歴代誌第二11−13章 「信仰の奮闘」


アウトライン

1A へりくだる王 11−12
   1B 慎み深さ 11
      1C 引き返す勇気 1−4
      2C 防備の町々 5−12
      3C 祭司と残りの者の集合 13−17
      4C 内内の結婚 18−23
   2B 主の懲らしめ 12
      1C 敵の攻撃 1−8
      2C 敵の蹂躙 9−16
2A 主に拠り頼む王 13
   1B 反抗の罪 1−12
   2B 叫び声 13−22

本文

 歴代誌第二11章を開いてください、今日は11章から13章まで学んでみたいと思います。ここでのテーマは、「信仰の奮闘」です。

 私たちは前回、「長く続かない栄華」というメッセージ題で、ソロモンの栄華が長く続かなかったことを読みました。それは彼が、主ご自身を求めるのではなく、建築事業や富の蓄積のほうに心を寄せていたことが原因だったことを学びました。その子レハブアムの時代になったら、人の苦労を知ることのなかった彼は、若者の愚かな助言を聞き、イスラエル人の訴えを退けました。それで、レハブアムからイスラエルが離れました。それで彼は、役務長官すなわち税の取り立て屋を彼らのところに送ります。けれども、役務長官は殺されてしまい、レハブアムは自分自身の身の危険を感じて、急いでエルサレムへ逃げてきました。こうして、ソロモン王によるイスラエル大国は瓦解してしまったのです。

 今日からは、ソロモンの後の王の歴史を読んでいきますが、そのような失敗の中にいても、主の前でへりくだりまた主に拠り頼んでいく、ユダの王たちの記録を読んでいきます。彼らもまた、いろいろな失敗を犯しますが、そこから私たち自身が大切な教訓を学ぶことができます。今日は、今話したソロモンの子レハブアムと、その子アビヤの王政について読んでいきます。

1A へりくだる王 11−12
1B 慎み深さ 11

1C 引き返す勇気 1−4
11:1 レハブアムはエルサレムに帰り、ユダとベニヤミンの家から選抜戦闘員十八万を召集し、王国をレハブアムのもとに取り戻すため、イスラエルと戦おうとした。11:2 すると、神の人シェマヤに次のような主のことばがあった。11:3 「ユダの王、ソロモンの子レハブアム、および、ユダとベニヤミンに属する全イスラエルに告げて言え。11:4 『主はこう仰せられる。上って行ってはならない。あなたがたの兄弟たちと戦ってはならない。おのおの自分の家に帰れ。わたしがこうなるようにしむけたのだから。』」そこで、彼らは主のことばに聞き従い、ヤロブアムを目ざして進む行軍を中止して、引き返した。

 役務長官が殺され、自分も命からがら逃げてきたレハブアムは、反逆の罪を犯したヤロブアムとイスラエル人の連中を鎮圧しなければいけないと思いました。そこで選抜戦闘員18万を召集しています。

 ところが、シェマヤという預言者が、彼らがレハブアムを王としないで自分たちの家に帰ったのは、主がなされたことである、との言葉をレハブアムに告げました。前回話しましたように、イスラエルがレハブアムから離反したのは、ソロモンが晩年に偶像礼拝の罪を犯していたからであり、わたしがこの王国を引き裂く、と主が仰られていたからです。レハブアムはこの預言者に怒り、彼を迫害したり殺したりすることもできました。でもその主のことばに聞き従い、行軍を中止したのです。

 私たちが高ぶっているとき、人の忠告を聞くことは難しいです。自分が絶対にしなければいけないと思っていることを、「そうしてはいけない」と言われたとき、その忠告に聞き従うことは難しいです。同じように、主がおっしゃられていることに聞き従うには、へりくだりが必要です。「自分はこう思っているし、こう感じているし、こうしたいけれども、主が仰られているのですから、それを認めます」という態度を、へりくだりと言います。

