エジプト・イスラエル旅行記 − 8月20日その2

 これまでの旅程 − 1.ナザレ 2.カルメル山


3.メギド

 カルメル山から降りて、そのまま南東に走る道路を下ると、そこがメギドになります。今のメギドはテル(丘状遺跡)になっています。天然の丘ではなく、古代都市が破壊されて、その後に別の都市が建てられて、それを繰り返すことによって丘に盛り上がったところです。強力なカナン人の町から、エジプトが攻めその後イスラエルが占領、ソロモンの要塞、そして北イスラエルのヤロブアム、アハブ統治時代を経て、アッシリヤの町、そして紀元前五世紀に荒廃するまで、全部で約25の町の層があるそうです。エルサレムの町で重層的な歴史の複雑さを味わったのに、これを聞いただけで私はめまいがしそうでした。

 この丘に上がる前に、私たちはデービッドから、こちらも情報たっぷりの気合の入ったメッセージを聞きました。(ここで音声が聞けます。)

メギドは黙示録に出てきますが、黙示録はユダヤ教が新約聖書の中で読んでもよい書物として、二世紀から許されています。旧約聖書を猛烈に引用しているからです。以前は400以上であったものが、今のコンピューター技術によって、新約聖書をギリシヤ語から逆にヘブル語に訳したものを見ると721あることがわかりました。そして、ハルマゲドンについて、コンピューターソフトによって、膨大な聖書箇所があることが分かります。

ハルマゲドンはヘブル語で、「ハル」が丘という意味です。今、私たちがいるところです。メギドの丘という意味です。ハルマゲドンは、戦争や、イスラエルに襲う恐怖を代表しています。25の文明がこの丘から発掘されました。この名前がある部分を読みましょ。黙示録16章15節からです。

・・見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物をつけ、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである。・・こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。第七の御使いが鉢を空中にぶちまけた。すると、大きな声が御座を出て、聖所の中から出て来て、「事は成就した。」と言った。すると、いなずまと声と雷鳴があり、大きな地震があった。この地震は人間が地上に住んで以来、かつてなかったほどのもので、それほどに大きな、強い地震であった。また、あの大きな都は三つに裂かれ、諸国の民の町々は倒れた。そして、大バビロンは、神の前に覚えられて、神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられた。島はすべて逃げ去り、山々は見えなくなった。また、一タラントほどの大きな雹が、人々の上に天から降って来た。人々は、この雹の災害のため、神にけがしごとを言った。その災害が非常に激しかったからである。(15-21節)

これは、イスラエルの神のご計画にしたがって、画策されていることです。13節には「かえるのような汚れた霊ども」とあります。これは象徴的な言語であり、黙示録には17回出てきます。「・・・ような」という言葉が出てきますが、実際にそうではなくて、そのような、ということです。この悪霊どもは蛙のように動きます。飛び跳ねて、止まり、また飛び跳ねます。その為、多くの聖書教師はハルマゲドンを「作戦行動」であると考えています。イスラエルへの攻撃を、最終的で決定的な、人間の歴史をまとめ上げる出来事として描いています。

宇宙技術と兵器の分野において、アメリカで重要な立場にいる指導者に呼ばれて、数年前話したことがあります。私を紹介した軍司令官は、私のことを当時知りませんでした。けれども彼らは、聖書でハルマゲドンについて何と言っているか関心があったのです。200人の将校たちがいました。昼食の前にも後にも話しました。話し終えたら、会場が完全に静まりました。質問も出ませんでした。軍司令官が私のところに来て、「この情報をどこで入手したんだい?」と聞きました。「聖書ですが。」と答えたら、「私たちが毎日、ここで議論しているシナリオそのものですよ。」というのです。

長年のこと、人々は、ハルマゲドンを寓意的、象徴的に解釈して、既に起こったこととしてきました。教団・教派の信条を調べるなら、全教会の80パーセントは、今私が読んだ箇所は、ずっと昔に起こったとしています。ローマが70年に侵略した時に成就したということです。66-73年に大患難が起こったとしています。これを「プレテリスト」と呼びます。ラテン語で「過去」という意味です。人々を怖がらせたくないのか、将来のものとして受け止めないのです。けれども主イエス様は、何度も人を怖がらせました。地獄のことを話し、そして神の国を語られました。

今読んだ箇所が、ハルマゲドンについて教えているところではありません。ヘブル人の預言者は、何度も何度もこれを語りました。今読んだところだけでも、イザヤから、エレミヤから、そして他の多くの預言書、特にゼカリヤ書から来ています。彼らは、人間の歴史の終局を語っています。この世界の行方を変える大きな戦いが起こります。イスラエルが攻撃を受け、包囲され、ゼカリヤ書では、エルサレムの半分が取られ婦人が犯されるとありますが(14:2)、もう望みがないと思っているその時に、預言者らは、「心配しなくてもよい。メシヤが来て、私たちを救い出してくださる。」と言っています。

