出エジプト35−38章 「主の仕事」


アウトライン

1A ささげ物 35
   1B 主の指示 1−19
   2B 心から進んで行なう者 20−35
2A 働き 36−38
   1B 知恵のある人 36
      1C あり余る奉仕 1−7
      2C 幕と板 8−38
   2B ベツァルエル 37−38
      1C 聖所の祭具 37
      2C 外庭の祭具 38:1−20
      3C 棚卸し 38:21−31

参照サイト
25章以降の幕屋の造りについては、以下のサイトをご参照されると良いかと思います。
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本文

 出エジプト記35章を開いてください。今日は一挙に、38章まで進みたいと思います。ここでのテーマは、「主の仕事」です。前回私たちは、モーセの執り成しの祈りによって、主が契約を更新してくださったところを読みました。4040夜、シナイ山でモーセは主から、幕屋と祭司についての命令を受けていましたが、戻ってきたら、イスラエルの民が金の子牛をつくって、乱れていました。そこで、主は、わたしがともにいたら彼らは滅んでしまうから、わたしはいっしょにあなたがたと上らない、と言われました。けれどもモーセの必死の執り成しによって、主があわれんでくださり、初めのときとまったく同じように、契約を彼らと新たに結んでくださったのです。

 そして35章からは、モーセがシナイ山で受けた、幕屋と祭司の事柄について、実際に主が言われたとおりに行なっていくところの記録です。読むとお分かりになりますが、25章以降、金の子牛事件が起こる前のところで、主がモーセにお語りになっていた内容と同じになっています。けれども、出エジプト記の著者はこの命令に基づいて人々が働いたことを、逐一記録する必要を感じたようです。もちろん聖霊の導きによって記録したわけですが、そこから私たちは、主のお仕事をしていくことについて、ここの箇所から学ぶことができます。

1A ささげ物 35
1B 主の指示 1−19
35:1 モーセはイスラエル人の全会衆を集めて彼らに言った。「これは、主が行なえと命じられたことばである。」35:2 六日間は仕事をしてもよい。しかし、七日目には、主の聖なる全き休みの安息を守らなければならない。この日に仕事をする者は、だれでも殺されなければならない。35:3 安息の日には、あなたがたのどの住まいのどこででも、火をたいてはならない。」

 これから幕屋の材料を集めること、幕屋を造る作業を開始させるのですが、その初めの初めに安息日についての規定をモーセが話したことは意味があります。以前にも話しましたが、主のために働くのは、あくまでも主にあって休む、主を礼拝するという行為そのものがあってこその働きです。主を礼拝することが私たちの主な仕事であり、それにともなう作業が二番目の仕事としてあります。私たちの心が、教会の活動によって義務的になり、形式的になったり、あるいは人々に認められようとして行なっているものであれば、主は、「やめなさい」と言われます。大事なのは心の動機です。

35:4 モーセはイスラエル人の全会衆に告げて言った。「これは、主が命じて仰せられたことである。35:5 あなたがたの中から主への奉納物を受け取りなさい。すべて、心から進んでささげる者に主への奉納物を持って来させなさい。すなわち、金、銀、青銅、35:6 青色、紫色、緋色の撚り糸、亜麻布、やぎの毛、35:7 赤くなめした雄羊の皮、じゅごんの皮、アカシヤ材、35:8 燈油、そそぎの油とかおりの高い香のための香料、35:9 エポデや胸当てにはめ込むしまめのうや宝石である。」

 幕屋の材料を、イスラエルの全会衆から受け取ります。

35:10 あなたがたのうちの心に知恵のある者は、みな来て、主が命じられたものをすべて造らなければならない。35:11 幕屋、その天幕と、そのおおい、その留め金とその板、その横木、その柱と、その台座、35:12 箱と、その棒、『贖いのふた』とおおいの垂れ幕、35:13 机と、その棒とそのすべての用具と供えのパン、35:14 燈火のための燭台と、その用器とともしび皿と、燈火用の油、35:15 香の壇と、その棒とそそぎの油とかおりの高い香と幕屋の入口につける入口の垂れ幕、35:16 全焼のいけにえの祭壇とそれに付属する青銅の格子、その棒とそのすべての用具、洗盤と、その台、35:17 庭の掛け幕、その柱とその台座と庭の門の垂れ幕、35:18 幕屋の釘と庭の釘と、そのひも、35:19 聖所で仕えるための式服、すなわち、祭司アロンの聖なる装束と、祭司として仕える彼の子らの装束である。」

