エステル記1−3章 「神の摂理の御手」


アウトライン

1A 異邦の国の栄光 1
   1B 富 1−9
   2B 男尊女卑 10−22
2A 先行する神の選び 2
   1B 容姿の良さ 1−7
   2B 慎ましい霊 8−18
   3B 誠実な行ない 19−23
3A 悪の支配 3
   1B うぬぼれ 1−7
   2B 邪悪な企み 8−15

本文

 エステル記1章を開いてください、今日からエステル記を始めます。1章から3章までを学びますが、ここでのテーマは「神の摂理の御手」です。

 私たちの聖書の学びは、イスラエルの歴史の中でバビロン捕囚以後の時代に入っています。列王記と歴代誌に記されていた王国時代がバビロン捕囚によって終わり、南ユダにいた人々はバビロンに捕らえ移され、その期間は70年間でした。その後、バビロンがメディヤ・ペルシヤの連合国に破れ、それから新しいペルシヤの王クロスがユダヤ人たちにエルサレムに帰還する布告を出しました。そこからバビロン捕囚後の歴史が始まります。エズラ記にて、ゼルバベルが率いる神殿建設と、その後のエズラが率いるユダヤ人の帰還が記されています。そしてネヘミヤが帰還し、エルサレムの町の城壁を完成しました。

 私たちがこれから読んでいくエステル記は、同じ時代ですが舞台がエルサレムではなく、ペルシヤ帝国の首都シュシャンになります。ユダヤ人が帰還したと言っても、全員が帰還したわけではなくごく一部の人々しか帰りませんでした。したがって、エルサレムやユダの地域以外にもたくさんユダヤ人はいたのです。この離散の地にて彼らに何が起こったかを記したのがエステル記です。

 この書のテーマは、選びの民に対する神の守りです。神さまの約束は、その中心がカナンの地であり、都のエルサレムです。けれども、たとえその中心的なところから離れていても、神さまのご自分の民に対する約束は決して変わることなく、成し遂げられます。ユダヤ人が必ずしも、神さまが望まれているイスラエルの土地に住むという理想の状態にいなくても、選びの民という理由で神は彼らを守っていておられるというのが、エステル記のテーマになります。

本文

1A 異邦の国の栄光 1
1B 富 1−9
1:1 アハシュエロスの時代のこと・・このアハシュエロスは、ホドからクシュまで百二十七州を治めていた。・・

 エステル記は、このアハシュエロスの時代の出来事を記録したものです。アハシュエロスは名前ではなく王の称号ですが、名前はギリシヤ名でクセルクセスといいます。紀元前485年から465年まで統治していました。ちょうどゼルバベルによって神殿が再建し、エズラによって律法が教えられることになった時の間に起こりました。エズラ記の6章と7章の間に起こっています。

 その時のペルシヤ帝国は、今のパキスタンからリビアやスーダンを含む北アフリカにまで及ぶ広大な領域を支配していました。そこに127の州がありました。

1:2 アハシュエロス王がシュシャンの城で、王座に着いていたころ、

 シュシャンがペルシヤの首都です。今のイランにあります。

1:3 その治世の第三年に、彼はすべての首長と家臣たちのために宴会を催した。それにはペルシヤとメディヤの有力者、貴族たちおよび諸州の首長たちが出席した。1:4 そのとき、王は輝かしい王国の富と、そのきらびやかな栄誉を幾日も示して、百八十日に及んだ。

 全120州の首長や家臣が集まりました。この宴会が催されたしばらく後に、ペルシヤ連合軍がギリシヤと戦争をしています。もしかしたら、王が宴会を催したのは連合軍の連帯を強めるためだったかもしれません。

1:5 この期間が終わると、王は、シュシャンの城にいた身分の高い者から低い者に至るまですべての民のために、七日間、王宮の園の庭で、宴会を催した。1:6 そこには白綿布や青色の布が、白や紫色の細ひもで大理石の柱の銀の輪に結びつけられ、金と銀でできた長いすが、緑色石、白大理石、真珠貝や黒大理石のモザイクの床の上に置かれていた。

