出エジプト28章 「祭司の任命」


アウトライン

1A 装束 28
   1B 祭司の務め 1−5
   2B 作成 6−43
      1C エポデ 6−14
      2C 胸当て 15−30
      3C その他 31−43
2A 任職 29 (次回の学び)
   1B 水洗い 1−9
   2B いけにえ 10−34
      1C 罪と全焼のいけにえ 10−18
      2C 任職の雄羊 19−34
   3B 祭壇の贖い 35−46

参照文献
祭司の装束については、以下のサイトの図が役立ちます。
High Priest Page

本文

 出エジプト記28章を開いてください。ここでのテーマは、「祭司の任命」です。これまで幕屋の中身を見てきましたが、28章と29章には、祭司について書かれています。その幕屋で人がどのように奉仕するのか、その奉仕者である祭司の存在について学びます。今日は前半部分28章です。

1A 装束 28
1B 祭司の務め 1−5
28:1 あなたは、イスラエル人の中から、あなたの兄弟アロンとその子、すなわち、アロンとその子のナダブとアビフ、エルアザルとイタマルを、あなたのそばに近づけ、祭司としてわたしに仕えさせよ。

 祭司とは、簡単に言えば神と人との仲介者のことです。神に対しては、祭司は人を代表します。とりなしの祈りをしたりすることは、祭司の役目です。そして人に対しては、神の祝福や恵み、いやしや命を分与する、神の代表者であります。祭司の働きによって、イスラエル人は神に近づくことができました。

 そして、祭司は、アロンとその子孫が任命されます。モーセが、「私は口べたなので、だれか他の人を遣わしてください。」と主に願ったとき、主がお怒りになって、「あなたの兄、アロンがいるではないか。」とお答えになったことによって、モーセとととにいるアロンです。主はアロンを必要とされませんでした。モーセだけでよかったのですが、けれども主の恵みは、こうした人の失敗をとおして注がれます。主は、アロンとその子らによって、ご自分の恵みをイスラエルの民に分与することをお決めになりました。

28:2 また、あなたの兄弟アロンのために、栄光と美を表わす聖なる装束を作れ。

 アロンは、祭司の中で最も重要な奉仕をする大祭司として任ぜられます。そして、彼は特別な服を身に付けなければいけませんでした。「栄光と美を表わす聖なる装束」です。これの意味しているところは何でしょうか?これまで幕屋の中身について学んできた私たちは、ユダヤ人信者宛てに書かれたヘブル人への手紙から、幕屋や旧約の制度を理解する鍵があることを知っています。この装束あるいは祭服は、イエス・キリストご自身を表しています。

 ヘブル書1章3節に、御子についてこう書かれています。「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。」神の栄光の輝きです。そして罪のきよめを成し遂げて神の右に着座されているのですが、イエスは今、天の大祭司としてその務めを執り行われています。ヘブル9章1112節です。「しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。」したがって、アロンが来た祭服はまことの大祭司であるイエス・キリストご自身を表しており、アロンの大祭司の務めも、イエス・キリストのお働きを表しています。

 そしてこの装束は栄光だけでなく「美」を表わすとありますが、大祭司の務めは、神の美とその恵みを人々に分与する役目を担っています。キリストが私たちのためにしてくださった救いの御業は神の恵みに満ちており、実に麗しいです。映画「パッション」にも表現されていましたが、あのむごたらしい十字架刑の中で、主は敵のために祈られ、救いを成し遂げられたことを宣言するなど、罪の赦しと犠牲の愛の美を放っています。英語ですと、graceという「恵み」と日本語では訳されている言葉は、もともと美や優雅さを意味している言葉であり、聖書での意味と一致しています。エペソ書1章に、三位一体の神の御業が書かれていますが、それは、「神がその愛する方によって私たちに与えてくださって恵みの栄光がほめたたえられるためです。(1:6 下線筆者)

28:3 あなたは、わたしが知恵の霊を満たした、心に知恵のある者たちに告げて、彼らにアロンの装束を作らせなければならない。彼を聖別し、わたしのために祭司の務めをさせるためである。

