黙示録18章 「商業バビロンの倒壊」



アウトライン


1A 極度の贅沢 1−8
   1B 倒壊後の姿 1−3
   2B さばかれる理由 4−8
2A 世の悲しみ 9−20
   1B 自己中心 9−14
   2B 過ぎ去る栄光 15−20
3A 天の喜び 21−24

本文

 黙示録18章をお開きください。ここでのメッセージ題は、「商業バビロンの倒壊」です。

1A 極度の贅沢 1−8
1B 倒壊後の姿 1−3
 この後、私は、もうひとりの御使いが、大きな権威を帯びて、天から下って来るのを見た。地はその栄光のために明るくなった。

 18章は、17章の続きになっています。「すべての淫婦と憎むべきものとの母、大バビロン(17:5)」についてです。七つの鉢を持つ七人の御使いの一人が、この女と彼女が乗っている獣についての秘儀をヨハネに教えました。それから女、大淫婦が獣と獣にはえている十本の角とによって滅ぼされることを教えました。「あなたが見た十本の角と、あの獣とは、その淫婦を憎み、彼女を荒廃させ、裸にし、その肉を食い、彼女を火で焼き尽くすようになります。」と17節にあります。これは、大患難の時、枯れたユーフラテス川を渡ってくる東からの王たちや、ダニエル11章に預言されている北からの軍隊などによってもたらされることを前回学びました。そして、バビロンが倒れることを預言したイザヤ書13−14章やエレミヤ書50−51章にも、遠い国々からの軍隊によって一瞬にして滅ぼされることが預言されています。ハルマゲドンの戦いにおいて、まず初めに行なわれるのが、バビロンの倒壊です。

 そして18章は、バビロンがどのように滅ぼされるのか、その写実的な描写になっています。今、17章にてヨハネに語った御使いではない、また別の御使いが、大きな権威を帯びて、天から下ってきています。彼がバビロンの倒壊を宣言します。

 彼は力強い声で叫んで言った。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、悪霊の住まい、あらゆる汚れた霊どもの巣くつ、あらゆる汚れた、憎むべき鳥どもの巣くつとなった。」

 ものすごい悲惨、というか絶望的な姿ですね。イザヤ書13−14章と、エレミヤ50−51章にはバビロンがこのようにことごとく滅ぼされることが預言されています。例えばこう書いてあります。「そこには荒野の獣が伏し、そこの家々にはみみずくが満ち、そこにはだちょうが住み、野やぎがそこにとびはねる。山犬は、そこのとりでで、ジャッカルは、豪華な宮殿で、ほえかわす。その時の来るのは近く、その日はもう延ばされない。(イザヤ13:21−22)」無人の町になり、獣が棲みつくとのことですが、ここの黙示録の預言によりますと、さらに悪霊の住まい、汚れた霊どもの巣窟、猛禽の巣窟になります。千年王国では悪魔が底知れぬところに鎖つながれますが、悪霊どもの中には、バビロンにて閉じ込められる者たちもいるようです。

 それは、すべての国々の民が、彼女の不品行に対する激しい御怒りのぶどう酒を飲み、地上の王たちは、彼女と不品行を行ない、地上の商人たちは、彼女の極度の好色によって富を得たからである。

 バビロンが倒れる理由がここに書かれていますが、その一つに大淫婦と地上の王たちの不品行であることが挙げられています。このことは17章で詳しく書かれていました。主イエス・キリストとの個人的関係ではなく、代わりの宗教であり、終わりの時の世界宗教であることを学びました。宗教が政治の中に取り組まれて、その国々に住んでいる人々も宗教の中に入っている、という状態です。これが怒りを招く理由の一つです。そしてもう一つの理由は、地上の商人たちが、彼女と極度の好色、あるいは贅沢によって富を得たからだ、とあります。この理由が18章で詳しく語られていることです。政治と宗教の癒着だけではなく、商業がこれに関わっています。

 ダニエル書には、将来起こることについてのヒントが書かれています。それは、ネブカデネザルの次に出てくるバビロンの王、ベルテシャツァルのことです。彼は千年の貴人たちのために大宴会を催し、そして、エルサレムから取ってきた器でぶどう酒を飲み、金、銀、青銅、鉄、木、石で出来た神々を賛美しました。ネブカデネザルは高慢になって獣のようにされて、へりくだり、天の神をあがめましたが、彼の孫ベルテシャツァルはそうではありませんでした。高慢になり、バビロンの富と栄光に酔いしれ、自分の国は永続すると思っていたのです。

