サムエル記第二3−4章 「非暴力の統治」


アウトライン

1A アブネルの弔い 3
   1B ダビデ軍の優勢 1−5
   2B アブネルの権力委譲 6−21
   3B ヨアブの殺人 22−39
      1C 血の復讐 22−30
      2C 喪に服するダビデ 31−39
2A 殺人への厳罰 4
   1B さらに弱まるサウル家 1−4
   2B 略奪隊の勘違い 5−12

本文

 サムエル記第一3章を開いてください。今日は4章まで学んでみたいと思います。ここでのテーマは、「非暴力の統治」です。今日は、ダビデがヘブロンにてユダ族による王となってから、イスラエル全体の王へと移行する場面を読んでいきます。

1A アブネルの弔い 3
1B ダビデ軍の優勢 1−5
3:1 サウルの家とダビデの家との間には、長く戦いが続いた。ダビデはますます強くなり、サウルの家はますます弱くなった。

 前回の学びを思い出してください。ヨアブとアブネルの争いが書かれていましたね。ダビデが主によって促されてヘブロンに行き、それからユダ族の人たちが彼に油を注いで王となりました。その後、元サウル王の将軍であったアブネルは、サウルの子イシュ・ボシェテを王としました。そして、アブネルの軍とヨアブの軍がギブオンに集まって、そこで戦いました。ダビデの家来たちは、19人死亡し、またアブネルによって殺されたアサエルを加えて20人でした。アブネルの家来たちは、360人も殺されていました。サウル家とダビデ家の間の戦いは、ダビデの方が優勢になっていきました。

3:2 ヘブロンでダビデに子どもが生まれた。長子はイズレエル人アヒノアムによるアムノン。3:3 次男はカルメル人でナバルの妻であったアビガイルによるキルアブ。三男はゲシュルの王タルマイの娘マアカの子アブシャロム。3:4 四男はハギテの子アドニヤ。五男はアビタルの子シェファテヤ。3:5 六男はダビデの妻エグラによるイテレアム。これらはヘブロンでダビデに生まれた子どもである。

 ダビデがヘブロンにいる間に設けた男子です。七人も生まれていますが、もっと驚くのは、それぞれ別の母親から産まれていることです。ダビデは以前より妻としていたアヒノアムとアビガイル以外にも、多くの女を妻としました。彼が後にエルサレムに行ってからも、さらに妻を加えました。

 これは、神が命じられたことと正反対のことです。モーセが死ぬ前にイスラエルの民に、最後の説教をしましたが、そのときにイスラエルから王が出ることを予期していました。そして王がしてはならないことを、こう言っています。「多くの妻を持ってはならない。心をそらせてはならない。自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない。(申命記17:17」ダビデは神の戒めを守らなかったために、後に家庭内で多くの争いごとを経験します。

 実はサムエル記第二は、全体として大きく三つに分かれます。初めは1章から10章までで、ダビデが神によって王として引き上げられた部分、二番目は11章と12章で、ダビデがウリヤから妻バテ・シェバを奪い取り、ウリヤを殺して罪を犯したこと。そして第三番目は13章以降で、家庭内で殺人が起こり、ダビデがエルサレムから一時避難しなければならなくなったことが書かれています。主が戒められているのには理由があるのです。そしてダビデの子ソロモンに至っては、三百人の妻と七百人のそばめをかかえて、ついに外国の神々を拝むようになってしまった、という残念な記録があります。

 聖書は、神と人としてのイエス・キリスト以外、だれもが罪人であることをはっきりと示しています。神に用いられた器であっても、その人が間違いを犯した部分を明らかにしています。それは、キリストにある救い以外、人間は決して救われることがないこと、そして神はあわれみ深い方であり、不完全な者をも、ご自分の働きのために用いてくださることを教えています。ダビデも例外ではないのです。

 彼が妻を多く持ったのには、人間的にはもっともな理由があります。当時、王が権力を持つために利用されたのが結婚です。いわゆる政略結婚です。相手の国と良い関係を持ち、互いに戦うことがないようにするために、その王の娘と結婚して縁戚関係に入ります。もともと、イスラエルの民が、周りの国々のように王を立ててほしいと預言者サムエルに要求したことが、間違いの発端でした。神に愛され、神を愛していたダビデでさえ、王という立場にいる中で、こうした人間的な要素から完全に離れていたわけではなかったのです。

