以下の本を、昨日、読了しました。リンク先は、著者自身が作っているページで、本の紹介や関連動画や記事の諸リンクもあります。
イスラエルについてずっと興味を持って見てきた中で、この本は、とても興奮するものでした。それは、ユダヤ人たちがどのようにして、ホロコーストやそれ以前の自民族への迫害や虐殺からの救いを得ようとしてきたのか、その解決がユダヤ人の主権を持つ国を創る、というものだったからです。
日独の平和主義と真逆の道
日本やドイツは、戦後、平和主義の道を歩みました。二国とも、軍国主義によって国際秩序を乱したという反省によって歩んできたので、戦力の保持は良くないこととされてきました。自衛のために戦うということさえ抑制する、あるいは慎重な立場です。今、ロシアがウクライナに侵略しているのを見て、その根本的な考えが問い直されているわけですが、基本、もし許されるなら「戦力の不所持」が理想だと考えられてきました。
ユダヤ人はその正反対です。写真で見ますように、ユダヤ人は歴史の中で、「武器を持って戦わなかったから、我々民族が絶滅しかけた。」とみなしています。ホロコーストのみならず、それ以前の長い歴史の中で、ユダヤ人は武器をもって戦ったことがありませんでした。数々の迫害、虐殺、中傷、国外追放、異端審問などを経て、生存の権利、またユダヤ人がユダヤ人として生きる尊厳を根こそぎ奪われてきました。それであっても、迫害が来れば荒らしが過ぎ去るようにして待つという姿勢を貫いて、これまで生き延びてきました。
しかし近代に入り、自分たちには「権利」があることに目覚めました。(難しい言葉で「啓蒙思想」というものがあります。)今、自分が生きているのは、神の憐れみといういう素朴な考えから、「権利」であると目覚め、それから、民族意識も、信仰の世界から現実の世界でも抱いてよい尊厳と考えるようになりました。
そして、彼らは生き延びるために「自衛」しなければいけないと考えるようになります。ホロコーストが起こっている現場では、彼らはなすがままになっていましたが、しかしすでにパレスチナに帰還している人々、その指導者たちの間では「自警団」や「武装抵抗組織」を形成していました。それが建国直後に勃発した独立戦争で、イスラエル国防軍へとなります。
したがって、写真にあるように、ユダヤ人は長年の歴史の中で、「武器をとって戦うことこそ、自分たちの生命と尊厳を保つことができる。」と考えるようになり、それを象徴しているのが現代イスラエル、ということになります。イスラエルにも、政治的には右から左まで様々な政党がありますが、イスラエル国防軍への信頼はだれもが持っている、象徴的な存在です。
ロシアに移住した大量のユダヤ人
こうした長い歴史の中で、イスラエルの建国前後における指導者たちの大半が、ロシア帝国領内にいた人々であることが、本書では注目されています。あまり知られていなかったこと、けれども、今、ロシアがウクライナに侵略していることによって知られるようになっているのが、「ロシアにもウクライナにも、数多くのユダヤ人がいる」ということです。これは、古い歴史で、ユダヤ人が比較的保護されていたポーランドがロシア帝国領内に入り、それでユダヤ人が大量に移り住んできた、という経緯があります。
西欧では、いわゆる「人権」とか「平等」ということが、特にフランス革命以後広がって、それまでのユダヤ人に対する差別政策が変えられました。ユダヤ人は迫害されているのは、自分たちがユダヤ人であること、その宗教にしがみついているからだと考えるようになり、それで、住んでいる国に同化するべきだと考えていったのです。けれども、ドレフェスという軍人が濡れ衣を着せられた、冤罪事件が起こったのを見た、テオドール・ヘルツルというユダヤ人が、もはや、同化してもダメなのだと知ります。自分がユダヤ人であることを避けても、ユダヤ人として差別されていく。そうであれば、自分たちの主権を持つ国を建てることで、私たちの命と尊厳は守られると考えるようになります。それが、イスラエル建国へに機運に弾みがつきます。
