列王記第一11−12章 「王国分裂」


アウトライン


1A 女への愛 (ソロモン) 11
   1B 主の命令の背反 1−13
   2B 反抗者の台頭 14−25
   3B 次期のイスラエル王 26−43
2A 新宗教 (ヤロブアム) 12
   1B レハブアムの未熟さ 1−24
   2B 打算的思惑 25−33

本文

 列王記第一11章を開いてください。今日は11章と12章を学びます。ここでのテーマは、「王国分裂」です。さっそく本文を読みましょう。

1A 女への愛 (ソロモン) 11
1B 主の命令の背反 1−13
11:1 ソロモン王は、パロの娘のほかに多くの外国の女、すなわちモアブ人の女、アモン人の女、エドム人の女、シドン人の女、ヘテ人の女を愛した。11:2 この女たちは、主がかつてイスラエル人に、「あなたがたは彼らの中にはいって行ってはならない。彼らをもあなたがたの中に入れてはならない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる。」と言われたその国々の者であった。それなのに、ソロモンは彼女たちを愛して、離れなかった。

 前回私たちは、シェバの女王がソロモンのところに表敬訪問をして、ソロモン王の知恵と富に圧倒されて帰ったところを読みました。そして、その栄華がいかにすぐれたものか、例えばすべてが金によって造られ、銀が石のように使われていることなどを学びました。貿易を盛んに行ないましたが、その一つに、エジプトからの馬と戦車の輸入がありました。10章の最後に、「エジプトから買い上げられ、輸入された戦車は銀六百、馬は銀百五十であった。」とあります。けれども、これは申命記17章に書かれている、主の命令に反することでした。「王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。馬をふやすためだといって民をエジプトに帰らせてはならない。『二度とこの道を帰ってはならない。』と主はあなたがたに言われた。(16節)」とあります。イスラエルがイスラエルとして存在するのは、エジプトの奴隷状態から脱出したからです。だからそこから馬を買って、エジプトに戻らすようなことをしてはならない、と主はモーセを通して予め戒めておられました。

 ところが、ソロモンは馬だけではなく、外国人の妻についても、主の命令に背きました。今引用した申命記の箇所の続きに、こう書いてあります。「多くの妻を持ってはならない。心をそらせてはならない。自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない。(17節)」けれども、彼は周囲の諸国の女、また聖絶されるべき先住民であったヘテ人の女とも結婚し、彼女たちを愛しました。使徒ヨハネは、「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。(1ヨハネ2:15」と言いました。けれどもソロモンは、世を、女への愛を選んだのです。

11:3 彼には七百人の王妃としての妻と、三百人のそばめがあった。その妻たちが彼の心を転じた。

 当時、政略結婚は普通に行なわれていたので、ソロモンがこれだけの妻とそばめを有していたのは国の強さを示しており、人間の目では悪いことではなかったでしょう。けれども、使徒パウロは、「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。(2コリント6:14」と言いました。私たちが妥協するとき、その妥協で終わることなく、主ご自身を否むようになってしまうのです。

11:4 ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。

 ソロモンの老年は、その心が二つに分かれていました。一方で主を礼拝しますが、他方で外国の妻たちが拝んでいる神々を拝んでいたのです。ソロモンが書いた著作で、聖書にあるのは、主に三つありますが、箴言と雅歌と伝道者の書です。箴言はおそらく、彼の治世の比較的初期に書かれたものでしょう。主を恐れ、悪から離れることが知恵であることが書かれており、女から離れることのその知恵の中にあります。けれども雅歌は、自分の妻たちとのロマンスが描かれています。それ自体は良いことでしょう。けれども、主が与えられたこれら賜物を、主ご自身よりも愛していくことにより、彼の優先順位が変わりました。彼の晩年は、伝道者の書に記されています。「空の空」という言葉から始まり、学問をきわめても、快楽を愛しても、結局すべてが空しい、と述懐しています。

11:5 ソロモンはシドン人の神アシュタロテと、アモン人のあの忌むべきミルコムに従った。

 アシュタロテは、性欲の女神です。主に、イスラエルの北にいるシドン人が拝む神です。そしてアモン人、死海の東では、ミルコムが拝まれていました。これは別名モレクで、乳児をいけにえとして火の中にささげなければいけない神です。これにもソロモンが従いました。

