歴代誌第二17−20章 「善王と悪のつながり」


アウトライン

1A 新たな霊的刷新 17
   1B 律法の教え 1−9
   2B 防備 10−19
2A 不信者とのくびき 18
   1B 善の希求 1−27
      1C 主のことば 1−11
      2C 主の預言者 12−27
   2B 悪による制約 28−34
3A さらなる霊的刷新 19
   1B 主からの叱責 1−3
   2B 裁判の改革 4−11
4A 祈りと賛美の戦い 20
   1B 祈りによる準備 1−19
      1C 不安な時 1−13
      2C 慰めの約束 14−17
      3C 信仰による賛美 18−19
   2B 敵前の賛美 20−30
   3B 変わらない性向 31−37

本文

 歴代誌第二17章を開いてください。今日は17章から20章まで学びます。ここでのテーマは、「善王の悪とのつながり」です。ユダの王ヨシャパテの業績をこれから読みますが、彼は主の前に正しく生きた人でした。けれども、なぜか悪王であるアハブと関わりを持っていきます。前回のアサ王と同じように、彼を通してもたらされた霊的刷新からリバイバルの原則と、また彼の過ちから知ることができる教訓を、学び取っていきたいと思います。

1A 新たな霊的刷新 17
1B 律法の教え 1−9
17:1 そこで、彼の子ヨシャパテが代わって王となり、イスラエルに対して勢力を増し加えた。17:2 彼はユダにあるすべての城壁のある町々に軍隊を置き、ユダの地と、彼の父アサが攻め取ったエフライムの町々に守備隊を置いた。17:3 主はヨシャパテとともにおられた。彼がその先祖ダビデの最初の道に歩んで、バアルに求めず、17:4 その父の神に求め、その命令に従って歩み、イスラエルのしわざにならわなかったからである。

 アサの次にその子ヨシャパテが王となりました。彼が王となったとき、北イスラエルが極悪王アハブが王でした。アハブがシドンの王の娘イゼベルと結婚し、イゼベルがバアル信仰をイスラエルに持ち込むことによって、ヤロブアム以上の深い偶像礼拝へとイスラエルを導きました。このような動きにヨシャパテはまったく影響されずに、主の前に正しく歩んでいました。

17:5 そこで、主は、王国を彼の手によって確立された。ユダの人々はみなヨシャパテに贈り物をささげた。彼には、富と誉れが豊かに与えられた。17:6 彼の心は主の道にいよいよ励み、彼はさらに、高き所とアシェラ像をユダから取り除いた。

 彼の王国は富と誉れが豊かに与えられましたが、彼は高ぶることなく、むしろますます主の道に励みました。

17:7 それから、彼はその治世の第三年に、彼のつかさたち、すなわち、ベン・ハイル、オバデヤ、ゼカリヤ、ネタヌエル、ミカヤなどを遣わし、ユダの町々で教えさせた。17:8 また、彼らとともにレビ人も同行した。すなわち、シェマヤ、ネタヌヤ、ゼバデヤ、アサエル、シェミラモテ、ヨナタン、アドニヤ、トビヤ、トブ・アドニヤなどのレビ人である。それから、彼らとともにエリシャマ、ヨラムなどの祭司も同行した。17:9 彼らはユダで教えた。すなわち、主の律法の書を携えて行き、ユダのすべての町々を巡回して、民の間で教えた。

 前回も話しましたが、リバイバルが起こるときは、必ずそこで主のみことばが教えられています。ヨシャパテは、つかさやレビ人によって主の律法を民の間に教えました。私たちが主を求めるときに、神のみことばに対する飢え渇きが生まれ、聖書の言葉を単なる知識や理解の範疇に収めることなく、心の一新によって自分を変えようとします。

2B 防備 10−19
17:10 そこで、主の恐れが、ユダの回りの地のすべての王国に臨んだため、ヨシャパテに戦いをしかける者はだれもなかった。17:11 また、ペリシテ人の中から、ヨシャパテに贈り物とみつぎの銀を携えて来る者があり、アラビヤ人も、彼のもとに羊の群れ、すなわち、雄羊七千七百頭、雄やぎ七千七百頭を携えて来た。

 霊的改革の結果、周囲の敵国がユダに従うようになりました。特にペリシテ人は、長年のことイスラエルを苦しめているしつこい敵ですが、彼らが従属の意思を表すみつぎ物をヨシャパテに携えてきています。