しかし、数多くのユダヤ人のいるロシア(注:今のロシアではなく帝国時代のロシア、ずっとずっと領土は大きいかったです)こそ、ユダヤ人が生き抜いていくために、自分のアイデンティティーを模索して、考えていった歴史があります。それを掘り起こしているのが本書で、「ロシア・ユダヤ人」ということで、単にロシアに住んでいるユダヤ人という意味ではなく、ユダヤ人であることはロシアにも国益となり、またロシアにいることで、ユダヤ人もユダヤ人らしく生きられるという、「相補型」というアイデンティティーの持ち方を紹介します。
ユダヤ人の心にある国際関係
とにかく、本書で面白かったのは、ユダヤ人が自分たちをどうみなしていくのか、そのアイデンティティーの持ち方、バランスのとり方を緻密に解明しようとしていることです。相補型というのもありますが、ロシアとユダヤをことさらに結びつけようとせずに、矛盾したままでいる(下手をすると二重スパイみたくなる)シオニストの姿も紹介しています。シオニストとは、シオニズムという、聖書的、歴史的につながりのあるパレスチナにユダヤ人が帰還するという運動や思想といってよいでしょう。
ところが、ロシア帝国が崩壊します。それで多くが西側に、またシベリアや極東に逃げていきます。ロシア革命の中で、左派の赤軍と、革命に反対する白軍に別れますが、そこで、自分たちがどこに属するのか葛藤していく姿が描かれています。ついに、度重なるポグロムによって、ロシアそのものへの信頼がなくなり、自分のうちにあるロシア的なものをなくしく、シオニストたちの姿を描いています。
パレスチナに帰還する、ロシアや東欧のユダヤ人たちは、その土地を開墾して、入植していきますが、第一次世界大戦に入り、パレスチナの地で英軍がオスマン軍を打破します。それで大英帝国が、国際連盟によりパレスチナを委任統治し、民族郷土の約束もします。ところが、次第に入植地ではアラブ人が襲撃をしていくようになります。ところが、統治者の英国当局は、それを野ざらしにしている、きちんと取り締まらないという問題が出てきます。
ロシアからユダヤ人を決別させたポグロム
そこで彼らはポグロムの時を想起します。ポグロムは必ずしも、ロシア当局が引き起こしたものではないが、我々が窮地にいる時に我々を守ってくれるものではなかった。ロシアの民衆が我々の生存を脅かしたように、今はアラブ人たちが我々の生存を脅かしている。我々は自分たちで抵抗して、守らなければいけないという現実に直面します。そのことを前面に出しているのが「右派」であり、ジャボティンスキーの考えです。
「(アラブ人との)合意につながる唯一の道は『鉄の壁を建てる』ことであり、それはイスラエルの地ではいかなる状況下でもアラブ人の圧力に屈しない力がなければならないことを意味する」(1923年の論文「鉄の壁」より)参考文書
その考えを踏襲するのがベギンという、後にイスラエルの首相となる人であり、リクード党の創始者でもあります。こうした考えは、一般に強硬であるとみなされます。もちろん、イスラエルには左派から右派まであり、様々な人々の考えの結集で成り立っていますから、彼らの考えがすべてではありません。けれども、現代イスラエルが通って来た、大きな一面であることは確かなのです。
度重なるアラブ人との戦争があり、その宿敵の代表的存在がエジプトでした。四回の中東戦争で、すべてに関わっています。そこでエジプトはすべて敗戦しました。戦うたびに、領土が奪われます。けれども最後の戦争、ヨム・キプール戦で、イスラエルが軍事的に勝ちましたが、時のエジプトのサダト大統領は、「政治的駆け引き」で、失われたシナイ半島を取り戻すことに成功します。イスラエルと平和条約を結んだのです。それに続いて、ヨルダンが平和条約を結びました。そして二年前にアブラハム合意によって、UAE、バーレーン、モロッコ、スーダンが合意し、中東の盟主サウジアラビアがイスラエルに超接近しています。
このように、ジャボティンスキーの思想は過激に見えますが、実質的な平和が実現していっているという側面もあるということなのです。
戦いによる救いと平和
それでは聖書ではどうなのか?日本に住むキリスト者は、どうしても自分たちが日本の中に生きて、時代性を持って生きていて、聖書を読むときも素直に読めない限界があると感じます。それは、イスラエルにとって、「戦うことが救いであり、勝利を与えるのが救い主」という、神のご計画があるということです。
