創世記41章−45章  「すべてを益とされる神」

アウトライン

1A 苦しみから栄光へ  41
   1B 神の支配  1−36
      1C 人の努力  1−13
         1D 人の知恵  1−8
         2D 人の弱さ  9−13
      2C 神の主権  14−36
         1D 神の賜物  14−24
         2D 神の知恵  25−36
   2B 神の実現  37−57
      1C 栄化  37−45
      2C 繁栄  47−57
         1D 大豊作  46−52
         2D ききん  53−57
2A 罪から救いへ  42−45
   1B 試み  42−44
      1C 罪責  42
         1D 報い  1−24
            1E エジプト移動  1−5
            2E 間者  6−17
            3E 監禁  18−24
         2D 恐れ  25−38
            1E 袋の銀  25−28
            2E 父  29−34
            3E わざわい  35−38
      2C 養い  43
         1D 信仰  1−14
            1E ヤコブの決断  1−7
            2E ユダの責任  8−14
         2D あわれみ  15−25
            1E 食事  15−22
            2E 安心  23−25
         3D 恵み  26−34
      3C 代償  44
         1D 有罪  1−17
            1E 銀の杯  1−5
            2E ベンヤミン  6−13
            3E 奴隷  14−17
         2D 保証  18−34
            1E 父のいのち  18−29
            2E 弟の帰還  30−34
   2B 和解  45
      1C 赦し  1−15
         1D 神の定め  1−8
         2D  再会  9−15
      2C 回復  16−28
         1D 約束の実現  16−24
         2D ゆるがない希望  25−28

本文

 創世記41書を開いてください。今日は、41章から45章までを学んでみたいと思います。ここでのテーマは、「すべてを益とされる神」です。この箇所は、ローマ書8章28節にある、すばらしい神の約束を、麗しく鮮やかに描いています。「神を愛する人々、すなわち、神の御計画にしたがって召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」それでは、本文に入りましょう。

1A  苦しみから栄光へ  41
1B  神の支配  1−36
1C  人の努力  1−13
1D  人の知恵  1−8

 それから二年の後、パロは夢を見た。

 それからとは、献酌官が牢から出されてからの事です。ヨセフは、牢屋の中にずっと入れられていました。前回、わたしたちが、「栄光への苦しみ」という題名で、ヨセフがいかに辛いところを通ったかを見ました。兄弟達に見捨てられ、エジプト人の奴隷となり、女の誘惑に会い、それから逃げたら、無実の罪を着せられました。献酌官の夢を解き明かして、パロに自分のことを話してもらうように頼んだのに、彼はそのことを忘れてしまったのです。目に見えるところに従えば、彼は絶望の淵にいます。しかし、神は、栄光に満ち溢れた御計画を、着実に実行されていたのです。それが、これから読むところです。

 見ると、彼はナイルのほとりに立っていた。パロは夢を見て、ナイル川のほとりに立っていました。ナイルから、つやつやした、肉づきの良い七頭の雌牛が上がって来て、葦の中で草をはんでいた。するとまた、そのあとを追ってほかの醜いやせ細った七頭の雌牛がナイルから上がって来て、その川岸にいる雌牛のそばに立った。そして醜いやせ細った雌牛が、つやつやした、よく肥えた七頭の雌牛を食い尽くした。そのとき、パロは目がさめた。

 7頭のやせこけた雌牛が、7頭の肥え太った雌牛を食べてしまいました。

 それから、彼はまた眠って、再び夢を見た。見ると、肥えた良い七つの穂が、一本の茎に出て来た。すると、すぐそのあとから、東風に焼けた、しなびた七つの穂が出て来た。 そして、しなびた穂が、あの肥えて豊かな七つの穂をのみこんでしまった。そのとき、パロは目がさめた。それは夢だった。

 7つのやせた穂が、7つの肥えた穂を飲み込んでしまいました。どちらとも、共通点があり、何か意味を持っているような夢です。

 朝になって、パロは心が騒ぐので、人をやってエジプトのすべての呪法師とすべての知恵のある者たちを呼び寄せた。パロは彼らに夢のことを話したが、それをパロに解き明かすことのできる者はいなかった。

 パロの夢は、エジプトの中にいるどんな知恵ある者達にも解き明かす事が出来ませんでした。なぜなら、これは人間の知恵では計り知ることのできない、神の御計画が示されていたからです。人間は、どんなに知恵をふりしぼっても、それを理解することが出来ません。詩篇には、「主は、人の思い計ることがいかにむなしいかを、知っておられる。(94:11)」と書いてあります。

2D  人の弱さ  9−13
 そのとき、献酌官長がパロに告げて言った。「私はきょう、私のあやまちを申し上げなければなりません。かつて、パロがしもべらを怒って、私と調理官長とを侍従長の家に拘留なさいました。そのとき、私と彼は同じ夜に夢を見ましたが、その夢はおのおの意味のある夢でした。そこには、私たちといっしょに、侍従長のしもべでヘブル人の若者がいました。それで彼に話しましたところ、彼は私たちの夢を解き明かし、それぞれの夢にしたがって、解き明かしてくれました。そして、彼が私たちに解き明かしたとおりになり、パロは私をもとの地位に戻され、彼を木につるされました。」

 献酌長官は、2年前に起こったことを、つぶさに伝えました。彼が、忘れてしまった事は悲劇であると私たちは思います。神にとっては、悲劇どころかご自分の計画を実行するのに、格好の材料だったのです。このように、神は、忘れてしまうという人の弱さまでを用いられます。

2C  神の主権  14−36
1D  神の賜物  14−24
 そこで、パロは使いをやってヨセフを呼び寄せたので、人々は急いで彼を地下牢から連れ出した。彼はひげをそり、着物を着替えてから、パロの前に出た。

 エジプト人は、非常に潔癖症でした。呪法師などは、すべての体の毛をそったほどです。ですから、ヨセフも、ひげをそり、着物を着替えてからパロの前に出ました。

 パロはヨセフに言った。「私は夢を見たが、それを解き明かす者がいない。あなたについて言われていることを聞いた。あなたは夢を聞いて、それを解き明かすということだが。」ヨセフはパロに答えて言った。「私ではありません。神がパロの繁栄を知らせてくださるのです。」

 夢を解き明かす力が、神から来た事をヨセフはあかししています。彼は、決して自分に栄光を持っていく事無く、神にお返ししました。事実、それは神が、みこころのままに、賜物として彼にお授けになっていたからです。イエスは、「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。(マタイ6:1)と言われました。神に栄光をお返しする時、私たちは、天において大きな報いを受けます。そして、ヨセフもこれから大きな報いを受けます。