メシヤは、戦うために天使らを用いられません。死んで、天国に行った信者たちをも用いられません。イザヤ63章で、ご自分独りで戦われると言われます(5節)。神の御怒りの酒ぶねを踏まれます。イスラエルの敵どもの血が出て、主の衣は真っ赤に染まります。イスラエルを抹消するために世界中から軍隊が来るので、血が馬のくつわほどに届くようになるとあります(黙示14:20)。そして300キロに広がるとあります(同節)。

この距離について異なる見解があります。海抜がほぼ0メートルのハイファから、イズレエル平原を流れ、ヨルダン川にまで至るという考えです。水面の高さから、水面下約200メートルにあるヨルダン川に流れていくというものです。もし戦いが、このイズレエルの谷で起こるならばです。約300キロです。

他の見解は、エルサレムを攻撃するという箇所から、エルサレムを中心にして円を描いて広がるというものです。このように言う人々は、イスラエルに来たことがないのでしょう。エルサレムから地中海まで約90キロしかありませんから。

もう一つの見解は、ヨルダンのアマンから、エルサレムの東にある高地からというものです。イスラエル軍は、そこが最も脆弱だと今でも言います。ボツラという、エドムの首都がそこにあります。ボツラに、全世界の軍隊が集結するように見えます。イラク戦争の時もそうでしたが、砂漠の平地に非常に数多くの軍が降り立つことができます。そこからイスラエルを攻撃しにくるというものです。軍関係者は今でもそれを信じていて、真剣に受け止めています。そして、そのアマンからここメギドまで約300キロメートルなのです。

けれども、ヘブル人の預言者が最終戦争として一貫して語っている酒ぶねは、イスラエル全土です。ダンからベエル・シェバは、約300キロです。言い換えると、全イスラエルが血の海になるということです。

エゼキエル38章、39章で語っている預言は、イスラエルへの侵攻です。国の名称まで挙げています。ここ50年の間多くの聖書教師は、ハルマゲドンとは別の出来事として語っています。それには多くの理由があります。「ゴグとマゴグ」が出てきます(38:1)。彼らは「ロシア」も話しますが、これはメシェクとトバルの「大首長」のことです。ヘブル語で「ロシュ」であり、これは「最初」を意味します。例えば、ラッパを吹き鳴らす新年の日を、「ロシュ・ハシャナ」と言います。この「ロシュ」を「ロシア」とするのです。貧弱な解釈です。それに加えて、38章17節で主は、「あなたは、わたしが昔、わたしのしもべ、イスラエルの預言者を通して語った当の者ではないか。」と言われました。」昔、ハルマゲドンを除いてロシアのことについて語られたことがありません。

小預言書を、ホセアからずっと教えてきましたが、一貫して、最終戦争はイスラエル、そしてエルサレムを中心に起こります。ゼカリヤはこう言いました。「見よ。わたしはエルサレムを、その回りのすべての国々の民をよろめかす杯とする。ユダについてもそうなる。エルサレムの包囲されるときに。その日、わたしはエルサレムを、すべての国々の民にとって重い石とする。すべてそれをかつぐ者は、ひどく傷を受ける。地のすべての国々は、それに向かって集まって来よう。(12:2-3)」そして主はご自分の民のために、戦われます(14:3)。最終的なイスラエルの攻撃があり、けれどもメシヤが来臨され、イスラエルを攻撃するため軍隊を連れてきたすべての国を滅ぼされることを預言しています。

神は、永久の契約を立証されます。神は、イスラエルを決して見捨てられません。このことを信じていない教会におられるならば、そこから出てください。イスラエルを見捨てられたというところにはとどまらないのです。悪い教えがこのことと関連して出てきます。私は、自分の信仰について、神がイスラエルに与えられた約束のゆえに安心していられるのです。罪がもう思い出されないという私たちに救いをもたらすという新しい契約は、イスラエルと結ばれたものです(エレミヤ31:31)。野生種のオリーブの木の枝として、異邦人は信じることによって接がれたのです(ローマ11:17)。枝は、オリーブの実をそれだけでは結ばせることはできません。接がれない限り。

エゼキエル38,39章をハルマゲドンとするなら、今現在、この中東地域で世界が気にしている国はどこですか?イランですね。エゼキエル38章で、最初に列挙されている、指導的な役割を果たす国はペルシヤです。エラムの元来の名前であり、エラムは前世紀からイランになりました。ユダヤ教でもキリスト教でも聖書教師の数多くが、この攻撃はイスラエルに対する、イスラム教ジハードの戦いだということです。他の国々も参与します。今、この連合が全世界で発達しているのを見ます。

