列王記第一15−16章 「父の道」


アウトライン


1A 南北の争い 15
   1B ダビデの道 1−24
      1C 家にある恵み 1−8
      2C 主と一つの心 9−24
         1D 偶像の除去 9−15
         2D 貫徹しなかった信仰 16−24
   2B ヤロブアムの罪 25−34
2A ヤロブアムの道 16
   1B バシャン家 1−14
   2B オムリ家 15−34
      1C 七日間の王 15−20
      2C 最悪の罪 21−28
      3C 新種の罪 29−34

本文

 列王記第一15章を開いてください、今日は15章と16章を学びます。ここでのテーマは、「父の道」です。北イスラエルが、ヤロブアムの道にならい、南ユダが、ダビデの道にならうか、またそむいていく話を読んでいきます。

1A 南北の争い 15
1B ダビデの道 1−24
1C 家にある恵み 1−8
15:1 ネバテの子ヤロブアム王の第十八年に、アビヤムはユダの王となり、15:2 エルサレムで三年間、王であった。彼の母の名はマアカといい、アブシャロムの娘であった。

 ここのアブシャロムは、以前出てきたダビデの子アブシャロムとは違います。

 前回の学びは、南北が分裂し、それぞれの初代王であるヤロブアムとレハブアムについて学びました。そして今回は、その後に出てくる王たちの話となります。初めに、南ユダの王、レハブアムの子アビヤムが王位に着く話から始まります。彼は、ヤロブアムの治世第十八年目に出てきた、三年間のみ王でした。ヤロブアムが王であった期間は22年ですから(14:20)、ヤロブアムの治世が終わる少し前に、この治世も終わりました。短いですね。

15:3 彼は父がかつて犯したすべての罪を行ない、彼の心は父ダビデの心のようには、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。

 アビヤムは罪を犯す、悪い王でした。その理由が、「父かかつて犯したすべての罪」とあり、父レハブアムが行なったことを、そのまま行ないました。そして、もう一つ、ダビデとの比較があります。父ダビデのようには、主と心を一つにすることはなかった、とあります。そして次にダビデが行なったことが書かれています。

15:4 しかし、ダビデに免じて、彼の神、主は、エルサレムにおいて彼に一つのともしびを与え、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てられた。15:5 それはダビデが主の目にかなうことを行ない、ヘテ人ウリヤのことのほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことにそむかなかったからである。

 ダビデには、バテシェバとの罪、そしてその夫ウリヤを殺した罪がありましたが、そのこと以外は、主に心を合わせて、主を愛する人生を歩みました。彼の生涯にはその他、多くの間違いがありましたが、けれどもそれが問題なのではなく、彼が主の心をいつも追い求めていたその姿勢が、主に喜ばれていたのです。

 このダビデのようにアビヤムは、歩まなかったのですが、けれども、このダビデに免じて、一つのともしびを与えられた、とあります。それは彼の子であるアサのことです。「ダビデに免じて」とありますが、非常に大切なことばです。アビヤムが行なったことによらず、ダビデが行なったことによって彼は守られていた、ある程度の祝福を受けることができた、ということになります。これは、あとで詳しく説明しますが、キリストに連なる者が、キリストが行なわれたことによって自分たちも義と認められる、ということがローマ5章に書かれています。

15:6 レハブアムとヤロブアムとの間には、一生の間、争いがあった。15:7 アビヤムのその他の業績、彼の行なったすべての事、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。アビヤムとヤロブアムとの間には争いがあった。

 南北には、ずっと小競り合いが続き、時には戦争が勃発しました。

15:8 アビヤムは彼の先祖たちとともに眠り、人々は彼をダビデの町に葬った。彼の子アサが代わって王となった。

2C 主と一つの心 9−24
 そして、ダビデに免じて与えられる子が次に書かれています。

1D 偶像の除去 9−15
15:9 イスラエルの王ヤロブアムの第二十年に、ユダの王アサが王となった。15:10 彼はエルサレムで四十一年間、王であった。彼の母の名はマアカといい、アブシャロムの娘であった。