 それでパロはヨセフに話した。「夢の中で、私はナイルの岸に立っていた。見ると、ナイルから、肉づきが良くて、つやつやした七頭の雌牛が上がって来て、葦の中で草をはんでいた。すると、そのあとから、弱々しい、非常に醜い、やせ細ったほかの七頭の雌牛が上がって来た。私はこのように醜いのをエジプト全土でまだ見たことがない。そして、このやせた醜い雌牛が、先の肥えた七頭の雌牛を食い尽くした。 ところが、彼らを腹に入れても、腹にはいったのがわからないほどその姿は初めと同じように醜かった。そのとき、私は目がさめた。

 先ほどの夢の説明のほかに、やせた牛が肥えた牛を食べても、まだやせていたことが付け加えられています。

 ついで、夢の中で私は見た。見ると、一本の茎によく実った七つの穂が出て来た。すると、そのあとから東風に焼けた、しなびた貧弱な七つの穂が出て来た。 そのしなびた穂が、あの七つの良い穂をのみこんでしまった。そこで私は呪法師に話したが、だれも私に説明できる者はいなかった。」

2D  神の知恵  25−36
 しかし、神には、説明がお出来になります。ヨセフの解き明かしを見ましょう。ヨセフはパロに言った。「パロの夢は一つです。神がなさろうとすることをパロに示されたのです。七頭のりっぱな雌牛は七年のことで、七つのりっぱな穂も七年のことです。それは一つの夢なのです。そのあとから上がって来た七頭のやせた醜い雌牛は七年のことで、東風に焼けたしなびた七つの穂もそうです。それはききんの七年です。これは、私がパロに申し上げたとおり、神がなさろうとすることをパロに示されたのです。

 ヨセフは、2回も、神がなさろうととすることをパロに示されたと言いました。エジプトに起こることは、全能の神が支配しておられることでした。世界の超大国であったエジプトのパロは、神によって操られていたのです。今も同じです。世界のどのような権力も支配も、神の御手の中で動いています。

 今すぐ、エジプト全土に七年間の大豊作が訪れます。それから、そのあと、七年間のききんが起こり、エジプトの地の豊作はみな忘れられます。ききんが地を荒れ果てさせこの地の豊作は後に来るききんのため、跡もわからなくなります。そのききんは、非常にきびしいからです。夢が二度パロにくり返されたのは、このことが神によって定められ、神がすみやかにこれをなさるからです。

 再び、これが神がなされることであることをヨセフは確認しています。神は、定められ、それを行われます。

 それゆえ、今、パロは、さとくて知恵のある人を見つけ、その者をエジプトの国の上に置かれますように。ここから、ヨセフは助言をします。パロは、国中に監督官を任命するよう行動を起こされ、豊作の七年間に、エジプトの地に、備えをなさいますように。彼らにこれからの豊作の年のすべての食糧を集めさせ、パロの権威のもとに、町々に穀物をたくわえ、保管させるためです。その食糧は、エジプトの国に起こる七年のききんのための、国のたくわえとなさいますように。この地がききんで滅びないためです。」

 ヨセフは、基本的に食料備蓄部門を政府に設置すべきであると提案しました。実に賢い考えですね。それもそのはず、これは神から出た知恵だからです。パウロは、「ああ、神の知恵と知識と富は、何と底知れず深いことでしょう。(ローマ11:33)」と言いました。

2B  神の実現  37−57
1C  栄化  37−45
 このことは、パロとすべての家臣たちの心にかなった。そこでパロは家臣たちに言った。「神の霊の宿っているこのような人を、ほかに見つけることができようか。」

 すごいですね。異郷の王が、天地創造の神の存在を認めました。そして、もっとすごいのは、ヨセフに神の霊が宿っていると言った事です。神は無限の存在です。私たちをはるかに越えた次元にすんでおられる方です。この方が、有限の人間の中に住むことがどうして出来るのでしょうか。  

 しかし、聖書は、聖霊なる神ならできると伝えています。聖霊なる神は有限である私たちの中に宿り、神がこの地上で願っていることを行われます。この御霊がヨセフに宿っていたので、彼は全てのことが神の御計画であることを信じることができました。また、彼がもともと持っていた人を治める才能が、御霊によって触発されて、彼は神の知恵を知らせることが出来たのです。

 パロはヨセフに言った。「神がこれらすべてのことをあなたに知らされたのであれば、あなたのように、さとくて知恵のある者はほかにいない。 あなたは私の家を治めてくれ。私の民はみな、あなたの命令に従おう。私があなたにまさっているのは王位だけだ。」パロはなおヨセフに言った。「さあ、私はあなたにエジプト全土を支配させよう。」 そこで、パロは自分の指輪を手からはずして、それをヨセフの手にはめ、亜麻布の衣服を着せ、その首に金の首飾りを掛けた。そして、自分の第二の車に彼を乗せた。そこで人々は彼の前で「ひざまずけ。」と叫んだ。こうして彼にエジプト全土を支配させた。パロはヨセフに言った。「私はパロだ。しかし、あなたの許しなくしては、エジプト中で、だれも手足を上げることもできない。」

 ヨセフは奴隷の身分から、一気にエジプト全土の支配者になりました。

 パロはヨセフにツァフェナテ・パネアハという名を与え、オンの祭司ポティ・フェラの娘アセナテを彼の妻にした。

 エジプトの王は、エジプト人でなければならないので、エジプト人の名前を与えたことと、エジプト人の妻を与えたことはパロの配慮だと思われます。

 こうしてヨセフはエジプトの地に知れ渡った。

 こうして、ヨセフは、一気に引き上げられました。苦しみの後の栄光です。私たちの主イエス・キリストも、同じ道をたどられました。「キリストは人としての性質を持って顕れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、全ての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるものの全てが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である。』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。(ピリピ2:8−11)」とパウロは伝えています。

2C  繁栄  47−57
1D  大豊作  46−52
 ――ヨセフがエジプトの王パロに仕えるようになったときは三十歳であった。――

 これも面白いですね。イエス・キリストもおよそ30歳で公生涯を始められました。

 ヨセフはパロの前を去ってエジプト全土を巡り歩いた。さて、豊作の七年間に地は豊かに生産した。そこで、ヨセフはエジプトの地に産した七年間の食糧をことごとく集め、その食糧を町々にたくわえた。すなわち、町の周囲にある畑の食糧をおのおのその町の中にたくわえた。 ヨセフは穀物を海の砂のように非常に多くたくわえ、量りきれなくなったので、ついに量ることをやめた。

 神がヨセフに示されたとおり、7年間の大豊作がありました。ヨセフは、また、自分が提案したことに従って、各地に食料の備蓄を行いました。

 ききんの年の来る前に、ヨセフにふたりの子どもが生まれた。これらはオンの祭司ポティ・フェラの娘アセナテが産んだのである。

 ヨセフは異教徒と結婚しましたが、彼は決して神を第一とする事を忘れませんでした。それは、次のふたりの子の名前からわかります。また、異邦人と結婚する事は、霊的に、イエス・キリストの場合にも言えます。異邦人が多くを占める教会と、婚約関係に入られたからです。

