ついに来た!教会の前まで来た「在特会」

私たちの教会は日暮里駅と西日暮里駅の間にあり、この地域は在日の人々、韓国人、そして中国の方々が多く住む地域です。私が、「私の予測する日本の迫害」で話したことが、ますます身近になりました。今日、共に同じ場所を礼拝場として使っている中国人系の「東京日暮里国際教会」の姉妹が撮った写真です。

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生々しい現実と福音の光

 今回の記事は、もっと一般的な「生々しい人間の現実と福音の光」というテーマでお話ししたいと思います。キーワードは、「キリスト者の社会的責任」です。

当事者が聞いている可能性

 私が教会開拓を始めて特に、自分が説教をする時の心構えが変わりました。それは、これまで見聞で得た情報で語ったことが、実はその当事者が会衆の中にいるかもしれないという可能性です。例えば、宮清めをイエスがなされた背後の腐敗した祭司制度を説明する時に、仏教の檀家制度や神社のことを言及したことがあります。すると、「聞いている人に伯父に仏僧がいたので、彼女は傷ついた。謝罪して説教の内容を訂正して欲しい。」という要求が来たことがあります。私はご本人には釈明と必要ならば謝罪もするが、説教の内容自体は変えることはできないと答えました。

 この出来事は今の教会を開拓する前ですが、当事者がいるということを体感した初めての経験でした。

 徐々に、自分が単に知識をまとめて話す聖書教師ではなく、まさに現場にいる人々が神に立ち返るべく呼びかける御霊に応えて語るのだということを感じています。ゆえに、御言葉を曲げて語ってはならないと思っています。実際にそれに該当する人がいるかもしれないと思いつつ、それでも語る逡巡は心に負担がかかり辛いのですが、いや、むしろその負担こそが、預言者が主から与えられた重荷(burden「宣告」と訳されている)なのではないか、と思うのです。

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カルバリーチャペル・グレイス(Calvary Chapel Grace)との交わり

3月25-31日は、カリフォルニアのアナハイムにある、カルバリーチャペル・グレイスの宣教チームと時間を過ごしました。その牧者、スティーブン・オウ(Stephen Oh)とは、18年前からの友人です。私がカルバリーチャペル・コスタメサのスクール・オブ・ミニストリーで、95年、牧者チャック・スミスの講義を聴きにいらっしゃった時に顔を合わせました。彼は既に93年に卒業、私は97年に卒業しました。そして97年に私たちが日本に帰って、年始めに訪米する時にはほぼ毎回、会いに行っていました。

下の写真は2003年7月に、私たちが英会話で子供伝道をしていた時に私たちのところに訪問した時の様子です。

ロゴス英会話教室(2003年7月)

一緒におられるのは、近くの綾瀬東部教会の牧師夫妻で、ご子息が私たちの英会話教室に通っていました。この教会の魯牧師とも私たちは懇意にしていただき、長い交わりを主にあって持たせていただいています。そして今回、宣教チームが宿泊でお世話になりました。

この一週間、主がこれまで保たせてくださったこの愛の交わりを感謝すると同時に、これまで互いに知らなかったことも分かち合うことができ、とても感慨深くなりました。

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東アジア青年キリスト者大会(第三回)の報告

次の大会が無事に終わりました。

東アジア青年キリスト者大会

無事に昨夜、韓国済州から自宅に帰ってきました。済州は韓国の最南端の島で、「韓国のハワイ」とも言われていますが、実際は福岡県と同じ緯度で、今回は東京よりも寒かったです。けれども韓国の良い所はオンドル(床暖房)があること。夜は暑いぐらいでした。

韓国の若者、中国の若者がたくさん集まりました。韓国は旧正月の直後ということで、飛行機代が高く学生には飛行機代の費用がかさんだとのこと。中国人は、日本から東京日暮里国際教会のメンバーと、淀橋教会中国語部の牧師さんと姉妹一人が参加し、そして山東省からの兄弟姉妹がやってきました。中国人は私たちのように自由な往来はできないのですが、済州はビザ無しの特枠があります。それで済州を選んだという経緯があります。