2B アブネルの権力委譲 6−21
3:6 サウルの家とダビデの家とが戦っている間に、アブネルはサウルの家で勢力を増し加えていた。3:7 サウルには、そばめがあって、その名はリツパといい、アヤの娘であった。あるときイシュ・ボシェテはアブネルに言った。「あなたはなぜ、私の父のそばめと通じたのか。」3:8 アブネルはイシュ・ボシェテのことばを聞くと、激しく怒って言った。「この私が、ユダの犬のかしらだとでも言うのですか。今、私はあなたの父上サウルの家と、その兄弟と友人たちとに真実を尽くして、あなたをダビデの手に渡さないでいるのに、今、あなたは、あの女のことで私をとがめるのですか。3:9 主がダビデに誓われたとおりのことを、もし私が彼に果たせなかったなら、神がこのアブネルを幾重にも罰せられますように。3:10 サウルの家から王位を移し、ダビデの王座を、ダンからベエル・シェバに至るイスラエルとユダの上に堅く立てるということを。」3:11 イシュ・ボシェテはアブネルに、もはや一言も返すことができなかった。アブネルを恐れたからである。

 アブネルが勢力を増して、王イシュ・ボシェテが傀儡にしか過ぎなかった姿がここに描かれています。アブネルが実際にサウルのそばめと通じたかどうかは、このイシュ・ボシェテの告発からは分かりません。けれども、サウルのそばめと通じるというのは、単に性的な意味ではなく、政治的な意味があります。ある王が他の王からその国を奪い取るとき、その王は以前の王のそばめのところに入ることによって、自分が王権を奪い取ったことを人々に示します。イシュ・ボシェテが恐れたのは、アブネルの勢力が増していったことです。

 アブネルは怒り、そして、主がダビデに誓われたこと、つまり王位をサウルの家からダビデに移すことをイシュ・ボシェテに話しました。彼は知っていたのです、ダビデが神によって選ばれた王であったことを。けれども、彼はイシュ・ボシェテを王に立てて、神が言われたことに反発していました。そこで、このように告発されたことをきっかけにして、彼は神が言われたことに従う気になりました。

3:12 アブネルはダビデのところに使いをやって言わせた。「この国はだれのものでしょう。私と契約を結んでください。そうすれば、私は全イスラエルをあなたに移すのに協力します。」3:13 ダビデは言った。「よろしい。あなたと契約を結ぼう。しかし、それには一つの条件がある。というのは、あなたが私に会いに来るとき、まずサウルの娘ミカルを連れて来なければ、あなたは私に会えないだろう。」3:14 それからダビデはサウルの子イシュ・ボシェテに使いをやって言わせた。「私がペリシテ人の陽の皮百をもってめとった私の妻ミカルを返していただきたい。」

 サウルはかつて、自分の娘ミカルをダビデに与えました。花嫁料としてペリシテ人の陽の皮をダビデに要求しましたが、ダビデはその要求に答えてミカルを自分の妻としました。そして、ミカルはもともとダビデを愛していました。ところがサウルはダビデのことがさらに妬ましくなると、彼女を他の男に与えて、ダビデから取り上げてしまったのです。そこで今ダビデが、ミカルを返してくれるよう要求しています。

3:15 それでイシュ・ボシェテは人をやり、彼女をその夫、ライシュの子パルティエルから取り返した。3:16 その夫は泣きながら彼女についてバフリムまで来たが、アブネルが、「もう帰りなさい。」と言ったので、彼は帰った。

 おそらくミカルを返してくれるようにとの要求は、個人的なものより政治的な理由が強かったのかもしれません。なぜなら、イシュ・ボシェテがダビデの条件に従い、ミカルを取り返したからです。この出来事が、公の、正式な手続きであり、ダビデは王位が、サウル家からダビデに移ることを示す一つの出来事にしたかったのでしょう。

3:17 アブネルはイスラエルの長老たちと話してこう言った。「あなたがたは、かねてから、ダビデを自分たちの王とすることを願っていたが、3:18 今、それをしなさい。主がダビデについて、『わたしのしもべダビデの手によって、わたしはわたしの民イスラエルをペリシテ人の手、およびすべての敵の手から救う。』と仰せられているからだ。」