 ヨセフは長子をマナセと名づけた。「神が私のすべての労苦と私の父の全家とを忘れさせた。」からである。

 ここに、ヨセフが兄弟たちのことでずっと苦しんでいたことを伺うことが出来ます。しかし、これだけの祝福と繁栄があたえられたので、それを忘れるほどになりました。

 また、二番目の子をエフライムと名づけた。「神が私の苦しみの地で私を実り多い者とされた。」からである。

 苦しみが忘れ去られただけでなく、実り多くなりました。まさに、苦しみのあった場所で豊かになりました。人間は、苦しみがあると何か他のもので気を紛らわそうとします。しかし、主は、苦しみを喜びに変え、涙を笑いに変える事がおできになります。

2D  ききん  53−57
 エジプトの地にあった豊作の七年が終わると、ヨセフの言ったとおり、七年のききんが来始めた。そのききんはすべての国に臨んだが、エジプト全土には食物があった。 やがて、エジプト全土が飢えると、その民はパロに食物を求めて叫んだ。そこでパロは全エジプトに言った。「ヨセフのもとに行き、彼の言うとおりにせよ。」 ききんが全世界に及んだ。ききんがエジプトの国でひどくなったとき、ヨセフはすべての穀物倉をあけて、エジプトに売った。また、ききんが全世界にひどくなったので、世界中が穀物を買うために、エジプトのヨセフのところに来た。

 ヨセフの言ったとおりに、7年の飢きんがありましたが、エジプトだけでなく世界中に飢きんがありました。ここまでは、ヨセフも神から知らされていませんでした。ヨセフは、父の全家を忘れる事が出来、また、苦しみの地で実り多い者となることが出来、もうそれだけで十分だと思っていたかもしれません。しかし、神は、この世界中の飢きんよって、もっと大きい事をされます。神は、全てを働かせて益としてくださるのです。次から、ヨセフは辛いところを通らなければならなくなります。しかい、その結果、完全な癒しと全ての満たしが与えられる、すばらしい結果をもたらします。

2A  罪から救いへ  42−45
1B  試み  42−44
1C  罪責  42
1D  報い  1−24
1E  エジプト移動  1−5

 ヤコブはエジプトに穀物があることを知って、息子たちに言った。「あなたがたは、なぜ互いに顔を見合っているのか。」そして言った。「今、私はエジプトに穀物があるということを聞いた。あなたがたは、そこへ下って行き、そこから私たちのために穀物を買って来なさい。そうすれば、私たちは生きながらえ、死なないだろう。」

 ヤコブは、息子達にエジプトに下って穀物を買うように命じました。それを聞いた息子達は、顔を合わせましたが、これは、ヨセフのことを思い出したに違いありません。ヨセフは奴隷として売られたエジプトに、自分達も下らなければいけないと考えたのでしょう。

 そこで、ヨセフの十人の兄弟はエジプトで穀物を買うために、下って行った。しかし、ヤコブはヨセフの弟ベニヤミンを兄弟たちといっしょにやらなかった。わざわいが彼にふりかかるといけないと思ったからである。

 ヤコブにとって、ヨセフもベンヤミンも、愛するラケルの子どもです。ヨセフを兄弟達に遣わしたら、彼に災いが降りかかりました。ベンヤミンも同じようになるかもしれないと思ったのです。

 こうして、イスラエルの息子たちは、穀物を買いに行く人々に交じって出かけた。カナンの地にききんがあったからである。

 彼らが、ほかの人々に混じって出かけたのは、ヨセフがミダヤン人と一緒にエジプトに下ったことを思いがします。

2E  間者  6−17
 ときに、ヨセフはこの国の権力者であり、この国のすべての人々に穀物を売る者であった。ヨセフの兄弟たちは来て、顔を地につけて彼を伏し拝んだ。ヨセフは兄弟たちを見て、それとわかったが、彼らに対して見知らぬ者のようにふるまい、荒々しいことばで彼らに言った。「あなたがたは、どこから来たのか。」すると彼らは答えた。「カナンの地から食糧を買いにまいりました。」 ヨセフには、兄弟たちだとわかったが、彼らにはヨセフだとはわからなかった

 ヨセフはエジプトの役人の服装をしていたし、通訳者を通してエジプトの言葉を話していたので、兄達は彼がヨセフだとはわからなかったのです。けれど、ヨセフはわかっていました。それで荒々しく語り始めました。彼の気持ちは複雑だったでしょう、ヨセフは兄達を愛していました。けれども、もし、彼らが昔と何も変わっていなかったらどうしようと考えたと思われます。それで、彼らを試す事に決めました。ヨセフが受けた苦しみと似たような苦しみを、彼らに与えるようにしたのです。仕返しや悲しみの気持ちもゼロではなかったと思います。でも、それ以上に、兄達に再会できた喜びが強かったでしょう。でも、彼らが本当に変わったかどうかを知らなければいけません。

 ヨセフはかつて彼らについて見た夢を思い出して、彼らに言った。

 その夢は、兄たちが自分にお辞儀をするものです。今、ここでその夢が実現しました。

 「あなたがたは間者だ。スパイのことです。この国のすきをうかがいに来たのだろう。」彼らは言った。「いいえ。あなたさま。しもべどもは食糧を買いにまいったのでございます。私たちはみな、同じひとりの人の子で、私たちは正直者でございます。しもべどもは間者ではございません。」

 家族の息子をスパイに送るようなことは、普通しません。それで、彼らは、家族のことを話しました。

 ヨセフは彼らに言った。「いや。あなたがたは、この国のすきをうかがいにやって来たのだ。」彼らは言った。「しもべどもは十二人の兄弟で、カナンの地にいるひとりの人の子でございます。末の弟は今、父といっしょにいますが、もうひとりはいなくなりました。」 ヨセフは彼らに言った。「私が言ったとおりだ。あなたがたは間者だ。このことで、あなたがたをためそう。パロのいのちにかけて言うが、あなたがたの末の弟がここに来ないかぎり、決してここから出ることはできない。あなたがたのうちのひとりをやって、弟を連れて来なさい。それまであなたがたを監禁しておく。あなたがたに誠実があるかどうか、あなたがたの言ったことをためすためだ。もしそうでなかったら、パロのいのちにかけて言うが、あなたがたはやっぱり間者だ。」

 末の弟のことを彼らの口から出たのを聞いて、ヨセフは、彼らが自分と同じようにベンヤミンを取り扱っているかどうかを、確かめたかったに違いありません。それに、彼は同じ母の兄弟であり、彼に対する愛情がとても強くて、ぜひ彼を見たいという気持ちがありました。