17:12 こうして、ヨシャパテはしだいに並みはずれて強大になり、ユダに城塞や倉庫の町々を築いた。17:13 彼には、ユダの町々で多くの工事があり、エルサレムには勇士である戦士たちをかかえていた。17:14 彼らの父祖の家ごとの登録は次のとおりである。ユダでは、千人隊の長たちは、隊長アデナ。その配下には勇士三十万人。17:15 王の指揮下に、隊長ヨハナン。その配下には二十八万人。17:16 その指揮下に、みずから進んで主に身をささげたジクリの子アマスヤ。その配下には二十万人の勇士。17:17 ベニヤミンには、勇士エルヤダ。その配下には、弓と盾を持った者が二十万人。17:18 王の指揮下に、隊長エホザバデ。その配下には十八万人の武装した者。17:19 これらは、王がユダ全国にある城壁のある町々に配属した人々とは別に、王に仕えた人々であった。

 ヨシャパテ下のユダは、軍事的にも優位に立ちました。彼は防備の町々を築き、自分の側近には、主を愛する勇士たちがいました。

2A 不信者とのくびき 18
1B 善の希求 1−27
1C 主のことば 1−11
18:1 こうして、ヨシャパテには富と誉れとが豊かに与えられたが、彼はアハブと縁を結んだ。

 ヨシャパテの父アサも、またヨシャパテも、ダビデの道にしたがった善王として描かれていますが、この両者ともに犯した罪のことが聖書には書かれています。アサ王の場合は、最後まで信仰の競争を走らずに、戦いを主に拠り頼まず、他のものを頼りにしていった過ちがありました。ヨシャパテは、「アハブと縁を結んだ」すなわち悪者と同じくびきを負う過ちを犯しています。

 なぜ主を愛しているヨシャパテが、イスラエルの王の中でもっとも悪を愛していたアハブに惹かれていったのか、解りません。同胞の民なのだから仲良くしなければいけないと思ったのか、それとも異質なものに対する興味なのか、何なのか解りません。けれども私たちは、悪について好奇心を抱いてしまいます。パウロはコリントの教会の人たちに、「悪事においては幼子でありなさい。(1コリント14:20」と言いました。また詩篇や箴言などたくさんの箇所で、「主を恐れて、悪から離れよ」とか「悪を離れて、善を行なえ。」との命令があります。ヨシャパテは、離れていなければならない悪人に近づいていました。

18:2 何年かたって後、彼が、サマリヤに下ってアハブのもとに行ったとき、アハブは彼および彼とともにいた民のために、おびただしい羊や牛の群れをほふったうえ、彼を誘い込んで、ラモテ・ギルアデに攻め上らせようとした。18:3 そのとき、イスラエルの王アハブはユダの王ヨシャパテに言った。「私とともにラモテ・ギルアデに行ってくれませんか。」すると、彼は答えた。「私とあなたとは同じようなもの、私の民はあなたの民と同じようなものです。あなたとともに戦いに臨みましょう。」

 アハブにとって、ヨシャパテが自分の味方に付けばしめたものです。ユダ王国が強大になっているので、アハブは脅威を感じていたでしょうが味方につけて、しかも自分の思う方向にヨシャパテを動かすことができます。そして、彼は羊や牛を何頭もほふって、霊的な装いをしてまんまとヨシャパテをだましました。そして、シリヤが占拠しているラモテ・ギルアデをいっしょに攻める確約を得たのです。

18:4 ヨシャパテは、イスラエルの王に言った。「まず、主のことばを伺ってみてください。」18:5 そこで、イスラエルの王は四百人の預言者を召し集めて、彼らに尋ねた。「私たちはラモテ・ギルアデに戦いに行くべきだろうか。それとも、私はやめるべきだろうか。」彼らは答えた。「上って行きなさい。そうすれば、神は王の手にこれを渡されます。」18:6 ところが、ヨシャパテは、「ここには、私たちがみこころを求めることのできる主の預言者がほかにいないのですか。」と言った。

 ヨシャパテは、主を愛していました。「主のことばを伺ってみてください」との誘い、また「みこころを求めることのできる主の預言者はほかにいないのですか」という疑問から、彼が御霊の人であることを察することができます。

 何かをしようとするとき、ただ勢いや自分の願いや欲求に任せて行なうのではなく、まず心を尽くして主を求め、主をすべての道に認めることをヨシャパテは行なっていたのです。それで、ラモテ・ギルアデに行くことも、主に伺いを立てなければ居心地が悪いと思っていました。

