歴代誌第一1−9章 「歴史の再出発」


アウトライン

1A ダビデ系系図 1−3
   1B アダムからイスラエルまで 1
   2B イスラエルからダビデまで 2
   3B ダビデ以後 3
2A ユダ族系系図 4−8
   1B ユダ一般 4
   2B ヨルダン川東岸 5
   3B レビ 6
   4B イスラエル北部 7
   5B ベニヤミン 8
3A 捕囚帰還後系図 9

本文

 歴代誌第一を開いてください。今日は一気に1章から9章まで学んでみたいと思います。ここでのテーマは、「歴史の再出発」です。

 列王記の学びが終わり、そのまま歴史的にはエズラ記に進んでも時系列的には何ら問題はありません。けれどもその間に歴代誌があります。ここで語られている内容はその多くがすでに、サムエル記と列王記に書かれてあることです。ですから、単なる「繰り返しの書物」にしか過ぎないと思いがちです。しかも、今日学ぶ歴代誌第一の9章までは、「いったい何だこれは?」とびっくりさせる、膨大な系図です。いったいここから何を得ることができるのだろうか、と私たちは悩みます。けれども、これまで出てきた旧約聖書の系図に意味があったように、この系図にも大きな意義があります。それはメッセージ題にあるように「歴史の再出発」を始めるためなのです。

 歴代誌が記された時期を知るのが、この書物が書かれた主な目的を知るための大きな手がかりです。歴代誌第一の9章1節から3節までを読んでみたいと思います。「全イスラエルは系図に載せられた。それはイスラエルの王たちの書にまさしくしるされている。ユダは、不信の罪のために、バビロンに捕え移されていた。ところで、彼らの所有地である彼らの町々に最初に住みついたのは、イスラエル、祭司たち、レビ人および宮に仕えるしもべたちであった。エルサレムには、ユダ族、ベニヤミン族、エフライムおよびマナセ族の者が住みついた。」分かりますか、これが書かれたのはバビロン捕囚後70年経って、それからエルサレムに帰還して新たな定住が始まったころに書かれた物です。彼らはその時、自分たちの土地、神殿、その他の多くの財産、そして自分たちの歴史文書も戦火の中でなくなっていた時に新たな国民生活を始めなければいけないような状況にありました。ユダ族を中心にしたイスラエルは、これから謂わば再出発の歴史を開始しなければいけなかったのです。

 列王記第二の最後まで読むと、列王記のテーマは、主によって与えられた者が、主ご自身を捨てることによって失われてしまった、というものでした。「主が言われたとおりに」という言い回しが繰り返し出ていましたが、それは早くはモーセから、そして数々の預言者たちによって、イスラエルが神のさばきを受けて、引き抜かれるという預言があったからです。けれども、モーセもまた他の預言者らも、イスラエルがさばかれるだけではなく、神が一方的なあわれみによってそれを立て直す約束も預言しています。

 そこで歴代誌が書かれました。神のあわれみによって、このように自分たちの土地に戻ることができました。そしてこれからダビデの座が立て直され、神の国が到来するという約束に期待がかけられました。そこで、捕囚後に書記が、伝承ではエズラだと言われていますが、その時に残されていた文書をかき集めて、それを編纂して、世の初めから今までに至る神の歴史を再構築しようとしました。ですからこれまでの旧約聖書に書かれていた事実と同じことが取り扱われていますが、その視点が神の約束の実現を期待しながら書かれています。具体的には、ユダに与えられた獅子の約束、またダビデの座についての約束を頂点にした書き方がなされています。

 そして歴代誌でもう一つ特徴的なのは、神殿における礼拝にその多くの紙面が割かれているということです。列王記と違って、ソロモンが神殿を建てたのには実はダビデがそのほとんどの準備を行なってから死んでいったことが歴代誌を読むと分かります。そして神殿のおける祭司やレビ人の奉仕がたくさん書かれています。具体的に、歴代誌第一は1章から9章までは系図、そして10章から21章までにダビデの統治が、そして22章から29章までが神殿建設の準備になっています。神殿についてのことが8章分も費やされていることになります。

 ですから、歴代誌第二には北イスラエルの王の姿は出てきません。南ユダだけです。というのは、エルサレムにおける神殿礼拝ではない代替の偶像礼拝を北イスラエルが採用したからです。