 イスラエルの長老たちも、実はダビデを自分たちの王たちとすることを望んでいました。歴代誌のほうに、ユダ族以外のイスラエルの部族が、次第にダビデになびく様子が描かれていますが、自然にダビデを王とする方向へと向かっていたのです。主がダビデを選ばれ、そして主がイスラエル全体を動かしておられました。人は、神のご計画に反対するようなことをしようとしますが、時が人間の試みが空しいことを教えてくれます。御霊の働きによって、主のご計画だけが実現するのです。

3:19 アブネルはまた、ベニヤミン人とじかに話し合ってから、ヘブロンにいるダビデのところへ行き、イスラエルとベニヤミンの家全体とが望んでいることをすべて彼の耳に入れた。

 サウルはベニヤミン人なので、ベニヤミン人がもっともサウルを支持している母体でした。そこでアブネルはベニヤミン人と話してから、ダビデを王とすることの承諾を得ることができました。

3:20 アブネルが二十人の部下を連れてヘブロンのダビデのもとに来たとき、ダビデはアブネルとその部下の者たちのために祝宴を張った。3:21 アブネルはダビデに言った。「私は、全イスラエルをわが主、王のもとに集めに出かけます。そうして彼らがあなたと契約を結び、あなたが、望みどおりに治められるようにしましょう。」それでダビデはアブネルを送り出し、彼は安心して出て行った。

 ダビデはアブネルのための祝宴を張ってくれています。非常に平和裏に王位移譲がなされました。そしてその平和な動きの中に、主の御霊の働きを見ます。けれども次に、このような平和な動きとは違う、乱暴な、血を流すのに早い戦士がやって来ます。

3B ヨアブの殺人 22−39
1C 血の復讐 22−30
3:22 ちょうどそこへ、ダビデの家来たちとヨアブが略奪から帰り、たくさんの分捕り物を持って来た。しかしそのとき、アブネルはヘブロンのダビデのもとにはいなかった。ダビデがアブネルを送り出し、もう彼は安心して出て行ったからである。3:23 ヨアブと彼についていた軍勢がみな帰って来たとき、ネルの子アブネルが王のところに来たが、王がアブネルを送り出したので、彼は安心して出て行った、ということがヨアブに知らされた。3:24 それでヨアブは王のところに来て言った。「何ということをなさったのですか。ちょうどアブネルがあなたのところに来たのに、なぜ、彼を送り出して、出て行くままにしたのですか。3:25 ネルの子アブネルが、あなたを惑わし、あなたの動静を探り、あなたのなさることを残らず知るために来たのに、お気づきにならなかったのですか。」

 アブネルは二重スパイですよ、とヨアブが言っています。ヨアブは後の話を読んでいくと分かりますが、非常に有能な戦士でした。けれども戦士にありがちな、乱暴さと横暴さがありました。今、主が平和裏にダビデを王としようとされているのに、彼は猜疑心によってしかアブネルの動きを読み取ることができませんでした。

3:26 ヨアブはダビデのもとを出てから使者たちを遣わし、アブネルのあとを追わせ、彼をシラの井戸から連れ戻させた。しかしダビデはそのことを知らなかった。3:27 アブネルがヘブロンに戻ったとき、ヨアブは彼とひそかに話すと見せかけて、彼を門のとびらの内側に連れ込み、そこで、下腹を突いて死なせ、自分の兄弟アサエルの血に報いた。

 ヨアブは猜疑心だけではなく、復讐心でいっぱいになっていました。ヨアブにとってアサエルは肉の兄弟でした。アサエルがアブネルを執拗に追っていったとき、自己防衛的にアブネルはアサエルを殺しましたが、その血に報いるためにヨアブはアブネルを殺しました。弁解の余地のない殺人です。

 そして彼がしていることは、殺人以上です。覚えておられるでしょうか、神は相続地をイスラエルにお与えになるとき、逃れの町を定めるようにモーセやヨシュアに命じられました。逃れの町とは、人が誤ってだれかを殺してしまったとき、事故死をもたらしてしまったとき、その人が殺された人の家族の復讐を免れるために、定められた町のことです。当時、いや今日のアラブ社会の中にも、だれかが殺された場合、その家族は血の報いをする習慣があります。ですから神は、事故死させてしまったその人をかくまうために、逃れの町を定められました。そしてヘブロンは逃れの町の一つなのです(ヨシュア20:7)。そこでヨアブは、ヘブロンからアブネルを出させて、その門のところでアブネルを殺しました。意図的に、計画的にヨアブは殺人の罪を犯したのです。