11:6 こうしてソロモンは、主の目の前に悪を行ない、父ダビデのようには、主に従い通さなかった。

 ソロモンの問題は、主に従わなかったのではなく、従い通さなかったことでした。昔、自分がどうだったかが問われるのではなく、最後まで初めの確信を保つことです。ヘブル書3章に、「もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となるのです。(14節)」とあります。

11:7 当時、ソロモンは、モアブの、忌むべきケモシュと、アモン人の、忌むべきモレクのために、エルサレムの東にある山の上に高き所を築いた。11:8 彼は外国人の自分のすべての妻のためにも、同じようなことをしたので、彼女たちは自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた。

 エルサレムの東にある山とは、オリーブ山のことでしょう。神殿を仰ぎ見ることができるその場所で、数々の偶像が備えられ、そこで淫乱が行為や、子を火に通す残虐行為が行なわれていたことになります。

11:9 主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。主は二度も彼に現われ、11:10 このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである。

 主は、すぐに怒られる方ではありません。ソロモンに二度、現われてくださっています。私たちは、主からの警告を、主からのあわれみだと思って、恐れおののきつつ聞き入る必要があります。

11:11 それゆえ、主はソロモンに仰せられた。「あなたがこのようにふるまい、わたしが命じたわたしの契約とおきてとを守らなかったので、わたしは王国をあなたから必ず引き裂いて、あなたの家来に与える。11:12 しかし、あなたの父ダビデに免じて、あなたの存命中は、そうしないが、あなたの子の手からそれを引き裂こう。11:13 ただし、王国全部を引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、一つの部族だけをあなたの子に与えよう。」

 こうして、主によって王国分裂が引き起こされることになります。ソロモンの家来が、その王国を引き裂きます。けれども、王国分裂自体が、実は主のあわれみの表れでもあります。なぜなら、本当ならサウロのように、ソロモンから王位を剥奪しても構わなかったのです。けれども、ダビデと主が選ばれたエルサレムの町のゆえに、それを行なわず、一つの部族をソロモンの子に与えることにされました。ところで、ここでの「一つの部族」はユダ族です。けれども実際はベニヤミン族もソロモンの子レハブアムに与えられます。おそらくベニヤミンは人数が少ないので、ユダ族の一部として数えられたのでしょう。

2B 反抗者の台頭 14−25
11:14 こうして、主は、ソロモンに敵対する者としてエドム人のハダデを起こされた。彼はエドムの王の子孫であった。

 平和に特徴付けられていたソロモンの国は、ソロモンが主に背いていたために、敵の脅威にさらされました。これは、いつでも起こることです。国においても、人においても、主に背いているときに敵の攻撃に自らを晒すことになります。ハダデというエドム人が王に背きましたが、エドムは死海の南東に位置する国です。

11:15 ダビデがかつてエドムにいたころ、将軍ヨアブが戦士者を葬りに上って来て、エドムの男子をみな打ち殺したことがあった。11:16 ・・ヨアブは全イスラエルとともに六か月の間、そこにとどまり、エドムの男子をみな断ち滅ぼした。・・11:17 しかしそのとき、ハダデは、彼の父のしもべの数人のエドム人と逃げ去ってエジプトへ行った。当時、ハダデは少年であった。

 第二サムエル8章に、ダビデが塩の谷でエドム人1万8千人を打ち殺したことが書かれています(13節)。そのとき、ハダデはエジプトに逃れました。

11:18 彼らはミデヤンを出立し、パランに行き、パランから幾人かの従者を従えてエジプトへ行き、エジプトの王パロのところに行った。するとパロは彼に家を与え、食料をあてがい、さらに、土地をも与えた。11:19 ハダデはパロにことのほか愛された。パロは自分の妻の妹、すなわち王妃タフペネスの妹を彼に妻として与えた。11:20 タフペネスの妹は彼に男の子ゲヌバテを産んだ。タフペネスはその子をパロの宮殿で育てた。ゲヌバテはパロの宮殿でパロの子どもたちといっしょにいた。11:21 さてハダデは、ダビデが彼の先祖たちとともに眠ったこと、また、将軍ヨアブも死んだことを、エジプトで聞いた。ハダデがパロに、「私を国へ帰らせてください。」と言うと、11:22 パロは彼に言った。「あなたは、私に何か不満があるのか。自分の国へ帰ることを求めるとは。」すると、答えた。「違います。ただ、とにかく、私を帰らせてください。」