アブラハムは、おいロトの家族を救うために武器をもって、メソポタミアの王たちと戦いました。エジプトで奴隷状態だったイスラエルに対して、強い腕をもって神はエジプトから、ファラオの手からイスラエルを救い出されました。そして、エジプト人が海に滅んだ時に、彼らにようやく平和が来ました。そして、イスラエルは荒野の旅を軍団ごとに組織を作らせ、それで旅をします。そしてカナン人の王たちと戦うように命じられ、それはカナン人の悪がはびこっており、神は裁きを下されるためです。
イスラエルの周囲の敵は、イスラエルの名を消し去る目的で一斉に攻めてくることが書かれています(詩篇83篇)。イスラエル人たちは、自分たちの生存が脅かされているところで、主が戦って下さり、勝利を与えるということが、いわば救いなのです。そして、イザヤ19章では、エジプトが力を失い、イスラエルに力があり、そこでメシアを見いだし、救われることも預言されています。エゼキエル37章10節で、復興したイスラエルは「非常に大きな集団」と訳されていますが、直訳では「軍団」となっています。聖書を読めば、イスラエルの軍事的要素が、その救いの中に多分に含まれているのです。
我々キリスト者は、罪との戦いが神のご計画の中で大きな部分を占めていることはよく知っています。そして終わりの日には、ハルマゲドンの戦いで、戦われる主についていっている「天の軍勢」と呼ばれています(19:14)。
盲点となっているアラブ民族の優越主義
本書では、こうしたイスラエルの生存の営みを、批判的な考察によって描いています。民族の自衛をまず初めに考えるリアリストたちとして、しかしながら、そこに住む人々が簡単に「民族」では割り切れないわけで、民族の単位における戦いは絶え間ない戦いを生じさせる、と述べています。イスラエルとパレスチナの対立が終わりなき戦いにさせているということは、一理あると思います。今日、イスラエルの左派だけでなく、多くの人たちが極右の存在を嫌悪しています。その過激さ、人種差別的な姿は、建国の父たちの考えと相いれないと言っています。
しかし、そのように自分たちの極右的な姿を批判する彼らも、アラブ人との戦いにおいて、一方的にユダヤ人のみを批判するのは、同じように解決の道を見つけるどころか、大きな問題だと感じることでしょう。イスラエル人たちの思いは、「では、どこに行けばいいのですか?」でしょう。アラブ人たちの暴動を、「ポグロムの再現だ」と想起する根拠は十分あるのではないでしょうか?
当時のユダヤ人たちの思いに同情なく批判するならば、はたしてアラブ人たちにも、ユダヤ人に対する差別的な思いがないのか?と言われると、大いにあります。ユダヤ人に対する優位性を持っていたのではないか?という当然の疑問にも答えなければいけません。つまり、アラブ人の国々にもユダヤ人たちはおり、彼らは二流市民、庇護民の姿勢を取っている限り生存していましたが、頭を上げたことに対して、ユダヤ人の主権の国を創るという事に対して、絶対にあってはならないという、アラブ民族主義があったのです。ユダヤ民族の批判をするならば、アラブ民族の、イスラム教に影響されている優越主義にも光を当てないといけないでしょう。
ユダヤ人やイスラエルが反ロシアにならない理由
ところで、私が本書を興奮して読んだのは、正直いいますと、「ロシア」が苦手だったからです。あまりにも大きな国、長い歴史を持っている国ですから、そんなたやすく語ることはできないと思っていたからです。けれども今、ロシアがウクライナを侵略した。ロシアという国を直視しないといけないと思うようになりました。
そこで気になったことがあります。ユダヤ人またイスラエルの国は、この戦争について中立であることです。国民としてはウクライナに同情していますが、ロシアとの外交関係のために、武器供与をしていません。ウクライナに野戦病院やいろいろな物資支援をしていますし、イスラエル人の義勇兵も現地に行っています。でも国としてはロシアにも気を使っています。経済制裁もしていません。