 母がマアカとありますが、先ほどのアビヤムの母と同一人物であり、彼女は祖母です。

15:11 アサは父ダビデのように、主の目にかなうことを行なった。

 主の目にかなうことが、ここでも「父ダビデのように」と表現されています。

15:12 彼は神殿男娼を国から追放し、先祖たちが造った偶像をことごとく取り除いた。

 レハブアムによって始められた偶像礼拝と、また神殿男娼を排除しました。

15:13 彼はまた、彼の母マアカがアシェラのために憎むべき像を造ったので、彼女を王母の位から退けた。アサはその憎むべき像を切り倒し、これをキデロン川で焼いた。

 自分の祖母を切り捨てることは、非常に勇気が要ったことだったに違いまりません。けれども、彼は主のゆえにそれを断行しました。私たちも、家族との亀裂という危機があっても、主のゆえに行なわなければいけない時があります。

 そしてキデロン川は、神殿とオリーブ山の間にある谷のことです。

15:14 高き所は取り除かれなかったが、アサの心は一生涯、主と全く一つになっていた。

 高き所は、必ずしも偶像礼拝を行なっていたわけではありませんが、主がご自分の名を置かれた神殿以外のところで、主を礼拝することになります。世の価値観によって流されてしまいやすい場での礼拝です。アサはこれを取り除くことはしませんでしたが、主と心は一つになっていました。

 心が一つ、というのは大事ですね。頭ではなく心です。心が一つであれば、私たちの行為はいかなるものでも、主のみこころを反映したものになります。

15:15 彼は、彼の父が聖別した物と、彼が聖別した物、すなわち、銀、金、器類を、主の宮に運び入れた。

 歴代誌第二14章から16章に、アサの治世がさらに詳しく書かれていますが、そこにアサが、エチオピヤからの軍勢に対して、讃美によって、主にあって打ち勝つことができたことが記録されています。その時の戦利品が主の宮に運び込まれた、と考えられます。

2D 貫徹しなかった信仰 16−24
15:16 アサとイスラエルの王バシャとの間には、彼らの生きている間、争いがあった。15:17 イスラエルの王バシャはユダに上って来て、ユダの王アサのもとにだれも出入りできないようにするためにラマを築いた。

 南北分裂以来、その間に争いがありましたが、アサとイスラエルの王バシャとの間にもあらそいがした。(バシャは、ヤロブアムの次の王ですが、もう少しで出てきます。)ラマは、エルサレムの北にあり、そこは南ユダが北イスラエル方面から物資を運び入れていた要所にあり、そこを要塞化されたことにより、エルサレムは半分包囲されたような状態です。

 歴代誌第二14章によれば、アサはかつて、エチオピヤの圧倒的な軍勢に対して、主に叫び求めて、主により頼みましたが、今回は違っています。次をお読みください。

15:18 アサは主の宮の宝物倉と王宮の宝物倉とに残っていた銀と金をことごとく取って、自分の家来たちの手に渡した。アサ王は、彼らをダマスコに住んでいたアラムの王ヘズヨンの子タブリモンの子ベン・ハダデのもとに遣わして言わせた。15:19 「私の父とあなたの父上の間にあったように、私とあなたの間に同盟を結びましょう。ご覧ください。私はあなたに銀と金の贈り物をしました。どうか、イスラエルの王バシャとの同盟を破棄し、彼が私のもとから離れ去るようにしてください。」

 彼は、北イスラエルの北にあるシリヤに対して、援軍を求めました。神殿からの財宝を与えて、北イスラエルとシリヤの国境地域を攻めて欲しいと要請しました。

15:20 ベン・ハダデはアサ王の願いを聞き入れ、自分の配下の将校たちをイスラエルの町々に差し向け、イヨンと、ダンと、アベル・ベテ・マアカ、および、キネレテ全土と、ナフタリの全土とを打った。15:21 バシャはこれを聞くと、ラマを築くのをやめて、ティルツァにとどまった。15:22 アサ王はユダ全土にもれなく布告し、バシャが建築に用いたラマの石材と木材を運び出させた。アサ王は、これを用いてベニヤミンのゲバとミツパとを建てた。