 ここには、材料を使って、幕屋にあるものや祭司の装束をつくることについて書いてあります。心に知恵のある者、つまり、人間的な言い方では職人さんたちに指示をしています。

2B 心から進んで行なう者 20−35
 そして次に、モーセが言ったことに応答してイスラエルの民が動く場面が出てきます。

35:20 イスラエル人の全会衆は、モーセの前から立ち去った。35:21 感動した者と、心から進んでする者とはみな、会見の天幕の仕事のため、また、そのすべての作業のため、また、聖なる装束のために、主への奉納物を持って来た。35:22 すべて心から進んでささげる男女は、飾り輪、耳輪、指輪、首飾り、すべての金の飾り物を持って来た。金の奉献物を主にささげた者はみな、そうした。35:23 また、青色、紫色、緋色の撚り糸、亜麻布、やぎの毛、赤くなめした雄羊の皮、じゅごんの皮を持っている者はみな、それを持って来た。35:24 銀や青銅の奉納物をささげる者はみな、それを主への奉納物として持って来た。アカシヤ材を持っている者はみな、奉仕のすべての仕事のため、それを持って来た。35:25 また、心に知恵のある女もみな、自分の手で紡ぎ、その紡いだ青色、紫色、緋色の撚り糸、それに亜麻布を持って来た。35:26 感動して、知恵を用いたいと思った女たちはみな、やぎの毛を紡いだ。35:27 上に立つ者たちはエポデと胸当てにはめるしまめのうや宝石を持って来た。35:28 また、燈火、そそぎの油、かおりの高い香のためのバルサム油とオリーブ油とを持って来た。35:29 イスラエル人は、男も女もみな、主がモーセを通して、こうせよと命じられたすべての仕事のために、心から進んでささげたのであって、彼らはそれを進んでささげるささげ物として主に持って来た。

 ここで反応した人たちの特徴として、繰り返し出てくる言い回しは何でしょうか?「心から進んでする者」ですね。その他20節には、「感動した者」とあります。つまり、彼らは自分のものをささげるときに、いやいやながらではなく、また強制されてでもなく、自分でささげたいと思って、ささげることを喜びとしてささげていることが特徴なのです。ネックレスやイヤリングなど貴金属で出来たものをささげ、また裁縫の女の人は、紡いだ撚り糸を持ってきています。上に立つ人は、エポデやしまめのう、宝石などを持ってきています。みな、喜んで、自ら進んでささげています。

 ここに、私たちが献金について知らなければいけない大前提です。聖書の中で貫かれている原則は、自分自身のもの、特に自分にとって尊いものを主にささげるのと同時に、それらが自分の意思で、主体的にささげていくことにあります。他の人たちがささげているから、とか、教会の指導者からの要請があるからとか、そのような精神的圧迫でささげたら、それは人を喜ばせることはでいるのかもしれませんが、決して主を喜ばせることはありません。パウロはコリント人たちに、こう言いました。。「私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。(2コリント9:67

 私の母教会では、献金の時間に、教会の人々に、「献金を受け入れます」と言います。”We are going to receive the offering.”と言いますが、「献金を取ります」とは言いません。”take”の言葉は使わないのです。理由は、教会がお金を取るのではなく、人々の自発的な献金を受け入れるからです。ですから自ら進んでささげることが、大事です。