 王であるダビデ自身が、祭儀そのものに非常に大きな関心を持っていました。そこにダビデの座から出てくる者で、祭司としても神に仕えるメシヤへの期待が投影されています。王でありながら、かつ神の大祭司であるメシヤが預言書によって予告されているのです。それを執り行うことができる方は、もちろんメルキゼデクの位にならうメシヤ、キリストただ一人です。メシヤ到来を期待してこれからの捕囚後の生活を始めていこうというのが、この書物が書かれた目的です。

 ですから、旧約聖書の中で捕囚後の歴史は、エズラ記から始まるのではなく実は歴代誌から始まると言えましょう。実際に、歴代誌はペルシヤ王クロスの布告によって、ユダヤ人がエルサレムに帰還することになる部分で終わります。列王記を読み終えて、暗い気分になってしまいましたが、今、同じ歴史を振り返って、今度は新しい希望を見るような、そのような気分になるでしょう。

1A ダビデ系系図 1−3
 それでは1章1節をご覧ください。

1B アダムからイスラエルまで 1
1:1 アダム、セツ、エノシュ、1:2 ケナン、マハラルエル、エレデ、1:3 エノク、メトシェラ、レメク、1:4 ノア、セム、ハム、それにヤペテ。

 系図は何と、初めの人であるアダムから始まっています。そしてこの後の箇所には、創世記10章に書かれている民族分布の系図とほぼ同じことが書かれています。ヤペテとハムの子孫がかかれた後に、17節からセムの子孫の系図があります。

1:17 セムの子孫は、エラム、アシュル、アルパクシャデ、ルデ、アラム、ウツ、フル、ゲテル、メシェク。

 セムからアブラハムに至るまでの同じ系図創世記11章にあります。そして28節にアブラハムにまで至って29節からは、その子イシュマエル、またサラではない他のそばめによって生まれた者の系図が書かれています。今、中心にダビデにまで至る系図が意識されているので、他の人たちの系図をまず始めに話しておいて、それから中心的な系図を書くようなスタイル、あるいは順番になっているのです。ちょっと、34節をご覧ください。

1:34 アブラハムはイサクを生んだ。イサクの子は、エサウ、イスラエル。

 ヤコブの名前はもうヤコブとは書かれていません。「イスラエル」です。ヤコブの肉の部分、そのありのままの部分はこれまで書かれていましたが、今は神が恵みとあわれみによって彼に与えられた約束が強調されています。イスラエルという名前に、神の一方的な選びの約束が含蓄されています。

 そして、35節から1章の最後までに、エサウの子孫について書いてあります。これは創世記36章にあるエサウの系図とほぼ同じです。そして2章に、

2B イスラエルからダビデまで 2
2:1 イスラエルの子は次のとおりである。

 とあります。イスラエルの系図です。けれどもイスラエル全体の系図は2節までで終わってしまいます。

2:1bルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン、2:2 ダン、ヨセフ、ベニヤミン、ナフタリ、ガド、アシェル。

 次からはユダの子の話に入っていきます。なぜだかは、もうお分かりですね?ユダ族とダビデに系図を集中させているからです。ダビデに対しては、主がダビデから出る世継ぎの子が神殿を建てて、永遠の御国を相続すると約束されましたし、ユダにはかつて、父イスラエルから次のような預言が与えられました。「ユダよ。兄弟たちはあなたをたたえ、あなたの手は敵のうなじの上にあり、あなたの父の子らはあなたを伏し拝む。ユダは獅子の子。わが子よ。あなたは獲物によって成長する。雄獅子のように、また雌獅子のように、彼はうずくまり、身を伏せる。だれがこれを起こすことができようか。王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。(創世記49:8-10」ユダは獅子のように強く、そして王権が湯だから離れないで、シロが来て、世界中の人々がこの方に従います。つまりユダからキリストが出て世界中の人が従います。この約束があるゆえに、ユダの系図を詳しく書きます。

2:3 ユダの子は、エル、オナン、シェラ。この三人は、カナンの女シュアの娘から彼に生まれた。しかし、ユダの長子エルは主の目の前に悪を行なったため、主が彼を殺された。2:4 彼の嫁タマルは彼にペレツとゼラフとを産んだ。ユダの子は全部で五人。2:5 ペレツの子は、ヘツロン、ハムル。2:6 ゼラフの子は、ジムリ、エタン、ヘマン、カルコル、ダラで、全部で五人。2:7 カルミの子は、聖絶のもののことで罪を犯し、イスラエルにわざわいをもたらす者となったアカル。2:8 エタンの子は、アザルヤ。