残念ながらこの大会のお知らせが遅れて、日本人の参加者は私たち夫婦だけとなりました。だから日本の代表的な発言をいろいろ求められました。次回はぜひ日本人の兄弟たちがいらしてくれれば、と思っております。

内容は、神の国のために、歴史的なつながりの深い東洋の三ヶ国が、キリスト者を通じて平和と祝福を拡げる、ということであろうと思います。そして二十代を中心とする若者が集まっています。韓国と、中国それぞれの教会指導者が、この大会の霊的意義について、参加しながら模索をしていたのではないかと思いました。

三ヶ国語での賛美三ヶ国語同時に歌う礼拝賛美、御言葉による奨励、礼拝の他に、小グループによる聖書からの分かち合い、また文化理解や歴史についての講義もありました。通訳は韓国語と中国語がありますが、もちろん言語の障壁は避けられません。いや、むしろそれがある意味で目的だったと思います。言語を越えたところにある、キリストを中心として御霊の愛と一致を感じ取る必要があるからです。

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お祈りの課題

無事に、先週の木曜日夜、アメリカから戻って来ました。霊的に深い安息を得ることのできた旅でした。宣教会議の後半は後で書きたいと思います。

二つの大きな事が迫っています。

一つは、韓国の済州島で行なわれる「東アジアキリスト青年会」です。私は説教を一つ任されています。祈り始めましたが、主が、中国、韓国、そして日本の兄弟姉妹たちにお語りになりたいことを受け取ることができるようにお祈りください。

もう一つは、イスラエル旅行です。韓国から戻って、日曜日の午前・午後の礼拝を行なって、その二日後、2月19日に出発します。今、旅行のための冊子作り、第四回目の準備会(2月11日)、そして旅行中の小メッセージや礼拝メッセージ(おそらく、十ぐらいのを用意しないといけないと思います)の準備をしなければいけません。ラストスパートに差し掛かりました、ぜひお祈りください。そして旅行参加者が、仕事や家庭のこと、またご自身の健康面においても、守られるように祈ってください。

そして教会の、愛する兄弟姉妹が、私たちの旅行中も主にあって守られるよう祈っていただければ嬉しいです!

カルバリーチャペル宣教会議(1月7-11日)前半

ただ今、恒例のカルバリーチャペル宣教会議に来ています。こちら、カリフォルニアのミュリエッタ(Murrieta)は、砂漠の中にあるので、早朝は東京と変わりない最低気温ですが、お昼の日光を浴びると半袖でOKなぐらい暖かいです。

MissionsConference2013

今回のテーマは「暗闇の中の光」で、イザヤ書9章2節から来ています。初めのセッションで、ブライアン・ブローダソン牧師は、今の世界がいかに暗くなったかを説明し、けれども私たちクリスチャンの働き人がすることは変わりないことを説明したそうです。そして今の宣教師や牧師には、若者を訓練して将来の指導者を育成するように勧めたそうです。

昨日(7日)の晩は、ハンガリーへの宣教の開拓をしたグレッグさんがテトス1章から、クレテ人を厳しく戒めている言葉から、私たちの心の純潔が保たれていなければいけない話をしました。イエス様は問題のある人(遊女や取税人など)ではなく、パリサイ人に厳しい戒めを与えられたように、「キリストの十字架と言う愛の視点」ではないすべてのものが不純物であることを話しました。相手をこきおろすことによって自分を正しくするという姿勢は偽善であり、神が自分を愛してくださり、自分が愛するという仕事以外に私たちはすべきことはない、と話しました。

そして今日の午前(8日)は、スタンさん(オランダへの宣教開拓者)による証しで、実際に、「神の国とその義を第一に求めて、必要なものが加えて与えられる」という原則を実体験したことを証してくださいました。

