伝道者9−12章 「死んでいく命」

アウトライン

1A 報われない努力 9
   1B 同じ結末 1−10
   2B 時と機会 11−18
2A 愚かさの重み 10
   1B 台無しになる知恵 1−15
   2B 怠惰な生活 16−20
3A 投資する人生 11
   1B 行動の価値 1−6
   2B 残りわずかな楽しみ 7−10
4A 人生の終わり 12
   1B 若い日の神の知識 1−8
   2B 知恵のまとめ 9−14

本文

 伝道者の書9章を開いてください。今日は9章から最後までを学びます。ここでのテーマは、「死んでゆく命」です。この伝道者の書を終えるにあたって、その空しさの根本となっている「死んでいく」という事実を前面に出します。

1A 報われない努力 9
1B 同じ結末 1−10
9:1 というのは、私はこのいっさいを心に留め、正しい人も、知恵のある者も、彼らの働きも、神の御手の中にあることを確かめたからである。彼らの前にあるすべてのものが愛であるか、憎しみであるか、人にはわからない。

 前回からソロモンは、善を求めること、何か良いと呼ばれているものを求めることによって、生きていることの意味を見出そうとしていたところを読みました。ここはその続きです。そして彼の結論は、「神の御手の中にある」つまり本当のところはどうなのか分からない、ということです。

 そこでソロモンは、善を求めるという心の動機も本当に善なのか分からないという疑問を呈します。愛であるか憎しみであるかがはわからない、と言うのです。愛憎の念、という言葉がありますが、そのことをソロモンはここで話しています。愛していると言いながら憎んでいる、憎んでいるといいながら実は愛着を感じている、ということがあります。

9:2 すべての事はすべての人に同じように起こる。同じ結末が、正しい人にも、悪者にも、善人にも、きよい人にも、汚れた人にも、いけにえをささげる人にも、いけにえをささげない人にも来る。善人にも、罪人にも同様である。誓う者にも、誓うのを恐れる者にも同様である。

 善を行なうことの空しさを、「すべての事はすべての人と同じように起こる」ことを理由に挙げています。つまり死ぬことです。ここでソロモンが例に挙げているのは、私たちの言葉に直すなら信仰者と不信者です。彼らはどちらも同じ結末になる。どちらも死ぬではないか、ということです。

 前回話しましたが、ソロモンの視点に死者の復活がない、という点がこのようにさせています。パウロも、死者の復活がなければ私たちがこのようにして宣教の働きをしていても、すべて無駄である、と言いました(1コリント15章参照)が、まさにその通りなのです。もし人がただ死ぬだけで終わるのなら、善と呼ばれることを追求しても無駄なことなのです。

9:3 同じ結末がすべての人に来るということ、これは日の下で行なわれるすべての事のうちで最も悪い。だから、人の子らの心は悪に満ち、生きている間、その心には狂気が満ち、それから後、死人のところに行く。

 悪人がことさらに罰を受けるわけではなく、善人と同じ結末に至るということが分かれば、悪を行なうことに対する抑制力を失います。宗教は阿片だと教えた共産主義の国々で、人々の心がいかに荒んで、人格破壊が行なわれたかを見ると、「死ですべては終わる」という考えがいかに悪であるかを思わされます。

9:4 すべて生きている者に連なっている者には希望がある。生きている犬は死んだ獅子にまさるからである。9:5 生きている者は自分が死ぬことを知っているが、死んだ者は何も知らない。彼らにはもはや何の報いもなく、彼らの呼び名も忘れられる。

 生きている者は自分が死ぬんだということが分かれば、生きている間に何かをしようという希望が与えられるが、死んでしまえば何もすることができない、ということです。

 実はここの5節の箇所を使って、エホバの証人は死ねば人は意識を失う、と教えます。しかし、伝道者の書がソロモンが晩年に書いた書物であり、彼が主から離れてしまったと列王記にて記録されている彼が書いた、という背景を考えなければいけません。

 私たちの主イエス様は、何とおっしゃったでしょうか?死後に私たちの意識はなくなりますか?いいえ、何度も何度もゲヘナやハデスについての苦しみや後悔について教えられました。あのラザロと金持ちの話は、死後に二人ともはっきりと意識を持っていたことの証左です。