 ユダからタマルによって、ペレツとゼラフが出てきました。そして歴代誌の著者は、ヨシュア記に出てくるあのアカンが、ユダ族であったことを記しています。

 9節からはペレツの子であるヘツロンの系図です。ここを読み進めると、15節にダビデが出てきます。つまりペレツからヘツロン、そして何代か経てダビデが生まれます。そして、

2:16 彼らの姉妹はツェルヤとアビガイルであり、ツェルヤの子は、アブシャイ、ヨアブ、アサエルの三人であった。

 とあります。アブシャイ、ヨアブ、アサエルはダビデの家臣でしたが、彼の甥になります。といってもダビデは末っ子ですから、年齢的にはさほど年の差がなかったのかもしれません。

 そして18節から、「ヘツロン」の系図があります。ダビデはヘツロンの子の一人ラムから出てきたものですが、ダビデとは違う系統の子孫を書き記しています。そして飛んで、42節からヘツロンの子「カレブ」の系図があります。ここに、ダビデは初めに統治したヘブロンの町と、ダビデが生まれたベツレヘムの町の由来になっている、「ヘブロン」と「ベツレヘム」の名が出てきます。ベツレヘムについて見てみますと、50節、51節に、

2:51カレブの子孫は次のとおりである。エフラテによる長子フルの子はキルヤテ・エアリムの父ショバル、2:52ベツレヘムの父サルマ、ベテ・ガデルの父ハレフ。

とあります。エフラテという言葉が出てきました。エフラテとベツレヘムが連名で、ミカという預言者がメシヤの誕生をこのように預言しています。「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。(ミカ書5:2」この氏族は小さかったようですが、この小さいところからメシヤが現われる預言があり、すでにこの預言書を入手していただあろう歴代誌の編集者はこの預言の成就も心に秘めて、ここの系図を書いたかもしれません。

3B ダビデ以後 3
 そして3章に入りますが、ここがダビデの家族とその後のユダの王たちの系図になっています。9節までがダビデの系図、10節以降がソロモンの後に続く子孫の系図です。

 そして16節にエホヤキムの子孫エコヌヤがバビロンに捕え移されたことが書かれています。この後は捕囚になったエコヌヤの子たちの系図であり、その当時いた帰還の民にいたる人々が記されています。つまり、ダビデ直系の末裔は存続している、神の世継ぎの子についての約束はバビロン捕囚によって決して反故にされていないことを表わしています。

2A ユダ族系系図 4−8
 そして4章から、イスラエル12部族全体の系図が書かれています。これまではダビデに集中していましたがここからは全体的な系図です。

1B ユダ一般 4
 けれどもイスラエルから生まれた順ではなく、やはり初めにユダの子孫が書かれています。ユダを中心にして歴代誌が書かれていることの、もう一つの根拠です。そして9節に、ユダの子孫の一人として、あの有名なヤベツの話が出てきます。

4:9 ヤベツは彼の兄弟たちよりも重んじられた。彼の母は、「私が悲しみのうちにこの子を産んだから。」と言って、彼にヤベツという名をつけた。4:10 ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあり、わざわいから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」そこで神は彼の願ったことをかなえられた。

 ヤベツの名は、実はすでに2章55節のところに出てきていました。「ヤベツに住んでいた書記の諸氏族は、ティルア人、シムア人、スカ人。彼らはレカブ家の父祖ハマテから出たケニ人である。」書記たちが住んでいた町がヤベツという名でしたが、それはヤベツがここでイスラエルの神に向かって、地境を広げて、御手がともにあって、苦しむことのないようにしてください、とお願いした、その祈りの結果でした。

 ヤベツは「悲しみの子」というような意味なのですが、彼はその名に反して祝福を祈りました。それもそのはず、ユダには祝福が約束されているのです。神が祝福を願っておられるのに、なぜ悲しみや苦しみを不必要に受ける必要があるだろうか?そこで彼は祈りました。これは自分の欲が満たされるための繁栄を祈ったのではなく、主が望まれているように祝福していくださいという、神中心の祈りです。

 キリスト者はすでに天にある、すべての霊的祝福で祝福された存在です。パウロがエペソ書の冒頭でそのように言いました。そして彼は、知恵と啓示の御霊によって、その祝福がいかにすぐれたものであるのかをエペソの信者たちが悟ることができるように、と祈っています。ですから、私たちもヤベツの祈りが必要です。霊的祝福がいかにすぐれたものかを知って、神の全能の力が信じる者に働くのだということを信じて祈ります。自分が思っているはるかにすぐれたことを、主は行なわれたいと願っておられます。それが自分の家族の救いかもしれません。知人・友人の救い。また、日本の救いかもしれません。自分の周りで、ご聖霊が自分を満たしてくださって、神のみわざを見ることができるように、大胆に祈ることができます。

