列王記第一9−10章 「世の思い煩い」


アウトライン


1A 神殿建設の後 9
   1B 主の警告 1−9
   2B 建築事業 10−28
2A 後期の王政 10
   1B シェバの女王 1−13
   2B 富と栄華 14−29

本文

 列王記第一9章を開いてください、今日は9章と10章を学びます。ここでのテーマは、「世の思い煩い」です。ソロモンの生涯を読むとき、二つのことを主に勉強することができます。その一つは、神がイスラエルを祝福すると言われた約束、平和と繁栄の約束がソロモンの治世において成就していること、そこから主イエス・キリストが王となられる神の国の様子をうかがい知ることができます。そしてもう一つは、主とは違って、そのような富と栄華によって埋没していき、神の愛から離れていってしまったソロモンの姿です。今日学ぶ箇所からも、この二つの点をどちらも見ていくことができます。

1A 神殿建設の後 9
1B 主の警告 1−9
9:1 ソロモンが、主の宮と王宮、およびソロモンが造りたいと望んでいたすべてのものを完成したとき、9:2 主は、かつてギブオンで彼に現われたときのように、ソロモンに再び現われた。

 前回の学びを思い出してください、ソロモンは契約の箱をダビデの町から運び出させ、建築された神殿の中に安置させました。すると栄光の雲が宮に満ちました。そしてソロモンは、主に罪が許されるための祈りを聞いてくださるように、という願いを、この宮について主に申し上げ、そしてイスラエルの民を祝福しました。数え切れないほどの牛や羊がほふられて、和解のいけにえとしてささげられ、民もソロモンもその祝会を非常に楽しみました。そしてその期間が過ぎて、民は心楽しませながら家々に帰りました。

 そして主が、かつてソロモンがギブオンで主にささげものをしていたときと同じように、再び現われました。ソロモンがギブオンで主にささげていたのは、彼の治世が始まって間もない頃です。何をすれば良いかわからない若者に過ぎないとソロモンは主に話して、人がさばくことができる知恵を与えてください、と主にお願いしました。そこで主が現われて、知恵を与え、またソロモンが願わなかった富も与える、と約束されました。

 同じように、今、主がソロモンに現われておられます。主にあって喜び祝う人々の声がなくなり、一種不気味な静けさがやって来たとき、主が彼に語られました。このような主の語りかけは、私たちにもよくあります。私たちが大きなイベントを催しているとき、そのイベント自体はすばらしいものですが、私たちが独りになって、本当に静かになっているところで、これからのことについて、自分のことについて、深いところを主が語ってくださるのです。

9:3 主は彼に仰せられた。「あなたがわたしの前で願った祈りと願いをわたしは聞いた。わたしは、あなたがわたしの名をとこしえまでもここに置くために建てたこの宮を聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。」

 ソロモンの祈りと願いを主は聞いてくださいました。その宮には、ご自分の目と心があると約束してくださいました。けれども、条件があります。次をご覧ください。

9:4 あなたが、あなたの父ダビデが歩んだように、全き心と正しさをもって、わたしの前に歩み、わたしがあなたに命じたことをすべてそのまま実行し、わたしのおきてと定めとを守るなら、9:5 わたしが、あなたの父ダビデに、『あなたには、イスラエルの王座から人が断たれない。』と言って約束したとおり、あなたの王国の王座をイスラエルの上に永遠に確立しよう。

 4節の初めには、「もし」という言葉が入ります。ソロモンが全き心と正しさをもって主の前に歩むなら、命令をことごとく実行するなら、その王国は確立される、という条件付き約束です。

9:6 もし、あなたがたとあなたがたの子孫が、わたしにそむいて従わず、あなたがたに授けたわたしの命令とわたしのおきてとを守らず、行ってほかの神々に仕え、これを拝むなら、9:7 わたしが彼らに与えた地の面から、イスラエルを断ち、わたしがわたしの名のために聖別した宮を、わたしの前から投げ捨てよう。こうして、イスラエルはすべての国々の民の間で、物笑いとなり、なぶりものとなろう。