 祭服は非常に細かい裁縫と、また宝石の研磨加工が要求されます。そこで知恵のある者たち、つまり職人に作らせなければいけませんが、単に能力があるだけでなく、神の「知恵の霊」で満たされた人でなければいけません。コリント人への手紙第一12章にて、御霊の賜物の中に「知恵のことば」がありますが、具体的な実際的な事柄に取り組むときにも、聖霊の満たしが必要なのです。聖霊の賜物をいやしや異言のような超自然的な働きに限定して、その他の教会における営みは人の働きと捉えるのは間違っています。すべての事柄において、私たちは聖霊の満たしを求めなければいけないのです。

28:4 彼らが作らなければならない装束は次のとおりである。胸当て、エポデ、青服、市松模様の長服、かぶり物、飾り帯。彼らは、あなたの兄弟アロンとその子らに、わたしのために祭司の務めをさせるため、この聖なる装束を作らなければならない。28:5 それで彼らは、金色や、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに亜麻布を受け取らなければならない。

 これから読む装束は、いくつかの部分に分かれています。一つはエポデです。次にエポデの上に胸当てがあります。それからエポデの下には青服、そしてさらにその下に長服があります。そして帽子、あるいはかぶり物があり、飾り帯があります。 そして幕屋における材料と同じように、撚り糸と亜麻布を用意します。撚り糸は幕と同じように、青色、紫色、緋色を用意し、さらに金色の撚り糸も用意します。

 そして、先ほどから繰り返されている二つの言葉に注目したいと思います。一つは、「聖なる」であります。「聖なる装束」と書かれています。「聖」については以前も学びましたが、この言葉の元々に意味は、「別たれる」です。そこから、一つの用途のために、あるところから別たれることを意味します。聖書では、主の御用のために、ほかのものから別たれて主のものとなる、ということです。装束が他の着物とは異なり、主のためだけのものとして使われる、ということです。

 それはイエス・キリストが聖なる方であるから、ということもありますが、人であるアロンが主のための奉仕者であるために、主が人々からアロンを聖別した、ということになります。これは実は私たちキリスト者も同じであり、コリント人への手紙第一に、「しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。(6:11」とあります。また使徒ペテロは、「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。(1ペテロ2:9」と言いました。私たちキリスト者は、イエス・キリストにあって神の前で祭司となったのです。プロテスタントの宗教改革の要綱の一つが、「万人祭司」であることはご存知だと思いますが、祭司らの務めは実は私たちキリスト者にも霊的に当てはめることができるのです。

 ですから、祭司はキリストの栄光と美を身にまとうのですが、聖書の中で数多く、「キリストを身につける」という言葉が出てきます。例えばガラテヤ書3章27節には、「バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。」とあります。私たちが自分のそのままの姿で、神の前に近づくことは決してできません。自分の正しい行ないは、不潔な着物のようであるとイザヤ書に書かれていますが(64:6)、どんなに自分で努力しても主には受け入れられないのです。ですから、神の義そのものであるキリストご自身を私たちが身につけることにより、初めて神に近づくことができます。ですから私たちはなおさらのこと、自己発見の探求をするのではなく、キリスト発見の探求、キリストがどのような方でキリストがどのようなことを行なわれたのかをじっくりと見、観察しなければいけないのです。そのキリストのうちに私たちがいるから、神との親しい交わりをすることができます。

 そして「聖なる」の他に、もう一つの繰り返されている言葉に注目してください。「わたしのために」という言い回しです。主のために祭司の務めを行ないます。幕屋における行為は、主に仕えることあって、自分や他の人々に仕えることではありません。これは、私たちが礼拝をするときに知っておかなければいけない、非常に大切な点です。私たちは、良いプレイズやワーシップソング、そして感動させる牧師のメッセージを期待したりします。けれども、これは完全な履き違えであり、礼拝は演劇の観客のように臨むものではありません。また、「今日は司会の係りだから、教会に行かなければいけない」のように、人々のために行かなければいけないものでもありません。あくまでも主役は神ご自身であり、私たちは神ご自身に仕えるために礼拝を行なうのです。

2B 作成 6−43
1C エポデ 6−14
28:6 彼らに金色や、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布を用い、巧みなわざでエポデを作らせる。

 今お話したように、エポデはエプロンのような形をしており、正面と背面の間に頭を通す大きな穴があります。そして非常に彩りがある服です。幕の材料のときに説明しましたが、青色は天を表わし、紫は王位を、緋色は血、亜麻布は義の行ないを表わしていますが、すべてキリストを指し示しています。それに加えて、金色、つまり神の栄光を表す糸も使われています。キリストが神ご自身であることを意味しています。ですから私たちも、エポデがおおう胸と腹の部分においてキリストを受け入れている、つまり心の深いところでキリストを宿している必要がある、ということです。