 そして11節以降にも系図が続きますが、そこにあのカレブとオテニエルが出てきます。オテニエルはカレブの甥でしたね。

 24節からは、シメオンの系図です。ユダの次にシメオンが出てくるのは、シメオンはユダの中に住むようにされたため、居候状態でもあり、また定住ではない移動する生活を送っていました。39節以降に、牧場をみつけてそこに住み始めたり、ヒゼキヤの時代に先住民を聖絶してそこに住んだという話が出てきます。

2B ヨルダン川東岸 5
 そして5章に入ります。ヨルダン川東岸に住むイスラエル三部族、いやマナセは半部族だけなので、二部族半について書いてあります。

5:1 イスラエルの長子ルベンの子孫・・彼は長子であったが、父の寝床を汚したことにより、その長子の権利はイスラエルの子ヨセフの子に与えられた。系図の記載は長子の権利に従って行なうものではない。5:2 ユダは彼の兄弟たちにまさる者となり、君たる者も彼から出るのであるが、長子の権利はヨセフに帰したからである。・・

 ルベン族ですがここに書かれてあるとおり、長子の権利は奪われました。イスラエルのそばめのところに入ったからです。これはつまりは、「俺があなたの財産を受け継ぐ」というような、乗っ取るような意味も含まれていました。それゆえ長子の権利は剥奪されたのですが、ヨセフが二倍の分け前を受けました。自分の子エフライムとマナセがそれぞれイスラエルの直接の養子となり、全イスラエルの中で主要な部族の二つになります。

 けれども、歴代誌の著者は大事なことを書くことを忘れていません。「ユダが兄弟たちにまさる者となり、君たる者も彼から出る」とあります。君たる者つまり君主ダビデであり、かつダビデの子キリストです。

 そして11節からガド族の子孫が書かれていて23節からマナセ半部族のことが書かれています。その間に18節から22節において、この二部族半が共に戦って勝利していることが書かれています。

5:18 ルベン族、ガド人、マナセの半部族で、盾と剣を取り、弓を引き、戦いの訓練を受けた勇者たちのうち、従軍する者は、四万四千七百六十人であった。5:19 ここに、彼らはハガル人およびエトル、ナフィシュ、ノダブと戦いを交えたが、5:20 助けを得てこれらに当たった。それで、ハガル人およびこれとともにいた者はみな彼らの手に渡された。それは、彼らがその戦いのときに、神に呼ばわったからである。彼らが神に拠り頼んだので、神は彼らの願いを聞き入れられた。5:21 彼らはこの人々の家畜を奪い去った。らくだ五万、羊二十五万、ろば二千、人十万。5:22 この戦いは神から出ていたため、多くの者が刺し殺されて倒れたからである。彼らはこの人々に代わって、捕囚の時まで、そこに住んだ。

 神が助けてくださってかつことができた、彼らが神に拠り頼んだので勝つことができた、と書かれています。主への信頼が私たちに勝利をもたらします。

3B レビ 6
 そして6章ですが、6章全体がレビ族の系図になっています。レビ族がなぜこうも大事に記されているかと言いますと、先に話したように神殿における礼拝奉仕を執り行うからです。レビの子からアロンまで辿り、アロンの直系の祭司となる系図を記しています。そして16節からアロン直系以外のゲルショム、ケハテ、メラリ氏族の系図があります。28節を見ますと、あのサムエルはケハテ族の子だったようです。

 31節には、歌をうたう奉仕にあずかった人たちの名前が書かれていますが、39節にあるアサフは詩篇にも出てくる有名な人ですね。礼拝において歌をうたうこと、賛美をすることが非常に大切な部分になります。

 そして50節から53節にアロンからツァドクが出てきたことが書かれています。ツァドクはダビデの時の祭司でしたから、彼がたしかにアロンの子孫であることを示しました。

 そして54節以降に、レビ人に宛がわれた町と、放牧地が列挙されています。彼らには相続地はありませんでしたが、住むところだけは与えられました。

4B イスラエル北部 7
 7章には、イスラエルの北部にある部族の系図があります。1節からはイッサカル族、6節からはベニヤミン、13節がナフタリ、14節がマナセです。20節からエフライムについて書いてありますが、27節にヨシュアの名前が出てきます。彼はエフライムの人でした。30節からアシェルです。

