすべての町々、および、そのすべての王たちを捕え、彼らを剣の刃で打ち殺し、聖絶した。主のしもべモーセが命じたとおりであった。11:13 ただしイスラエルは、丘の上に立っている町々は焼かなかった。ヨシュアが焼いたハツォルだけは例外である。

 主はイスラエルに、町々を破壊することは命じられていませんでした。むしろ彼らの手に拠らずに、神が約束の地に住むことができるようにしてくださいます。ですから、町々は後で用いてもよいのですが、ハツォルについては徹底破壊をしました。神に逆らえばこのようになることを、代表的な町ハツォルに対して行うことによって、他の人々に見せるためです。

11:14 これらの町々のすべての分捕り物と家畜とは、イスラエル人の戦利品として自分たちのものとした。ただし人間はみな、剣の刃で打ち殺し、彼らを一掃して、息のあるものはひとりも残さなかった。11:15 主がそのしもべモーセに命じられたとおりに、モーセはヨシュアに命じたが、ヨシュアはそのとおりに行ない、主がモーセに命じたすべてのことばを、一言も取り除かなかった。

 ここが大事ですね、「一言も取り除かなかった」であります。自分の判断で、付け足す、あるいは取り外したりしなかったのです。以前学びましたが、神の言葉はそれが全てあることによって、初めて力を持ちます。自分の考えや感情を神の御言葉に入れれば、自分が権威になり、神が権威にはなりません。ヨシュアが司令官であられる主の命令を、自分で取捨選択して守ろうとすれば、戦いはことごとく失敗してしまいます。すべてに服従するからこそ、決定的な打撃を敵に対して与えることができるのです。

2B 北方の聖絶 16−23
11:16 こうして、ヨシュアはこの地のすべて、すなわち山地、ネゲブの全地域、ゴシェンの全土、低地、アラバ、およびイスラエルの山地と低地を取り、11:17 セイルへ上って行くハラク山から、ヘルモン山のふもとのレバノンの谷にあるバアル・ガドまでを取った。また、それらの王をことごとく捕えて、彼らを打って、殺した。11:18 ヨシュアは、これらすべての王たちと長い間戦った。11:19 ギブオンの住民ヒビ人を除いては、イスラエル人と和を講じた町は一つもなかった。彼らは戦って、すべてのものを取った。11:20 彼らの心をかたくなにし、イスラエルを迎えて戦わせたのは、主から出たことであり、それは主が彼らを容赦なく聖絶するためであった。まさに、主がモーセに命じたとおりに彼らを一掃するためであった。

 ヨシュアによる戦いを、まとめています。私たちは一気にギブオンでの戦いから南方の戦い、そして北方の戦いを見ましたが、記録されていないものもたくさんあります。「長い間戦った」と書いてあります。そしてギブオン人以外の者たちとは和を講じなかったのも、彼らが忠実に主の命令を守り行ったことを表しています。

 そして大事なのが20節です。「彼らが心をかたくなにしたのは、主から出たことである」ということです。これは出エジプト記において、パロの心をかたくなにしたのは主である、というのと同じです。ここで、彼らがへりくだって神を信じようとしているのに神が心をかたくなにされた、ということではないことを繰り返して言いたいと思います。そうではなく、彼らは初めから聞く気がありません。もし聞くのであれば、彼らはラハブと同じように自ら進み出てそれを行動に表していたことでしょう。しかし、主はこの彼らのかたくなさを用いて、イスラエルが彼らを一掃することができるようにさせてくださったのでした。彼らが相集まって戦わなかったら、こんなにも集中的に約束の地を征服することはできなかったでしょう。

 黙示録を見ても、ハルマゲドンの戦いが、「神の大いなる戦いの日」であると書かれています(16:14)。神がこれらの戦いの舞台を設定しておられるということです。したがって、私たちは悪を見るときに一つのことを知らなければいけません。神が無力であるから悪がはびこっているとか、悪と善の戦いであるとか、まるで悪魔と神を同列に置くように見ていってはならない、ということです。万物の支配者である方が、人の反抗も、反キリストも、悪魔も、すべてを完全に掌握されているのです。

11:21 そのとき、ヨシュアは行って、アナク人を、山地、ヘブロン、デビル、アナブ、ユダのすべての山地、イスラエルのすべての山地から断ち、彼らをその町々とともに聖絶した。11:22 それでイスラエル人の地には、アナク人がいなくなった。ただガザ、ガテ、アシュドデにわずかの者が残っていた。11:23 こうしてヨシュアは、その地をことごとく取った。すべて主がモーセに告げたとおりであった。ヨシュアはこの地を、イスラエルの部族の割り当てにしたがって、相続地としてイスラエルに分け与えた。その地に戦争はやんだ。