 そして、全員の預言者がラモテ・ギルアデに上っていきなさい、と言っているのを聞いて、なんか変だと思った識別力がヨシャパテにはありました。そこに流れている霊的雰囲気で感じとったのでしょうし、また、アハブがやりたいことをそのまま後押しするような預言に違和感を抱いたのかもしれません。主の戒めは、大抵、いやいつも、人間が自然に思うことや考えることに反しています。人間が意気消沈しているとき「恐れるな」と励ます言葉になるし、自分が有頂天になっているときに、「慎み深い考えを持ちなさい」と戒めるし、とにかく自分のあり方を否み、主のあり方を選びとることによって、自分ではなく主が自分を通して行なってくださるのが、神のみことばの方向性です。このような神のみことばの性質と反して、自分の気持ちを補うかのような預言にヨシャパテは違和感を抱きました。

18:7 イスラエルの王はヨシャパテに答えた。「いや、ほかにもうひとり、私たちが主のみこころを求めることのできる者がいます。しかし、私は彼を憎んでいます。彼は私について、決して良いことは預言せず、いつも悪いことばかりを預言するからです。それは、イムラの子ミカヤです。」すると、ヨシャパテは言った。「王よ。そういうふうには言わないでください。」

 今話したように、本当の預言者は、人の心を刺すようなことも話します。だから悔い改めができるのですが、アハブにはいつも悪いことばかり預言をするようにしか聞こえませんでした。

18:8 そこで、イスラエルの王はひとりの宦官を呼び寄せ、「急いで、イムラの子ミカヤを呼んで来なさい。」と命じた。18:9 イスラエルの王と、ユダの王ヨシャパテは、おのおの王服を着て、王の座に着き、サマリヤの門の入口にある打ち場にすわっていた。預言者はみな、ふたりの前で預言していた。18:10 そのとき、ケナアナの子ゼデキヤは、王のために鉄の角を作って言った。「主はこう仰せられます。『これらの角で、あなたはアラムを突いて、絶滅させなければならない。』」

 預言活動は、言葉を発するだけではなく、ゼデキヤのようにパフォーマンスによって預言することもあります。彼は、アハブの勢いでシリヤを打つことを示すために、鉄の角を作りました。

18:11 ほかの預言者たちもみな、同じように預言して言った。「ラモテ・ギルアデに攻め上って勝利を得なさい。主は王の手にこれを渡されます。」

2C 主の預言者 12−27
18:12 さて、ミカヤを呼びに行った使いの者はミカヤに告げて言った。「いいですか。預言者たちは口をそろえて、王に対し良いことを述べています。お願いですから、あなたもみなと同じように語り、良いことを述べてください。」18:13 すると、ミカヤは答えた。「主は生きておられる。私の神が告げられることを、そのまま述べよう。」

 政治の世界で口あわせというのはありますが、預言の世界でも口あわせがあったようです。しかしミカヤは、神が告げられることをそのまま述べよう、と言っています。これが、みことばを告げる者にしばしば与えられる試練です。人々を喜ばせたり、人々をつまずかせてはいけないと思って、主が告げられることを全て話さないで、薄めて話したり、酷いときは歪めて話す危険さえあります。そのようなことをすれば、ここで預言者が口あわせをしているのと同じような過ちを犯すことになるのです。

18:14 彼が王のもとに着くと、王は彼に言った。「ミカヤ。私たちはラモテ・ギルアデに戦いに行くべきだろうか。それとも、私はやめるべきだろうか。」すると、彼は答えた。「攻め上って勝利を得なさい。彼らはあなたがたの手に渡されます。」18:15 すると、王は彼に言った。「いったい、私が何度あなたに誓わせたら、あなたは主の名によって真実だけを私に告げるようになるのか。」

 ミカヤは、非常に嫌みったらしく、皮肉を込めて言ったので、アハブはいだらちました。それでミカヤは、真に神に告げられたことを話します。

18:16 彼は答えた。「私は全イスラエルが、山々に散らされているのを見た。まるで、飼い主のいない羊の群れのように。そのとき、主は仰せられた。『彼らには主人がいない。彼らをおのおのその家に無事に帰さなければならない。』」18:17 イスラエルの王はヨシャパテに言った。「彼は私について良いことを預言せず、悪いことばかりを預言すると、あなたに言っておいたではありませんか。」

 ミカヤはアハブを羊飼いに、イスラエル人たちを羊にたとえています。つまりアハブは死に、王が死んだのでイスラエルがそれぞれ自分の家に帰ることを預言しました。そして次にアハブは、なぜ他の預言者たちが偽預言をしているのか、その裏事情、つまり天国サイドの幻を伝えます。