 こうしてヨセフは彼らを三日間、監禁所にいっしょに入れておいた。

3E  監禁  18−24
 ヨセフは三日目に彼らに言った。「次のようにして、生きよ。私も神を恐れる者だから。もし、あなたがたが正直者なら、あなたがたの兄弟のひとりを監禁所に監禁しておいて、あなたがたは飢えている家族に穀物を持って行くがよい。そして、あなたがたの末の弟を私のところに連れて来なさい。そうすれば、あなたがたのことばがほんとうだということになり、あなたがたは死ぬことはない。」

 ヨセフは自分を装いながらも、完全には隠しきれていません。彼は、本当に神を恐れる者でした。彼らを死なせる事は決して出来ませんでした。

 そこで彼らはそのようにした。彼らは互いに言った。「ああ、われわれは弟のことで罰を受けているのだなあ。あれがわれわれにあわれみを請うたとき、彼の心の苦しみを見ながら、われわれは聞き入れなかった。それでわれわれはこんな苦しみに会っているのだ。」

 彼らは20年前に自分達が行った事を、このようにして思い出しています。ヨセフが受けた待遇と似たようなことになっていると、彼らは考えたのです。よく、時が私たちの心を和らげるといわれていますが、それは違います。私たちの思いには、罪悪感を拭い去る機能は持っていません。ずっと残ります。主イエス・キリストの流された血潮によってのみ、私たちの罪意識がとりのぞかれるのです。「キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕えるものとする事でしょう。(ヘブル9:14)」とヘブル書の筆者は言いました。

 ルベンが彼らに答えて言った。「私はあの子に罪を犯すなと言ったではないか。それなのにあなたがたは聞き入れなかった。だから今、彼の血の報いを受けるのだ。」 彼らは、ヨセフが聞いていたとは知らなかった。彼と彼らの間には通訳者がいたからである。ヨセフは彼らから離れて、泣いた。それから彼らのところに帰って来て、彼らに語った。そして彼らの中からシメオンをとって、彼らの目の前で彼を縛った。

 ヨセフは、長子ルベンが彼を助けようとしたのを聞いて、ヤコブの2番目の息子シメオンに大きな責任があるのを知りました。それで彼を縛りました。このようにして、ヨセフが縛られてエジプトに言ったように、兄弟も今、縛られています。

2D  恐れ  25−38
1E  袋の銀  25−28
 ヨセフは、彼らの袋に穀物を満たし、彼らの銀をめいめいの袋に返し、また道中の食糧を彼らに与えるように命じた。それで、人々はそのとおりにした。

 ヨセフは少しずつですが、これから彼らにしようとしていることを明らかにしています。イスラエルの家は、エジプトに来て、ヨセフの統治のもと、養いを受ける、という事です。そのとき、穀物を買う必要はありません。それで、彼は銀をみな袋の中に戻してしまいました。

 彼らは穀物を自分たちのろばに背負わせて、そこを去った。さて、宿泊所で、そのうちのひとりが、自分のろばに飼料をやるために袋をあけると、自分の銀を見つけた。しかも、見よ。それは自分の袋の口にあった。彼は兄弟たちに言った。「私の銀が返されている。しかもこのとおり、私の袋の中に。」彼らは心配し、身を震わせて互いに言った。「神は、私たちにいったい何ということをなさったのだろう。」

 ヨセフが返したお金によって、彼らは神をひどく恐れました。こんなこと普通ではありえなく、エジプトの支配者に神の御手が動いている事を認めました。今は、間者の疑いをかけられていましたが、今度は窃盗罪に問われるかもしれません。

2E  父  29−34
 こうして、彼らはカナンの地にいる父ヤコブのもとに帰って、その身に起こったことをすべて彼に告げて言った。

 父ヤコブ゙はまだ健在であり、この家の権威者でした。エジプトの王が言ったことは、本当に言いづらい事ですが、言わなければ埒があかないので、彼らはこれから告白します。

 「あの国の支配者である人が、私たちに荒々しく語り、私たちを、あの国をうかがう間者にしました。私たちはその人に、『私たちは正直者で、間者ではない。私たちは十二人兄弟で同じひとりの父の子で、ひとりはいなくなったが、末の弟は今、カナンの地に父といっしょにいる。』と申しました。 すると、その国の支配者である人が、私たちに言いました。『こうすれば、あなたがたが正直者かどうか、わかる。あなたがたの兄弟のひとりを私のところに残し、飢えているあなたがたの家族に穀物を持って行け。 そしてあなたがたの末の弟を私のところに連れて来い。そうすれば、あなたがたが間者ではなく、正直者だということが私にわかる。そのうえで、私はあなたがたの兄弟を返そう。そうしてあなたがたはこの地に出はいりができる。』」

3E  わざわい  35−38
 それから、彼らが自分たちの袋をからにすると、見よ、めいめいの銀の包みがそれぞれの袋の中にあるではないか。彼らも父もこの銀の包みを見て、恐れた。父ヤコブは彼らに言った。

 ヤコブはもう耐えられなくなりました。銀なんか返されて、ベンヤミンを連れて行ったら、ベンヤミンまでが捕らえられてしまうではないか、と考えました。そこでこう言いました。

 「あなたがたはもう、私に子を失わせている。ヨセフはいなくなった。シメオンもいなくなった。そして今、ベニヤミンをも取ろうとしている。こんなことがみな、私にふりかかって来るのだ。」

 英語ですと、「こんなことがみな、私に敵対しているのだ。」となります。いや、違いますね。パウロは、「神が私たちの味方なら、だれが私たちに敵対できるでしょう。(ローマ8:31)」と言いました。

 ルベンは父にこう言った。「もし私が彼をあなたのもとに連れて帰らなかったら、私のふたりの子を殺してもかまいません。彼を私の手に任せてください。私はきっと彼をあなたのもとに連れ戻します。」

 ルベンは晩年のヤコブから、「水のように奔放」であると呼ばれました。彼は意思が弱く、物事を前進させるように導く事が出来ません。以前は、ヨセフを救い出そうとして失敗しています。ここでも、ヤコブを説得させることができませでした。ルベンが自分の子を殺したって、その時点ではベンヤミンはいなくなっているのですから意味がないわけです。

 しかしヤコブは言った。「私の子は、あなたがたといっしょには行かせない。彼の兄は死に、彼だけが残っているのだから。あなたがたの行く道中で、もし彼にわざわいがふりかかれば、あなたがたは、このしらが頭の私を、悲しみながらよみに下らせることになるのだ。」

 ヤコブは、信仰を失ってしまっています。神が祝福の約束を与えてくださったのに、全部、逆の方向に進んでいっているではないか。これ以上、逆には進ませない。」しかし、本当は逆ではなく、一直線に神の祝福の約束が実現されようとしているのです。

 山の頂上に近づくと木が生い茂って、頂上が見えなくなり、周りは暗くなってしまうように、ヤコブの生涯も、先行きが見えなくなり、暗くなっています。けれども、彼は信仰をもって、頂上に近づいていることを知るべきだったのです。私たちもそうではないでしょか。災いが降りかかることは、私たちに決してありません。なぜなら、神はそれをみな働かせて、益にしてくださるからです。