イスラエルがずっと大事にしていた友人であるアメリカには、完全に反イスラエルになっている国務省があります。合衆国国務省は、長年の友人であるイスラエルよりもイスラム界をもっと気にしています。「デービッド、止めといたほうがいいよ。」といつも言われますが、私は歯が無くなっても歯茎で噛んで死んでもいいです、語るのを止めません。分かりますか、これこそ、イエス・キリストの教会に悪魔が忍び込ませた最も大きな惑わしの一つなのです。そのため、私たちはイスラエルに対し悪いことを言い、反ユダヤになり、預言が何と言っているのかを理解し損なって、私たち自身も惑わしを受けている者の一人になってしまうのです。

分かりますか?私たちは、神の言葉を知らなければいけないのです。聖書は警告しています。一番の警告は、「人に惑わされないように気をつけなさい。(マタイ24:4等)」です。偽預言者が来て、不思議やしるしを行ない人々を喜ばせます。癒しを受けられる集会に出席して、これこそが最も大事なことだえるかのように教えます。癒しを完全に受けるのは、死ぬことです。死んだら、天国に行けます。目を覚まさなければいけません!

これは、どこかの話ではなく今、軍事的に直面していることなのです。世界の歴史の中で最も優れた兵器が、USSレーガン艦艇の上にあります。この艦艇はどこにありますか?ペルシャ湾にいるのです。軍事戦略家たちは、最終的な攻撃がここから来ることを知っているからです。聖書が言っていることなのです。詩篇83篇にも、国々の名称が列挙されています。彼らは互いに憎しみ合っていますが、一つの争点で連合します。「彼らの国を消し去って、イスラエルの名がもはや覚えられないようにしよう。(4節)」イスラムのテロリストたちは、いつも互いに殺しあっていますが、彼らが一致するのはイスラエル国家を抹消することです。

ペルシャ湾には、世界が見たこともない由々しい兵器が存在します。核兵器です。指揮官に、もしこれらの国々が攻撃したらどうなるのか尋ねると、「全ての国々を、イラン、イラク、サウジアラビア、アラブ首長国連邦等を、5分以内で完全に破壊できる。」と答えます。これらの国々が知らないわけがありません。彼らが怒って、核兵器を保持したがっているかといいますと、この船長のためです。アフマディネジャードが腹を立てているのは、この世界有数の海上兵器の指揮官が正統派ユダヤ教徒の為です。キッパを被り、祈りのショールも身に着けています。船上で、安息日に6千人に聖書預言を教えています。

全イスラム界が、この男を危険人物だとしています。怒らせるべく、この戦艦を砲艦が徘徊していますが戦艦は何もしません。CNNが質問しても、「このUSSレーガンに傷を負わせる弾など持っていないよ。けれども私たちから一発食らったら、一瞬にして終わりです。これを知っているんだよ、彼らは。」と答えます。世界有数の兵器の指揮官に、正統派ユダヤ教徒を置かれるとは、ほとんど神のユーモアです。

イスラエルは、撃たれなければ撃ち返しません。アメリカも以前はそういう方針でしたが、今は非常に少ないでしょう。昨年の夏、中央アフリカで、ジャングルの中で牧師たちにイスラエルとハルマゲドンについて教えました。カメルーン国で、政府の役人70人にも話しました。軍の規模は非常に小さいです。周囲の国々は混迷の中にいるのに、この国だけが平穏を保っています。イスラム教の軍がチャドにはいますが、1月に3万人を殺したと言われています。もっとも福音派のクリスチャンの割合が世界で最も多い中央アフリカ共和国では、教会や宣教団体の拠点をすべてを破壊しました。ナイジェリアでは、クリスチャンを虐殺し、また手足を切断しました。私は言ってきましたから、彼らが伝えてくることをよく理解しています。

カルメーン政府が聞きたがっていたのは、ハルマゲドンについてでした。10数分話そうかと思っていましたが、3時間経ってもずっと質問してくるのです。70人のうち一人はイスラム教徒です。私に話しかけてきましたが、なるほどと思ったそうです。私は質問しました、「なぜ、イスラムが周囲の国々を攻撃しているのに、カメルーンだけが平和なのでしょうか。」と。彼は、「簡単ですよ。数年前にあなたが薦められたがないですか、イスラエルに支援を頼めば良いって。イスラエルが今、カメルーンの安全保障を提供しているのです。」そこで私は、立つようにお願いしました。50人以上がイスラエル人だったのです。そしてそのイスラム教徒に尋ねました、「これと、平和がどう関連するのですか。」と。