なぜか?まず、地政学的なことがあります。強力な同盟国であるアメリカが、中東への関与をやめていったからです。決定的だったのはシリア内戦で、時のオバマ政権が介入しませんでした。そこで内戦をアサド政権によって安定させるため介入したのがロシアでした。ロシアが実質的な影響力を持っています。ロシアは、今のイランのイスラム政権とも良い関係を持っています。そして何度も戦争をしてきたトルコも、ロシアと仲良くしています。シリアの内戦を収めるために、ロシア、イラン、トルコの三つ巴の支配が始まったのです。
そのシリアに深く、イランが軍事拠点を持ち、そこからイスラエルを攻めます。そして、レバノンのイスラム原理組織ヒズボラは、イラン傘下にあり、彼らがシリアに来ています。よって、イスラエルはイランのシリアにある軍事拠点に空爆をしているとされます。そこで、ロシアの黙認が必要になるのです。イランは国是でイスラエル残滅を掲げる国です。だから、ロシアを無視できない。
けれども、今、ロシアのしていることは、ナチズムを想起させることばかりです。彼らはウクライナの非ナチ化と言っていますが、よっぽど、彼らこそがナチス的な蛮行をウクライナでやらかしています。中東欧諸国は、西欧諸国以上に、強硬にロシアに対抗しています。それは彼らが、ソ連によってとんでもない蹂躙を受けたからです。ウクライナもロシア・ソ連から酷い目にあっている歴史があります。けれども、それでもナチスに対するように、ユダヤ人は声高にロシアを非難しない。それは、ナチスとの戦いで勝利へと導き、最も犠牲を払ったのは、ソ連の赤軍であったからです。ナチスの強制収容所の東側を解放したのは、彼らだったからです。
けれども、ロシアも前述のように、ユダヤ人に対してポグロムを行っていった国です。そして今のロシア政権は、プーチン大統領は違いますが、その取り巻きは、露骨な反ユダヤ発言をしています。むしろ、マフィアのように脅しています。この前のラブロフ外相の、「ヒトラーはユダヤ人」発言はイスラエルからの強い反発を買いましたが、それでもイスラエルが鞘を収めたのは、「あまりウクライナ側につくんじゃないぞ。」という脅しであったと、イスラエルの駐露大使だった人が言っていました。
ソ連崩壊後、大量に帰還してきたロシアからのユダヤ人が今、イスラエルに住んでいます。今やイスラエルでは、ヘブライ語、アラブ語の他にロシア語も日常で使われているほどです。そして何よりも、建国の父祖たちがロシア出身です。このようにロシアは、自分たちを否定してきた国でありながら、それでも数多くのユダヤ人がそこで何とか、自分にあるロシア的な要素と折り合いをつけながら生きてきた国です。ポグロムがあっても、ユダヤ人というものを人種として全否定したナチス理論とは違い、「一部は受け入れられていた」という歴史をロシアには持っています。だから、ユダヤ人を滅ぼすべき悪魔のようにみなし、抹殺を実行しようとしたナチスに対して、自分の一部となってきたロシアは、強く対峙できない様子が伺われます。
本書は、そうしたユダヤ人でありながら、ロシアから必ずしも抜け出たわけではない人々がイスラエルという国を建てたというところに焦点を合わせているので、非常に興味を持ったわけです。
プーチンのイスラエルへの思い入れ
ところで、プーチン大統領のユダヤ人やイスラエルに対する思い入れについての記事を読んだことがあります。彼が年少の貧しい時に助けてくれたのはユダヤ人家庭だったこともあり、彼は親ユダヤ的な言動が多く、ロシア系の多いイスラエルをロシアの延長のように見ているという内容がありました。逆に言うと、ウクライナのようにイスラエルをロシアの世界の一部とまでいかなくとも、飛び地のようにみなし、今はシリアにまで影響力を及ぼしているけれども、後にイスラエルにまで及ぼしたいという野望が出て来るのではないか?という心配をします。なぜなら、エゼキエル38章には、マゴグの地のゴグが、イスラエルの国に対して攻めてくる幻があるからです。
ロシアに伺いを立てないと安全保障を保てない現実、ユダヤ人の多くにロシアというものが一部にあって、それでロシアには強く対峙できない現実、そうした、望まないつながりがあって、マゴグの地というものが聖書の中にあるのかな?と思いました。