28:7 これにつける二つの肩当てがあって、その両端に、それぞれつけられなければならない。

 両肩のところに、宝石を埋め込む肩当てがあります。

28:8 エポデの上に結ぶあや織りの帯は、エポデと同じように、同じ材料、すなわち金色や、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布で作る。

 飾り帯は、エポデと同じ材料で作られます。

28:9 二つのしまめのうを取ったなら、その上にイスラエルの子らの名を刻む。

 肩当てのところにつける宝石です。新改訳は「しまめのう」と訳していますが、新共同訳では「ラピス・ラズリ」と訳されています。英語はonyxで「しまめのう」です。原語のヘブル語でははっきりと特定できるような言葉が使われていないために起こっている訳の違いだそうです。

28:10 その六つの名を一つの石に、残りの六つの名をもう一つの石に、生まれた順に刻む。

 宝石には、イスラエル部族の名が刻み込まれます。生まれた順ですから、片方にはルベン、シメオン、レビ、ユダ、ダン、ナフタリと刻まれ、もう片方には、ガド、アシェル、イッサカル、ゼブルン、ヨセフ、ベニヤミンと刻まれています。

28:11 印を彫る宝石細工師の細工で、イスラエルの子らの名を、その二つの石に彫り、それぞれを金のわくにはめ込まなければならない。

 二つの石は金のわくにはめ込まれて、そのわくを肩に置きます。

28:12 その二つの石をイスラエルの子らの記念の石としてエポデの肩当てにつける。アロンは主の前で、彼らの名を両肩に負い、記念とする。

 大祭司の両肩にイスラエル12部族の名が置かれ、記念とされました。肩の上で思い出されることについては、私たちはイエスのたとえを思い出します。こう語られました。「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。(ルカ15:46」イエスは、失われた羊をご自分の肩にかついで、彼らを神のみもとに引き連れて来られました。したがって、大祭司の肩入れにイスラエルの名が記されていることは、彼らが失われても、イエスが捜し、見つけ出してくださることを示しています。むろん、これはキリスト者に当てはまります。私たちは失われていましたが、見出されました。イエスの肩に乗せられて、神のみもとに連れて来られたのです。

28:13 あなたは金のわくを作り、28:14 また、二つの純金の鎖を作り、これを編んで、撚ったひもとし、この撚った鎖を、先のわくに、取りつけなければならない。

 肩当ての金のわくは、エポデに取りつけられますが、そのときに金の鎖によってつながれます。神の栄光にかがやく金の中で、イスラエルの名が思い出されるのです。

2C 胸当て 15−30
28:15 あなたはさばきの胸当てを、巧みな細工で作る。それをエポデの細工と同じように作らなければならない。すなわち、金色や、青色、紫色、緋色の撚り糸、それに撚り糸で織った亜麻布で作らなければならない。28:16 それは、四角形で、二重にし、長さは一あたり、幅は一あたりとしなければならない。

 エポデには、胸当てが付けられました。エポデと同じようにな刺繍です。そして、長さ幅とも一あたり、つまり22センチ程度の正方形をしていました。けれども二重折りにしますので、実際の長さは長さが二あたり、ということになりますが。

28:17 その中に、宝石をはめ込み、宝石を四列にする。すなわち、第一列は赤めのう、トパ一ズ、エメラルド。28:18 第二列はトルコ玉、サファイヤ、ダイヤモンド。28:19 第三列はヒヤシンス石、めのう、紫水晶、28:20 第四列は緑柱石、しまめのう、碧玉。これらを金のわくにはめ込まなければならない。28:21 この宝石はイスラエルの子らの名によるもので、彼らの名にしたがい十二個でなければならない。十二部族のために、その印の彫り物が一つの名につき一つずつ、なければならない。

 宝石が置かれるのは、肩当てだけではありません。金のわくに、それぞれ異なる種類の宝石を四列にはめ込みます。なぜ宝石なのでしょうか?それは、先に話した神の栄光を表しているわけですが、宝石はエデンの園の川の流れのところにありました。そして、黙示録の最後、天からの新しいエルサレムは、十二種類の宝石による土台石になっています。「都の城壁の土台石はあらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイヤ、第三は玉髄、第四は緑玉、第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七は貴かんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十は緑玉髄、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。(21:19-20」そして、この宝石にはそれぞれ十二使徒の名が記されている、とあります。つまり、教会が記されているのです。

