サムエル記第二13−14章 「親の罪」

アウトライン

1A 懲らしめない父 13
   1B 同じ罪 1−22
      1C 情欲 1−19
      2C 憎しみ 20−22
   2B 愛の欠如 23−39
      1C 招きに応じない父 23−33
      2C 赦せない心 34−39
2A 和解しない心 14
   1B ヨアブの仲介 1−24
      1C 知恵ある女 1−20
      2C 願いを聞き入れなかった王 21−24
   2B 父の愛を欲する息子 25−33

本文

 サムエル記第二13章を開いてください。13章と14章を学びます。ここでのテーマは、「親の罪」です。

 前回私たちは、ダビデがウリヤから妻バテ・シェバを奪い、ウリヤを殺すという罪を犯したところを読みました。ナタンに罪を指摘されたダビデは、すぐに主に罪を犯したことを告白し、ダビデの罪はすぐに赦されましたが、それでも罪を犯したことによる結果は免れることができないことを、ナタンは預言しました。12章の10節から12節です。「『・・・今や剣は、いつまでもあなたの家から離れない。あなたがわたしをさげすみ、ヘテ人ウリヤの妻を取り、自分の妻にしたからである。』主はこう仰せられる。『聞け。わたしはあなたの家の中から、あなたの上にわざわいを引き起こす。あなたの妻たちをあなたの目の前で取り上げ、あなたの友に与えよう。その人は、白昼公然と、あなたの妻たちと寝るようになる。あなたは隠れて、それをしたが、わたしはイスラエル全部の前で、太陽の前で、このことを行なおう。』」剣があなたの家から離れないという、ということですが、これがそれほど時を経ることなく、実際に起こっていきます。

1A 懲らしめない父 13
1B 同じ罪 1−22
1C 情欲 1−19
13:1 その後のことである。ダビデの子アブシャロムに、タマルという名の美しい妹がいたが、ダビデの子アムノンは彼女を恋していた。

 これまでサムエル記第二を読み、二回、ダビデの妻たちと子どもたちが列挙されている部分を読みました。一つは3章ですが、ダビデがヘブロンで王であったときに、イズレエル人アヒノアムから産まれた子がアムノンであることが書かれています。つまりアムノンが、すべてのダビデの息子たちの中で長男であることがわかります。そして三男として、ゲシェルの王タルマイの娘マアカの子アブシャロムが与えられたことも書かれています。この異邦人の王の娘は、アブシャロムの他に娘タマルを産んでいました。そして、ダビデの長男アムノンが、腹違いの母から生まれた妹タマルを恋していました。

13:2 アムノンは、妹タマルのために、苦しんで、わずらうようになった。というのは、彼女が処女であって、アムノンには、彼女に何かするということはとてもできないと思われたからである。

 現代の日本では、処女性をなくすことは当たり前のように思われるかもしれませんが、聖書では死活的です。モーセ五書にある神の律法では、男が女と寝るということは、イコールめとることと同じでした。性的な結びつきは、そのまま、霊的、精神的、社会的責任が生じる結婚であると考えられていたのです。申命記22章によると、もし男が婚約中の処女と寝たならば、それが和姦であればどちらも死刑、強姦であれば男だけが死刑です。そして婚約していない女と寝た場合は、女の父に高額の花嫁料を渡し、一生涯、彼女の夫とならなければいけません。

 それに加えて、レビ記20章には、近親相姦を犯す者が死刑になると定められています。2017節に、異なる母であっても、父が同じであれば、その半兄弟らは民の間から断ち切られなければならない、と書いてあります。したがって、アムノンは、彼女が処女であること、そして自分の妹であるということで、彼女と寝たくても、寝ることができず、もだえ苦しんでいました。

13:3 アムノンには、ダビデの兄弟シムアの子でヨナダブという名の友人がいた。ヨナダブは非常に悪賢い男であった。

 悪い友は持ってはいけませんね、アムノンの従兄弟であるヨナダブはアムノンに悪知恵を垂れます。

13:4 彼はアムノンに言った。「王子さま。あなたは、なぜ、朝ごとにやつれていくのか、そのわけを話してくれませんか。」アムノンは彼に言った。「私は、兄弟アブシャロムの妹タマルを愛している。」