 本当に栄華と富で輝いています。

1:7 彼は金の杯で酒をふるまったが、その杯は一つ一つ違っていた。そして王の勢力にふさわしく王室の酒がたくさんあった。1:8 それを飲むとき、法令によって、だれも強いられなかった。だれでもめいめい自分の好みのままにするようにと、王が宮殿のすべての役人に命じておいたからである。

 興味深いことに、お酒は強いられないようにという法令がありました。酒を断ることが、関係を悪くする理由にならないようにという配慮でしょう。けれども女性の尊厳に関しては、配慮がなかったようです。

1:9 王妃ワシュティも、アハシュエロス王の王宮で婦人たちのために宴会を催した。

 この時の王妃がワシュティです。男たちと女性たちの宴会は別の場で行なわれました。

2B 男尊女卑 10−22
1:10 七日目に、王は酒で心が陽気になり、アハシュエロス王に仕える七人の宦官メフマン、ビゼタ、ハルボナ、ビグタ、アバグタ、ゼタル、カルカスに命じて、1:11 王妃ワシュティに王冠をかぶらせ、彼女を王の前に連れて来るようにと言った。それは、彼女の容姿が美しかったので、その美しさを民と首長たちに見せるためであった。1:12 しかし、王妃ワシュティが宦官から伝えられた王の命令を拒んで来ようとしなかったので、王は非常に怒り、その憤りが彼のうちで燃え立った。

 宴会の七日目のことです。王は、ワシュティの美貌を男たちに見せたかったのですが、ワシュティはおそらくは、自分の姿を、酔いしれた男たちの欲望の目にさらされたくないと思ったのでしょう、王の命令を断りました。そこで王は怒っていますが、怒るだけでは終わりません。

1:13 そこで王は法令に詳しい、知恵のある者たちに相談した。・・このように、法令と裁判に詳しいすべての者に計るのが、王のならわしであった。

 覚えていますか、メディヤとペルシヤでは法令によって国を統治していました。メディヤの王ダリヨスが、家臣にだまされて、自分以外のものに祈りをささげるものは獅子の穴に投げ込まれるという法令に印を押してしまったばかりに、ダニエルを獅子の穴から救い出すことができませんでした。それだけ法令が重要視されました。

1:14 王の側近の者はペルシヤとメディヤの七人の首長たちカルシェナ、シェタル、アデマタ、タルシシュ、メレス、マルセナ、メムカンで、彼らは王と面接ができ、王国の最高の地位についていた。・・1:15 「王妃ワシュティは、宦官によって伝えられたアハシュエロス王の命令に従わなかったが、法令により、彼女をどう処分すべきだろうか。」1:16 メムカンは王と首長たちの前で答えた。「王妃ワシュティは王ひとりにではなく、すべての首長とアハシュエロス王のすべての州の全住民にも悪いことをしました。1:17 なぜなら、王妃の行ないが女たちみなに知れ渡り、『アハシュエロス王が王妃ワシュティに王の前に来るようにと命じたが、来なかった。』と言って、女たちは自分の夫を軽く見るようになるでしょう。1:18 きょうにでも、王妃のことを聞いたペルシヤとメディヤの首長の夫人たちは、王のすべての首長たちに、このことを言って、ひどい軽蔑と怒りが起こることでしょう。1:19 もしも王によろしければ、ワシュティはアハシュエロス王の前に出てはならないという勅令をご自身で出し、ペルシヤとメディヤの法令の中に書き入れて、変更することのないようにし、王は王妃の位を彼女よりもすぐれた婦人に授けてください。1:20 王が出される詔勅が、この大きな王国の隅々まで告げ知らされると、女たちは、身分の高い者から低い者に至るまでみな、自分の夫を尊敬するようになりましょう。」

 ワシュティの行なったことは、王自身に対するものだけでなく、ペルシヤのすべての夫人が王にそむく口実や影響力となるという判断で、ワシュティを王妃の座から下ろすことにしました。

