民数記30−36章 「任された務め」


アウトライン


1A 主にある志 30−32

   1B 誓願 30
   2B 主のみこころ 31
   3B 自分の願い 32
2A 神の真実 33−36
   1B 導きにおいて 33
   2B 約束において 34
   3B 安全において 35
   4B 願いにおいて 36


本文

 民数記
30章を開いてください。今日は、民数記の最後36章まで学びます。ここでのテーマは、「任された務め」です。私たちは、26章から、主がイスラエルの民を新しい相続地に向かわせる準備をさせておられるのを読んでいます。26章は人口登録、27章はモーセからヨシュアへの継承、そして28章、29章は、相続地において、収穫物や動物のいけにえをどのようにささげればよいのか、その方法について書かれています。今から学ぶ30章以降も、相続地についての話題ですが、ここではさらに、その中の生活や役割について書かれています。30章1節をご覧ください。モーセが、「イスラエル人の諸部族のかしらたち」に告げていることにお気づきください。相続地について、それぞれの部族に任された土地があり、そこで各部族が相続地を管理、または支配していくことになります。

 私たちは創世記からずっと、イスラエルの民に働いておられる主の御姿を見て、私たちクリスチャンの生き方について学んできました。民数記においては、「キリストとの歩み」について学びました。神によって救われて、キリストを礼拝するように召された私たちは、また、この世において、また教会の中で行なうべき奉仕があります。具体的に、キリスト者としてどのように歩むべきかを知らなければいけません。このことを考えるとき、一つ大事なことがあります。それは、「神が私たちに、自分が支配すべき領域を与えておられる。」ということです。神が、私たちそれぞれに与えておられる任務があり、それをきちんと遂行しなければいけません。けれども、難儀なことではなく、むしろ喜ばしいことです。神がアダムを創造されたとき、「地を支配せよ」と命じられました。人は、地を支配する、あるいは管理するように造られており、管理することによって自分が神によって造られた目的を達成することができます。

 そこで、民数記の最後の6章において、イスラエル諸部族がどのように自分たちの相続地を管理するか、その教えをとおして、クリスチャンとして管理する方法を学んでみたいと思います。

1A 主にある志 30−32
1B 誓願 30

 モーセはイスラエル人の諸部族のかしらたちに告げて言った。「これは主が命じられたことである。人がもし、主に誓願をし、あるいは、物断ちをしようと誓いをするなら、そのことばを破ってはならない。すべて自分の口から出たとおりのことを実行しなければならない。

 30章は、誓願についての教えです。レビ記や、民数記のナジル人の教えのところで、誓願について学びました。誓いとは、「志(こころざし)」であると言えるでしょう。「私は、主のために、これこれのことを行ないます。」とか、「私は、この期間、これこれのことをしません。」と決意します。そして、主はその決意を尊んでくださり、それを果たすことによって主のみこころを行なうことができます。新約聖書では、「誓ってはならない」と戒められていますが、それは、無責任になってはいけないということです。「私はこれから、1年間、教会の掃除の奉仕をします。」と言ったのに、3日目になってからどこかに引っ越してしまったのなら、それは無責任ということになります。こういうことをしてはいけません。むしろ、「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」と言って、主にあって志を立てたことを、そのまま実行しなさいと命じられているのです。

 神はこのように、私たちの志を尊ばれます。それは、神は私たちの知性や感情にだけ働きかけられるのではなく、意思にも働きかけられるからです。パウロは、ピリピ人に、「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。(ピリピ2:13)」と言いました。したがって、私たちは主にあっていろいろなことを決定することができるのであり、その意思決定によって、自分に任されたことを遂行していくことができるのです。自分が感じていること、自分が考えていることが重要ではなく、自分が心で決めていることが重要になってきます。

 もし女がまだ婚約していないおとめで、父の家にいて主に誓願をし、あるいは物断ちをする場合、その父が彼女の誓願、あるいは、物断ちを聞いて、その父が彼女に何も言わなければ、彼女のすべての誓願は有効となる。彼女の物断ちもすべて、有効としなければならない。もし父がそれを聞いた日に彼女にそれを禁じるなら、彼女の誓願、または、物断ちはすべて無効としなければならない。彼女の父が彼女に禁じるのであるから、主は彼女を赦される。

 この30章は、誓願の中でも女の人が立てる誓願に注目しています。一人一人が誓願を立てても、イスラエルは、家を最小単位として、それから氏族、そして部族、そしてイスラエルの家全体の単位があります。イスラエルの諸部族も、それぞれが共同体を形成しており、それぞれが一つになって物事を管理していかなければいけません。家の中で、もしある人がAを決意して、他の人がBを決意して、ABを同時に行なうことができないものであれば、どちらかを破棄しなければいけません。そこで、今読んだような定めがあるのです。娘が誓願を立て、父がそれが家全体にとって良くないことであると判断したのならば、その誓願を禁じなければいけません。けれども、娘が誓願を立てていたことを聞いたその日に、それを禁じなければ、その誓願は有効としなければいけません。

