士師記11−12章 「知識なき信仰」


アウトライン

1A 早まった誓い 11
  1B 小さな者 1−11
  2B 正義に基づく交渉 12−28
  3B 人間のいけにえ 29−40
2A 早まった死 12
  1B 内側からの攻撃 1−7
  2B 続く士師 8−15

本文

 士師記11章を開いてください。今日は11章と12章を学びます。ここでのテーマは、「知識なき信仰」です。私たちは前回、「霊的悪循環」というテーマで10章と11章を学びました。ギデオンの死後、そばめから生まれたアビメレクがシェケムの人々をそそのかして、自分を王にするように仕向けました。その後、シェケムの者たちはアビメレクを裏切り、暴虐と暴力の中でどちらも死んでいきました。

 それからまた新たな士師が登場しますが、その後イスラエルは、これまで以上に、いろいろな外国の神々を拝み、ますます主の目の前に悪を行ないました。それでペリシテ人とアモン人によって苦しめられたとありますが、そこでイスラエルは主に叫び求めました。そこで主が起こしてくださるのが、ギルアデ人エフタです。今日は士師エフタの働きをとおして、そこから自分たちのクリスチャン生活に益になることを学び取っていきたいと思います。

1A 早まった誓い 11
1B 小さな者 1−11
 さて、ギルアデ人エフタは勇士であったが、彼は遊女の子であった。エフタの父親はギルアデであった。ギルアデの妻も、男の子たちを産んだ。この妻の子たちが成長したとき、彼らはエフタを追い出して、彼に言った。「あなたはほかの女の子だから、私たちの父の家を受け継いではいけない。」

 ギルアデという土地は、ヨルダン川の東の地域でガド族の相続地になっていました。そこに土地と同じ名前のギルアデという人がいましたが、自分の妻との間に出来た息子のほかに、エフタという遊女から生まれた子もいました。そしてエフタは、妻の子らが成長したときに、遊女から生まれた子だからということで、その家から追い出されてしまいました。状況は、アビメレクと似ています。アビメレクは、ギデオンの妻ではなく、そばめから生まれた子です。けれどもアビメレクとエフタの違いは、アビメレクは王になることを自ら望んだのに対して、エフタは退いたことです。次をご覧ください。

 そこで、エフタは兄弟たちのところから逃げて行き、トブの地に住んだ。すると、エフタのところに、ごろつきが集まって来て、彼といっしょに出歩いた。

 トブという町は、ギルアデの北東にありシリヤの地域にあります。そこはイスラエルの支配が薄く、異邦人が住んでいるところでした。ごろつきが彼といっしょに出歩いたとありますが、おそらくエフタは義賊として生活していたかと思われます。正義感が強い人であることは、これから読む2章からすぐに分かりますが、仲間のところではなく、敵の土地に入り込んで盗みを働き、略奪行為をしていたようです。

 それからしばらくたって、アモン人がイスラエルに戦争をしかけてきた。アモン人がイスラエルに戦争をしかけてきたとき、ギルアデの長老たちはトブの地からエフタを連れて来ようと出かけて行き、エフタに言った。「来て、私たちの首領になってください。そしてアモン人と戦いましょう。」

 アモン人は、ギルアデのすぐ東にいる民です。彼らに攻められそうになっているとき、軍事的指導者を必要としていましたが、戦いに優れたエフタしかいないと思って、エフタに頼み込みました。

 エフタはギルアデの長老たちに言った。「あなたがたは私を憎んで、私の父の家から追い出したではありませんか。あなたがたが苦しみに会ったからといって、今なぜ私のところにやって来るのですか。」