 残念ながら、これからのイスラエルの歴史を読めば、こちらの「もし」が実現してしまいました。宮も、約束の土地もみな投げ捨てられてしまいます。ここから大事なのは、神殿そのものではなく、また土地ではなく、ただ主のみことばと、その御声なのだ、ということが分かります。パウロが、「割礼は取るに足りぬこと、無割礼も取りに足らぬことです。重要なのは神の命令を守ることです。(1コリント7:19」と言いました。そして、イスラエルが異邦人の国々において物笑いとなり、なぶりものとなるという言葉もみな、世界史の中で実現していきました。離散したユダヤ民族ほど迫害を受けた人たちはいません。

9:8 この宮も廃墟となり、そのそばを通り過ぎる者はみな、驚いて、ささやき、『なぜ、主はこの地とこの宮とに、このような仕打ちをされたのだろう。』と言うであろう。9:9 すると人々は、『あの人たちは、エジプトの地から自分たちの先祖を連れ出した彼らの神、主を捨てて、ほかの神々にたより、これを拝み、これに仕えた。そのために、主はこのすべてのわざわいをこの人たちに下されたのだ。』と言うようになる。

 神は賢い方です。イスラエルがご自分に逆らうようにあっても、ご自分の真実は他の民族に対して証しとなります。祝福においても、のろいにおいても、主が言われたとおりのことがイスラエルに起こっています。

2B 建築事業 10−28
 そして次から、神殿と宮殿が建てられてからのソロモンの事業について書かれています。

9:10 ソロモンが主の宮と王宮との二つの家を二十年かかって建て終わったとき、9:11 ツロの王ヒラムが、ソロモンの要請に応じて、杉の木材、もみの木材、および、金をソロモンに用立てたので、ソロモン王はガリラヤの地方の二十の町をヒラムに与えた。9:12 しかし、ヒラムがツロからやって来て、ソロモンが彼に与えた町々を見たが、それは彼の気に入らなかった。9:13 それで彼は、「兄弟よ。あなたが私に下さったこの町々は、いったい何ですか。」と言った。そのため、これらの町々はカブルの地と呼ばれた。今日もそうである。9:14 ヒラムは王に金百二十タラントを贈っていた。

 ソロモンがツロの王にガリラヤ地方の町々を与えたのは、その町々から出てくる利益によって、ヒラムに返済をするためです。ヒラムはソロモンに人的にまた金銭的にも支援をしていました。けれども、ガリラヤの町を見たとき、カブル、つまり「ないのと同じ」と呼ばれました。興味深いことに、後にこの町々にメシヤが現われ、福音が語られていくようになります。

9:15 ソロモン王は役務者を徴用して次のような事業をした。彼は主の宮と、自分の宮殿、ミロと、エルサレムの城壁、ハツォルとメギドとゲゼルを建設した。9:16 ・・エジプトの王パロは、かつて上って来て、ゲゼルを攻め取り、これを火で焼き、この町に住んでいたカナン人を殺し、ソロモンの妻である自分の娘に結婚の贈り物としてこれを与えていたので、9:17 ソロモンは、このゲゼルを再建した。・・また、下ベテ・ホロンと、9:18 バアラテ、およびこの地の荒野にあるタデモル、9:19 ソロモンの所有のすべての倉庫の町々、戦車のための町々、騎兵のための町々、ソロモンがエルサレムや、レバノンや、すべての領地に建てたいと切に願っていたものを建設した。

 神殿と宮殿の建築事業を終え、またヒラムに返済を終えたソロモンは、今度は周囲の町々の建設事業に取りかかりました。これらの町々の主な目的は軍事的要塞です。自分の住んでいるエルサレムの城壁と、そして軍事的要所である三つの町を建設しました。ハツォルは、ガリラヤ湖北部にある町です。メギドはイズレエル平野にあり、昔からここで国々の戦いが繰り広げられました。ゲゼルはユダ地方西部にある町です。イスラエル旅行のときメギドの遺跡を訪れましたが、ソロモンが造ったものと思われる、石で出来た馬の飼い葉桶などを見ました。

9:20 イスラエル人でないエモリ人、ヘテ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の生き残りの民全員。9:21 すなわち、イスラエル人が聖絶することのできなかった人々の跡を継いで、この地に生き残った彼らの子孫を、ソロモンは奴隷の苦役に徴用した。今日もそうである。9:22 しかし、ソロモンはイスラエル人を奴隷にはしなかった。彼らは戦士であり、彼の家来であり、隊長であり、補佐官であり、戦車隊と騎兵隊の長であったからである。9:23 ソロモンの工事を監督する者の長は五百五十人であって、工事に携わる民を指揮していた。