18:18 すると、ミカヤは言った。「それゆえ主のことばを聞きなさい。私は主が御座に着き、天の万軍がその右左に立っているのを見ました。18:19 そのとき、主は仰せられました。『だれか、イスラエルの王アハブを惑わして、攻め上らせ、ラモテ・ギルアデで倒れさせる者はいないか。』すると、ある者は一つの案を述べ、他の者は別の案を述べました。18:20 それから、ひとりの霊が進み出て、主の前に立ち、『この私が彼を惑わします。』と言いますと、主が彼に『どういうふうにやるのか。』と尋ねられました。18:21 彼は答えました。『私が出て行き、彼のすべての預言者の口で偽りを言う霊となります。』すると、『あなたはきっと惑わすことができよう。出て行って、そのとおりにせよ。』と仰せられました。18:22 今、ご覧のとおり、主はここにいるあなたの預言者たちの口に偽りを言う霊を授けられました。主はあなたに下るわざわいを告げられたのです。」

 アハブを死に定めることが神のみこころで、そのさばきを行なうために、神は偽りを言う悪霊が嘘を言うままにさせました。究極的には、悪魔や悪霊は神のしもべであります。彼らは神への反逆者でありますが、神の主権の中で神の許しなしには何もできない存在です。主は、ご自分に聞き従わず、ご自分の守りからはみ出そうとする者たちは、確かにはみ出すがままにさせます。

18:23 すると、ケナアナの子ゼデキヤが近寄って来て、ミカヤの頬をなぐりつけて言った。「どの道を通って、主の霊が私を離れて行き、おまえに語ったというのか。」18:24 ミカヤは答えた。「いまに、あなたが奥の間にはいって身を隠すときに、思い知るであろう。」18:25 すると、イスラエルの王は言った。「ミカヤを連れて行け。町のつかさアモンと王の子ヨアシュのもとに下がらせよ。18:26 王が『この男を獄屋に入れ、私が無事に戻って来るまで、わずかなパンとわずかな水をあてがっておけ。』と命じたと言え。」18:27 ミカヤは言った。「万が一、あなたが無事に戻って来られることがあるなら、主は私によって語られなかったのです。」そして、「みなの人々よ。聞いておきなさい。」と言った。

 預言者ゼデキヤは怒り、アハブ王も怒りました。けれどもミカヤは、「預言者は、その預言がその通りになるかどうかで決まる」ということを話しています。アハブ王が死んだなら、ゼデキヤは偽預言者であり、奥の間に入って身を隠さなければいけません。けれどもシリヤに勝利して、生きたまま帰ってきたら、ミカヤが偽預言を行なったことになります。それで試しなさい、と言いました

2B 悪による制約 28−34
18:28 こうして、イスラエルの王とユダの王ヨシャパテは、ラモテ・ギルアデに攻め上った。

 ヨシャパテは、主の預言者がこれが負け戦であると預言したのに、結局、共に戦いに出かけました。ここに妥協することの代価が書かれています。私たちが一度、悪の影響下に自分を置いてしまうと、神が自分に与えられた良心に反して、周りの影響力で動いてしまう力がものすごく働きます。その力に屈せざるを得なくなってくるのです。

18:29 そのとき、イスラエルの王はヨシャパテに言った。「私は変装して戦いに行こう。でも、あなたは、自分の王服を着ていてください。」こうして、イスラエルの王は変装し、彼らは戦いに行った。

 このようなあからさまな悪巧みに、ヨシャパテは気づかないほどになっています。アハブが自分が助かって、ヨシャパテを犠牲にすることはあまりにも明らかです。にも関わらず、ヨシャパテはアハブの願いを聞き入れています

18:30 アラムの王は、自分の配下の戦車隊長たちに命じて言った。「兵や将校とは戦うな。ただイスラエルの王を目ざして戦え。」18:31 戦車隊長たちはヨシャパテを見たとき、「あれはイスラエルの王に違いない。」と思ったので、彼を取り囲んで戦おうとした。すると、ヨシャパテは助けを叫び求めた。主は彼を助けられた。神は彼らを、彼から離れるように仕向けられた。18:32 戦車隊長たちは、彼がイスラエルの王ではないことを知ったとき、彼を追うことをやめ、引き返した。

 神がヨシャパテをあわれんで、彼の叫びを聞かれて、彼を助けられました。

18:33 ところが、ひとりの兵士が何げなく弓を放つと、イスラエルの王の胸当てと草摺の間を射抜いた。そこで、王は戦車の御者に言った。「手綱を返して、私を敵陣から抜け出させてくれ。傷を負ってしまった。」18:34 その日、戦いはますます激しくなった。イスラエルの王はアラムに向かって、夕方まで戦車の中に立っていたが、日没のころになって死んだ。

