使徒行伝17章 「福音を論じる」

アウトライン

1A キリストなるイエス 1−15
   1B 聖書の説明 1−9
      1C 十字架と復活 1−4
      2C 王の王 5−9
   2B 聖書の研究 10−15
2A 神の子なるイエス 16−34
   1B イエスと復活 1−31
      1C 偶像 16−21
      2C 知られない神 22−31
   2B 異なる反応 32−34

本文 

 使徒行伝17章をお開きください。ここでのメッセージ題は、「福音を論じる」です。福音は道理にかなったものであり、また、それを信じることは理にかなっていることを学びます。

1A キリストなるイエス 1−15
1B 聖書の説明 1−9
1C 十字架と復活 1−4
 彼らはアムピポリスとアポロニヤを通って、テサロニケへ行った。そこには、ユダヤ人の会堂があった。パウロはいつもしているように、会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。

 私たちは16章において、パウロの一行がマケドニヤ地方のピリピという町で福音宣教を行なった個所を読みました。小アジアでの宣教からヨーロッパ宣教へ移り変わりました。そして、彼らはさらに西に行って、マケドニヤのテサロニケという町に来ました。そして、いつものようにユダヤ人の会堂に入っています。パウロは、新しい町や地域に行きますと、まずユダヤ人に伝道をしました。そして、聖書について彼らと論じた、とあります。論理的に、体系的に、そして緻密に聖書について説明していったのです。そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです。」と言った。この「説明し」という言葉は、復活されたイエスさまが弟子たちに、「聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。(ルカ
24:27」という「説き明かし」と同じ言葉です。聖書講解という言葉がありますが、それはここから来ています。パウロは、イエスさまこそが、聖書で預言されているメシヤ、つまり救い主であることを論証しました。

 イエスさまを自分の主として信じるのは、とても理にかなったことです。なぜなら、その信仰が、前もって預言されていたという客観的な事実に基づくからです。私たち日本人は、心に安らぎを与えるものなら、何でもよい、どんな宗教でもよい、という考えを持っています。それが本当であるかどうかはさほど問題ではなく、自分が信じていること自体が大切になってきます。ですから、理にかなっていないことに、自分のエネルギーと時間を費やすことができるのです。日常の事柄においては、とても合理的に、理性的に、緻密な計画を立てて行動する人も、いったん目に見えない事こと、あるいは、本質的な事柄を考えるときになると、突如として非合理的になるのです。けれども、聖書については、日常的な事柄に対処するのと同じように、理性を用いて信じることができるようになっています。預言があるからです。預言は、時間を超えたところにおられる、永遠の神の存在を証明します。パウロは、キリストの苦しみについての預言を説き明かしました。おそらく、詩篇22篇を開いたことでしょう。キリストが十字架の上で苦しむ姿が描かれています。また、イザヤ53章を開いたことでしょう。その苦しみは、人々の罪のためであったと書かれています。また、キリストのよみがえりについては、詩篇16篇を開いたことでしょう。あなたの聖者をハデスには捨てておかれない、と書かれています。このように、福音は客観的な事実に基づいいます。

 そして、この福音そのものも、実に理にかなった、もっともなことです。イザヤが預言しました。「「さあ、来たれ。論じ合おう。」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。(1:18」これは、罪がどんなに大きくても、完全にきよめられることができるのだよ、罪がすべて赦されますよ、という神さまから私たちへの申し出であります。しかも、それはタダです。私たちは、贈り物としていただくだけでよいのです。けれども、実に多くの人が、ただで受け取るのを拒んで、何千億円、何兆円にも及ぶ負債を、パートで働いて支払おうとすることを選びます。多くの人は、「罪の赦しというものは都合が良すぎる。もしそれが神なら、不公平だ。悪いことを正しく罰しない神なんか、私は信じない。」と言います。それで、神は正しい方で、人のした悪を罰せずにはおかれないと教えると、「人を地獄に落とすような神なのか。ずいぶん厳しくて、ひどい方だ。そんな神は信じない。」と言うのです。矛盾していますよね。神は正しい方で、かつ愛の神です。その相反するかに見える二つの性質が完全に現われたのが、あのキリストの十字架です。罪の報酬として死刑にされた、というところに神の正しさが現われています。そして、その死刑が私たちではなく、ご自分のひとり子であるというところに、神の愛が現われているのです。このように、福音は、実に論理的で、理にかなっているのです。