 
もし彼女が、自分の誓願、あるいは、物断ちをするのに無思慮に言ったことが、まだその身にかかっているうちにとつぐ場合、夫がそれを聞き、聞いた日に彼女に何も言わなければ、彼女の誓願は有効である。彼女の物断ちも有効でなければならない。もし彼女の夫がそれを聞いた日に彼女に禁じるなら、彼は、彼女がかけている誓願や、物断ちをするのに無思慮に言ったことを破棄することになる。そして主は彼女を赦される。やもめや離婚された女の誓願で、物断ちをするものはすべて有効としなければならない。

 ここでは、婚約した女が誓願を立てたときの場合です。未婚の娘と同様、婚約相手は、その誓願を聞いた日に、それを禁じるか、そのままにしておくか決めなければいけません。

 もし女が夫の家で誓願をし、あるいは、誓って物断ちをする場合、夫がそれを聞いて、彼女に何も言わず、しかも彼女に禁じないならば、彼女の誓願はすべて有効となる。彼女の物断ちもすべて有効としなければならない。もし夫が、そのことを聞いた日にそれらを破棄してしまうなら、その誓願も、物断ちも、彼女の口から出たすべてのことは無効としなければならない。彼女の夫がそれを破棄したので、主は彼女を赦される。

 ここは、既婚の女性が誓願を立てた場合のときの教えです。

 すべての誓願も、身を戒めるための物断ちの誓いもみな、彼女の夫がそれを有効にすることができ、彼女の夫がそれを破棄することができる。身を戒めるとは、断食のことです。もし夫が日々、その妻に全く何も言わなければ、夫は彼女のすべての誓願、あるいは、すべての物断ちを有効にする。彼がそれを聞いた日に彼女に何も言わなかったので、彼はそれを有効にしたのである。もし夫がそれを聞いて後、それを破棄してしまうなら、夫が彼女の咎を負う。」以上は主がモーセに命じられたおきてであって、夫とその妻、父と父の家にいるまだ婚約していないその娘との間に関するものである。

 このように、妻であっても、婚約した女でも、未婚の娘であっても、自分が立てた誓願は、とても尊ばれることになります。彼女たちのかしらである夫や父でさえ、彼らがその日に禁じなければ、その誓いを彼女たちが果たすことができるようにしてあげなければいけません。

 このように、神は、男と同じように女の志をとても尊ばれます。思い出してください、マナセ部族の中にいる女たちがモーセのところに来て、自分たちには男の子がいないけれども、相続地を与えてくださいと申し出たとき、モーセはそれを深く考え、また主ご自身が、それはもっともなことであるとお答えくださっています。女だから口を出すな、というのは聖書の教えではないのです。そして、男は、自分の妻や娘のことを、よく見てあげる義務があります。自分の妻が今、何を考え、何を行なっているのか、それを顧みて、そして、彼女の意志を確認しなければいけません。それを遅くなって、後になって翻すようなことを言ってはいけないのです。ペテロは言いました。「夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐものとして尊敬しなさい。(Tペテロ3:7)」ともに生活することが必要です。

2B 主のみこころ 31
 それでは31章に入りましょう。主はモーセに告げて仰せられた。「ミデヤン人にイスラエル人の仇を報いよ。その後あなたは、あなたの民に加えられる。」そこでモーセは民に告げて言った。「あなたがたのうち、男たちは、いくさのために武装しなさい。ミデヤン人を襲って、ミデヤン人に主の復讐をするためである。イスラエルのすべての部族から、一部族ごとに千人ずつをいくさに送らなければならない。」

 モーセは、自分が死ぬ前に、神から一つの任務を課せられました。それは、ミデヤン人の仇を報いる戦いをしなければならないことです。思い出してください、モアブ人の娘たちが宿営の中に入ってきて、イスラエル人たちとともに寝て、彼女たちの神々を彼らに拝ませました。そのため、神罰がイスラエルに下り、祭司エピハネスの子ピネハスが剣をもって、一人のイスラエル人とモアブの女を殺すまで、2万4千人が神罰によって死にました。このことは主を大いに怒らせて、主ご自身が、ミデヤン人(ここでは、モアブに住む人たちがミデヤン人であったことが分かります)を襲って復讐するとお考えになったのです。

 それで、イスラエルの分団から部族ごとに千人が割り当てられ、一万二千人がいくさのために武装された。モーセは部族ごとに千人ずつをいくさに送った。祭司エルアザルの子ピネハスを、聖具と吹き鳴らすラッパをその手に持たせて、彼らとともにいくさに送った。

 一部族ごとに、千人の戦士を出すように命令されました。各部族が、このいくさが任されました。そして、この先頭に祭司ピネハスがいることに注目してください。そして、彼は剣を持っておらず、聖具とラッパを持っています。この戦いが、主ご自身の聖なる戦いであること、ミデヤン人がもたらした汚れをきよめるところの戦いであることが分かります。

 
彼らは主がモーセに命じられたとおりに、ミデヤン人と戦って、その男子をすべて殺した。彼らはその殺した者たちのほかに、ミデヤンの王たち、エビ、レケム、ツル、フル、レバの五人のミデヤンの王たちを殺した。彼らはベオルの子バラムを剣で殺した。

 このまじない師バラムが、モアブの女をイスラエルの宿営に連れ込むようバラク王に助言した張本人です。彼はこの後、バラクから多額の報酬を得たでしょう。しかし、今、ここで殺されています。貪りによって富を得ても、いかにむなしいか、このことが物語っています。