 エフタは、あまり乗り気ではありませんでした。自分たちが追い出したのに、なぜ今、やってくるのか、と。

 すると、ギルアデの長老たちはエフタに言った。「だからこそ、私たちは、今、あなたのところに戻って来たのです。あなたが私たちといっしょに行き、アモン人と戦ってくださるなら、あなたは、私たちギルアデの住民全体のかしらになるのです。」エフタはギルアデの長老たちに言った。「もしあなたがたが、私を連れ戻して、アモン人と戦わせ、主が彼らを私に渡してくださったら、私はあなたがたのかしらになりましょう。」ギルアデの長老たちはエフタに言った。「主が私たちの間の証人となられます。私たちは必ずあなたの言われるとおりにします。」

 エフタは「主が彼らを私に渡してくださったら」と言って、長老たちは、「主が私たちの間の証人となられます」と言っています。エフタにはもともと信仰を持つ勇士であり、長老たちはイスラエルが危機に瀕しているとき主に立ち返っていたようです。そこで主が戦ってくださる戦いとなりました。

 エフタがギルアデの長老たちといっしょに行き、民が彼を自分たちのかしらとし、首領としたとき、エフタは自分が言ったことをみな、ミツパで主の前に告げた。

 ミツパを思い出せますか、ヤコブがおじラバンの家から出て行ったとき、ラバンがヤコブに追いつきました。それで二人は激しく対立しましたが、この場所を起点にして互いに干渉しないという契約を結びました。そこがミツパです。エフタはここで、主の前でこれから戦うことについて、報告をしています。

2B 正義に基づく交渉 12−28
 それから、エフタはアモン人の王に使者たちを送って、言った。「あなたは私と、どういうかかわりがあって、私のところに攻めて来て、この国と戦おうとするのか。」エフタはアモン人と交渉を始めます。なぜ私たちの土地に攻め入ろうとするのか、と聞いています。すると、アモン人の王はエフタの使者たちに答えた。「イスラエルがエジプトから上って来たとき、アルノン川からヤボク川、それにヨルダン川に至るまでの私の国を取ったからだ。だから、今、これらの地を穏やかに返してくれ。」

 アモン人は領土問題を理由にしています。ここからは聖書地図を開くと分かりやすいのですが、南にアルノン川が死海に向かって流れており、ずっと北にヤボク川が流れています。(ヤコブが、ヤボクの渡しのところで、主の使いと格闘しましたが、同じヤボク川です。)その間に、ルベン族とガド族の相続地があるのですが、あなたがたはその土地を取ったからだ、と訴えています。現在でも、同じようなことがイスラエル国とパレスチナ当局との間で起こっていますね。(パレスチナは、ヨルダン川西岸地区はイスラエルによる占領地と呼びますが、イスラエルは管理地と呼んでおり、そこは係争中であり誰の土地か決まっていない、としています。)

 そこで、エフタは再びアモン人の王に使者たちを送って、彼に、エフタはこう言うと言わせた。「イスラエルはモアブの地も、アモン人の地も取らなかった。イスラエルは、エジプトから上って来たとき、荒野を通って葦の海まで行き、それからカデシュに来た。そこで、イスラエルはエドムの王に使者たちを送って、言った。『どうぞ、あなたの国を通らせてください。』ところが、エドムの王は聞き入れなかった。イスラエルはモアブの王にも使者たちを送ったが、彼も好まなかった。それでイスラエルはカデシュにとどまった。それから、彼らは荒野を行き、エドムの地とモアブの地を回って、モアブの地の東に来て、アルノン川の向こう側に宿営した。しかし、モアブの領土にははいらなかった。アルノンはモアブの領土だったから。

 今、エフタは過去のイスラエルの歴史を述べています。非常に正確な歴史です。これから読むところを含めて、ちょうど民数記と申命記に出てくる説明をそのまま引用しているかのように見えます。

 イスラエルが約束の地に入るとき、すでにカデシュ・バルネアから北上して入ることはできませんでしたから、死海の東へと廻って、ヨルダン川の東から入る道を選びました。死海の南にはエドム人が住んでいたので、その中を通る許可を得ようとしましたが、通らせてくれませんでした。そこでエドムの土地の周囲を動き、遠回りしました。同じように、モアブの土地にも入りませんでした。アルノン川までがモアブの土地だったので、その北に宿営したのです。