9:6 彼らの愛も憎しみも、ねたみもすでに消えうせ、日の下で行なわれるすべての事において、彼らには、もはや永遠に受ける分はない。

 これも地上における分け前であり、死後には報いがあることを主は教えられました。

9:7 さあ、喜んであなたのパンを食べ、愉快にあなたのぶどう酒を飲め。神はすでにあなたの行ないを喜んでおられる。9:8 いつもあなたは白い着物を着、頭には油を絶やしてはならない。

 ソロモンの人生哲学です。今、生きているうちに飲んで食べて、楽しみなさい、ということです。これから死んでなくなってしまうのだから、今を楽しみなさい、ということです。そしてソロモンは付け加えています。

9:9 日の下であなたに与えられたむなしい一生の間に、あなたの愛する妻と生活を楽しむがよい。それが、生きている間に、日の下であなたがする労苦によるあなたの受ける分である。

 妻との愛の営みを楽しみなさい、ということです。女は死よりも苦々しいと彼は言いましたが、妻との関係は違います。同じ性的な衝動ではないか、と人間を物質的にしか考えない人にとっては思うかもしれませんが、性的な営みは人格や契約、つまり結婚という枠組みの中で本当に楽しむことができるものです。

9:10 あなたの手もとにあるなすべきことはみな、自分の力でしなさい。あなたが行こうとしているよみには、働きも企ても知識も知恵もないからだ。

 ここも、エホバの証人によって使われます。陰府には、知識も知恵があります。

2B 時と機会 11−18
 ソロモンは善を追求することについての空しさ、何か良いもののために努力することの空しさを、「時と機会」という枠組みの中で述べます。

9:11 私は再び、日の下を見たが、競走は足の早い人のものではなく、戦いは勇士のものではなく、またパンは知恵ある人のものではなく、また富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではないことがわかった。すべての人が時と機会に出会うからだ。

 オリンピックの大会を見れば良いでしょう。優勝した選手の人が、純粋にその人の努力の結果、優勝できたといえる人は少ないです。たまたまライバルがミスをしたので、自分が前に立つことができた、ということが多いです。知識であれば、試験で山が当たる人もいれば、ちょうど勉強していなかった部分が出て不合格になる人もでます。いわゆる「運」です。

9:12 しかも、人は自分の時を知らない。悪い網にかかった魚のように、わなにかかった鳥のように、人の子らもまた、わざわいの時が突然彼らを襲うと、それにかかってしまう。

 自分にとって運が悪い時を知らない、ということです。不意に、自分にとって都合の悪いことが起こるものだ、ということです。

9:13 私はまた、日の下で知恵についてこのようなことを見た。それは私にとって大きなことであった。9:14 わずかな人々が住む小さな町があった。そこに大王が攻めて来て、これを包囲し、これに対して大きなとりでを築いた。9:15 ところが、その町に、貧しいひとりの知恵ある者がいて、自分の知恵を用いてその町を解放した。しかし、だれもこの貧しい人を記憶しなかった。9:16 私は言う。「知恵は力にまさる。しかし貧しい者の知恵はさげすまれ、彼の言うことも聞かれない。」

 どんなに知恵を尽くしても、必ずしもそれに対する誉れを得ることはできない、ということです。人々は愚かだから、貧しさとかその人の身分や見た目だけを見ているので、本当にその町のために貢献した人を正当に認めることをしない、ということです。

9:17 知恵ある者の静かなことばは、愚かな者の間の支配者の叫びよりは、よく聞かれる。9:18 知恵は武器にまさり、ひとりの罪人は多くの良いことを打ちこわす。

 知恵は権力よりも影響力がありますが、それと同時に少しの愚かさが、そのすぐれた知恵によってもたらされた多くのことを台無しにする、ということです。

2A 愚かさの重み 10
 そこで次の章は、愚かさについて述べられています。愚かさの重みについて、愚かな行為がこれまでの良いものを打ち壊していくことについて述べていきます。

1B 台無しになる知恵 1−15
10:1 死んだはえは、調合した香油を臭くし、発酵させる。少しの愚かさは、知恵や栄誉よりも重い。

 この第10章は以前の箴言と同じく、格言の形になっています。ここでは、少しの愚かさを死んだはえに例えています。もし死んだハエが調合した香油に落ちたら、その香油全体を捨てます。同じように、これまでせっかく知恵をもって動き人々から誉れを得ても、ちょっとした愚かさですべてが台無しになる、ということです。