35:30 モーセはイスラエル人に言った。「見よ。主はユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルを名ざして召し出し、35:31 彼に、知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、神の霊を満たされた。35:32 それは彼が金や銀や青銅の細工を巧みに設計し、35:33 はめ込みの宝石を彫刻し、木を彫刻し、あらゆる設計的な仕事をさせるためである。35:34 また、彼の心に人を教える力を授けられた。彼とダン部族のアヒサマクの子オホリアブとに、そうされた。35:35 主は彼らをすぐれた知恵で満たされた。それは彼らが、あらゆる仕事と巧みな設計をなす者として、彫刻する者、設計する者、および、青色、紫色、緋色の撚り糸や亜麻布で刺繍する者、また機織りする者の仕事を成し遂げるためである。

 祭具や祭司の彫刻において、細工が必要ですが、そのために主は、ベツァルエルを名指しで指名されました。それだけでなく、神の霊で彼を満たされています。コリント第一12章にも、御霊の賜物の一つに、「知恵のことば」というものがありますが、知恵は神の御霊によるものです。以前の学びでも話しましたが、教会において必要なのは、能力がある人ではなく、聖霊に満たされた人です。音楽ならミュージシャン、となりがちですが、ミュージシャンの目的は自分を売ることにあり、自分への賛美へと必然的に導きます。けれども、主にある賛美リーダーは、自分はなく主に人々を導き、これには聖霊の力と知恵が必要なのです。

 そして34節には、人を教える力も授けられていることが書かれています。自分が細工できるだけでなく、人にもそうするように教える力です。聖書には、教えることにおいても聖霊の賜物が必要であることが書かれています。聖霊の賜物というと、それを乱用する人にもまた否定する人にも共通して言えることは、どちらも知識とか知恵などの領域を、知的な領域と見て、霊的な領域と見ないことです。いやしや預言だけが超自然的であると考えて、聖書の学びや教会の運営などは知的な作業だと見なします。けれども、それは大きな間違いであり、多くの祈りと、聖霊の油注ぎなしには、そうした作業は決して行なうことはできず、ごく普通に見える営みの中に超自然的な働きを認めることができるのです。

 そして、パウロはテモテに、人が他の人を教えることができるように、教えなさいと勧めています。「多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。 (2テモテ2:2」継承していくことの大切さが書かれています。

2A 働き 36−38
1B 知恵のある人 36
1C あり余る奉仕 1−7
36:1 ベツァルエルとオホリアブ、および、聖所の奉仕のすべての仕事をすることのできる知恵と英知を主に与えられた、心に知恵のある者はみな、主が命じられたすべてのことを成し遂げなければならない。」36:2 モーセは、ベツァルエルとオホリアブ、および、主が知恵を授けられた、心に知恵のある者すべて、すなわち感動して、進み出てその仕事をしたいと思う者すべてを、呼び寄せた。

 主から知恵が与えられた人々も、彼らは無理やりではなく、感動して、自ら進んで仕事をしたい人によって構成されています。

36:3 彼らは、聖所の奉仕の仕事をするためにイスラエル人が持って来たすべての奉納物をモーセから受け取った。しかしイスラエル人は、なおも朝ごとに、進んでささげるささげ物を彼のところに持って来た。36:4 そこで、聖所のすべての仕事をしていた、知恵のある者はみな、それぞれ自分たちがしていた仕事から離れてやって来て、36:5 モーセに告げて言った。「民は幾たびも、持って来ています。主がせよと命じられた仕事のために、あり余る奉仕です。」36:6 それでモーセは命じて、宿営中にふれさせて言った。「男も女も、もはや聖所の奉納物のための仕事をしないように。」こうして、民は持って来ることをやめた。36:7 手持ちの材料は、すべての仕事をするのに十分であり、あり余るほどであった。

 すごいですね、献金が足りません!という叫びは教会の中でよく聞きますが、あり余る奉仕だから止めてください、という叫びは聞いたことがありません。けれども、イスラエルの民がそこまで、主の幕屋のことで感動して、主がともにおられることを喜んで、これだけのものをささげました。これは一重に、イスラエルの民が悔い改めて、主がともにおられることこそが自分たちにとっての喜びであることを知ることができたからだと思われます。