2C 防備の町々 5−12
11:5 レハブアムはエルサレムに住み、ユダの中に防備の町々を建てた。11:6 すなわち、ベツレヘムとエタムとテコア、11:7 ベテ・ツルとソコとアドラム、11:8 ガテとマレシャとジフ、11:9 アドライムとラキシュとアゼカ、11:10 ツォルアとアヤロンとヘブロン。これらはユダとベニヤミンの中にあり、防備の町々であった。11:11 さらに、彼は防備を固めて、その中に隊長を置き、糧食、油、ぶどう酒をたくわえた。11:12 またすべての町ごとに大盾と槍を置き、これらの町をますます強固にした。こうして、ユダとベニヤミンは彼の側についた。

 反逆するイスラエル人を鎮圧するのを控えたレハブアムは、思いを変えてユダの国の再建に取りかかりました。防備の町々を建て、国を強固にしました。そのため、ユダとベニヤミンはレハブアムの指揮に従うようになりました。レハブアムは、外に大きく手を広げるのではなく、自分の周りをしっかりと固めなければいけない、という知恵を神からいただいたのでしょう。これにも、へりくだりが必要です。私たちは、大きなことをしてみたい、と思います。けれども、その前に目の前にあることに私たちは熱心であるでしょうか?教会の伝道活動に従事するのも良いですが、自分の奥さんや息子、娘に自分がどれだけ、生きたミニストリー(霊的世話、奉仕)を行なっているでしょうか?レハブハムは、まず自分の周りを固めました。

 ところで、ダビデの子に付いてきたのはユダだけでなくベニヤミンもそうでした。他の箇所で、一部族だけがソロモンに残される、という書き方がなされていますが、ベニヤミンはユダのすぐ北にある小さな部族なので、ワンセットに数えられているのでしょう。ピリピ人への手紙2章で、パウロが、人間的には自分には大いに誇るべきものがあるということで、自分がベニヤミン族に属している、と言っています。おそらくは、ベニヤミン族がダビデ家についたことを暗示しているのでしょう。

3C 祭司と残りの者の集合 13−17
11:13 イスラエル全土の祭司たち、レビ人たちは、あらゆる地域から出て来て、彼の側についた。11:14 実は、レビ人は自分たちの放牧地と所有地を捨てて、ユダとエルサレムに来たのである。ヤロブアムとその子らが、主の祭司としての彼らの職を解き、11:15 自分のために祭司たちを任命して、彼が造った高き所と雄やぎと子牛に仕えさせたからである。11:16 さらに、彼らのあとに続いて、イスラエルの全部族の中から、その心をささげてイスラエルの神、主を尋ね求める者たちが、その父祖の神、主にいけにえをささげるためエルサレムに出て来た。11:17 彼らは三年の間、ユダの王権を強固にし、ソロモンの子レハブアムを励ました。三年の間、彼らがダビデとソロモンの道に歩んだからである。

 ここに、南ユダ王国がなぜ北イスラエルよりも長く存続することができたのか、その秘訣が書かれています。それは祭司やレビ人たちの存在、そして北の十部族の中でもヤハウェを信仰した、残された忠実な者たちの存在です。

 祭司やレビ人は、全イスラエルにその住まいが点在していました。それはイスラエルに霊的な力が及ぶための方法であり、ヨシュアが相続地の割り当てを行なうときに、すでに定めていたことでした。けれども、ヤロブアムはエジプトにいたときに慣れ親しんだ金の子牛信仰を北イスラエルに導入して、祭司職もお金で買えるようにしました。そこで、アロンの直系の祭司たちやその他のレビ族の人たちは、その自分たちの住んでいた町々や放牧地を捨てて、ユダとエルサレムにやって来たのです。そして、この彼らの霊的活動が今日だけでなく、次回以降もここ歴代誌には記録されており、主への奉仕がいかに国を強くしていったのかを知ることができます。

 それから、十部族の中からの残された民です。歴代誌を読めば、いわゆる「失われた十部族」という話が根拠のないものであるかが分かります。確かに多くの十部族の人たちは、アッシリヤによって捕え移され、捕え移されなかった人たちも異民族との婚姻によって、混血のサマリヤ人が出てきました。けれども、金の子牛による新宗教に耐えることができなかった少数の十部族の人たちは、ここに書かれているようにユダにやって来たのです。