 ここでの「愛」は、本当に愛でしょうか?英語でよく言われる表現ですが、現代、私たちがしばしば使う「愛(Love)」は、「情欲(Lust)」と言い換えられる、と言います。アムノンは、タマルを愛していたのではなく、自分を愛していたのです。彼女の益になることを求めるのが愛ですが、彼は自分の欲望が充たされることを願っていたわけで、これは、愛ではありません。

 エペソ人への手紙の中に、興味深い勧めがあります。5章2節にて、パウロは、「愛のうちに歩みなさい。」と勧めています。そしてそのすぐ後に、「あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。(3節)」と言っています。捨てるべき行ないとして不品行が初めに列挙されていますが、これが、愛から程遠い存在であるから初めに列挙されているとも言えます。ですからアムノンは情欲に突き動かされていました。

13:5 ヨナダブは彼に言った。「あなたは床に伏せて、仮病を使いなさい。あなたの父君が見舞いに来られたら、こう言いなさい。『どうか、妹のタマルをよこして、私に食事をさせ、私に見えるように、この目の前で病人食を作らせてください。タマルの手から、それを食べたいのです。』」

 これが悪知恵です。

13:6 そこでアムノンは床につき、仮病を使った。王が見舞いに来ると、アムノンは王に言った。「どうか、妹のタマルをよこし、目の前で二つの甘いパンを作らせてください。私は彼女の手から食べたいのです。」13:7 そこでダビデは、タマルの家に人をやって言った。「兄さんのアムノンの家に行って、病人食を作ってあげなさい。」13:8 それでタマルが兄アムノンの家に行ったところ、彼は床についていた。彼女は粉を取って、それをこね、彼の目の前で甘いパンを作って、それを焼いた。13:9 彼女は平なべを取り、彼の前に甘いパンを出したが、彼は食べようとしなかった。アムノンが、「みな、ここから出て行け。」と言ったので、みなアムノンのところから出て行った。13:10 アムノンはタマルに言った。「食事を寝室に持って来ておくれ。私はおまえの手からそれを食べたい。」タマルは自分が作った甘いパンを兄のアムノンの寝室に持って行った。13:11 彼女が食べさせようとして、彼に近づくと、彼は彼女をつかまえて言った。「妹よ。さあ、私と寝ておくれ。」13:12 彼女は言った。「いけません。兄上。乱暴してはいけません。イスラエルでは、こんなことはしません。こんな愚かなことをしないでください。13:13 私は、このそしりをどこに持って行けましょう。あなたもイスラエルで、愚か者のようになるのです。今、王に話してください。きっと王が私をあなたに会わせてくださいます。」

 タマルは、このことが非常に大きなそしりであることを知っていました。そして、先ほど言及した神の律法のように、結婚するということで解決するではないですかと、アムノンを説き伏せようとしています。

13:14 しかし、アムノンは彼女の言うことを聞こうとはせず、力ずくで、彼女をはずかしめて、これと寝た。

 タマルは、このことによってどんなに大変なことになるか話しましたが、情欲に駆られているアムノンは、それを無視しました。情欲によって、人は自分の判断力を失います。ダビデがそうでした。バテシェバと姦淫の罪を犯したとき、彼は、彼女が月のものの汚れをきよめていた、つまり排卵期になっている可能性が十分あるときであったにも関わらず、その衝動を押さえませんでした。

13:15 ところがアムノンは、ひどい憎しみにかられて、彼女をきらった。その憎しみは、彼がいだいた恋よりもひどかった。アムノンは彼女に言った。「さあ、出て行け。」

 ここに、情欲の本当の姿があります。憎しみが、彼がいだいた恋よりもひどかった、とあります。これが情欲の正体です。自分がいかに相手を愛しているかと誤魔化しても、実は自分の欲望が満たされればそれで良いのです。満たされたら、相手は自分にとって用なしです。情欲によって、ついさっきまで、愛していると言っていた男が、その女を打つことも十分ありえるのです。