2C  養い  43
1D  信仰  1−14
1E  ヤコブの決断  1−7
 さて、その地でのききんは、ひどかった。 彼らがエジプトから持って来た穀物を食べ尽くしたとき、父は彼らに言った。「また行って、私たちのために少し食糧を買って来ておくれ。」 しかしユダが父に言った。「あの方は私たちをきつく戒めて、『あなたがたの弟といっしょでなければ、私の顔を見てはならない。』と告げました。もし、あなたが弟を私たちといっしょに行かせてくださるなら、私たちは下って行って、あなたのために食糧を買って来ましょう。 しかし、もしあなたが彼を行かせないなら、私たちは下って行きません。あの方が私たちに、『あなたがたの弟といっしょでなければ、私の顔を見てはならない。』と言ったからです。」

 ユダが、父ヤコブを説得しています。彼はヤコブの4番目の息子です。シメオンは今、監禁されています。その次の兄レビもおそらく、ヨセフを殺す計画に深く荷担し、以前はシュケムで暴虐を行いました。ユダは、父を深く尊敬しながも、現実的な話を持ち出しました。ベンヤミンを連れて行くか、あるいは、食料が尽きて飢えて死んでしまうかその二者択一であることを申し出ました。

 そこで、イスラエルが言った。「なぜ、あなたがたにもうひとりの弟がいるとあの方に言って、私をひどいめに会わせるのか。」 彼らは言った。「あの方が、私たちと私たちの家族のことをしつこく尋ねて、『あなたがたの父はまだ生きているのか。あなたがたに弟がいるのか。』と言うので、問われるままに言ってしまったのです。あなたがたの弟を連れて来いと言われるとは、どうして私たちにわかりましょう。」

 もっともな事であり、イスラエルは、自分が決断を先延ばしにしていたことを認めざるをえませんでした。

2E  ユダの責任  8−14
 ユダは父イスラエルに言った。「あの子を私といっしょにやらせてください。私たちは出かけて行きます。そうすれば、あなたも私たちも、そして私たちの子どもたちも生きながらえて死なないでしょう。 私自身が彼の保証人となります。私に責任を負わせてください。万一、彼をあなたのもとに連れ戻さず、あなたの前に彼を立たせなかったら、私は一生あなたに対して罪ある者となります。 もし私たちがためらっていなかったなら、今までに二度は行って帰って来られたことでしょう。」

 ユダはルベンと違って、自分自身が保証人となると、自分が責任を負うと言いました。そして、家族全員が飢餓状態に陥る危険を指摘して、今までに2度は往復できたはずだ、と言っています。これで、イスラエルは納得しました。

 父イスラエルは彼らに言った。「もしそうなら、こうしなさい。この地の名産を入れ物に入れ、それを贈り物として、あの方のところへ下って行きなさい。乳香と蜜を少々、樹膠と没薬、くるみとアーモンド、 そして、二倍の銀を持って行きなさい。あなたがたの袋の口に返されていた銀も持って行って返しなさい。それはまちがいだったのだろう。

 イシュマエル人の隊商がエジプトに行く時も、同じ乳香と樹膠と没薬を持っていたので、おそらくこれらのものがエジプトになかったのだろうと思われます。そして、正直に返された銀も持っていくように命じました。

 そして、弟を連れてあの方のところへ出かけて行きなさい。全能の神がその方に、あなたがたをあわれませてくださるように。そしてもうひとりの兄弟とベニヤミンとをあなたがたに返してくださるように。私も、失うときには、失うのだ。」

 イスラエルは、信仰を回復しました。全能の神にこの件についておゆだねしたのです。父アブラハムとイサクに現れ、自分自身にも現れた全能の神を、彼は思い出しました。そして、ベンヤミンとシメオンが返されるように願いながらも、「失う時には、失うのだ。」と言っています。神が全てのことにおいて主権を持っておられる、神が取られるなら、取られるのだ、と認めたのです。

2D  あわれみ  15−25
1E  食事  15−22
 そこで、この人たちは贈り物を携え、それに二倍の銀を持ち、ベニヤミンを伴ってエジプトへ下り、ヨセフの前に立った。ヨセフはベニヤミンが彼らといっしょにいるのを見るや、彼の家の管理者に言った。「この人たちを家へ連れて行き、獣をほふり、料理をしなさい。この人たちが昼に、私といっしょに食事をするから。」

 ヨセフは、ベンヤミンを見て食事をすることに決めました。彼に対する愛情が深かったのです。それに、兄たちはベンヤミンに何か悪い事をしているような雰囲気でもありません。そのようなことを確かめて、食事をだすことに決めました。ろくによい食事をとっていなかったろう。かわいそうに、という思いがヨセフの心を満たしたのではないでしょうか。

 その人はヨセフが言ったとおりにして、その人々をヨセフの家に連れて行った。 ところが、この人たちはヨセフの家に連れて行かれたので恐れた。「われわれが連れ込まれたのは、この前のとき、われわれの袋に返されていたあの銀のためだ。われわれを陥れ、われわれを襲い、われわれを奴隷として、われわれのろばもいっしょに捕えるためなのだ。」と彼らは言った。

 彼らは非常に恐れました。

 それで、彼らはヨセフの家の管理者に近づいて、家の入口のところで彼に話しかけて、言った。「失礼ですが、あなたさま。この前のときには、私たちは食糧を買うために下って来ただけです。 ところが、宿泊所に着いて、袋をあけました。すると、私たちの銀がそのままそれぞれの袋の口にありました。それで、私たちはそれを返しに持って来ました。また、食糧を買うためには、ほかに銀を私たちは持って来ました。袋の中にだれが私たちの銀を入れたのか、私たちにはわかりません。」

2E  安心  23−25
 ところが、彼らを驚かせるような発言を、管理者はします。

 彼は答えた。「安心しなさい。恐れることはありません。あなたがたの神、あなたがたの父の神が、あなたがたのために袋の中に宝を入れてくださったのに違いありません。あなたがたの銀は私が受け取りました。」それから彼はシメオンを彼らのところに連れて来た。

 この管理者は、ヨセフによって、全能の神のことを知らされていたのでしょう。彼らを、神の御名によって安心させました。

 その人は人々をヨセフの家に連れて行き、水を与えた。彼らは足を洗い、ろばに飼料を与えた。 彼らはヨセフが昼に帰って来るまでに、贈り物を用意しておいた。それは自分たちがそこで食事をすることになっているのを聞いたからである。