 その他の部族ダン、ゼブルンがどこにもないのですが、それはもしかしたらバビロン捕囚後、与えられる土地が明記されないほど極少数しかいなくなっていた、という可能性があります。裏を返すと、北イスラエルの部族はかなりの割合で残っていたことが分かります。北イスラエルはアッシリヤに捕え移されたのですが、それでも残っていた民がいて彼らが南ユダのほうに移り住んでいた可能性があります。そしてともにバビロンに捕え移され、そしてユダとともに帰還してきました。いわゆる「失われた10部族」という説はあり得ません。

5B ベニヤミン 8
 8章はすべてベニヤミン族についてです。もうすでに言及されているのに、ここ一章分すべてに書かれています。理由は最後のほうを見れば分かります。33節でサウルの名前が出てきます。そしてサウルの子たちの名前もありますが、サウル家の部族を描きたかったからです。サウルからダビデに王位が移ったのですから、必要な系図です。

3A 捕囚帰還後系図 9
 そして9章に入ります。先ほど読んだところをもう一度読みます。

9:1 全イスラエルは系図に載せられた。それはイスラエルの王たちの書にまさしくしるされている。ユダは、不信の罪のために、バビロンに捕え移されていた。9:2 ところで、彼らの所有地である彼らの町々に最初に住みついたのは、イスラエル、祭司たち、レビ人および宮に仕えるしもべたちであった。9:3 エルサレムには、ユダ族、ベニヤミン族、エフライムおよびマナセ族の者が住みついた。

 イスラエルの系図が載せられたのは、捕囚から帰って来た民が自分たちが続けてイスラエルの相続を継承することを確かめるためでした。再出発です。ここからは現在いる人々の名前が記されています。

 4節から9節までに部族ごとのかしらの名前が書かれていて、10節からは祭司のかしらが書かれています。そしてレビ人のかしらです。17節からは、門衛の仕事がレビ人によって行なわれたことが書かれています。神殿を守るその門衛らは、レビの子孫でなければいけないことが強調されています。エズラ記、ネヘミヤ記に外部の敵がいることが書かれていましたが、そのような危険から守るためです。

 28節からは神殿における器具の管理が、33節からは歌うたいの奉仕が書かれています。最後に再びベニヤミンの系図があるのですが、それは10章からサウルの話が始まるからです。

 こうして系図をざっと概観しました。何度も強調しましたが、祭司でありかつ書記である人たちは、今、神殿を中心にした、ダビデから出てくる子を期待するユダヤ共同体を形成しようとしています。それには、初めのところから働かれている神の姿を見る必要がありました。神は時の初めのときから、彼らの為にさまざまな用意をしてくださっていました。そこで歴史の再構築を行ないました。

 実は個人の生活の中で、このような初めからの、先行的な神の働きについて述べた人がいます。パウロです。ガラテヤ書1章でこう述べています。「以前ユダヤ教徒であったころの私の行動は、あなたがたがすでに聞いているところです。私は激しく神の教会を迫害し、これを滅ぼそうとしました。また私は、自分と同族で同年輩の多くの者たちに比べ、はるかにユダヤ教に進んでおり、先祖からの伝承に人一倍熱心でした。けれども、生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方が、異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき、・・・(1:13-16」彼は激しい教会の迫害者であり、神は彼をあわれんでその罪を見逃し、彼を異邦人に福音を伝える器としてくださいました。今や異邦人への使徒とされたパウロは、自分の人生を振り替えて実は母の胎にいるときから、神は自分を選び分けておられたことを悟ったのです。

 彼はタルソで生まれ、そこはギリシヤ色の濃い町でした。けれども両親はユダヤ人で、彼はユダヤ教において第一人者となりました。ですから、ヘブル語で書かれている聖書に精通し、かつギリシヤ文化も知っているので、異邦人に効果的に福音を伝える準備が、生まれた時から行なわれていたのです。こういった準備を神は私たちのためにしてくださっています。

 私たちもユダヤ人のように、自分の歴史の再構築が必要なのではないでしょうか?自分がいきてきたことば無駄ではなく、むしろ神の栄光のために初めから用意しておられるものがあります。私たちが将来だけでなく過去においても、神の足跡を見ることができるように、それによって神のすばらしい将来の計画をますます知ることができるようにさせていただきましょう。

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