 けれども大祭司の胸当てには、イスラエル12部族の名が記されています。けれども新しいエルサレムにおいても、十二の門にイスラエルの各部族の名が記されています。これはどういうことでしょうか?だれでも、イエス・キリストの御名を信じなければ神の御国に入ることはできません。けれども旧約の聖徒は、キリストが来られることを信じて死んでいきました。そうした彼らがキリストが昇天されたときに自分たちも天に引き上げられ、御国に入れられます。そしてキリストが地上に再臨されるとき、大患難の中にいて地上に残っているイスラエルの民が、キリストの姿を見て、嘆き悲しんで、悔い改めます。残されているイスラエルは、このときにイエスの御名を信じて、神の御国に入ることが許されるのです。

28:22 また編んで撚った純金の鎖を胸当てにつける。28:23 胸当てに、金の環二個をつけ、その二個の環を胸当ての両端につける。28:24 この二筋の金のひもを胸当ての両端の二個の環につける。28:25 その二筋のひもの他の端を、先の二つのわくにつけ、エポデの肩当てに外側に向くようにつけなければならない。28:26 ほかに二個の金の環を作り、これを胸当ての両端、すなわち、エポデの前に来る胸当ての内側の縁につける。28:27 ほかに二個の金の環を作り、これをエポデの二つの肩当ての下端の外側に、すなわち、エポデのあや織りの帯の上部の継ぎ目に接した面の上につける。28:28 胸当ては、青ひもで、その環のところをエポデの環に結びつけ、エポデのあや織りの帯の上にあるようにする。胸当てがエポデからずり落ちないようにしなければならない。

 胸当てを体に固定するために、胸当ての四隅に金の環がつけられます。そして上の環は金の鎖で肩当ての環につなぎあわせ、下の環はエポデにつけられた環に青ひもでつなぎます。

28:29 アロンが聖所にはいるときには、さばきの胸当てにあるイスラエルの子らの名をその胸の上に載せ、絶えず主の前で記念としなければならない。

 名前が神の前で覚えられています。しかも、大祭司の胸の上で覚えられます。使徒ヨハネがイエスが十字架につけられる前の晩の過越の食事において、このように自分のことを話しています。「弟子のひとりで、イエスが愛しておられた者が、イエスの御胸のそばで、からだを横にしていた。(ヨハネ13:23直訳)」イエスの御胸のそばにいた、愛された者です。私たち一人一人が、同じようにイエスの御胸のそばで愛されています。そしてそれぞれの名は、いのちの書に書き記されて、覚えられているのです。

28:30 さばきの胸当てには、ウリムとトンミムを入れ、アロンが主の前に出るときに、それがアロンの胸の上にあるようにする。アロンは絶えず主の前に、イスラエルの子らのさばきを、その胸の上に載せる。

 胸当ての目的は、「さばき」でした。罰を与えるところの裁きではなく、主のみこころを伺うための判断を祭司が行ないました。それは、胸当ての中に入れていくウリムとトンミムによってです。おそらくはこの二つは宝石ではなかったか、と言われています。ウリムは「光」、トンミムは「完全」という意味です。しばしば、主のみこころを伺うために、例えばサウルやダビデは祭司を呼び出していましたが、それはこの石を用いて行ないました。

3C その他 31−43
28:31 エポデの下に着る青服を、青色の撚り糸だけで作る。28:32 その真中に頭を通す口を作る。その口の周囲には、織物の縁をつけ、よろいのえりのようにし、ほころびないようにしなければならない。28:33 そのすそに、青色、紫色、緋色の撚り糸で、ざくろを作り、そのすその回りにこれをつけ、その回りのざくろの間に金の鈴をつける。28:34 すなわち、青服のすその回りに金の鈴、ざくろ、金の鈴、ざくろ、となるようにする。