 このように、国や社会の情勢が悪化しても、それでも主にしがみつこうとする人々がどの時代にも存在することはとても励まされます。どの国においても、また教会においても、ふるいにかけられることがあり、それでも主にある純粋さを保って、塩気を失わないクリスチャンたちがいます。このような忠実な人たちの存在によって、レハブハムの国は大いに励まされました。

4C 内内の結婚 18−23
11:18 レハブアムは、ダビデの子エリモテとエッサイの子エリアブの娘アビハイルとの間にできた娘マハラテをめとって妻とした。11:19 彼女は彼に男の子を産んだ。エウシュ、シェマルヤ、ザハムである。11:20 彼女をめとって後、彼はアブシャロムの娘マアカをめとった。彼女はアビヤとアタイとジザとシェロミテを産んだ。11:21 レハブアムは彼のすべての妻、そばめにまさってアブシャロムの娘マアカを愛した。彼は妻を十八人、そばめを六十人持っており、二十八人の息子、六十人の娘をもうけた。

 レハブアムは、多くの妻やそばめを手に入れましたが、それでもダビデ家の娘たちと結婚していることが分かります。自分と同じくダビデの孫にあたるマハラテと結婚し、次に同じく孫の一人マアカを娶りました。ソロモンが異教徒との婚姻を多く行なったのとは違い、ユダの国内の結束を固めようという意欲があったようです。

11:22 レハブアムはマアカの子アビヤを立ててかしらとし、彼の兄弟たちの間でつかさとした。彼を王にしようと考えたからである。

 マアカを一番愛していてので、その子アビヤを次の王にしようと考えました。

11:23 彼は賢く事を行ない、その子どもたちを全部、ユダとベニヤミンの全土、すなわちすべての防備の町々に分散させたうえ、彼らにたくさんの食糧を供給し、多くの妻を捜し与えた。

 これは、ダビデ家の勢力をユダとベニヤミンの全土に広げていくためです。エルサレムにとどまらせていたら、彼らの中で内紛が起こる可能性があります。けれども、それぞれ自分たちが統括できる町々を与え、そこで影響力を持ってもらうことで、その内紛が起こるのを防げるし、自分の力を全土に広げることができ、一石二鳥です。こうして多くのイスラエル人がレハブアムから離反し、その王権が危うくなったのですが、その危機を乗り越えることができました。

2B 主の懲らしめ 12
1C 敵の攻撃 1−8
12:1 レハブアムの王位が確立し、彼が強くなるに及んで、彼は主の律法を捨て去った。そして、全イスラエルが彼にならった。

 主の言葉に聞いて、へりくだり、王国を強固にさせたレハブアムですが、逆に強くなってしまったので、主の律法を捨ててしまいました。具体的には列王記第一に書いてあります。1422から24節までです。「ユダの人々は主の目の前に悪を行ない、彼らの先祖たちよりひどい罪を犯して主を怒らせた。彼らもまた、すべての高い丘の上や青木の下に、高き所や、石の柱や、アシェラ像を立てた。この国には神殿男娼もいた。彼らは、主がイスラエル人の前から追い払われた異邦の民の、すべての忌みきらうべきならわしをまねて行なっていた。」ソロモンが行なった偶像礼拝を行なっていました。

 主に従っていくことによって、その人が祝福されます。けれどもかえってその祝福によって、主にしたがうのを止めてしまうことが、しばしば起こります。私たちは苦しい時には主に拠り頼みやすいですが、順調なときに、それらの祝福が主から来ていることをすっかり忘れて、自分自身によって与えられたものだと思い上がってしまうのです。けれども、主はご自分の民を愛する愛のゆえ、懲らしめを与えられます。

12:2 レハブアム王の第五年に、エジプトの王シシャクがエルサレムに攻め上って来た。彼らが主に対して不信の罪を犯したからである。12:3 戦車一千二百台、騎兵六万がこれに従った。また、彼とともにエジプトから出陣した民、すなわちルブ人、スキ人、クシュ人の人数は数えきれないほどであった。12:4 彼はユダに属する防備の町々を攻め取り、エルサレムまで攻め寄せて来た。12:5 そのとき、預言者シェマヤが、レハブアムと、シシャクを前にしてエルサレムに集まったユダのつかさたちのもとに来て、彼らに言った。「主はこう仰せられる。『あなたがたがわたしを捨て去ったので、わたしもまたあなたがたを捨ててシシャクの手に渡した。』」