1:21 この進言は、王と首長たちの心にかなったので、王はメムカンの言ったとおりにした。1:22 そこで王は、王のすべての州に書簡を送った。各州にはその文字で、各民族にはそのことばで書簡を送り、男子はみな、一家の主人となること、また、自分の民族のことばで話すことを命じた。

 ペルシヤ帝国は、その従属する民族や国民に対して寛容政策を取っていたことで有名です。クロス王がユダヤ人を帰還させ神殿を再建するように命じたことにも、その政策の特徴が表れていましたが、それぞれの民族や言葉を守らせて、それで彼らを統治します。

 そして2章からエステルが登場しますが、ここまでがエステルの話の舞台設定です。その栄華と富、また女性に対する取り扱いは、聖なる、まことの神を知らない異邦の国の典型を表しています。この世の姿です。けれども、このようなまことの聖なる神の支配がないかのように見える状況の中で、神の主権の御手が置かれているというのが、エステル記のテーマでもあります。

 エステル記でしばしば議論されることは、この書物の中に、神や主、また祈りという言葉が出てこないことです。また新約聖書にてエステル記が引用されることもありません。そのため、エステル記は正典、つまり聖書の中に含むべきではないという初代教父の意見もあるほどです。けれども、これから読んでいく話は、確実に、明らかに神の御手が置かれているのを見ることができます。

 そして、神や主という言葉が使われていないのは、おそらくは異邦の地の中で、自分たちの信仰の表現を行なうことが難しい状況にあったからなのでしょう。後でエステルが、自分がユダヤ人であることを明かさなかった話が出てきます。反ユダヤ主義が根強かったからです。クリスチャンもまた、福音を伝えるのを制限している国では、信仰やキリスト教の用語を使わないで信仰の話をすることがしばしばあります。同じようにエステル記も、霊的な言葉を使わないで神さまの話を書き記したのでしょう。

2A 先行する神の選び 2

 それでは次に、エステルが王妃として選ばれる話を読んでいきます。

1B 容姿の良さ 1−7
2:1 この出来事の後、アハシュエロス王の憤りがおさまると、王は、ワシュティのこと、彼女のしたこと、また、彼女に対して決められたことを思い出した。

 このときにはすでに、ギリシヤ遠征が失敗していましたが、もしかしたら王はがっかりした気持ちになっていたとき、王妃がいないことをさみしいと思ったのかもしれません。

2:2 そのとき、王に仕える若い者たちは言った。「王のために容姿の美しい未婚の娘たちを捜しましょう。2:3 王は、王国のすべての州に役人を任命し、容姿の美しい未婚の娘たちをみな、シュシャンの城の婦人部屋に集めさせ、女たちの監督官である王の宦官ヘガイの管理のもとに置き、化粧に必要な品々を彼女たちに与えるようにしてください。2:4 そして、王のお心にかなうおとめをワシュティの代わりに王妃としてください。」このことは王の心にかなったので、彼はそのようにした。

 ミス・ペルシヤをこれから行ないます。そして選ばれた人が王妃となります。

2:5 シュシャンの城にひとりのユダヤ人がいた。その名をモルデカイといって、ベニヤミン人キシュの子シムイの子ヤイルの子であった。2:6 このキシュは、バビロンの王ネブカデネザルが捕え移したユダの王エコヌヤといっしょに捕え移された捕囚の民とともに、エルサレムから捕え移された者であった。

 ここのエコヌヤは、ユダの王エホヤキンのことです。第二バビロン捕囚のとき捕らえ移されました。

2:7 モルデカイはおじの娘ハダサ、すなわち、エステルを養育していた。彼女には父も母もいなかったからである。このおとめは、姿も顔だちも美しかった。彼女の父と母が死んだとき、モルデカイは彼女を引き取って自分の娘としたのである。