13:16 彼女は言った。「それはなりません。私を追い出すなど、あなたが私にしたあのことより、なおいっそう、悪いことです。」

 これは先に言及しました、必ずめとらなければいけない、という戒めのことです。処女を犯した場合、その男は一生涯、彼女の夫とならなければいけない、という戒めです。

 しかし、彼は彼女の言うことを聞こうともせず、13:17 召使の若い者を呼んで言った。「この女をここから外に追い出して、戸をしめてくれ。」13:18 彼女は、そでつきの長服を着ていた。昔、処女である王女たちはそのような着物を着ていたからである。召使は彼女を外に追い出して、戸をしめてしまった。13:19 タマルは頭に灰をかぶり、着ていたそでつきの長服を裂き、手を頭に置いて、歩きながら声をあげて泣いていた。

 ああ、タマルはかわいそうです。処女であることを表すそでつきの長服を引き裂いて、もはや処女ではなくなったことを嘆きました。

2C 憎しみ 20−22
13:20 彼女の兄アブシャロムは彼女に言った。「おまえの兄アムノンが、おまえといっしょにいたのか。だが妹よ。今は黙っていなさい。あれはおまえの兄なのだ。あのことで心配しなくてもよい。」それでタマルは、兄アブシャロムの家で、ひとりわびしく暮らしていた。13:21 ダビデ王は、事の一部始終を聞いて激しく怒った。

 アムノンの強姦、近親相姦の罪に対して、ダビデは激しく怒っていますが、彼に懲戒を与えたという記録は書かれていません。律法に従えば、彼は死刑です。しかし、ダビデ自身が姦淫と殺人の罪を犯したのにも関わらず、罪の告白をしたとき、その罪が赦され、死なずにすみました。そしてバテシェバとの間に生まれた子が死に、主がダビデを、愛をもって懲らしめられたことが分かります。けれども、ダビデはアムノンを懲らしめることはしませんでした。ここに親としてのダビデの問題があります。

 ダビデの弱さは、多くの妻をもったときから始まっていのでしょう。神はモーセをとおして、イスラエルから出る王は、異邦人の王のように多くの妻を持ってはいけない、と命じておられました。政治的理由で異邦人の王は多くの妻を持ち、周囲の国々と盟友関係に入っていましたが、イスラエルの神にとって、結婚はそのような意味を持っていません。ですから多くの妻を持ってはいけなかったのですが、ダビデは持ちました。

 その結果として、彼は、子どもとの時間を持つことをおろそかにしていました。そのことが彼にとってつまずきとなり、しつけて、懲らしめなければいけないときに、子どもを懲らしめることがなかったのです。アムノンがタマルを犯すわけですが、自分のところにパンを持ってきてほしいという、小さな甘えん坊の子供みたいな要求にダビデが応えているのですから、彼は子どもをやりたい放題にさせていた、と考えられます。

 あるいは、アムノンが行なったことは、自分がかつてバテシェバと犯した姦淫の罪と同じである、と思って、彼をしかりつけ、相応の懲らしめを与える気力が出なかったのかもしれません。私たちが罪を犯していると、その罪に対して、きよい良心をもってさばくことができなくなってしまいます。さばけば、自分が同じことをしている偽善者であることに気づきますから、聖書に書いてあることを、そのままはっきりと人に伝えることができなくなります。いずれにしても、ダビデは自分の息子たちと時間を過ごすことなく、甘やかしていました。

13:22 アブシャロムは、アムノンにこのことが良いとも悪いとも何も言わなかった。アブシャロムは、アムノンが妹タマルをはずかしめたことで、彼を憎んでいたからである。

 アブシャロムが何も言わなかったからと言って、それが、彼がこの件について怒っていない、ということではありませんでした。むしろ正反対であり、彼は憎しみを募らせ、仕返しができる機会を待っていました。