3:28 あとになって、ダビデはそのことを聞いて言った。「私にも私の王国にも、ネルの子アブネルの血については、主の前にとこしえまでも罪はない。3:29 それは、ヨアブの頭と彼の父の全家にふりかかるように。またヨアブの家に、漏出を病む者、らい病人、糸巻きをつかむ者、剣で倒れる者、食に飢える者が絶えないように。」3:30 ヨアブとその兄弟アビシャイがアブネルを殺したのは、アブネルが彼らの兄弟アサエルをギブオンでの戦いで殺したからであった。

 ダビデは、ヨアブがしたことを非常に悲しみました。そして彼をのろっています。ヨアブは、後にダビデの命令によって、ソロモンによって死刑に処せられます。ずっと後のことです。けれども、この時点ではヨアブは有能な戦士でもあり、権力もありましたから、ダビデはどうすることもできませんでした。軍閥政治のようになっていたのです。

2C 喪に服するダビデ 31−39
3:31 ダビデはヨアブと彼とともにいたすべての民に言った。「あなたがたの着物を裂き、荒布をまとい、アブネルの前でいたみ悲しみなさい。」そしてダビデ王は、ひつぎのあとに従った。3:32 彼らはアブネルをヘブロンに葬った。王はアブネルの墓で声をあげて泣き、民もみな泣いた。3:33 王はアブネルのために悲しみ歌って言った。「愚か者の死のように、アブネルは死ななければならなかったのか。3:34 あなたの手は縛られず、あなたの足は足かせにつながれもせずに。不正な者の前に倒れる者のように、あなたは倒れた。」民はみな、また彼のために泣いた。

 ダビデは、つい最近まで敵であったアブネルのために喪に服しています。彼を丁重に葬り、声を上げて泣いています。ユダ族の民も同じようにして泣きました。

3:35 民はみな、まだ日のあるうちにダビデに食事をとらせようとしてやって来たが、ダビデは誓って言った。「もし私が、日の沈む前にパンでも、ほかの何物でも味わったなら、神がこの私を幾重にも罰せられますように。」3:36 民はみな、それを認めて、それでよいと思った。王のしたことはすべて、民を満足させた。3:37 それで民はみな、すなわち、全イスラエルは、その日、ネルの子アブネルを殺したのは、王から出たことではないことを知った。

 ここにおいても、ダビデは平和を追い求めていることが分かります。ダビデが断食をするほどサウルの死を悼み悲しんでいるのを見て、全イスラエルがダビデを認めました。次回の学び5章にて、全イスラエルがダビデを王とすることが書かれていますが、このように平和を求めるダビデを見て、彼を王と認めることができたのです。

3:38 王は家来たちに言った。「きょう、イスラエルでひとりの偉大な将軍が倒れたのを知らないのか。3:39 この私は油そそがれた王であるが、今はまだ力が足りない。ツェルヤの子らであるこれらの人々は、私にとっては手ごわすぎる。主が、悪を行なう者には、その悪にしたがって報いてくださるように。」

 ヨアブが軍人としての権力を持っていたので、ダビデは彼を罰することがその時点ではできませんでしたが、主が必ず報いてくださる、とダビデは言っています。ここにも平和を求めるダビデの姿があります。私たちは、自分の知る限り平和を周りの人に対して追い求めなさい、とローマ
12章にて命じられていますが、その鍵は、主にゆだねることです。自分ではどうすることもできないことも、主が何とかしてくださる、という信仰です。主にゆだねるところには、争いがありません。

2A 殺人への厳罰 4
1B さらに弱まるサウル家 1−4
4:1 サウルの子イシュ・ボシェテは、アブネルがヘブロンで死んだことを聞いて、気力を失った。イスラエル人もみな、うろたえた。

 サウル家は、アブネルの死によってさらに弱まりました。

4:2 サウルの子イシュ・ボシェテのもとに、ふたりの略奪隊の隊長がいた。ひとりの名はバアナ、もうひとりの名はレカブといって、ふたりともベニヤミン族のベエロテ人リモンの子であった。というのは、ベエロテもベニヤミンに属するとみなされていたからである。4:3 ベエロテ人はギタイムに逃げて、寄留者となった。今日もそうである。