 そこでイスラエルは、ヘシュボンの王で、エモリ人の王シホンに使者たちを送って、彼に言った。『どうぞ、あなたの国を通らせて、私の目的地に行かせてください。』シホンはイスラエルを信用せず、その領土を通らせなかったばかりか、シホンは民をみな集めてヤハツに陣を敷き、イスラエルと戦った。しかし、イスラエルの神、主が、シホンとそのすべての民をイスラエルの手に渡されたので、イスラエルは彼らを打った。こうしてイスラエルはその地方に住んでいたエモリ人の全地を占領した。こうして彼らは、アルノン川からヤボク川までと、荒野からヨルダン川までのエモリ人の全領土を占領した。

 アルノン川の上にはエモリ人が住んでいました。そこでイスラエルは同じようにして、エモリ人にその土地を通過する許可を得ようとしましたが、エモリ人の王シホンは、通さないばかりか、戦争をしかけてきたのです。この防衛戦の結果、イスラエルはエモリ人の土地を占領することになり、アモン人が問題にしていたアルノン川からヤボク川までの土地は、エモリ人から取った土地であり、アモン人からではありません。

 今、イスラエルの神、主は、ご自分の民イスラエルの前からエモリ人を追い払われた。それをあなたは占領しようとしている。あなたは、あなたの神ケモシュがあなたに占領させようとする地を占領しないのか。私たちは、私たちの神、主が、私たちの前から追い払ってくださる土地をみな占領するのだ。今、あなたはモアブの王ツィポルの子バラクよりもまさっているのか。バラクは、イスラエルと争ったことがあるのか。彼らと戦ったことがあるのか。

 土地を与えられたのは主なる神ご自身なのだから、あなたがたも自分たちの神ケモシュが与える土地に住めばよい、と言っています。そして、モアブ人の王バラクは、イスラエルを恐れて、これと戦うのではなく、まじない師バラムを雇って、のろおうとしました。

 イスラエルが、ヘシュボンとそれに属する村落、アロエルとそれに属する村落、アルノン川の川岸のすべての町々に、三百年間住んでいたのに、なぜあなたがたは、その期間中に、それを取り戻さなかったのか。

 アモン人が自分の土地だと言い張っているところはみな、三百年間イスラエル人が住んでいたところでした。なぜ今になって、あなたがたはその土地を欲するのか、と訴えています。

 私はあなたに罪を犯してはいないのに、あなたは私に戦いをいどんで、私に害を加えようとしている。審判者である主が、きょう、イスラエル人とアモン人との間をさばいてくださるように。」

 エフタは、聖書に書かれている歴史を正確に把握しており、さらに、正義に照らし合わせて、公平に見て領土問題を判断しています。そしてこの判断が主の目にかなったものであることを願って、主にさばきをゆだねています。ここに私たちが学ぶべきエフタの信仰を見ます。私たちは何か問題が起こったとき、聖書から、また神の正義からそれを判断します。けれども、最終的判断者であられる神にそれをゆだねます。

 アモン人の王はエフタが彼に送ったことばを聞き入れなかった。

 外交による交渉は決裂しました。ついに戦争状態に入ります。

3B 人間のいけにえ 29−40
 主の霊がエフタの上に下ったとき、彼はギルアデとマナセを通り、ついで、ギルアデのミツパを通って、ギルアデのミツパからアモン人のところへ進んで行った。主の霊に満たされたエフタは、アモン人の軍事行動に応じて、自分も動いています。そしてミツパのところまで来ました。エフタは主に誓願を立てて言った。「もしあなたが確かにアモン人を私の手に与えてくださるなら、私がアモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る、その者を主のものといたします。私はその者を全焼のいけにえとしてささげます。」

