1サムエル27−28章 「バックスライド(信仰の後退)」


アウトライン

1A 敵陣の中に 27
   1B 人間の方法 1−4
   2B 嘘の塗り固め 5−12
2A 霊媒による伺い 28
   1B 主の御声の欠如 1−7
   2B 呼び出されたサムエル 8−19
      1C 断ち滅ぼすべきものの利用 8−14
      2C イスラエルの敗北 15−25
   3B 恐怖による欠食 20−25

本文

 1サムエル記27章を開いてください。今日は28章まで学びます。ここでのテーマは、「バックスライド(信仰の後退)」です。バックスライドとは、バックにスライドする、つまり後ずさりする、という意味です。英語では、信仰的に後ずさりしてしまうとき「バックスライドする」と言います。今日の箇所には、信仰的に後ずさりした二人の人物が出てきます。一人はダビデ、もう一人はサウルです。

1A 敵陣の中に 17
1B 人間の方法 1−4
 ダビデは心の中で言った。「私はいつか、いまに、サウルの手によって滅ぼされるだろう。ペリシテ人の地にのがれるよりほかに道はない。そうすれば、サウルは、私をイスラエルの領土内で、くまなく捜すのをあきらめるであろう。こうして私は彼の手からのがれよう。」

 このダビデの決断は、これまで主を信頼して、主によって救われてきたダビデのそれとは大きく異なります。前回の学びを思い出せますか、彼は自分を侮辱したナバルの家をこっぱみじんにしてやろうと思っていましたが、アビガイルのとりなしによって、彼はその過ちに気づきました。そしてサウルの陣営の中に忍び込み、サウルが寝ているそばにあった水差しと槍を取って、遠くから将校アブネルに呼びかけました。彼は主に拠り頼むことを決して忘れることなく、多くの困難と試みがありましたが、それでも主の御名を呼び求めることによって、サウルの手から逃げてきたのです。ところが今、ダビデはイスラエルの敵ペリシテ人の中に住むことに決めました。

 私は彼の気持ちが少しだけ理解できます。それは、非常に緊張した中にいて、疲れてしまい、もうこんなに緊張しながら生きるのはこりごりだ、と思ったのです。ダビデはこれまで、人間的な方法を使えばいくらでも使えたのに、それを拒み続けました。サウルを殺そうと思えば殺すことができたし、ナバルを殺そうと思えばいくらでもできました。でもあえて、主の御手にお任せしました。けれども、この過程が疲れてしまい、ほっとできる場を作りたかったのです。

 けれども、人間的に考えて安全であると考えられる場、いくらほっとできる場であっても、信仰者にとってはそうではありません。イエスさまを信じていながら、たとえその信仰のゆえに多くの試みがあろうと、世にその安住を求めることは決してできません。信仰を捨てるのであれば話は別ですが、世は神の愛に反対し、あらゆるものが神を愛することと正反対なのです。二心を持つことによって生きることは可能でしょうが、心は荒れてゆき、内に住まわれる聖霊が悲しまれているのを感じながら生き、みじめな思いになるでしょう。

 ダビデは、「心の中で言った」と書かれています。語っている相手が、主ではなく自分自身になっています。私たちも、試練に耐えるのに疲れたとき、ダビデのように主ではなく自分に語りかけてしまう誘惑がいつでもあります。そしてその語りかけに基づいて行動してしまう誘惑があります。

 そこでダビデは、いっしょにいた六百人の者を連れて、ガテの王マオクの子アキシュのところへ渡って行った。

 ダビデがサウルの手から逃げて間もなくして、彼はガテの王アキシュのところに行ったことがあります。そのときは、アキシュの家来が彼はダビデであると言ったので、ダビデは気違いになったふりをしました。それでそこを去ったのです。

 考えてみれば、ダビデはイスラエルの領土にいればこそ、本来なら安全なはずです。ところが、イスラエルの地に自分を殺そうとする敵がいます。本当に激しい葛藤でしょう。ちょうど、キリストにあって安息を得られる教会やクリスチャンの中に、自分を貶めようとする反対者がいるようなものです。けれども、やはりキリストのみに栄光が与えられるべきであり、教会の中にふみとどまるべきです。ダビデもイスラエルにいるべきでした。