 ミカヤが預言したとおりになりました。

3A さらなる霊的刷新 19
1B 主からの叱責 1−3
19:1 ユダの王ヨシャパテは無事に自分の家に帰り、エルサレムに戻った。19:2 すると、先見者ハナニの子エフーが彼の前に出向いて来て、ヨシャパテ王に言った。「悪者を助けるべきでしょうか。あなたは主を憎む者たちを愛してよいのでしょうか。これによって、あなたの上に、主の前から怒りが下ります。19:3 しかし、あなたには、良いことも幾つか見られます。あなたはこの地からアシェラ像を除き去り、心を定めて常に神を求めて来られました。」

 18章の話は列王記にもあったので覚えておられたかと思いますが、その後の、ヨシャパテの側の話はここが初めてです。彼がエルサレムに戻ってから、預言者が彼が行なったことを責めました。「悪者を助けるべきでしょうか。あなたは主を憎む者たちを愛してよいのでしょうか。」と言っています。これは先にも話しましたが、私たちは悪を行なうことを避けるだけでなく、悪が支配している環境の中に自分を置くことも避けなければいけないということです。

 このことをパウロは、「同じくびきを負ってはいけない」という言葉で次のように話しています。「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。(2コリント6:14-15

 
ちなみに、この預言者エフーは、ハナニがその父でした。ハナニは、ヨシャパテの父アサに対する預言者でした。主に拠り頼むのではなくシリヤに拠り頼んだから、数々の戦いに巻き込まれると預言したら、アサは怒ってハナニを牢屋に入れてしまいました。けれども、ヨシャパテはそのようにエフーに対して反応しません。さらなる霊的改革を断行します

2B 裁判の改革 4−11
19:4 ヨシャパテはエルサレムに住んだ。それから、彼はもう一度ベエル・シェバからエフライムの山地に至る民の中へ出て行き、彼らをその父祖の神、主に立ち返らせた。

 ヨシャパテは、自分の命が危うくなる経験と、エフーの叱責に言葉によって目が覚めたのでしょう、主にあって思いを変えて、さらに主にあって奮い立ち、ユダ全体で霊的改革を行ないました。

19:5 さらに、彼はこの地、すなわち、ユダにあるすべての城壁のある町々にさばきつかさを立て、町ごとにこれを任命し、19:6 さばきつかさたちにこう言った。「あなたがたは自分のする事に注意しなさい。あなたがたがさばくのは、人のためではなく、主のためだからです。この方は、さばきが行なわれるとき、あなたがたとともにおられるのです。19:7 今、主への恐れがあなたがたにあるように。忠実に行ないなさい。私たちの神、主には、不正も、えこひいきも、わいろを取ることもないからです。」

 ヨシャパテは、裁判官が主を恐れるように教えました。裁判官は、聖書では「神」とさえ呼ばれるほど、重責を担っています。裁かれる人の人生がすべて裁判官によって定められるからです。けれども、この裁判官は、かの日に神の前で自分が下した判決のことで申し開きをしなければいけないことを、ヨシャパテは「人のためではなく、主のため」と言って話しています。

19:8 なお、ヨシャパテはエルサレムでは、レビ人と祭司の中から、またイスラエルに属する一族のかしらたちの中から、主のさばき、および訴訟に携わる者たちを任命していた。エルサレムに帰ったとき、19:9 彼はこの人々に次のように命じた。「あなたがたは、主を恐れ、忠実に、また全き心をもって、このように行なわなければなりません。19:10 おのおのの町に住んでいるあなたがたの兄弟たちから、あるいは互いの流血事件について、あるいは律法、命令、おきて、定めなどについて、あなたがたのところに訴訟が持ち込まれた場合には、いつでも、あなたがたは、彼らが主に対して罪を負い、その結果、あなたがたとあなたがたの兄弟たちの上に御怒りが下ることのないよう、彼らに警告を与えなければなりません。あなたがたはこのように行ないなさい。そうすれば罪を負わずに済むのです。

 ヨシャパテは、一般事項の裁判官だけでなく、宗教的・霊的事柄についてのさばきつかさも任命しました。そして、単に判断を下すだけでなく、罪を犯すことがないように警告も与え、教え諭すことも命令しています。さらに警告を与えれば、自分自身が罪を負わずにすむ、と話しています。ここは大事な点です。私たちは、相手に語って受け入れてもらえなければ、それはもはや自分の責任ではありません。その人が罪を負います。けれども、私たちが語らなければ、その非は私たちが負わなければいけません。大事なのは伝えることであり、信じさせることではないのです。