2C 幕と板 8−38
36:8 仕事に携わっている者のうち、心に知恵のある者はみな、幕屋を十枚の幕で造った。撚り糸で織った亜麻布、青色、紫色、緋色の撚り糸で作り、巧みな細工でケルビムを織り出した。

 ここから幕屋の幕の作成についての内容が書かれています。以前にも出てきた内容なので、図だけを見て、言葉の説明は省きます。幕は十枚の長方形のかたちをしたものを織り合わせて、さらに至聖所と聖所の間になるところは、金の留め金をつけて、接触しないようにします。同様に、幕のさらに上にかけるやぎの毛の幕も、青銅の留め金によってくっ付けます。これは、聖所は祭司が日ごとに入って、主に礼拝と奉仕を行なう場所であるのに対して、至聖所は、主がおられるところ、年に一度、大祭司のみが入ることができる場所だからです。

 そして、内側にあるものには金の留め金、外側には青銅の留め金が使われている、という点にも気づいてください。主がおられる内側には金が使われ、外側に近づけば近づくほど、銀、そして青銅が使われます。金は神の栄光を表しますが、銀は贖い、つまり天と地が接触するとことで必要な贖いです。そして青銅は、主が地上に接するときに必然的に現われる、神のさばきと怒りです。

 そして、幕に使われている素材にも注目してください。内側の幕には、緋色、紫、青、白の糸が使われています。それぞれ、キリストの血潮、キリストの王位、天におられる青、そしてきよさを表す白です。やぎの毛も同様に、白くされたきよさを表わし、赤くなめした雄羊の皮は血潮を、じゅごんの皮は、キリストの人間性を表わしています。すべてがキリストのみわざやご性質であり、外側では、質素で目立たない人の姿であるキリストですが、この方が血を流し、それゆえ人の罪をまっしろにきよめ、そしてご自分が王であり、天に属する方であることを、信じた者に啓示される、という順番になっています。それでは20節に飛びます。

36:20 さらに、幕屋のためにアカシヤ材で、まっすぐに立てる板を作った。

 幕を支え、聖所と至聖所の骨格になる板です。この板も幕と同じように、長細い形をしていますが、それをいくつも作り、それを棒を通すことによって、一つの壁を作ります。そして、板が倒れないように支えるための台座もあり、それは銀で作られています。先ほど話しましたように、天を表わす聖所の部分が地上に触れるときに、贖いが必要な銀が使われるのです。そして、板も横木もみな金でおおわれています。それでは35節に飛びます。

36:35 ついで、青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で、垂れ幕を作った。これに巧みな細工でケルビムを織り出した。

 これは、聖所と至聖所を仕切る垂れ幕のことです。この幕は非常に重要であり、神がおられるところの御座と奉仕者がいる聖所とを区切っているからです。その垂れ幕のところに香壇があり、それは祈りを表わしていますが、その執り成しの祈りによって始めて、聖なる神と接触できるわけです。

 けれども、新約の時代は恵みの時です。キリストが十字架につけられたとき、上から下に真っ二つに裂けたのは、この垂れ幕でした。今は、キリストにあって神の御座が完全に開かれており、私たちは、キリストにあって大胆に神に近づくことができるのです。

 そして37節、38節には、聖所の入口である幕の説明があります。ここで、幕のところに五本の柱がありますが、その柱の台座は青銅です。お分かりになりますか、他の内側の板は銀の台座でしたが、外と接触をするので青銅の台座になっているのです。

2B ベツァルエル 37−38
1C 聖所の祭具 37
37:1 ベツァルエルはアカシヤ材で一つの箱を作った。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半、高さは一キュビト半。37:2 その内側と外側を純金でかぶせ、その回りに金の飾り縁を作った。

 36章に書かれていた作業はみな、心に知恵がある人すべてが行なっていましたが、聖所の中の祭具などは、主によって任命されたベツァルエルが行ないます。ここ1節から書かれているのは、契約の箱です。図をご覧ください。この箱の中には、石版二枚があり、そこに神のことばが書かれています。主がおられるところに、主のことばがあります。

