恵みの良い管理者 08/04/2001

「コラの事件で死んだ者とは別に、この神罰で死んだ者は、一万四千七百人になった。こうして、アロンは会見の天幕の入口のモーセのところへ帰った。神罰はやんだ。(民数16:49−50)」

コラがアロンの祭司職に挑みかかってのち、彼と共謀者たちが、生きたまま地の中に投げ込まれました。それを見たイスラエル人は、非常に恐れ、また、モーセとアロンを、「あなたがたは、主の民を殺した。」と言って中傷しました。そこで神が罰を彼らに下されました。けれども、彼らが宿営の中で倒れ死んでいるところで、生きたものと死んだ者との間に、アロンが日皿を持って立ちました。こうして、アロンは仲介の役を果たしました。

彼がいてくれることによって、これまでイスラエルは生きることができたのに、その恵みを拒んでいたのです。しかし、神のあわれみは、今もなおもアロンをとおして注がれているのです。こんなに反抗しているのにも関わらず、これでもかとばかりに、アロンは仲介に入り、イスラエルの民が滅ぼされないようにしています。これが祭司の務めというものなのです。民に代わって執り成しをし、そして、神の恵みとあわれみを人々に分かち合う、これが祭司なのです。

私たちも、このことを知るべきでしょう。私たちが神から与えられている賜物は、恵みを分かち合い、仕え合うために与えられています。使徒ペテロは、「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。(Tペテロ4:10)」と言いました。


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