 敵によって攻められるという、主からの懲らしめを受けました。そして再び、レハブアムとつかさたちは、主の前でへりくだります。

12:6 すると、イスラエルのつかさたちと王とはへりくだり、「主は正しい。」と言った。12:7 主が、彼らのへりくだった様子をご覧になると、シェマヤに次のような主のことばがあった。「彼らがへりくだったので、わたしは彼らを滅ぼさない。間もなく彼らに救いを与えよう。シシャクの手によって、わたしの怒りをエルサレムに注ぐことはやめよう。12:8 ただし、彼らは彼のしもべとなる。わたしに仕えることと地の諸王国に仕えることとの違いを思い知るためである。」

 へりくだることは、「主は正しい」と彼らが告白したように、自分が間違っていて、主が正しいとみなすことです。そして、主は怒るのにおそく、あわれむのに早い方です。彼らがへりくだったのをご覧になって、彼らを滅ぼさないようにしてくださいました。

 けれども、懲らしめは与えつづけられます。エジプトのしもべとなる、ということです。その理由が、神に仕えることと、異邦人の王に仕えることの違いを知るためであります。同じ、「仕えること」「しもべになること」でありますが、前者がいかに自由であり、解放と喜び、平安をもたらし、後者がいかに束縛と痛み、苦しみをもたらすか、その違いがあります。多くの人たちは、神の奴隷になることは窮屈であると考えています。ならば、悪魔の奴隷、罪の奴隷になることはどうでしょうか?自分の欲望の奴隷になることはどうでしょうか?今まで自分が楽しんでいると思っていたものによって蝕まれ、自分が持っているあらゆるものも奪い取られ、その最後の姿は空しさと苦みと痛みだけです。この違いを知るために、しばらくの間、エジプトの王に仕えるようになると、主は仰られました。

 私たちは時に、このような主の懲らしめが必要です。罪を犯して、主はその罪を赦してくださいますが、その罪による影響のすべてを私たちから取り除けるわけではありません。むしろ、その影響を残しておられることによって、私たちがいかに自分がやったことがひどい結果をもたらすかを経験し、その罪を憎み、その罪から離れるようになります。「なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。(ヘブル12:10-11

2C 敵の蹂躙 9−16
12:9 エジプトの王シシャクはエルサレムに攻め上って来て、主の宮の財宝、王宮の財宝を奪い取り、何もかも奪って、ソロモンが作った金の盾をも奪い取った。12:10 それで、レハブアム王は、その代わりに青銅の盾を作り、これを王宮の門を守る近衛兵の隊長の手に託した。12:11 王が主の宮にはいるたびごとに、近衛兵が来て、これを運んで行き、また、これを近衛兵の控え室に運び帰った。

 憶えていますか、ソロモンは金で造った大盾や盾を自分の宮殿に置いておきました。エジプトの王はこれを取っていきました。その代わりにレハブアムは、青銅の盾を作りましたが皮肉にも、青銅は神のさばきを意味する金属です。神のさばきに会った事を彼は実感していたのかもしれません。

12:12 このように、彼がへりくだったとき、主の怒りは彼の身を離れ、彼を徹底的に滅ぼすことはされなかった。ユダにも良いことがあったからである。

 この良いところ、というのは、まさにへりくだったこと、主は正しいとしたことでしょう。王国が分裂したことについて、そこに神の主権があったことを認め、また敵に攻められたときにそれが自分の罪であることを認めました。

12:13 こうして、レハブアム王はエルサレムで勢力を増し加え、国を治めた。レハブアムは四十一歳で王となり、主がご自分の名を置くためにイスラエルの全部族の中から選ばれた都、エルサレムで十七年間、王であった。彼の母の名はナアマといい、アモン人であった。12:14 彼は悪事を行なった。すなわち、その心を定めて常に主を求めることをしなかった。