 これは重要であり、アダムが他の動物と異なって神のかたちに造られているその理由の一つが、言葉を話すことだからです。言葉によって、私たちはまことの神を知ることができ、それゆえ、私たちは聖書に啓示されている神のことばを大切にします。弟子たちは物理的に主とともにいましたが、主が復活され、聖書のことばを説き明かされる前には、本当の意味でいっしょにいたとは言えませんでした。主が語られていたことを、すべて信じていなかったからです。ですから、物理的にいっしょにいるよりも、霊的にことばによって主を知ることがいかに大切であるかを知ります。

 そして6節には、贖いの蓋について書かれていますが、これは、ヨハネ第一2章に出てくる「なだめの供え物」と同じ言葉が使われており、神の怒りが満足されるための、なだめを意味します。この行ないは、主イエスさまの十字架によって成し遂げられました。それでは、10節に飛びます。

37:10 彼は、アカシヤ材で、一つの机を作った。長さは二キュビト、幅は一キュビト、高さは一キュビト半。

 聖所の中に入ると、右側に安置されているのが、この机です。十二個のパンが供えられています。このパンは、イスラエル12部族を差していますが、イエスさまは、「わたしはいのちのパンです。」と言われました。永遠のいのちをこれは指しています。そして17節をご覧ください。

37:17 また彼は、純金で燭台を作った。その燭台は、槌で打って作り、その台座と、支柱と、がくと、節と、花弁とで一個の燭台とした。

 ここからは燭台の説明です。聖所に入ると、左側に位置します。ここから放たれるともし火の光によって、聖所の板の金と、幕のケルビムの装飾が美しく現われているのでしょう。主は、「わたしは世の光です」と言われました。これもキリストを表わしています。そして25節です。

37:25 彼は、アカシヤ材で香の壇を作った。長さは一キュビト、幅は一キュビトの四角形で、高さは二キュビト。これの一部として角をつけた。

 香壇の説明です。先に説明しましたように、これは香をたくところです。垂れ幕の中、至聖所にも入っていき、それが祈りを表していることを、以前の学びで説明しました。同じように、私たちの祈りも、神の御座に届けられます。

 そして29節には、香油の調合の説明があります。油は聖霊を表していたことを以前学びました。あらゆる教会の活動で、聖霊の満たしと導きが必要です。

2C 外庭の祭具 38:1−23
38:1 ついで、彼は、アカシヤ材で全焼のいけにえのための祭壇を作った。長さ五キュビト、幅五キュビトの四角形で、高さは三キュビト。

 祭壇は、外庭のところ、幕屋の門の入口の近くにあります。ここが、イスラエルの民が唯一、主に近づくことができる場所です。青銅でつくられており、ここで犠牲の動物のいけにえが、ほふられて、血を流し、火で焼かれます。これは、神がさばくことを意味して、キリストが私たちのために代わりに、神のさばきを受けられたことを意味します。そして8節をご覧ください。

38:8 また彼は、青銅で洗盤を、また青銅でその台を作った。会見の天幕の入口で務めをした女たちの鏡でそれを作った。

 非常に興味深い説明です。洗盤は、青銅の祭壇と聖所の間にあり、祭司が動物のいけにえなどで汚れた手足を洗いきよめるところです。これは、神のみことばによる洗いを意味していることを以前学びましたが、ここではその洗盤が、女たちの鏡で作った、とあることです。当時は、鏡はガラスではなく、よく磨かれた青銅でした。

 女性が自分の身だしなみのための鏡を犠牲にして、主にささげるということについて、どう思われるでしょうか?ペテロ書には、女性は外面の飾りつけではなく、内面の美しさこそ、その美にふさわしいことが書かれていますが、外見の美よりも内面の美を優先する姿は麗しいです。

 そして9節以降に庭の掛け幕の説明があります。ここで使われる釘などはみな青銅です。先ほど話したように、神のさばきを表わしています。

3C 棚卸し 38:24−31
 こうして、幕屋の用具をベツァルエルが設計しました。その次に、再び、他の知恵のある人々によって祭司の装束が作られるのですが、その前に、幕屋のたな卸しが行なわれます。幕屋が作られたあと、正しく作られたかを確かめます。その次に、、ささげられた金と銀と青銅の量がはかられます。38章21節をご覧ください。 そして21節に、これらを作成した者たちの名前が記されています。