10:2 知恵ある者の心は右に向き、愚かな者の心は左に向く。

 聖書に「右の座」「右の手」とかありますが、右は権威や守りや正統性を表します。知恵のある人は正しい道にいつも心を傾けているが、愚か者はその反対に向いている、ということです。

10:3 愚か者が道を行くとき、思慮に欠けている。自分が愚かであることを、みなに知らせる。

 自分だけが分かっていない、ということがよくありますね。他の人はみな分かっているのに、本人だけが気づいていない、というのが愚かさに付き物です。

10:4 支配者があなたに向かって立腹しても、あなたはその場を離れてはならない。冷静は大きな罪を犯さないようにするから。

 ここの「冷静」は「服従」と訳すことができる言葉です。支配者には逆らわないで服従していたほうがよい、ということです。これまでソロモンが話していたことですね。けれどもその逆現象のようなことが起こります。

10:5 私は、日の下に一つの悪があるのを見た。それは権力者の犯す過失のようなものである。10:6 愚か者が非常に高い位につけられ、富む者が低い席に着けられている。10:7 私は奴隷たちが馬に乗り、君主たちが奴隷のように地を歩くのを見た。

 王でなければいけない人が奴隷のようになり、富んでいなければいけない人が貧しくなり、神が定めておられる権威と秩序が完全にぶち壊されて、あべこべになっている状態をソロモンは嘆いています。

 神が一人ひとりに与えておられる所で、自分が召されていないことを行なうことほど苦痛なものはありません。例えば、牧師が祈りと御言葉に専念して、牧会に励むことができるところが、人々の悩み話ばかりを聞いてカウンセラーのようになってみたり、人々の要求をすべて聞いて小間使いのようになっているのは悲惨です。

10:8 穴を掘る者はそれに落ち込み、石垣をくずす者は蛇にかまれる。10:9 石を切り出す者は石で傷つき、木を割る者は木で危険にさらされる。10:10 もし斧が鈍くなったとき、その刃をとがないと、もっと力がいる。しかし知恵は人を成功させるのに益になる。10:11 もし蛇がまじないにかからずにかみつくなら、それは蛇使いに何の益にもならない。

 ここの格言は、仕事をしてもそれに見合う報いが与えられるどころか、その仕事によって損害をこうむることがある、ということです。何のために仕事をしているのかわからなくなる、無益だ、ということです。

 先ほどからソロモンが話していることは、「あるべき地位にいなければいけない人がそこにおらず、報いを受けなければいけない仕事人がかえって損害を受ける。少しの愚かさ、少しの事件、出来事が今までのものを台無しにする。」という考えです。

10:12 知恵ある者が口にすることばは優しく、愚かな者のくちびるはその身を滅ぼす。10:13 彼が口にすることばの始まりは、愚かなこと、彼の口の終わりは、みじめな狂気。10:14 愚か者はよくしゃべる。人はこれから起こることを知らない。これから後に起こることをだれが告げることができよう。10:15 愚かな者の労苦は、おのれを疲れさせる。彼は町に行く道さえ知らない。

 愚か者の語る言葉の弊害を述べています。その人自身の身を滅ぼす。狂気。何もわかっていないのにしゃべり続ける。そして最後に、疲れされる、ということです。

2B 怠惰な生活 16−20
 次も愚かさについてですが、怠惰について焦点を当てています。

10:16 わざわいなことよ。あなたの王が子どもであって、あなたの首長たちが朝から食事をする国は。10:17 幸いなことよ。あなたの王が貴族の出であって、あなたの首長たちが、酔うためではなく、力をつけるために、定まった時に、食事をする国は。

 同じ食事をするのでも、怠惰になって朝からパーティー騒ぎをするような王、首長たちがいたらその国は悲惨である、ということです。けれども、体力をつけるために、健康のために、きちんと、規則正しい食事をする人が王であれば、それはすばらしい、ということです。

10:18 なまけていると天井が落ち、手をこまねいていると雨漏りがする。10:19 食事をするのは笑うため。ぶどう酒は人生を楽しませる。金銭はすべての必要に応じる。

 怠惰な者に対して、働いて食事をすることができることの喜びを話しています。そして金銭がたまるといろいろなことができて楽しいよ、という誘いをしています。

10:20 王をのろおうと、ひそかに思ってはならない。寝室でも富む者をのろってはならない。なぜなら、空の鳥がその声を持ち運び、翼のあるものがそのことを告げるからだ。