 エジプトのパロによって、何不自由のない生活をしていたハダデが、ソロモンに敵対するために故郷に戻る決断をします。ここで興味深いのは、ソロモンはエドム人もエジプト人も妻として持っていましたが、同じエドム人とエジプト人が、イスラエルの国を脅かす要因となったのです。この世を愛することによって、この世から憎まれないようになる、というのは嘘です。その正反対です。「もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。(マタイ5:13」ということが起こります。

11:23 神はまた、ソロモンに敵対する者として、エリヤダの子レゾンを起こされた。彼は、自分の主人、ツォバの王ハダデエゼルのもとから逃亡した者であった。11:24 ダビデがハダデエゼルの兵士たちを殺害して後、彼は、人々を自分のところに集め、略奪隊の隊長となった。彼らはダマスコに行って、そこに住みつき、ダマスコを支配した。11:25 彼は、ソロモンの生きている間、ハダデの悪を行なって、イスラエルに敵対し、イスラエルを憎んだ。こうして彼は、アラムを支配していた。

 ハダデの他に、レゾンという男がソロモンに敵対し始めました。彼の主人ハダデエゼルも、かつてダビデによって殺されています。そしてレゾンは、略奪隊の隊長、すなわち今風に言うならテロリスト集団の長になりました。そしてアラム、つまりシリアを支配していました。ちなみに、今日もシリアはテロリストを養成し、イスラエルに敵対しています。

3B 次期のイスラエル王 26−43
 こうして周囲の国が敵対しましたが、決定的なのは自分自身の家来がソロモンに反逆したことです。彼の名はヤロブアムです。

11:26 ツェレダの出のエフライム人ネバテの子ヤロブアムはソロモンの家来であった。彼の母の名はツェルアといい、やもめであった。ところが彼も王に反逆した。

 ヤロブアムは、エフライム人でした。北イスラエル部族の中で、もっとも影響力のある部族です。

11:27 彼が王に反逆するようになった事情はこうである。ソロモンはミロを建て、彼の父ダビデの町の破れ口をふさいでいた。11:28 ヤロブアムは手腕家であった。ソロモンはこの若者の働きぶりを見て、ヨセフの家のすべての役務を管理させた。

 ソロモンの神殿やエルサレムの町の建設工事で、ヤロブアムはソロモンに買われたようです。ヨセフの家、つまりエフライムとマナセのすべての役務を任されました。

11:29 そのころ、ヤロブアムがエルサレムから出て来ると、シロ人で預言者であるアヒヤが道で彼に会った。アヒヤは新しい外套を着ていた。そして彼らふたりだけが野原にいた。11:30 アヒヤは着ていた新しい外套をつかみ、それを十二切れに引き裂き、11:31 ヤロブアムに言った。

 預言者アヒヤが、ヤロブアムにソロモンが主に語られたことと同じことを語ります。

「十切れを取りなさい。イスラエルの神、主は、こう仰せられます。『見よ。わたしはソロモンの手から王国を引き裂き、十部族をあなたに与える。11:32 しかし、彼には一つの部族だけが残る。それは、わたしのしもべダビデと、わたしがイスラエルの全部族の中から選んだ町、エルサレムに免じてのことである。11:33 というのは、彼がわたしを捨て、シドン人の神アシュタロテや、モアブの神ケモシュや、アモン人の神ミルコムを拝み、彼の父ダビデのようには、彼は、わたしの見る目にかなうことを行なわず、わたしのおきてと定めを守らず、わたしの道を歩まなかったからである。11:34 しかし、わたしは、彼の手から、王国全部は取り上げない。わたしが選び、わたしの命令とおきてとを守ったわたしのしもべダビデに免じて、ソロモンが生きている間は、彼を君主としておこう。11:35 しかし、わたしは彼の子の手から王位を取り上げ、十部族をあなたに与える。11:36 彼の子には一つの部族を与える。それはわたしの名を置くために選んだ町、エルサレムで、わたしのしもべダビデがわたしの前にいつも一つのともしびを保つためである。