 エステルの紹介です。彼女は容姿がすぐれていましたが、悲しい過去を持っていました。両親がすでに死んでいました。モルデカイとは従兄弟の関係にありますが、モルデカイのほうがはるかに年上だったのです、彼が彼女を養女にしていました。

 この悲しい過去が、ある意味で彼女の美しさを際ださせていたかもしれません。女性の美は、その外側ではなく内側にあることを、使徒ペテロは手紙の中で話しています。「あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。(1ペテロ3:3-4

悲しい出来事や苦しみの中で、人は二つの反応をすることができます。一つは苦みを持つことであり、もう一つは、魂が砕かれ、心が柔らかにされますが、けれども芯のある強さを持つことです。エステルは後者だったようです。次から読む彼女の態度から、女性の内側の美しさを読むことができます。

2B 慎ましい霊 8−18
2:8 王の命令、すなわちその法令が伝えられて、多くのおとめたちがシュシャンの城に集められ、ヘガイの管理のもとに置かれたとき、エステルも王宮に連れて行かれて、女たちの監督官ヘガイの管理のもとに置かれた。2:9 このおとめは、ヘガイの心にかない、彼の好意を得た。そこで、彼は急いで化粧に必要な品々とごちそうを彼女に与え、また王宮から選ばれた七人の侍女を彼女にあてがった。そして、ヘガイは彼女とその侍女たちを、婦人部屋の最も良い所に移した。

 王のハーレムの管理者の好意を得た、とあります。ここで似たような待遇を受けた人のことを思い出せますか?ヨセフですね。彼は、主人ポティファルの好意を得て家の管理人になりました。かた牢屋に入れられたときも、監獄の管理人の好意を得て他の囚人たちの世話役になりました。ヨセフのほかにも、ダニエルやその三人の友人がいます。王のごちそうを少年たちに与える管理をしている侍従長から好意を得ました。ヨセフもダニエルたちも、エステルもみな、異邦人の中でその位を引き上げられた人たちです。神を信仰している人たちは、このように世の光となることができます。

2:10 エステルは自分の民族をも、自分の生まれをも明かさなかった。モルデカイが、明かしてはならないと彼女に命じておいたからである。2:11 モルデカイは毎日婦人部屋の庭の前を歩き回り、エステルの安否と、彼女がどうされるかを知ろうとしていた。

 ユダヤ人であるということは、自分の立場が不利になったり、周囲に敵対心を抱かせる原因になっていたため、民族や生まれを明かしませんでした。反ユダヤ主義は、ヒットラーのホロコーストのときに始まったのではなく、ユダヤ人の歴史の中でずっと続いているものです。

2:12 おとめたちは、婦人の規則に従って、十二か月の期間が終わって後、ひとりずつ順番にアハシュエロス王のところに、はいって行くことになっていた。これは、準備の期間が、六か月は没薬の油で、次の六か月は香料と婦人の化粧に必要な品々で化粧することで終わることになっていたからである。

 ものすごく長い期間の準備ですね。単なる化粧ではなく、肌の深いところからきれいにする美容法があったのでしょう。

2:13 このようにして、おとめが王のところにはいって行くとき、おとめの願うものはみな与えられ、それを持って婦人部屋から王宮に行くことができた。2:14 おとめは夕方はいって行き、朝になると、ほかの婦人部屋に帰っていた。そこは、そばめたちの監督官である王の宦官シャアシュガズの管理のもとにあった。そこの女は、王の気に入り、指名されるのでなければ、二度と王のところには行けなかった。

 ペルシヤの王の妾に限らず、この世の王の妾は、厳しい条件に中に置かれます。自分が召されるのでなければ、ただ一人、他に夫もなくひっそりと暮らさなければいけないからです。

2:15 さて、モルデカイが引き取って、自分の娘とした彼のおじアビハイルの娘エステルが、王のところにはいって行く順番が来たとき、彼女は女たちの監督官である王の宦官ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めなかった。こうしてエステルは、彼女を見るすべての者から好意を受けていた。