 
イスラエル人はミデヤン人の女、子どもをとりこにし、またその獣や、家畜や、その財産をことごとく奪い取り、彼らの住んでいた町々や陣営を全部火で焼いた。そして人も獣も、略奪したものや分捕ったものをすべて取り、捕虜や分捕ったもの、略奪したものを携えて、エリコに近いヨルダンのほとりのモアブの草原の宿営にいるモーセと祭司エルアザルとイスラエル人の会衆のところに来た。

 イスラエル人たちは、ミデヤン人の成年男子だけを殺して、他のものはみな奪い取りました。

 モーセと祭司エルアザルおよびすべての会衆の上に立つ者たちは出て行って宿営の外で彼らを迎えた。

 モーセが宿営の外で、彼らを迎えに行っていることに注目してください。彼らが略奪したもの、これらをこのままでは決して宿営の中には入れることができないのです。

 モーセは軍勢の指揮官たち、すなわち戦いの任務から帰って来た千人の長や百人の長たちに対して怒った。モーセは彼らに言った。「あなたがたは、女たちをみな、生かしておいたのか。ああ、この女たちはバラムの事件のおり、ペオルの事件に関連してイスラエル人をそそのかして、主に対する不実を行なわせた。それで神罰が主の会衆の上に下ったのだ。今、子どものうち男の子をみな殺せ。男と寝て、男を知っている女もみな殺せ。男と寝ることを知らない若い娘たちはみな、あなたがたのために生かしておけ。

 イスラエルにつまずきの石を置いたのは、他でもないこの女たちでした。したがって、彼女たちを宿営の中に入れることは決してできず、むしろ殺してしまわなければなりません。残しておくのは、唯一、まだ男と寝たことのない若い娘たちだけでした。

 あなたがたは七日間、宿営の外にとどまれ。あなたがたでも、あなたがたの捕虜でも、人を殺した者、あるいは刺し殺された者に触れた者はだれでも、三日目と七日目に罪の身をきよめなければならない。衣服、皮製品、やぎの毛で作ったもの、木製品はすべてきよめなければならない。」祭司エルアザルは戦いに行った軍人たちに言った。「主がモーセに命じられたおしえのおきては次のとおりである。金、銀、青銅、鉄、すず、鉛、すべて火に耐えるものは、火の中を通し、きよくしなければならない。しかし、それは汚れをきよめる水できよめられなければならない。火に耐えないものはみな、水の中を通さなければならない。あなたがたは七日目に自分の衣服を洗うなら、きよくなる。その後、宿営にはいることができる。」

 ミデヤン人に関わるものはすべてきよめられなければいけませんでした。ミデヤン人を殺した軍人たち自身も、三日目と七日目に身をきよめなければいけません。火に耐えるものは火できよめ、耐えられないものは水によってきよめます。

 主はモーセに次のように言われた。「あなたと、祭司エルアザルおよび会衆の氏族のかしらたちは、人と家畜で捕虜として分捕ったものの数を調べ、その分捕ったものをいくさに出て取って来た戦士たちと、全会衆との間に二分せよ。いくさに出た戦士たちからは、人や牛やろばや羊を、それぞれ五百に対して一つ、主のためにみつぎとして徴収せよ。彼らが受ける分のうちからこれを取って、主への奉納物として祭司エルアザルに渡さなければならない。イスラエル人が受ける分のうちから、人や牛やろばや羊、これらすべての家畜を、それぞれ五十に対して一つ、取り出しておき、それらを主の幕屋の任務を果たすレビ人に与えなければならない。」

 すべてをきよめたあと、これらは戦士たちと、全会衆との間で折半されました。ただし、戦士たちからは、500に1つの割合でみつぎとして主のために徴収します。会衆からは、50に1つの割合で、レビ人に徴収します。

 そこでモーセと祭司エルアザルは、主がモーセに命じられたとおりに行なった。従軍した民が奪った戦利品以外の分捕りものは、羊六十七万五千頭、牛七万二千頭、ろば六万一千頭、人間は男と寝ることを知らない女がみなで三万二千人であった。

 ものすごい料の戦利品です。羊が70万頭近く、他の家畜も万単位、そして女の子たちがなんと約3万人います。主の怒りとその復讐が、いかに大きかったかをここで物語っています。そして、これらを軍人と会衆との間で折半した数が、46節までに書かれています。

 47節。モーセは、このイスラエル人のものである半分から、人間も家畜も、それぞれ五十ごとに一つを取り出し、それらを主がモーセに命じられたとおりに、主の幕屋の任務を果たすレビ人に与えた。すると、軍団の指揮官たち、すなわち千人の長、百人の長たちがモーセのもとに進み出て、モーセに言った。「しもべどもは、部下の戦士たちの人員点呼をしました。私たちのうちひとりも欠けておりません。それで、私たちは、おのおのが手に入れた金の飾り物、すなわち腕飾り、腕輪、指輪、耳輪、首飾りなどを主へのささげ物として持って来て、主の前での私たち自身の贖いとしたいのです。」