 エフタは、現代に生きている私たちの価値観では、考えられないことを今、主に誓願として立てています。自分の戸口から出てくる者を全焼にいけにえにする、というのは、人間をいけにえにするということです。当時、イスラエルの神ではない異教の世界では、人間のいけにえはごく普通に行なわれていました。エリシャけれどもイスラエルの神である主は、このような忌まわしいことは断じてしてはいけない、と命じられています。レビ記18章21節に、「また、あなたの子どもをひとりでも、火の中を通らせて、モレクにささげてはならない。あなたの神の御名を汚してはならない。わたしは主である。」とあります。そして申命記12章31節には、「あなたの神、主に対して、このようにしてはならない。彼らは、主が憎むあらゆる忌みきらうべきことを、その神々に行ない、自分たちの息子、娘を自分たちの神々のために、火で焼くことさえしたのである。」とあるのです。

 もし人間そのものをささげたいのであれば、評価額として金銭を神殿にささげる制度も、モーセの律法の中できっちり定められています。レビ記の一番最後の章である27章には、「ある人があなたの人身評価にしたがって主に特別な誓願を立てる場合は、その評価は次のようにする。・・・五歳から二十歳までなら、その男の評価は二十シュケル、女は十シュケルとする(2、5節)」とあります。後で自分の一人娘が家から出てきますが、本当なら十シュケルを主の幕屋に携えれば良かったのです。けれどもエフタはそれをしませんでした。

 問題は何でしょうか?エフタには聖書の知識が半分しかなかったことです。彼は戦いについて、イスラエルの神が戦ってくださることについての知識がありました。イスラエルの歴史をよく知っていました。またアビメレクのように、うぬぼれることなく、自分が置かれている場所で満足していました。神への篤い信仰と、神の知識をきちんと持っていたのです。けれども彼は、異教の環境の中にずっといたため、その習慣を使って神の命令を実行してしまおうとしたのです。

 興味深い逸話(事実かもしれませんが)を聞いたことがあります。ある未開の地に伝道しにいった宣教師がいました。その酋長がイエスさまを信じました。多くの妻がいたので、宣教師は、「多くの妻を持ってはいけない。一人の妻であるべきだ。」ということを話したらしいです。そうしてしばらくして戻ってきたら、酋長には一人の妻しかいませんでした。「他の妻たちはどうしたのですか?」と宣教師が聞いたら、「彼女たちは食べました。」と答えたそうです。

 これが、神が言われていることを守り行いたいという情熱があっても、知識がないために犯してしまう間違いです。箴言に、「熱心だけで知識のないのはよくない。急ぎ足の者はつまずく。(19:2)」とあります。ローマ書10章2節には、「私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。」とあります。エフデは、主を愛していましたが、神の知識が中途半端でした。

 こうして、エフタはアモン人のところに進んで行き、彼らと戦った。主は彼らをエフタの手に渡された。ついでエフタは、アロエルからミニテに至るまでの二十の町を、またアベル・ケラミムに至るまでを、非常に激しく打った。こうして、アモン人はイスラエル人に屈服した。主がエフタに勝利を与えてくださいました。エフタが、ミツパの自分の家に来たとき、なんと、自分の娘が、タンバリンを鳴らし、踊りながら迎えに出て来ているではないか。彼女はひとり子であって、エフタには彼女のほかに、男の子も女の子もなかった。たった一人の娘です。エフタは彼女を見るや、自分の着物を引き裂いて言った。「ああ、娘よ。あなたはほんとうに、私を打ちのめしてしまった。あなたは私を苦しめる者となった。私は主に向かって口を開いたのだから、もう取り消すことはできないのだ。」

 誓いは翻すことはできません。そこで父は嘆き、苦しんでいます。

 すると、娘は父に言った。「お父さま。あなたは主に対して口を開かれたのです。お口に出されたとおりのことを私にしてください。主があなたのために、あなたの敵アモン人に復讐なさったのですから。」