 ところがご存知のように、壁に人の手の指が現れ、文字を書きました。ダニエルはこれを、バビロンが滅んで、メディヤとペルシヤに渡されると解釈しました。そして驚くことに、「その夜(ダニエル5:30)」メディヤとペルシヤによって、ベルテシャツァルは殺されバビロンは滅んだのです。バビロン防備の固い町であることを知るとこれは驚きです。町の中には備蓄がかなりあり、20年も続くほど十分にありました。ユーフラテス川がこの町の真ん中を流れていました。ですから、多くの水と多くの食料があり、巨大な壁と門などがあり、これらによって、彼らは長年にわたる包囲に持ちこたえることができました。したがって、メディヤとペルシヤの連合によって残りの領土がかなり征服されていたのですが、彼らはバビロンの町の中で随分安穏としていたのです。けれども、イザヤ45章1節に預言されていますが、ペルシヤのクロスが開いた門を閉じないようにさせる、とあります。門番が酔いつぶれて、門に鍵をかけなかったという歴史的事実があります。この巨大な帝国が、一瞬のうちにして倒れてしまったのです。

 そして昔のバビロンだけでなく、終わりの時にエパ升をもった女が二人、シヌアル(つまりバビロン)の地で神殿を建てるという預言がゼカリヤ書5章にあります。宗教や政治だけでなく、世界の富を集積させ人々を物質主義に酔わせる中心地が、バビロンに建てられるのです。そしてこのバビロンも同じように、一瞬にして倒れます。

2B さばかれる理由 4−8
 それから、私は、天からのもう一つの声がこう言うのを聞いた。「わが民よ。この女から離れなさい。その罪にあずからないため、また、その災害を受けないためです。」

 ここで呼びかけられている「わが民よ」というのは、ユダヤ人の残された民であると考えられます。イザヤとエレミヤの預言に、数多くバビロンに住んでいるイスラエル人に対して、「バビロンから離れよ」という呼びかけがなされているからです。(この後で、イスラエルの残された民が主に出会うことになり、イスラエルが回復される預言となっています。)

 けれども、似たような御言葉が私たちクリスチャンにも与えられています。第二コリント6章17節です。「それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。」クリスチャンはこの世の中に生きている者たちです。けれども、この世に属している者ではありません。したがって、この世の有様が過ぎ去るとき、すぐに離れることができるような身軽さを持っていることが大切です。

 なぜなら、彼女の罪は積み重なって天にまで届き、神は彼女の不正を覚えておられるからです。

 天にまで届く塔を建てようとした、あのバベルの塔や、罪の叫びが主にまで届いたソドムとゴモラと同じように、罪が積み重なって天にまで届いています。

 あなたがたは、彼女が支払ったものをそのまま彼女に返し、彼女の行ないに応じて二倍にして戻しなさい。彼女が混ぜ合わせた杯の中には、彼女のために二倍の量を混ぜ合わせなさい。

 必ず、人が行なった不正や不義を主がさばかれる時がやって来ます。今日の社会で起こっていることは、非常にいらだたしくなることばかりです。日本経済や世界経済が、一部の人間たちによって操作されていることはかなり大です。商業的利益のために国と国を交えての戦争が行なわれたりします。けれども、そのような巨大な機構は決して法の下でさばかれることなく、世界の政治や経済を動かしながらその中でふんぞり返っているのです。金の持つ力はそれだけ大きいです。「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからす。(1テモテ6:10)」とあるとおりです。

 けれども、この巨大マシンをつぶすことができるお方がいます。私たちの神です。この方は、二倍もの苦しみによって大淫婦をさばかれます。公平にさばかれます。

 彼女が自分を誇り、好色にふけったと同じだけの苦しみと悲しみとを、彼女に与えなさい。彼女は心の中で「私は女王の座に着いている者であり、やもめではないから、悲しみを知らない。」と言うからです。

 高慢と贅沢によって大淫婦は、自分は大丈夫である、女王の座についており悲しむことはないと思い込んでいます。富について同じような自信をもった例が、ラオデキヤにある教会にありました。イエスさまが言われました。「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。(3:17)」けれどもイエスさまは、「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。(マタイ5:3)」と言われました。

