霊の武器  2001/01/15

「私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。」(2コリント10:3-4)

昨日は、コリント第二10章を学びました。(以下、メッセージ原稿から抜粋、編集)
パウロは、肉の武器ではなく、神から与えられるところの霊の武器によって戦うことを教えています。偽使徒たちによる、異端の教え、オカルト、暴力と強奪というような深刻な問題がコリントの教会で起こっている中で、彼は、霊の武器をもって立ち向かうと言っています。

パウロは3節で大切なことを教えています。私たちは、このように肉のからだを持っており、また、目に見える物理的な世界に生きています。ですから、目に見えるところで繰り広げられることは、目に見えるものによって対処しようとするのが当たり前のことのように思われます。例えば、私たちが不当な扱いを受けたら、警察に届けたり、裁判で告訴したりします。これが、肉に従って戦うということです。けれども、聖書は、目に見える肉の世界だけではなく、目に見えない霊の世界があることを語っています。霊の世界は肉の世界と同じように現実に存在し、同時刻、同位置に共存しています。そして、この霊の世界が、実際は肉の世界を動かしているのです。私たちクリスチャンは、このことに気づかなければいけません。私たちは肉のなかに歩んでいるのですが、肉の武器をもって戦うのではなく、まず霊の武器を取り上げて、その武器によって、目に見えるところにある問題に対処します。(具体的には、エペソ書6章に神の武器が列挙されています。)

この霊の世界において、私たちはキリストにあって、圧倒的な勝利者です。ですから、私たちがこの霊の武器を用いないことは、非常に滑稽なことなのです。悪魔は、何とかして私たちを肉の領域に引き込もうとします。問題を起こして、私たちを慌てふためかせ、落胆させ、自分たちで対処させようとします。しかし、私たちが一歩引き下がって、祈り始めたらどうなるでしょうか。「神さま、イエスさまの御名によって、この問題に立ち向かいます。あなたは、御子にあって、すでに勝利を与えてくださいました。」と祈り始めたときに、決定的な打撃をサタンに加えることになります。私たちはすでに勝利者なのですから、霊の領域に入ればもうこちらのものです。ですから、私たちの課題は、問題が起こったら、それが、霊の戦いであることになるべく早く気づくことです。霊の戦いであることに気づけば、すぐ祈ることができます。祈ることができれば、悪魔に立ち向かうことができます。立ち向かうことができれば、悪魔は逃げていきます。そして、問題は解決へと向かいます。


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