 ここが、この章における要点です。軍人たちは、この戦いが完全に主によるものであることを知りました。なぜなら、戦死者がただ一人も出なかったからです。これは神の奇蹟であり、自分たちではなく主が戦っておられたことを実体験したのでしょう。そこで、彼らは、だれから言われたわけでなく、貴金属を主におささげすることにしました。彼らはこれを、「私たち自身の贖い」と言っています。自分たちが得た戦利品は、みな主ご自身のものである。けれども、今このようにして自分のものにしている。だから、買い戻し金として一部を支払わなければいけない、と思ったのです。軍人たちは、主がなされたことを認め、それに反応している姿を見ることができます。

 モーセと祭司エルアザルは、彼らから金を受け取った。それはあらゆる種類の細工を施した物であった。千人の長や百人の長たちが、主に供えた奉納物の金は全部で、一万六千七百五十シェケルであった。従軍した人たちは、戦利品をめいめい自分のものとした。モーセと祭司エルアザルは、千人の長や百人の長たちから金を受け取り、それを会見の天幕に持って行き、主の前に、イスラエル人のための記念とした。

3B 自分の願い 32
 ところが次の出来事が起こります。ルベン族とガド族は、非常に多くの家畜を持っていた。彼らがヤゼルの地とギルアデの地を見ると、その場所はほんとうに家畜に適した場所であったので、ガド族とルベン族は、モーセと祭司エルアザルおよび会衆の上に立つ者たちのところに来て、次のように言った。「アタロテ、ディボン、ヤゼル、ニムラ、ヘシュボン、エルアレ、セバム、ネボ、ベオン。これら主がイスラエルの会衆のために打ち滅ぼされた地は、家畜に適した地です。そして、あなたのしもべどもは家畜を持っているのです。」また彼らは言った。「もし、私たちの願いがかないますなら、どうかこの地をあなたのしもべどもに所有地として与えてください。私たちにヨルダンを渡らせないでください。」

 なんと、ルベン族とガド族は、ヨルダン川を渡らずに、この東の土地を自分たちの相続にしようと考えました。理由は自分たちの家畜です。ミデヤン人たちからの戦利品としての家畜も加わり、たいへん多くなっていました。また、先住の民もミデヤン人やエモリ人など、イスラエルによって倒されており、敵の脅威も少なくなっています。そして、「もし、私たちの願いがかないますなら」と、自分たちの願いを突き出しています。

 これほど自己中心的な考えはありません。主がヨルダン川東岸の民を追い出されたのは、そこにイスラエルが定住するためではなく、彼らがイスラエルに敵対し、戦いを挑んできたからに過ぎません。また主が彼らの家畜を増やされたのも、ここに住むためではありません。住むところは、あくまでもヨルダン川を渡ったカナン人の土地です。それなのに、たまたま住む良さそうであるからという理由で、これらのものを自分のものにしようとしたのです。

 「私たちの願いがかないますなら」 − これを私たちはクリスチャンの間でも行なうことがあります。教会においては、さまざまな良いものが用意されています。聖書の学び、祈り、賛美、人々との交わりなど、霊的に満たしてくれるものがあります。しかし、それは、自分を満たすためのものではなく、主ご自身が願っておられることがかなえられるためであり、主が人々を導かれるためのものです。それを、人間的に言えば「おいしいどころ」取りをして、自分に都合の良いものだけを得て満足しています。今の状態の ままでいたい、これから前進せずに、満足した状態でいたいと願います。その人は実は、ここのルベン族とガド族と同じことをしているのです。自分が教会に来ている理由は何でしょうか?「自分の願い」をかなえるためでしょうか、それとも主にお仕えするためでしょうか?

 
モーセは怒りました。モーセはガド族とルベン族に答えた。「あなたがたの兄弟たちは戦いに行くのに、あなたがたは、ここにとどまろうとするのか。どうしてあなたがたは、イスラエル人の意気をくじいて、主が彼らに与えた地へ渡らせないようにするのか。私がカデシュ・バルネアからその地を調べるためにあなたがたの父たちを遣わしたときにも、彼らはこのようにふるまった。彼らはエシュコルの谷まで上って行き、その地を見て、主が彼らに与えられた地にはいって行かないようにイスラエル人の意気をくじいた。その日、主の怒りが燃え上がり、誓って言われた。『エジプトから上って来た者たちで二十歳以上の者はだれも、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った地を見ることはできない。彼らはわたしに従い通さなかった。ただ、ケナズ人エフネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアは別である。彼らは主に従い通したからである。』主の怒りはイスラエルに向かって燃え上がったのだ。それで主の目の前に悪を行なったその世代の者がみな死に絶えてしまうまで彼らを四十年の間、荒野にさまよわされた。そして今、あなたがた罪人の子らは、あなたがたの父たちに代わって立ち上がり、イスラエルに対する主の燃える怒りをさらに増し加えようとしている。あなたがたが、もしそむいて主に従わなければ、主はまたこの民をこの荒野に見捨てられる。そしてあなたがたはこの民すべてに滅びをもたらすことになる。」

 ルベン族とガド族がしていることは、彼ら自身だけの問題ではありませんでした。「この民すべて」そうです、全体の問題だったのです。一人の人が、主のみこころではなく自分の願いの中で動くことによって、全体に影響が及ぶのです。