そして彼は答えました。「なぜかって?彼らは撃ち返すからですよ。」そして、振り返って歩き去りました。

けれどもハルマゲドンは、イスラエルの国にとって恐怖となります。他の国々は核兵器の蓄積の速めています。スーツケースのもあるし、肩に載せるのもあるし、多くの破壊をもたらします。イスラエルには、合衆国国務省によると、世界で第四の核兵器力があります。アメリカ、ロシア、中国の次です。聖書が起こると言っていることは、核兵器戦争によって、いともたやすく起こり得るのです。

よい知らせは、最後はイスラエルの側が勝つことです。神は決して、イスラエルの民を滅ぼされません。事実、「彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。(ゼカリヤ12:10)」その日に、きよめの一つの泉が開かれます(13:1)。神は、彼らの罪をもはや二度と思い出されません。神は契約を破棄されません。創世記12章で神が仰られたことは、その通りなのです。世界を祝福のは、その国と土地と子孫です。

私の意見では、これはすぐに来るでしょう。他のいろいろな徴があるからです。世界は混沌としています。経済的混乱とか。政治について言うならば、次に何をしなければいけないか彼らはほんの少しも分かっていません。だからオバマを選ぶのです。なぜなら彼は何も本質を語っていないからです。彼は言い逃れする方法を知っていて、考えをどんどん変えています。

オバマは、来たる反キリストの原型です。誤解しないでください、私は彼が反キリストだと言っていません。その原型だと言っています。彼は、反キリストが行なうと書かれていることを行なっています。彼のことを何も分かっていないのに、世界は彼のことで熱狂します。オバマが自分の名前を聞かれて答えた時、私は彼が馬鹿じゃないかと思いました。「私の名前はヘブル語で、バルク、つまり祝福された者です。」と答えました。彼はバルクではなくバラクです。ユダヤ教にも、キリスト教徒にも、この全歴史の中で、ミドル・ネーム(中間名)に「フセイン」と付けている人はいません。けれども彼は自分がイスラム教徒であることを否定します。

彼はカンザス州生まれだと言っていましたが、先週変更して、ハワイ州だと言っています。問題は、アメリカ合衆国憲法が、大統領の出生時、その母親はアメリカに五年以上いなければならず、その出生の十年以上前から合衆国の市民でなければならない、と言っていることです。ジョン・マケインについてはもう調べました。パナマ生まれで、両親は軍従属の人たちでした。だから証明されましたが、誰もオバマの出生証明書を見つけられていません。彼は自分の事も、自分の母親のことも偽っています。彼女は、アメリカにおける有能な共産主義指導者で、全世界を回ってアメリカについて酷く悪い情報を流しています。

私は皆さんが、共和党支持者か民主党支持者かは全然気にしていません。聖書の神の御言葉を本当に信じて、他の何によっても騙されないでほしいということです。これから、今聞いたことの背景となる遺跡を見ます。

 いかがでしたか?目を大きくして、口を開けて読まれたのではないでしょうか?私は初めて聞いた時、そうでした。いくつか、私自身が感じたことを書きたいと思います。

1)現代イスラエルにかかわることは、ハルマゲドンを始め、聖書の記述どおりのことが起こっています。
2)この純粋な聖書の教えに人間的な要素が少しでも入ると、その瞬間からその人はおかしくなります。反イスラエル、反ユダヤ的になります。
3)そして、他の神学、教理の領域においてもおかしさを増します。信仰や実践においても、霊的におかしくなる場合を教会史を見てもそうですし、私も自分の周りで見聞きしています。
4)アメリカ事情について、あまりにも歪んだ情報が世界に流布されています。それにともない、世界の雰囲気がどんどん怪しくなっています。(オバマ次期大統領について日本ではあまり知られていないようですが、次の本がアメリカではベストセラーです。→ Obama Nation(オバマ国家)

 私は、今回のイスラエル旅行を通して、聖書の言葉を愚直にもそのまま信じることで、この生涯を終えたいと思うようになりました。主の受肉、奇蹟、十字架と三日目の復活、昇天はもちろんのこと、地上再臨も、そして今日、空中に主が戻ってこられるかもしれないことも、すべてそのまま信じて生きたいと思いを新たにしました。そう信じるからこそ、本当におかしくなっているこの時代の中で、喜びをもって、情熱をもって、感謝をもって、そして愛をもって生きられるからです。この信仰がなかったら、いとも簡単に、この世の楽しみと罪の中に溺れてしまいます。「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。(1コリント13:13)」とあるとおりです。