 レハブアムが主の律法を捨て、偶像礼拝をユダに行なわせたその理由は、おそらく自分の母の影響があったのでしょう。彼の母はアモン人でした。

12:15 レハブアムの業績、それは最初から最後まで、預言者シェマヤと先見者イドの言行録にしるされて、系図に載せられているではないか。レハブアムとヤロブアムとの間には、いつまでも争いがあった。12:16 レハブアムは彼の先祖たちとともに眠り、ダビデの町に葬られた。彼の子アビヤが代わって王となった。

 レハブアムとヤロブアムにはいつも、小競り合いがあったのですが、レハブアムが死にアビヤが王となるときに、本格的な戦争が始まりました。それが次13章に書かれています。

2A 主に拠り頼む王 13
1B 反抗の罪 1−12
13:1 ヤロブアム王の第十八年に、アビヤはユダの王となり、13:2 エルサレムで三年間、王であった。彼の母の名はミカヤといい、ギブアの出のウリエルの娘であった。アビヤとヤロブアムとの間には争いがあった。13:3 アビヤは精鋭四十万の勇敢な戦士の部隊を率いて戦争を始めた。一方、ヤロブアムも八十万の精鋭、勇士を率いて彼に対抗し、戦いの備えをした。

 ヤロブアムはかなり長年のこと北イスラエルを治めている政治的手腕家です。王権が子に移譲され、まだアビヤが若い王であるときに、ヤロブアムはここぞとばかりにユダを威嚇しました。それで、戦争が始まりました。戦士たちの数を比べますと、ヤロブアムの軍がアビヤの軍の二倍あることが分かります。けれども、アビヤはヤロブアムに口をもって対決します。

13:4 アビヤはエフライムの山地にあるツェマライム山の頂上に立って、言った。「ヤロブアムおよび全イスラエルよ。私の言うことを聞け。

 アビヤが敵陣のエフライムにまでやって来てきます。

13:5 イスラエルの神、主が、イスラエルの王国をとこしえにダビデに与えられたこと、すなわち、塩の契約をもって、彼とその子らとに与えられたことは、あなたがたが知らないはずはあるまい。13:6 ところが、ダビデの子ソロモンのしもべであったネバテの子ヤロブアムが立ち上がって、自分の主君に反逆したが、13:7 彼のもとに、ごろつき、よこしまな者たちが集まり、ソロモンの子レハブアムより優勢となった。それに、レハブアムは若くて、おくびょうであり、彼らに対抗して自分の力を増し加えることがなかった。

 あなたがたは、神に対抗している。主がダビデに契約を与えられたのに、あなたがたはその子孫レハブアムに対抗しているではないか、ということです。

13:8 そこで今、あなたがたは、ダビデの子らの支配下にある主の王国に敵対して、力を増し加えようとしており、また、あなたがたはおびただしい群れをなしており、ヤロブアムが造ってあなたがたのために神とした金の子牛もあなたがたとともにある。13:9 あなたがたは、アロンの子らである主の祭司たちとレビ人を追放し、諸国の民にならって自分たちのために祭司を任命したではないか。だれでも若い雄牛一頭と雄羊七頭を携えて来て祭司職につこうとする者は、神ならぬものの祭司となったのである。

 政治的に神の定めに反抗しているだけでなく、宗教的、霊的にも反抗している、ということです。エジプトから金の子牛信仰を導入し、アロンの子らとレビ人を追放し、勝手にお金で祭司職を買うことができるようにしたではないか、ということです。

13:10 しかし、私たちの場合は、主が私たちの神である。私たちはこの方を捨てなかった。また、アロンの子らである祭司たちが主に仕えており、レビ人が仕事をしている。13:11 彼らは朝ごとに夕ごとに全焼のいけにえを主にささげ、かおりの高い香をたき、並べ供えたパンを純金の机の上に整え、金の燭台とその上のともしび皿には、夕ごとに火をともしている。私たちは、私たちの神、主の戒めを守っている。それに反し、あなたがたはこの方を捨て去った。