 それゆえ一日のうちに、さまざまの災害、すなわち死病、悲しみ、飢えが彼女を襲い、彼女は火で焼き尽くされます。彼女をさばく神である主は力の強い方だからです。

 これから「一日のうちに」とか「一瞬のうちに」滅びが襲うことが繰り返し述べられています。イエスさまが金持ちについてのたとえで、「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。(ルカ12:20)」と言われましたが、一瞬のうちにして消え去ります。そして、女の悲惨な姿が描かれていますが、ヤコブが手紙の中で次のように金持ちに警告しました。「聞きなさい。金持ちたち。あなたがたの上に迫って来る悲惨を思って泣き叫びなさい。あなたがたの富は腐っており、あなたがたの着物は虫に食われており、あなたがたの金銀にはさびが来て、そのさびが、あなたがたを責める証言となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くします。あなたがたは、終わりの日に財宝をたくわえました。(5:1−3)

2A 世の悲しみ 9−20
 そして次から、大バビロンが倒れたことによって、そのことを悲しみ、狼狽する人々の姿が出てきます。

1B 自己中心 9−14
 彼女と不品行を行ない、好色にふけった地上の王たちは、彼女が火で焼かれる煙を見ると、彼女のことで泣き、悲しみます。彼らは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、こう言います。「わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。力強い都、バビロンよ。あなたのさばきは、一瞬のうちに来た。」

 バビロンを倒しに来たのは、世界中からの王たちです。彼らは大淫婦としての、宗教的側面のバビロンを激しく憎みますが、それを倒した後の経済的損失については悲しむようです。宗教と金儲けをする人々との間がいつもそうですね、例えば神社仏閣を利用して商売をする人々、欧米では教会を利用して商売をする人々との関係がこのようなものです。

 ここで、「彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立ってい」るとありますが、まるで2001年9月11日の世界貿易センター倒壊の場面であるかのようです。けれどももちろん、世の終わりにはあのビル倒壊よりも何倍も、何十倍もの規模で破壊が起こるものと考えられます。

 また、地上の商人たちは彼女のことで泣き悲しみます。もはや彼らの商品を買う者がだれもいないからです。

 地上の王たちだけでなく、地上の商人たちがバビロン倒壊を悲しみます。その理由が、「彼らの商品を買う者がだれもないから」とあります。非常に自己中心的ですね。相手のことを思いやって、愛しているから悲しいのではなく、自分の商売に大きな損失ができから悲しんでいます。この巨大なバビロンは、人々が互いに愛し合うことによって繁栄が約束されている神の国とは異なり、人が人から奪い取っていくことによって成り立っている社会です。

 商品とは、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、香木、さまざまの象牙細工、高価な木や銅や鉄や大理石で造ったあらゆる種類の器具、また、肉桂、香料、香、香油、乳香、ぶどう酒、オリーブ油、麦粉、麦、牛、羊、それに馬、車、奴隷、また人のいのちです。

 ここに書かれているものはみな、生活必需品ではなく贅沢品です。生活に必要のないものでありながら、さらに欲しいと願わせ虜にさせるようなものです。まさに広告がこの役目を果たしていますね。私たちが必要だから買っているのは、それとも広告などに引き寄せられて買っているのか、よくよく吟味する必要があります。パウロは、「衣食があれば、それで満足すべきです。(1テモテ6:8)」と言いました。

 そしてここで恐ろしいのは、商品として売られていたもののなかに、「奴隷(注:直訳では肉体)」と「人のいのち」があることです。ポルノや風俗はこの類に属するでしょう。巨額の金が動いていると、インターネットでポルノ業界に携わっていた(今はクリスチャンとなった)人が伝えています。そして、中絶もお金が入るから、ということでお医者さんたちは人のいのちを取っています。

 また、あなたの心の望みである熟したくだものは、あなたから遠ざかってしまい、あらゆるはでな物、はなやかな物は消えうせて、もはや、決してそれらの物を見いだすことができません。

 「あなたの心の望み」とあるのは、「あなたのむさぼり」と訳すことができます。自分の欲望を満たしてくれた、はでな物、はなやかな物が消えうせます。

2B 過ぎ去る栄光 15−20
 これらの物を商って彼女から富を得ていた商人たちは、彼女の苦しみを恐れたために、遠く離れて立っていて、泣き悲しんで、言います。「わざわいが来た。わざわいが来た。麻布、紫布、緋布を着て、金、宝石、真珠を飾りにしていた大きな都よ。あれほどの富が、一瞬のうちに荒れすたれてしまった。」