 けれどもダビデは、かつて逃げたそのアキシュのところにとどまりました。

 ダビデとその部下たちは、それぞれ自分の家族とともに、ガテでアキシュのもとに住みついた。ダビデも、そのふたりの妻、イズレエル人アヒノアムと、ナバルの妻であったカルメル人アビガイルといっしょであった。

 ダビデだけが被害をこうむるのではなく、その部下たち、また家族が被害をこうむります。ダビデのような責任ある立場にいる人が失敗することは、その下にいる人全員に影響を与えます。

 ダビデがガテへ逃げたことが、サウルに知らされると、サウルは二度とダビデを追おうとはしなかった。

 ダビデが考えたことは、むろん人間的には最善の方法です。事実サウルは、強大な敵であるペリシテ人のところにまで行って、ダビデを追おうとは思いませんでした。けれども人間の思いと、神の思いは異なります。いろいろな弊害が出てきます。

2B 嘘の塗り固め 5−12
 ダビデはアキシュに言った。「もし、私の願いをかなえてくださるなら、地方の町の一つの場所を私に与えて、そこに私を住まわせてください。どうして、このしもべが王の都に、あなたといっしょに住めましょう。」それでアキシュは、その日、ツィケラグをダビデに与えた。それゆえ、ツィケラグは今日まで、ユダの王に属している。

 ツィケラグは、ガテからかなり離れた、南東にある町です。ほとんどユダ族の土地でしたが、おそらくペリシテ人が攻略していたのでしょう。そこをアキシュがダビデに与えました。ダビデは、「このしもべが王の都にどうして住めましょう」と言っていますが、これはもちろん謙遜を装っているだけで、本当は自分たちの行動を知られたくなかったから、遠くに住みたいと願いました。

 ダビデがペリシテ人の地に住んだ日数は一年四か月であった。ダビデは部下とともに上って行って、ゲシュル人、ゲゼル人、アマレク人を襲った。彼らは昔から、シュルのほうエジプトの国に及ぶ地域に住んでいた。ダビデは、これらの地方を打つと、男も女も生かしておかず、羊、牛、ろば、らくだ、それに着物などを奪って、いつもアキシュのところに帰って来ていた。アキシュが、「きょうは、どこを襲ったのか。」と尋ねると、ダビデはいつも、ユダのネゲブとか、エラフメエル人のネゲブとか、ケニ人のネゲブとか答えていた。

 ダビデはもちろん心はユダヤ人です。ですから自分が同胞の民を打つなど、絶対にできません。ところが、彼が敵の領土にいるために、二つの罪を犯しました。一つは虐殺です。ゲシュル人、ゲゼル人、アマレク人を、男だけでなく女もひとり残らず生かさずに殺しました。そしてもう一つの罪は、嘘です。アキシュに対してユダヤ人を殺したことを報告しました。このように、自分では最善と思っていることでも、主が言われていることをないがしろにすれば、必ずボロが出ます。ダビデの場合は、嘘の塗り固めをしなければいけなくなったのです。

 ダビデは男も女も生かしておかず、ガテにひとりも連れて来なかった。彼らが、「ダビデはこういうことをした。」と言って、自分たちのことを告げるといけない、と思ったからである。ダビデはペリシテ人の地に住んでいる間、いつも、このようなやり方をしていた。

 一人でも報告するものがいたら大変だ、と恐れて、ダビデは一人残らず生かしておくことはありませんでした。嘘をつくために、他の罪を犯さなければいけなくなったのです。

 アキシュはダビデを信用して、こう思った。「ダビデは進んで自分の同胞イスラエル人に忌みきらわれるようなことをしている。彼はいつまでも私のしもべになっていよう。」

 アキシュがダビデを疑うことなく自分の下においていたのは、同胞イスラエル人の忌みきらうべきことを行なっているということでした。けれども、他のペリシテ人の首長たちを信じ込ませることはできないことが、29章に出てきます。

2A 霊媒による伺い 2A
1B 主の御声の欠如 1−7
 そのころ、ペリシテ人はイスラエルと戦おうとして、軍隊を召集した。アキシュはダビデに言った。「あなたと、あなたの部下は、私といっしょに出陣することになっているのを、よく承知していてもらいたい。」ダビデはアキシュに言った。「よろしゅうございます。このしもべが、どうするか、おわかりになるでしょう。」アキシュはダビデに言った。「よろしい。あなたをいつまでも、私の護衛に任命しておこう。」