 それでは実際の遺跡を見て回りますが、先ほど話しましたように、約25の町がこの丘に埋まっています。細かく見ていったら、エルサレム旅行みたいに膨大な情報量となるでしょう。大まかな把握だけをしたいと思います。

 まず、お勧めのサイトをご紹介します。

1.上空からの概観は、上の題名のリンク先Bibleplaces.comが導入としていいと思います。
2.代表的な遺跡の説明は、Biblewalks.comが良いです。これを見て、私も自分が見たものの整理ができました。
3.Biblewalks.comにはこのテルの他に、隣接している丘ハルマゲドンの写真もたくさん撮っています。
4.考古学チームのサイトThe Megiddo Expeditionが本家で、一番詳しいです。
5.写真や地図を混ぜてこまめに説明しているNear East Touristのサイトもいいでしょう。

 まず、このテルの上空からの全景をご覧になると良いでしょう。NETのこの写真をクリックしてください。メギド(Megiddo)のテルは手前にあります。これがカルメル山脈のどん詰まりです。そして写真一帯にイズレエル平野が広がっていますが、左にナザレ(Nazareth)、真中がタボル山(Mt.Tabor)、右にモレの丘(Hill of Moreh)が見えます。モレの丘は、ギデオンがミデヤン人と戦った時に、ミデヤン人が陣を敷いた所です(士師7:1)。この写真を見ながら、先ほど私が引用しました、いろいろな聖書の出来事に想いを馳せると良いかもしれません。タボル山から、デボラ率いるイスラエルの民が一気に、こちらのほうにいるカナン人の陣に攻め入ったこと。ヨシヤがここでエジプトのネコと戦い、死んでしまったこと等々。そして、将来のことも考えてみましょう。
その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハダデ・リモンのための嘆きのように大きいであろう。(ゼカリヤ12:11)
 ハルマゲドンの戦いでここに全世界からの軍隊が集結します。

 それから今度は、テルの真上からの写真をご覧になるといいと思います。丸いですね。横から見るともっとよく分かりますが、ちょうどプリンみたいです。始めのカナン人の町の城壁がそのようであったからのようです。これはダンの前のカナン人の町ライシュでも同じでした。このテルの入口はこの写真の右にある、北側の門(Gate)になります。

 さらに、この写真をご覧ください。地層のようになっていますが、人工のものです。一番下の紀元前3300年から2000年は、アブラハムがここに来る前のカナン人の生活を見ることができ、2000から1550年は族長時代から、ヨシュア率いるイスラエルが占領する(1400年頃)前のカナン人の生活を、そして1550年から1200年はだいたい士師の時代、1200年から1000年はダビデ時代の少し前、そして1000年から586年はソロモン王朝と北イスラエル国、そしてアッシリヤの捕囚後の姿を見ることができます。このように、同じ地点にいくつもの時代が積み重なっているのがテルです。

 では北側の入口を見ましょう。これは紀元前1550年から1200年のカナン人の町の門です。昔の紀元前18世紀にあった門に組み込んだようです。真中にある黒い線は木でその下が実際に発掘されたもので、上は復元したものです。当時の門の様子がこちらの看板で見られます。門に部屋が作られていて、そこに兵士が駐屯していました。

 中に入ってこの門を撮るとこうなります。すっきり垂直に壁が立っていますね。戦車が出入りすることができるようにです。

 そして、この門の裏にある宮殿がこちらです。かなり堅固なカナン人の町を彷彿させます。ここの王とヨシュアらが戦っています。
ヨシュアとイスラエル人とが、・・・打った王たちは次のとおりである。・・・メギドの王のひとり。(ヨシュア12:7,21)
 ここはマナセ族の割り当て地になりましたが、彼らは占領しなかったことが士師記に記述されています。「メギドの住民とそれに属する村落は占領しなかった。それで、カナン人はその土地に住みとおした。(1:27)」この住みとおしたカナン人の町を今、私たちは見ているわけです。

 そしてさらに奥に入ると、今度はソロモン王朝あるいは北イスラエル時代の町の門があります。ソロモンが建てたのか、それともアハブかヤロブアム二世か、意見が分かれているそうです。先に話しましたように、以前はエジプトのトトモス三世が遠征に来たためにここはエジプトの影響下にありましたが、その力が衰え、その時代の時に神がダビデを選ばれました。そしてその時代にイスラエルはメギドを完全に自分たちのものとしたわけです。戦略軍事的に大切な場所ですから、人が生活するというよりも駐屯地にしたわけです。
ソロモン王は役務者を徴用して次のような事業をした。彼は主の宮と、自分の宮殿、ミロと、エルサレムの城壁、ハツォルとメギドとゲゼルを建設した。(1列王9:15)
 この門は、先ほど見たカナン人の町の門と同じように元々、両側に壁があったのですが、右側は発掘したため無くなったのだそうです。そして左側の残された壁の真中あたりに、ちょこんと石がつみあがっていますが、これはアッシリア時代の門ではないかと言われています。そして当時の様子の看板がこちらにあります。