 どこかで誰かが聞いているかもしれない、ということです。特に地位の高い人については、自分が絶対に漏れないと思って話したことも筒抜けである、ということです。

3A 投資する人生 11
 次は人生の投資について話します。

1B 行動の価値 1−6
11:1 あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。

 これはどういう意味でしょうか?パンを水の上に投げたら、それを失ってしまうと思うかもしれません。けれども、なくなると恐れて手元に置いて腐らせるよりも、とりあえず投げてみよ、ということです。そうしたら、その見返りが後で現れるかもしれない、ということです。

11:2 あなたの受ける分を七人か八人に分けておけ。地上でどんなわざわいが起こるかあなたは知らないのだから。

 これも1節と同じ考えですが、良いことではなく悪いことが起こったときに備えた保険です。あの不正の管理人がこのことを行ないましたね。主人に解雇されることは分かっている。だから主人の債務者に対して、債権書の額を半分に下げました。恩を売ったのです。それで後で就職先を見つけることができるようにしました。

 資産運営で「ポートフォリオ」というのがありますね。危険の分散のために、いくつもに投資先を分けて投資することですが、このことをソロモンはここで言っています。そこで一つ、戒めの格言をソロモンは話します。

11:3 雲が雨で満ちると、それは地上に降り注ぐ。木が南風や北風で倒されると、その木は倒れた場所にそのままにある。11:4 風を警戒している人は種を蒔かない。雲を見ている者は刈り入れをしない。

 何かを言い訳にして、何もしない人はいつまでも何もできないよ、ということです。今、与えられているものを使っていきましょう。そして、もしかしたら後でその見返りがあるかもしれない、ということです。

11:5 あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様、風の道がどのようなものかを知らない。そのように、あなたはいっさいを行なわれる神のみわざを知らない。11:6 朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。

 ずっとソロモンは、「これからのことは神の御手の中にあって、私たちには分からない」という立場を取っていますが、その分からないことを積極的に捉えているのがここでの箇所です。いつも、「これこれが起こるから、行動に移すのはやめておこう。」と消極的になっている人に対して、「これこれが起こるとどうしてわかるんだい?もしかしたら起こらないかもしれないじゃないか?もっと機会が好転するかもしれないじゃないか。だから、今やっていることをあきらめないでやりなさい。」という勧めです。

2B 残りわずかな楽しみ 7−10
 そしてソロモンは、今あるものを楽しみなさいと奨励しています。けれども、一つのことを忘れずに、と教えています。自分が楽しんだ分だけ、その後に来る反動も大きいことを知りなさい、と言います。まずは老人に対してです。

11:7 光は快い。太陽を見ることは目のために良い。

 これは今のことを楽しむのは良い、ということです。

11:8 人は長年生きて、ずっと楽しむがよい。だが、やみの日も数多くあることを忘れてはならない。すべて起こることはみな、むなしい。

 長寿はすばらしいことだが、その反動は大きいです。その生きている年数よりも、死んでいる年数のほうがはるかに長いですから。

11:9 若い男よ。若いうちに楽しめ。若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心のおもむくまま、あなたの目の望むままに歩め。しかし、これらすべての事において、あなたは神のさばきを受けることを知っておけ。

 若さにつきものの愚かさです。例えばオートバイを走りまわすとか。スピードを出しすぎたら、一生涯車椅子、という人もいるのです。今のうちにしかできないことをやりなさい、とソロモンは奨励すると同時に、その対価も支払うことを考えながら楽しみなさい、ということです。

11:10 だから、あなたの心から悲しみを除き、あなたの肉体から痛みを取り去れ。若さも、青春も、むなしいからだ。

 心の楽しみは、悲しみと痛みに変わる、ということです。

4A 人生の終わり 12
 そしてソロモンは結論を話し始めます。「神」についての知識を得ることの大切さについて話します。

1B 若い日の神の知識 1−8
12:1 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。

 ソロモンは、若者が心の赴くままに生きることを奨励していたのではなく、むしろ反対です。心の赴くままではなく「創造主を覚える」ことが重要だ、と言っています。

 神なしの人生の行き着くところは、「何の喜びもない」というところです。神の知識がなく人生を送ることは、究極の空しさを経験します。そして実に写実的にソロモンは、人が老いて最後に死ぬ様子を描きます。