19:11 ご覧なさい。あなたがたの上のかしら、祭司アマルヤは、主の事がら全体に当たります。また、ユダの家のつかさイシュマエルの子ゼバデヤは王の事がら全体に当たってくれます。さらに、あなたがたの前のレビ人はつかさです。勇気を出して実行しなさい。主が善人とともにいてくださるように。」

 こうしてヨシャパテが、さばきつかさたちを励ました後に、さらなる試練が訪れました。

4A 祈りと賛美の戦い 20
1B 祈りによる準備 1−19
1C 不安な時 1−13
20:1 この後、モアブ人とアモン人、および彼らに合流したアモン人の一部が、ヨシャパテと戦おうとして攻めて来た。20:2 そこで、人々は来て、ヨシャパテに告げて言った。「海の向こうのアラムからおびただしい大軍があなたに向かって攻めて来ました。早くも、彼らはハツァツォン・タマル、すなわちエン・ゲディに来ています。」

 モアブ人とアモン人は、死海の東側に住んでいる民です。彼らがヨシャパテに攻め入ってきました。「海の向こうのアラムから」となっていますが、おそらくこれは写本に書き写したときの誤りでしょう、アラムではなくセイルのほうです。死海の向こう側からやって来て、すでに死海の手前、エン・ゲディのところまで来ています。

20:3 ヨシャパテは恐れて、ただひたすら主に求め、ユダ全国に断食を布告した。

 ヨシャパテは正しい行動に取りました。恐れているとき、何をしなければならないのか、彼は分かっていました。主を求めるのです。ピリピ人への手紙にこう書いてあります。「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。(4:6

20:4 ユダの人々は集まって来て、主の助けを求めた。すなわち、ユダのすべての町々から人々が出て来て、主を求めた。20:5 ヨシャパテは、主の宮にある新しい庭の前で、ユダとエルサレムの集団の中に立って、20:6a 言った。

 ユダのすべての人が集まってきました。そしてヨシャパテは、すべてのユダの人たちと共に、主の宮のところで祈りました。

20:6b「私たちの父祖の神、主よ。あなたは天におられる神であり、また、あなたはすべての異邦の王国を支配なさる方ではありませんか。あなたの御手には力があり、勢いがあります。だれも、あなたと対抗してもちこたえうる者はありません。

 聖書に書かれてある祈りから、神について、また神の約束について多くのことを学びます。そして実際、聖書に書かれている祈りから、祈りについて多くを学ぶことができます。

 ヨシャパテは、イスラエルの神は、天におられる方であり、異邦の王国の上におられる方だと言っています。今、異邦の王国が攻めてきていますが、自分たちの神は王の王であり、何でもすることができる神であることを認識したのです。

20:7 私たちの神よ。あなたはこの地の住民をあなたの民イスラエルの前から追い払い、これをとこしえにあなたの友アブラハムのすえに賜わったのではありませんか。

 ヨシャパテが次に祈ったのは、神の約束です。私たちはとかく、自分たちの願いを神にぶつけて、神にそれを聞き入れてもらおうとしますが、神のみこころにしたがって、神は祈りを聞かれます。神のみこころがその通りになることが最善のことです。ですから、神の約束が成就することが神がもっとも望まれていることであり、神の約束に訴えることは非常に効果的な祈りです。ヨシャパテは、イスラエルの地は、あなたがアブラハムに約束された地ではありませんか、と訴えています。

20:8 彼らはそこに住み、あなたのため、御名のために、そこに聖所を建てて言いました。20:9 『もし、剣、さばき、疫病、ききんなどのわざわいが私たちに襲うようなことがあれば、私たちはこの宮の前、すなわち、あなたの御前に立って・・あなたの御名はこの宮にあるからです。・・私たちの苦難の中から、あなたに呼ばわります。そのときには、あなたは聞いてお救いくださいます。』

 これはソロモンがいのった祈りです。神殿が完成して、神殿奉献式にてソロモンが祈ったことを、そのまま告げています。

20:10 ところが今、アモン人とモアブ人、およびセイル山の人々をご覧ください。この者たちは、イスラエルがエジプトの地を出て来たとき、イスラエルがそこに侵入することをあなたがお許しにならなかった者たちです。事実、イスラエルは彼らから離れ去り、これを根絶やしにすることはしませんでした。