 彼らはモーセに近づいて言った。「私たちはここに家畜のために羊の囲い場を作り、子どもたちのために町々を建てます。しかし、私たちは、イスラエル人をその場所に導き入れるまで、武装して彼らの先頭に立って急ぎます。私たちの子どもたちは、この地の住民の前で城壁のある町々に住みます。私たちは、イスラエル人がおのおのその相続地を受け継ぐまで、私たちの家に帰りません。私たちは、ヨルダンを越えた向こうでは、彼らとともに相続地を持ちはしません。私たちの相続地は、ヨルダンのこちらの側、東のほうになっているからです。」

 彼らは、成年男子はヨルダン川を渡って、ともに戦うと言っています。これは一見、彼らも主のみこころに従って、自分の分を果たしているかのように思えます。しかし、根本的にはやはり自分の願いを通しているのです。結局、ヨルダン川西岸を自分の土地にするということには変わりなく、そのためにすべての狂いが生じるのです。私たちも、主のみこころに自分自身を明け渡すことなく、距離を取って、自分の願いをかなえられようとしていることはないでしょうか?そして、付け足しのように、お手伝いをして、自分も主にお仕えしているような装いをしていないでしょうか?心の深いところにある動機を自分自身で探ってみなければいけません。

 モーセは彼らに言った。「もしあなたがたがそのようにし、もし主の前に戦いのため武装をし、あなたがたのうちの武装した者がみな、主の前でヨルダンを渡り、ついに主がその敵を御前から追い払い、その地が主の前に征服され、その後あなたがたが帰って来るのであれば、あなたがたは主に対しても、イスラエルに対しても責任が解除される。そして、この地は主の前であなたがたの所有地となる。しかし、もしそのようにしないなら、今や、あなたがたは主に対して罪を犯したのだ。あなたがたの罪の罰があることを思い知りなさい。あなたがたの子どもたちのために町々を建て、その羊のために囲い場を作りなさい。あなたがたの口から出たことは実行しなければならない。」ガド族とルベン族はモーセに答えて言った。「あなたのしもべどもは、あなたの命じるとおりにします。私たちの子どもたちや妻たち、家畜とすべての獣は、そこのギルアデの町々にとどまります。 しかし、あなたのしもべたち、いくさのために武装した者はみな、あなたが命じられたとおり、渡って行って、主の前に戦います。」

 そこで、モーセは彼らについて、祭司エルアザル、ヌンの子ヨシュア、イスラエル人の部族の諸氏族のかしらたちに命令を下した。モーセは彼らに言った。「もし、ガド族とルベン族の戦いのために武装した者がみな、あなたがたとともにヨルダンを渡り、主の前に戦い、その地があなたがたの前に征服されたなら、あなたがたはギルアデの地を所有地として彼らに与えなさい。もし彼らが武装し、あなたがたとともに渡って行かなければ、彼らはカナンの地であなたがたの間に所有地を得なければならない。」ガド族とルベン族は答えて言った。「主があなたのしもべたちについて言われたとおりに、私たちはいたします。私たちは武装して主の前にカナンの地に渡って行きます。それで私たちの相続の所有地はヨルダンのこちら側にありますように。」


 彼らは、モーセに約束したように、確かにヨルダン川を渡って、他の部族とともに戦いました。そして、東岸を自分たちの所有としました。この後の歴史を見ましょう。イスラエルが王国なり、国が二分され、ついに、外国によって滅ぼされました。最初に滅ぼされたのは、彼ら、ガド族とルベン族なのです。アッシリヤ帝国によって最初の捕囚の民となりました。イエスさまの時代には、ヨルダン川東岸は、「ガダラ人の地」つまりガド族の人々の土地と呼ばれました。そこは悪霊がたくさんいるところで、悪霊つきがいました。ユダヤ人は豚を飼っていました。律法で汚れているとされた動物です。彼らは完全に異教化してしまったのです。ですから、今の霊的状態で満足し、教会において自分の願いがかなえられていることを求めているのであれば、今あるものもすべて取り上げられてしまうのです。

 そこでモーセは、ガド族と、ルベン族と、ヨセフの子マナセの半部族とに、エモリ人の王シホンの王国と、バシャンの王オグの王国、すなわちその町々のある国と、周辺の地の町々のある領土とを与えた。そこでガド族は、ディボン、アタロテ、アロエル、アテロテ・ショファン、ヤゼル、ヨグボハ、ベテ・ニムラ、ベテ・ハランを城壁のある町々として、または羊の囲い場として建て直した。また、ルベン族は、ヘシュボン、エルアレ、キルヤタイム、ネボ、バアル・メオン・・ある名は改められる。・・またシブマを建て直した。彼らは、建て直した町々に新しい名をつけた。

 彼らは自分たちのために町を建てています。そして、新しい名をつけていきますが、どのような名前かに注目してください。

 マナセの子マキルの子らはギルアデに行ってそこを攻め取り、そこにいたエモリ人を追い出した。それでモーセは、ギルアデをマナセの子マキルに与えたので、彼はそこに住みついた。マナセの子ヤイルは行って、彼らの村々を攻め取り、それらをハボテ・ヤイルと名づけた。ノバフは行って、ケナテとそれに属する村落を攻め取り、自分の名にちなんで、それをノバフと名づけた。

 自分の名にちなんで、町の名をつけています。神ではなく自分の名です。本心がここに表れています。主のみこころを求めず、自分のことで満足しているならば、それは自分自身を求めていることなのです。