 彼らは大きく胸をなでおろして、ヨセフに会うことが出来ました。

3D  恵み  26−34
 ヨセフが家に帰って来たとき、彼らは持って来た贈り物を家に持ち込み、地に伏して彼を拝んだ。

 再び、ヨセフの見た夢がその通りになりました。

 ヨセフは彼らの安否を問うて言った。「あなたがたが先に話していた、あなたがたの年老いた父親は元気か。まだ生きているのか。」彼らは答えた。「あなたのしもべ、私たちの父は元気で、まだ生きております。」そして、彼らはひざまずいて伏し拝んだ。

 ヨセフは、ベンヤミンの次に、父のことが非常に気にかかっていました。まだ生きているのか。元気なのかと。

 ヨセフは目を上げ、同じ母の子である弟のベニヤミンを見て言った。「これがあなたがたが私に話した末の弟か。」そして言った。「わが子よ。神があなたを恵まれるように。」

 ヨセフはまた、神の御名を口に出しています。

 ヨセフは弟なつかしさに胸が熱くなり、泣きたくなって、急いで奥の部屋にはいって行って、そこで泣いた。やがて、彼は顔を洗って出て来た。そして自分を制して、「食事を出せ。」と言いつけた。

 それでヨセフにはヨセフにだけ、彼らには彼らにだけ、ヨセフと食事を共にするエジプト人にはその者にだけ、それぞれ別に食事を出した。エジプト人はヘブル人とはいっしょに食事ができなかったからである。それはエジプト人の忌みきらうところであった。

 ヘブル人の宗教と習慣は、エジプト人をつまずかせるようなものがあったのだろうと思われます。例えば、彼らは、牛を神として拝んでいましたから、それをほふって、犠牲のささげ物をするヘブル人とは付き合えなかったのでしょう。けれども、それは、神の御計画が実現するのに必要な事だったのです。イスラエル人がカナンの地にいるときは、雑婚がありました。けれども、エジプト人はそのようなことはしないので、ユダヤ人は純潔のまま増えていく事が出来たのです。ですから、この食事の場面から、将来に起こることが示されています。

 彼らはヨセフの指図によって、年長者は年長の座に、年下の者は年下の座にすわらされたので、この人たちは互いに驚き合った。

 この驚きもまた、ヨセフに神が働かれているのを感じ取ったからであります。最初は、神への恐れでしたが、今は、食事を出してくださる神の恵みの深さを感じた事でしょう。

 また、ヨセフの食卓から、彼らに分け前が分けられたが、ベニヤミンの分け前はほかのだれの分け前よりも五倍も多かった。彼らはヨセフとともに酒を飲み、酔いごこちになった。

 こうして、ヨセフに働かれている、神のあわれみと恵みを見る事が出来ました。また、ベンヤミンに5倍の分け前が与えられても、兄達は、この神への思いが募って、そんなことを気にならなかったでしょう。彼らの心が変わっていくのが、次第にはっきりしてきました。

3C  代償  44
1D  有罪  1−17
 けれども、ヨセフは、もう一度彼らを試します。本当に、ベンヤミンのことを彼らが心にかけているのかを見たかったのです。

1E  銀の杯  1−5
 さて、ヨセフは家の管理者に命じて言った。「あの人々の袋を彼らに運べるだけの食糧で満たし、おのおのの銀を彼らの袋の口に入れておけ。 また、私の杯、あの銀の杯を一番年下の者の袋の口に、穀物の代金といっしょに入れておけ。」彼はヨセフの言いつけどおりにした。 明け方、人々はろばといっしょに送り出された。彼らが町を出てまだ遠くへ行かないうちに、ヨセフは家の管理者に言った。「さあ、あの人々のあとを追え。追いついたら彼らに、『なぜ、あなたがたは悪をもって善に報いるのか。これは、私の主人が、これで飲み、また、これでいつもまじないをしておられるのではないか。あなたがたのしたことは悪らつだ。』と言うのだ。」

 ヨセフは、彼らが銀の杯を盗んだ事にしました。それは、「まじない」のために使ったとありますが、それはもちろん、兄弟達に対して言っているだけです。彼らは、この王が夢を解き明かす能力があるのを聞いていただろうし、また、年長から年下まで順に席につかせるという不思議なことも行ったのですから、まじないをしているといえば納得すると思います。

2E  ベンヤミン  6−13
 彼は彼らに追いついて、このことばを彼らに告げた。 すると、彼らは言った。「あなたさまは、なぜそのようなことをおっしゃるのですか。しもべどもがそんなことをするなどとは、とんでもないことです。 私たちが、袋の口から見つけた銀でさえ、カナンの地からあなたのもとへ返しに来たではありませんか。どうしてあなたのご主人の家から銀や金を盗んだりいたしましょう。 しもべどものうちのだれからでも、それが見つかった者は殺してください。そして私たちもまた、ご主人の奴隷となりましょう。」

 彼らはまたもや、自分達が奴隷になると自発的に申し出てしまいました。

 彼は言った。「今度も、あなたがたの言うことはもっともだが、それが見つかった者は、私の奴隷となり、他の者は無罪としよう。」 そこで、彼らは急いで自分の袋を地に降ろし、おのおのその袋を開いた。

 そこからまた、銀が出てきましたが、この時点では、それよりも銀の器が問題です。

 彼は年長の者から調べ始めて年下の者で終わった。ところがその杯はベニヤミンの袋から見つかった。 そこで彼らは着物を引き裂き、おのおのろばに荷を負わせて町に引き返した。

 彼らの嘆きと苦しみは、極みに達しました。着物を引き裂きました。ベンヤミンが罪あるものとなり、ほかの者は無罪になってしまったからです。

3E  奴隷  14−17
 ユダと兄弟たちがヨセフの家にはいって行ったとき、ヨセフはまだそこにいた。彼らはヨセフの前で顔を地に伏せた。ヨセフは彼らに言った。「あなたがたのしたこのしわざは、何だ。私のような者はまじないをするということを知らなかったのか。」ユダが答えた。

 ユダは、兄弟達の代表者となっています。

 「私たちはあなたさまに何を申せましょう。何の申し開きができましょう。また何と言って弁解することができましょう。神がしもべどもの咎をあばかれたのです。今このとおり、私たちも、そして杯を持っているのを見つかった者も、あなたさまの奴隷となりましょう。」

 みなが奴隷となりましょう、と言いました。そうです、ヨセフが辿った道を自分たちも辿るのだ、と決意しているのです。

 しかし、ヨセフは言った。「そんなことはとんでもないことだ。杯を持っているのを見つかった者だけが、私の奴隷となればよい。ほかのあなたがたは安心して父のもとへ帰るがよい。」

 ここで、ヨセフは再び彼らを試しました。彼らが自分達のことだけ考えて帰ってしまうか、それとも父と弟のことを思って、何か行動を起こすかどちらかしかありません。彼らが本当に、父を敬い、弟を愛しているか、ヨセフは、また神ご自身が、はっきりさせたいと願ったのです。