 ソロモンが本当に、主から命じられたことをことごとく行なったのかと言いますと、そうではありません。まず先ほどのガリラヤ湖の町々を返済として与えたということから、約束の土地にとどまるという命令からはずれています。そしてここでは、カナン人などの先住民は聖絶しなければいけないという主の命令があるにも関わらず、苦役に課しただけでした。

9:24 パロの娘が、ダビデの町から、彼女のために建てた家に上って来たとき、ソロモンはミロを建てた。

 ソロモンは、このエジプトの娘のために、かなりのことを行なってあげています。けれども、私は「エジプト」というのがどうも臭います。なぜなら、エジプトから出てきたイスラエルが、なぜエジプトと相互依存していく関係にならなければいけないのか、と思います。ここに妥協があり、けれどもその妥協は少しずつ、少しずつ行なわれていました。

9:25 ソロモンは、主のために建てた祭壇の上に、一年に三度、全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげ、また、主の前にある壇で香をたいた。彼は宮を完成した。

 年に三度、というのは、おそらく過越の祭り、五旬節、そして仮庵の祭りの三大祭りのことでしょう。その時に祭壇でいけにえを、香壇で香をたいた、とありますが、もしこれを自分の手で本当に行なったのなら、大きな罪です。神殿における奉仕は、厳密に祭司だけが行なうものだからです。けれども、おそらくはソロモンは自分が率先して、祭司にこれらのささげものを行なうよう命じた、という意味だと思われます。そう考えると、ソロモンはまだ主を愛していたことがわかります。けれども、妥協したところもある。これが、今日のテーマである「世の思い煩い」の特徴です。急に、主を捨てるのではなく、自分でも気づかないうちに、徐々に自分の心が蝕まれるのです。

9:26 また、ソロモン王は、エドムの地の葦の海の岸辺にあるエラテに近いエツヨン・ゲベルに船団を設けた。9:27 この船団に、ヒラムは自分のしもべであり、海に詳しい水夫たちを、ソロモンのしもべたちといっしょに送り込んだ。9:28 彼らはオフィルへ行き、そこから、四百二十タラントの金を取って、これをソロモン王のもとに持って来た。

 エラテとは、現在のイスラエルの南端の町エイラトのことです。エイラトの町で、私は日本車がたくさん並んでいるのを見ましたが、それは、ここが紅海に面しているイスラエルで唯一の町であり、紅海によって世界貿易を行なっているからです。ソロモンの時代から、このような交易がこの町で始まりました。

2A 後期の王政 10
 こうして大量の金がイスラエルの運ばれていますが、こうした栄華を世界の国々は聞きつけます。また、ソロモンに与えられている知恵がいかにすぐれているかも、世界中で囁かれていました。その一人、シェバの女王がソロモンに表敬訪問をします。

1B シェバの女王 1−13
10:1 ときに、シェバの女王が、主の名に関連してソロモンの名声を伝え聞き、難問をもって彼をためそうとして、やって来た。10:2 彼女は、非常に大ぜいの有力者たちを率い、らくだにバルサム油と、非常に多くの金および宝石を載せて、エルサレムにやって来た。彼女はソロモンのところに来ると、心にあったすべてのことを彼に質問した。

 シェバは、今のエチオピアとも言われますし、アラビアとも言われます。そこから女王としての表敬訪問をしています。行列を作り、多くの貴重品をたずさえて、女王としての威光を携えてやって来ました。

10:3 ソロモンは、彼女のすべての質問を説き明かした。王がわからなくて、彼女に説き明かせなかったことは何一つなかった。

 覚えていますか、ソロモンは動物学、植物学に精通し、箴言や詩歌もたくさんしたためました。彼女が用意していた難問をすべて見事に答えました。

10:4 シェバの女王は、ソロモンのすべての知恵と、彼が建てた宮殿と、10:5 その食卓の料理、列席の家来たち従者たちが仕えている態度とその服装、彼の献酌官たち、および、彼が主の宮でささげた全焼のいけにえを見て、息も止まるばかりであった。10:6 彼女は王に言った。「私が国であなたの事績とあなたの知恵とについて聞き及んでおりましたことはほんとうでした。10:7 実は、私は、自分で来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じなかったのですが、驚いたことに、私にはその半分も知らされていなかったのです。あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていたうわさよりはるかにまさっています。」

 シェバの女王は、息を呑むほどその栄華に驚きました。そして、自分が聞いていた栄華や知恵よりも、実際はもっとすごいことを知りました。これが、イスラエルが絶頂期のときの姿でした。この姿は、将来の神の国、また天国に似ていると思います。私たちはそのすばらしさを、聖書の言葉を通して聞いていますが、実際に神の栄光とその都を自分の目で見るとき、自分たちは半分も知らされていなかった、というぐらいの、息も止まるばかりの栄光なのでしょう。パウロは、自分がパラダイスに行ったときに、「人間には語ることのゆるされない、口に出すことのできないことばを聞いた(2コリント12:4」と言っています。人間の言語で表現するものなら、そのすばらしさを半減させる罪を犯してしまうほど、すばらしい、ということです。

10:8 なんとしあわせなことでしょう。あなたにつく人たちは。なんとしあわせなことでしょう。いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことのできる家来たちは。10:9 あなたを喜ばれ、イスラエルの王座にあなたを着かせられたあなたの神、主はほむべきかな。主はイスラエルをとこしえに愛しておられるので、あなたを王とし、公正と正義とを行なわせられるのです。

 シェバの女王は主の御名をほめたたえています。確かに主は、かつてモーセを通して約束してくださったとおりのことをしてくださっています。「もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。・・・地上のすべての国々の民は、あなたに主の名がつけられているのを見て、あなたを恐れよう。(申命28:1,10」異邦人が、イスラエルに与えられている祝福を見て、その神の名をほめたたえるのです。

 そして、イエスさまは、自分を受け入れないユダヤ人に対して、異邦人であるシェバ女王の例を引き合いに出しています。「南の女王が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。(マタイ12:42」シェバの女王が、遠いところから来て主を認めるその求道心は、ユダヤ人であるあなたがたよりも、なお強かったのですよ、ということです。

10:10 彼女は百二十タラントの金と、非常にたくさんのバルサム油と宝石とを王に贈った。シェバの女王がソロモン王に贈ったほどに多くのバルサム油は、二度とはいって来なかった。10:11 オフィルから金を積んで来たヒラムの船団も、非常に多くのびゃくだんの木材と宝石とをオフィルから運んで来た。10:12 王はこのびゃくだんの木材で、主の宮と王宮の柱を造り、歌うたいたちのために、立琴と十弦の琴を作った。今日まで、このようなびゃくだんの木材がはいって来たこともなく、だれもこのようなものを見たこともなかった。10:13 ソロモン王は、その豊かさに相応したものをシェバの女王に与えたが、それ以外にも、彼女が求めた物は何でもその望みのままに与えた。彼女は、家来たちを連れて、自分の国へ戻って行った。

 先ほどオフィルに船団が送られた話がありましたが、今、こうしてたくさんの材木がオフィルからやって来ました。そして、このような海外からのものを含めて豊かになったソロモンは、シェバの女王にも望みのままに与えました。

 ところで、伝説に、ソロモンはこの女王に種を残したというものがあります。そして、彼女の子が初代エチオピアの王になり、それからエチオピアのユダヤ人家系が始まりました。ですから今日のイスラエルにも、黒人系ユダヤ人がいます。エチオピア系ユダヤ人です。もちろん実際にソロモンがシェバの女王に子種を残したのかは定かではありません。けれども、使徒の働きにおいて、伝道者ピリポがガザ地区において、エルサレムからエチオピアに帰る、女王の宦官がいました。彼はユダヤ教徒であったので、主の宮に行って礼拝をささげていたのです。彼は、エチオピア系ユダヤ人あるいはユダヤ教徒であったのです。

2B 富と栄華 14−29
10:14 一年間にソロモンのところにはいって来た金の重さは、金の目方で六百六十六タラントであった。10:15 このほかに、交易商人から得たもの、貿易商人の商いで得たもの、アラビヤのすべての王たち、およびその地の総督たちからのものがあった。

 大量の金が入ってきたことが書かれていますが、ここで怪しげな数字が出てきます。金666タラントの666です。まず、この貨幣価値ですが一タラントが一ヶ月分の労働賃金なので、666タラントは二億円強です。すごい量ですが、この数字はもちろん黙示録13章に出てくる、世界を牛耳り、自分を神として拝ませようとする反キリストの数字であります。そこに、「その数字は人間をさしている」とありますが、もしかしたらソロモンの数字をさしている、という意味かもしれません。