12:2 太陽と光、月と星が暗くなり、雨の後にまた雨雲がおおう前に。12:3 その日には、家を守る者は震え、力のある男たちは身をかがめ、粉ひき女たちは少なくなって仕事をやめ、窓からながめている女の目は暗くなる。

 体力が衰えます。そして視力が衰えるため周りがあまり見えなくなります。

12:4 通りのとびらは閉ざされ、臼をひく音も低くなり、人は鳥の声に起き上がり、歌を歌う娘たちはみなうなだれる。12:5a 彼らはまた高い所を恐れ、道でおびえる。

 ちょっとした外側の音に敏感になります。またこれまで楽に行けたところも行けなくなります。

12:5bアーモンドの花は咲き、いなごはのろのろ歩き、ふうちょうぼくは花を開く。だが、人は永遠の家へと歩いて行き、嘆く者たちが通りを歩き回る。

 季節は春を迎えれば命を吹き返します。けれども人間の命は一度きりです。

12:6 こうしてついに、銀のひもは切れ、金の器は打ち砕かれ、水がめは泉のかたわらで砕かれ、滑車が井戸のそばでこわされる。

 人が死んだところの家は、世話がされないで、物が傷み、壊れていきます。

12:7 ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。

 人が死にます。そして結論を出します。

12:8 空の空。伝道者は言う。すべては空。

 初めに言った言葉ですが、それは、人は死んでいくという事実によるものです。「人は死んだら終わり」という哲学が、いかに人に空しさを与えるか、その現実をソロモンは言い表しました。そして最後にこの書物を書いた後記みたいなものを書きます。

2B 知恵のまとめ 9−14
12:9 伝道者は知恵ある者であったが、そのうえ、知識を民に教えた。彼は思索し、探求し、多くの箴言をまとめた。12:10 伝道者は適切なことばを見いだそうとし、真理のことばを正しく書き残した。

 聖書の中に編集されている箴言を初め、いろいろな箴言を書いてきたことを述べています。

12:11 知恵ある者のことばは突き棒のようなもの、編集されたものはよく打ちつけられた釘のようなものである。これらはひとりの羊飼いによって与えられた。

 「突き棒」は、牛が後ろをけると当たって痛くなるようにつけている棒です。それで土を耕すのに従事してもらうためです。私たちが愚かな道を歩むことがないように、戒めを与えている、ということです。そして編集されたものは、箴言をさらに洗練させて、自分がそこから離れないぴたっとくっついているようにすることができます。

 そして「ひとりの羊飼いによって与えられた」とあります。これはソロモンの父ダビデのことを指しているのでしょうか?あるいは良い羊飼いであられるキリストのことを暗示しているのかもしれません。

12:12 わが子よ。これ以外のことにも注意せよ。多くの本を作ることには、限りがない。多くのものに熱中すると、からだが疲れる。

 これが伝道者の書で行なっていたことです。真理のことばではなく、それ以外のことについてソロモンは時間を費やしました。この世で起こっていることについて考えつくしました。その結果、疲労感だけが残りました。

 これがソロモンの分岐点でした。主から与えられた真理のことばを教えていたときは良かったのですが、この世のことに関わりすぎました。主から命じられていないことも、知り尽くそうと頑張りすぎました。確かにそのことによって、いかに世にあるものを求めるのが空しいかという反面教師にはなっており、このように神がご聖霊によって伝道者の書を残してくださいました。

 けれども、こういうことはやってはいけないという戒めです。そこでソロモンは最後の最後に、真理に基づく結論を述べます。

12:13 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。12:14 神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。

 神を恐れること、これが知恵と知識の初めである、とソロモンが箴言で行っていることをここで言っています。その理由が、神がすべて隠されたことをさばかれるからだ、ということです。

 これは神の知識について、知っておかなければいけない原則的なことです。パウロがアテネでギリシヤ人たちに主のことを伝えたとき、裁きのときを教えました。「神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。なぜなら、神は、お立てになったひとりの人により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです。(使徒17:30-31

 神がすべてのことを清算なさいます。私たちはそのことを知るときに、健全な神への恐れを抱きます。そしてその日が定まっていること、死者が復活して裁きを受けることを知るのです。だから、日の下だけではないのです。この後の世界があります。


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