 この門を入って(つまり左に曲がって)まっすぐ行くと ― 私たちはまだテルの北側にいますが、― ソロモン時代の馬屋があります。ソロモンが多くの馬を所持していたことを思い出してください。
ソロモンは戦車用の馬のための馬屋四万、騎兵一万二千を持っていた。(1列王4:26)
 馬をたくさん持ってはいけないという、モーセを通して神が王に対して戒められたことをきちんと守りませんでしたね(申命17:16)。当時の様子はこちらにあります。

 そして今度は東側に行きます。ここには、カナン人の時代のいくつもの宮が見つかっています。初期の時代、紀元前2700年頃のものが数多くの動物のいけにえの骨や陶器のかけらとともに見つかっています。その中の一つの写真です(円形の部分が祭壇です)。主が、これらの偶像に心が傾かないように祭壇を取り壊しなさいと命じられたのに、壊しませんでした。
あなたがたはこの地の住民と契約を結んではならない。彼らの祭壇を取りこわさなければならない。』ところが、あなたがたはわたしの声に聞き従わなかった。なぜこのようなことをしたのか。(士師2:2)
 ところでこの遺跡は、東側を向いています。当時の異教はすべて東側だそうで、それは日の出の方向だからです。太陽を拝んでいるためですが、日本も初日の出とか、ご来光とか、同じことをやっていますね。だから、そして神殿で東門から入って、西を向いて主を礼拝することには大きな意味があります。「異教の神々に背を向けて、まことの天地創造の神を礼拝する」ということです。明確に違いを表し、区別することで、自分たちの信仰を表明していたのです。

 しばしば、「心の内面さえよければ、外側の行ないは重要ではない。」という考えがあります。盆踊り、仏壇へのお供え物、神社参拝、また飲み会でお酒を飲むこと等、これらを一緒に行なっていたら、私たちはどこで、自分たちが天地創造のまことの神をあがめていることを証言することができるのでしょうか?これらのことを行わない時、「私はクリスチャンなので・・・」という理由を添えれば、これこそが力強い証しとなるのです。

 そして私たちはテルの中心辺りに来ました。ここに巨大なサイロ(穀物の貯蔵庫)があります。なんと450立方メートルもあります。これはヤロブアム二世が造ったものです。彼の時代、領土や非常に大きくなりました。興味深い記事です。
彼は、レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。それは、イスラエルの神、主が、そのしもべ、ガテ・ヘフェルの出の預言者アミタイの子ヨナを通して仰せられたことばのとおりであった。主がイスラエルの悩みが非常に激しいのを見られたからである。そこには、奴隷も自由の者もいなくなり、イスラエルを助ける者もいなかった。主はイスラエルの名を天の下から消し去ろうとは言っておられなかった。それで、ヨアシュの子ヤロブアムによって彼らを救われたのである。(2列王14:25-27)
 彼の行ないが正しかったからではなく、主がかわいそうに思われて領土を広げてくださいました。この繁栄の時期に、彼はサイロを作りました。

 そして私たちは南側に進みます。ここには、紀元前八世紀頃、つまりヤロブアム二世の頃の馬屋があります。ここで興味深いのは、飼い葉桶があることです。馬用の飼い葉桶と、牛や羊のそれとは高さなどで異なると思いますが、ベツレヘムでお生まれになった主がどのようなところに寝かされたのかを想像することができます。

 そして、今度はアハブ王が統治している時に戻ります。この馬屋のそばに、巨大な水道があります。ダビデの町でヒゼキヤが行なったのと同じ発想で、敵に包囲されたとき、城壁の外にある泉を内側に引いてくるものです。ハツォルにも同じ形態のものが見つかっているそうです。(これが断面図)ヒゼキヤの水道よりは短いですが、ずっと下まで下がります。そして、下まで下がった部分が右の写真です。