 覚えていますか、カデシュ・バルネアにおいてイスラエルが約束の地に入ることを拒んだのは、これら「アナク人」の存在でした。そこで注意して、確かにアナク人を聖絶することができたとここで記録しているのです。ヘブロンについては、ヨシュアの相棒であったカレブが戦うことについて後の章に出てきます。「ガザ、ガテ、アシュドテにわずかの者が残っていた」とありますが、そこには地中海からの民ペリシテ人が入って来ていました。混血によるのでしょうか、それともそのままペリシテ人の中に溶け込んで、そこから巨人ゴリヤテが登場したものと思われます。

 そして彼らの戦いが止んだときに、相続地に安息が来ました。同じようにキリストが再臨されて、王どもを滅ぼされた後に、神の国をキリストが立てられ、この地にも安息が与えられます。その相続の割り当ては、13章以降に細かく書かれています。

4B 征服された王たち 12
 次に、これまでイスラエルが征服した王たちを列挙しています。

1B モーセ時代 1−6
12:1 イスラエル人は、ヨルダン川の向こう側、日の上る方で、アルノン川からヘルモン山まで、それと東アラバの全部を打ち、それを占領したが、その地の王たちは次のとおりである。12:2 エモリ人の王シホン。彼はヘシュボンに住み、アルノン川の縁にあるアロエル、川の中部とギルアデの半分、アモン人の国境のヤボク川までを支配していた。12:3 またアラバを、東のキネレテ湖までと、東のアラバの海、すなわち塩の海、ベテ・ハエシモテの道まで、南はピスガの傾斜地のふもとまで支配していた。12:4 また、レファイムの生き残りのひとりであったバシャンの王オグの領土。彼は、アシュタロテとエデレイに住み、12:5 ヘルモン山、サルカ、ゲシュル人とマアカ人の国境に至るバシャンの全土、およびギルアデの半分、ヘシュボンの王シホンの国境までを支配していた。12:6 主のしもべモーセとイスラエル人とは彼らを打った。主のしもべモーセは、ルベン人と、ガド人と、マナセの半部族に、これらを所有地として与えた。

 モーセによって倒した王たちであります。ヨルダン川の東にいた王たちです。

2B ヨシュア時代 7−24
12:7 ヨシュアとイスラエル人とがヨルダン川のこちら側、西のほうで、レバノンの谷にあるバアル・ガドから、セイルへ上って行くハラク山までの地で打った王たちは、次のとおりである。・・ヨシュアはこの地をイスラエルの部族に、所有地、その割り当ての地として与えた。・・12:8 これらは、山地、低地、アラバ、傾斜地、荒野、およびネゲブにおり、ヘテ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人であった。12:9 エリコの王ひとり。ベテルのそばのアイの王ひとり。12:10 エルサレムの王ひとり。ヘブロンの王ひとり。12:11 ヤルムテの王ひとり。ラキシュの王ひとり。12:12 エグロンの王ひとり。ゲゼルの王ひとり。12:13 デビルの王ひとり。ゲデルの王ひとり。12:14 ホルマの王ひとり。アラデの王ひとり。12:15 リブナの王ひとり。アドラムの王ひとり。12:16 マケダの王ひとり。ベテルの王ひとり。12:17 タプアハの王ひとり。ヘフェルの王ひとり。12:18 アフェクの王ひとり。シャロンの王ひとり。12:19 マドンの王ひとり。ハツォルの王ひとり。12:20 シムロン・メロンの王ひとり。アクシャフの王ひとり。12:21 タナクの王ひとり。メギドの王ひとり。12:22 ケデシュの王ひとり。カルメルのヨクネアムの王ひとり。12:23 ドルの高地にいるドルの王ひとり。ギルガルのゴイムの王ひとり。12:24 ティルツァの王ひとり。合計三十一人の王である。

 ヨシュアが打ち倒した王たちです。王たちを打ち倒して、そして割り当て地を与えます。キリストが力ある王たちを倒されて、神の国の相続を行なわれるのと同じです。私たちにも普段の生活で、自分たちの心に王がいます。自分が中心でありたいという王がいます。また私たちの間にも王がいます。自分たちが王座にいたいと思います。この方に私たちの意志を明け渡す時には平和があります。この方が王となる時に、今の時代には霊的に神の国が私たちに与えられ、そしてこの方を王として拝していくなら、神の御国を受け継ぐことができます

「ロゴス・クリスチャン・フェローシップ内のメッセージ」に戻る
HOME