 彼らのうちの幾人かはよくわかって、パウロとシラスに従った。幾人か、とは、ユダヤ人の会堂にいたユダヤ人のことです。またほかに、神を敬うギリシヤ人が大ぜいおり、貴婦人たちも少なくなかった。

 
異邦人も信じました。この異邦人たちは、割礼を受けたユダヤ教への改宗者ではないのですが、神について関心があり、神に従いたいと思っている人々です。貴婦人がいるのは、当時の文化では女性は動物と人間の中間のような価値しか認められていない一方、ユダヤ教では女性の尊厳が与えられていたからです。彼らが、イエスを信じました。

 ところが、ねたみにかられたユダヤ人は、町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせ、またヤソンの家を襲い、ふたりを人々の前に引き出そうとして捜した。

 
ふたたび、ユダヤ人がねたみにかられています。異邦人が救われるのを見ると、ねたみにかられたのです。異邦人がイスラエルの神を信じている。異邦人が、アブラハムに約束された神の祝福を受けてしまっている、という嫉妬心にかられてしまいました。

2C 王の王 5−9
 ところが、ねたみにかられたユダヤ人は、町のならず者をかり集め、暴動を起こして町を騒がせ、またヤソンの家を襲い、ふたりを人々の前に引き出そうとして捜した。ヤソンは、信者の一人でしょう。しかし、見つからないので、ヤソンと兄弟たちの幾人かを、町の役人たちのところへひっぱって行き、大声でこう言った。「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにもはいり込んでいます。

 ものすごい告発です。世界中を騒がせている、つまり、パウロが語っている福音が世界全体を動かすほどに影響があることを認めています。そして、それは実際そうでした。福音はイスラエル地方にとどまらず全世界の歴史を変えてしまいました。

 そして、次に、その理由を述べています。それをヤソンが家に迎え入れたのです。彼らはみな、イエスという別の王がいると言って、カイザルの詔勅にそむく行ないをしているのです。

 イエスが主であり王であることを指摘しています。当時のローマ帝国では、皇帝カエザルが神格化されていきました。そこでローマの住民は、「カエザルは主である。」と告白することを要求されました。けれども、クリスチャンは言えませんでした。イエスが主であり、イエスが世界の王であるからです。そのため、初代クリスチャンは次々と殉教していきました。

 パウロは、後にテサロニケの人たちに手紙を書いています。それを見ると、パウロが彼らにイエスが再び来られる、再臨されることについて語ったことがわかります。例えば、テサロニケ人への第一の手紙1章9節にはこう書いています。「私たちがどのようにあなたがたに受け入れられたか、また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、また、神が死者の中からよみがえらせなさった御子、すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが天から来られるのを待ち望むようになったか、それらのことは他の人々が言い広めているのです。」イエス・キリストが再び天から地上に来られて、神の国を立てられる、というのは、聖書が伝えるとても大切な教えです。イエス・キリストを王とする、正義と平和に満ちた国が訪れます。この世はどんどん悪くなるのですが、私たちは希望を持つことができるのです。黒人の公民権運動を指導したキング牧師は、「キリスト者は現実主義者であると同時に理想主義者となることができる。」と言いました。理想を掲げている人々は、現実から遊離していきます。しかし現実を直視している人は、希望を失い絶望していきます。しかし、クリスチャンは現実をありのままに見つめ、かつそれでも希望を持つことができるのです。それは、神が、この世界を過ぎ去らせて、イエスさまを王とした新しい世界を造ってくださるからなのです。

 こうして、それを聞いた群衆と町の役人たちとを不安に陥れた。

 なんとなく、オウム真理教がテロ活動をしたあとの状況に似ているのではないでしょうか。もちろんパウロたちは、テロや他の悪いことは一切行なっていません。けれども、イエスが主の主、王の王であることを言うことによって、彼ら自身の国そのものに挑戦を付きつけられたことを感じたのです。

 彼らは、ヤソンとそのほかの者たちから保証金を取ったうえで釈放した。

 
これはおそらく、パウロとシラスがテサロニケから出て行って、戻ってこない保証としてお金を一時的に預けさせたのでしょう。もしふたたび騒動が起きたら、そのお金は返してもらえません。そのため、もしかしたら、パウロは、テサロニケ人への第一の手紙で、テサロニケへ行こうとしたがサタンが妨げた、と言っているのかもしれません(2:18)。いずれにせよ、このような騒動が起こったにも関わらず、またパウロがわずか1ヶ月弱しかないなかったのに、健全な、成長する教会が出来あがったのです。テサロニケ人への手紙を読むと、そのことが分かります。