 自分たちは主を神としている。アロンの子らの祭司とレビ人の奉仕によって、また決められたとおりの聖所における礼拝を敢行している、と自分たちの立場を明確にしています。私たちは神のゆえに、いまこの国が成り立っているのだと。

13:12 見よ。神は私たちとともにいて、かしらとなっておられる。また、神の祭司たちも私たちの側におり、合図のラッパを手にして、あなたがたに対し進撃の合図を吹き鳴らそうとしている。イスラエル人よ。あなたがたの父祖の神、主と戦ってはならない。とうてい勝ち目はないからである。」

 アビヤの口から大事な言葉が出てきました。「主と戦ってはならない」という言葉です。全知全能の神、すべてに主権を持っておられる神に人は対抗することはもちろんできません。けれども、人間は愚かにも、対抗できると思っています。その結果は悲惨です。破滅しかもたらされません。

2B 叫び声 13−22
13:13 ヤロブアムは伏兵を回して、この人々の背後から攻めるようにさせた。こうして、彼らはユダの正面におり、伏兵はその背後にいた。

 ヤロブアムは、アビヤの言ってることをまるで無視していました。彼は狡猾な戦術家です。アビヤが行なったように、戦う前にこのような儀礼的発言をしている間に、伏兵を回して背後から攻めさせ、アビヤを挟み撃ちにする準備を行なっていました。

13:14 ユダが向き直ると、見よ、戦いは前後から迫っていた。それで、彼らは主に叫び求め、祭司たちはラッパを吹き鳴らした。

 すばらしいです、アビヤは威勢良く叫んでいただけでなく、本当に主に拠り頼みました。混乱したり、動揺したりすることなく、とにかく主に叫び求め、祭司にラッパを吹き鳴らせました。

13:15 そして、ユダの人々はときの声をあげた。ユダの人々がときの声をあげたとき、神はヤロブアムと全イスラエルを、アビヤとユダの前に打ち破られた。

 ここに霊の戦いと肉の戦いの対比が描かれています。自分たちが神の側に立ち、また神の力によってしっかり立つときに、肉の領域において勝利を収めることができる、ということです。本質は霊の戦いであり、血肉に対するものではありません。

13:16 こうして、イスラエル人はユダの前から逃げ去り、神はこの人々を彼らの手に渡された。13:17 アビヤとその民は彼らをおびただしく打ち殺した。その結果、イスラエルのうち、精鋭五十万が殺されて倒れた。13:18 イスラエル人は、このとき征服され、ユダ人は、勝利を得た。彼らがその父祖の神、主に拠り頼んだからである。

 歴代誌の著者は、勝利の理由をはっきりと書いています。神が敵をユダの手に渡され、彼らは主に拠り頼んだ、と言っています。

13:19 アビヤはヤロブアムのあとを追い、ベテルとそれに属する村落、エシャナとそれに属する村落、エフラインとそれに属する村落など、幾つかの町々を彼から取った。13:20 こうして、ヤロブアムはアビヤの時代には、もはや力をとどめておくことができなかった。主が彼を打たれたので、彼は死んだ。

 この戦いによって、ヤロブアムの死期が早まったようです。それは、主の彼に対するさばきでありました。

13:21 一方、アビヤは勢力を増し加えた。十四人の妻をめとり、二十二人の息子、十六人の娘をもうけた。13:22 アビヤのその他の業績、彼の行ないとことばは、預言者イドの注解にしるされている。

 アビヤもレハブアムと同じように、多くの妻をめとり、またユダ国の強化に努めました。

 次回からアサ王について学びます。彼が初めに行なったのは、偶像を取り除く霊的刷新でした。ということは、アビヤもまたレハブアムと同じように、偶像礼拝を手放さなかったことが分かります。事実、列王記によるとアビヤもレハブアムと同じような罪を犯していることが書かれています。

 このような罪は犯していながらも、それでも、主ご自身を完全に捨てることはせず、信仰を働かせたレハブアムとアビヤの姿を読みました。神はあわれみ深い方です。たとえどんな悪いことを行なっていても、主の前でへりくだろうとする人、主の側に立とうとする人を、この方は見捨てたりなさいません。お祈りしましょう。


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