 そして次から、ヤロブアム自身に対する神の約束が書かれています。

11:37 わたしがあなたを召したなら、あなたは自分の望むとおりに王となり、イスラエルを治める王とならなければならない。11:38 もし、わたしが命じるすべてのことにあなたが聞き従い、わたしの道に歩み、わたしのしもべダビデが行なったように、わたしのおきてと命令とを守って、わたしの見る目にかなうことを行なうなら、わたしはあなたとともにおり、わたしがダビデのために建てたように、長く続く家をあなたのために建て、イスラエルをあなたに与えよう。

 なんと主は、ダビデの家に約束された同じ約束を、ヤロブアムにも与えられています。ヤロブアムの家は長いこと建てられる、と約束されています。けれども、条件も同じです。主が命じることを守り、主の目にかなうことを行なうなら、であります。

11:39 このために、わたしはダビデの子孫を苦しめる。しかし、それを永久に続けはしない。

 主の懲らしめは一時的なものです。ソロモンが背き、それゆえダビデの子孫ユダは苦しみますが、永久に続きません。事実、ダビデの子孫から、メシヤ、キリストがお生まれになりました。

11:40 ソロモンはヤロブアムを殺そうとしたが、ヤロブアムは立ち去り、エジプトにのがれ、エジプトの王シシャクのもとに行き、ソロモンが死ぬまでエジプトにいた。

 他の敵対していた者と同じように、ヤロブアムもエジプトに逃れました。

11:41 ソロモンのその他の業績、彼の行なったすべての事、および彼の知恵、それはソロモンの業績の書にしるされているではないか。

 この書物は現在残されていません。残されている王の記録は、この列王記と歴代誌のみです。

11:42 ソロモンがエルサレムで全イスラエルの王であった期間は四十年であった。11:43 ソロモンは彼の先祖たちとともに眠り、彼の父ダビデの町に葬られた。彼の子レハブアムが代わって王となった。

2A 新宗教 (ヤロブアム) 12
 そして次から、レハブアムの治世になります。

1B レハブアムの未熟さ 1−24
12:1 レハブアムはシェケムへ行った。全イスラエルが彼を王とするため、シェケムに来ていたからである。

 レハブアムがシェケムに行ったのは、賢いです。ここは北イスラエルにおいて、霊的な要所です。族長アブラハムに主が現われたところであり、ヤコブがここにとどまり、ヨセフがここで葬られ、ヨシュアの時代にはここで、律法の書が読まれました。全イスラエルを統一しつづける意味を持って、シェケムで王位式を執り行っています。

12:2 ネバテの子ヤロブアムが、そのことを聞いたころは、ヤロブアムはソロモン王の顔を避けてのがれ、まだエジプトにおり、エジプトに住んでいた。12:3 人々は使いをやって、彼を呼び寄せた。それで、ヤロブアムはイスラエルの全集団とともにやって来て、レハブアムに言った。

 レハブアムの意図とは裏腹に、北イスラエルはエジプトにいるヤロブアムを連れて来て、そして自分たちの要求を飲んでくれるように、レハブアムに圧力をかけます。

12:4 「あなたの父上は、私たちのくびきをかたくしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきとを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。」12:5 すると、彼はこの人々に、「行って、もう三日したら私のところに戻って来なさい。」と言った。そこで、民は出て行った。

 彼らの不満は重税でした。ソロモンがエルサレムをはじめとし、イスラエルの各所で町を作っていましたが、そのために徴用が課せられていました。これを軽くしてください、というお願いです。

12:6 レハブアム王は、父ソロモンが生きている間ソロモンに仕えていた長老たちに相談して、「この民にどう答えたらよいと思うか。」と言った。12:7 彼らは王に答えて言った。「きょう、あなたが、この民のしもべとなって彼らに仕え、彼らに答え、彼らに親切なことばをかけてやってくださるなら、彼らはいつまでもあなたのしもべとなるでしょう。」

 レハブハムはまだ若いです。ソロモンの時の長老は、おそらく父ソロモンと同じような歳でしょう。彼らはソロモンが民を酷使しつづけていたことを知っていました。だから、彼らの要求を飲んだほうがよいと助言しました。