2B 聖書の研究 10−15
 兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂にはいって行った。

 
ベレヤは、テサロニケからさらに西へ進んだ町です。テサロニケは大きな町でしたが、ベレヤは何の変哲もない、よく知られない町でした。そこに行って、彼らは同じようにユダヤ人に福音を語りました。同じメッセージなのですが、反応は違います。

 ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。そのため、彼らのうちの多くの者が信仰にはいった。その中にはギリシヤの貴婦人や男子も少なくなかった。


 テサロニケよりも多くのユダヤ人が信仰を持ちました。その理由は、2つあります。1つは、非常に熱心にみことばを聞いたことです。熱心にみことばを聞くことは大切です。そして、もう一つの理由は、聖書を調べたことです。自分たちで聖書を調べました。これはとても大切です。なぜなら、自分の信仰が、話していることばに置かれるのではなく、神のみことばに基づいているからです。牧師のメッセージを聞いているだけで満足しているクリスチャンがとても多いですが、自分で聖書を調べる習慣を身につけなければいけません。そして、多くの人が信仰にはいって、異邦人の人たちも信じました。

 ところが、テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがベレヤでも神のことばを伝えていることを知り、ここにもやって来て、群衆を扇動して騒ぎを起こした。そこで兄弟たちは、ただちにパウロを送り出して海べまで行かせたが、シラスとテモテはベレヤに踏みとどまった。パウロを案内した人たちは、彼をアテネまで連れて行った。そしてシラスとテモテに一刻も早く来るように、という命令を受けて、帰って行った。

 
騒動があったので、パウロは南下しました。ギリシヤの南にある、有名なアテネの町まで来ました。でも、シラスとテモテは行かなかったので、パウロは独りだけとなりました。



2A 神の子なるイエス 16−34
 そして、次からパウロのアテネにおける働きについて読みます。

1B イエスと復活 1−31
1C 偶像 16−21
 さて、アテネでふたりを待っていたパウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた。

 アテネは、ギリシヤ文化の中枢の町です。全盛を極めたのは紀元前4世紀ごろですが、それでもまだ文化の中核を担っていました。ここはもちろん、哲学が盛んであったところです。そして、アテネは、ここに書いてあるとおり偶像がたくさんありました。人間の数よりも、偶像の数のほうが多いと言われていたほどでした。多神教であったので、どんなものも神になりました。愛の神、怒りの神など感情が神になり、ギリシヤ神話を読めばそのことは分かります。日本も偶像がいっぱいある国です。でも少し違うところは、日本は人格がない自然を神にするアミニズム的なものが多いですが、ギリシヤは人格のある神が多いと言われます。人間中心主義だったのです。いずれにせよ、パウロはこれら偶像を見て、心に憤りを感じました。この憤りはとても大切なものです。神ではないものが拝まれている、また、神の道からはずれていることを行なっていることに対し、「しょうがないから」とか、「まあいいじゃないか」という思いを持っていたとすれば、間違っています。私たちは、「あの人はこのままではいけない。神に立ちかえって、キリストを信じなければいけない。」と言った切迫した思いから、伝道が始まるのです。そのためパウロは心に憤りを感じたのです。

 そこでパウロは、会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ、広場では毎日そこに居合わせた人たちと論じた。

 パウロはふたたび論じています。けれども、アテネでは、ユダヤ人と論じただけではなく、広場にはギリシヤ人哲学者がいます。パウロにとっては、ある意味で、初めての試みだったのでないかと思われます。聖書から論証するのではなく、相手の哲学の土俵に乗っかり、そこから福音を伝えたのです。

 エピクロス派とストア派の哲学者たちも幾人かいて、パウロと論じ合っていたが、その中のある者たちは、「このおしゃべりは、何を言うつもりなのか。」と言い、ほかの者たちは、「彼は外国の神々を伝えているらしい。」と言った。パウロがイエスと復活とを宣べ伝えたからである。