 なんと今度ダビデは、イスラエルとの戦いに喜んで参加しようとしています。何か企んでいたのかわかりませんが、また新たな罪を犯そうとしています。けれどもこれは後に留められます。

 話の続きは29章にあります。そこでダビデが、自分がしてしまったことに気づき、奮い立つ場面が出てきます。けれどもそのことを話す前に、サムエル記の著者はサウルのことを話します。なぜなら、ペリシテ人が戦いにやってきたとき、サウルがどのように反応したかを記したからです。次にサウルの行動を見ていきます。

 サムエルが死んだとき、全イスラエルは彼のためにいたみ悲しみ、彼をその町ラマに葬った。サウルは国内から霊媒や口寄せを追い出していた。

 後に出てくる話で知っておきたい二つの出来事をここに記しています。一つはサムエルの死です。ペリシテ人がイスラエルに戦いをしかけるとき、その時にはサムエルは死んでいました。

 もう一つは、サウルが霊媒や口寄せを追い出していたことです。霊媒や口寄せは、今でいうところの「チャネリング」です。この世とあの世をつなぐ作業のことを言います。オカルトの一種です。そして聖書は霊媒や口寄せに心を移してはならないと戒めています。レビ記19章31節に、「あなたがたは霊媒や口寄せに心を移してはならない。彼らを求めて、彼らに汚されてはならない。わたしはあなたがたの神、主である。」とあります。また、霊媒にところに行った者は、「その者を民の間から断つ(5節)」と主は言われ、またイスラエルの中に霊媒や口寄せがいれば、「その者は必ず石で打ち殺されなければならない。(27節)」と命じられています。

 オカルトは悪魔と悪霊の世界に自分の心を全開させる危険なものです。信者は避けなければいけないものです。そこでサウルは口寄せと霊媒をイスラエルの地から追い出していました。

 ペリシテ人が集まって、シュネムに来て陣を敷いたので、サウルは全イスラエルを召集して、ギルボアに陣を敷いた。サウルはペリシテ人の陣営を見て恐れ、その心はひどくわなないた。それで、サウルは主に伺ったが、主が夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても答えてくださらなかったので、

 サウロは何とかしてここでの導きをほしいと望んでいました。けれども何の答えもありません。それもそのはず、神の導きに自らを従わせることをしなかった生活を歩み、自分のことだけを考えてダビデを追ってきた生活を歩んできたのです。御霊の導きや、神の御声など聞こえるわけがありません。そこでサウルは、とんでもない行動に出ます。

 サウルは自分の家来たちに言った。「霊媒をする女を捜して来い。私がその女のところに行って、その女に尋ねてみよう。」家来たちはサウルに言った。「エン・ドルに霊媒をする女がいます。」

 サウル自身が追い出した霊媒をする女を探させます。主が決して行なってはいけないと言われる、霊媒に頼ろうとしています。オカルトの世界では、確かにさまざまな霊的現象が起こります。いかさまがかなり多いですが、それでも一部はそうではない場合があります。では、私たちはオカルトによって将来のことを知って良いのでしょうか?いいえ、そこは悪霊が活動している領域であり、答えがあってもそこから、信仰と希望と愛は決して生み出されません。恐れとあらゆる暗やみのわざがあるだけです。

2B 呼び出されたサムエル 8−19
1C 断ち滅ぼすべきものの利用 8−14
 サウルは、変装して身なりを変え、ふたりの部下を連れて、夜、その女のところに行き、そして言った。「霊媒によって、私のために占い、私の名ざす人を呼び出してもらいたい。」すると、この女は彼に言った。「あなたは、サウルがこの国から霊媒や口寄せを断ち滅ぼされたことをご存じのはずです。それなのに、なぜ、私のいのちにわなをかけて、私を殺そうとするのですか。」サウルは主にかけて彼女に誓って言った。「主は生きておられる。このことにより、あなたが咎を負うことは決してない。」

 サウルの「主は生きておられる」は、生理的嫌悪感が出てきますね。霊的装いをする彼の習慣は、決して変えられることはありませんでした。

 すると、女は言った。「だれを呼び出しましょうか。」サウルは言った。「サムエルを呼び出してもらいたい。」この女がサムエルを見たとき、大声で叫んだ。そしてこの女はサウルに次のように言った。「あなたはなぜ、私を欺いたのですか。あなたはサウルではありませんか。」王は彼女に言った。「恐れることはない。何が見えるのか。」この女はサウルに言った。「こうごうしい方が地から上って来られるのが見えます。」サウルは彼女に尋ねた。「どんな様子をしておられるか。」彼女は言った。「年老いた方が上って来られます。外套を着ておられます。」サウルは、その人がサムエルであることがわかって、地にひれ伏して、おじぎをした。