今日の晩は、ケンさん(ヨーロッパのどこかの国の宣教開拓者)が、エペソ3章の後半にある、やはり「愛」のテーマで、私たちが神の愛の深さを知る必要性を説いていました。米国で始めた教会を牧会している中で、自分の幼い娘を失い、さらに看護婦が親の育児放棄を訴えたりと、完全に打ちひしがれた時期のことを分かち合い、神の愛を知る時について話してくれました。

①火の矢のような試練のとき
②自分の失敗で懲らしめを受ける時
③愛の御霊のバプテスマを受ける時

そしてこの説教の後で、アフターグロー(afterglow 主に賛美を歌いながら、御霊の深い慰めを得るために互いに祈ったり、示された人が御言葉や預言の言葉を分かち合うなどする集会)を持ちました。

また後半の報告も後日できたらと思います。

クリスマスを祝わないという人たちへ

クリスマスについて、クリスチャンの間でいろいろな意見が出てきていますね。それが異教から発生した行事であるということで、クリスマスを祝わないという人たちが結構多いです。またクリスマスの商業化に対する反発として、それを祝わないという人もいます。

教会暦の存在を知る

まず知らなければいけないのは、教会は、西方教会(カトリック)、東方教会(正教会)などの、古くからある教派の中で、一年を周期とした典礼を持っており、それを「教会暦」と呼んでいることです。

カトリック教会では主なものは例えば、

待降節 → 降誕節 → 主の公現 → 主の洗礼 → 四旬節 → 過越の聖なる三日間 → 復活節 → 主の昇天 → 聖霊降臨の主日 → 第8主日 ~ 王であるキリストの祭日

となります。

その中で、福音・聖書信仰からは相容れない伝統(マリヤの被昇天等)もありますが、キリストの初臨から再臨までの働きを順番に、行事を通して辿っていくという役割を果たしています。

旧約時代には、イスラエルも例祭(レビ記23章)があり、過越の祭りを始めとし仮庵祭で終わる、祭りを通して主の御業を覚える行事があり、そういった意味から教会が、キリストの働きをある時期に思い巡し、主を礼拝するということはとても良いことだと私は思うのです。

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日本人に対する伝道と弁証

先週、カルバリーチャペル・バイブルカレッジ東京にて、上の題名で講義を行なわせていただきました。その原稿をここのブログに掲載したところ、大きな反響がありました。

Evangelism to Japanese People
(Note: For English readers, go to the link and read the original manuscript.)

ある牧師からこれを日本語に訳してほしいとのリクエストがありました。内容は、実はロゴス・ミニストリーのホームページや本ブログで書かせていただいたことなのですが、改めて日本人への伝道と弁証を考える上でご参考にしていただければ幸いです。翻訳ではなく、同様の内容のものを、なるべく日本語を話す人向けに書き直したいと思います。けれどもまた、日本人である私たちにはあまりにもありふれていて、当たり前だと感じる部分もあるかもしれません。その時は、欧米のクリスチャンがどういうところで日本人伝道に課題を感じているのか知るための背景知識だと思っていただければ幸いです。それでは原稿の内容を書き記してみたいと思います。

【原稿の内容】

私は日本人ですが、1997年から日本への宣教師として遣わされ、2005年から2010年までは海外宣教に携わっており、宣教に対する情熱を持っています。2010年末に帰国し、2011年初めに「ロゴス・クリスチャン・フェローシップ」という教会を、東京中心部で始めました。仲間の多くが信仰歴二年も満たない新しい人々ばかりですが、主がそのような収穫を与えてくださったことを感謝しています。 続きを読む 日本人に対する伝道と弁証

Evangelism to Japanese people

I shared at Ministry Class at CCBC Tokyo this morning (Thank you for inviting us!). Here was the manuscript;

Evangelism to Japanese People

1A Polytheistic Belief
    1B Superiority of the Creator
    2B Problem of Syncretism
         1C Japanese People
         2C Missionaries
2A Family Relationships
     1B Discipleship of Jesus
     2B Paul’s Evangelism
3A Continuity of Life and Death
     1B Death and Resurrection
     2B Salvation by Grace

Text

My name is Kiyo. I have been a missionary to Japan since 1997 and I’m a native Japanese. My wife and I, however, have been overseas for 5 and ha half years, from 2005 to 2010. So, our hearts are always on mission. We came back to Japan in the end of 2010, and in 2011, we started church planting in downtown Tokyo. Name of our church is “Logos Christian Fellowship”. We praise the Lord for His harvest because most of the members are very new in the Lord for less than 2 years.