2A 神の真実 33−36
 このように、主から与えられたものを、自分の通りにするか、それとも主のみこころを求めて、自分自身をささげていくかの選択があります。それでは33章を次に見ていきますが、ここからは、主が彼らを相続地までに導いてくださった軌跡を見ていくことができます。神がイスラエルに対して、真実を尽くしてくださったことを見ます。

1B 導きにおいて 33
 モーセとアロンの指導のもとに、その軍団ごとに、エジプトの地から出て来たイスラエル人の旅程は次のとおりである。モーセは主の命により、彼らの旅程の出発地点を書きしるした。その旅程は、出発地点によると次のとおりである。エジプトは、彼らの間で主が打ち殺されたすべての初子を埋葬していた。主は彼らの神々にさばきを下された。

 軍団ごとに彼らは旅をしましたが、今、エジプトからの旅程を書き記すように、主がモーセに命じられました。これを全部読んで行きませんが、一つ一つの場所の名前とそして、「旅立って、宿営した」という言葉が何回も出てきます。その都度、主の雲の柱が立ち上がり、彼らを導いていました。夜は火の柱がありました。主が一歩一歩を導かれたのです。

 それでは50節に飛びます。エリコに近いヨルダンのほとりのモアブの草原で、主はモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人に告げて彼らに言え。あなたがたがヨルダンを渡ってカナンの地にはいるときには、その地の住民をことごとくあなたがたの前から追い払い、彼らの石像をすべて粉砕し、彼らの鋳造をすべて粉砕し、彼らの高き所をみな、こぼたなければならない。あなたがたはその地を自分の所有とし、そこに住みなさい。あなたがたが所有するように、わたしがそれを与えたからである。

 所有地に入ったら、ことごとく彼らを追い払い、偶像を粉砕しなければならないという戒めです。そして、「所有しなさい」と主は命じておられます。これは特権ではなく、命令なのです。私たちは、主から与えられたものを、ことごとく自分のものにしていく義務があります。

 あなたがたは、氏族ごとに、くじを引いて、その地を相続地としなさい。大きい部族には、その相続地を多くし、小さい部族には、その相続地を少なくしなければならない。くじが当たったその場所が、その部族のものとなる。あなたがたは、自分の父祖の部族ごとに相続地を受けなければならない。もしその地の住民をあなたがたの前から追い払わなければ、あなたがたが残しておく者たちは、あなたがたの目のとげとなり、わき腹のいばらとなり、彼らはあなたがたの住むその土地であなたがたを悩ますようになる。そしてわたしは、彼らに対してしようと計ったとおりをあなたがたにしよう。」

 もし彼らを追い出さなかったら、今度はイスラエル自身がこの土地から追い出されてしまう、ということです。つまり、本質的にはこの土地は彼らのものではなく、神ご自身のものなのです。神が所有しておられ、それをイスラエルに任せようとされていました。イスラエルは、そのことを知って、ことごとく先住の民を追い散らす義務があったのです。私たちも、神から与えられているものをしっかり、つかみ取らなければいけません。

2B 約束において 34
 34章に行きます。ここでは相続地の境界線が事細かく示されています。まず南の境界線は死海の南から、カデシュバルネアの南側をとおり、そしてエジプトの川に至ります。西はもちろん地中海の海岸です。北はずっと上で今のレバノンさらにシリヤのほうまで行きます。それから東へずっと広がりを見せ、境界線は南、下のほうに行きます。ちょうどガリラヤ湖の南ぐらいの緯度になったら、境界線は西へ進み、ガリラヤ湖の南端のヨルダン川河口のところにぶつかります。そして東の境界線はヨルダン川となり、死海へと続きます。神は、このようにはっきりとした境界線をもうけ、約束の地を確かなものとされました。

 私たちにも、このような割り当て地が与えられています。神の国において、また天において、私たちが受け取るべき財産があります。神も、イスラエルに対してと同じように、天において資産をクリスチャンのために用意してくださっているのです。

 そして34章17節以降には、その地を相続する者の名が記されていますが、各部族のかしらの名前が書かれています。初めに話しましたように、主は部族ごと、かしらごとにそれぞれが相続地を所有し、管理するようになさいました。

3B 安全において 35
 それでは35章に入ります。エリコに近いヨルダンのほとりのモアブの草原で、主はモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人に命じて、その所有となる相続地の一部を、レビ人に住むための町々として与えさせなさい。彼らはその町々の回りの放牧地をレビ人に与えなければならない。町々は彼らが住むためであり、その放牧地は彼らの家畜や群れや、すべての獣のためである。

 レビ族は、相続地が割り当てられませんでした。それは、彼らが神に奉仕するために召されているからです。それゆえ、彼らのために、イスラエルの民がささげものを携えてきます。けれども、彼らが住むことができる町を、他の部族の中に与えられます。

 あなたがたがレビ人に与える町々の放牧地は、町の城壁から外側に、回り一千キュビトでなければならない。町の外側に、町を真中として東側に二千キュビト、南側に二千キュビト、西側に二千キュビト、北側に二千キュビトを測れ。これが彼らの町々の放牧地である。