 このアブシャロムの反応は、ダビデがアムノンをきちんと懲らしめなかったことによります。父が子を懲らしめることは、何が良いことで、何が悪いことなのかをはっきりと教え、後に、義と平安の実を結ばせる、とても大切な営みです(ヘブル12章参照)。もしこれがなくなれば、子どもたちは父から愛されているという安心感がなくなります。もしダビデがアムノンを懲らしめていれば、アブシャロムはタマルのために、憎しみを募らせることはなかったのかもしれません。

2B 愛の欠如 23−39
1C 招きに応じない父 23−33
13:23 それから満二年たって、アブシャロムがエフライムの近くのバアル・ハツォルで羊の毛の刈り取りの祝いをしたとき、アブシャロムは王の息子たち全部を招くことにした。

 羊の毛の刈り取りの祝いは、まさにお祝いのときで、みなでパーティーをして楽しむときです。そこでアブシャロムは、王の息子たち全部を招くことにしました。

13:24 アブシャロムは王のもとに行って言った。「このたび、このしもべが羊の毛の刈り取りの祝いをすることになりました。どうか、王も、あなたの家来たちも、このしもべといっしょにおいでください。」13:25 すると王はアブシャロムに言った。「いや、わが子よ。われわれ全部が行くのは良くない。あなたの重荷になってはいけないから。」アブシャロムは、しきりに勧めたが、ダビデは行きたがらず、ただ彼に祝福を与えた。

 ここに、ダビデが父親の義務を果たしていない弱さを見ます。アブシャロムは、父によって愛されているという確信が薄かったことでしょう。そうでなければ、次に読むアムノン殺しへとつながらないです。確かにアムノンはとんでもないことを自分の妹に行ないましたが、もし父がそれをきちんと対処してくれれば、彼は愛されていることを確認できたのかもしれません。そしてアムノンに憎しみがあっても、それは悪いことである、捨て去らなければいけないことだと認識できたでしょう。しかし、父はアブシャロムと時間を取ることをしませんでした。

13:26 それでアブシャロムは言った。「それなら、どうか、私の兄弟アムノンを私どもといっしょに行かせてください。」王は彼に言った。「なぜ、彼があなたといっしょに行かなければならないのか。」13:27 しかし、アブシャロムが、しきりに勧めたので、王はアムノンと王の息子たち全部を彼といっしょに行かせた。13:28 アブシャロムは自分に仕える若い者たちに命じて言った。「よく注意して、アムノンが酔って上きげんになったとき、私が『アムノンを打て。』と言ったら、彼を殺せ。恐れてはならない。この私が命じるのではないか。強くあれ。力ある者となれ。」13:29 アブシャロムの若い者たちが、アブシャロムの命じたとおりにアムノンにしたので、王の息子たちはみな立ち上がって、おのおの自分の騾馬に乗って逃げた。

 アムノンは殺されました。「剣は、あなたの家から離れない」と言ったナタンの言葉どおりです。そして、アムノンの強姦も、アブシャロムの殺人も、ダビデがバテシェバと犯した罪、ウリヤを殺した罪と似ています。自分が犯した罪のその結果が、このような形で出てきています。

13:30 彼らがまだ道の途中にいたとき、ダビデのところに次のような知らせが着いた。「アブシャロムは王の子たちを全部殺しました。残された方はひとりもありません。」

 うそや噂は、今も昔も変わらず、伝わるのが非常に早いです。

13:31 そこで王は立ち上がり、着物を裂き、地に伏した。かたわらに立っていた家来たちもみな、着物を裂いた。13:32 しかしダビデの兄弟シムアの子ヨナダブは、証言をして言った。「王さま。彼らが王の子である若者たちを全部殺したとお思いなさいませんように。アムノンだけが死んだのです。それはアブシャロムの命令によるので、アムノンが妹のタマルをはずかしめた日から、胸に持っていたことです。13:33 今、王さま。王子たち全部が殺された、という知らせを心に留めないでください。アムノンだけが死んだのです。」