2D  保証  18−34
 そこでユダは、ほかに例を見ない、真実のこもった執り成しをします。

1E  父のいのち  18−29
 すると、ユダが彼に近づいて言った。「あなたさま。どうかあなたのしもべの申し上げることに耳を貸してください。そして、どうかしもべを激しくお怒りにならないでください。あなたはパロのようなお方なのですから。 あなたさまは、しもべどもに、あなたがたに父や弟があるかとお尋ねになりました。 それで、私たちはあなたさまに、『私たちには年老いた父と、年寄り子の末の弟がおります。そしてその兄は死にました。彼だけがその母に残されましたので、父は彼を愛しています。』と申し上げました。するとあなたは、しもべどもに、『彼を私のところに連れて来い。私はこの目で彼を見たい。』と言われました。それで、私たちはあなたさまに、『その子は父親と離れることはできません。父親と離れたら、父親は死ぬでしょう。』と申し上げました。

 ユダは父が死んでしまう事を強調しています。

 しかし、あなたはしもべどもに言われました。『末の弟といっしょに下って来なければ、二度とあなたがたは私の顔を見ることはできない。』 それで、私たちは、あなたのしもべである私の父のもとに帰ったとき、父にあなたさまのおことばを伝えました。 それから私たちの父が、『また行って、われわれのために少し食糧を買って来てくれ。』と言ったので、 私たちは、『私たちは下って行くことはできません。もし、末の弟が私たちといっしょなら、私たちは下って行きます。というのは、末の弟といっしょでなければあの方のお顔を見ることはできないのです。』と答えました。

 彼は末の弟をここに連れているのは、あなたによるものであることを繰り返しています。だから、父が悲しみに沈むのは、あなたの手の中にあるのですと丁重に、しかし、はっきりと伝えているのです。次を見てください。

 すると、あなたのしもべである私の父が言いました。『あなたがたも知っているように、私の妻はふたりの子を産んだ。そしてひとりは私のところから出て行ったきりだ。確かに裂き殺されてしまったのだ、と私は言った。そして、それ以来、今まで私は彼を見ない。 あなたがたがこの子をも私から取ってしまって、この子にわざわいが起こるなら、あなたがたは、しらが頭の私を、苦しみながらよみに下らせることになるのだ。』

 ここまで、今まで起こったことのいきさつを話しました。

2E  弟の帰還  30−34
 そして、ユダは結論を述べます。私が今、あなたのしもべである私の父のもとへ帰ったとき、あの子が私たちといっしょにいなかったら、父のいのちは彼のいのちにかかっているのですから、あの子がいないのを見たら、父は死んでしまうでしょう。そして、しもべどもが、あなたのしもべであるしらが頭の私たちの父を、悲しみながら、よみに下らせることになります。

 父が死ぬのも生きるのも、あなたの手の中にありますと言いながら、ユダは、私たちにその責任があると話しています。そこで最後に訴えます。

 というのは、このしもべは私の父に、『もし私があの子をあなたのところに連れ戻さなかったら、私は永久にあなたに対して罪ある者となります。』と言って、あの子の保証をしているのです。 ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなたさまの奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと帰らせてください。あの子が私といっしょでなくて、どうして私は父のところへ帰れましょう。私の父に起こるわざわいを見たくありません。」

 こうして、ユダは執り成しを終えました。自分が兄弟の身代わりになって奴隷となる、というものです。それは彼が父を深く敬い、愛しているためです。ここに、私たちの主イエス・キリストの姿を見ることが出来ます。「キリストは私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。(1ヨハネ3:16)

 こうして、兄弟達は、最後の試みを通過することが出来ました。父を愛し、弟ベンヤミンを愛していた事が、確かにされました。特に、ユダは本当に変えられました。ヨセフを奴隷として売るように提案し、また、カナン人の女と結婚するような、肉に従った生き方から悔い改めて、父イスラエルを受け継ぐ責任をしっかりと果たしたのです。それゆえ、メシヤをもたらす先祖としてユダが選ばれています。

2B  和解  45
1C  赦し  1−15
1D  神の定め  1−8
 もうヨセフは我慢することが出来なくなりました。ヨセフは、そばに立っているすべての人の前で、自分を制することができなくなって、「みなを、私のところから出しなさい。」と叫んだ。ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、彼のそばに立っている者はだれもいなかった。 しかし、ヨセフが声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、パロの家の者もそれを聞いた。ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」

 ヨセフはヘブル語で彼らに話し掛けました。

 兄弟たちはヨセフを前にして驚きのあまり、答えることができなかった。

 彼は、やさしく、喜びに満ちて自分のことを明かしましたが、兄弟達は恐れおののきました。自分達が殺そうとした者が、今、王になっている、という恐れです。

 ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」彼らが近寄ると、ヨセフは言った。「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。 今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。

 ヨセフは、今まで、神がいろいろなところで働かれたのを見ました。しかし、これが最も偉大で知恵のある働きです。兄達がヨセフを売ったという罪はあります。しかし、神はその悪事さえも用いて、イスラエルの家が飢きんから救われるようにされました。そして、ヨセフは、「心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。」と言いました。そのような赦しの心、優しさがつくられたのは、神が全てのことを支配し、すべての事を働かせて、益としてくださるのを身をもって体験したからです。

 これが、人を赦す原動力です。自分に罪を犯したり、悪い事をする人が現れても、神がそれを益に変えて下さる事を認める事が出来ます。「あの人は、こんな悪い事をした。」で終わってしまえば、確かに怒りや苦味が出てくるでしょう。けれども、「神が、このことを赦されて、私がもっとキリストの似姿に変えられていき、何か素晴らしい事が、ここから現れる。」と考えるならば、私たちは、自分に罪を犯した人を、豊かに赦す事が出来ます。大事なのは、神の主権を認める事です。そして、神の愛を信じる事です。そうすれば、自ずと人を赦す心が造り出されます。

 この二年の間、国中にききんがあったが、まだあと五年は耕すことも刈り入れることもないでしょう。 それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。

 神が選ばれた民イスラエルが、飢きんによって死に絶えるところから救われました。

 だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。

 ヨセフは再び、神がこのことを行われたことを強調しました。ヨセフは、すべてのところに神を認めた人です。41章から呼んできて、ヨセフが、「神が」とか、「神によって」とかいう表現を何回も使っていたことを思い出して下さい。パウロは、「すべてのことが、神から発し、神によってなり、神に至るからです。(ローマ11:36)」と言いましたが、神が全ての源であることを認めたのです。

 そして、彼はパロの父となり、全家の主とし、エジプトの王となったことを話しています。エジプトは、当時の世界の中心です。ですから、ヨセフが世界の支配者といても過言ではないのです。同じように、イエス・キリストは王の王、主の主としてこの世に来られます。日本国、アメリカ合衆国、中国、ロシアなど、すべての国の王として支配されるのです。また、このヨセフを売ったのは、兄弟でした。同じように、ユダヤ人が同じくユダヤ人のイエスを十字架につけてしまいましたが、けれどもそれは、神に定められた事だったのです。神はその悪事を用いられて、イエスを全人類の救い主としてくださいました。そして、ヨセフがイスラエルの家を救うように、イエス・キリストは、再び戻ってきて、イスラエルを滅びから救い出されるのです。