38:21 幕屋、すなわち、あかしの幕屋の記録は、次のとおりである。これは、モーセの命令によって調べたもの、祭司アロンの子イタマルのもとでの、レビ人の奉仕である。38:22 ユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルは、主がモーセに命じられたことを、ことごとく行なった。38:23 彼とともに、ダン部族のアヒサマクの子オホリアブがいた。彼は彫刻をし、設計をする者、また青色、紫色、緋色の撚り糸や亜麻布で刺繍をする者であった。

 たな卸しは、レビ人によって行なわれました。調べた結果、主がモーセに命じられたことに、正確に造られたことが分かりました。そして次に、金と銀と青銅の量がはかられます。

38:24 仕事すなわち聖所のあらゆる仕事のために用いられたすべての金は、奉献物の金であるが、聖所のシェケルで二十九タラント七百三十シェケルであった。

 これは約1トンです。1トンの金が、自主的な奉納によって集められました。

38:25 会衆のうちの登録された者による銀は、聖所のシェケルで百タラント千七百七十五シェケルであった。38:26 これは、ひとり当たり一ベカ、すなわち、聖所のシェケルの半シェケルであって、すべて、二十歳以上で登録された者が六十万三千五百五十人であったからである。

 銀については、富んだ者も貧しい者も、成年男子から半シュケルずつ納めるように命令されたおきてがありましたね。それで、約3.5トンの銀が集められました。

38:27 聖所の台座と垂れ幕の台座とを鋳造するために用いた銀は、百タラントであった。すなわち、一個の台座に一タラント、百の台座に百タラントであった。38:28 また、千七百七十五シェケルで彼は柱の鉤を作り、柱の頭をかぶせ、柱に帯輪を巻きつけた。38:29 奉献物の青銅は七十タラント二千四百シェケルであった。

 だいたい2.5トンの重さです。

 ものすごい量の金属がささげられましたが、それは、何グラムばかりの貴金属を持っていたイスラエルの家族が捧げたものです。各家庭のささげものは少量に見えますが、主は人々の心を動かして、このように大きな量を集めてくださいました。私たちの献金も同じです。自分は少しの貢献しかしていないと思っているかもしれません。けれども、数多くの宣教団体、ミニストリーは、そのほとんどが定期的な小額の献金によって賄われているそうです。主は、金持ちに多額の献金をさせることで必要を満たされるのではなく、数多くの、普通の人の心を動かして、大きな仕事を成し遂げてくださいます。

38:30 これを用いて、彼は会見の天幕の入口の台座、青銅の祭壇と、それにつく青銅の格子、および、祭壇のすべての用具を作った。38:31 また、庭の回りの台座、庭の門の台座、および、幕屋のすべての釘と、庭の回りのすべての釘を作った。

 ここで今日の学びを終えたいと思いますが、ここまで読んだことでわかったのは、イスラエルの民が心から進んで行ない、また知恵が与えられた者たちが、主が命じられたようにことごとく行なっていったことがわかります。ピリピ書2章をお開きください。このようなすばらしい主のみわざが、新約においても美しく描かれています。ピリピ書2章12節からです。「そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いを達成してください。

 救いを達成するという言葉は、なんか行ないによって救われるように聞こえます。けれども、次を読めば分かります。「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。」救いを達成するための良い行ないは、みな神が私たちのうちで行なってくださっているのです。志を立てさせ、事を行なわせてくださいます。ですからこう書いてあります。「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。(ピリピ2:12-16」このように、私たちのうちに働いてくださる神が働いてくださいます。志を立ててくださいます。働きは主ご自身から出たものですが、主は私たちに志や感動を与えてくださって、喜んでそれを行なう者たちによってその働きが完成します。こうして、主がご自分の働きを始められたのだから、キリスト・イエスの日までにそれを完成してくださる、という同じピリピ書1章のことばが実現するのです。


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