 パウロが論じていることは、意思伝達されていませんでした。ユダヤ人には意思伝達されて、それで多くの人がねたんだのです。でもここでは違いました。何を話しているのか、よく分からなかったのです。ここに、エピクロス派とストア派という哲学が出て来ていますが、エピクロス派は快楽主義者でした。快楽主義と言っても、必ずしも肉体の快楽のことを話しているのではなく、人間にとって悦びこそが生きている目的だと考えていた人たちです。最後に悦びが持続するものを求めていました。そして神々はいるかもしれないが、人間には関わりをもっていないと考えました。だから、今生きているときに、もっとも悦びを感じることをしよう、という考えです。その一方ストア派は、すべてのものに神がいると考えていました。だから、すべてはこの力によって動いており、私たちには関与できない、つまり運命論的でした。そこで、彼らは禁欲主義だったのです。

 そこで彼らは、パウロをアレオパゴスに連れて行ってこう言った。アレスパゴスとは、ギリシヤの立法・司法議会が集まる場所であります。「あなたの語っているその新しい教えがどんなものであるか、知らせていただけませんか。私たちにとっては珍しいことを聞かせてくださるので、それがいったいどんなものか、私たちは知りたいのです。」アテネ人も、そこに住む外国人もみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。

 彼らの生活は、奴隷によって賄われていたので、そこで、アテネの人々は時間を持て余していました。そのような生活に不足を覚えていない人々に福音を語ることは難しいことです。一見、そのような知的な人々のほうが、福音の奥義を理解してくれると思うかもしれませんが、まったく逆です。福音は、頭だけで理解することではなく、頭と心とそして生活そのもので受けとめるもの、全人格で受け入れるものだからです。

2C 知られない神 22−31
 けれども、パウロは試みてみました。ここでパウロは基本的に、偶像から創り主に立ちかえりなさい。さもないと、この神からあなたがたはさばかれますよ、と言うものでした。ユダヤ人にとっての神は、間違いなく創造主だったので、そのような説明は必要なかったのですが、彼らはまず、偶像ではない造り主がいることを認めさせなければならなかったのです。

 そこでパウロは、アレオパゴスの真中に立って言った。「アテネの人たち。あらゆる点から見て、私はあなたがたを宗教心にあつい方々だと見ております。

 パウロは、話し始めるときに、彼らのことをほめています。「宗教心にあつい方々」と言っています。「あなたたちは偶像を拝んでいるから、だめです!」と頭ごなしに否定するのではなく、彼らの立場を理解していることを表明しています。

 私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に。』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。


 彼らは、どのようなものでも神にしていましたが、自分たちが考えつかないもので神にしそこなっているものはないかを考えて、「知られない神に」という祭壇を築きました。パウロはここから福音を語ろうとしたのです。つまり、彼らが普段見かける、よく知っているものから語り始めました。イエスさまもそうでした。よくたとえを用いて、そこから霊的な真理を語りました。

 そして、これからパウロが、とても大切な神のご性質について話します。これは、ギリシヤと同じように多神教の国で生きている私たちにとっても、大切な理解になるので、注意して見ていきましょう。

 この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。


 ここでは、神の超越性について語られています。神がどこかに住んでいるのではなく、すべての被造物、宇宙でさえも超越したところにおられる、と言うことです。私たちが、このことが分かると、クリスチャンの二重生活を防ぐことができます。教会の中で信仰生活をして、そして、世の中においてはその責任を果たす、と考えてしまうのです。あたかも神は教会においてのみ住んでおられるかのように考えて、信仰が実際の生活の中で生きてこないのです。そのため礼拝に来て聖書を学ぶのですが、それ自体に満足してしまい、生活の中に生かされてこないのです。それは、多神教の人々が持っている、「神は被造物の中に存在する」という考えから来ています。そうではなく、世の中の、実際の、具体的な事柄の中において、信仰生活をします。

 また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。

 
神には、すべての源があり、神はお独りで存在することができます。ここから私たちは、自分たちで何かをしようとする間違いから免れることができます。私たちは、今、自分にできることを教会のために行ないたい、自分の能力を発揮したい、という思いがあります。けれども、神は、「あなたは、別に必要ないよ。」と言われます。神は、私たちがいなくても、他でだれかをお立てになることはできるし、私たちを必要をしていないのです。ではなぜ、神が私たちをお用いになりたいのか、私たちの宣教の働きをとおして、人々に福音をもたらしたいか、といいますと、神さまは私たちにご自分のわざを見てほしいからなのです。神がしてくださることを見ていくのが、私たちの役目です。だから、私たちは必要があれば、まず神に祈るし、神が働かれることを期待するのです。