 アサが行なったことは、うまく行ったかに見えます。シリヤは約束どおりにイスラエルを攻めてくれて、その結果、イスラエルはその国境地域を守るために要塞ラマから離れて、それで今度は湯だのほうが、要塞を南北の国境地域に設置することができました。彼の政治的戦略は上手く行ったかに見えます。けれども歴代誌第二16章には、予見者が彼のところに来て、「あなたは、主により頼まなかった」と言って、「これからは、数々の戦いに巻き込まれる」と宣告されました。それでもアサはへりくだらず、むしろこの予見者に幽閉状態にしました。

15:23 アサのその他のすべての業績、すべての功績、彼の行なったすべての事、彼が建てた町々、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。ただ、彼は年をとったとき、足の病気にかかった。

 足の病気にかかったときのことも、歴代誌第二16章には詳しく書かれています。重い病にかかったのに、「その病の中でさえ、彼は主を求めることをしないで、逆に医者を求めた。(12節)」とあります。アサは、初めは良く走っていたのに、最後まで走りきることをしなかった人でした。彼は、偶像を取り除いたけれども、自分の能力を偶像視しました。聖書には、最後まで走ることの大切さが書かれていますが、例えば、ヨシュアの相棒カレブは、85歳のときに「私は私の神、主に従い通しました。(ヨシュア14:8」と言いました。終わりまで初めの確信を保っていくことによって、いのちを得る、ということもヘブル書に書いてあります。

15:24 アサは彼の先祖たちとともに眠り、先祖たちとともに父ダビデの町に葬られた。彼の子ヨシャパテが代わって王となった。

 ヨシャパテについては、ずっと後、22章あたりから出てきますが、その前にイスラエルの王の治世、特にアハブ王に至るまでの、北イスラエル王国の急降下を読んでいきます。

2B ヤロブアムの罪 25−34
15:25 ユダの王アサの第二年に、ヤロブアムの子ナダブがイスラエルの王となり、二年間、イスラエルの王であった。

 ヤロブアムは、預言者アヒヤによって、その家がことごとく滅びることが預言されていましたが、その子ナダブの治世にそれが実現します。彼が王となってから二年後に、バシャという人物が出てきます。

15:26 彼は主の目の前に悪を行ない、彼の父の道に歩み、父がイスラエルに犯させた彼の罪の道に歩んだ。

 南ユダでは、ダビデの道にしたがって、その後の王たちが歩んでいるかどうかが測られましたが、北イスラエルでは、ヤロブアムが先例をつくり、その後の王たちが歩む道ぞなえをしてしまいました。ナダブは、ヤロブアムの道に歩みました。

15:27 それでイッサカルの家のアヒヤの子バシャは、彼に謀反を企てた。バシャはペリシテ人のギベトンで彼を打った。ナダブと全イスラエルはギベトンを攻め囲んでいた。15:28 こうしてバシャはユダの王アサの第三年に、彼を殺し、彼に代わって王となった。15:29 彼は、王となったとき、ヤロブアムの全家を打ち、ヤロブアムに属する息のある者をひとりも残さず、根絶やしにした。主がそのしもべ、シロ人アヒヤを通して言われたことばのとおりであった。

 バシャはヤロブアム家に仕える家来だったようですが、謀反を起こしました。そして王位を奪取して、アヒヤが語ったとおりヤロブアム家を根絶やしにしました。

15:30 これはヤロブアムが犯した罪のため、またイスラエルに犯させた罪のためであり、またイスラエルの神、主の怒りを引き起こしたその怒りによるのであった。

 バシャが行なった謀反は、主の目の前に悪であります。けれども、主はこのような悪が行なわれるのを許容されて、それでヤロブアムの子に対するさばきとされました。

 私たちは、何か悪いことが起こったとき、それがもしかしたら、主による懲らしめではないのかと省みることをしないで、「なぜ神さま、こんな悪い事を引き起こされるのですか?」と神を非難することがあります。あるいは、そのような悪を行なった者を非難するだけにとどまり、このことを通して主に自分自身が悔い改めなければいけないことがあるかもしれないと、思うことがありません。しかし、主は、このようにしばしば、私たちを目覚めさせるために、悪をもって私たちを懲らしめられることがあるのです。

15:31 ナダブのその他の業績、彼の行なったすべての事、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。15:32 アサとイスラエルの王バシャとの間には、彼らの生きている間、争いがあった。15:33 ユダの王アサの第三年に、アヒヤの子バシャがティルツァで全イスラエルの王となった。治世は二十四年。15:34 彼は主の目の前に悪を行ない、ヤロブアムの道に歩み、ヤロブアムがイスラエルに犯させた彼の罪の道に歩んだ。