12:8 しかし、彼はこの長老たちの与えた助言を退け、彼とともに育ち、彼に仕えている若者たちに相談して、12:9 彼らに言った。「この民に何と返答したらよいと思うか。彼らは私に『あなたの父上が私たちに負わせたくびきを軽くしてください。』と言って来たのだが。」12:10 彼とともに育った若者たちは答えて言った。「『あなたの父上は私たちのくびきを重くした。だから、あなたは、それを私たちの肩から、軽くしてください。』と言ってあなたに申し出たこの民に、こう答えたらいいでしょう。あなたは彼らにこう言ってやりなさい。『私の小指は父の腰よりも太い。12:11 私の父はおまえたちに重いくびきを負わせたが、私はおまえたちのくびきをもっと重くしよう。私の父はおまえたちをむちで懲らしめたが、私はさそりでおまえたちを懲らしめよう。』と。」

 レハブハムは、若く、未熟でした。相手の要求を飲むような弱々しい態度ではなく、しめるところはしめなければいけない、強い国にしなければいけないという性急な思いがあったのでしょう。そこで、自分が聞きたいことを話してくれる、同世代の者たちの助言を聞きました。

12:12 ヤロブアムと、すべての民は、三日目にレハブアムのところに来た。王が、「三日目に私のところに戻って来なさい。」と言って命じたからである。12:13 王は荒々しく民に答え、長老たちが彼に与えた助言を退け、12:14 若者たちの助言どおり、彼らに答えてこう言った。「私の父はお前たちのくびきを重くしたが、私はお前たちのくびきをもっと重くしよう。父はおまえたちをむちで懲らしめたが、私はさそりでおまえたちを懲らしめよう。」12:15 王は民の願いを聞き入れなかった。それは、主がかつてシロ人アヒヤを通してネバテの子ヤロブアムに告げられた約束を実現するために、主がそうしむけられたからである。

 主がしむけられた、とありますが、これはレハブアムの悪を主が起こされた、ということではありません。そうではなく、主はレハブアムがこの選択をするのをそのままにされた、ほっとかれた、ということです。これが、主がご自分のさばきを下されるときに、しばしば使われる方法です。ローマ1章に、「それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され(24節)」とあります。人々が行なうあらゆる汚れや不正を、そのまま行なわせるままにして、その結果を刈り取らせることが主のさばきです。そこで、「主がそうしむけられたからである」という言葉になっています。

12:16 全イスラエルは、王が自分たちに耳を貸さないのを見て取った。民は王に答えて言った。「ダビデには、われわれへのどんな割り当て地があろう。エッサイの子には、ゆずりの地がない。イスラエルよ。あなたの天幕に帰れ。ダビデよ。今、あなたの家を見よ。」こうして、イスラエルは自分たちの天幕へ帰って行った。

 ダビデの治世のときにも、イスラエルとユダの分裂の危機がありました。アブシャロムが死んだあと、マハナイムにいたダビデがエルサレムに戻るとき、迎えに来たイスラエルとユダが激しく議論しました。そこに、シェバというよこしまな者が出てきて、イスラエルを自分になびかせました。(2サムエル19:41から20章参照)シェバはその後、すぐに殺されましたが、今、レハブアムの治世で、この分裂が決定的なものとなりました。

12:17 しかし、ユダの町々に住んでいるイスラエル人は、レハブアムがその王であった。12:18 レハブアム王は役務長官アドラムを遣わしたが、全イスラエルは、彼を石で打ち殺した。それで、レハブアム王は、ようやくの思いで戦車に乗り込み、エルサレムに逃げた。12:19 このようにして、イスラエルはダビデの家にそむいた。今日もそうである。

 アドラムは、ソロモンが王であったときも役務長官でした。徴用を実行していた本人でしたが、レハブアムは力で彼らを押さえ込もうと考えていたのでしょう。けれども、彼は殺されました。そこでレハブアムは、イスラエルの反抗が本当であることを知って、急いでエルサレムに逃げました。

12:20 全イスラエルは、ヤロブアムが戻って来たことを聞き、人をやって彼を会衆のところに招き、彼を全イスラエルの王とした。ユダの部族以外には、ダビデの家に従うものはなかった。12:21 レハブアムはエルサレムに帰り、ユダの全家とベニヤミンの部族から選抜戦闘員十八万を召集し、王位をソロモンの子レハブアムのもとに取り戻すため、イスラエルの家と戦おうとした。12:22 すると、神の人シェマヤに次のような神のことばがあった。12:23 「ユダの王、ソロモンの子レハブアム、ユダとベニヤミンの全家、および、そのほかの民に告げて言え。12:24 『主はこう仰せられる。上って行ってはならない。あなたがたの兄弟であるイスラエル人と戦ってはならない。おのおの自分の家に帰れ。わたしがこうなるようにしむけたのだから。』」そこで、彼らは主のことばに聞き従い、主のことばのとおりに帰って行った。