 神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。

 このひとりの人とはアダムですね。あるいは、洪水のあとのノアかもしれません。世界にはいろいろな人種、民族、国がありますが、みな同じ人から出てきました。それは、私たちが日本人であることから解放してくれます。日本の古代神話には、神々が日本を造り、この民族、土地、天皇はみな神聖なもの、独特なものであり、その考えが日本人を支配しています。ですから、私たちが先祖の仏壇の前で祈らなかったりすると、「それでも日本人なのか」と言われます。けれども、私たちは日本人であるまえに、人間なのです。世界中のすべての人が同じ先祖を持ち、人間なのです。ですから、文化が異なっていても、言語が異なっていても、人はすべて同じ必要を持っています。神に愛され、罪が赦されたいと必要を持っているのです。

 これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。

 これも大事ですね。すべてのところに神がおられます。ダビデは言いました。「私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。(詩篇
139:7-8」この真理は、私たちが人の目を気にして生きる、世間体を気にして生きる生き方から解放してくれます。神がいつも、どこにいても、ともにいてくださるので、私たちは神を気にして生きることができ、神のことばのみに目を留めて、何か親切にするとしても、それはキリストのゆえに行なうのです。神が、自分が行くところのどこにでもおられるので、人を相手にした生き方から神を相手にした生き方に変わります。

 そしてパウロは結論を言います。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である。』と言ったとおりです。そのように私たちは神の子孫ですから、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。

 
私たちが神を造るのではなく、逆に神によって造られました、というのが結論です。

 そして悔い改めへと導きます。神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。

 
ひとりの人とはイエスさまのことです。あなたが悔い改めなければ、そのままではなく必ずさばきがあります、と言っています。それはイエスさまによって行なわれます。

 そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。


 イエスさまがよみがえられたことによって、この方は単に人間ではなく、神の御子であることが示されました。ですから、イエスさまは創造主であり、この方を信じなさい、と促しています。

2B 異なる反応 32−34
 死者の復活のことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは、「このことについては、またいつか聞くことにしよう。」と言った。

 面白いと思いませんか、今までパウロの説教を聞いて、信じるか、あるいはねたみにかられるかのどちらかでした。ここではあざ笑いが出て来ています。けれども、ほかの人々は「また聞きたい」と言いました。興味を示しましたが、信じていません。

 こうして、パウロは彼らの中から出て行った。しかし、彼につき従って信仰にはいった人たちもいた。それは、アレオパゴスの裁判官デオヌシオ、ダマリスという女、その他の人々であった。

 
何人かの人は信じました。私たちが福音を語るとき、このようにさまざなな反応が返ってきます。ある人は、最初っから拒否します。ある人は興味を示しますが、信じることはしません。そして、いくにんかは本当に信じるのです。

 こうしてアテネにおいてパウロは論じましたが、多くの実を結んだとは言えませんでした。なぜなら、他の地域では教会が建て上げられたのに、アテネで教会が建て上げられた記述はどこにもないからです。これはなぜでしょうか?まず考えられるのは、パウロがここで独りだった、ということです。いつもはテモテやシラスがいっしょにいましたが、彼らがいませんでした。イエスさまは、福音を語るときは二人で行きなさい、と言われましたが、福音宣教は複数名のチームによる活動なのです。ですから、私たちがここにいます。私たちは、お互いに必要とされている存在であり、神はこの複数名の信者を用いて、みわざを行なわれるのです。

 そして次に考えられるのは、先ほど言及させていただきましたが、パウロが、聖書から福音を論証しなかったことであります。神のことばをそのまま話していくところに力があるのですが、哲学にふけっているアテネでは、そのような伝道ができませんでした。私たちは伝道をするときに、自分で説得しようとしてはいけません。そうではなく、神のみことばを用いるのです。説得するのではなく、ただ伝えるのです。そして、ここで実が結ばれなかった理由のもっとも大きなものは、これも先ほど話しましたが、アテネの人々の心のかたくなさです。人がどのように福音を提示しても、聞く人々が聞く耳を持っていなかったら、聞けないのです。そして、彼らは頭の中だけで、人の話しを聞いていました。生活の切実さがなく、福音が生活に浸透する性質を持っているのに、頭の中の理論としてか受けとめませんでした。福音は人が理解するものではなく、人を救う力であること。知識ではなく力であること、このことを決して忘れてはなりません。そして、私たちが伝道する人々が、あのベレアの人々のように、熱心にみことばを聞く心が与えられるように、聖書を知ってみたいという心が与えられるように祈りましょう。




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