 あの、アムノンに悪知恵を垂れたヨナダブが証言をしています。彼は、自分が助言したあのことが、この大惨事を招いたことを悟りました。

2C 赦せない心 34−39
13:34 一方、アブシャロムは逃げた。見張りの若者が目を上げて見ると、見よ、彼のうしろの山沿いの道から大ぜいの人々がやって来るところであった。13:35 ヨナダブは王に言った。「ご覧ください。王子たちが来られます。このしもべが申し上げたとおりになりました。」13:36 彼が語り終えたとき、そこに王子たちが来て、声をあげて泣いた。王もその家来たちもみな、非常に激しく泣いた。

 他の王の息子たちが騾馬に乗って、ダビデのところに戻ってきました。

13:37 アブシャロムは、ゲシュルの王アミフデの子タルマイのところに逃げた。ダビデは、いつまでもアムノンの死を嘆き悲しんでいた。13:38 アブシャロムは、ゲシュルに逃げて行き、三年の間そこにいた。

 先に話しましたように、アブシャロムとタマルは、ダビデと異邦人の女マアカイの間に生まれた子どもでした。マアカイは、ゲシェルの王タルマイの娘です。アブシャロムは、義理の父のところに逃げて、そこに三年間いました。

13:39 ダビデ王はアブシャロムに会いに出ることはやめた。アムノンが死んだので、アムノンのために悔やんでいたからである。

 ダビデは、判断力が鈍っています。アムノンに対して正しい懲らしめを与えなかったので、アブシャロムの殺人に対しても、何もすることができませんでした。アブシャロムを罰しても、アムノンを罰しなかったのですから、一貫性がありません。その代わり、ダビデ自身がアブシャロムに対して敵意を抱きはじめたようです。彼との関係がますます疎遠になりました。彼に罪の赦しの機会を与える行動を取らずに、そのままにしておきました。ひたすら、アムノンのことを悲しんでいました。

2A 和解しない心 14
 それを見た、ダビデの甥でもあるダビデの家臣ヨアブが、縒(よ)りを戻す工作を始めます。

1B ヨアブの仲介 1−24
1C 知恵ある女 1−20
14:1 ツェルヤの子ヨアブは、王がアブシャロムに敵意をいだいているのに気づいた。14:2 ヨアブはテコアに人をやって、そこからひとりの知恵のある女を連れて来て、彼女に言った。

 テコアは、ベツレヘムとヘブロンの間にある町です。預言者アモスの故郷の町です。

「あなたは喪に服している者を装い、喪服を着て、身に油も塗らず、死んだ人のために長い間、喪に服している女のようになって、14:3 王のもとに行き、王にこのように話してくれまいか。」こうしてヨアブは彼女の口にことばを授けた。14:4 テコアの女は、王に話したとき、地にひれ伏し、礼をして言った。「お救いください。王さま。」14:5 それで、王は彼女に言った。「いったい、どうしたのか。」

 当時のイスラエルでは、地方の裁判官が自分の懇願を聞き入れてくれないとき、王に直訴することができました。

 彼女は答えた。「実は、この私は、やもめで、私の夫はなくなりました。14:6 このはしためには、ふたりの息子がありましたが、ふたりが野原でけんかをして、だれもふたりを仲裁する者がいなかったので、ひとりが相手を打ち殺してしまいました。14:7 そのうえ、親族全体がこのはしために詰め寄って、『兄弟を打った者を引き渡せ。あれが殺した兄弟のいのちのために、あれを殺し、この家の世継ぎをも根絶やしにしよう。』と申します。あの人たちは残された私の一つの火種を消して、私の夫の名だけではなく、残りの者までも、この地上に残さないようにするのです。」

 ここでヨアブが、テコアの女を使って行なおうとしていることは、以前ナタンがダビデに対して行なったのと同じです。つまり、今、ダビデがアブシャロムに敵意を抱き、疎遠になっている関係を、例えを使って、ダビデ自身にさばかせるという方法です。