 町には放牧地が与えられ、それは四角の形をしていました。

 あなたがたが、レビ人に与える町々、すなわち、人を殺した者がそこにのがれるために与える六つの、のがれの町と、そのほかに、四十二の町を与えなければならない。あなたがたがレビ人に与える町は、全部で四十八の町で、放牧地つきである。あなたがたがイスラエル人の所有地のうちから与える町々は、大きい部族からは多く、小さい部族からは少なくしなければならない。おのおの自分の相続した相続地に応じて、自分の町々からレビ人に与えなければならない。」

 「逃れの町」これが、この章での話題です。レビ人の町は合計42ありましたが、そのうちの6つは、逃れの町として指定されました。

 主はモーセに告げて仰せられた。「イスラエル人に告げて、彼らに言え。あなたがたがヨルダンを渡ってカナンの地にはいるとき、あなたがたは町々を定めなさい。それをあなたがたのために、のがれの町とし、あやまって人を打ち殺した殺人者がそこにのがれることができるようにしなければならない。この町々は、あなたがたが復讐する者から、のがれる所で、殺人者が、さばきのために会衆の前に立つ前に、死ぬことのないためである。あなたがたが与える町々は、あなたがたのために六つの、のがれの町としなければならない。ヨルダンのこちら側に三つの町を与え、カナンの地に三つの町を与えて、あなたがたののがれの町としなければならない。これらの六つの町はイスラエル人、または彼らの間の在住異国人のための、のがれの場所としなければならない。すべてあやまって人を殺した者が、そこにのがれるためである。

 逃れの町というのは、あやまって人を殺した人が、復讐する者たちの手から逃れて、守られるための町です。近親者の中で人が殺されたときに、近親者の者はその人に復讐をすることができます。その手から逃れ、公正な裁判を受けることができるように、レビ人の町に住むことができるように定められました。

 人がもし鉄の器具で人を打って死なせたなら、その者は殺人者である。その殺人者は必ず殺されなければならない。もし、人を殺せるほどの石の道具で人を打って死なせたなら、その者は殺人者である。殺人者は必ず殺されなければならない。あるいは、人を殺せるほどの木製の器具で、人を打って死なせたなら、その者は殺人者である。殺人者は必ず殺されなければならない。血の復讐をする者は、自分でその殺人者を殺してもよい。彼と出会ったときに、彼を殺してもよい。もし、人が憎しみをもって人を突くか、あるいは悪意をもって人に物を投げつけて死なせるなら、あるいは、敵意をもって人を手で打って死なせるなら、その打った者は必ず殺されなければならない。彼は殺人者である。その血の復讐をする者は、彼と出会ったときに、その殺人者を殺してもよい。

 ここは、故意に人を殺したときについての定めです。故意に人を殺したときは、どのようなかたちで殺したとしても、死刑に定められます。逃れの町にのがれたとしても、彼は引きずり出されて殺されます。

 私たちはこのような話を聞くと、なんと厳しいのかと思います。けれども、真実は、その逆です。なんと安全なのか、とほっとするはずです。自分たちが住んでいるところに、殺人者が一人もいなくなるからです。これが神の国の姿でもあります。イエスさまが地上に戻られ、神の国を立てられるときは、鉄の杖でもって人々を牧されます。正義をもって統治されるので、不正は完全にさばかれます。このような中にいるときに、初めて平和があり、安心して生きることができるのです。

 もし敵意もなく人を突き、あるいは悪意なしに何か物を投げつけ、または気がつかないで、人を死なせるほどの石を人の上に落とし、それによって死なせた場合、しかもその人が自分の敵でもなく、傷つけようとしたのでもなければ、会衆は、打ち殺した者と、その血の復讐をする者との間を、これらのおきてに基づいてさばかなければならない。会衆は、その殺人者を、血の復讐をする者の手から救い出し、会衆は彼を、逃げ込んだそののがれの町に返してやらなければならない。彼は、聖なる油をそそがれた大祭司が死ぬまで、そこにいなければならない。

 例えば、畑を耕しているときに、その器具が人にぶち当たり、死んでしまったとします。彼は一目散に、定められた6つの逃れの町のうち、もっとも近いところに駆け込みます。相続地には、東側に3つ、西側に3つあります。そして、その人は、復讐をする者の手から守られます。

 もし、その殺人者が、自分が逃げ込んだのがれの町の境界から出て行き、血の復讐をする者が、そののがれの町の境界の外で彼を見つけて、その殺人者を殺しても、彼には血を流した罪はない。その者は、大祭司が死ぬまでは、そののがれの町に住んでいなければならないからである。大祭司の死後には、その殺人者は、自分の所有地に帰ることができる。

 逃れの町にいるかぎり、復讐者の手から守られます。けれども、逃れの町から出たならば、復讐者の手によって殺されても、仕方がありません。逃れの町にとどまることが、その人にとって必要です。しかし、彼は大祭司が死んだときに、そこから出て行くことができます。そして所有地に戻ることができます。

 もしだれかが人を殺したなら、証人の証言によってその殺人者を、殺さなければならない。しかし、ただひとりの証人の証言だけでは、死刑にするには十分でない。あなたがたは、死刑に当たる悪を行なった殺人者のいのちのために贖い金を受け取ってはならない。彼は必ず殺されなければならない。のがれの町に逃げ込んだ者のために、贖い金を受け取り、祭司が死ぬ前に、国に帰らせて住まわせてはならない。あなたがたは、自分たちのいる土地を汚してはならない。血は土地を汚すからである。土地に流された血についてその土地を贖うには、その土地に血を流させた者の血による以外はない。あなたがたは、自分たちの住む土地、すなわち、わたし自身がそのうちに宿る土地を汚してはならない。主であるわたしが、イスラエル人の真中に宿るからである。」