 ではソロモンが反キリストの予型なのか?という疑問が出てきます。ある意味、そうなのかもしれません。世界の栄華と富が、まったき心で主を愛している人に与えられているならば、それはキリストの栄光を現わしますが、もし金銭を愛する者に与えられるなら、反キリストと変わらなくなってしまう、ということになります。反キリストはそのときの世界のものをすべて自分の支配下に置きます。

10:16 ソロモン王は、延べ金で大盾二百を作り、その大盾一個に六百シェケルの金を使った。10:17 また、延べ金で盾三百を作り、その盾一個に三ミナの金を使った。王はそれらを、レバノンの森の宮殿に置いた。

 大盾は、足から頭まですっぽりおおってしまう大きな盾です。これをすべて金でつくり、六百シェケル、つまり6070万円ぐらいの価値で、盾は1020万円ぐらいの価値です。金ですから、初めから戦うための実用性はなく、威光を現しているにしか過ぎません。

10:18 王は大きな象牙の王座を作り、これに純粋な金をかぶせた。10:19 その王座には六つの段があり、王座の背には子牛の頭があり、座席の両側にひじかけがあり、そのひじかけのわきには二頭の雄獅子が立っていた。10:20 また、十二頭の雄獅子が、六つの段の両側に立っていた。このような物は、どこの王国でも作られたためしがなかった。王座の栄華です。10:21 ソロモン王が飲み物に用いる器はみな金であった。レバノンの森の宮殿にあった器物もすべて純金であって、銀の物はなかった。銀はソロモンの時代には、価値あるものとはみなされていなかった。

 すごいですね、金ばかりが使われて、銀は価値なしとみなされるほどでした。

10:22 王は海に、ヒラムの船団のほか、タルシシュの船団を持っており、三年に一度、タルシシュの船団が金、銀、象牙、さる、くじゃくを運んで来たからである。10:23 ソロモン王は、富と知恵とにおいて、地上のどの王よりもまさっていた。10:24 全世界の者は、神が彼の心に授けられた知恵を聞こうとして、ソロモンに謁見を求めた。

 先ほどの読んだ申命記のことば、「あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。」がその通りになっています。

10:25 彼らはおのおの贈り物として、銀の器、金の器、衣服、武器、バルサム油、馬、騾馬などを、毎年きまって携えて来た。

 イスラエルに貢物を持ってきています。

10:26 ソロモンは戦車と騎兵を集めたが、戦車一千四百台、騎兵一万二千人が彼のもとに集まった。そこで、彼はこれらを戦車の町々に配置し、また、エルサレムの王のもとにも置いた。10:27 王は銀をエルサレムで石のように用い、杉の木を低地のいちじく桑の木のように大量に用いた。

 銀は石のように、そして杉の木がイスラエルにありふれていたいちじくの桑の木のように用いられました。

10:28 ソロモンの所有していた馬は、エジプトとケベの輸出品であった。それは王の御用達が代価を払って、ケベから手に入れたものであった。10:29 エジプトから買い上げられ、輸入された戦車は銀六百、馬は銀百五十であった。同様に、ヘテ人のすべての王も、アラムの王たちも、彼らの仲買で輸入した。

 ここに、ソロモンの妥協を見ます。馬をエジプトから買い取っているのは、モーセを通して主から具体的に禁じられていたことです。「王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。馬をふやすためだといって民をエジプトに帰らせてはならない。『二度とこの道を帰ってはならない。』と主はあなたがたに言われた。(申命17:16

 ソロモンは、主への愛と献身が、このようにして徐々に、徐々になくなっていきました。主は愛しているけれども、多くの富を持ち、その富によって心が主から知らないうちに離れていったのです。ヘブル書に、「ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。(2:1」という言葉があります。ここの「押し流される」という言葉は、漂流する、という意味です。自分は大丈夫と思っているうちに、舟は沖へ押し流され、気づいたときは取り返しもつかない状況になっています。これがソロモンに起こりました。

 ですから私たちは、自分が大丈夫だと思っているときでさえも、キリストという希望の錨を自分のたましいに垂らしていく必要があります(ヘブル7:19)。押し流されないためです。


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