 
イザヤはこう預言しました。「しかし、シオンには、贖い主としてくる。ヤコブの中の背きの罪を悔い改めるもののところに来る。(59:20)」背きの罪を悔い改める者のところに来る、とありますが。ヨセフの兄達が、数々の試みを通して、自分達のおかした罪を悔い改めたことを思い出して下さい。彼らは救われる前に、試みと懲らしめを受けました。同じように、ユダヤ人は、イエス・キリストが来られる前に、大艱難の中で苦しみます。主から懲らしめられます。今まで神に背きつづけた結果を刈り取りますが、でも、ヨセフが兄弟達を食事で養ったように、神は、彼らを守り養われます。

 
黙示録には、イスラエルが女としてたとえられています。が、「女は大わしの翼を2つ与えられた。自分の居場所である荒野に飛んでいって、そこでひと時と、ふた時と、半時の間、蛇の前をのがれて養われるためであった.(12:14)」と書いてあります。そのような中で、彼らは、罪を悔い改めて、でも滅ぼされそうになっている時に、イエスが天から御使いたちと、聖徒たちとともに来られて、イスラエルを救い出されるのです。こうして、ヨセフは兄弟達を豊かに赦しました。

2D  再会  9−15
 それで、あなたがたは急いで父上のところに上って行き、言ってください。『あなたの子ヨセフがこう言いました。神は私をエジプト全土の主とされました。ためらわずに私のところに下って来てください。 あなたはゴシェンの地に住み、私の近くにいることになります。あなたも、あなたの子と孫、羊と牛、またあなたのものすべて。

 このゴシェンの地が、イスラエル人が多くの子どもを産むところとなります。神の祝福の約束がそこで実現されます。

 ききんはあと五年続きますから、あなたも家族も、また、すべてあなたのものが、困ることのないように、私はあなたをそこで養いましょう。』と。さあ、あなたがたも、私の弟ベニヤミンも自分の目でしかと見てください。あなたがたに話しているのは、この私の口です。

 五年の飢きんがあること、自分がヨセフであることをまた強調しました。ヨセフが奴隷として売られたとき、まだ小さい子どもだったベンヤミンにも、強調しました。

 あなたがたは、エジプトでの私のすべての栄誉とあなたがたが見たいっさいのこととを私の父上に告げ、急いで私の父上をここにお連れしてください。」

 ヨセフにとって、後は、父イスラエルに会うことだけです。

 それから、彼は弟ベニヤミンの首を抱いて泣いた。ベニヤミンも彼の首を抱いて泣いた。彼はまた、すべての兄弟に口づけし、彼らを抱いて泣いた。そのあとで、兄弟たちは彼と語り合った。

 すべての憎しみ、ねたみは過ぎ去りました。苦しみ、恐れ、悲しみは過ぎ去りました。今は、家族の愛、許し、優しさだけが満ち溢れています。

2C  回復  16−28
1D  約束の実現  16−24
 ヨセフの兄弟たちが来たという知らせが、パロの家に伝えられると、パロもその家臣たちも喜んだ。パロはヨセフに言った。「あなたの兄弟たちに言いなさい。『こうしなさい。あなたがたの家畜に荷を積んで、すぐカナンの地へ行き、あなたがたの父と家族とを連れて、私のもとへ来なさい。私はあなたがたにエジプトの最良の地を与え、地の最も良い物を食べさせる。』

 パロは、彼らの生活の保証をしました。最良の土地、最良の食べ物を提供します。

 あなたは命じなさい。『こうしなさい。子どもたちと妻たちのために、エジプトの地から車を持って行き、あなたがたの父を乗せて来なさい。家財に未練を残してはならない。エジプト全土の最良の物は、あなたがたのものだから。』

 今度はエジプトに来るための手配をしました。

 イスラエルの子らは、そのようにした。ヨセフはパロの命により、彼らに車を与え、また道中のための食糧をも与えた。彼らすべてにめいめい晴れ着を与えたが、ベニヤミンには銀三百枚と晴れ着五枚とを与えた。

 ヨセフのベンヤミンに対する愛です。

 父には次のような物を贈った。エジプトの最良の物を積んだ十頭のろば、それと穀物とパンと父の道中の食糧とを積んだ十頭の雌ろばであった。

 父にも贈り物を提供しました。

 こうしてヨセフは兄弟たちを送り出し、彼らが出発するとき、彼らに言った。「途中で言い争わないでください。」

 彼らが再び、自分達がヨセフにしたことを思い出して、責めたり、嘆いたりしないように、ヨセフは励ましています。一度赦された罪は、もう葬られるのであって、再びとりあげられる事はありません。けれども私たちも、兄たちのようにまた思い出して、それに悩むことがありますね。預言者ミカは、「私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ入れてください。(7:19)」と言いました。罪はもう、海の深みの中にあります。

2D  ゆるがない希望  25−28
 彼らはこうしてエジプトから上って、カナンの地にはいり、彼らの父ヤコブのもとへ行った。彼らは父に告げて言った。「ヨセフはまだ生きています。しかもエジプト全土を支配しているのは彼です。」しかし父はぼんやりしていた。彼らを信じることができなかったからである。

 開いた口がふさがらなかったのでしょう。あまりにも良い話なので、信じられなかったのです。しかし、、神はあまりにも良い事をして下さる方です。パウロは、神を「私たちの願うところ、思う所のすべてを越えて豊かに施すことの出来る方(エペソ1:20)」と言いました。

 彼らはヨセフが話したことを残らず話して聞かせ、彼はヨセフが自分を乗せるために送ってくれた車を見た。すると彼らの父ヤコブは元気づいた。イスラエルは言った。

 信じられなかった時はヤコブと呼ばれ、信仰を取り戻すと、イスラエルと呼ばれています。

 「それで十分だ。私の子ヨセフがまだ生きているとは。私は死なないうちに彼に会いに行こう。」

 彼はいろいろなことを息子達から聞かされましたが、もうヨセフが生きている事を聞いただけで、十分だ。それで思いがいっぱいだ、と言いました。46章には、神が久しぶりにヤコブに現れます。彼らがエジプトに下ることを確認してくださいました。そこで、彼らは餓死したり、また雑婚で消えていってしまうことなく増えて、民俗として国民として形成されていくのです。ヤコブに希望がもうなくなりかけた時、また、兄弟達が罪の重みで押し潰されそうになっていたとき、一気に神の約束が実現されました。これが、神のなさる方法です。神は私たちを決して見捨てず、私たちは倒れても決して滅びることはありません。神の愛から引離すものは、何一つありません。


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