 この水道を作った(あるいは作る?)アハブに、神が雨を降らせない裁きを下らせたことを考えると何とも面白いです。水道の向こう側には、まだ少し湧き水が出ていました

 あと、Biblewalks.comにはアッシリヤの時代の遺跡も紹介しています。
イスラエルの王ペカの時代に、アッシリヤの王ティグラテ・ピレセルが来て、イヨン、アベル・ベテ・マアカ、ヤノアハ、ケデシュ、ハツォル、ギルアデ、ガリラヤ、ナフタリの全土を占領し、その住民をアッシリヤへ捕え移した。(2列王15:29)
 このずっと後にアッシリヤの力が弱くなり、宗教改革の王ヨシヤが来て偶像粉砕などを行ないます。そしてその空白時期に、バビロンがアッシリヤを倒すべく動いた時、それを援護しようとして出て行ったエジプトの王ネコを、アッシリヤの力をまた強くさせないようにヨシヤが阻もうとしたわけです。それでメギドで紀元前609年、彼が死にます。
彼の時代に、エジプトの王パロ・ネコが、アッシリヤの王のもとに行こうとユーフラテス川のほうに上って来た。そこで、ヨシヤ王は彼を迎え撃ちに行ったが、パロ・ネコは彼を見つけてメギドで殺した。(2列王記23:29)
 私たちは水道の向こう側から出て、待っていたバスに乗りました。


イズレエルの町

 イズレエルの平原には、他にも多くの遺跡や見物するところがあります。始めにもらった旅程には、ギデオンの泉も含まれていましたがそれは見ませんでした、残念です。

 始めに見た地図にしたがうと、私たちのバスは65番線に乗り北東へ走りました。けれども途中でパレスチナ自治区に南下する60番線へ右に曲がると、「イズレエル」の町の遺跡があります。地図ではYizraelとなっています。(これまでイズレエルの「平原」について語っていましたが、同じ名称の町も存在します。)ここはギルボア山地の西端に位置します。

 ここでの有名な話は「ナボテの畑」です。この町にアハブ王が宮殿を持っていました。その横に、ナボテのぶどう畑があったのです。これを欲しがりましたが、先祖からの譲りの地を手放すわけはいかないという、神の律法通りの意思を表明しました。これで甘えん坊のアハブは、ふてくされてベットで寝ていたところをイゼベルが来て、その町の者に偽りの証言をさせ、ナボテを石で打ち殺させ、このぶどう畑を得ました。エリヤがこのことのゆえに、アハブの子孫は断ち滅ぼされ、イゼベルは犬どもが食らうと預言したのです(1列王21章)。

 これを実行に移すために用いられた器が、エフーです。彼は当時のイスラエルの王ヨラム(アハブの子孫)の将軍でしたが、エリシャの弟子の預言者によって油注がれました。すると彼は気が狂ったように、エリヤの預言を成就すべくイズレエルへと馬を走らせたのです。ぜひ列王記第二9,10章を読んでみてください、息を呑むような記事があります。

 エフーはこの時、ヨルダン川の向こう側のラモテ・ギルアドにいました。そこで油注がれてこの平原をイズレエルの町に向けて、猛烈な速度で馬を走らせたのです。イズレエルの町から撮ったBiblewalks.comのパノラマ写真があります。東(右側)からやって来ました。

 そして、エフーはヨラムと、いっしょにいたユダの王アハズヤを殺しました。ヨラムの死体はナボテの畑の地所に棄てました。アハズヤはメギドまで逃げましたが死にました。そしておぞましい格好をした老婆イゼベルは塁壁から突き落とされ、「その血が壁や馬にはねかかった。(2列王9:33)」とあります。この壁の遺跡がまだ残っています。

 またこの地点では、サウルが最後のペリシテ人との戦いを行なったそうです(1サムエル28:14)。パノラマ写真の右にある山がギルボア山で、そこでサウルは殺されました(1サムエル31章)。明日その近くを通ります。

 さらに、この辺りでイエス様は、十人のらい病人をいやされたと言われています(ルカ17:11-19)。「そのころイエスはエルサレムに上られる途中、サマリヤとガリラヤの境を通られた。・・・(17:11)


ハロデの泉

 そして地図にしたがうと、60番線ではなく71番線を南東に進むと「ハロデの泉(Ein Harod)」があります。ギデオンの軍が神によって三百人に削減されたところです。
そこでギデオンは民を連れて、水のところに下って行った。すると、主はギデオンに仰せられた。「犬がなめるように、舌で水をなめる者は残らず別にしておき、また、ひざをついて飲む者も残らずそうせよ。」 そのとき、口に手を当てて水をなめた者の数は三百人であった。残りの民はみな、ひざをついて水を飲んだ。(士師7:5-6)
 写真は、題名のリンク先で見ることができます。


ナイン

 65番線を北東に上がっていく途中で、右側にナイン(Naim,Nain)の町を見ることができました。ここは、今でも人の住む村です。イエス様が、ここでやもめの息子を生き返らせました。
それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちと大ぜいの人の群れがいっしょに行った。イエスが町の門に近づかれると、やもめとなった母親のひとり息子が、死んでかつぎ出されたところであった。町の人たちが大ぜいその母親につき添っていた。 主はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい。」と言われた。そして近寄って棺に手をかけられると、かついでいた人たちが立ち止まったので、「青年よ。あなたに言う、起きなさい。」と言われた。すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めたので、イエスは彼を母親に返された。 (ルカ7:11-15)