 殺人を犯したときには、その人が確かに殺したこと証明されるために、二人、三人の証人が必要であると他の個所に書いてあります。そして、裁判のときには、贖い金、つまり賄賂を受け取ってはいけない、と戒められています。殺人についての裁判を公正に行なうためです。

 そして大事なのは、この土地が血によって汚されてはいけないのは、イスラエル人の真ん中に主ご自身がおられる、ということです。相続地の真ん中には主がおられます。主が支配され、主が王となられています。これは神の国でも同じであり、イエスが王の王、主の主であられるのです。ある人が、天国について話していました。天国における報いについて少し恐れていました。なぜなら、報いが小さい人と大きい人がいるのではないか、そして小さな家と大きな家があるのではないか。そう教えられたそうです。しかし、神の国において、そのような人々との比較がないということを知ることは大切です。主が真ん中におられ、主ご自身があがめられ、主のみを見上げているのが神の国です。教会においても、主が真ん中におられ、主を礼拝しているのと同じく、神の国においても主が真ん中になっておられます。

4B 願いにおいて 36
 それでは36章にはいります。ヨセフ族の一つ、マナセの子マキルの子ギルアデの氏族に属する諸家族のかしらたちが進み出て、モーセとイスラエル人の諸家族のかしらである家長たちに訴えて、言った。「主は、あの土地をくじによってイスラエル人に相続地として与えるように、あなたに命じられました。そしてまた、私たちの親類ツェロフハデの相続地を、彼の娘たちに与えるように、あなたは主に命じられています。もし彼女たちが、イスラエル人の他の部族の息子たちにとついだなら、彼女たちの相続地は、私たちの父祖の相続地から差し引かれて、彼女たちがとつぐ部族の相続地に加えられましょう。こうして私たちの相続の地所は減ることになります。イスラエル人のヨベルの年になれば、彼女たちの相続地は、彼女たちのとつぐ部族の相続地に加えられ、彼女たちの相続地は、私たちの父祖の部族の相続地から差し引かれることになります。」

 思い出せますでしょうか、マナセ族の中に、モーセたちに申し出た女の人たちがいました。彼女たちは男の兄弟がいなかったので、父の名をもつ相続地がなかったのです。けれども、そのことをモーセたちに訴えましたら、主はその訴えはもっともであると考え、彼女たちに割り当てを与えられました。けれども、ここに問題があります。というのは彼女が他の部族の人たちに嫁いだなら、その割り当て地はその部族のものとなり、結果として、マナセ族の相続地が少なくなってしまうのです。そこでマナセ族のかしらたちがやって来て、モーセに訴えたのです。

 そこでモーセは、主の命により、イスラエル人に命じて言った。「ヨセフ部族の訴えはもっともである。主がツェロフハデの娘たちについて命じて仰せられたことは次のとおりである。『彼女たちは、その心にかなう人にとついでよい。ただし、彼女たちの父の部族に属する氏族にとつがなければならない。イスラエル人の相続地は、一つの部族から他の部族に移してはならない。イスラエル人は、おのおのその父祖の部族の相続地を堅く守らなければならないからである。イスラエル人の部族のうち、相続地を受け継ぐ娘はみな、その父の部族に属する氏族のひとりにとつがなければならない。イスラエル人が、おのおのその父祖の相続地を受け継ぐためである。こうして相続地は、一つの部族から他の部族に移してはならない。イスラエル人の部族は、おのおのその相続地を堅く守らなければならないからである。』」

 この娘たちは、ヨセフ族の人たちとのみ結婚するように主は命じられました。そうすることによって、他の部族に相続地は渡らないことになります。主がおっしゃられた、最後のことばが大事です。「おのおのその相続地を堅く守らなければならない」というものです。これは、私たちクリスチャンでも同じです。私たちが主から任されたものがあります。その資産をしっかりと守っていかなければいけません。これが管理者としての役目であり、クリスチャンは一人一人が、主から任された分の管理者なのです。

 ツェロフハデの娘たちは、主がモーセに命じられたとおりに行なった。ツェロフハデの娘たち、マフラ、ティルツァ、ホグラ、ミルカおよびノアは、そのおじの息子たちにとついだ。彼女たちは、ヨセフの子マナセの子孫の氏族にとついだので、彼女たちの相続地は、彼女たちの父の氏族の部族に残った。

 駆け足で終えました。こうして、イスラエルは、ヨルダン川の東側にいるときに、相続地における自分の割り当ての管理について教えられました。それは、誓願についての教えがありましたが、主は私たちの意志に働いてくださいます。そして、ミデヤン人に対する復讐がありましたが、主ははっきりとみこころとしている行為があります。それを行なわなければいけません。そして、私たちへの戒めとして、自分の満足の中でとどまってはいけないことがありました。そして旅程と境界線、逃れの町とヨセフ族に対する命令から、主が必ず相続を与えてくださるその真実を見ることができました。


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