 彼女が慎みの霊を宿していたことが、ここからわかります。王に気に入られるために、何でも持っていくことができたのに、監督官の勧めるものだけを持っていきましたが、それが人々の好意を受ける理由になっていました。このように慎ましい、従順の霊を持っていることが彼女の美を際立たせていました。

2:16 エステルがアハシュエロス王の王宮に召されたのは、王の治世の第七年の第十の月、すなわちテベテの月であった。

 ワシュティが罷免させられてから四年後のことです。

2:17 王はほかのどの女たちよりもエステルを愛した。このため、彼女はどの娘たちよりも王の好意と恵みを受けた。こうして、王はついに王冠を彼女の頭に置き、ワシュティの代わりに彼女を王妃とした。2:18 それから、王はすべての首長と家臣たちの大宴会、すなわち、エステルの宴会を催し、諸州には休日を与えて、王の勢力にふさわしい贈り物を配った。

 王から特別の好意を得ました。後でモルデカイがエステルに、「あなたが王妃に選ばれたのは、この時のためかもしれない。」と言う場面が出てきます。この言葉を裏返すと、エステルが王妃に選ばれたときは、モルデカイもエステルもなぜ選ばれたのか、神さまのご目的を理解することはできなかった、ということです。けれども後になって、過去に起こった出来事がなぜ起こったのかを理解できるようになります。

 このような神さまの働きを「摂理」といいます。神さまは私たち一人一人に、すばらしいご計画やご目的を持っておられます。そしてすべてを支配されている主権者であられる方は、すべてのことをその目的のために働かせておられます。その目的はあるたった一つの出来事のためかもしれませんし、長い期間かけて行なうことかもしれませんし、わかりませんが、その働きをすることができるように、何年も前からいや生まれる前から神さまが用意されています。

 先ほども少し言及したヨセフが、その典型的な例でしょう。神さまには、ヤコブの家族をエジプトの地に移動させて、世界のききんから救い出されるご計画をお持ちでした。その目的のために、神は兄たちのヨセフへのねたみを用いて、ヨセフを初めにエジプトに送ることにされました。そして、ちょうど世界でききんが起こるときにパロの前にヨセフが出て行くことができるように、彼が牢屋に入るようにされました。人間の目から見れば、不幸の連続である出来事はすべて神の栄光のために働いていたのです。

 エステルも同じでした。その時はわかりませんでしたが、彼女はユダヤ民族を救うための器として選ばれました。そのために王妃として選ばれていたのです。けれどもそのときはわかりません。大事なのは、自分が置かれているその時々に、主に対して忠実でいることです。

3B 誠実な行ない 19−23
2:19 娘たちが二度目に集められたとき、モルデカイは王の門のところにすわっていた。2:20 エステルは、モルデカイが彼女に命じていたように、まだ自分の生まれをも、自分の民族をも明かしていなかった。エステルはモルデカイに養育されていた時と同じように、彼の言いつけに従っていた。

 先にエステルは、監督官の勧めたもの以外、王のところに持っていかなかったとありましたが、ここではモルデカイのいいつけどおり、ユダヤ人であることを明かさなかったとあります。彼女の従順な霊をここでも見ることができます。そしてエステルだけでなく、モルデカイ自身も王の下で誠実に働いている場面を次に読みます。

2:21 そのころ、モルデカイが王の門のところにすわっていると、入口を守っていた王のふたりの宦官ビグタンとテレシュが怒って、アハシュエロス王を殺そうとしていた。2:22 このことがモルデカイに知れたので、彼はこれを王妃エステルに知らせた。エステルはこれをモルデカイの名で王に告げた。2:23 このことが追及されて、その事実が明らかになったので、彼らふたりは木にかけられた。このことは王の前で年代記の書に記録された。

 モルデカイは王を守るために必要なことをしました。そしてこのことが王の前で読まれる記録書に記録されることになりました。主はこのことを、ユダヤ人救済のために後で用いられます。