 娘も父を敬うすばらしい人でしたが、けれども彼女も知識がないために、誤った解答を出しています。

 そして、父に言った。「このことを私にさせてください。私に二か月のご猶予を下さい。私は山々をさまよい歩き、私が処女であることを私の友だちと泣き悲しみたいのです。」エフタは、「行きなさい。」と言って、娘を二か月の間、出してやったので、彼女は友だちといっしょに行き、山々の上で自分の処女であることを泣き悲しんだ。

 処女であること、女が子を持っていないことは、当時の文化では今日以上に恥でありました。そのことを嘆くために二ヶ月間、山々をさまよい悲しみました。

 二か月の終わりに、娘は父のところに帰って来たので、父は誓った誓願どおりに彼女に行なった。彼女はついに男を知らなかった。こうしてイスラエルでは、毎年、イスラエルの娘たちは出て行って、年に四日間、ギルアデ人エフタの娘のために嘆きの歌を歌うことがしきたりとなった。

 誓願どおりに行なったとありますから、彼女を全焼のいけにえとしてささげたのでしょう。そうではないという解釈もありますが、人間のいけにえをささげたと読むのが一番自然です。

 ところで聖書の中には、とくに新約聖書の中に「誓ってはならない」という命令があります。「決して誓ってはいけません。(マタイ5:34)」とイエスさまが言われました。そして、「『はい。』は『はい。』、『いいえ。』は『いいえ。』とだけ言いなさい。(マタイ5:37)」と言われました。私たちは、とくに日本人は「誓います」という言葉は使いません。けれども、「〜を必ずします」という約束はします。神さまに対して罪を犯したとき、「主よ、お赦しください。二度としませんから、一生懸命、お祈りして、聖書を読みますから、どうか見捨てないでください。」と祈るとします。第一に、神は私たちが何かを行なうから赦してくださるのではなく、キリストが流された血によって赦してくださいます。第二に、そんな誓いを立てるなら、とっとと実行すればよいのです。「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」というのは、そういうことです。バーゲンセールのように、神様に対して、「これこれをしますから、こうしてください。」と交渉するのではなく、主が言われたことにそのまま応答すれば良いのです。

2A 早まった死 12
1B 内側からの攻撃 1−7
 エフライム人が集まって、ツァフォンへ進んだとき、彼らはエフタに言った。「なぜ、あなたは、あなたとともに行くように私たちに呼びかけずに、進んで行ってアモン人と戦ったのか。私たちはあなたの家をあなたもろとも火で焼き払う。」

 戦いが終わった後に、エフライム人がエフタに詰め寄ってきました。覚えていますか、ギデオンがミデヤン人との戦いを終えた後にエフライム人が詰め寄ってきて、「あなたは、私たちに何ということをしたのですか。ミデヤン人と戦いに行ったとき、私たちに呼びかけなかったとは。(8:1」と激しく責めました。御霊によって導かれている人を、エフライム人のように、もっともらしいことを言ってねたむことは、教会の中でも起こります。ともに喜ぶのではなく、批判的なことを言ったりする時です。

 そしてギデオンの時と異なり、エフタに対しては、エフライム人は「火で焼き払う」とまで言って脅しています。遊女の子であるエフタに対する弱いものいじめと考えられますし、また、ギデオンの時以上に、イスラエル人が霊的に堕落して、ますます横暴になっているとも考えられます。

 そこでエフタは彼らに言った。「かつて、私と私の民とがアモン人と激しく争ったとき、私はあなたがたを呼び集めたが、あなたがたは私を彼らの手から救ってくれなかった。あなたがたが私を救ってくれないことがわかったので、私は自分のいのちをかけてアモン人のところへ進んで行った。そのとき、主は彼らを私の手に渡された。なぜ、あなたがたは、きょう、私のところに上って来て、私と戦おうとするのか。」

 ギデオンの場合は、エフライムがミデヤン人の王二人を殺した業績を話してあげて、彼らの怒りをなだめました。良くも悪くも、人付き合いが良いです。けれども正義感の強いエフタは、そのまま彼らの悪を指摘しています。