 二人の略奪隊の隊長は、いますぐに出てきます。二人とも、サウル家と同じベニヤミン人です。

4:4 さて、サウルの子ヨナタンに、足の不自由な息子がひとりいた。その子は、サウルとヨナタンの悲報がイズレエルからもたらされたとき五歳であった。うばがこの子を抱いて逃げるとき、あまり急いで逃げたので、この子を落とし、そのためにこの子は足なえになった。この子の名はメフィボシェテといった。

 サウル家に残された子孫に、メフィボシェテがいました。ダビデはヨナタンとの契約のゆえ、彼に非常に良くしてやります。ダビデは、サウルにしても、アブネルにしても、またイシュ・ボシェテに対しても、サウル家の誰ひとりにも害を与えませんでした。

2B 略奪隊の勘違い 5−12
4:5 ベエロテ人リモンの子のレカブとバアナが、日盛りに、イシュ・ボシェテの家にやって来たが、ちょうどその時、イシュ・ボシェテは昼寝をしていた。4:6 彼らは、小麦を取りに家の中まではいり込み、そこで、彼の下腹を突いて殺した。レカブとその兄弟バアナはのがれた。

 先ほどの略奪隊の二人です。イシュ・ボシェテを殺しました。

4:7 彼らが家にはいったとき、イシュ・ボシェテは寝室の寝床で寝ていたので、彼らは彼を突き殺して首をはね、その首を持って、一晩中、アラバへの道を歩いた。4:8 彼らはイシュ・ボシェテの首をヘブロンのダビデのもとに持って来て、王に言った。「ご覧ください。これは、あなたのいのちをねらっていたあなたの敵、サウルの子イシュ・ボシェテの首です。主は、きょう、わが主、王のために、サウルとその子孫に復讐されたのです。」

 二人は、以前のアマレク人と同じ勘違いをしています。イシュ・ボシェテがダビデと戦っているから、彼を殺して、首を持っていったら、さぞかしダビデに喜ばれるだろう、と思いました。ダビデの反応はその逆です。

4:9 すると、ダビデは、ベエロテ人リモンの子レカブとその兄弟バアナに答えて言った。「私のいのちをあらゆる苦難から救い出してくださった主は生きておられる。4:10 かつて私に、『ご覧ください。サウルは死にました。』と告げて、自分自身では、良い知らせをもたらしたつもりでいた者を、私は捕えて、ツィケラグで殺した。それが、その良い知らせの報いであった。4:11 まして、この悪者どもが、ひとりの正しい人を、その家の中の、しかも寝床の上で殺したときはなおのこと、今、私は彼の血の責任をおまえたちに問い、この地からおまえたちを除き去らないでおられようか。」

 ダビデは、主をあらゆる苦難から救い出してくださった方と言っていますが、彼はサウルによって苦しみを受けていました。けれどもサウルに手を下す者には厳罰を下したのです。苦しみも主が許されていることであり、そしてその苦しみから救うことも主が行なわれていることをダビデは知っていました。だからこそ、彼はサウルを殺そうなどと考えられなかったのです。イシュ・ボシェテにしても同じです。彼が神のみこころをそこなったことを行なっていることは知っていますが、けれどもイシュボシェテ自身は正しい人であると認めていたのです。

4:12 ダビデが命じたので、若者たちは彼らを殺し、手、足を切り離した。そして、ヘブロンの池のほとりで木につるした。しかし、イシュ・ボシェテの首は、ヘブロンにあるアブネルの墓に持って行き、そこに葬った。

 二人の略奪隊は手足を切り離され、木につるされましたが、イシュ・ボシェテは丁重に葬られました。このこともまた、イスラエル全体がダビデを王と認める理由となりました。このようにダビデは、平和の君主でありました。

 私がこのことで思い出す聖書預言があります。イザヤ9章6節以降です。「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。(9:6-7」ダビデの姿は、その子イエス・キリストの平和の統治を指し示しています。平和と言っても、悪者に宥和しようとする軟弱なものではなく、正しいさばきを行なうところの平和です。ダビデが完全に神の主権に自分をゆだねましたが、そこに平和がありました。主がさばく方であり、そのさばきには平和があります。イエスさまも再び戻られて、ダビデの王座に着かれるとき、さばきと正義によって王国を治め、平和が限りなく続くのです。

 私たちの周りに平和があるでしょうか?隣人、知人、友人との間に平和はありますか?平和の鍵は、神へのゆだねた心です。


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