3A 悪の支配 3
1B うぬぼれ 1−7
3:1 この出来事の後、アハシュエロス王は、アガグ人ハメダタの子ハマンを重んじ、彼を昇進させて、その席を、彼とともにいるすべての首長たちの上に置いた。

 ハマンが登場しました。ユダヤ民族絶滅をもくろむ悪人ですが、彼が「アガグ人」であることに注目してください。アガグ人は、アマレク人の王アガグの子孫です。サムエル記第一に、主がサムエルを通してサウルに、アマレク人を一切、滅ぼさなければいけない、と命じられた場面があります(15章)。男だけでなく女も子供も、家畜をもみな打ち殺せという命令です。ところが、サウルは家畜の上等なものを残し、また王アガグを生け捕りにしました。そこでサムエルはサウルを叱責し、主がサウルを王位から退けられる旨を伝えました。こうして、サウルはアマレク人を根絶させなかったのですが、それが原因でアマレク人は続けてイスラエルの人々の敵として行き続けました。

 実は、サムエルがサウルに命令したずっと前から主は、モーセを通してアマレク人を消し去るように命じておられました。「あなたがたがエジプトから出て、その道中で、アマレクがあなたにした事を忘れないこと。彼は、神を恐れることなく、道であなたを襲い、あなたが疲れて弱っているときに、あなたのうしろの落後者をみな、切り倒したのである。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えて所有させようとしておられる地で、あなたの神、主が、周囲のすべての敵からあなたを解放して、休息を与えられるようになったときには、あなたはアマレクの記憶を天の下から消し去らなければならない。これを忘れてはならない。(申命記25:17-19

エジプトからシナイ山のほうに行っている途中でアマレク人が襲ってきたときから、主は、この民族は絶滅しないかぎりイスラエル人を絶滅すべく動いてくることをご存知だったのです。このことから、アマレク人は私たちの肉の型であると言われています。肉は殺してしまわなければ、その残ったものは私たちをすべて支配してしまう危険があります。

 そして今、サウルがアマレク人を滅ぼさなかったばかりに、今、今度はユダヤ人が滅ぼされそうになる危機に瀕します。

3:2 それで、王の門のところにいる王の家来たちはみな、ハマンに対してひざをかがめてひれ伏した。王が彼についてこのように命じたからである。しかし、モルデカイはひざもかがめず、ひれ伏そうともしなかった。

 ひざをかがめず、ひれ伏さなかったのは、ダニエルの三人の友人も取った行動でした。主なる神以外のものを、神から与えられた権威がないのに、それにひれ伏したり、ひざをかがめることは決して行ないませんでした。異教徒であるアハシュエロスは、創造主と被造物の区別ができていないのでこのような命令を出しましたが、ユダヤ人であるモルデカイは王の命令であっても神に対する良心を汚すようなことは行なわなかったのです。

3:3 王の門のところにいる王の家来たちはモルデカイに、「あなたはなぜ、王の命令にそむくのか。」と言った。3:4 彼らは、毎日そう言ったが、モルデカイが耳を貸さなかったので、モルデカイのこの態度が続けられてよいものかどうかを見ようと、これをハマンに告げた。モルデカイは自分がユダヤ人であることを彼らに打ち明けていたからである。

 ダニエルの三人の友人のときも、彼らが金の像にひれ伏さなかったとき、それを告げ口した者たちは、彼らのことをユダヤ人として紹介しています。反ユダヤ感情がこのときからあった証拠です。

3:5 ハマンはモルデカイが自分に対してひざもかがめず、ひれ伏そうともしないのを見て、憤りに満たされた。3:6 ところが、ハマンはモルデカイひとりに手を下すことだけで満足しなかった。彼らがモルデカイの民族のことを、ハマンに知らせていたからである。それでハマンは、アハシュエロスの王国中のすべてのユダヤ人、すなわちモルデカイの民族を、根絶やしにしようとした。