 そして、エフタはギルアデの人々をみな集めて、エフライムと戦った。ギルアデの人々はエフライムを打ち破った。これはエフライムが、「ギルアデ人よ。あなたがたはエフライムとマナセのうちにいるエフライムの逃亡者だ。」と言ったからである。

 エフライムは、ギルアデ人のことを馬鹿にして、逃亡者呼ばわりしました。

 ギルアデ人はさらに、エフライムに面するヨルダン川の渡し場を攻め取った。エフライムの逃亡者が、「渡らせてくれ。」と言うとき、ギルアデの人々はその者に、「あなたはエフライム人か。」と尋ね、その者が「そうではない。」と答えると、その者に、「『シボレテ』と言え。」と言い、その者が「スィボレテ」と言って、正しく発音できないと、その者をつかまえて、ヨルダン川の渡し場で殺した。そのとき、四万二千人のエフライム人が倒れた。

 エフライムと戦った結果、残党がヨルダン川を越えて逃げようとするのを止めさせました。渡し場で、「お前はエフライム人が」と問いただして、「シボレテ」という言葉を発音させます。でもエフライム訛りの「スィボレテ」と言ったら、その場で殺しました。ちょうどこれは、アメリカ人が日本人に、RLの違いを発音させるようなものです。

 こうして、エフタはイスラエルを六年間、さばいた。ギルアデ人エフタは死んで、ギルアデの町に葬られた。

 エフタはたった6年しか、さばきませんでした。もしかしたら、自分の娘の一件について、ひどくショックを受けたからかもしれません。

2B 続く士師 8−15
 そして次にエフタに続く士師が出てきます。彼の後に、ベツレヘムの出のイブツァンがイスラエルをさばいた。彼には三十人の息子がいた。また彼は三十人の娘を自分の氏族以外の者にとつがせ、自分の息子たちのために、よそから三十人の娘たちをめとった。彼は七年間、イスラエルをさばいた。イブツァンは死んで、ベツレヘムに葬られた。

 ベツレヘム出のイブツァンです。多くの息子と娘がいましたが、他の氏族と政略結婚させたようです。王の間では行なわれていた慣習ですが、士師であるのに王のように振舞っています。

 彼の後に、ゼブルン人エロンがイスラエルをさばいた。彼は十年間、イスラエルをさばいた。ゼブルン人エロンは死んで、ゼブルンの地のアヤロンに葬られた。ゼブルン人エロンがイスラエルをさばきました。彼の後に、ピルアトン人ヒレルの子アブドンがイスラエルをさばいた。彼には四十人の息子と三十人の孫がいて、七十頭のろばに乗っていた。彼は八年間、イスラエルをさばいた。ピルアトン人ヒレルの子アブドンは死んで、アマレク人の山地にあるエフライムの地のピルアトンに葬られた。

 エロンの次は、アブドンです。彼もイブツァンと同じく多くの息子、孫がおり、またろばもいました。異邦人たちの王のような生活を送りました。

 こうしてエフタの生涯を中心に見てきましたが、異教的な環境の中で、神の知識が半分しかないことの危険について知ることができました。私たちも、西洋のようなユダヤ・キリスト教文化を持っていない異教的社会の中に住んでいます。そこで半分の知識によって、早まった決断をしてしまうことが多いです。

 私は新婚のときに、教会に仕えることは良いことだと思って、妻との時間よりも教会で時間を過ごすことが優れていると思いました。ところがそれは、日本社会の滅私奉公、家族も自分も省みず、会社にすべてをささげるという考えに基づいたものであり、「妻とともに生活しなさい」という神の命令にそむくものでした。つい最近は、ある遠くにある無牧の教会に、お父さんだけが単身赴任で牧会するという話も聞きました。すべて、神への情熱はあるけれども、知識がないために起こっていることです。

 ですから、このような聖書の学びがとても重要です。初めから終わりまで順番に学び、全体から聖書を眺めることによって、より正確な神の知識を得る事ができます。


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