14:8 王は女に言った。「家に帰りなさい。あなたのことで命令を出そう。」14:9 テコアの女は王に言った。「王さま。刑罰は私と私の父の家に下り、王さまと王位には罪がありませんように。」14:10 王は言った。「あなたに文句を言う者がいるなら、その者を、私のところに連れて来なさい。そうすれば、もう二度とあなたを煩わすことはなくなる。」14:11 そこで彼女は言った。「どうか王さま。あなたの神、主に心を留め、血の復讐をする者が殺すことをくり返さず、私の息子を根絶やしにしないようにしてください。」王は言った。「主は生きておられる。あなたの息子の髪の毛一本も決して地に落ちることはない。」

 テコアの女は、ダビデの口からこの言葉が出てくるのを待っていました。「あなたの息子の髪の毛一本も決して地に落ちることはない」という言葉です。やもめの息子に害を与えないと約束しておきながら、同じように兄弟を殺したアブシャロムを、あなたは赦していない、ということです。

14:12 するとその女は言った。「このはしために、一言、王さまに申し上げさせてください。」王は言った。「言いなさい。」14:13 女は言った。「あなたはどうして、このような神の民に逆らうようなことを、計られたのですか。王は、先のようなことを語られて、ご自分を罪ある者とされています。王は追放された者を戻しておられません。追放された者とはアブシャロムのことです。14:14 私たちは、必ず死ぬ者です。私たちは地面にこぼれて、もう集めることのできない水のようなものです。神は死んだ者をよみがえらせてはくださいません。どうか追放されている者を追放されたままにしておかないように、ご計画をお立てください。

 人のいのちは水のようなものであるから、生きているうちにアブシャロムをあなたのところに戻してください、でなければ二度と会えなくなります、という訴えです。

14:15 今、私が、このことを王さまにお話しにまいりましたのも、人々が私をおどしたからです。それで、このはしためは、こう思いました。『王さまにお話ししてみよう。王さまは、このはしための願いをかなえてくださるかもしれない。14:16 王さまは聞き入れて、私と私の子を神のゆずりの地から根絶やしにしようとする者の手から、このはしためをきっと助け出してくださるでしょうから。』14:17 それで、このはしためは、『王さまのことばは私の慰めとなろう。』と思いました。王さまは、神の使いのように、善と悪とを聞き分けられるからです。あなたの神、主が、あなたとともにおられますように。」

 テコアの女は、自分の願いとともに、王が追放された者を戻されるように、という訴えをしました。

14:18 すると、王はこの女に答えて言った。「私が尋ねることを、私に隠さず言ってくれ。」女は言った。「王さま。どうぞおっしゃってください。」14:19 王は言った。「これは全部、ヨアブの指図によるのであろう。」女は答えて言った。「王さま。あなたのたましいは生きておられます。王さまが言われることから、だれも右にも左にもそれることはできません。確かにあなたの家来ヨアブが私に命じ、あの方がこのはしための口に、これらすべてのことばを授けたのです。14:20 あなたの家来ヨアブは、事の成り行きを変えるために、このことをしたのです。あなたさまは、神の使いの知恵のような知恵があり、この地上のすべての事をご存じですから。」

 ダビデは、もう感づいていました。これはヨアブの仕業だな、と。

2C 願いを聞き入れなかった王 21−24
14:21 それで、王はヨアブに言った。「よろしい。その願いを聞き入れた。行って、若者アブシャロムを連れ戻しなさい。」14:22 ヨアブは地にひれ伏して、礼をし、王に祝福のことばを述べて言った。「きょう、このしもべは、私があなたのご好意にあずかっていることがわかりました。王さま。王さまはこのしもべの願いを聞き入れてくださったからです。」14:23 そこでヨアブはすぐゲシュルに出かけて行き、アブシャロムをエルサレムに連れて来た。14:24 王は言った。「あれは自分の家に引きこもっていなければならない。私の顔を見ることはならぬ。」それでアブシャロムは家に引きこもり、王の顔を見なかった。

 せっかくヨアブがアブシャロムをエルサレムに連れて来たのに、ダビデはアブシャロムに会おうとしませんでした。心の中でアブシャロムを赦していませんでした。ダビデは自分が罪を言い表わしたとき、神はすぐにその罪を赦し、神との交わりを回復することができましたが、アブシャロムに対してはそれを行ないませんでした。アムノンを懲らしめなかった矛盾と、アブシャロムを初め、他の息子たちや娘たちと時間を取っておらず甘やかしていたことが派生して、生きている息子を赦せなくなっています。過度に厳しくなっています。