 バシャは、ナダブのひどい悪政に腹を立てて、それで謀反を起こしたのでしょうが、自分自身もヤロブアムの道に歩みました。自分が倒さなければいけないと思った原因を、実は自分自身にも宿していたのです。このようなことはしばしば起こります。政治の中では、日常茶飯事ですね。与党を批判してそれで自分たちが政権を取ったら、その与党が行なっていたこと以上に、自分たちが批判していることを行なっている、ということは、日本だけでなく世界の国々の政治の中でよく見かけます。それだけでなく、教会の中でもよくあります。ある人を批判しておきながら、では自分はどうか?という問いかけをしなければいけません。

2A ヤロブアムの道 16
1B バシャン家 1−14
16:1 そのとき、ハナニの子エフーにバシャに対する次のような主のことばがあった。16:2 「わたしはあなたをちりから引き上げ、わたしの民イスラエルの君主としたが、あなたはヤロブアムの道に歩み、わたしの民イスラエルに罪を犯させ、その罪によってわたしの怒りを引き起こした。16:3 それで今、わたしはバシャとその家族とを除き去り、あなたの家をネバテの子ヤロブアムの家のようにする。16:4 バシャに属する者で、町で死ぬ者は犬がこれを食らい、野で死ぬ者は空の鳥がこれを食らう。」

 バシャは、自分が倒したヤロブアム家に対する神のさばきと、まったく同じさばきを受けることを宣告されました。なんという皮肉でしょうか?けれども、彼もまたヤロブアムの道に歩んだからであり、ヤロブアムの血は引き継いでいないけれども、彼のスピリットは引き継いでいたのです。ヤロブアムをかしらとする体の一部になっていたのです。

16:5 バシャのその他の業績、彼の行なった事、およびその功績、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。16:6 バシャは彼の先祖たちとともに眠り、ティルツァに葬られた。彼の子エラが代わって王となった。

 エラの時代に、バシャの家に対する神のさばきが下ります。

16:7 主のことばはまた、ハナニの子、預言者エフーを通して、バシャとその家とに向けられた。それは、彼が主の目の前にあらゆる悪を行ない、その手のわざによって主の怒りを引き起こし、ヤロブアムの家のようになり、また、彼がヤロブアムを打ち殺したからである。

 先に話したように、神はバシャをさばきの器として用いられましたが、ヤロブアムの子を打ち殺したことは、悪であり、主はこのことについて怒りを持っておられました。

 このようなテーマが書かれているのは、ハバクク書ですが、ユダの中で行なわれている不正をさばくために、主は、バビロンを遣わして、ユダを滅ぼすようにされましたが、バビロン自体は、そのような暴虐をユダや他の国々に働いたことによるさばきを、容赦なく行なわれることが書かれています。悪をも用いて、主はご自分の栄光を現わされますが、その悪を決して見逃がすことはなされません。

16:8 ユダの王アサの第二十六年に、バシャの子エラがティルツァで、イスラエルの王となった。治世は二年である。16:9 彼がティルツァにいて、ティルツァの王の家のつかさアルツァの家で酒を飲んで酔っていたとき、彼の家来で、戦車隊の半分の長であるジムリが彼に謀反を企てた。16:10 ユダの王アサの第二十七年に、ジムリははいって来て、彼を打ち殺し、彼に代わって王となった。

 エラは、父が謀反によって王を殺したように、同じように、自分の部下によって謀反によって殺されました。

16:11 彼が王となり、王座に着くとすぐ、彼はバシャの全家を打ち、小わっぱから、親類、友人に至るまで、ひとりも残さなかった。16:12 こうして、ジムリはバシャの全家を根絶やしにした。預言者エフーによってバシャに言われた主のことばのとおりであった。

 ヤロブアム家が滅んだように、まったく同じような形でバシャ家も滅びました。

16:13 これは、バシャのすべての罪と、その子エラの罪のためであって、彼らが罪を犯し、また、彼らがイスラエルに罪を犯させ、彼らのむなしい神々によって、イスラエルの神、主の怒りを引き起こしたためである。16:14 エラのその他の業績、彼の行なったすべての事、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。