 レハブアムまたユダの人たちは、主の前にへりくだり、主が言われていることに聞き従いました。今日、似たように悪い状況になったとき、「それは、主がなされているのだ」と言われたら、怒り散らす人たちが多いのではないでしょうか?主の前にへりくだって、悔い改めるのではなく、悪い状況にさせたと言って、神を責めるのです。しかしレハブアムらは聞き従いました。

2B 打算的思惑 25−33
12:25 ヤロブアムはエフライムの山地にシェケムを再建し、そこに住んだ。さらに、彼はそこから出て、ペヌエルを再建した。

 ペヌエルは、ヨルダンの東にある町です。かつてアブシャロムから逃げていたダビデを助けたギルアデ人たちから、襲われることがないように要塞化したものと思われます。

12:26 ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。12:27 この民が、エルサレムにある主の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」

 ヤロブアムには政治的打算が働きました。律法には、ユダヤ人の成年男子が、年に三度、過越の祭り、五旬節、仮庵の祭りのために都上りをしなければいけないことが定められています。そこで、ここままだとイスラエルの人々は祭りに出て行くためにエルサレムに行かなければいけません。そのために、忠誠が自分ではなくレハブアムに移ってしまう、と考えました。彼の思いには、神に聞くことがありませんでした。すべて自分の心の中で話し、自分で決めました。これは罪を犯す、一歩手前の行為です。

12:28 そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。」12:29 それから、彼は一つをベテルに据え、一つをダンに安置した。12:30 このことは罪となった。民はこの一つを礼拝するためダンにまで行った。

 かつてイスラエルは、エジプトで神としてあがめられていた牛をかたどって、金の子牛をつくり、神から罰がくだっています。エジプトから帰ってきたヤロブアムは、聖書の知識がなかったからなのでしょうか、それとも故意なのでしょうか、同じ金の子牛をイスラエルに拝ませることにしました。北イスラエルの南端ベテルに一つ、北端のダンに一つ安置しました。現在、ダンの町には、ヤロブアムが建てた、金の子牛が安置されていたところが遺跡として見つかっています。

12:31 それから、彼は高き所の宮を建て、レビの子孫でない一般の民の中から祭司を任命した。12:32 そのうえ、ヤロブアムはユダでの祭りにならって、祭りの日を第八の月の十五日と定め、祭壇でいけにえをささげた。こうして彼は、ベテルで自分が造った子牛にいけにえをささげた。また、彼が任命した高き所の祭司たちをベテルに常住させた。12:33 彼は自分で勝手に考え出した月である第八の月の十五日に、ベテルに造った祭壇でいけにえをささげ、イスラエル人のために祭りの日を定め、祭壇でいけにえをささげ、香をたいた。

 律法では、レビ人で祭司のみが神殿での奉仕が許されています。けれども、ヤロブアムはそれに従いませんでした。しかも、祭りを第八の月の十五日、ちょうど仮庵の祭りの一ヶ月後に定めました。こうして彼は新宗教を造ったのです。

 このことのゆえに、北イスラエルは罪に罪を重ねて、アッシリヤによって捕らえ移されるまで、善い王が出てきませんでした。ユダには悪い王もいましたが、善い王もいました。私たちが、主をあがめるにあたって、その方法をも主が示されているのに従っていかなければいけないことが分かります。自分勝手に、自分が思っているとおりに、良いと思ったものを行なうのではないのです。

 こうして11章と12章を読みましたが、主はさばきを行なわれつつも、ソロモンには一つの部族を残し、またヤロブアムにはダビデ家と同じ祝福を与えようとされる、というあわれみを示されました。にもかかわらず、主にそむきました。これが国内に混乱を招いた原因です。私たちにも、神さまからチャンスが与えられています。警告があります。それに聞き従えば、平和の実が結ばれます。けれども聞かなければ、混乱があります。主の命令のもとに自分を置きましょう。


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