 イスラエルは荒野の旅をしているとき、死海の東、ヨルダン川の東を歩いていきました。そのとき、エドム人が住んでいるセイルを通れば近道だったのですが、主がそこを通るなと命じられたので、彼らは迂回しました。ヨシャパテが言いたいのは、「だから、私たちイスラエルの非ではありません。あなたが私たちを守る義務があるのです。」ということです。ここから学べるのは、良心をきよく保って祈る、ということです。もし私たちが罪を犯して、その結果として受けているものであれば、主は正しい方ですと言って、へりくだる必要があります。けれども、そうではなく主にしたがっている中で起こってくる出来事については、主が何とかしてくださいます。

20:11 ご覧ください。彼らが私たちにしようとしていることを。彼らは、あなたが私たちに得させてくださったあなたの所有地から私たちを追い払おうとして来ました。20:12 私たちの神よ。あなたは彼らをさばいてくださらないのですか。私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。」

 すばらしい行動です。ただ主に私たちの目を注ぐのみ、というのは、私たちが試練にあっているとき、非常に賢い行動です。何もできないのかもしれません。周りを見るだけで、自分はうろたえてしまいます。けれども、主を見ることはできます。じっとその中でがまんすることができます。

20:13 ユダの人々は全員主の前に立っていた。彼らの幼子たち、妻たち、子どもたちも共にいた。

 一部の人だけでなく、女子供含むすべての人が主を求めていました。

2C 慰めの約束 14−17
20:14 ときに、主の霊が集団の中で、アサフ族の出のレビ人ヤハジエルの上に臨んだ。彼はマタヌヤの子エイエルの子ベナヤの子ゼカリヤの子である。20:15 彼は言った。「ユダのすべての人々とエルサレムの住民およびヨシャパテ王よ。よく聞きなさい。主はあなたがたにこう仰せられます。『あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。20:16 あす、彼らのところに攻め下れ。見よ。彼らはツィツの上り道から上って来る。あなたがたはエルエルの荒野の前の谷のはずれで、彼らに会う。20:17 この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救いを見よ。ユダおよびエルサレムよ。恐れてはならない。気落ちしてはならない。あす、彼らに向かって出陣せよ。主はあなたがたとともにいる。』」

 主は、預言者を通して慰めの言葉を与えられました。「恐れてはならない、気落ちしてならない」と二度も励ましています。私たちはこのように、試練の中にいるとき、危機の中にいるとき、ただ主に目を注いで、主から語られる言葉を待ち望むべきです。主は真実な方ですから、必ず語ってくださいます。そしてその約束は絶対にかなえられます。

3C 信仰による賛美 18−19
20:18 それで、ヨシャパテは地にひれ伏した。ユダのすべての人々とエルサレムの住民も主の前にひれ伏して主を礼拝し、20:19 ケハテ族、コラ族のレビ人たちが立ち上がり、大声を張り上げてイスラエルの神、主を賛美した。

 すばらしいです、実際に約束が成就するのを目で見ていないのに、彼らは約束を信じて賛美しました。これこそ本当に賛美であり、信仰による賛美です。このような賛美をささげた信仰の父がいます。アブラハムです。ローマ人への手紙4章によると、彼はサラが男の子を産むとの約束を受けてから、サラがまだ身ごもってもいない時期から、神に栄光を帰していたことが書かれています。私たちがそれだけの信仰が、つまり、みことばに満たされ、みことばを素直に信じることができるような、聖霊の満たしが必要なのです。

2B 敵前の賛美 20−30
20:20 こうして、彼らは翌朝早く、テコアの荒野へ出陣した。出陣のとき、ヨシャパテは立ち上がって言った。「ユダおよびエルサレムの住民よ。私の言うことを聞きなさい。あなたがたの神、主を信じ、忠誠を示しなさい。その預言者を信じ、勝利を得なさい。」20:21 それから、彼は民と相談し、主に向かって歌う者たち、聖なる飾り物を着けて賛美する者たちを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう歌うためであった。「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」

 テコアは、ベツレヘムとヘブロンの間にあり、そこからはるか東に死海が見えます。モアブとアモンが攻めて来るのを一望できる場所です。そこで彼らは武装しただけでなく、なんとレビ人が前面に出て、そこで賛美をさせ、歌をうたわせたのです。

20:22 彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、主は伏兵を設けて、ユダに攻めて来たアモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた。20:23 アモン人とモアブ人はセイル山の住民に立ち向かい、これを聖絶し、根絶やしにしたが、セイルの住民を全滅させると、互いに力を出して滅ぼし合った。20:24 ユダが荒野に面した物見の塔に上ってその大軍のほうを見渡すと、なんと、死体が野にころがっている。のがれた者はひとりもない。