2B 父の愛を欲する息子 25−33
14:25 さて、イスラエルのどこにも、アブシャロムほど、その美しさをほめはやされた者はいなかった。足の裏から頭の頂まで彼には非の打ちどころがなかった。

 アブシャロムは、かつてサウルがそうであったように、容姿がすぐれていました。彼は後にダビデから王位を奪おうとしますが、容姿も民の心をつかむのに役立ったことでしょう。

14:26 彼が頭を刈るとき、・・毎年、年の終わりには、それが重いので刈っていた。・・その髪の毛を量ると、王のはかりで二百シェケルもあった。

 二百シェケルは、だいたい2キログラムです。ものすごい髪の毛の量です。けれどもこの誇るべき髪の毛が、後で自分が殺される道具となります。

14:27 アブシャロムに三人の息子と、ひとりの娘が生まれた。その娘の名はタマルといって非常に美しい娘であった。

 自分の娘に、妹と同じ名前を付けました。よほど妹のことを愛し、彼女がはずかしめを受けたことを悔やんでいるのでしょう。

14:28 アブシャロムは二年間エルサレムに住んでいたが、王には一度も会わなかった。14:29 それで、アブシャロムは、ヨアブを王のところに遣わそうとして、ヨアブのもとに人をやったが、彼は来ようとしなかった。アブシャロムはもう一度、人をやったが、それでもヨアブは来ようとはしなかった。14:30 アブシャロムは家来たちに言った。「見よ。ヨアブの畑は私の畑のそばにあり、そこには大麦が植えてある。行ってそれに火をつけよ。」アブシャロムの家来たちは畑に火をつけた。14:31 するとヨアブはアブシャロムの家にやって来て、彼に言った。「なぜ、あなたの家来たちは、私の畑に火をつけたのですか。」14:32 アブシャロムはヨアブに答えた。「私はあなたのところに人をやり、ここに来てくれ、と言わせたではないか。私はあなたを王のもとに遣わし、『なぜ、私をゲシュルから帰って来させたのですか。あそこにとどまっていたほうが、まだ、ましでしたのに。』と言ってもらいたかったのだ。今、私は王の顔を拝したい。もし私に咎があるなら、王に殺されてもかまわない。」

 アブシャロムは父の愛に枯渇していました。注意を引くために、ヨアブの畑に火をつけるようなことまでしました。けれども、これは悲惨なことです。父の気持ちを変えてもらうために、他の人に頼んで、しかもその仲介者の注意を引くために、火をつけるまでのことをしなければならなかったのです。

14:33 それで、ヨアブは王のところに行き、王に告げたので、王はアブシャロムを呼び寄せた。アブシャロムは王のところに来て、王の前で地にひれ伏して礼をした。王はアブシャロムに口づけした。

 王はアブシャロムに確かに口づけして、赦したかのような行為を取っていますが、アブシャロムは赦されたと感じることはできなかったようです。次の章からアブシャロムがダビデから王位を奪う工作を始めます。

 ここから私は、エペソ6章に書かれている、親に対するパウロの勧めを思い出します。「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。(6:4)」ダビデは、この二つの勧めのどちらも行ないませんでした。アブシャロムを怒らせました。彼がアブシャロムと時間を取ることを怠り、また五年間も自分に会えなくするという、過度の懲らしめを与えました。そして、アムノンに対して何も行なわず、主の教育と訓練をすることを怠っていました。初めに、ダビデ自身が犯した罪の結果として、剣が家から離れないということを話しましたが、彼は自分を主の訓練の中に置くのを怠ったために、子を訓練することができなくなってしまったのです。これが親の罪です。子を訓練するのは、自分自身が主の訓練の中に生きているからこそできます。子を訓練するのは、自分を主の訓練の中に入れるのと同じことです。


「聖書の学び 旧約」に戻る
HOME