 サウルは夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても主が答えてくださらなかったので、ではサムエルをと思ったのでした。もうサムエルが言ったことは決まっていると思うのですが、彼はそれでも何か導きがなければやっていくことができないぐらい、びくびくしていたのです。

 ところで、ここで本当のサムエルが出てきたのかどうか、という議論があります。悪霊の仕業なのか、それとも幻覚状況なのか、それとも本当にサムエルがやってきたのか、という議論です。私は次に出てくるサムエルの言葉を読んで、彼自身ではないかと思いました。

 また、彼が「地から上ってくる」と霊媒の女が言っているのは興味深いです。なぜなら、旧約時代において聖徒はみな陰府(よみ)つまりハデスにくだり、天に入ることを待っている状態だったからですイエスさまが十字架につけられてから、贖いが完成して、それから天に入ることができました。でも、ここでは地から出てきています。

2C イスラエルの敗北 15−25
 サムエルはサウルに言った。「なぜ、私を呼び出して、私を煩わすのか。」サウルは言った。「私は困りきっています。ペリシテ人が私を攻めて来るのに、神は私から去っておられます。預言者によっても、夢によっても、もう私に答えてくださらないのです。それで私がどうすればよいか教えていただくために、あなたをお呼びしました。」サムエルは言った。「なぜ、私に尋ねるのか。主はあなたから去り、あなたの敵になられたのに。主は、私を通して告げられたとおりのことをなさったのだ。主は、あなたの手から王位をはぎ取って、あなたの友ダビデに与えられた。あなたは主の御声に聞き従わず、燃える御怒りをもってアマレクを罰しなかったからだ。それゆえ、主はきょう、このことをあなたにされたのだ。」

 生前にサムエルが話していたことと、まったく同じことを話しています。自分が話したがことがすべてその通りになったのだ、とサムエルは言っています。

 主は、あなたといっしょにイスラエルをペリシテ人の手に渡される。あす、あなたも、あなたの息子たちも私といっしょになろう。そして主は、イスラエルの陣営をペリシテ人の手に渡される。

 サムエルの言葉はサウルがペリシテ人の手に渡される、というものでした。事実、第一サムエル記の最後の章、31章にてサムエルがこの戦いで死ぬ場面が出てきます。

3B 恐怖による欠食 20−25
 すると、サウルは突然、倒れて地上に棒のようになった。サムエルのことばを非常に恐れたからである。それに、その日、一昼夜、何の食事もしていなかったので、彼の力がうせていたからである。

 サウルは、できればサムエルからペリシテ人に勝てるという話を聞きたかったのでしょう、けれどもその反対の言葉を聞き、もう耐え切れなくなって、棒のようになってしまいました。

 女はサウルのところに来て、サウルが非常におびえているのを見て彼に言った。「あなたのはしためは、あなたの言われたことに聞き従いました。私は自分のいのちをかけて、あなたが言われた命令に従いました。今度はどうか、あなたがこのはしための言うことを聞き入れてください。パンを少し差し上げますから、それを食べてください。お帰りのとき、元気になられるでしょう。」

 本当に情けないです。神に反抗している霊媒が、神に従っていなければならない王を慰めています。

 サウルは、これを断わって、「食べたくない。」と言った。しかし、彼の家来とこの女がしきりに勧めたので、サウルはその言うことを聞き入れて地面から立ち上がり、床の上にすわった。この女の家に肥えた子牛がいたので、急いでそれをほふり、また、小麦粉を取って練り、種を入れないパンを焼いた。それをサウルとその家来たちの前に差し出すと、彼らはそれを食べた。その夜、彼らは立ち去った。

 サウルの生涯はさらに情けなくなりました。次に出てくるサウルは、殺されるところ、いや自殺するところです。「ほんとうに私は愚かなことをした(26:21参照)」というサウルのことばはその通りでした。ダビデも信仰的に後退しました。どちらにも共通していたのは、恐れです。けれども、神の愛には恐れはありません(1ヨハネ4:18参照)。神が愛してくださっていることを信じて、さらに神に拠り頼んで行きましょう。


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