 エポデの下は青服です。この服の特徴は服の下に、金の鈴とざくろの形をした撚り糸を交互につりつけていたことです。これは何を意味するのでしょうか?次をごらんください。

28:35 アロンはこれを務めを行なうために着る。彼が聖所にはいり、主の前に出るとき、またそこを去るとき、その音が聞こえるようにする。彼が死なないためである。

 これは、大祭司が他のイスラエル人や他の祭司には入ることができないところに入るからです。ヨム・キプールすなわち贖罪日のとき、大祭司が独りで至聖所の中に入り、イスラエルのための罪の告白と、それによるきよめの儀式を行ないます。そのときに、彼が誤ったことを行ない主に打たれて死んだとき、そこにだれも入っていくことができません。また、死んだかどうかも分かりません。ですから、人々は鈴の音を聞いて、大祭司がその務めを行なっているかどうか知ることができました。それだけ、至聖所はきよいのです。主がご臨在されている場所だからです。

28:36 また、純金の札を作り、その上に印を彫るように、『主への聖なるもの』と彫り、28:37 これを青ひもにつけ、それをかぶり物につける。それはかぶり物の前面に来るようにしなければならない。28:38 これがアロンの額の上にあるなら、アロンは、イスラエル人の聖別する聖なる物、すなわち、彼らのすべての聖なるささげ物に関しての咎を負う。これは、それらの物が主の前に受け入れられるために、絶えずアロンの額の上になければならない。

 純金の札が、かぶり物に付けられます。そこには「主への聖なるもの」と彫られています。これは、アロンがイスラエルの咎を負うためです。イスラエル人が持ってきた物は、いろいろな清めと洗いがなされていますが、完全に聖い神の御前には汚れています。そこで民を代表するアロンは、それを額の上に置き、その汚れたささげ物がすべて聖められるようにするのです。これでイスラエル人のささげ物が、絶えず神の御前に受け入れられるようになります。エペソ書1章において、神が、その愛する方キリストによって、私たちが受け入れられた者とされたとあります。私たちは、キリストにあって、御前に聖い者とされたのです。しかも絶えず聖い者とされています。

28:39 亜麻布で市松模様の長服を作り、亜麻布でかぶり物を作る。飾り帯は刺繍して作らなければならない。

 青服の下は亜麻布の長服です。そしてかぶり物もまた亜麻布で作られます。

28:40 あなたはアロンの子らのために長服を作り、また彼らのために飾り帯を作り、彼らのために、栄光と美を表わすターバンを作らなければならない。

 アロンの子らは、長服のみの装束となります。大祭司のみがエポデと胸当て、そして青服を身に付けます。彼らは祭壇での奉仕、そして聖所での奉仕はしますが、至聖所には入れません。大祭司のみが入れます。それは大祭司はキリストを表し、そして他の祭司たちは私たちを表しているからです。私たちは、神の栄光と美の現われであるキリストの前で仕えている、義と認められ、きよめられたしもべにしか過ぎません。質素な白だけで良いのです。

28:41 これらをあなたの兄弟アロン、および彼とともにいるその子らに着せ、彼らに油をそそぎ、彼らを祭司職に任命し、彼らを聖別して祭司としてわたしに仕えさせよ。

 この任職式は次の章29章に詳しくあります。

28:42 彼らのために、裸をおおう亜麻布のももひきを作れ。腰からももにまで届くようにしなければならない。

 出エジプト記20章にも、階段で祭壇を上ってはいけない、裸があらわになってはいけないから、と書いてあります。おそらく、異教においてこのような光景が、礼拝行為の間に人の裸が見えるような露出が多い服装だったのではないか、と思われます。私たちが主ご自身以外のものに気を引き寄せられるようなものは、礼拝の中で極力取り除く必要があります。礼拝の間に変な挙動をしたり、おしゃべりをしたり、また説教者が必要以上に自分のことを話したり、などなど、イエス・キリスト以外のものに焦点があるようなことはあってはなりません。

28:43 アロンとその子らは、会見の天幕にはいるとき、あるいは聖所で務めを行なうために祭壇に近づくとき、これを着る。彼らが咎を負って、死ぬことのないためである。これは、彼と彼の後の子孫とのための永遠のおきてである。

 先に話しました、装束はキリストを表わすのであり、キリストなしには私たちは咎ある者、死罪に定められる者です。ロマ書8章1節で、「だれでもキリスト・イエスのうちにいる者は、決して罪に定められることはありません。」とありますが、キリストのうちにいるから罪定めがなく、義と認められます。したがって、キリストを着ることがいかに大切であるか、自分の行ないではなくキリストを知ることが私たちにとって最優先にされなければいけません。

 こうして祭司の装束について見ました。次回は、祭司の任職について見ていきます。


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