 商人たちが王たちと同じようにして、富が荒れすたれてしまったことを嘆き悲しんでいます。

 また、すべての船長、すべての船客、水夫、海で働く者たちも、遠く離れて立っていて、彼女が焼かれる煙を見て、叫んで言いました。「このすばらしい都のような所がほかにあろうか。」

 経済的損失をこうむるのは商人だけではありません。運輸業に携わる人たちも同じです。

 それから、彼らは、頭にちりをかぶって、泣き悲しみ、叫んで言いました。「わざわいが来た。わざわいが来た。大きな都よ。海に舟を持つ者はみな、この都のおごりによって富を得ていたのに、それが一瞬のうちに荒れすたれるとは。」

 世界中の運輸業もまた、商人たちと同様に巨額の利益を得ていました。

 このように嘆きか悲しむ人々が出てきましたが、次は対照的に大きな歓声を上げている人々の姿があります。おお、天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都のことで喜びなさい。神は、あなたがたのために、この都にさばきを宣告されたからです。

 天にいる聖徒たち、使徒たち、預言者たちが、バビロンの倒壊を喜んでいます。彼らには、地上の富に対する執着がありませんでした。ですからバビロンが倒れても、失うものは何もありませんでした。むしろ天に希望を置いている者にとっては、この世は住みにくいところであり、自分に反対しています。この世の中に生きていて、地上で行なわれている不正や不敬虔な出来事を見て、その正しい心を痛め、悲しんでいました。けれども、その巨大なバビロンは今、倒壊したのです。それで喜び叫んでいます。

 私たちはどちら側にいるでしょうか?パウロは、「この世の富を用いる者は用いすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです。(1コリント7:31)」と言いました。今、突如として、テレビがなくなったとします。映画がなくなったとします。お台場や恵比寿ガーデンプレイスのデートコースもなくなったとします。海外旅行もなくなったとします。その時に、私たちは、「この世のものは過ぎ去るから。やった!天の御国の中にこれで入れるぞ!」と喜ぶでしょうか?それとも、地上の商人や船に乗っている人たちのように、未練や悲しみが残るでしょうか?この世の中にいるけれども、どっぷり浸からないというのは、こういうことです。今、一日のうちに自分が用いている富がなくなったとしても、それを逆に喜び、天の資産に期待することです。

3A 天の喜び 21−24
 また、ひとりの強い御使いが、大きい、ひき臼のような石を取り上げ、海に投げ入れて言った「大きな都バビロンは、このように激しく打ち倒されて、もはやなくなって消えうせてしまう。」

 また別の御使いが出てきました。ひき臼のような石を取り上げて海に投げ入れていますが、これはもう二度と、浮かんでくることはないというジェスチャーです。バビロンは永遠の廃墟となります。

 立て琴をひく者、歌を歌う者、笛を吹く者、ラッパを鳴らす者の声は、もうおまえのうちに聞かれなくなる。あらゆる技術を持った職人たちも、もうおまえのうちに見られなくなる。ひき臼の音も、もうおまえのうちに聞かれなくなる。ともしびの光は、もうおまえのうちに輝かなくなる。花婿、花嫁の声も、もうおまえのうちに聞かれなくなる。なぜなら、おまえの商人たちは地上の力ある者どもで、すべての国々の民がおまえの魔術にだまされていたからだ。

 音楽業がなくなり、工業や産業も一気になくなります。結婚式も見られなくなります。私たちが日常行なっている生活に、商業主義が深く浸透していることを表しています。そして、「魔術にだまされていた」とありますが、本当は必要ではないものを買わせ、そのとりこにさせるのは、まさに魔術であり、人を見事にだましているものです。

 また、預言者や聖徒たちの血、および地上で殺されたすべての人々の血が、この都の中に見いだされたからだ。

 彼らは偽りの宗教によって殺されましたが、その宗教は商業主義と密接に関わっていたものであることが分かりました。つまり、言い換えれば、まことの神と主イエス・キリストとの関係に入るには、富が根本的に妨げになるということです。もちろん金銭そのものは罪ではありません。けれども、しばしば富によってイエス・キリストのところに来るのが妨げられます。あの金持ちの青年がそうでした。また日本人がなかなかイエスさまを信じないのは、社会全体が、「何を食べようか、飲もうか、何を着ようか」という物質主義以上の価値観がないからです。ですから、日本でクリスチャンとして生きていくのは、ここで血を流している聖徒たちのように、犠牲があるのだということを知らないといけません。

 イエスさまは、「富と神とのどちらにも仕えることはできません」と言われました。自分が今、何を価値基準としているかを吟味してみましょう。


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