タボル山

 そして少ししたら、左側にタボル山が大きく見えました。

 ここは先にも話したとおり、デボラとバラクがカナン人と戦うために集まったところです。
そこで、デボラはバラクに言った。「さあ、やりなさい。きょう、主があなたの手にシセラを渡される。主はあなたの前に出て行かれるではありませんか。」それで、バラクはタボル山から下り、一万人が彼について行った。(士師4:14)
 このタボル山から降りていった時に、おそらく「エドムの野(士師5:4)」つまり、ギルボア山のほうから雲がやって来て、キション川に雨を降らせ、これを氾濫させ、そしてカナン軍をぬかるみの中に入れたと考えられます。ここに来ると、その戦いが簡単に思い描くことができます。そして、このタボル山とカルメル山が東西で平原を囲んでいる様子を使って、エレミヤはバビロンによって倒れるエジプトを次のように預言しています。
わたしは生きている。・・その名を万軍の主という王の御告げ。・・彼は山々の中のタボルのように、海のほとりのカルメルのように、必ず来る。(エレミヤ46:18)
 ちなみに、タボル山は伝承として、主が変貌されたあの高い山だとされています。けれども、ピリポ・カイザリヤでご自分が誰であるかと言われた後で、高い山に登られていますから、タボル山ではなくヘルモン山であると考えられています。それでその伝承に基づいて、山の上にカトリックの教会があるそうです。


エン・ドル

 そしてタボル山を見ている時、実は右側には「エン・ドル(Ein Dor)」の遺跡が見えていたはずです。ここは、サウルがペリシテ人と戦うとき、恐ろしくなって霊媒する女のところに行き、勝敗を死んだサムエルを呼び起こして伺ったところです。サムエル記第一28章に書いてあります。


4.ヤーデニッド(ヨルダン川浸礼の場)

 私たちは、暗くなる前にガリラヤ湖に戻ってくることができました。ガリラヤ湖南端から再び始まるヨルダン川のところに、バプテスマを受けることができる「ヤーデニット」という場所があります。私は99年にここで浸礼を受けたので、妻に受けたらいいと誘ったのですが、二つの理由でやめたようです。一つは、「バプテスマは記念のためという軽々しい理由で受けるものではない。」そしてもう一つは、「お金がかかりすぎる。」です。私は前回気づきませんでしたが、白衣などのレンタル料があって10ドルぐらいするのです。なるほど、この場所を金儲けのためにしてしまっているのだな、という新たな見方をすることができました。

 実はここ、チャック・スミス牧師によって始まったところだと聞いています。看板にも、さりげなく彼が登場しています。

 けれどももし、お金儲けが前面に出ているなら、チャックが意図していたことからずいぶん離れてしまっているでしょう。館内に入っても、とても高い商品が並んでいて、まったく買う気になれませんでした。といっても、初めての方はぜひ受けてください。記念というか、主の弟子としての再決心を表明するのはとても良いところだと私は思います。(Biblewalks.comに、ここの写真があります。)

 今回の旅では初めて来た人が多かったので、受洗者の数も多かったです。でも、あまりにも暑いので、始めの二、三人を見てあとは館内で終わるのを待っていました。バスに戻ってきた受洗者に、「どうだった?」と聞いたら、「魚が自分の足を食べた」と言っていました。私は笑いました、99年のとき私も、自分の足をつつく小魚を感じながらバプテスマを受けたからです。


ティベリヤの最後の夜

 とうとう、ティベリヤ滞在は最後の夜になりました。この町はかなり開けているので、夜に散策したいなと思っていました。そしてやはり、死海クリームを安くゲットできないかと期待しながら歩きました。道を尋ねながらかなり歩きました。暗い道に入りましたが、目の前には正統派ユダヤ教徒のお兄さん、お姉さんが歩いているから大丈夫でしょう。あったあった、一般庶民のドラッグストアーです。AHAVAもありました、値段もそこそこです。今回妻よりも僕のほうが、死海クリームの効力に魅了されました。

 ダウンタウンを歩いていましたが、エルサレムでもそうでしたが人々でごった返しています。エルサレムで見た、死んだラビのおじいさんをメシヤだと信じているグループの人らしき女の子が、ここでもトラクトを配っています。レストランもまだ開いているし、本当ににぎやかです。

 ついに明日は、最後の日になります。あさって、エイラットから直接エジプトに戻るからです。お楽しみに。