 エラも父のように、罪を犯していたのが、そのさばきを受ける理由でありました。ただ父が罪を犯していたからだけではありません。

2B オムリ家 15−34
1C 七日間の王 15−20
 そして、この謀反の連続は泥沼化していきます。16:15 ユダの王アサの第二十七年に、ジムリが七日間ティルツァで王となった。そのとき、民はペリシテ人のギベトンに対して陣を敷いていた。

 バシャンの子エラを殺したジムリは、なんと七日だけの王でした。織田信長を殺した明智光秀のような末期を辿ります。

16:16 陣を敷いていたこの民は、「ジムリが謀反を起こして王を打ち殺した。」と言うことを聞いた。すると、全イスラエルがその日、その陣営で将軍オムリをイスラエルの王とした。16:17 オムリは全イスラエルとともにギベトンから上って来て、ティルツァを包囲した。16:18 ジムリは町が攻め取られるのを見ると、王宮の高殿にはいり、みずから王宮に火を放って死んだ。

 ジムリは戦車隊の半分の長でありましたが、将軍オムリがのし上がりました。そしてジムリを攻めます。ジムリは自害しました。聖書の中で自害する人は、士師サムソン、イスラエルの王サウル、ダビデの元議官アヒトフェル、そしてイスカリオテのユダです。みな、愚かな道を選びとってしまったことの結末として自殺が描かれています。

16:19 これは、彼が罪を犯して主の目の前に悪を行ない、ヤロブアムの道に歩んだその罪のためであり、イスラエルに罪を犯させた彼の罪のためであった。16:20 ジムリのその他の業績、彼の企てた謀反、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。

 ジムリもまた、ヤロブアムの道に歩みました。それゆえの、神のさばきです。

2C 最悪の罪 21−28
 状況はさらに悪化します。16:21 当時、イスラエルの民は二派に分裂していた。民の半分はギナテの子ティブニに従って彼を王にしようとし、あとの半分はオムリに従った。16:22 オムリに従った民は、ギナテの子ティブニに従った民より強かったので、ティブニが死ぬとオムリが王となった。

 一時期、北イスラエル国内でのさらなる分裂がありました。オムリは、全イスラエルを集めることはできず、他の者たちはティブニを王にしようとしました。けれども、オムリ軍のほうが優勢になり、結局オムリが王となりました。

16:23 ユダの王アサの第三十一年に、オムリはイスラエルの王となり、十二年間、王であった。六年間はティルツァで王であった。16:24 彼は銀二タラントでシェメルからサマリヤの山を買い、その山に町を建て、彼が建てたこの町の名を、その山の持ち主であったシェメルの名にちなんでサマリヤと名づけた。

 このオムリ王のときから、北イスラエルの首都がサマリヤになりました。そこは、地形的に、軍事的要塞として適所でした。

16:25 オムリは主の目の前に悪を行ない、彼以前のだれよりも悪いことをした。16:26 彼はネバテの子ヤロブアムのすべての道に歩み、イスラエルに罪を犯させ、彼らのむなしい神々によってイスラエルの神、主の怒りを引き起こした。

 ひどいですね、これまでの王は単にヤロブアムの道に歩んだ、とありましたが、ここでは、彼以前のどの王よりも悪い事をした、と書かれています。北イスラエルは霊的に降下していく一方です。

16:27 オムリの行なったその他の業績、彼の立てた功績、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。

3C 新種の罪 29−34
 そして次に、ヤロブアムの道ではない、新しい種類の悪がイスラエルに導入されます。

16:28 オムリは彼の先祖たちとともに眠り、サマリヤに葬られた。彼の子アハブが代わって王となった。16:29 オムリの子アハブは、ユダの王アサの第三十八年に、イスラエルの王となった。オムリの子アハブはサマリヤで二十二年間、イスラエルの王であった。16:30 オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目の前に悪を行なった。16:31 彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。

 悪名高いアハブ王です。彼は二十二年間という長い期間を、治めましたが、その間に、とんでもないことをしでかしました。それは、外国のまったく新しい神バアルをイスラエルに導入したことです。現在のレバノンに位置するシドンから、その王の娘であるイゼベルを妻にめとりました。彼女がとてつもなく邪悪であり、イスラエルにシドンの神バアルに仕えさせるようにしたのです。