 霊の戦いにおいて、祈りこそ力強いものはありませんが、賛美もまた力があります。私たちが目に見えるものを見るのではなく、神ご自身と神の約束を見ることを賛美は可能にしてくれます。この中で主にある勝利を収めることが実に多いのです。

20:25 ヨシャパテとその民が分捕りをしに行くと、その所に、武具、死体、高価な器具を数多く見つけたので、これを負いきれないほど、はぎ取って、自分のものとした。あまりにも多かったので、彼らはその分捕りに三日かかった。20:26 四日目に、彼らはベラカの谷に集まり、その所で主をほめたたえた。それゆえ、人々はその所の名をベラカの谷と呼んだ。今日もそうである。

 あまりにも分捕り物が多かったので、一回では到底運びきれないほどでした。

20:27 それから、ユダとエルサレムの人々はひとり残らず、ヨシャパテを先頭にして、喜びのうちにエルサレムに凱旋した。主が彼らに、その敵のことについて喜びを与えられたからである。20:28 彼らは、十弦の琴、立琴、ラッパを携えてエルサレムにはいり、主の宮に行った。

 戦いの前だけでなく、戦いの後にも賛美をささげました。すべての感謝を神にささげます。

20:29 地のすべての王国が、主はイスラエルの敵と戦われたということを聞いたとき、神の恐れが彼らの上に臨んだ。20:30 このようなわけで、ヨシャパテの治世は平穏であった。彼の神は、周囲の者から守って、彼に安息を与えられた。

 主を愛し、主と共に歩む者には、いつも平安という実が結ばれます。

3B 変わらない性向 31−37
20:31 このようにして、ヨシャパテはユダを治めた。彼は三十五歳で王となり、エルサレムで二十五年間、王であった。その母の名はアズバといい、シルヒの娘であった。20:32 彼はその父アサの道に歩み、その道からそれることなく、主の目にかなうことを行なった。20:33 しかし、高き所は取り除かなかったので、民はなおも、彼らの父祖の神にその心を定めようとしなかった。

 アサ王のときもヨシャパテの時も、高き所は取り除きませんでした。

20:34 ヨシャパテのその他の業績は、最初から最後まで、イスラエルの王たちの書に載せられたハナニの子エフーの言行録にまさしくしるされている。20:35 その後、ユダの王ヨシャパテは、悪事を行なったイスラエルの王アハズヤと同盟を結んだ。20:36 彼はタルシシュへ行くための船団をつくるためにこの王と結んだ。彼らはエツヨン・ゲベルで船団をつくった。20:37 そのとき、マレシャの出のドダワの子エリエゼルがヨシャパテに向かって預言し、こう言った。「あなたがアハズヤと同盟を結んだので、主はあなたの造ったものを打ちこわされました。」そうこうするうちに、船は難破し、タルシシュへそのまま行くことができなかった。

 なんと、ヨシャパテはアハブ王の死後、その子アハズヤとも同盟を結びました。神がそのことをよしとされなかったので、タルシシュに行く航行の試みをだめにされました。

 ヨシャパテから、リバイバルについていろいろなことを学ぶことができるぐらい、彼の生涯は主に向けられていましたが、悪者と仲良くする事においては、彼はその罪を克服することができませんでした。この代償は次回の学びで見ていくことができます。ヨシャパテ自身は、偶像礼拝の罪を犯すことはなく、悪者たちの間にいても罪を犯すことはありませんでした。けれども彼の子ヨラムは、アハブとイゼベルの娘アタルヤと結婚したのです。そのためヨラム、またその子アハズヤは主の前に悪を行ないました。また、この二人とまたアタルヤ自身によって、ダビデの子孫が途絶えるほどの危機を迎えます。ヨシャパテは大丈夫だったのですが、彼の子は大丈夫でなかったのです。

 ここから私たちは、自分の良心をきよく保つだけでなく、周囲の人たちのためにも悪者といっしょになってはいけない、という教訓を学ぶことができます。パウロがコリントの人たちに手紙を出したときに、彼らが偶像にささげられた肉を食べていたことについて、良心の弱い人がこれによって罪を犯して滅んでしまうと言って彼らを戒めました。自分は自由であっても、そうではない人がいるのです。そうではない人たちを主にあって愛していくとき、私たちはあえてその自由を用いない選択もあるのです。牧師などの教会指導者だけでなく、夫として、また母親として、また友人や知人に対して、私たちは信仰の模範という責任を持っているのです。


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