 ハマンは精神的に非常に不安定な、うぬぼれが強い人間でした。自分にひざをかがめない、ひれ伏そうとしないことが、彼の憤りの原因だったのです。

 けれども、彼がモルデカイに対する敵意だけでなく、ユダヤ人全体に対する敵意へと飛躍させているのは、彼の背後に悪魔が働いているからです。イスラエルは神の選びの民であり、全人類の罪の供え物であるキリストをこの世に送り出す民族でした。彼らが滅べば、神のご計画や約束は台無しになり、人類への救いのご計画もめちゃくちゃになります。悪魔はそのことを知っているのです。そこで、人の心に自然では抱かないであろう物凄い敵意や憎悪をユダヤ人に対して抱かせます。

3:7 アハシュエロス王の第十二年の第一の月、すなわちニサンの月に、日と月とを決めるためにハマンの前で、プル、すなわちくじが投げられ、くじは第十二の月、すなわちアダルの月に当たった。

 ユダヤ人を滅ぼす計画を実行するときは、十二ヶ月後に定めました。十二の月はちょうど三月に当たります。

2B 邪悪な企み 8−15
3:8 ハマンはアハシュエロス王に言った。「あなたの王国のすべての州にいる諸民族の間に、散らされて離れ離れになっている一つの民族がいます。彼らの法令は、どの民族のものとも違っていて、彼らは王の法令を守っていません。それで、彼らをそのままにさせておくことは、王のためになりません。

 ユダヤ人を中傷するその根拠は、彼らが他の法令を持っており、王に反逆しているというものです。これは一部あたっています。彼らには神から律法が与えられています。しかし王に反逆するというのは間違いです。クリスチャンも迫害されるとき、いつも同じような危険にさらされます。良心的な市民として生きていても、その活動は社会に対する挑戦であり、また国に対する挑戦であると受け止められます。

3:9 もしも王さま、よろしければ、彼らを滅ぼすようにと書いてください。私はその仕事をする者たちに銀一万タラントを量って渡します。そうして、それを王の金庫に納めさせましょう。」

 これは全滅させたユダヤ人の財産を使って行なうことです。当時からユダヤ人は、自分の商売が上手くいっていたようです。歴史を通じて、ユダヤ人は経済や文化、学問その他あらゆる分野において卓越しています。その多くが必ずしも神への信仰を持っているのではありませんが、彼らの行動様式には、神から与えられた原則があり、その原則に基づいて動いているので秀でているということができるでしょう。

3:10 そこで、王は自分の手から指輪をはずして、アガグ人ハメダタの子で、ユダヤ人の敵であるハマンに、それを渡した。3:11 そして、王はハマンに言った。「その銀はあなたに授けよう。また、その民族もあなたの好きなようにしなさい。」

 アハシュエロス王は、ハマンに企みがあろうとも思わず、あまり考えずに許可を与えました。

3:12 そこで、第一の月の十三日に、王の書記官が召集され、ハマンが、王の太守や、各州を治めている総督や、各民族の首長たちに命じたことが全部、各州にはその文字で、各民族にはそのことばでしるされた。それは、アハシュエロスの名で書かれ、王の指輪で印が押された。3:13 書簡は急使によって王のすべての州へ送られた。それには、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日の一日のうちに、若い者も年寄りも、子どもも女も、すべてのユダヤ人を根絶やしにし、殺害し、滅ぼし、彼らの家財をかすめ奪えとあった。3:14 各州に法令として発布される文書の写しが、この日の準備のために、すべての民族に公示された。

 ペルシヤ全体に絶滅の計画が行き渡りました。

3:15 急使は王の命令によって急いで出て行った。この法令はシュシャンの城でも発布された。このとき、王とハマンは酒をくみかわしていたが、シュシャンの町は混乱に陥った。

 王のお膝元には、ユダヤ人がたくさんいたのでしょう、町全体が混乱に陥っていました。王は何も知らずに酒を飲んでいましたが、ハマンはユダヤ人が苦しむのを喜びながら酒をくみかわしていました。

 なんと邪悪なのでしょうか。けれども、主は御座におられます。次回は、企みが完全に覆される話を読んでいきます。


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