The other day, Pastor Bob from CC Honolulu came to Tokyo. During our conversation, he asked me if I know any good Christian apologetist to Japanese people. I said “No”. When Japanese believers ask me regarding apologetics, I usually recommend the following two books: One is “Case For Christ” and the other “Case For Faith” by Lee Strobel because the questions raised in those books are the same common questions held among Japanese non-believers.

But there are issues that are not written in the books because they are unique to Japanese situation. First issue is their strong polytheistic belief. The second factor is the strong bond among family members. The third one is their strong emotions concerning death and funeral.

Today I would like to make an attempt to share with you how to effectively share gospel and present apologetics to Japanese people. First I would like to share my experience of my own salvation and also my parents.

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領土問題について考える

近隣諸国との関係が騒がしくなってきました。「政治とクリスチャン」また「クリスチャンの政治家」の記事において、このような時事問題と私たちの信仰の関係をお話しましたが、主に、クリスチャンにとって注目しなければいけない情勢と、注目はするが振り回されたり、惑わされてはいけない情勢の二つがあります。領土問題は、ひとえに「惑わされてはいけない」情勢になります。なぜか、理由をいくつかに分けてお話します。

1)国と民族と地境

神がバベルの塔において、言葉をばらばらにされてから、世界の人々が民族を単位として散らばっていきました。それは神の裁きの現われではありますが、憐れみの中でそれぞれに住むところを与えてくださいました。

神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。(使徒17:26-27)

ですから、国境線を含めて神は与えておられます。しかし、これをパウロは、自然啓示の中で語っています。自然啓示とは、聖書でなくとも、神とキリストを信じていない人でも、自然に神に与えられた啓示であり、神が全ての人に与えておられる恵みです。

キリスト者は、天に国籍を持っていると同時に、この地上にいる間は、その地の住民として生きています。したがって、その中に国境線の問題もあるでしょう。したがって、ロシアとの北方領土問題、韓国との竹島問題、中国との尖閣諸島問題は、この国に生きる者として一定の関心を示す必要があるし、必要ならば国土を守るために行動に移さなければいけない時もあります。

しかしキリスト者は、特別啓示を受けています。特別啓示とは、神が聖書によって与えておられる神の知識です。初めは、神は人にこの地を支配するようにされましたが、人が罪を犯したので、それを失ってしまいました。しかしキリストが、この世界を贖うために地上に来られました。ご自身の血によって贖い、そして天に登られたのです。かの日には、そこから戻ってきてくださり、その所有権を行使して、全世界を神に引き渡し、ご自身がエルサレムから王の王、主の主として統べ治められるのです。

その時にキリスト者は、この方との共同相続が任されます。「もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。(ローマ8:17)」北方領土、竹島、尖閣諸島を含めてすべての地は、キリストが地上に再臨されたとき、その主権と領有はキリストのものとなり、行政と管理はキリスト者各人に与えられるのです!

これによって、今の領土問題は関係があると言えばあるのですが、その見方は神の国の者にされていない人とは、根本的に違います。将来、これらの地は神の子どもたちに任されるのですが、それはこの世が展開している主張、デモ、武力によってではなく、「柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。(マタイ5:5)」とあるように、もっぱら神の前でへりくだりの生活を送っている人、悪いことをされても仕返ししない人、与えられている主からの仕事をしっかりとこなす人に与えられます。また、先のローマ8章17節によれば、キリストと共に苦難を受けている人が共同相続人になります。この約束は、黙示録2-3章の七つの教会への約束にも銘記されており、信仰をしっかりと保っている人々に与えられます(例:2:26‐27)。

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