聖書全体が強調していること 2001/06/06

エペソ書4章の学びの一言です。

「さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。(1節)」

 パウロは、このエペソ人への手紙を、「父なる神が、キリストにおいて、天にあるあらゆる霊的祝福をもって祝福してくださった」という言葉から始めました。神が、キリストにあって、私たちにさまざまな祝福と富を与えてくださったことを、1章から3章までで学ぶことができます。

 そして4章は、「勧めます」という言葉で始めています。「勧め」とは、推薦するの「薦める」とは異なり、行動へ促すという意味です。そして、「歩む」という言葉を使っています。したがって、パウロはこれから、クリスチャンとして、どのようにして良い行ないをしていくのかについて語っていきます。
それが4章から6章の後半部分です。

 したがって、「神が私たちのためにしてくださった」ことがあり、それから「私たちが神のためにすべきこと」という順番になっています。これは聖書全体を通して貫かれている順番です。人間が何かを神のために行なって、神がそれに応答するのではなく、神が人間のためにいろいろ行なってくださり、それで人間が応答します。聖書の初めの言葉も、「初めに、神は、」となっており、神が主体者になっていることにお気づきください。これを英語では、Initiator(初めに創始する人、という意味)と言います。神がInitiatorであり人は応答者であります。

 このことを、クリスチャンの信仰生活と教会生活にも当てはめなければいけません。自分が朝に祈りとみことばの時を持っているから、神に祝福されると考えていないでしょうか?また、礼拝でたくさん賛美するときに、神がその場を祝福してくださるのでしょうか?いいえ、神がとてつもない霊的祝福で、私たちを祝福してくださっているから、私たちは自然と神に感謝と賛美をささげるのです。伝道をするから祝福されるのではなく、キリストの愛に満たされて、祝福されているから伝道するのです。初めに神ありきで、それで私たちは応答します。

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