 ヤロブアムの道とは、あくまでもイスラエルの宗教を改良したところの、新興宗教でした。金の子牛を作り、自分勝手に祭司を雇いましたが、その礼拝対象はイスラエルの神であるヤハウェとされていました。これをキリスト教に例えるなら、ローマ・カトリックが、当時存在したバビロン宗教を導入して、階級制度、イエスやマリヤ像を導入したのと同じようなものです。偶像は取り入れられたのですが、あくまでも礼拝対象は天地創造の神であり、その御子イエス・キリストです。けれども、まったく別種の、例えばヒンズー教が導入されたとします。これがイスラエルの状況だったのです。

16:32 さらに彼は、サマリヤに建てたバアルの宮に、バアルのために祭壇を築いた。16:33 アハブはアシェラ像も造った。こうしてアハブは、彼以前のイスラエルのすべての王たちにまして、ますますイスラエルの神、主の怒りを引き起こすようなことを行なった。

 バアルの宮と祭壇をたて、またイスラエルの地で先住民が拝んでいたアシェラ像も造りました。

16:34 彼の時代に、ベテル人ヒエルがエリコを再建した。彼は、その礎を据えるとき、長子アビラムを失い、門を建てるとき、末の子セグブを失った。ヌンの子ヨシュアを通して語られた主のことばのとおりであった。

 ここで、文脈上、無関係ではないかと思われる一文があります。エリコの再建をしようとした人がいるのですが、その長子が死に、末の子が死にました。それが、五百年ぐらい前に、ヨシュアが預言した預言のことばどおりになっているのです。「ヨシュアは、そのとき、誓って言った。『この町エリコの再建を企てる者は、主の前にのろわれよ。その礎を据える者は長子を失い、その門を建てる者は末の子を失う。』(ヨシュア6:26」ずっと廃墟であったエリコを、アハブの時代に再建する試みがあったのですが、やはり神の言葉どおりになりました。聖書には、神がご自分の預言のことばを、その通りにされることで、いっぱいになっています。

 こうして南ユダ国と北イスラエル国の王たちの記録を読みました。そして次回は、ここまで落ちてしまった北イスラエルに対して、何とかして立ち直らせようとして神が遣わされたエリヤの話に入っていきます。

 ヤロブアムの道、そしてダビデの道がありました。北イスラエルでは、ヤロブアムの道から免れることが出来た者は一人もいませんでしたが、南ユダは、ダビデのゆえに、悪の道から遠ざかることができた王もいました。このように先例が、また最初の者がだれかによって、その後のものが影響を受けます。

 実はこの考えは、ローマ人への手紙5章に受け継がれています。「そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、・・それというのも全人類が罪を犯したからです。というのは、律法が与えられるまでの時期にも罪は世にあったからです。しかし罪は、何かの律法がなければ、認められないものです。ところが死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人々をさえ支配しました。アダムはきたるべき方のひな型です。ただし、恵みには違反のばあいとは違う点があります。もしひとりの違反によって多くの人が死んだとすれば、それにもまして、神の恵みとひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、多くの人々に満ちあふれるのです。また、賜物には、罪を犯したひとりによるばあいと違った点があります。さばきのばあいは、一つの違反のために罪に定められたのですが、恵みのばあいは、多くの違反が義と認められるからです。もしひとりの人の違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりの人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。(12-17節)

 私たちはアダムを筆頭として、アダムに連なっている者として、罪を犯し、死に定められた者たちでした。自分がどんなにあがこうとも、かつてイスラエルの王がヤロブアムの道から離れられなかったように、アダムの罪から離れることができませんでした。けれども、同じように、キリストを筆頭としてキリストに連なる者になるとき、私たちはアダムの子ではなく、キリストの子になることができます。罪と死の法則から解放されて、義といのちの中に入れられます。私たちがどちらに属しているのか、といえば、キリストに属しているのです。ですから、初期のアサ王のように、キリストにつながっている者として、キリストにある良い行ないをすることができるようになっています。私たちには、キリストの道が私たちの前に敷かれているのです。


「聖書の学び 旧約」に戻る
HOME